2007年05月02日

Self-apparent inventions

米連邦最高裁、特許の「自明性」を判定する法的基準の緩和を命じる

CNETの記事より次に抜粋


 ”米連邦最高裁判所は米国時間4月30日、これまで長い間特許をめぐる裁判に適用されてきた法的基準について、これを覆す判断を担当裁判官の全員一致で下した。この基準をめぐっては、特許とされるだけの価値がないのに特許と認められる、いわゆる「自明な特許」が大量に生まれる温床になっているとして、ハイテク企業からの批判が強かった。

 今回の判決により、質に問題のある特許への異議申し立てをより簡単にするものとして、大いに待ち望まれていた判断が裁判所によって下されたことになる。既知の発明要素を組み合わせたものを、どこから新しい特許と認めるか、その条件をめぐっては、知的財産権に関わる訴訟を専門に扱う連邦巡回控訴裁判所(CAFC)が設けた基準があるが、今回の判断で、裁判官たちは現在の基準を緩和するよう求めた。

 Anthony Kennedy裁判官が執筆した多数意見(PDFファイル)の中で、最高裁は、「真の新しい要素がない、通常のプロセスで生まれた技術進歩に特許による保護を与えることは、進歩を妨げる危険性がある。さらに、既知の発明要素を組み合わせた特許の場合は、これより先に発明されたものの価値や有用性を損なうおそれがある」と述べている。
[http://www.supremecourtus.gov/opinions/06pdf/04-1350.pdf]

 今回の判決に対し、ハイテク企業はただちに歓迎の意を表明した。以前から、IntelやCisco Systemsをはじめとするシリコンバレーの有力企業数社は、下級裁判所による過去の判決の修正を求める文書を、最高裁に提出していた。

 「今回の判決は、特許を与える価値のない特許や出願について、特許審査官が選別して却下する機会を増やし、特許の質を回復するのに大いに役立つだろう」と、Business Software Alliance(BSA)の顧問弁護士であるEmery Simon氏は言う。BSAには、Adobe Systems、Cisco、Microsoftなどの企業が参加している。

 連邦法には、同分野で「平均的な能力」を持った人なら誰でも考案可能と思われる発明には特許を付与できない、と明記されている。しかし、発明は自明だと後から主張するのは簡単なことから、CAFCは1982年、より客観的な結論を出せるようにするため、法的テストを設けた。

 この自明性テストを満たすには、実際には書面による証拠が必要なことから、自明だとの主張のあった特許でも、これを覆すことは困難になり、しかも、この基準のおかげで、米特許商標庁からの特許の取得は容易になった、との批判が起きていた。ハイテク企業の場合は、新しい製品やアイデアを考案するペースがおしなべて速いため、文書による証拠をそろえるのはとくに難しいとの不満が強い。

 今回の判断を示した連邦最高裁の裁判官たちは、自明性基準をめぐる以上のような批判に理解を示している。「発明をめぐる知的探求、および現代のテクノロジーの多様性を見るに、(自明性に関する)分析をこのような形で制限することはそぐわない。多くの分野では、手法や要素の組み合わせについて、その自明性を問う議論はほとんど行われず、開発の方向性を決するのは、科学論文よりも市場の需要である場合が多いはずだ」と裁判所は記している。 ”


俗に言われる、アメリカのプロパテントはもはや後退局面に入った。そもそもプロパテントなる政策が本当にあったのかどうかも微妙なのであろうが。

Kennedy判事の元の文章は以下の部分である。

The diversity of inventive pursuits and of modern technology counsels against limiting the analysis in this way. In many fields it may be that there is little discussion of obvious techniques or combinations, and it often may be the case that market demand, rather than scientific literature, will drive design trends. Granting patent protection to advances that would occur in the ordinary course without real innovation retards progress and may, in the case of patents combining previously known elements, deprive prior inventions of their value or utility.

開発の方向性は、市場の需要によって決まるとした見解は重要だ。発明そのものも、その発明の価値も市場と切り離せない。いわゆる学問とはそこが違う。発明そのものに価値があるのではなく、市場で利益を生む製品に市場価値があるのである。
だから、発明と言うアイデアそのものを保護する必要は本来的にない。
もし保護をしたいのであれば、不競法の改正で製品の保護を強化すれば済む話だろう。

また、知財法のような法律のメリットーデメリットというのは分析してもあまり意味がない。その法制度がなかったときのメリットーデメリットが、わからないからだ。
だが、特許のような産業政策法がなかったときのデメリットとは一体なんなのか?それはデメリットではなく、単なる一つの自然な現実に過ぎない。
単なる現実であるから、企業はその現実に自然に対応するだけだ。
それがどのような形になるかを予測することも意味がない。
ただ政府の独占特権システムを廃止したからといって、何の問題も起こるわけがないだろう。

posted by libertarian at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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