Trackbackにあった”哲学はなぜ間違うのか”というBlogを少し読んで思ったことを書いておく。
このBlogの作者は、かなり優秀な科学者の方のようだ。しかしこういった考えは昔からあるもので、一種の人間機械説といえると思う。私は一概にこういった考えは否定しない。
私自身も一応理系出身であるから、高校の頃はこのような考えにかなり近かった。
そして新しい科学技術の知見を加えて、このような人間機械説は繰り返される。しかし重要なのは、新しい科学技術であり、人間機械説の方はどうでもいい。
むしろ”自然科学はなぜ間違うのか”という問いの方が意味がありそうだ。
本来、自然科学は間違えるからスバラシイのであるが、これは科学者に間違える自由があるからに他ならない。では何故科学者は間違える自由があるのかといえば、それが純粋に自然科学的である限り、間違っても人にあまり迷惑をかけないからだ。一方、発明発見の社会的便益は大きい。
科学とは基本がそういった知能ゲームという色彩が強い。
だが社会科学のような似非科学となると、そうはいかない。実験をして間違えれば社会に甚大な被害を及ぼす。似非科学は決して間違ってはならないのである。
だが、社会工学は、絶対的な政治的権力を背景として、悲惨な社会実験なるものを繰り返してきた。似非科学者、社会工学者の自由とは自由ではなく政治的な権力に他ならない。