2018年08月09日

超マクロな話

最近は宇宙、天体、地球科学といった超マクロな本ばかり読んでいる。地球科学は宇宙に比べたらミクロな話ではあるが、一般的な感覚からはやはり超マクロな話だ。
ここ10年ー20年で急速にこの分野の知見は深まっているという印象があり30年くらい前とは隔世の感である。
科学の発見は観測装置、測定器具の進歩にドライブされる面が大きく、この20年位の測定機器の進歩に対応しているのだと思う。天文学などは望遠鏡システムに始まり望遠鏡システムに終わるといっても過言ではない。
望遠鏡システムとは鏡筒、三脚、経緯台、赤道儀、カメラ、コンピューター、などの一体となったものである。鏡筒だけ高性能でもそのほかの性能が悪ければそこで律速性能になってしまう。望遠鏡はかなり枯れた技術で光学的に本質的な進歩はほとんどないと思うが、製造技術が進歩すればやはり精度が向上する。

こういったマクロな世界から見れば人間などどう見ても微生物の一種だが、その微生物が宇宙の始まりから終わりまで、また地球の内部構造、地球がどのように出来て将来どうなるかまで理解しつつあるというのが、特異な微生物である所以といえよう。

ところで過去の古代文明ではマヤ文明、メソポタミア文明、エジプト文明でも天体観測を国家レベルで熱心にやっておりそれはヨーロッパ文明にも引き継がれていた。しかし日本ではあまり天体が熱心に取り組まれていたように見えない。江戸時代に暦の改暦などでヨーロッパの知見を取り入れることが行われたが、それも最近の話だ。昔の日本人はなぜあまり天体に関心がなかったのか不思議と言えば不思議だ。

英語では恒星はfixed starsと呼び、惑星planetsと区別する。惑星は非常に明るい星だから識別しやすいが、天球に固定されたように動かない星fixed starsとの違いを認識するのも簡単ではないと思う。そもそも日本では惑星と恒星の区別すらあったのかどうかも疑わしい。惑星、恒星といった言葉は明治以降の言葉だろう。木星、土星といった惑星名も明治以降だろう。
# ググったところ、水星 金星 火星 木星 土星は五行説に基づく中国名を使っていたらしい。

天体の知識は20世紀半ばあたりから急速に増え、系外銀河の存在が認識されたのもハッブル以降の最近の話だ。
さらに系外惑星はようやく1992年に初めて観測された。太陽のような恒星の周りに地球のような惑星があるのは当たり前だろうと思っても、技術上の理由で観測ができないのであるともないともつい最近まで言えなかったわけだ。
これは生命のようなものも同様で、生命など宇宙にあるに違いないと思っても観測ができない以上、あるともないとも言えない。これはいまだにその状況にある。現実的に人類が到達できる星は太陽系の中の星に限定されるから、土星の衛星エンケラドスやタイタンのようなところに生命を見つけることができなければ、観測は不可能で終わりということになりそうだ。しかし、もし微生物の一つでも発見できれば人類史上最大の発見ということになるだろう。生命は地球以外の天体でも発生しうるという情報を得るからだ


posted by libertarian at 12:10| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする