2014年12月22日

Rock Bottom Economics

クルーグマンのコラムから抜粋。


”最近の経済論争でもっとも驚くべきことの一つは、自分の経済理論が現実と照らし合わせて間違っていたことが明らかになったにもかかわらず、あくまで間違いを認めようとしない頑なさが、いかに広くはびこっているかということだ。間違いから学ぶなんてことは期待することもできない。アメリカ議会で新たに多数派となった知的リーダーたちは、相変わらずわれわれはアイン・ランドの小説の世界に住んでいると主張している。ドイツの役人たちは、今でもなお、問題は債務者が充分に苦しんでいないことだという主張を続けている。
こんな状況では、先行きは暗い。権力をもつ人々が知らないこと、そしてさらに悪いのは、自分たちが知っていると考えているが実際には知らないということが、必ずやわれわれを傷付けるからだ。”

この原文は以下にある

クルーグマンの文章は、やや屈折しているが面白い。

自分も長いことマクロ経済を全然知らないで、アメリカ共和党保守寄りのリバタリアンの主張ばかり読んでいたから、かなり間違った経済的主張を信じていた。
お恥ずかしながら、それは別に理解を伴っていたわけではなく、実証的に考えていたわけでももちろんなかった。
ここで、クルーグマンがアイン・ランドの小説の世界に住んでいると主張している人たちとは、まさにアメリカのリバタリアン寄りの保守派のことだ。
彼らは、子供に借金を残すなという形で、政府赤字を批判してきた。
彼らにとって財政赤字=大きな政府という意味で使われている。

リバタリアンと言っても、ミーゼス、ハイエクのようなのから、ミルトンフリードマンまでいろいろな人がいて、主張はかなり異なる。
しかしミーゼス、ハイエクといったオーストリアンリバタリアンの経済学は、相当におかしい。それは科学の体裁をなしていない。
実証性がほとんどなく、哲学的な論に終始している。
論理的にはある種の分かりやすさがあるが、反証性に乏しい哲学となっている。
複雑な事象を、哲学的に考えることは膠着的な思考に陥り、現実が見えなくなるだけだ。

リバタリアンと言われる人の中でも、フリードマンの経済学はオーストリアンとは全く異なる。
経済理論的にはフリードマンのようなリバタリアンしか生き残らないだろう。

今のシステムを前提にものを考えれば、金融政策の政府の重要性は極めて高い。
財政政策は、基本、減税政策の形で行うべきだが、実際に税を集めている以上、財政政策をやらない=緊縮財政をとることは、社会を窒息させるだけの結果になる。もっと現実をみる必要がある。


posted by libertarian at 07:13| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする