2016年05月21日

Vintage

「なんにもないぶろぐ」というのが、本になり、ドラマになったようだ。
http://nannimonaiblog.blogspot.jp

タイトルは誇大で、なんにもないのではなく、なるべく少なくいいものだけでというのが正しいだろう。w
基本的に断捨離はいろんな意味で間違っているが、なるべく必要最小限の気に入ったものだけで暮らすというのは、いい落とし所なのであろう。

自分も持ち物は結構多いが、整理しようと思いつつもなかなかできない。
整理の際に難問となるのが、使わないが、使えるものである。
PC関係は何十年もの積み重ねがあるため、10台以上のノートPCが溜まっている。(これでも何台も捨てたのだ)十分に使えるし、中にどんな貴重なデータがあるのかもわからないから簡単には捨てられない。
PCは、ある意味、日記やアルバム的な価値もある。
PCは周辺機器も多い。モニター、キーボード関連など周辺機器がごちゃごちゃとたまる。
あと、カメラやレンズ、オーディオも沢山ある。CD、LPも多い。さらに本は読みきれないほど沢山ある。w

本に関しては、Kindleのおかげで本棚が増えるのを抑えられるようになった。
これは、iPodのおかげでCDが増えるのを抑えられるのと同じだ。しかし、本はビデオのようにレンタルできるようになればもっといい。電子本は高すぎるからである。

機械や電子関係のものというのは、ストック的な価値がなく使用価値くらいしかないのが普通だ。
骨董品にはなっても、ビンテージとしての価値を持たないのだ。
家具に関しては、ストック的な価値があるものを買うのが正解だ。
奮発して買うことが大事で、自分の感覚よりも2−3倍高価な無垢材の家具を買うのがいいかもしれない。
安い突き板の家具なんぞは、時間がたったらゴミにしかならないが、いい家具は時間で熟成されていく感じか。
その分、手入れも必要であるが。

今のDIYは、ナチュラルビンテージとかアンティーク塗装のような古びたディテールをフェイクしたものが流行っている。古いものは埃がかかっていて汚いようなイメージがあるが、それと古いことは全く別である。
質感とディテールの複雑さを愛でる感覚である。
今までの建売住宅は、突き板と合板、石膏ボードに壁紙とニスでぴかぴかきれいを売ってきたわけだが、これは非常に貧しいのである。昭和の頃は今よりも確実に日本社会は貧しかったが、生活空間は今よりも豊かだったのではないか。
建具は手作りの木だったし、ボロくても味わいがあった。それが窓枠がアルミサッシなどという酷いものになり、ぴかぴかのぺらぺらなものになっていった。
調べてみるとアルミサッシなどというものがこんなに普及しているのは日本だけだそうだ。アルミサッシは熱伝導が高すぎて建具としての性能もよくない。第一見た目が悪すぎる。
ぴかぴかキレイな安っぽい家で、PCや家電を操作するだけの生活というのは、SF的なディストピアではないか。
DIYは、ぴかぴかでキレイな空間なるものを、ディテールの深い味わい深いものに自分で変えていくことに意味が有る。

とくに今の商業ビルは、このぴかぴかキレイの最たるもので、感心しないものが多い。
ただただ落ち着かないだけのビルが多い。明治大正時代に建てられた多くの近代建築は名建築が多かったが、その多くは壊されてしまった。それらはほとんど壊すことを前提とせずに、100年いや1000年使うことを前提にして作られたかのような建築であった。だが耐震基準などを高めていけば、維持費が跳ね上がり、壊さざるを得なくなるのであろう。
結果的に最近のビルはどんなに立派でも、50年で建て替えることを前提に作られているかのようである。
ストックたるべき建築を、単なる減価償却材としてみるのは今の日本に顕著だ。これは日本の建築基準法に建物の減価償却期間を定めていることが原因の一つでもあろう。
欧米は、そんな建築法がないからビンテージなもの、旧いものを評価するマーケットがあるようである。

とはいえ、今の若い人たちから旧いものの価値、ビンテージの価値、ストックの価値が見直されつつあるようなのはいい傾向である。
posted by libertarian at 10:12| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする