2014年08月03日

Micro history and Macro history

日本の真珠湾攻撃は、パリ不戦条約違反であって侵略だという議論がある。
前に読んだ別宮氏とかが、熱心に言っているようだ。兵頭二十八氏も同じだ。
しかし、こういう法解釈は難しい。そもそも国際法の解釈次第だが、国際法は民法のように法典があるわけじゃなくて、世界各国の条約の寄せ集めが法源となっている。あまり杓子定規にパリ不戦条約違反だから侵略だとかいうのは、法解釈的に疑問がある。
それも当時の国際慣習法なり、国際関係の条件で考えないといけないから、より難しいだろう。

兵頭氏の本を少しばかり読んだが、テクノロジーと戦争の関係に関する研究は緻密でオタッキーで面白い。しかし、彼は法律はあまりよくわかってなさそうだ。それに地政学という言葉を使うが、ミアシャイマーとか、ギルピンとか、ウォルツとかそういった本はちゃんと読んだこともないようにみえる。少なくとも全く言及されてないから読んでないのだろう。

日本の軍事研究は、オタッキーなところにはとても詳細だが、学問的に大きな国際関係論とかとは、別のところでオタク的に趣味的に研究されてきているようにみえる。IRなき軍事論はオタク的である。
私も軍事技術の話は嫌いじゃないし、どちらかというと好きな方であるが、別に全然オタクな知識も興味もない。
そこまで重要とは思わないから、そんなに興味がないのである。
しかしオタクな軍事評論家には、兵器の性能といったミクロな条件が、戦争の勝敗というマクロな結果を決めるという考えがあることは明らかだ。
これは、必ずしも否定はできないが、逆にミクロがマクロを決定すると強く主張するとしたらこれまた間違うように思われる。
ミクロもマクロもどちらも重要だ。どちらか一方がもう一方を決定する関係にはないだろう。
posted by libertarian at 11:47| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする