2015年10月14日

Fullmetal Alchemist

Netflixにお試し入会し退会処理を忘れていたら延長になってしまった。
そこで、「鋼の錬金術師」と、「銀の匙」と2つ荒川弘のアニメを観た。
鋼の錬金術師は休み2日かけてぶっ通しでシーズン5の最後まで観た。w

ところで荒川弘は、先ほどまでずっと男の作家だと思っていたが、実は女性作家らしい。
弘は、「ひろし」ではなく、「ひろむ」と読むらしい。これには少し驚いた。w
荒川弘は天才的なストーリーテラーで絵も上手い。
このストーリーの緻密さは、考えてみれば女流作家らしいともいえる。昔から少女漫画は緻密なストーリーの名作が多い。また少女漫画の心理描写の緻密さはかなり文学的である。荒川弘はさらに会話の文章も洗練されている。

しかし漫画といえども、質量保存の法則やら物理の基本を無視したものは読む気がしないが、鋼の錬金術師は、物理を無視していないところがよい。錬金術の基本に等価交換の法則というのがあると強調されている。
これに対して、「進撃の巨人」では、物語の途中から質量保存の法則を完全に無視しているために物語性までが破綻している。w

こういうアニメ作品のクオリティの高さをハリウッドのドラマや映画と比較すると、アニメの方がよくできているなと思う。映画やTVは職業シナリオライターがマーケティングしながら作ったものに過ぎないが、日本のアニメには天才作家の作家性というオリジナリティがある。
アメリカのコミックは、Marvellという出版社に勤めるサラリーマン作家が集団で作っているらしい。
これではよい物ができるはずがない。
日本の漫画やアニメ業界は、全く何の身分保障もない完全な競争市場の中で進歩してきた。
この環境の中だからこそ、天才的な作家が次々に輩出されてきたのであろう。

しかしアメリカのドラマや映画を見ると、ドラマに過ぎないとはいえ、感覚の違いをかなり感じる。
登場人物の人間性が日本人とはかけ離れた印象を抱くわけだ。これは何故なのか?
posted by libertarian at 19:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする