2015年11月12日

Tax and Religion

キリスト教に入信するといろいろと教会税を徴税をされるらしい。
所得税の10%程度を支払わされ、これがヨーロッパでキリスト教が衰退している原因の一つでもある。
ドイツでは国税で教会税を徴収されるらしい。
そのため、若い人がどんどん教会から抜けるので、教会が経営不振となり、身売りされモスクなどになっているようだ。

中田考氏によるとイスラームは税そのものを否定する。
徴税そのものがイスラームの罪であり、徴税人は殺さないといけないとまでされているそうだ。w
イスラームにはキリスト教のような教会組織がないし、アッラーとムハンマド以外の権威は否定されているので、教会税などあり得ないわけだ。
とはいえ、喜捨は宗教的な義務もしくは推奨行為なので、これが一種の宗教税に相当する。


シーア派は五分の1税をウラマーに納めないといけないが、スンニー派は、資産の2.5%の浄財=ザカー(義務の喜捨)だけ。

ユダヤ教徒とキリスト教徒に対しては、ジズヤという人頭税が科せられるが、これは年間6−7万円程度で、資産の多寡にかかわらず同じ。
イスラムは徴税を禁じるから、外部との交易に対しても関税が課せられることがない。


中田氏によればイスラームはグローバルな平和的アナーキズムということになる。
おまけに不換紙幣は偶像崇拝だとして金銀本位制までイスラームは主張する。
イスラームは国家、国家法というものを基本的に必要としない。なぜならイスラームそのものが法であり、属人法だから、地球のどこにいようと従う法が決まっているからである。

そうだとすれば、オーストリアンリバタリアンは、スンニー派のイスラームになってイスラーム社会、イスラームの家を目指せばよいということになるだろう。w
だが、欧米のリバタリアンたちの多くはクリスチャンなのであろう。それもプロテスタント系クリスチャンが多いと推察できる。

ただ、中田氏の話は、カリフがいた時代のイスラームの話であり、今はどこにもイスラームの家は存在しない。今はムスリムにとって、「戦争の家」しかない。
そして「イスラームの家」を復興させるためには、まずはカリフ再興が必要だという話になるわけだ。
#しかし、そもそもイスラームの家は、いつからいつ頃まで存在していたのかという、中田氏の歴史認識についてはよくわからない。もしかして正統カリフの時代だけだったということだろうか?だとすれば、せいぜいムハンマド以降の30年くらいということになる。

現在16億人のムスリムがいるそうで、この調子で増えていけば早晩、世界の半分くらいはムスリムということになりそうだ。
イスラームから見れば、ユダヤ、キリスト教徒は経典の民で、イスラームに包含される存在とみなされるそうなので、欧米のリバタリアンがイスラームになるのはそれほど変な話ではないのかもしれない。

私の知る限りでは、このような視点で欧米のリバタリアンがイスラームを肯定的に論じるのを見たことがないから、彼らクリスチャンは、イスラームを全く知らないか、意図的に無視しているのか、どちらかだろう。

しかし、宗教的な面を除いたイスラームの家のような社会をリバタリアンが目指していることは間違いない。
リバタリアンは、法に対する考え方でも分けることができるが、経済的な原理だけで平和的な無政府体制が可能だとする連中もいる。私は、リアリズムの観点からみて、それはユートピア思想の一種だと思う。w

もちろんハイエクなどは、法を最重視しているからそうではない。ハイエクは国家の作る人定法ではなく、自然法の存在に期待をかけているわけだ。
イスラームの法は宗教法、神の法で、これを中田氏などは自然法とも呼ぶが、ハイエクの自然法とはややイメージが異なる。ハイエクの自然法はいわば民法的なイメージだ。民法は一種の経済ルールでもあるが。
今のところ、リバタリアンにとって確実な自然法とは、生命身体の所有権だけだろう。

私なども法を重視する立場だから、いわゆるアナーキーなリバタリアンには前から懐疑的だが、同時に法を人定法、国家法というものに完全に委ねる立場にも当然に否定的だ。それはつまるところ国家社会主義といえる。

アナーキーなリバタリアンの国家なき自由社会とは、「法のない社会」ではないから、「国家なき法」がカギとなる。そしてイスラームとは、1500年も前にできた、まさに国家なき法である。
もっといえば、リバタリアニズムは、この「イスラームの家」を超克する、それを上回る仕組みを構想できるのかどうかが問題になるともいえる。もしくはアメリカ国内の政治的主張として閉じるかだ。

思うに中田氏も基本は東大文系の左翼な人で、イスラームにユートピア思想を見てるように感じる。
経済に関する考え間違いもいろいろあるが、ユートピア思想の特徴としては、ディレンマとなる要因を排除する点にある。いわゆるリバタリアニズムもユートピア思想的なところが多分にあり、そこにはディレンマとなる要因が見えない。実際は、セキュリティや法といった問題はディレンマそのものなので、それを論じないと自然とユートピア思想になるわけだ。


posted by libertarian at 12:08| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする