2014年11月23日

Atomic power debates

原発問題の議論は、未だに日本では平行線のようだが、これはマスコミの操作があるのだろう。
原発肯定派は、デフレを肯定する連中と同じようなものに見える。嘘を100回唱えれば真実になるだろうという手口だ。

原発肯定派と否定派の議論では、特に原発の安全性が焦点になりがちだ。
原発の問題としては、安全性の問題、経済性の問題、あと防衛問題がトピックになる。防衛問題とは原発と核爆弾保有を結びつけたものだろう。メインは安全性と経済性の問題か。

肯定派は安全性の問題を語る時に、交通事故や石炭産業などの死者数と比べることが多い。反対派は、それに対してウラン採掘でも死者数は多いなどと反論する。だが、比較の対象が全く間違っており、比較するのなら、火力発電などの他の電力と比較しないといけない。
日本では石炭発電などほとんどないし、シナの話をしても無意味である。

さらに放射能そのものの安全性になると、自分では全く検証が不可能な領域になるので、専門家なる連中の意見のどちらかが正しそうかという程度の判断になる。だが、この領域は専門家なる者がいないのである。内部被ばくの影響は外部被ばくに比べて、臨床例が少なすぎる。

経済性の問題だが、こういうものはなかなか精密な測定と比較が難しい。現状の分析比較も面倒かつ困難で、否定派は原発の経済性が悪いと主張し、肯定派はよいという。どちらのデータを信じるかによるが、自分では検証が困難な問題である。
ただし、ある程度はそれらのデータから判断はできるところはある。放射能そのものの安全性問題よりは、判断ができる部分であろう。
本来は電力関係の規制がなかった時の状態と今の状態を比較しないといけない。

福島原発の事故についても、地震が原因だとか、津波が原因だとかでもめている。ここらは、きちんと検証すれば白黒がつきそうなものだが、政府は検証はしていないのであろう。チェルノブイリも地震でやられたという説もあり、真相ははっきりとしない。

しかし、こういった安全性やら経済性の問題ではなく、発電、送電、配電に関わる日本の特異な規制が問題の本質である。
今の電力の法規制がもたらしたある種の平衡状態が日本には原発を大きく組み入れる形で存在するわけだ。発送電の規制を解除するだけで、今の平衡状態は大きく崩れることは間違いない。
発電と送電という生産と流通を一つの業界に独占させていることが、日本の電力業界に固有の問題である。
その時、発電業界がどうなるかは、マーケット次第だ。だが、発送電分離は多くの国で行われているので、大体の結果の予想はつく。

原発肯定派は、国策であるとか軍事であるとか、大きな価値を信じたい人間が多いのかもしれないし、社会主義国家の指導者になりたいのかもしれない。彼らは反原発という左翼に対抗する右派という認識なのだろうが、私に言わせれば、原発肯定派も反原発派のどちらも左派だ。右派は社会主義的な電力政策を信じており、一方の反原発派の多くはエコロジー左派の集まりだろう。w

こういった左と左の不毛な議論はやっても意味がない。原発問題を議論可能にするには、安全性とか経済性といった自分では検証不可能なことを問題にするのでなく、日本の電力の規制構造を問題にする必要がある。


posted by libertarian at 13:53| 東京 ☀| 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする