2016年07月21日

誰にも正解のわからない問題への対処法:Problems nobody knows the correct answer

世の中には正解はあるだろうが、その正解が誰にも分からず検証も不可能という問題は沢山ある。
#検証不可能というのは原理的にとどまらず現実的に検証が不可能というのも含む。

例えば、放射能の安全性問題は、福島第一原発事故以来、喧しい言い合いが起こっているが、この問題はまさに個人には検証不可能な問題である。専門家であっても放射能の安全性に関して、放射性物質の体内被曝の問題を含めて確かなことを言える人は今のところいない。こういうのは実際の経験例から判断することなので、その手のデータがほとんどない状態ではいわゆる専門家にも誰にもホントのところは分からんのである。これは長い時間をかけて臨床結果を統計的に分析することでしか判断できない。

では、このような問題に対して、どのように対処すべきかだが、私は個人の選択の自由を高めることが一番だと思う。つまり危ないと思う人には被爆地から出れるように支援すべきだし、そうでないと思う人には自己責任で残る自由を与えればいい。ただし、残る人には誰かが安全だといったからそれを信じて残ったなどとは言わせず、自己責任であることを貫かせる。つまり、今後、放射能、放射性物質が原因かもしれない何らかの疾病になっても人のせいにして訴訟などしてはいけないということだ。
まして自分は安全だと信じるから他の人にも残れというのは無責任の限りで暴力的ですらある。
同時に危険だから他人に残ってはいけないというのも、自分が間違っていれば無責任で暴力的である。
私なら、放射能と放射性物質は非常に危ないと思うので離れることを選択するだろう。しかし、場合によっては危ないと思っても残る可能性もある。その場合はどうなっても他の誰の責任でもないことを覚悟しなければいけない。
それでもリスク管理上の原則からはソ連がしたように強制的に全員移住させるのが正解だと思うが。
私には未だに福島の高汚染地帯に人が残っていることが信じられない。

実際のところ、世の中にはこのように誰にも正解の分からない問題というのは多々あり、おそらくそんな問題ばかりなのだ。だからこそ、選択の自由は根本的に重要なものとなる。
現実経済も最たるもので、役人にも誰にも何がうまくいくかはわからない。だからこそ、自由な社会であることが大事なのである。
posted by libertarian at 23:38| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする