2017年05月13日

教育無償化案に反対する

安倍首相が教育無償化を盛り込む憲法の加憲案をだして一部盛り上がっているようだが、大反対である。
高校教育無償化を唱えている維新を取り込むための策とも言われているが、この案はどうしようもないほどヒドイもので共産主義政策と変わらない。本来は、この真逆の政策が必要なところである。つまり、公教育の全廃と教育の完全民営化こそが目指すべきことである。

もし全ての教育を無償化すれば、どうなるかは明らかで、今の国公立大学を頂点とする教育システムがますます腐敗し、公教育システムに寄生する日教組のような極左団体の力も強くなる。
日本から教育というサービス産業が完全に失われ、教育サービスの質はますます低下していくことは確実だ。

そもそも税負担を無償というのが大間違いであり、税金負担は無償ではなく、より悪いサービスをより高い値段で選択の自由なく購入させられることになるのである。

高橋洋一氏なども、この案を節操なく支持しているが、これではミルトン・フリードマンの孫弟子とはとてもいえない。w
高橋氏にはフリードマンの著作をもう一度読み直して欲しいものである。w
教育を公共事業の一つとして見て、同じ公共事業であるなら、道路や橋の建設よりも広く国民全体が受益者になるという発想らしい。これはなんともお粗末な論理である。

高橋氏は現代ビジネスで次のように書いている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51630
「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす(An investment in knowledge always pays the best interest.)」というベンジャミン・フランクリンの名言を引用しながら、教育を投資として捉えると、社会的な便益もコストより高いことを紹介し、そうであるなら、国債で教育の財源を賄うのがいいと書いた。」

しかし、フランクリンのこの言葉の投資主体はあくまでも本人、個人だ。自分で自分に教育投資をするのがいいという、啓蒙主義的な内容であり、これを税金投資のことに主体を置き換えて濫用してはいけない。

もし、分配政策としてやるならば、教育バウチャーのようなものを先にやるべきである。これは教育にしか使えない商品券のようなものを国民全体に配るので、サービスを受ける側に選択の自由が生まれるのが大きい違いだ。
同時に国公立大学を閉鎖していき、民間の教育サービス産業が伸びるようにする。
もし、無償化を憲法に盛り込んで法律にしてしまえば、今の国公立の教育機関に巨大な利権が新たに付け加えることになるだろう。

そもそも、今は昔と違って、ネットの時代なので従来の学校に通って大きな教室で授業を受けるという非効率なシステムは改められなければならない。こんな300年前から変わらない不合理なシステムが未だに残っているのも、教育関係者の利権温存のためである。
同時に知識を得る目的であれば、昔と違ってどんどん安く良質な情報がネットから得られるようになっている。
つまり、今はリアルに教育は無償化しつつあるのであり、税金と国債で教育を高価で低サービスなものにする必要はまったくない。

学生も友達や社会関係が欲しいだろうから、人が集まる場はあってもいいだろうが、それは別に教室でなくても構わない。クラブ活動やスポーツや実技をする施設としてしか学校の価値はもはやないだろう。
むしろ、学歴がブランドになっている現状を改める上で、検定制度を充実させるのもいいだろう。
英検のように、数学検定、国語検定、歴史検定、物理検定といったものでその人の実力を個別に客観的に評価できれば、そのほうが公平であり変な差別もうまれない。

posted by libertarian at 08:13| 東京 ☔| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする