2016年11月27日

法律という国のかたち

ある国や社会を知ろうとするとき、その国の歴史や地理、宗教、文化、習俗的なものを知ろうとするのが普通だが、それだけでは不十分だ。その国の法システムを知ることが大事である。
しかし、法律は膨大にして極めて複雑であり、自国の法律ですら何も知らないのに、他国の法システムを知ることなど出来ない。だから、ある程度の概念的な理解に留まるのは仕方がない。

思うにこれは外国だけでなく、自国のことであっても、その法律に対するある程度の理解がないと何もわからないのではないか。
日本では政治的な話題はニュースになるが、それが法律問題として認識されることはほとんどない。派閥や人間関係のドラマとして、面白おかしく報道されるのが落ちである。
マスゴミや元マスゴミのジャーナリストも法律を知らなすぎる。日本の保守系言論人と言われる人も、元ジャーナリストや文学部の教師というのが多く、法律も経済についてのまともな理解力も知識もなさすぎる。もちろん、左翼の連中もこの点は変わらない。

アメリカの特徴としては、政治家に法律家の割合が非常に多いことがある。政治家は本来がLaw makerなのだから当然と言えば当然のことかもしれない。
先進国の中の比較では、日本は法律家出身の政治家は少ない。日本の国会議員は、衆参合わせて717人の内、法曹出身は42人しかいない。
アメリカでは、上院100人の内、51人が、また下院440人の内、151人が法律家である。さらに各議員が多くの法律家スタッフを抱えている。
特にアメリカのような国を理解するには、法律を知らないと何も分からないだろうが、多かれ少なかれ、どの国であっても、国家というのは法律によって国のかたちのアウトラインが決まっていると言える。


posted by libertarian at 12:34| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする