リバタリアニズムや、アナルコキャピタリズムの違い、またはminimum state と無政府の違いは、税の問題に帰着するはずだ。
税=0なら、無政府であり、税が非常に少ないが多少はあるのであれば、minimum stateだ。 それ以上の違いはあまりない。
このminimum stateの最小限の税収を、論者がどの程度を想定しているかは定かではないが、論理的には0だろう。それが100円でも100万円でも誤差のようなものだが、minimum stateの税収入⇒0とするのが正解だ。
そういう意味では、両者に違いがあるとは思えない。
しかし、こういった”程度の問題”は、観念的な議論よりも本質的だと私は考える。
例えば、所得課税に対する累進税制(progressive tax)と、定率課税との良し悪しを論じるのは公平性の問題とは関係ないテクニカルな徴税技術の話にすぎない。所得課税の規模だけが問題の本質だ。そもそも税とは合法的略奪(legal plunder)であるから、公平な略奪というのも奇妙なものだ。
前にも書いたが、累進課税が問題なのではなく、課税率が高すぎることだけが問題の本質だ。例えば10,20,30,50%の累進課税が、1、2,3,5%という累進課税であれば、累進に対する矛盾は小さくなるし、さらに0.1〜0.5%の累進なら誰も累進性を気にもしないだろう。
さらに、税=0にすれば固定税と累進税の双方の矛盾を克服できる。
私は、まずは、この所得課税制度を廃絶するのが第1歩だと思う。
もちろん、所得課税以外にも税はあらゆるところにある。規制による機会費用の損失まで含めたらどれほど巨大なものになるか計り知れない。
法律による規制も税の一種であり、これをなくそうとすれば当然に法律も極めて限定されることになる。