2016年08月28日

公共財という害悪

現代の世の中は公共財に溢れている。
だが、歴史的に見れば公共財などというものが登場したのは近代のことで、それまでは、王様の所有物であったり、誰かの私財だったりした。
不動産のことをreal estateというが、これは王(レアル)の財産という意味だ。
それが、現代になるほど、公共財の領域が拡大してきている。これを究極まで推し進めれば完璧な共産主義国家になる。
公共財のような誰のものでもなく、かつ誰のものでもあるといった所有権が全く定かで無いものはとてつもなく厄介なものなのだ。公共財こそが諸悪の根源である。公共財は無責任と利権と無駄の塊であり、資源を浪費する。

新国立競技場問題や築地市場の移転問題は、公共財に伴う諸悪が分かりやすい形で現れただけだ。
オリンピックのIOCそのものは営利団体なのにもかかわらず、開催国は国家事業として税金をふんだんに投入する。財政政策もただばら撒けばいいわけではなく、無駄は無駄であり、資源の無駄は損失でしかない。
だからオリンピックもやるのはいいが、営利事業として民間にやらせたほうがいい。
IOC自体が営利団体なのだから、そのほうがしっくりとくる。

新国立競技場のコンペは募集から締め切りまでが2ヶ月しかなかったそうだ。
そんな短期間に何から何までデザインすることはほとんど不可能だし、いいものがでるわけがない。
募集条件の設定も十分できず、調査もほとんど行われない状態で、デザインが提出され、適当に選ばれ、莫大な費用のかかる公共財が作られる。そして一旦できたら50年は使われるわけだ。
また公共財の場合、これらの全てが採算性を度外視して行われるのである。

大きなお金が動くものほど、民間プロジェクトにするべきだ。運営の主体を無責任の塊である役所から、営利企業にするのだ。
例えば新国立競技場の場合なら、土地の借款条件を少し有利にして、競技場の条件をシビアに設定してオークションを行い、民間に落札させてあとは自由にやってねという形にした方がいい。
そうすると民間会社は競技場の経営を閉会後もずっとしなければいけないから、逆算的に適切な案ができるだろう。
昔は国鉄なんてものもあって、鉄道事業は役所がやるべき公共財だという認識があった。だが、経営がめちゃくちゃになったために、JRに民営化してある程度まともになった。つまり全ての事業は営利事業であり、営利事業は民間会社が担わなければならないのである。
国が最低限やらなければいけない唯一のものは、国防という非営利事業である。

故ザハ・ハディドは、もともとunbuiltの女王といわれていて、超奇抜なデザインで人目を引きコンペで選ばれても、建設が不可能ということで作られずプロジェクト毎潰れることが多かったいわくつきの建築家である。建築的にはダニエル・リベスキンドなどと同じ脱構築派とエラソーに呼ばれるが、脱構築する以前に物理的に構築できないのである。w
構造も物理学もすべて無視して、屋根が空中に浮いたような案を提出するぶっ飛んだ「アーティスト」らしい。あんな自転車のヘルメットのような競技場が取りやめになったのはつくづくよかった。ザハ・ハディドの素性を知りながら、あれを選んだ安藤忠雄はやはりアホであるし責任がある。


posted by libertarian at 14:47| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする