2015年10月14日

Layer

アメリカの政治思想は興味深く、リバタリアニズムもその一つである。
しかしアメリカ社会のレイヤーは、第1層が宗教で、その上に第2層として政治思想が乗る形であろう。
通常、政治思想は宗教との絡みでは論じられず、独立したもののように扱われている。
だから、政治思想だけを理解すればよいと思ってしまうわけだが、実際は宗教レイヤーと政治レイヤーは独立というわけではあるまい。
これはTCP/IPの7レイヤーのように分離されているとはどうも思えなくなってきたわけだ。
例えば第7層のアプリケーション層は第1層の物理層を無視して独立に扱えるが、宗教と政治思想には、断ち難い関係があり独立してない。

しかし、キリスト教については普通の日本人は全く不可解であるし、表面的にもアメリカの多様化した宗教状況を理解するのは難しい。
アメリカでも宗教レイヤーを論じることは、ある種のタブーなのではないか。だからそんなものには触れずに政治思想というのを論じようとするわけだ。

一方、日本社会においては、宗教レイヤーもなければ政治思想レイヤーもほぼ存在しないといってよい。
日本に宗教レベルのレイヤーがあるとは思えない。
日本に宗教がないわけではないが、レイヤーとして社会構造に存在しているとは思えない。
神道=天皇というのが存在しているが、神道は宗教とはいえないと思う。
キリスト教は、政治思想に対して理屈や根拠を与える一段深いものだが、神道はそうではない。
だが、天皇、皇室、神道は、宗教的ではないが宗教レイヤーと同様に日本社会において深い構造を形成していることは間違いないだろう。

さらにアメリカのレイヤーとして法レイヤーというのもあるかもしれない。
つまり、アメリカ社会は宗教ー政治思想ー法という3レイヤー構造と見ることができる。
アメリカは信教の自由があり、政教分離されているが、これによって逆に宗教が政治的であることが可能となっている。

アメリカの奴隷制など日本人からみればとんでもないものと思うわけだが、これが20世紀中頃まで維持されてきたのは、奴隷制を肯定する論理がキリスト教の中に存在したからである。
そして奴隷制を巡る議論の中で、アメリカのキリスト教社会も様々な教派に分かれてきた。
マルコムXはネーションオブイスラームというイスラム団体から出てきたが、キリスト教そのものに人種差別、Racismの論理があると認識してイスラームに改宗したそうだ。
もともとアメリカのイスラム教は奴隷として連れてこられた黒人のムスリムが最初で、黒人社会にイスラームの基盤にあったようだ。
歴史的にみても、イスラームにキリスト教のようなRacismはないように思われる。奴隷はあったが、それとキリスト教のRacism とは違うように思われる。
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする