2008年02月11日

Unseen Capitalism


アインランドは、”まだ見ぬ資本主義”(Unseen Capitalism)という言葉を使っている。この”まだ見ぬ資本主義”とは、今の世界には純粋な意味での資本主義国家が存在しないという意味だ。そもそも資本主義とは何かというと、先にポストしたように定義上も曖昧さがあるが、アイン ランドの言っていることは、自由主義圏の国家であっても、混合経済体制(mixed economy)を敷いていて、社会主義、集産主義的なものを多く含んでいるというイメージだろう。アメリカのような、典型的な資本主義国家といわれるものも、社会主義的側面という不純さが相当にある。
だから今の体制から、公共政策の部分を除外して、さらに社会主義、国家主義の根幹である税金制度という収奪制度をなくせば、より純粋な資本主義社会になる。今の体制から引き算をした体制が本当の意味での自由な資本主義になる。
そういう意味で、資本主義社会というのは、自由主義社会と同義である。

ここで、先にポストした資本主義と所有権ルールの問題が出てくる。自由主義社会の原理は、財産権ルールであるが、株式会社制度とは、財産権ルールの基本を逸脱している。この有限責任制度があるから、株式会社という制度が20世紀に飛躍的に拡大したのであろう。ほとんど資本主義社会とは、この会社制度と同義だろう。
ここで資本主義社会というよりも、この有限責任を前提とする株式会社制度こそが考えるに足る点だ。
19世紀のアメリカ社会は、野蛮な西部劇のイメージが強いのかもしれないが、これはミルトン フリードマンの研究によると、素晴らしい自由主義社会だったらしい。このような時代が結構長く続いたことが驚異的だとも言っている。

だが、この時代に株式会社なんていうものは、あまりなかったろう。あったかもしれないが、少なかったはずだ。
私が問題としているのは、この株式会社制度=有限責任制度は、知財などと同様に政府によって与えられる特権制度であり、資本主義社会もしくは自由主義社会を蝕む穴になっている可能性があるのではないか!?という指摘だ。

こういった法的なすきまをついて、現在のCSR論という社会主義ロジックが大手をふるっているような気がするわけだ。
実際に、株式会社=企業が情報公開など様々な法的制約を課せられるのは、この有限責任という特権に対応した義務であると考えられる。
だが、19世紀のアメリカ社会が今よりもはるかに自由主義的であったことから言えるように、自由主義的な社会であることと、資本主義=株式会社制度とは同じではない。このような無限責任を前提とする会社制度は、保険などのメカニズムによっていくらでも可能だろう。
つまり、純粋な財産権ルールに基づいて、法的な特権に依拠することなく、社会がやっていくことは可能であるし、もしかすれば、その方がより効率性もよいかもしれない。直接金融市場への上場ルールもこれにともなってまったく変わるだろう。
posted by libertarian at 21:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Bruce.Benson | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック