2017年03月13日

職人の技とコンピューター

先日、秋岡芳夫の展覧会に行った。
故秋岡芳夫氏は著名な工業デザイナーで、多くの名作を残している。氏のことは私は最近知ったのだが、私と考えが近いなと共感し著書を何冊か読んでいた。

氏はテーブルや椅子の高さが日本人には高すぎると主張し、椅子やテーブルの脚を切って短くしようという運動もしていた。 氏によるとテーブルの高さは60cm程度。椅子の座面の高さは35cm程度が日本人には適しているという。これは全く同感で、私も自分の使う椅子やテーブルはそのくらいの高さに調整している。
市販のテーブルは、70cm以上の高さがある(73cm位のものも多い)ので、明らかに高すぎるのである。もちろん椅子も一般に高すぎる。食事をするにも、本を読むにもテーブルは60cm前後の高さがちょうどよい。そして椅子もそれに合わせた高さにする。

そもそも日本の家屋は天井も欧米の家に比べると低いし、体格も違うのだから、高さは1cm単位で重要だ。もし、使っているテーブルや椅子が、70cm前後なら脚を切って短くするとよい。俄然使いやすくなるのは間違いない。空間も広くなる。喫茶店などが居心地がいいのは、テーブルや椅子の高さを低く抑えているところが多いというのもある。

秋岡氏は日本の職人の大工道具の収集も行っており、西岡常一氏とも知り合いであり、西岡常一氏を世に紹介した最初のほうの人だろう。
私はDIYをする前から、道具の連鎖というものに興味があった。何かを作るには、それを作る道具が沢山あり、さらにその道具を作る道具がありと、道具の連鎖が存在するのである。
秋岡氏は、道具と工具を峻別しており、今の電動工具、丸のこやインパクトドライバーのようなものは工具であり、誰が使っても同じだから、人に貸すこともできるが、大工の道具はそれを調整し、しつらえるのが大きな仕事であるから人に貸せるものではないという。金槌のような単純な道具であっても、実にさまざまな種類があり、決して単純なものではないということが分かる。特に日本の職人の道具へのこだわりはすごかったようである。

また大工道具は刃物が基本だから、研ぎは日常的なものだった。だから、砥石屋も沢山あったし、砥石道楽というものもあった。高価な砥石は恐ろしく高価なものだったからである。
今は、人工砥石が高性能になってきているが、やはり天然砥石の世界は奥が深いのであろう。しかし今は砥石が枯渇してきているので、以前より需要も減ったが供給も激減した。
ほんのすこし前、50年くらい前は、生活とはDIYそのものだったのだ。
今のようにDIYを趣味やライフスタイルとする好き者の世界ではなく、DIYしなければ生活にならなかったのであろう。

室町時代以前の大工の工法は、割木工法であり、法隆寺も全て割木で作られている。直方体に製材して木目を切断してしまうと木の耐久性も激減する。これはある意味自明なことだろう。法隆寺は割木したものの表面を槍鉋で仕上げている。
そして、木の癖を読んで釘などはほとんど使わず、組んでいるのである。
ちなみに新人の職人を「叩き上げ」というが、これは新入りの大工は木を組む技倆がないので、なんでも釘で叩いて仕上げていたから叩き上げという言葉が生まれたそうだ。
木を組んで作った家は解体し、また組み直すことも可能である。そういった工法は20世紀初頭までは日本でも続いていたようだ。

私が思うに、そういった職人技を要する技術、一つ一つ違う木の性質を読んで組み上げるといった人間の凄い知能的な技術は、室町時代以降、木が製材化され工業製品となることで徐々に失われていったわけだが、コンピューターの処理能力が高度になった現代ではそういった技術を復活させられる可能性がある。AIと言わずとも、そういった複雑性を大量に処理することは今のコンピューターには可能だろうし、これから先のコンピュータはますます得意になるのは間違いがない。
そうやって失われた優れた技術が復活する可能性はある。コンピューター時代は、20世紀までのいわゆる工業化社会ではないのである。工業化社会は大雑把な画一性をもたらしたが、コンピューター時代は昔のような高度な職人技の復活を可能とするだろう。
posted by libertarian at 23:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする