2007年07月24日

Crime and Compensation

私は刑事法ー刑事訴訟法は全く疎いのであるが、蔵研也さんの力作「無政府資本主義とはどのような社会か」を拝見して、いろいろと思うことがあった。
http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/anarchic%20society.htm

いつものことであるが、現行の著作権制度を恐れず(笑)、このテキストの4章「現代国家と裁判制度」から抜粋したい。

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犯罪とは基本的に「社会秩序」に対する罪であって、個人に対するものという意味は薄れているといえるのである。

被害者の立場は国家によって行われる刑事裁判に対して後回しにされている。そしてこの事実は、多くの被害者のもつ刑事裁判制度への不満を生み出しているのである。

 では次に、やや原理的な問題に立ち返りたい。そもそもなぜ犯罪者を罰する必要があるのだろうか?

 第一の考えは、もっとも古くから存在したもので、「古典的応報刑論」と呼ばれる。それは「倫理的に悪いことをしたのだから、その報いとして苦痛としての罰を受けるべきなのだ」というもものである。西洋ではカントなどが主張したことで有名である。これは道徳的な直感を頼りにした議論だが、現在は野蛮である、原始的、感情的であるなどとして声高に主張されることは少なくなってきている。

さて、第二の考えは、「予防刑論」と呼ぶべきものである。これにはさらに細分化して、二種類の考えがある。

 まず、犯罪を犯した特定の個人が再び犯罪行為を引き起こさないように、社会から隔離する必要があるという、「個別予防論」である。あるいは、再び犯罪を犯さないような人格へと「再教育」を行うために「罰」が与えられるのだと考える要素もある。この場合、罰というよりは教育というべきであろう。このような教育刑論は20世紀に入って高まったものである。その考えによると、犯罪者とは何らかの理由で人格の形成上、適切な社会化がなされなかったために犯罪を起こした人たちであり、矯正教育によって、一般的な生活を送ることが可能になるのだという。

 フリードマンのように一般予防を重視する思考は、刑法の啓蒙思想家であったベッカリーアから始まる。18世紀、ミラノのベッカリーアは『犯罪と刑罰』において当時の恣意的な拷問や死刑の安易な適用に代えて、刑罰はその犯罪に見合った適切な量刑であるべきことを説いた。また教育刑や社会政策においてもベンサムなどに影響を与える主導的な思想家だったのである。

 つまり、応報刑論と予防刑論の二つの理念からみた望ましい量刑は異なってしまうが、それはやむをえないのである。また現代社会では、刑罰の執行主体が被害者ではなく、国家であるため、状況はさらに錯綜したものになっているといえるだろう。では、現在のように国家が刑罰を押し付ける状態が解消した場合には、無政府社会ではどのような刑罰が課されるようになっていくのだろうか。

 日本の刑法典では、まず内乱や外患誘致などの国家に対する罪が規定され、その後、社会不安を生じるような騒乱や放火、電車転覆などが規定されている。最後に、純粋に個人的な法益への犯罪としての、殺人や傷害、強盗やレイプなどが規定されている。いかにも、国家主義的な時代の遺物というべき状況にあるのである。国家への罪などそもそも存在せず、社会への罪は個別的な殺人や傷害の可能性に還元されるべきである。私的な刑事手続においては、社会的な罪はすべて、それに応じて潜在的な被害者が感じる恐怖を積分することによって量刑されることになるだろう。

 われわれの生きる現代社会では、犯罪とされる行為に関しては、国家が第一義的にその懲罰責任を負い、刑事裁判制度が活用される。そして、それ以外の私的な紛争の場合には、民事裁判制度を利用することになっている。あるいは利用することが、法規範上は一応、予定されているのである。
 しかし、このような二分法は、そもそも警察活動がもっぱら国家によってなされることとに起因している。現代人はこのような制度にあまりにも慣れきっていて、それ以外の制度がありえるとはほとんど想像することもできないのだ。しかし、無政府主義者が主張するように、たしかに代替案は存在する。

 それは、刑事法を民事法と一体化する、民刑一体の法制度である。簡単にいえば、刑事制度を民事制度に還元してしまう制度だといっていいだろう。そして、無政府の社会には警察活動を独占する国家は存在しないため、民刑一致の法制度はまた、無政府社会では必然とならざるを得ないのである。

 同じように、ベンソンはその著『法の企て(The Enterprise of Law)』の第2章において、ノルマン人の征服以前のアングロ・サクソンの刑事制度が、賠償を中心とする民事制度であったことを、イギリス法制史研究を引用しつつ報告している。その後、ノルマン王朝は「王の平和king's peace」を乱すという名目の下に、徐々に一般刑事事件にその干渉範囲を広げていった。王の主だった刑事事件への関心は、その資金調達にあったという。このように王権が伸張した結果、犯罪者は財産を没収されるが、その財産は被害者には渡らなくなる。歴史的な時間のなかで、人びとは王が犯罪者の財産の没収と罰金を独占する態度に反発し、刑事裁判にむしろ非協力的な態度へと変化していった。

 考えれば、それは無理もないことだろう。現行の英米法における刑事訴訟制度でも、被害者は単なる証人の地位を得ているに過ぎず、その証言活動の主要なモーティベーションは犯人の処罰であって、賠償を受けることではない。皮肉なことに、犯人が有罪判決を受けて刑務所に収監されると、犯罪被害の賠償はますます困難になるのである。

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以上、長々と引用させてもらったが、蔵氏の博学さと、オツムがよく整理されていることは、毎度感心する。こういう学術的なテイストを前面に打ち出した本を出せば、売れるに違いない。

ところで、事故と犯罪ではその被害=結果が同じようなものでも、受け止め方が全く異なる。
そこにある最大の違いは、やはり相手に対する憎しみという点だろう。
熊や鮫に襲われて重傷を負うのと、異常犯罪者にやられるのとでは意味が違う。

現代国家では、被害者の相手に対する憎しみを補償せず、国家がいわば代理として、その”罪”のみを裁くという構成をとっている。(罪を憎んで人を憎まず。)
つまり、”憎しみの補償”を被害者自身には一切関与させない。言い替えれば被害者は刑事犯罪事件に対する債権者にはなれないわけだ。そこにたしかに違和感がある。
また犯罪といっても、一つ一つが事情の異なるものである。それによって、結果が同じようなものであったとしても、その憎しみの程度は大きく異なる。
通常、こういった議論をすると、マスコミで騒がれる残虐事件をイメージしてしまうが、刑事犯罪の幅は広く、一律には論じることができない。

民事訴訟で行う賠償請求では、凶悪犯罪者に対する被害者の憎しみの補償にはならないのが現実だろう。
犯罪者に対する憎しみと、被害からうける悲しみには相関があるはずだが、人間は通常、憎しみの感情を昂ぶらせることでよって、悲しみを打ち消そうとするのだろう。
しかし国家であれ、第三者であれ、被害者の代理として、被害者の憎しみの補償をある程度させることはできなくはないが、”憎しみの補償”をしても、”悲しみの補償”には完全にはならないという本質的なジレンマがある。

だが、マスコミで騒がれるような異常な犯罪者による自分や身内がうける重大犯罪というのは、いわゆる刑事犯罪のごくごく小さい割合しかないことに注意すべきだと思う。
これは、いつの時代でも、またどの国でもそうだったに違いない。
そういった社会を恐怖に陥れるような凶悪犯罪は、その他圧倒的多数の刑事犯罪と比較すれば、極めて稀なのである。私は、そういった稀なグロテスクな凶悪犯罪に対しては、容赦なく、また成人か否かを問わず、極刑をもって処すのが当然だと思う。
もし、住居を移らなくても、住民が複数の法体系から自分が服する法をあらかじめ選ぶことが可能だとしたら、その人の信条によって死刑制度のある法とない法にばらけるだろうが、私は死刑制度のある法を選ぶだろう。

つまり圧倒的多数の”普通の刑事犯罪”は、損害賠償問題に還元されうるだろうが、一律には扱えない一線がある。
適正な量刑を問題にすることは、職務発明問題の”相当の対価”と同じような、解けそうで解けない問題だと思う。つまり一般解は存在しない。
適正な量刑は、適正な抑止、適正な加害者の人権保証と対応した考えだが、リスクマネジメント的な考えでは、適正な抑止をするには、過大な防御をしなければならない。
適正な加害者の人権保証というのは、幾分誤解を招くミスリーディングな表現かもしれない。
問題は、加害者とされる者が冤罪をうけるリスクである。冤罪によって極刑にならない保護装置を設けることが、社会一般の人間に対する社会的保証として重要なわけだ。

この過大な防御と保護装置というのが、相反する課題となるわけだが、99%の”通常犯罪”であれば、それほど深刻なジレンマにはならないだろう。
そして、問題は通常犯罪の一部である経済犯罪だ。これについては、また今度まとめてみたい。以上考えが全くまとまっていないが、思ったところを書いてみた。




posted by libertarian at 00:28| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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