2015年04月28日

Somaliland

ソマリアの”謎の独立国家ソマリランド”についての、高野秀行氏の本を読んだ。
この本はいろいろな賞を受賞したようだが、非常に興味深い本で面白い。

アフリカの角に位置するソマリアは、リドリースコットの映画「ブラックホークダウン」で描かれたくらいで、それ以上のイメージはなかったが、この本を読んで、驚くべきリバタリアンな社会だということがわかった。w

高野氏のアプローチは学術的な側面と、国家や民主主義の在り方に対する根本的な問題意識があるところが、単なる冒険家というより、かなりインテリなものだ。この本自体、いわゆるノンフィクションの枠を超えた意味をもっている。

ソマリアは、紅海沿岸の北部の自称独立国ソマリランドと、海賊業をやっているこれまた自称独立国のプントランドの中部、南部のモガディシュというソマリアの首都のあるいわゆる国連公認のソマリアから成っている。
この3つの地域に高野氏は足を運び、その実態をルポルタージュしている。

基本的にソマリアは、イスラームの国でイスラム法があるが、外部からは簡単に見えない下部構造として強固な氏族社会だということがある。
氏族社会の構造の上に、イスラームが乗っかっている構造だ。この氏族社会(Clan)の構造は非常に複雑なのだが、高野氏はその構造をかなり詳しく解き明かしているのがさすがである。

イスラームも、中田考氏が言うとおり、1500年も続いたある種の自然法と呼ぶべきものかもしれないが、さらに氏族社会の構造にある自然法というものがある。
この本を読む限り、イスラム法よりも、この遊牧民の氏族社会構造からくる法の方が、ソマリアにおける実効性のある法のようである。
ソマリア人は契約の民で、その法的思考は驚くほど深いことがうかがえる。

日本人は、正直なところ中東やアフリカの人間に対しては少し優越感のようなものをひそかに持っていて、中東やアフリカ世界の人間の知性というものにあまり興味もないし、敬意も正直持っていないだろうが、それが西欧中心の世界観に洗脳された悪いところといえよう。
ソマリア人の法意識と、自然法的思考というのは、日本人より勝っていると認めざるをえないというのが感想だ。

例えば、ディアという仕組みがあり、殺人などがあるとその賠償としてラクダ100頭、金銭にして200-300万円が賠償として払われる。
もちろん、殺人を犯した人間が払えるはずもない額だが、これは氏族のメンバー全体の共同負担で払われる。
基本がイスラーム法なので、被害者は金銭的補償でなく、目には目をの制裁を望むこともできるが、それは血の報復の連鎖を招くので、このような仕組みで解決されているらしい。

もともとが社会というのは、このような下部構造が積み重なってできたもので、下部構造にある法の集積が自然法になる。
そして、下部構造が積み重なってより大きな社会になるが、そこに国家という外枠は存在しないわけだ。
西欧の今の国家定義はトップダウンな外枠を定める仕組みであるというのが問題なのであろう。それをまた、西欧人が上から目線と差別意識から、無責任に何も考えずに、ディープな氏族社会に押し付けようとするから、社会がめちゃくちゃになるというのがパターンである。

国連に認められたソマリアはまさにそうで、ここは社会はめちゃくちゃで危険。というか、戦争のようなトラブルそのものが産業という危険地帯となっている。つまりウォーロードと、イスラム過激派アルシャバーブが闊歩する紛争地帯だ。
だが、首都のある都市国家であり、トラブルが金になるので、戦争が絶えることがない。
一方の国連に認められていないソマリランドは、平和で驚くほどに民主的な社会となっており、ソマリアとの差は天と地のさがある。
ソマリランドでは、自然法が生きている社会のように見える。

この3つの国の対比が、鮮烈に描かれており西欧の介入したソマリアの混乱と、自然法による驚異的な民主主義と平和のあるソマリランドの対比が面白い。ここら辺の事情は、植民地支配の歴史的な経緯もからんでいる。

この中間にあるプントランドはいわゆる海賊国家で、海賊業がプントランドの自称政府による最大のビジネスらしい。
この紅海での海賊家業の話も興味深い。映画で「キャプテン フィリップス」というソマリアの海賊に人質になった実話をもとにした映画があるが、映画と海賊の実体はやはり違うようだ。
海賊が船を襲う最大の目的は、船荷であって、人質ではないらしい。船主も保険に応じるのは、船荷の価値が高い場合で、全てがお金、ビジネスライクに進められる。実際、人質に危害が加えられることはないそうだ。人質はほんのおまけのようなものらしい。
石油タンカーが積荷の価値が最大の獲物だが、大した価値のない日用品が船荷だと骨折り損になることもあるようだ。
この海賊にしても、彼らなりの法意識の下に動いている。

ハイエクは、自然法を西欧社会の中に見つけようとして、イギリスのコモンロー、初期ローマ法など民法の系譜にそれを見出そうとしたが、イスラーム社会では、自然法は割と容易に見いだせるようだ。
社会制度が法に先立つという観点では、西欧的な押し付け民主主義体制が即席で便利だったということにすぎないわけだ。
しかしむしろ、法が社会制度に先立つという考えが正しい。

この本は翻訳して欧米人、特にアメリカ人にも読ませたらいいのではないだろうか。

posted by libertarian at 15:47| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする