2015年11月29日

Jutu

天地明察に出てくる和算の問題は、幾何の問題であったが、私はこれが出てきたとき本を閉じて自分で解いてみた。計算間違いをしたが、わりとすぐに解けた。算額の問題はもっと高度なものかと思っていたので、ブルーバックスの”算法勝負!「江戸の数学」に挑戦”という本を借りてきた。
幾何の問題を5問ほど解いてみたが、問題のレベルとしては中学生でも数学がうんと得意な子なら解けるだろう問題かもしれない。知識としては三平方の定理を知っていれば解ける問題だ。だが、意外と計算は複雑で、私は例のごとく計算間違いをした。江戸の数学定理を前提として使えば、スムースに解ける問題もある。

、、などと舐めていたら、後半の問題はかなり難しい。
江戸の和算のレベル、恐るべしである。

算盤も、昔小学生の頃に授業であったが、完全に忘れていたので、「そろばん入門」という小学生低学年向けと思しき本を借りてきて、そろばんの仕組みを調べてみた。
そろばんは、まさに術、計算術というべきもので結構難しそうだ。
例えば10−1といえば9だとすぐにわかるが、そろばん的には、この解法プロセスは1段階ではない。
これを動作として瞬間的に行えるようにするのが、そろばん術とみた。
数字を数字としてみるのでなく、動作に還元するのである。
そろばんを頭にイメージする、日本の暗算術は驚異的で、おそらく世界一だろう。
江戸の日本は算盤は基本科目であったが、庶民のほとんどが、そろばん術を使えた日本というのは、おそるべき国である。現代の人間よりもはるかに計算力が高かったろう。

今は術という言葉はあまり用いられないが、江戸の和算は全てなんとか術という呼び名がある。
忍者の術のようでエキサイティングである。技術とか定理とかいうよりも術という言葉を使ったほうがいい。

江戸では読み書きそろばんが必修で教えられたが、今でもこれで十分だと思う。
現代の学校のような強制収容所に子供を押し込めるより、寺子屋のようなところで読み書きそろばんを本人のペースで教えていれば十分なのである。
現代的には小学校までで、そろばん術と、速読術と、記憶術を教えればよいと思う。
これらの術を使えば、あとは世に本がいくらでも溢れているのだから、自分で勝手に興味のあることを学べばいいわけだ。

もっと言えば、今後AIのようなものもが発達してくるほどに、こういった術の価値はむしろ高まるかもしれない。
術とは、知的と思われている脳内の作業を動作に置き換えるものとすれば、これはコンピューターの内部動作に近い。コンピューターは知的ではないが、ある種の術を使っているわけだ。そのマシンがあたかも知的な動作をするようになる。
人間も頭でっかちに考えるのではなく、体を使った動作が知的であるという価値を再発見するのではないか。
posted by libertarian at 02:18| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする