2015年10月19日

Border of Law

法というのは基本、国があってその国内を扱うものだ。
アメリカ人が聖書の次くらいに大事に思っている憲法も、その効力は内部にしか働かない。
つまり、対外的には効力が基本ないし、また政府の対外的な行動を制限するものでもない。
ここには内と外がはっきりとあって、法の支配なるものはあったとしても内部だけにしかない。

アメリカの対外行動は、基本、国際法は無視するはで大いに問題がある。立派な憲法があっても、政府の対外的な行動については何も制限できない。政府行動は侵略であろうとなんでもありだ。
これが世界がアナーキーである原因で、国際法など覇権国の前にはあまり効力はない。
軍事行動とは、national security の一環だが、security という曖昧なものでどんな行動でも正当化してしまう傾向がある。実際は利潤動機に過ぎないものでも、securityとして正当化できてしまうわけだ。
constitutionalismという政府の力を制限する仕組みがあっても、対外的には無制限の権力を政府に与えてしまっている。

アーロンシュワルツの映画で、シュワルツがサイバー戦争などを理由に政府がネットの自由、言論の自由を侵害しようとしていると言っていた。国内に対してもsecurityという曖昧な概念でなんでも正当化されてしまう危険はある。

セキュリティとか知的財産というのは曖昧で捉えどころがなく、厄介この上ない。
セキュリティの危機を感じたから、それを排除するために、先制攻撃をしかけ相手を殺したりした場合、普通の人なら殺人事件だが、アメリカのような国家はやられる前にやる。支那もそうだろう。パリ不戦条約など意味がないのである。

支那に関してアメリカが危惧していることは、支那は核兵器、水爆であっても、単なる抑止兵器とは考えておらず、通常兵器として躊躇なく使う恐れがあるということらしい。
対ソ連の時にはあったコモンセンスが全く通用しないサイコパスのような相手と考えているようだ。
支那中共は毛沢東という稀代のサイコパスが作った王朝であるから、大いにありうることだろう。
それをアメリカは朝鮮戦争の時に思い知ったはずなのである。

posted by libertarian at 01:55| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする