2017年10月08日

法の支配とデモクラシー

法の支配は、デモクラシーに対する上位概念だが、なぜデモクラシーが金科玉条のごとくに言われ、一方の法の支配があまり言われないのかと考えるに、これは古代ギリシャのアテネのデモクラシーの影響ではないかと思うに至った。
古代ギリシャは神託政治でありオリンポスの神々のお告げを聞いていたわけだ。古代のアテネには、現代の法の支配の概念はなかったが、デモクラシーのような制度のようなものはあった。そして古代ギリシャを崇める結果、デモクラシーが過大評価されるようになったのではないかというものだ。

しかし、神託政治と法の支配の比較をするならば、現代の法の支配の概念は神を前提としない。一方、古代ギリシャのように神々の世界が広く信じられている社会では神託と法の支配は似たような意味をもっていたのかもしれない。具体的に古代ギリシャの神託政治がどのようなものであったか知らないが、映画などのイメージからすると、かなり呪術的なものであったと思われる。

現代の法の支配の概念は、ヨーロッパでどろどろの宗教戦争を通して生まれた宗教に対しニュートラルな概念なのだろう。
もとより「法の支配」の概念は、イギリス起源の概念だろう。
例えばモンテスキューにしても生まれはフランス人だが、イギリス人といった方がよいかもしれない。フランスとイギリスは歴史的にずっと対立しているようだが、実際は兄弟国のような関係にある。人種も宗教も言語も全く違うがフランスとイギリスはセットで考える必要がある。ここら辺の関係は分かりにくいので私もよく知らないが、西ヨーロッパを把握するうえで大事なポイントであろう。
posted by libertarian at 12:12| 東京 ☀| Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする