2016年05月15日

テーブルと椅子:Table and Chair

キャンプをすると、テーブルの偉大さに気付かされる。
テーブルがないと、なんでもかんでも地面に置くことになり不便だし不潔だが、小さなテーブルがあるとその空間に人類の文明を感じる。
キャンプに持っていくのは折りたたみ式の超軽量の小型テーブルではあるが、それでもテーブルがあるのとないのとでは大きな違いがあるのである。
ここで、考えるのは、テーブルと椅子とどっちの方が先に発明されたのかという疑問である。
私の結論としては、テーブルの発明が先であったと思う。
そもそも日本は、座る文化で椅子というのはあまりなかった。だが、当然ながら座卓、和式のテーブルというのはあった。テーブルに物を置くとその他の世界から分離され、特別なものになるという意味もある。
そのうち、そのテーブルに権力をもった人間が座るようになり、椅子になっていったのであろう。
西洋でも椅子は近代になるまであまり一般的ではなく、庶民が持つものではなかったと聞いたような覚えがある。

しかし、日本も今はテーブルや椅子が普及しているが、テーブルの高さが73cmくらいのものが多く、これは日本人には高すぎる。輸入テーブルの高さがなんとなく標準になったのであろう。日本人の平均身長からしてテーブルの高さは65cmくらいが適当である。
椅子の高さもそれにあわせて40cmくらいが丁度いい。
電車の椅子はわりと座り心地がいいが、これは高さがかなり低くなっているからである。喫茶店の家具も同様である。

現代のDIYでは、正確に四角く製材された材木を使っているから、テーブルを作るのは難しくないが、昔は製材された木なんぞなかった。となると、昔のテーブルは丸太をつなぎ合わせ、その表面を平らに削ったものであったろう。腰掛けるものは切り株で十分なので苦労はない。だが、これは椅子とは呼ばない。椅子とはテーブルの構造の進化系としてみないといけない。

製材材木の歴史はおそらくかなり浅く、電気丸ノコが発明された以降なのではないか。
木をのこぎりで切るとき、横切りと縦切りは全く違う。縦切りの方が難しい。
ノコギリも横切刃と縦切刃は別物である。
電気丸ノコはこの縦切りを容易にするマシンであり、丸ノコがなければ製材なんて不可能である。
#しかし、のこぎりがあれば、人力でも頑張れば製材できるから、実際はのこぎりの発明以降は製材業があったわけだ。

法隆寺が作られた時代は、ヤリガンナで縦方向は調整していたわけだ。カンナとは切る道具であって、削る道具ではない。当時は切る道具はあったが、削る道具はなかったようだ。当時はまだノコギリもなかったらしい。
ノコギリとは正確には削る道具であり、切る道具ではない。切るのと削るのは正確には意味が違い、木屑がたくさん出る道具は削る道具である。削るとは千切ることとも言える。

法隆寺の凄さは、あの巨大な木造建築物が、切る道具だけで作られたという点にもある。現代のDIY技術の延長線上にはない異次元の技術で作られたものといえる。
posted by libertarian at 10:15| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする