2015年04月19日

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世界の約4人に一人はムスリムで、約4人に一人はキリスト教徒。つまり一神教徒は約二人に一人の割でいるということになる。
イスラームは、ユダヤ教、キリスト教などを兄弟宗教とみているから、一神教徒とそれ以外という分け方になるだろう。
ほとんどの日本人は無宗教で、神について考えたこともないから、そもそも一神教などという迷妄をなんでまともな大人が信じられるのか不思議に思うわけである。
普通の日本人は、そんなものを信じる連中は、オカルトを信じる人間と変わらない危ない奴らと思うのではないか。

自分は世界に真理はあると思っているが、真理と神という概念とは結びつかない。
逆に一神教を信じる人間が神を真理と結びつけているようにも見えない。
イスラームは、実体のない概念、記号を偶像崇拝だとして避けるそうだが、アッラーという言葉にどういう実体をみているのか疑問だ。

中田考氏の本を読むと、カリフ制再興はイスラーム法上の義務だと考えているわけだが、これは中田氏のオリジナルというわけではなく、ジハード団の革命のジハード論を受け継ぐものらしい。
イスラーム法上、立法はアッラーの大権であり、これを国家法という人定法で置き換えることは、イスラームの教えをゆがめるという主張が第一にある。世俗化という政教分離はイスラーム法上、決して容認できない大罪と考えている。
そもそも人定法は、領域国民国家という植民地主義の装置からくるものであり、国民国家などは最近の制度にすぎず、なんの必然性もないものだという認識がある。
イスラームはもともとが、唯一のアッラー、一人のムハンマド、一つのクルアーン、一つのイスラーム共同体であるから、国民国家という制度、ボーダーをなくす必要があるといった革命のジハード論に行きつくわけだ。
だから、ムスリム同胞団のような中途半端な現実主義を嫌う。
一国の革命ではなく、アラブに張り巡らされた国境をなくさないといかんというわけだ。

しかし、中田氏の考えは宗教の信者としては純粋だが、結構、素朴に左翼っぽいと感じる。中田氏のいうところのグローバリズムも、典型的に左翼的な把握で、私にいわせれば、それはまさに実体のない概念、つまり偶像としか見えない。
さらにイスラームは実体のない概念をさけるがゆえに、紙幣という記号、偶像を嫌い、金という実体のあるものを重んじるようだが、金というのもやはり偶像、記号でしかないというのが事実だ。

トルコのケマル アタチュルクの世俗化主義は、最近では衰えつつあり、その代わりにイスラーム主義が台頭してきているらしい。
ケマルという無敗の大将軍が、世俗化主義に舵をきろうとしたのは、多分に軍事的な理由であろう。つまり、イスラームでは欧米に勝てないし、それに固執すれば、みじめな植民地的敗北状態になるのは避けられないといった軍事的リアリズムに基づく洞察からだろう。
イスラーム圏では、軍部が反イスラームの傾向があるが、これは、彼らの職業的判断からの必然的結論なのだろう。

この点は、日本が明治維新で旧い幕藩体制を破壊し、脱亜入欧を目指したのと同じような決意があった。
しかし、トルコはそこらのヨーロッパの国より経済は遥に良いが、イスラームという差別的理由で、EU参加を拒否されてきている。
ここら辺から、結局、イスラームの脱亜入欧は無理なのだということを国民が認識しだしたようだ。

オザル政権になると、ケマリズムを弱め、イスラーム主義への転換が図られるようになり、エルドアン政権ではさらに反ケマリズム的な方向になっていった。
カプランは、ケマルパシャが旧体制との連続性を断ち切るために、首都をイスタンブールから内陸のアンカラに移したことが、かえってイスラーム濃度の高いアナトリアの土地へ移る結果になったと見ているようだ。

とはいえ、別にEUに参加することはそんなにいいこととも思えない。大事なのはEUではなく、自由貿易体制だ。
トルコは世俗化を進める中で、経済的に発展し、ヨーロッパコンプレックスのようなものが薄らいで行っているのだろう。
これも、日本と同じような過程を通っているようにみえる。
むしろ、自分たちのアイデンティティーを大事にしようという気持ちになってきているのは、軍事的敗北の痛手から、経済的発展によって立ち直ったからだと思う。




posted by libertarian at 09:28| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする