2016年05月08日

工作の知性:Intelligence of Craft

連休は、工作したり塗料を塗ったりして暮らしていたが、やはり物を作るというのは面白い。物を作るなかでしか育まれない知性というのはあるだろうと思う。学校教育というのは座学がほとんどで、こういう工作とか手を動かすことがない。私も今まで本ばかり読んでいたが、所詮、本を読んだり映画を観たり音楽を聞いたりというのは受け身の娯楽だ。工作は能動的なものなので、よりabsorbingな娯楽である。また、うまかろうがへただろうが、結局自分のやりたいようにやっているわけで自由である。
箱の工作など最も単純な工作の一つだろうが、箱のようなシンプルなものの作り方であっても、かなりいろいろな構造が考えられる。
そのうちのどれがいいかを絵に描いたりして頭のなかでシミュレーションするわけだが、これは意外と複雑な作業だと思う。そして、実際に作る段になると、それらが具体的に検証されることになる。独りよがりは実際の工作をするときに破綻するのである。これが単なる座学との違いである。
誤差とどう付き合うかとか、作業性とかコストであるとか現実の様々な制限要因に対していかに対処していくかが工作の本質だろう。
ピラミッドを作った古代エジプト人の工作の知性は相当なものであったことは間違いない。

昨日途中までみたNHKの番組で時速130Km超でる自転車を作るというのがあったが、エアロのカウルのコンピューター設計で最高速度がどのくらい出るかまで今はシミュレーションが容易にできるようだ。
エアロボディの設計はディスプレイ上で基本、感覚的に行われるが、その流体力学的な抵抗はすぐに正確にシミュレーションが可能で、実際に作ってみると同じような結果になるようだ。これには、ちょっと驚いた。w
10年くらい前では、建築の強度計算はコンピューターでもまだ無理だと聞いたような気がするが、今はどうなのだろうか?

しかし、設計と工作はまた次元がことなり、設計は自由度が高いが、工作はそれより低い。
とはいえ、これも3Dプリンターが進歩していけば、解消されるのかもしれない。
3Dプリンターであれば、いままで作ることは事実上無理だった複雑な内部構造まで作ることができるからである。
やはり人間の工作の知性はどんどん隅に追いやられていくのであろうか。
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする