2015年05月02日

Law as OS, Islam as Network

トルコやオスマンの歴史を何冊か読んでみたが、トルコはなかなかに興味深い。
近く、トルコに行ってみようと思っている。ミマール シナンの建築をリアルに見てこようと思う。

近代トルコの歴史においては、ケマル アタチュルクの存在が大きい。ほとんどの本では指摘されていないが、時代的には20世紀の初頭、日本のめざましい台頭があった時期で、日露戦争、日本海海戦などを同時代で目撃した人物であり、日本がケマルに与えた影響はかなり大きいはずである。
実際、トルコの近代化路線、脱イスラームは、日本の明治維新を参考にしているのではないかと推察されるところが多々ある。

当時は欧米の植民地主義が頂点にあった時期であるから、日本もトルコも植民地化されないように必死だった。
ケマルは日本の明治維新以降の近代化の歴史に影響を受けているだろう。

イスラームをケマルはラディカルに否定して革命をうったわけだが、結果的にそれによってトルコは救われたのだと思う。つまり、ケマルなくしてトルコの植民地化は避けられなかった。植民地化されてしまえば、イスラームの教えどころの話ではなくなる。
しかし、ケマルは本当のムスリムではなかったのだろう。隠れユダヤ教徒だったという話も有力だ。
アル中で肝硬変になり57歳の若さでなくなった。ケマルは地獄に落ちたのだろうか?

私がイスラームに興味を持つのは宗教ではなく、法という観点からだ。
イスラームは宗教であり同時に法であり、そこがイスラームが最新最高の宗教と自負している理由がある。
欧米の近代国家というのも、その本質は法システムにありデモクラシーといった制度にあるわけではない。人定法を作る国家というシステムが近代国家の本質的な特徴だと思う。

思うに、いわゆる人定法のヨーロッパ法と比較して、イスラーム法はいまだに優位性を持っている可能性が高い。
イスラム法を自然法とみれば、対比されるのはコモンローだろうか。しかし、イスラム法を自然法と見るのはやはり問題があり、実際はやはり宗教法と呼ぶべきなのだと思う。
イスラム圏において自然法と呼ぶべきなのは、むしろ遊牧民の慣習法ではないか。イスラーム法は、それらを排除することなく、レイヤー的に積み重なる形で保存した。

いわば、近代国家の法とはコンピューターにおけるOSのようなものかもしれない。
昔の8bitコンピューターはベーシック言語が乗っているだけで、OSなんてなかった。
では欧米の近代国家がOSつきのコンピューターとして、イスラムはOSなしの8bitコンピュータかというと、そうとはいえない。
イスラーム法の解釈が個人の自由にゆだねられているという中田氏の話が正しいなら、イスラームはネットワーク的なものなのだろう。
OSはもとより中央集権的な仕組みで欧米の国家観とマッチするが、イスラームはネットワーク型に見える。


posted by libertarian at 02:12| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする