2016年03月27日

Iron

家の包丁がガタガタであった。よくこんな切れない包丁を使っているなとあきれるほどだったので、自分で砥石で研ぐことにした。今のセラミック砥石など結構高価なので、新しい包丁を買った方がいいのではないかとも思ったが、どんないい包丁でも使えばそのうち切れなくなる。だからどうしても自分で研ぐことは必要なのだ。
家には木屋のいい包丁が何本もあったが、研ぐことを通して道具と向き合うというのは大事なことだと気付いた。
道具は使いっぱなしではなく、それを手入れして管理するまでが要求される。
だから包丁を研ぐなどという基本的なことは学校で教えてもいいことだと思われる。
しかし今はyoutubeがあるので、包丁の研ぎ方はネットでかなりのことが学習できる。
実際に研いでみると、これが結構はまる。無心にシュシュっと研ぐのが楽しいのだ。
ボロボロだった包丁の刃が、研ぎによって生まれ変わるのはうれしいものだ。
刃こぼれがひどい場合は100番台くらいの荒砥から研ぐ。そして1000番くらいの中砥で研いだあとは、革砥で仕上げをする。すると剃刀のように包丁が切れるようになる。

昔から刃物は人間にとって欠かせない道具であり、ある意味、神聖な道具ですらあった。
江戸時代の武士など、おそらく刀オタクだったのだろう。
そしてその気持ちはわからないでもない。w
日本では、刀は殺傷道具というよりは、象徴的な美的な工芸品の域に高められていた。
だが刀も研ぎがあってこそ、その品質を維持できるのである。
実際には、江戸時代に刀は全くと言っていいほど使われなかったから、研ぐ必要はなかったろうが、趣味で研いでいたに違いない。
道具の世界は極めて奥が深い。そして、刃を研ぐ道具である砥石の世界もかなり奥が深い。

歴史的には青銅器時代から鉄器時代などと言われるが、これは技術をなにも知らない歴史家の作り話である。
実際は製鉄技術の発明がいつごろにまで遡れるのかははっきりとしない。
posted by libertarian at 22:46| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする