2016年06月19日

主人のいない奴隷:Slaves without Master

イケダハヤトという若い人が「まだ東京で消耗しているの」というBlogを書いている。
少し見ただけだが、本人がサラリーマンを辞めて高知に移住してブログなどの収入だけで豊かに暮らすという実践的な内容のようだ。
たしかに東京の通勤は異常で、悲惨ですらある。このネットの時代になんで会社なんて場所にわざわざ行く必要があるのだろうか?

人がなぜサラリーマンになろうとするのかといえば、要するにお金を得る最も容易な方法だからだろう。
それに対して、自分で稼ぐことは難しいと考えられていて、またそういった方法も長い教育期間を通じて、一切教えられることはない。

今は教育期間なるものが異常に長く、人生の大事な時期を強制的に教育される。
それが過ぎたら給料を貰う人生にはいるわけだ。私企業だろうが公務員だろうが、サラリーマンだ。
これは、完全なる奴隷コースである。w
教育によって、集団同調圧力への屈服をしつけられ、そういった集団同調圧力に従順な人間が優秀な成績を収め、会社や組織によって使われるという仕組みのようなものである。
教育は重要だと刷り込まれているが、教育は有害なだけであり、教育機関なるものは現代の最大の利権団体と化している。
知識の暗記などを強制するのは、ほんとに前時代的で、非人間的ですらある。
大事なのは学習であり、師となる人を自分で選ぶことだろう。それは本であってもいい。

私は東京は比較的に暮らしやすいところだと思うが、東京も広いので東京内でも地域差はかなりあるだろう。
サラリーマンになって強制的な転勤を繰り返させられると、リアルな生活感がなくなり、会社しか世界が存在しなくなる。そうして経済的にも心理的にも会社に依存するしかなくなっていくのである。抜け出せなくなるわけだ。そして一時的な借家住まいと思っているが、実際は人生のほとんどを一時的な借家住まいで過ごしてしまう。楽しむべき生活などあるはずもない。

スパルタカスをNetflixで見て思ったが、この時代の奴隷とはまさに現代日本のサラリーマンなのだ。
現代のサラリーマンは自分の主人が誰なのか分からないだろうが、それは会社なり組織といった抽象的なシステムだ。主人なき奴隷が現代のサラリーマンなのかもしれない。
いつの時代でも独立することでしか自由は得られない。


posted by libertarian at 09:43| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする