2007年11月04日

Risk and Uncertainty

「人生と投資のパズル」 角田康夫 文春新書
この本を買ってざっとよんだ。この手の行動経済学に関する新書は最近良く出ているが、その中でも読みやすい本であった。行動経済学というのは、Misesの考え方とも比較的に近いと考えられている。
考えてみればカーネマンらが、簡単な心理テストを行って人々の心理からくる行動バイアスと、経済学的に合理的な行動との大きなずれを実証したのは割と最近のことというのが不思議な位だ。経済学は長らく数学的応用技術におぼれて理論の大前提となる現実の人間の行動を一切実証してこなかったわけだ。ようやく理論と現実の接点がつかめるようになったということだろうか。
そもそも、このように人間行動学として経済現象をとらえようとするのが、MisesのPraxeologyの本質といえるだろう。そういう意味では、カーネマンよりもオーストリアンがこの分野をもっと早くに開拓しているべきだったように思う。

この本でも出てくるが、フランクナイトの言うところのRiskとUncertaintyの違いというのが、オーストリアンにとって極めて重要な概念である。Riskとは通常、calculable riskを意味し、それは正規分布の標準偏差を意味する。それに対し、Uncertaintyとは、計量化できないものである。calculable riskはコントロールできるが、Uncertaintyはできない。(ちなみにこれは、Uncertaintyが非正規分布だとかいう話とも違う。)そして、I.Kirznerのいうアントレプレナーとは、このuncertaintyへ向かう人間のことである。

話をもどすと、結局、未来のことについて確実なことは誰にも分からないのが真実である。
人間行動なくして、株式相場が動くはずがなく、その人間行動とは統計・確率的な意味で合理的ではないから、短期の動きである投機相場そのものは、予測ができない。
(もし、未来がcalculable riskだけなら合理的に行動することもできるだろう。全てを機械取引にすればいいだけだ。)
だが、長期的にはその会社が作り出す価値、ファンダメンタルズに回帰していく。もちろん株価は現在のファンダメンタルズではなく未来のそれに従うわけだ。バフェットは経営者と実際に会ったりしその人間の資質を見定めてから投資するそうだが、これは単純にみえるが難しいだろう。
だから投機(speculation)でなく投資(investment)をすべし。というウォーレン バフェットもしくはその師匠であるベンジャミン グレアムの教える言葉が、単純かつ実は難しい真実だということになる。

そういう意味でやはり日本市場はあまり中長期的にみてうまみのある市場とは思えない。日本のgrowth problemはいまだ解決されていないし、解決の糸口もみえない。既に一人当たりGNPは14位、金融センターランキングでは10位という。特に今後の国際競争の勝負所となる、情報、金融ではダメダメの状態だ。金融庁を筆頭とする官僚機構、司法機構というとてつもないお荷物を抱えている限り、日本のgrowth problemは永遠に解決できないだろう。あるレベル以上に落ち込んだら、挽回はできなくなるし今の世界の変化スピードからすればここ10年が勝負どころだろうが、日本はほとんど鎖国しているような感がある。
ところで私は近く中国にでも写真をとりがてら視察旅行に行ってみようと思っている。

posted by libertarian at 21:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | L.V.MISES | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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