2017年12月14日

国家のOS

国家をコンピュータになぞらえてみるならば、司法、立法、行政という三権システムはOSの構成要素と見ることができる。もし国会が立法府として法律というOSコードを作る処とみれば、行政組織はOSの指令通りに動く周辺インタフェースというかんじか。

独裁国家は、このような仕組みはない。独裁国家と、いわゆるデモクラシーの国の違いとは何なのかというと、一つにOSコードを作るところが変更できるかできないかという違いがある。デモクラシーの国では立法府の国会議員は選挙によって交代させられるが、独裁国家では変えられない。もし自力で体制を変えるにはクーデターしかないが、それは強権によって弾圧され一切の抵抗ができない強力な暴力装置が作られている。

いわば、デモクラシーとはオープンなOSであり、独裁国家はクローズドなOSといえるかもしれない。
独裁国家にはOSそのものがないといってもよい。なぜなら法律そのものがなきに等しいからである。w
OSなきコンピューターシステムといえば、ベーシック言語しかなかったパソコン黎明期のPC98シリーズみたいなものがあるが、そういった古い原始的なパソコンシステムに近いのかもしれない。
一方のデモクラシーはオープン性が高いネットワークコンピュータのようなものだ。オープンである分、侵入が容易である。一方の独裁国家は完全にクローズドな時代遅れのぽんこつのパソコンである分、侵入が容易でない。w
しかし、こういったデモクラシー国家と、チャイナや北のような独裁地帯とのセキュリティ上の非対称性というのは意識しておかねばならない。デモクラシー国家の方が高度に進歩はしているが、セキュリティ的な脆弱性がむしろ高い状態にある。

いままでは、国家とはスタンドアローンマシンのOSだったわけだ。そこにテロリストがクラッカーのように侵入してしまえば、なんでも思い通りにできるという極めて脆弱なシステムだった。
パソコンもその初期には、やたらとオープン性が強調され、オープンなことがいいことだとされていたが、そのうちセキュリティ問題が深刻に認識され始め、セキュリティ管理やウイルス防御が必要だということが徐々に認識されだした。

アメリカも第2次世界大戦後に、CIAのような情報セキュリティ部門がようやく作られたわけだが、その前身のOSSがソ連の工作員だらけであったために、戦後のCIAもかなり脆弱な組織となったようだ。
それでも情報セキュリティの重要性が徐々に認識され始め、セキュリティソフトに相当する機能をOSの中に取り組もうとしたわけである。
ソ連の工作員テロリスト=クラッカーの脅威を認識した結果であった。

日本の場合は、セキュリティ機能が0の旧いレガシーOSを全く修正することなく使っているに等しい。結果的に今の日本のセキュリティは軍事セキュリティも、情報セキュリティ的にもゼロなのである。とてつもなく、やばい状態にある。国家の第一の存在目的は国民の集団防衛=セキュリティにあり、いわゆる福祉なんてものは本来の目的の一つですらないのだが、このことが理解されていない。

さらにいえば、セキュリティとは免疫機能にも似ている。それは自他の識別機能が基本となる。
ネットワークでいえば、信頼関係のあるグループだけで構成しなければならない。ネットワークの中に敵の侵入をゆるせば、最新のコンピュータもセキュリティは簡単に崩壊する。
どんなに戸締りを固く防御していても、一旦武装した強盗に家の内部に侵入されてしまうと打つ手がないに等しい。
いわゆるMITM攻撃(=Man In The Middle Attack)には今のコンピューターシステムは打つ手がないのである。ソ連のコミンテルンは、容易に権力中枢のネットワークに侵入することができたが、これをさせない厳格なセキュリティ上の仕組みがOSそのものに必要だ。

アメリカが機密を日本にあまり渡さないというのはあまりにも当然のことであり、それは日本というセキュリティ機能がゼロでウイルスに感染しまくったパソコンをネットワークにつなげることに等しいからである。

今は日本でも、軍事費を増やすべきとか、サイバー部隊が必要だとはしばしば言われるし、当然にそれは必要なことなのだが、もっと法的な部分でセキュリティを担保しないといけない。
法律というOSにセキュリティ機能を加えなければならない。
posted by libertarian at 13:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする