2017年05月28日

現代の疎外論 w

「仕事なんか生きがいにするな」という本をざっと読んだ。
著者は泉谷閑示という精神科医で、次のネット記事を見て少し興味を持ったためである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/030200240/

泉谷:そうなんです。しかし面白いことに、インド・ヨーロッパ語族の言語も7世紀くらいまでは、やはり日本語と同じように主語というものはなかったのだそうです。しかし、そのうち動詞の活用が始まり、主語も登場してきた。英語では12世紀頃、主語の義務化が起こるようになってきた。それはムラ的だったヨーロッパの中世の社会が、「個人」に目覚めていった社会の流れと密接に関連しているわけです。


興味を持ったのはこの部分で、ほんとかどうかは知らないが、ほんとだとすると興味深い。W
しかし、こういった断片的な知識では何とも言えないし、事実関係については注意深くあるべきである。

先の本は全く面白くなかったし、つまらない本を買ってしまったと後悔したが、同調圧力とか、主語の問題というのは興味深い。が、そういう話は先の本には載ってなかった。
労働教を否定するのに、フロムやらマルクスの甥やらウェーバーやらいろいろと引用が出てくるが、こういった名前を聞くだけで、著者の知的背景はなんとなくわかるのだ。W
労働教、労働価値説、怠ける権利、実存主義、、こういった20世紀初頭からもてはやされたリベラルの空疎な概念をもてあそんでも100害あって1利なしだ。
著者は労働教といったものが現代にあるとして、それを否定的に扱っているのだが、これも一種の昔からある左の疎外論だろう。

私が前々から思うに、右と左のわからない人間がほとんどだが、右と左がわからない人間はまず例外なく左なのだ。この精神科医も右も左もわからない左である。

子供のころ、つむじが右回りか、左回りかというのがはやった。たしか、左回りのつむじだと賢くて、右回りだとバカということだったと記憶している。私はこの理由がわからず不思議であったが、今思うに、これは左と右をからかった話だったのかもしれない。W
posted by libertarian at 12:03| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする