2019年01月25日

ポストヒロイックウォーと超限戦と特攻隊

ルトワックが現代のアメリカの戦闘はポスト ヒロイックウォーになっていると言っている。
従来の戦闘が、兵隊や軍隊が自分の身の安全、命という大きなリスクを背負って行うヒロイックなものだったのが、現代のアメリカはそのようなリスクを最小化するためにコストを最大化することもいとわないということのようだ。

このことは湾岸戦争辺りからなんとなく感じていたことだ。弱小な軍隊を相手に圧倒的な兵力で短時間に叩き潰す戦闘を行ったが、猫を一匹捕まえるのにに軍隊が出動しているような奇妙な感覚を覚えた。w
これはその後の戦闘でもそうらしい。オバマの時代は軍隊を出さずにドローンを使ってテロ的に敵側の要人を暗殺するという方法になっていた。
まさにこれはアメリカによるテロであるが、味方の損害を0にする方法であり、ポストヒロイックウォーの一つなのだろう。

対チャイナでもこのポストヒロイックウォーの構造は変わらない。日本が仮にチャイナに侵略されたとしてもすぐにアメリカ軍が動くかどうかわからないのは、アメリカがポストヒロイックウォーしか戦わないからである。戦闘リスクを最小化し、それでも一定以上にリスクを小さくできなければ無理をしない可能性が高い。

対して日本の自衛隊の意識はそうではないだろう。特攻隊ではないが、両手両足を法律で縛られた状態での戦争しかできないから、どこかで誰か命をかけた自己犠牲をしなければならないと思っていると思う。
そもそも相手にやられてからでないと反撃もできないというのであれば、だれかが最初に無抵抗で死ななければならないわけだ。
当然に自衛権は先制攻撃も含むわけだが、そのような体制には程遠い。

チャイナは超限戦を戦い、アメリカはポストヒロイックウォーを戦い、日本はいまだに特攻隊の精神で戦わなければならないというのはやはりおかしい。


posted by libertarian at 15:05| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする