2016年01月26日

Rome

先日、手術で入院中、塩野七生さんの「ローマ人の物語」などを読んでいた。
塩野さんの本は、小説的脚色は抑えられていて歴史書に近いところがよいと思う。かなりの資料を参照しているらしいことが伺える。
但し、ローマ側、権力側の視点の資料に基づきすぎているのではないかという批判もあり、多分そうなのだろうとも思う。歴史家は古代言語を読めたりといった特殊技能がある場合もあるだろうが、普通、科学や技術、経済、法律といった専門分野はよく知らないので、その歴史解釈も通俗的なものになりがちである。
逆に科学者や技術者や経済学者が歴史を研究することは無理ではないので、そういった著者の本の方が興味深かったりする。たとえば、マットリドレーの「繁栄」などは、科学者の書いた歴史書として優れていると思う。マクニールの世界史よりもむしろ内容はあるかもしれない。
しかし、ジャレドダイヤモンド(地理学者)の本は内容が相当に出鱈目なようなので読まない方がよいかもしれない。

入院中に読んだ本で、「金融の世界史」(板谷著)もなかなか面白かった。
1700年代位からの近代の歴史は、その国の金融技術が戦争資金の調達能力の差となり、戦局にも大きな影響を与えていたことがよくわかる。
この辺りのテーマでは、バーンスタインの本「豊かさの誕生」も良い本だ。
「華麗なる交易」も合わせておすすめである。

ローマ法に関しては、ずいぶん前にこのブログでも書いたが、「ローマ法の原理」 フリッツ シュルツ 著もよい本である。しかし、古代ローマは法律、民法はあったようだが、裁判所はなかったのだろう。警察権力もなかったのかもしれない。
ドラマ「スパルタクス」などを見ると、殺人などは平気で行われているが、裁判になるわけでもなく、泣き寝入りか復讐かになる。
ローマ帝国は未だになかなかに興味深い存在ではある。

posted by libertarian at 14:18| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

人口について:Population

歴史の本を読むと、気候に対する認識がないわけではないが弱すぎると思う。
地政学は地理を普遍の要素として扱うが、10年、100年、1000年という幅で見ると、土地は動いたりしないが、その土地の気候にはかなりの変化率がある。気候が変化すると植生、生態系が大きく変化する。
それに伴って人間の移動なども起きる。
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posted by libertarian at 11:17| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

Learning History

このお正月は歴史の本をひたすら読んでいた。
しかし、歴史の本を読むと、言葉の定義がなっていないといつも思う。
歴史とは科学ではなく、物語にきわめて近いということなのであろう。
もっといえば、歴史は学問ともいえないと思われる。w
歴史とは畢竟、国家の物語、民族の物語なのであろう。

歴史上の言葉の定義ということでいえば、岡田英弘氏は、フューダリズムとかアウグストゥスとかレヴォリューションといった誤訳の問題を指摘している。加えて私が前から思っていたのは、「奴隷」という言葉もいい加減で、違う仕組みのものをいっしょくたに奴隷と呼んでいると思う。例えば、ローマの奴隷、イスラムの奴隷、アメリカの奴隷とかいろいろあるだろうが、一言に奴隷と言っても財産権のありなしとかあり方は大きく違う。イスラムの奴隷は財産権は認められていたようだ。その点、イスラムの奴隷は、現代的にはサラリーマンに近い。w イェニチリとかは超エリートサラリーマンだ。
一方のアメリカ奴隷は財産権も認められていなかったのではないか?アメリカ奴隷は過酷で家畜に近かったと言っても過言ではないのかもしれない。
時代も違えば、仕組みも違うもの、つまりは全く別のものを同じ言葉で呼ぶことは大いに間違いであるし、誤解のもとだ。

ところで、この正月に読んだ本で面白かったのは、茂木誠氏の「世界史で学べ!地政学」だ。
茂木氏は予備校の教師をやっているが、こういう良い先生はまれである。
教師というのは、芸能人とある意味同じで、人気の歌手やアーティストには人が群がるが、そうでない歌手は金を払っても聞いてもらえない。
よい教師が数人いれば、ネットで授業を公開し、それをみんなが見て学べばよい。
もはや学校は必要ない。人気のない教師は失業すればよいのだ。芸能界は本来厳しいのであるw
今の学校は公務員教員の利権のためにだけあるので、社会悪である。

茂木氏は、授業をyoutubeで音声だけだが公開している。
そのテキストもHPに載せている。
このyoutubeを正月ずっと聞いていたが、高校の世界史というのはこんなにも密度の濃い内容だったのかと初めて知った。
下手な歴史本を読むより、この茂木氏の講義を聞く方がはるかにためになるだろう。↓
https://www.youtube.com/channel/UCawFpYvbwCH0_Pznf43KN1Q

これは受験生だけでなく、むしろ一般の大人にもお勧めだ。
しかし、歴史の年号を大量に暗記させるような受験システムというのはやはりおかしいとは思うが、社会人であれば純粋に世界史の流れを知り、理解することだけを目的として講義を聞けば十分だろう。
posted by libertarian at 21:25| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

International law is local rule

ミアシャイマーの理論とは、簡単に言えば、世界がアナーキーであることを大前提として、国家がより安定を求める行動をとるというセオリーだが、これは歴史観とも言える。
ミアシャイマーのシンプルなセオリーは、オッカムの剃刀というか、歴史をみるときパワーバランスの変化だけみるわけだ。ミアシャイマーのセオリーに地政学はほとんど関係ないし、ウェストファリア以前、以降を分けるものでもない。つまり、ウェストファリア条約の前でも後であっても、このセオリーは変わらずに適用できると考えるわけだ。ウェストファリア条約以降の国際慣習法によって、それ以前のアナーキーな状態が変化したとは考えないのだろう。
もともとウェストファリア体制はヨーロッパ内だけで通用するローカルな慣習法にすぎない。ヨーロッパ人はヨーロッパの外ではそれを全く適用せず、大虐殺を植民地で行った。同様にヨーロッパの外部であるアメリカやソ連にとってもウェストファリア条約など関係ないものであった。だからこれらヨーロッパ外の新興勢力が参戦する第1次大戦以降は殲滅戦、総力戦に戻る。
日本は生真面目に国際法を順守していたから日露は最後の決闘戦争になったわけだが、日本が負けていればロシアは国際法など無視したろう。

国家が安定を求め戦争をするという点では、たしかにヨーロッパの歴史をみるとそうみえる。
しかし日本だけをみるとそうは思えない。ミアシャイマーは日本の満州や支那への進出もその傍証としているが、これはミアシャイマーの歴史的な事実認識がややずれているともみえる。
より安定を求めるとは、攻撃は最大の防御なりということだろう。だから戦争が起こるわけだ。攻撃する人間がいなければ、戦争は起こらない。だが、必ずしも攻撃しなければいけないというわけではないので、攻撃を楽しむというインセンティブがなければこれは説明できないと思う。

そう考えると、やはりこれは人類普遍の原理や大国の宿痾といったものではなく、民族性を考慮するべきような気もする。
アーリア人の攻撃性、暴力性というのはここ500年くらい見れば突出している。
アーリア系ヨーロッパ人の暴力性はベースにキリスト教という凶悪なるカルト宗教があり、宗教的に暴力、殺戮が肯定されている。洗脳された人間のとてつもない暴力性を感じる。
また1000年以上戦争をしてきて、その淘汰の過程で攻撃性の高い遺伝子を持つ人間が優勢になったということもあるのかもしれない。犬でも土佐犬のように種による攻撃的な性質の固定というのはある。
日本人から見れば、欧米人、アーリア人は人間ではなく鬼といった方が的確だった。鬼畜米英である。w
安土桃山の頃から南蛮というのは南からきた野蛮人のことだったわけだ。
posted by libertarian at 02:53| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

科学主義と社会主義:Scientific socialism

18世紀、1700年代は世界的にみて平和な時代だったように思う。
歴史年表をみてもあまり大きな戦争は起きていない。
しかし1700年代は産業革命が起こり、様々な画期的な機械が発明され、発明の世紀という印象がある。
1600年代から正確な時計の開発競争があった。これは経度を測定するための懸賞付きの問題だった。
時計の技術開発を通じて、高度な機械技術が発展したようだ。そして1700年代になると時計職人達が様々なマシンを発明する。1800年代になると電気技術が発明されエネルギー革命がおこる。1900年代にはオートメーション、コンピューターが進歩する。ほんの300−400年の間に一気に0からここまで来た感じだ。

もし、ローマ帝国がキリスト教を採用せず、ギリシャの科学を継承していれば、5世紀には今の水準まで来たのであろうか?キリスト教のためにヨーロッパは1000年の停滞をする。
1800年代の科学も数学もすでに相当に高度なレベルにあったし、古典力学は成熟して完成されたものと思われていた。全てはアトムに還元され、アトムは古典力学で決定されるものと思われていた。
ある意味、この時代は現代以上に科学万能と思われていた時代で、その時代背景があって共産主義のようなものが生まれた。マルクス以来、社会も科学の対象とされ社会科学などというものもはやるようになる。
未だに社会科学はあるが、廃止されるべきであろう。w

経済にしても、本質的に単純なものと考えられていたようだし、国家や社会の運営など科学的に計画すれば理想的にコントロールできると思われていたわけだ。それが社会主義国家のイメージであった。
ソ連が健在だった当時はなんでも頭に科学的なんとかとついたものだ。社会主義と科学という言葉は切り離せないものであった。歴史まで科学的歴史主義だなんだと言われていた。
簡単に言えば、科学的=正しいことで良いこと。科学的でないこと=間違っていて悪いことだった。
今もそうなのかもしれない。w

今思うと芸術におけるモダニズムも社会主義と非常に近いところにあった。進歩的芸術家は大体が左翼インテリであった。ソ連、東側でもモダニズム芸術なるものが盛んであった。革新主義というのは基本的に、科学がイメージされている言葉だ。

科学万能主義というのは完全に否定されているわけではないだろうが、社会主義に結びついた科学主義は失敗したわけだ。つまるところ、それはあまり科学的でもなく正しくもなかった。
複雑さというのが認識されるようになったのは割と最近のことだ。それは還元して単純化できそうにないものと認識され始めた。
posted by libertarian at 01:39| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月16日

Truman was KKK

日本に原爆を2つも落としたアメリカ大統領のトルーマンはKKK(クークラックスクラン)の構成員だったことは、公知の事実である。だが、このことはあまり取り上げられないし、知らない人も多いだろう。
私もわりと最近まで知らなかった。

今ではKKKの人間が大統領になるなんてことは、さすがにないであろうが、当時はありだったわけだ。
当時、欧米社会においてracismというのは空気のように当たり前のものだった。
このことは、トルーマンがKKKのメンバーでありながら、大統領になったということからもわかる。
今は人種差別は世界的にタブーとされてはいるが、これはあくまで建前である。
つまり国家の内側では表面上は抑制されているが、外側ではないわけではない。宗教差別も同じだ。
つまり、一度戦争になると、人種差別も宗教差別もなんでもありなのである。
posted by libertarian at 00:03| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

第一次世界大戦から100年が経った:100 years from 1914

終戦から70年ということで、最近は結構歴史がブームのようである。
私も50年以上無駄に生きてきて、100年という時間間隔の短さは感じるようになった。
少なくとも10年という時間はあっという間だ。
1904年に日露戦争があり、その10年前に日清戦争があった。そして、日露戦争の10年後に第一次世界大戦がおこる。
1941年に大東亜戦争が始まり、10年後の1951年にサンフランシスコ講和条約があった。
1941年の10年前に満州事件がある。
こうしてみれば、日本は1931年の満州事変から20年間も戦争状態であった。大東亜戦争も講和条約までの10年間続いたとみるべきである。
大体、戦争というのは10年区切りのようだ。

今からすれば自分が生まれたのも、終戦からそんなに経ってはいなかったのだなと思うが、子供の頃は戦争など遥か昔の出来事と思っていたものだ。w

日本は戦後と戦前で革命的なほどに世の中は変化したことは間違いない。
戦後日本はWGIPにより、ずっと敗者であることをひきづってきていた。
一方のアメリカといえば、1945年というのは別になんの区切りでもなく、映画をみてもわかるが当時と今では連続した時間の流れしかなかった。
そうやってアメリカは戦争をその後もずっとやってきたわけである。

大東亜戦争における敗北が日本人における大きな時代区分となっているが、むしろ1904の日露戦争、もしくは1914年の第一次大戦からみた方が今に至る連続した流れとして認識できる。特に第一次大戦でオスマントルコが崩壊し、アメリカが覇権を握るとともに、ウェストファリア体制のような国際秩序が崩壊したという点で、現代は第一次大戦からの流れとしてみた方がよいと思われる。そして今はそれから丁度100年だ。

日露戦争は日本の近現代史における頂点であったことは間違いない。第0次大戦といわれる日露戦争で日本は史上空前の大勝利を収める。これは欧米を驚愕させ、植民地となっていた地域を奮起させた。日露、大東亜戦争というのが欧米の植民地支配を打ち破る原動力となったことは間違いがないことである。

だが、日露戦争も別の見方をすれば、当時のイギリスとロシアのグレートゲームの中で、日本がバックパッシングされた戦争であった。
日露戦争では高橋是清がユダヤ財閥から莫大な資金援助をタナボタにうけ、日本海決戦での大勝利で幕を閉じるわけだが、これは、イギリスがロシアの兵力を極東に振り向けるための戦略の一環であった。
しかし、当のイギリスも日本がこれほどの完勝をするとは全く思っていなかったろう。イギリスとしてはロシアの軍事力を当面の間、極東に向けさせれば十分にペイするものだったのだろう。だが日本の信じがたい大勝利によってイギリスを含む欧米に激震が走ったわけだ。

日本は国際連盟に入るも、当時の欧米のレイシズムは徹底したものであったから、日本のエリート達が欧米に行ってもほとんどの場合、そのレイシズムに心底、屈辱を感じて帰ってきた。夏目漱石然りだ。
日本にとって欧米のレイシズムは江戸の頃からの許しがたい悪であったのである。大東亜戦争の戦争目的が東亜の解放を謳っていたのは決して綺麗事ではなく本心からであったことは疑いがない。
そして、大東亜戦争でその戦争目的は実際に果たされたといって良い。

しかし、中東をみると、第2次大戦後においても、その植民地的支配構造は手つかずのままであった。
アメリカとサウジアラビアのズブズブの関係とそのダブルスタンダードを知れば、欧米が中東に対して正義を言う資格などこれっぽっちもないということがよくわかるはずだ。
どうこういってこのような不正な支配が永続するはずもない。

戦後、中東はソ連をバックにすることで欧米に対抗しようとしてきたが。冷戦が終わってソ連が崩壊したことで、中東諸国は欧米に対抗するバックを失った。ほとんどの中東諸国は社会主義体制をとってきた。彼らにとっては、欧米に完全支配されるよりはその方がバランスを保てたわけだ。
だが、ソ連は崩壊し後ろ盾もなくなり、欧米はますます中東で増長し、結果的にイスラムに残された道はワッハーブ的なイスラム回帰だった。ISはイスラムにおける最後の可能性ともいえるわけだ。
報道とは違ってISへの支持はイスラム圏においても大きいとみないといけない。

現在、アメリカはイスラエルからもサウジアラビアからも急速に距離をおいている。イランと和解の方向にシフトしてきた。シェール革命もあり、支那の台頭もありで、アメリカは中東の戦略的な優先順位を下げてきている。
そうなってくると中東はISのような勢力、つまりイスラーム回帰勢力が勝利する可能性が高い。サイクスピコという植民地支配秩序は第一次大戦後100年にしてようやく崩れるのかもしれない。
posted by libertarian at 02:11| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

JIN

amazon prime ビデオが登場したが、これはかなりよい。
prime musicなどもできたので、前々からamazon primeに加入している身としては、アップルやグーグル,HULU,Netflixなどのサービスは余計な出費でしかない。

アマゾンprimeで、JINという日本のドラマを見たがなかなか面白かった。
時代劇は、セリフが綺麗な日本語なのが心地よい。今の日本人でも違和感なくそういった綺麗な日本語を話せるのは面白い。時代劇とはいえ、タイムスリップもののSF時代劇だが、今は多世界宇宙論などというものもあるので、タイムスリップものもそれなりに論理破綻せずにストーリー構成できるのだ。w

JINは村上もとか氏の漫画が原作だが、これはさらに石川英輔氏の小説がベースにあるのであろう。
昔、石川氏の大江戸事情シリーズをまとめて読んだことがあるが、日本人にとって江戸の本当の姿を知ることは大事なことかもしれない。
JINは幕末の江戸に現代の脳外科医がタイムスリップするわけだが、当時の江戸は蘭学はあったが、外科がほとんどなかった。

しかし、日本の医学もなかなかに面白く、最初は奈良頃に中国の医学が入る。漢方は支那の南部の越の辺りの医学で、南方は植物が多種多用だったので、薬草学が発達していたのだ。これが日本に入ると本草学となる。しかし、本草学は日本らしいというかガラパゴス的な発展を遂げ博物学と化していく。
結果、日本では博物学とともに園芸が発達し、現代のプラントハンターのような人々も出現する。
この立役者はご隠居さんといわれる50歳過ぎの元気な有閑隠居たちであった。
ユリや椿など、様々な植物が日本から欧州に輸出もされた。
この庭園文化が欧米に伝わり憧れとともに真似をされ、イギリスのイングリッシュガーデンのようなものが生まれたのである。

例のごとく、支那の諸国ではいろんな学問が生まれても継続性がなく、その知見は失われる運命にあるが、それら医学的文献は日本に渡り日本で保存されたのである。支那には何も残っていない。
また針灸のような医学は、支那の北方の医学で、北のほうは寒くても薬草もほとんどないから、こういった医学が発達した。
これらの支那の諸国の医学は、奈良時代から日本に伝わり、日本で保存された。
だから今でも針灸も漢方も支那よりも日本の方が本場なのである。w
日本では今は西洋医療も漢方も平和に共存している。

そもそも麻酔技術も華岡青洲が世界で最初である。「華岡青洲の妻」という小説もあったが、華岡青洲は古方派の医者で、麻酔にマンダラゲという植物を使った漢方を開発した。
しかし、これは秘伝とされたため、今ではこの麻酔薬を再現することはできない。何を使ったかは伝わっているが、どの部位をどのように使ったのかが書いていないので再現できないらしい。

江戸時代には蘭学もあり、支那伝来の医学で日本でガラパゴス的に発達した医術もありで、日本は医学においてもかなりの水準にあったのである。

posted by libertarian at 13:08| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Premodern vs Premodern

中東問題、イラクやシリアの問題にしても、日本から見れば、欧米もイスラームもどっちにも加担はできないと考えるのが普通であり正しい。
しかし、公平に考えれば、欧米の方が悪いと考えざるを得ない。欧米には現代に連続する過去の植民地支配の罪の重さがあるわけだ。だが一方のイスラームも全く知らないし理解もできないから、イスラームが正しいとも支持はできないというのが実態だろう。

しかし、アメリカのブッシュによるイラク侵略を見て、これが太平洋戦争、大東亜戦争の時のアメリカと日本の構図とほとんど同じだと気付かない人間は相当におつむが鈍い。
サダムに対するデモナイゼーションは日本が昔やられていたことだし、サダムに対する裁判もどきは東京裁判の再現であった。イラクという狂信的な侵略主義的な後進国はかつてのアメリカがみた日本である。

ほとんど報道されないがイラク侵略においても100万人単位の人間が無差別に欧米に殺された。大東亜戦争当時、アメリカが日本に行った東京大空襲などの虐殺も原爆以外はアメリカ人はほとんど知らない。
その後、イラクがめちゃくちゃになりISが台頭してきた経緯なども、アメリカの日本征服後に共産主義ソ連やシナが台頭してきたのと似ている。

日本はもともとずっと世俗的な国家であったから、近代化に際しての宗教的な制約は全くなかった。
日本人は大東亜戦争とは近代国家同士の戦争だと当時考えていた。
しかしアメリカは日本人がイメージしているほど世俗主義的な国家ではない。
つまり欧米は日本ほどには成熟した世俗主義的な国家ではないわけだ。アメリカも日本を世俗的な国家とはみていなかった。
結果、大東亜戦争は日本人の戦争イメージ、つまり日露戦争の頃のウェストファリア秩序、国際法を遵守した上での紛争解決手段とは全く異なるものとなった。日本は日支事変の当初からウェストファリア秩序に則った近代国家として行動をしようと努めていたが、第一次大戦でそれは終わっていたということに気づいていなかった。
その後の世界はその延長にある。

共産主義とはもともと欧米の近代主義、科学主義を極端に突き詰めたものである。宗教の否定もその結果で、いわゆる共産主義の無神論なるものは科学合理主義の帰結であった。
アメリカはその点、科学合理主義の国でもあり同時に宗教国家でもあった。当時のソ連から見ればアメリカは劣った科学合理主義の国で、ソ連の方が優れた近代国家だった。そして、そう思う人間はアメリカにもたくさんいた。

ハイエクなどは最初、そういった科学主義を批判した設計主義批判の論を展開した。
米ソの対立にはイデオロギー論争があったが、似た者同士の間の対立という面はあった。科学合理主義が普遍的だと考えるアメリカ人や日本人は非常に多かったし影響力があった。そして科学合理主義を否定することは極めて困難でもあった。設計主義、自制的秩序という新たな言葉を使っていわゆる科学合理主義に対抗しようとしたハイエクのような言論は当時はほとんど影響力もなかったのである。

ソ連という極端な科学合理主義を唱える、建前としては完全なる無神論で政教分離どころか宗教を廃止した国と、ゆるいけども政教分離をしたアメリカというキリスト教大国との関係はソ連の方が進んだものと見えたわけだ。どちらも宗教は政治に無関係という建前上、イデオロギー対立にスポットが当てられた。
結果的に進んでるはずの科学主義国家である共産主義ソ連は、アメリカという劣った新たなローマ帝国の経済力の前に敗れた。これは”経済的な自由主義”の勝利として捉えられたが、必ずしも科学的合理主義の敗北とイコールではなかった。

中東の紛争、戦争をみると、通常これは従来の近代国家の間の紛争とは捉えられていない。近代国家の前提は世俗主義であり領域国民国家だが、イスラームは宗教主義であり、宗教法が国家法に優越する領域なき世界である。
そして対するアメリカは、領域国民国家だが完全なる世俗主義でもないいわば現代のローマ帝国というべきウェストファリア秩序以前の存在で前近代的なものが混じる国だ。
この対立は、欧米から見れば近代と前近代の関係であり、宗主国と劣等な未開植民地の関係の延長にある。
だが、日本のようななんの関係もない端から見ると、これはまさしく前近代国家同士の宗教戦争にも見えるわけだ。
もしくは、進んだ近代国家による劣った植民地に対する粛清といった大東亜戦争開戦当時の世界の構図のようにも見える。
posted by libertarian at 12:19| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

イスラム国とサウジアラビア:Islamic state and SaudiArabia

アブドルバーリ アトワーンの「イスラム国」を読んだ。
この本は、ロレッタナポリアー二の「イスラム国」よりも内容はずっと正確で深い。
監訳者が中田氏だが、中田氏が言う通り、現在はこの本がイスラム国関係の解説本では決定版だろう。
日本人の書いた本は何冊か読んだがろくなものがない。

中東問題が語られるとき、意外と論じられないのがサウジアラビアの存在だが、この本ではサウジの存在の意味についてかなり詳しく論じられている。サウジはワッハーブの国だが、ワッハーブ派はISと同じスンニ派の厳格主義で、サウジ出身の兵士はISに多く、アフガン紛争でも一番多かったようだ。
サウジはワッハーブ派の原理主義の輸出国でもある。アンケートをしてもサウジではISを支持する人が90%以上いるようだ。
しかし、ワッハーブ派を唱導しているくせに、当のサウジ王国そのものは、腐りきったもので、ISはサウジの支配層をタクフィールの背教者として認定している。将来的にはサウジ王家はISにより抹殺され、メッカ、マディーナがISの手中に落ちる可能性は結構あると思う。ISの最終目標はこのメッカ、マディーナの奪取である。
しかし、そうなったときはイスラエルも終わるだろうから、そう一筋縄では進まないのだろうが。

この本には厳格主義という言葉が使われているが、イスラームの武闘派には原理主義という言葉よりも厳格主義という言葉を使ったほうがよいのかもしれない。
あと、イスラームにおいて復古主義とはイスラム暦1−3世紀の頃に戻れというもので、これが厳格なイスラーム。伝統主義とは中世に戻れというもので、これはやや中庸なイスラームだ。
ムスリム同胞団などは、テロリスト呼ばわりされていたが、イスラームの中ではかなり穏健なグループである。

もともとサウジは広大な砂漠地帯で人の住むようなところではなかった。それでも内陸に隔絶した集落があり、そういうところで原始のイスラームが温存されたという経緯があるようだ。*そのワッハーブとサウド家が聖教盟約によってできたのがサウジアラビア王国。
*これは山本七平氏の話だが、加瀬英明氏との対談「イスラムの読み方」は日本人の本にしてはいい本だ。

ISのシリアーイラクの支配領域は広大で、そこには600万人くらいの人が住んでいるらしい。そこを無差別爆撃などしたら、東京大空襲と変わらない。また地上軍を投入するのも人的被害が大きすぎてアメリカはやらないだろう。
実際のところ欧米には大義もはっきりとした戦争目的はないのであるから、どこかで手を引くしかない。
動機があるとしたらイスラエルロビーの存在くらいか。だが、イスラエルも長期的には存続できないような気もする。
posted by libertarian at 00:12| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

Wasan ;Mathematics of Japan

江戸時代というと、時代劇のイメージ程度しかなかったが実に興味深い時代である。
江戸を理解する上では、その科学技術を知ることは極めて重要なことだ。
特に和算がいかに深く広く日本で発展していたかを知ることが肝心だ。

天地明察という小説で、江戸の和算の文化が描かれているが、関孝和のような大天才もおり、かなり高度な和算が一般に浸透していた。当時の人にとって和算は実用的なものであり、かつパズル的な娯楽だった。
だが日本中の藩に和算家がたくさんいて、そのおかげで各地で極めて高度な土木計算もできた。
当時日本の数学者の数は世界一だったろう。
もちろん、誰でも読み書きそろばんができ、識字率はほぼ100%近かったようだ。
士農工商は身分制度だと今まで学校では教えてきたが、これは身分制度ではなく単なる職業区分であった。
だから寺子屋では士農工商の子供が一緒に勉強していたらしい。

関孝和は17世紀前半ですでに行列式を発明し、ベルヌーイ数を発見し、微分積分をも発明していたというのは知っていたが、渋川春海の改暦に噛んでいたことは天地明察を読んで初めて知った。
日本は鎖国をしていたからある意味、学問や和算もガラパゴス的な進化を遂げたようにみえるわけだが、江戸時代は当時でも世界一の鉱業国であり、その文化レベルも世界一だった。

こういう現実を知れば、黒船が来て、すぐに同じものを作ってしまったというのは不思議でもなんでもない。
江戸では技術開発はなんでも許されていたわけではなかったが、高度な和算と工学技術があった。
ニュートン力学も蘭学として17世紀には伝わっている。
日本人は手先が器用で好奇心が旺盛だから汽車も黒船も作ったというのは表層的な間違った理解であり、高度な和算の技術が広く普及しており、高度な工業技術力があったから、一旦作ろうと思えば、やすやすと可能だったわけだ。それまでは車のような技術開発は禁じられていたから作られなかっただけだ。

悪しき日本の戦後教育のせいで、日本という深い歴史と文化をもつ世界最古の文明国にいながら、その価値に多くの人は気づいてない。そろそろ日本人は日本の歴史と文化に対する敬意を持たないといけない。
posted by libertarian at 01:44| 東京 🌁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

President and Emperor

China2049を読むと、アメリカの支那に対するシンパシーというのは似た者同士だからということがわかる。
というか、お互いに似た者同士であることは自認している。

アメリカは、ヨーロッパから遅れてきた植民地帝国主義国家であるが、第1次大戦前までは、ただの冴えない新興国であった。植民地はヨーロッパにほとんど取られていたから介入することもできず、奴隷を自国内にさらってきて、自国内で植民地と同じような収奪経済を作っていた。しかし常に侵略と植民地を奪う機会は伺っていた。

アメリカの特異性は良くも悪くもその連邦憲法にあり、特に大統領の権限がヨーロッパに比べて特異だ。
アメリカ大統領はローマ皇帝に近い存在で、元首であり軍の最高司令官であり、内政に関してはそうでもないが、外政、戦争に関しては圧倒的な権力を持っている。
アメリカは建国当初からローマ帝国をイメージして作られていた。議事堂などもローマ建築風に作られた。
イギリスはパワーバランス外交をずっとやってきたが、アメリカ大統領はイギリス首相とは違ってローマ皇帝だから、パワーバランスなど鼻から無視するわけだ。ヨーロッパではローマからイギリス型の帝国まで1000年くらいかけたわけだが、アメリカは一挙にローマにまでロールバックしてしまう存在であった。当然にウェストファリア秩序なんか最初からくそくらえと思っていた。

そもそも国とは集団的安全保障のための体制であるから、日本以外の普通の国では軍事セキュリティに関する権力の制限はないのである。そしてアメリカの場合は、大統領に対し特に戦争権限が強く与えられおり、戦争行為に相当することを議会の承認を全く得ずに勝手に行うことができるようになっている。

この最悪の例がFDルーズベルトであった。
当時、ルーズベルトが議会の承認を得ずに、秘密工作なりに使えれる資金は今の金額では100億ドルレベルあったらしい。それを使ってルーズベルトはやりたい放題、秘密工作ができたし、密約外交もやりたい放題であった。密約外交の内容も議会には知らせる義務がなかった。
あのハルノートの存在すらもFDRは議会に対しずっと隠し通したのである。議会がハルノートの存在と内容を知ったのは2−3年経ってからだという。その時、議会もFDRに騙されていたことがようやくわかったのだが、時すでに遅しであった。
そして戦争に勝てば大統領の支持と権力を大きく高めるからアメリカの大統領にとって戦争に対するインセンティブは非常に大きい。こういう理由による戦争へのインセンティブは歴史上、大国には常にあるだろう。

未だにアメリカ大統領の戦争権限を制限する仕組みはない。開戦にかんして議会の事後承認を得なければいけないという決議はFDR以後にできたが、これはその後の大統領に無視され続けている。というのも、これは議会決議であって法律ではない。そもそもアメリカの連邦議会にはそのような法律の立法権限が憲法上ないからである。このことは憲法を大きく変えない限り、今後もアメリカ大統領の戦争権限を制限することはできないということだ。

大国は大国であるから弱小国と戦争をすれば容易に勝てる。そして勝つと大統領の支持は圧倒的に高まる。だが、ただの暴力だと体面がつかないのでいろいろと工作をして因縁をつけるわけだ。米西戦争もハワイ侵略もフィリピン侵略も太平洋戦争もそうやって行われた。こういった工作を大統領が合法的に秘密裏に行えるのである。議会承認義務もなく自由に使える資金もふんだんにあり、それを制限する仕組みはどこにもない。

アメリカ大統領が現代のローマ皇帝だとすると、支那中共はやはり古き中華の皇帝といったところか。
元や明、清と今の支那中共は同じだろう。基本が何も変わらない。
皇帝の君臨する国というのが両者のよく似ているところで、この2つはどちらもヨーロッパ近代以前の存在といえるわけだ。
posted by libertarian at 02:17| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

Military gains of suicide attacks

ゼロ戦の特攻に関しては、「永遠のゼロ」以来、一般の関心を呼んでいるようだが、未だに特攻についてちゃんとした理解はないと思われる。具体的なことを知らないで観念的に特攻を論じても無意味だ。例えば、特攻の戦果、つまりアメリカにどれだけの被害を与えたのかとか、何機の特攻を行ったのかとか、誰が特攻を行ったのかそのパイロットの名前といった具体的なことをしらないといけない。

前者については、日本側にあまり正確な記録がなかったが、アメリカ側の資料が近年公開されたことで、特攻の成果は今まで言われていたのとは大きく異なり、極めて大きな戦果をあげていたことがわかってきた。
また、誰が特攻を行ったのか、一人でもそのパイロットの名前をあげられる人はほとんどいないだろう。これも大きな問題だ。日本人の誰もその英雄達の名前を全く一人として知らないということは、WGIPの成果としかいいようがない。

また、特攻が単なるやけくその攻撃ではなく、そこには緻密な計画があったこともわかってきている。
例えば、最初にレーダー艦を特攻で叩いた後に、空母や駆逐艦への攻撃が行われていたそうだ。手段は特攻であったが、最大の戦果を上げるべく合理的に行動していたようだ。
結果、特攻の戦果は恐ろしく高く、アメリカは特攻によって甚大な被害を受け、沖縄からの撤退をニミッツは要請したが却下され、結果的にその数日後、日本の特攻機がなくなってしまったために、アメリカ側は皮一枚で勝利出来たらしい。

ゼロ戦特攻に関しては「永遠のゼロ」がベストセラーになったが、回天による人間魚雷特攻を描いた佐藤秀峰の「特攻の島」も秀作である。回天は遊就館にもその実物が展示されている。
靖国の遊就館には膨大な記録があり、ゼロ戦などの大東亜戦争の兵器の展示も大量に行っている。ここは一度は足を運ぶといいと思う。

我々日本人は誰ひとりとして、WGIPの閉ざされた言論空間から自由ではない。自分はWGIPに洗脳なんかされていないと思ったら大間違いなのだ。なぜなら日本の言語空間ごとWGIPに汚染されているからである。

特攻隊員は多くが戦場に持っていく一冊として万葉集を持参したらしい。戦闘機パイロットは今も昔も超エリート集団だ。今の我々は万葉集の意味も全く理解できないし、今ある本の和歌の解説も全くトンデモの解説だらけのようで、でたらめな私小説的な解釈しかできていない。
だが、当時の特攻隊員の若者はその意味を正しく理解していたからこそ、万葉集を選んだ。
戦後は日本の言語空間が何から何まで捻じ曲げられているために、今の我々には当時の言語空間が異文化のように全く理解できず、そのために大東亜戦争をも全く理解できないでいる。
posted by libertarian at 23:54| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

Japan as Rimland

アメリカの国家戦略とは、マハンやスパイクマンの理論に基づいており、ユーラシアの周辺国を支配すれば世界を支配することができるということにある。この周辺のリムランドがヨーロッパ半島と中東と日本に相当する。
マハンの戦略をセオドアルーズベルトが採用したのが日露戦争の頃だから、これはアメリカの100年以上続く国家戦略、国家100年の計で、今も変わっていない。

戦後、リムランドの日本は、ソ連を抑え込む前線基地として利用されてきたが、同時に日本そのものがそれによって、ダブルコンテインメントされる。つまりソ連を封じ込めるための同盟ではなく、日本を封じ込めるためのものでもあった。そして冷戦終了後も、日本を独立させないでおくことがアメリカの一貫した方針となっている。

しかし、アメリカのUnipolar構造はもはや崩れつつある。支那の台頭により、世界はMultiPolar構造に移行しつつある。そして多極化した世界では、日本もアメリカのスーパーパワーの傘下で安泰とはいかず、自主防衛が必須となる。しかし、アメリカが日本を独立させない限り、日本が核防衛システムを持つことはできない。
以上がいわゆるリアリズム的な今の世界構造の見方である。

逆にいえば日本が核防衛システムを独自に持つことで初めて、日本は真に独立することになる。
問題は日本が独立するか否かという精神的なことよりも、支那が軍事的なスーパーパワーとして台頭し世界が多極化すると日本は独立し核保有をしないかぎりハンチントンの予言する通り、日本は支那の属国として蹂躙されることになるということだ。ハンチントンの予言は遠い将来のことではない。

アメリカは、日本の防衛に別に義務も責任もないから、基本、リスクリワードが合わなくなれば日本を見捨てるのは間違いない。アメリカは1回目は日本を攻めて破滅させ、2度目は日本を火中に置き去りにして破滅させる可能性が大いにあると予想されるわけだ。
日本は、独立もできず、核保有もできず、半独立国としてアメリカにナショナルセキュリティを全面的に依存し、南沙諸島、台湾が支那に支配され、軍事的に詰んだ、どうにもならなくなった状態で、アメリカが撤退するというリスクの可能性を考えておかないといけない。

今の日本のリベラルは支那に支配されてもよいと考えているバカどもだから、それを危機とは認識しないのであろう。アメリカの属国だったのが、支那の属国になるくらいで、むしろその方がよいと考えているバカどもである。大東亜戦争時のアメリカの日本人殺戮も苛烈であったが、奇跡的に国体は完全には失われなかった。だが、もし、支那に支配されれば、日本はチベットやウイグルと同様に苛烈な殺戮と蹂躙をうけ、国体を完全に喪失するだろう。

南朝鮮は、早くも支那の属国となることを決めたようだ。
しかし、日本の場合、その選択肢は最悪のものとなる。韓国が支那の属国に戻ってももともと何も失うものがないが、日本はそうではない。日本の場合は失うものがあまりにも大きすぎる。
posted by libertarian at 01:03| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

Triangulating Peace?

高橋洋一氏の平和の5要件に関する解説によると、

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44269
「ラセットとオニールによる"Triangulating Peace" は、国際政治・関係論の中になって、すべての考え方を統一的にとらえた最終理論のようにも思える。

@同盟関係については、対外的には抑止力をもつので侵略される可能性が低くなるとともに、対内的にはそもそも同盟関係になれば同盟国同士では戦争しなくなるから、戦争のリスクを減らす。

A相対的な軍事力については、差がありすぎると属国化して戦争になりにくい。

B民主主義については、両方ともに民主主義国だと滅多に戦争しないという意味で、古典的な民主的平和論になる。一方の国が非民主主義だと、戦争のリスクは高まり、双方ともに非民主主義国なら、戦争のリスクはさらに高まるので。アジアにおいて、中国とベトナムで何度も戦争しているが、まさにこの例だろう。

C経済的依存関係、D国際的組織加入については、従来のリアリズムから重要視されていなかったが、実証分析では十分に意味がある。」


ということだ。
ミアシャイマーのリアリズムのように、覇権大国の宿痾として戦争を捉えるのでなく、複数の要因で考えるということだろう。
しかし、このデータ1886年から1992年までの戦争データを使っているわけだが、イラク戦争のようにアメリカ側が侵略したものは入ってない。統計的に判断するにはデータが少なすぎるという気もする。

また戦争の規模も考慮されていない。地域紛争的なものから100万人以上の死傷者を出す戦争も1回にカウントされている。
また代理戦争といわれるものを、どうカウントしているかも疑問だ。
さらに支那のチベットやウイグルへの侵略と虐殺といった国家間紛争とはみなされない国内での侵略粛清もあるが、これは紛争にカウントされていないようだ。

また、複数の要因があるとき、その寄与度の大小が問題になるが、それに対する定量的な把握はされていない。
「軍事力は、@同盟関係をもつこと、A相対的な軍事力、カントの三角形は、B民主主義の程度、C経済的依存関係、D国際的組織加入という具体的なもので置き換えられると、それぞれ、戦争を起こすリスクに関係があるとされたのだ。」とまとめられるように、軍事力2要件、カントの3角形の3要件が両方寄与しているというわけだが、このうち、アメリカや支那の覇権的侵略行動を見ると、民主主義の程度が戦争の抑止になるというのは疑わしくなる。w

経済的依存関係については、わりと不安定で景気要因で経済依存関係は大きく変動すると思われる。
例えば大東亜戦争の前には、スムートホーリー法の保護主義から世界経済のブロック化が起こり、資源を持たざる国と資源を持てる国との対立が生まれた。
国際的組織加入といえば、国連や国際連盟が第1次大戦後に生まれたが、国連加盟国の多くが戦争を起こしている事実をどう説明するのだろうか?

統計的な処理の詳細以前に、いろいろ疑問があるが、結果的に、侵略戦争は、なんといっても相対的な軍事力の格差が最大の原因になっていると思われる。こう見れば、ミアシャイマーのリアリズム説になるだろう。

そして同盟関係は、相対的な軍事力の違いを小さくするためのもの、もしくは、同盟の総合的軍事力>どこかの一国の軍事力という圧倒的な軍事バランスを維持するためのものだ。

アメリカの場合は、冷戦後はあまりに突出した軍事力を持っていたため、現実的に軍事的同盟関係はあまり必要としていない。むしろ同盟は国際世論を敵に回さないための方便として用いられている。
ミアシャイマー的には、アメリカのような突出した軍事力をもつスーパーパワーが覇権国であり、覇権国になると覇権国の宿痾として拡大と侵略をするみたいな感じだろう。

支那とロシアと北は今の所、軍事同盟ではないが、歴史的にはお互いの利益になれば相互に一時的な同盟を組む可能性もある。
この点、日本は今後いかに防衛費を上げようとも、アメリカとの軍事同盟を組まない限り、これらの地域との軍事バランスをとることは不可能だ。

問題はアメリカは支那がアメリカに拮抗できるほどの軍事パワーになりつつある状況で、アジアの軍事小国との同盟関係で支那に対抗するメリットが少なくなるという点だ。
アメリカから見れば、支那と台湾や日本、フィリピンなどとの間の戦争リスクは高まっているが、そこに参戦するメリットがなんなのかという話だろう。つまり、当面はアメリカはスーパーパワーであるから、他国から侵略される脅威はほとんどない。
支那に対抗して軍事的覇権を維持することに伴うメリットはなんなのかがよくわからない。
かつてのソ連に対しては反共主義のイデオロギー的対決をしたが、今の支那に対する強いイデオロギー対立はない。

中東の石油にしても、アメリカの場合、マラッカ海峡をタンカーが通らないでも、湾岸ーパイプラインートルコー地中海ー大西洋経由でも送れるようにそのうちなるだろう。とすると、タンカーの通り道としての南支那海はアメリカにはどうでもよくなるかもしれない。
そもそも、今のアメリカの原油輸入ルートがどうなっているのかよく知らないが。。

5要素の寄与率を推定するに、やはり相対的な軍事力の違いが主要な侵略戦争の要因であると思われる。
特に支那のチベットやウイグルへの侵略とジェノサイドなど、これ以外では説明できないだろう.
現実問題、スーパーパワーを持った覇権国を裁くことのできる国や機関がない以上、世界は依然としてアナーキーである。
posted by libertarian at 20:39| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

Logistics and War

日本が大東亜戦争でアメリカに敗北した理由はいろいろあるが、特にロジスティクス=兵站を軽視しすぎていたことがあるようだ。
逆にアメリカには、そのロジスティックスを徹底的に叩かれた。
日本は開戦してすぐに、蘭印作戦(オランダ領インド=インドネシア)でオランダをあっという間に駆逐し、石油施設を手に入れた。開戦当初1年も持たないと言われていた日本の石油はどうなっていたのかと疑問であったが、開戦当初にこのインドネシアの製油所を手に入れたことで、余裕ができたようだ。しかし、この石油を運ぶロジスティクスをアメリカに叩かれ、あまり日本に輸送することができなかったようだ。
日本のロジスティックスの軽視は、輸送船にほとんど護衛艦をつけず、バシー海峡での人員輸送船でも碌な警護をつけず、アメリカにやられるままであった。バシー海峡では、無為に5万人もの兵士が輸送船とともに海の藻屑となった。

そしてアメリカのロジスティックスを積極的に叩くこともしなかったようだ。戦艦以外の船を沈めても評価が低かったということも原因としてあるらしい。兵站の重要性を実際あまり理解していなかったのかもしれない。
一方のアメリカは、輸送船だけでなく、病院船だろうと赤十字船だろうと無差別に沈めた。
これは当時、かなり国際的にもアメリカは非難されていた。アメリカの手段を択ばない非道さは際立っている。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓があったから、日本兵はあまり捕虜にならなかったのではなく、アメリカ側が投降した日本兵はほとんど全て虐殺したらしい。アメリカの戦いは国際法もルールも無視しためちゃくちゃなものだったのだ。日本の全都市への無差別爆撃、広島長崎への原爆投下だけではなく、最初から最後までルール無視だった。アメリカは、原爆だけでなく、「ダウンフォール作戦」という、毒ガス攻撃まで含む本土上陸殲滅作戦を計画していた。つまり、日本人を完全にジェノサイドする計画をルーズベルトは本気で進めていた。

大日本帝国の当時の版図を見ると、大日本帝国は決して地理的にも小国ではない。
今の地図を見て、日本のような国土の小さい小国がアメリカのような大国と戦ったというのは、今の日本地図しか見ていないのだろう。Fルーズベルトという狂人には日本の版図が驚異に見えたわけだ。

ところでパナマ運河ができたのが1914年。パナマ運河の幅などの基準は当時の戦艦などが十分に通れる大きさということで設計されていた。パナマ運河によりアメリカは大西洋岸の艦隊を太平洋に展開することが容易になったようだ。むしろ、パナマ運河開発の第1目的はそこにあったのであろう。
基本的に隣国とは敵国なので、アメリカが早くから日本を仮想敵国と考えていたのは自明だ。

アメリカから見れば、西は陸軍、空軍がドイツ、イタリアと戦い、東は海軍がメインに大日本帝国と両面で戦っていたわけだ。一方の日本は15年戦争を戦っており、大東亜戦争と同時にシナでも継続して陸軍が戦い、さらに太平洋全域で戦っていたわけだ。
この約3年半の戦争は、その規模の広大さもあり、とてつもなく複雑なものだ。この3年半は数百年分の時間が詰まっているような印象を受ける。

大東亜戦争に関して、詳細なことが書かれた本は沢山あるのだが、素朴な疑問に答えてくれる本がみつからない。たとえば、南の島が戦場となったわけだが、なぜそんなところが主戦場となったのかといった軍事的理由を説明している本が見当たらないのである。

おそらく大東亜戦争は空爆可能な軍事拠点を作るまでのオセロゲームのようなものだったのだろう。硫黄島は東京から1200Kmくらいのところだから、そこに拠点を作られたらオセロの隅を取られた状態になるというのは分かる。南方戦線は、そこを取るまでに制空権なり制海権を取る戦いだったのであろう。

また素朴な疑問として南の島でなくてもシナに空爆の拠点を作られていたら背面攻撃され同じことだと思っていたが、ここでは日本陸軍が活躍し拠点を作らせなかったようだ。日本軍が大東亜戦争の最中もシナから撤退しなかったのは、おそらくそういった軍事的理由があったのだろう。シナでは大陸打通作戦などの華々しい戦果を挙げている。この作戦にはB29の空爆拠点を作らせないといった軍事目的があった。

軍事論理から大東亜戦争を分かりやすく説明した本がないと、あの戦争の意味もよく理解できないというものだ。いい本はないものか?
posted by libertarian at 02:20| 東京 ☔| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

Progress of Airplane

飛行機の技術進化をみると、目立つところで
1850年 有人グライダー
1852年 初の動力付き飛行船
1903年 ライト兄弟の動力飛行機
1937年 初のヘリコプター
1939年 零戦
1947年 ジェットエンジンによる音速の壁突破

約100年でグライダーから音速ジェット機まで進化している。この間に飛行機の原理的な部分は全て達成されている。
ライト兄弟の動力飛行機が発明されると、瞬く間に動力飛行機は進歩し、10年後の1914年にはじまる第一次大戦では飛行機が乱舞していた。しかしさすがに1904年の日露戦争では飛行機は一切登場しない。

第二次世界大戦後は、ボーイング29(B29)のような大型の機体が旅客機として利用されるわけだ。
飛行体験という意味では、動力飛行機より50年以上前に、飛行船ができているから、空を飛ぶことは、ライト兄弟以前にありふれたことになっていた。だが飛行船はあまりに遅く非力であり軍事利用はできなかった。

動力飛行機でのライト兄弟の成功要因は、独自に軽量の飛行機用エンジンを手作りしたところにある。
ライト兄弟以降の飛行機の進歩は、飛行機用エンジンの進歩と機体設計の進歩の2面で進んだ。
飛行機は複合技術であるから、要素技術、素材開発によって今も進歩はしているが、車と同様に本質的なところはとっくに完成されている成熟した技術だろう。

今後は戦闘機は無人のドローンに置き換わるのは確実だ。これは飛行機にとっては要素技術にすぎないコンピューターの進歩によるものだが、有人戦闘機は消滅し、同様に爆撃機も無人化すると思われる。
こうして考えれば、飛行機は紙飛行機からドローンに至る進歩のようにも見える。
posted by libertarian at 16:09| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月16日

63 years from the San Francisco treaty

安倍首相の70年談話を読んだ。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
安倍首相としてはかなり妥協が入っている文章なのは分かる。

実際はサンフランシスコ講和条約が1952年でその時、正式に戦争は終わった。
だから実際は、2015年は戦後、63年が正しい。

一般に70年前、80年前の世界が今とどれほど違っていたかは、なかなかイメージしにくい。
当時は、国と言えるような国はアジアにはなく、ほとんど東南アジアは植民地支配で分断化された”地帯”でしかなかったし、ほとんど唯一、日本が独立国家として欧米に対峙していたくらいだ。

人を人とも思わない欧米の人種差別感情は当たり前のものであったし、世界は今よりもはるかにアナーキーで暴力に満ちていたと言えるだろう。
しかし世界はアナーキーであることは、本質的には今も何も変わっていない。
今もロシア、シナ、朝鮮といった”無法地帯”に日本は接しているわけで、実に危険な状態だ。
ロシア、シナ、朝鮮といった山賊が支配する無法地帯からの、アナーキーな脅威は高まっているわけだ。

80年前の日本はアメリカ型のactiveなリスクコントロールをしようとしたわけだ。当時、日本は日英同盟を解除してしまっていたのが壊滅原因だった。日英同盟による集団安全保障体制を維持していれば、大東亜戦争の悲惨な結果はなかったろう。
日英同盟を破棄したことで孤立し、”個別的自衛権”で脅威を積極的に単独排除しようとしたのがまずかった。
当時も今も個別的自衛は禁じ手なのだ。個別的自衛権の単独行使はあり得ないという前提が共有されないといけない。

軍事的なパワーバランスが崩れることで戦争は起こるわけだからパワーバランスの維持が平和を維持する必要条件となる。そしてパワーバランスは1国で個別にバランスできるものではないから集団的な安全保障体制でバランスを取らなければいけない必然がある。イギリスでもアメリカでもどこでもそうだし、その状況は今も昔も変わらない。

その点、日本は日露戦争を個別自衛で戦い空前の大勝利を収めたから、集団安全保障の意味を忘れていたのかもしれない。自分らだけで自衛できるといった自信と気概がありすぎたのが敗北原因だ。もっとも日露戦争の時は日英同盟があったから、イギリスの間接支援はあった。
日本はアメリカとの集団安全保障同盟なしでは存続できない国なのであるから、これを強化しないといけないのは自明である。より具体的にはアメリカの持つ核兵器の存在によって、今までなんとか日本はパワーバランスを維持してきたわけで、もしアメリカが弱腰になれば日本が核を保有しバランスしなければいけないのも自明なのだ。アメリカはそれは出来ないから日本とは永続的に集団安全保障体制を維持しようとするだろう。

当時ロシアの工作員が日本で自由に活動していたように、今はシナの工作員が日本に大量に入り込んでいる。
日本のメディアはそういった勢力に乗っ取られているようなものだから深刻な問題だ。
メディアの論調があまりにも低レベルすぎて信じがたい。日本の大手メディアはほぼ全て反日勢力という異常な状態がいつまで続くのであろうか。このままでは、日本本土が沖縄化するだろう。
posted by libertarian at 08:18| 東京 🌁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

Law as OS, Islam as Network

トルコやオスマンの歴史を何冊か読んでみたが、トルコはなかなかに興味深い。
近く、トルコに行ってみようと思っている。ミマール シナンの建築をリアルに見てこようと思う。

近代トルコの歴史においては、ケマル アタチュルクの存在が大きい。ほとんどの本では指摘されていないが、時代的には20世紀の初頭、日本のめざましい台頭があった時期で、日露戦争、日本海海戦などを同時代で目撃した人物であり、日本がケマルに与えた影響はかなり大きいはずである。
実際、トルコの近代化路線、脱イスラームは、日本の明治維新を参考にしているのではないかと推察されるところが多々ある。

当時は欧米の植民地主義が頂点にあった時期であるから、日本もトルコも植民地化されないように必死だった。
ケマルは日本の明治維新以降の近代化の歴史に影響を受けているだろう。

イスラームをケマルはラディカルに否定して革命をうったわけだが、結果的にそれによってトルコは救われたのだと思う。つまり、ケマルなくしてトルコの植民地化は避けられなかった。植民地化されてしまえば、イスラームの教えどころの話ではなくなる。
しかし、ケマルは本当のムスリムではなかったのだろう。隠れユダヤ教徒だったという話も有力だ。
アル中で肝硬変になり57歳の若さでなくなった。ケマルは地獄に落ちたのだろうか?

私がイスラームに興味を持つのは宗教ではなく、法という観点からだ。
イスラームは宗教であり同時に法であり、そこがイスラームが最新最高の宗教と自負している理由がある。
欧米の近代国家というのも、その本質は法システムにありデモクラシーといった制度にあるわけではない。人定法を作る国家というシステムが近代国家の本質的な特徴だと思う。

思うに、いわゆる人定法のヨーロッパ法と比較して、イスラーム法はいまだに優位性を持っている可能性が高い。
イスラム法を自然法とみれば、対比されるのはコモンローだろうか。しかし、イスラム法を自然法と見るのはやはり問題があり、実際はやはり宗教法と呼ぶべきなのだと思う。
イスラム圏において自然法と呼ぶべきなのは、むしろ遊牧民の慣習法ではないか。イスラーム法は、それらを排除することなく、レイヤー的に積み重なる形で保存した。

いわば、近代国家の法とはコンピューターにおけるOSのようなものかもしれない。
昔の8bitコンピューターはベーシック言語が乗っているだけで、OSなんてなかった。
では欧米の近代国家がOSつきのコンピューターとして、イスラムはOSなしの8bitコンピュータかというと、そうとはいえない。
イスラーム法の解釈が個人の自由にゆだねられているという中田氏の話が正しいなら、イスラームはネットワーク的なものなのだろう。
OSはもとより中央集権的な仕組みで欧米の国家観とマッチするが、イスラームはネットワーク型に見える。


posted by libertarian at 02:12| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月10日

Korea Peninsula and Othelo game

朝鮮は、もともと1つだったのが、冷戦の結果、南北に不幸にも分かれたという見方が一般的なのだろうか。
朝鮮の歴史はほとんど知らないが、朝鮮半島は、シナの柵包体制で支配されたことで一緒くたになっていただけで、その昔は新羅や高句麗だといろいろあったようだ。
言語的には、北と南で同じなのかもしれないが、朝鮮半島は、北と南に分かれているのが本当の姿なのかもしれない。

日本から見れば、海をへだててすぐ隣国の南朝鮮が直接の敵対国家となる。そこで南朝鮮に対抗するには、北朝鮮と組んで挟み撃ちするのが合理的だ。
一方、南から見れば、北に対抗するためにシナと組んで北を挟み込むのが合理的のように見える。
しかし、シナと組んで北を滅ぼせば、今度がシナが隣国となり直接の敵国となるので北は緩衝地帯として残しておいた方がいいわけだ。
国と国の同盟関係は考えられるが、オセロ同様、下手に駒をひっくり返したら危険だ。
今ある多くの国は緩衝地帯として残されたもので、弱小なくせになかなか消滅しない。
北朝鮮がなかなかなくならないのも、それが緩衝国家だからであろう。

日本はオセロの端に位置するから圧倒的に有利な位置にある。

posted by libertarian at 02:33| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

Offshore balancing

ミアシャイマーなども正しく指摘している通り、アメリカがアルカイダなどのムスリムに憎まれる最大の理由とは、アメリカがサウジアラビアなど中東に軍隊を駐留させていることにあるらしい。
実際、アルカイダのビンラディンは、マッカとマディーナをアメリカ軍が守っていることが許せないと考えていたようだ。
湾岸戦争の1992年以来、アメリカはサウジアラビアに軍隊を駐留させていた。それがアルカイダによる911攻撃などテロの遠因だったのだ。ムスリムにとっては自明なこのことがアメリカはずっと分からないでいたわけだ。

それに対してミアシャイマーは、レーガンの頃のオフショアバランシング政策、つまり軍隊を直接紛争地におかず紛争地のパワーバランスを維持させていた政策を高く評価している。→これは具体的にはイランイラク戦争のこと。
湾岸戦争以降、アメリカがサウジに駐留し両にらみを行ってきたのがまずかった。結果、イランは核武装する余裕を得たのだろう。
であるから、オバマが中東から軍隊をひくことは、ミアシャイマー的には評価できることだろう。しかし中東から全駐留軍を撤退させることは必要条件だ。
だが、オバマのそれがオフショアバランシング政策を伴ったものであるかは分からない。そうではないと思われる。
既に核保有国は10か国になっているが、これはアメリカが軍事的脅威を与えすぎたことが、インセンティブとなっていた。
オフショアバランシング政策をとることが核を拡散させないためにも、もっとも効果的だというのがミアシャイマーの見解だ。

この20年のアメリカの国防政策は完全に迷走したもので、911に過剰反応しできないことをやろうとしすぎた。アメリカはあまりに独善的で驕り高ぶったことを恐怖に駆られてやっていたわけだ。アメリカはイラクで湾岸戦争以来、100万人規模の民間人殺戮を行ってきた。
恐るべきことである。

ミアシャイマーは、欧州と、ペルシャ湾、北東アジアの地政学的重要性を訴えているが、アメリカは中東から撤退し、北東アジアを重視することを主張してる。シナの脅威はブッシュJrが就任当初正しく認識していたことだったが、ブッシュは911で血迷ってしまった。
ネオコンなど取り巻き連中がダメすぎたのも問題だ。ちなみにフランシスフクヤマは最初ネオコンだったが2006年からはLiberal Imperialistに鞍替えしたそうだ。w

中東は今、火が付いた状態だが、何を問題と見るかだ。ISISは話題だが、実際はシリアの方が深刻な殺戮を行っている。
今後、中東はトルコ、シリア、ISIS,サウジ、イランのパワーバランスが問題となるのであろう。この中で期待の星はトルコだろう。
トルコはイスラーム回帰しつつあり、場合によるとトルコが正当なカリフ国として復活する可能性もあるのではないか。


posted by libertarian at 22:48| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Awakening ISLAM

私はイラクのクウェート侵攻(1990)も、湾岸戦争(1991−)も昨日のことのようによく覚えている。
その後、アメリカによるイラク侵攻(2003)があったが、それもつい昨日のようだ。
イラク侵攻の時は、大量破壊兵器(WMD)の存在がどうのこうのといわれていて、その後ありませんでしたということだったわけだが、実際は、それが最大の動機というわけではなかったのだろう。
アメリカの軍事産業や石油利権がどうのこうのといった話もよく言われるが、それも違う。

軍事行動はあくまで軍事的、セキュリティ上、地政学的な理由が第1にくるはずで、その他の動機はあったとしてもずっと下の方の優先順位だ。
ブッシュjrによる2003のイラク侵攻は、イラクによるサウジアラビア侵攻の可能性に対する予防的戦争だったのであろう。
もともとがイラクのクウェート侵攻はサウジアラビア侵攻の途中駅でしかなかった。
その点、ブッシュjrがイラクを叩き潰したことで、イラクによるマッカ、マディーナ奪還に対するpreventive warは大成功だったというのがアメリカの理解なのであろう。サウジはアメリカにとって地政学上特別に重要な位置にあり、いずれイラクがサウジに侵攻するのは避けがたいという理解があったわけだ。その前に叩き潰す方が被害は少ないということだ。サウジをとられるとスエズ運河も支配される。

しかしアメリカがイラクから撤兵した2011あたりから、シリアのアサド政権がクルド人の大虐殺を再開し、すでに20-30万人のlクルド人の自国民を情け容赦なく虐殺している。
その混乱に乗じて生まれたのがISISだ。シリアのアサドによる大虐殺に対して国際社会は観て見ぬふりをしてきたのが現実だ。
シナによるウイグルの大虐殺も今行われているが全く報道されていないのと同じである。
シリアにはロシア、シナ、北朝鮮、サウジからの支援があり、泥沼と化しているようだ。利害が交錯していてどこも介入ができない状況となっているわけだ。

オスマントルコの崩壊いらい、イスラーム世界は国民国家として英仏のサイクスピコ密約通りに分割され、1922からほぼ100年植民地支配されてきたわけだが、その植民地支配秩序がそろそろ本格的に崩壊しつつある状況とみられる。そういった偽りの秩序が永続するわけもない。
その点、やはりISISは台風の目になる可能性がある。
宗教とかイデオロギー分析も大事だが、やはり客観的にパワーバランスに注目しないとアメリカの軍事行動の意味も見誤る。



posted by libertarian at 15:24| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月02日

ISLAM borderless world

イスラムに関する本を何冊か読んだが、中田考氏の著書が興味深かった。
中東の近現代史も、イスラム教も何も知らなかったので、中東情勢の意味は全く持って不可解であったが、すこしずつ見えてきたこともある。
イスラームについては、中田氏の「イスラーム 生と死と聖戦」が分かりやすい。
今の中東の国境線は、第一次大戦後にイギリス、フランス、イタリアが人為的に引いた線だが、植民地主義の結果として国民国家が作られ、イスラムが分断統治されてきた。
それまでイスラームは一人のカリフによって統治されてきた。これは人による支配ではなく、イスラム法、シャリーアに基づく自然法による統治であった。カリフとはイスラム法の支配の象徴的な存在である。だからこれは独裁制とは全く意味が違う。
イスラームは、本来ボーダーレスな世界であり、国民国家とは対立する。カリフが否定されたことで、イスラームが分断されてきた。
そこで、中田氏は極東の島国でカリフの再興を図っている。

シーア派とスンナ派の対立も、実は最近のものでシリアのアサドが、シーア派であり、シリア紛争でスンナ派の虐殺をしてきた。
アサド政権を支持してきたのが、社会主義圏のロシア、シナ、北朝鮮であり、シーア派国のイランであった。
シリア紛争が、宗派戦争を形成したそうだ。
そし、そのシリア紛争の中からISISのようなスンナ派の国家が台頭をしてきた。

面白いと思うのは、イスラームがリバタリアン的なビジョンと重なる点である。人定法でなく自然法による統治、ボーダーレスな世界といったものがそれだ。イスラム教徒は世界に16億人いる。しかしカリフが今のところいないままだ。
ISISのバクダッディはカリフを自称しているが、それはまだイスラム教徒から認められた存在ではない。
欧米からすればイスラームの結集こそが脅威であるし、今の国民国家として分断されたイスラム諸国の既得権層も同様にカリフ制に脅威を感じている。だがイスラームにとって、カリフは必要不可欠な存在であるとする中田氏はアメリカから危険人物としてマークされているらしい。w

歴史を学ぶとキリスト教というのは、悪逆非道の限りを尽くしてきたことがわかる。イスラムが侵略をしてきたわけではない。
キリスト教は恐るべきカルト教団だというのが、前々からの私の印象だ。
ヨーロッパの教会などを見ても、権威主義の塊で嫌悪感を感じるほどだ。
キリスト教は新約聖書の中にも、キリスト本人の言葉というのはほとんど残っていないことが分かっているそうだ。キリスト教はキリストに帰依するものなのにキリストの言葉が保存されてこなかったというのは象徴的だ。キリスト教は宗教というより政治的なカルト組織だったのだろう。
イスラムはその点、アッラーに対する帰依しかないから政治権力とは結びつきようがない。だから教会も特権階級としての司祭もなにもない。

自分が世界を見る上で、イスラム諸国は全くなにもわからない真空地帯であったが、やはりイスラム教そのものをある程度どういうものか知らないとこの世界はなにも見えてこない。国民国家という植民地主義の装置を見るのでなく、イスラームをみないと何もわからないわけだ。

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posted by libertarian at 15:27| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

ISIL

イスラム国(ISIL)についていくつか本を読んでみたが、これは思っていた以上に大きな問題であると分かった。
ISILは今後の世界の歴史を大きく左右する存在となるだろう。

先にイスラム原理主義と書いたが、最近では原理主義という言葉はあまり使われない。これは欧米がプロテスタントのfundamentalismと一緒の呼び方を好まないのが原因のようだ。
しかし、原典に還れという意味では、原理主義と言った方がわかりやすい。
イスラムでは、これはサラフィズム(salafism),サラフィー主義と呼ばれる。
ISILのサラフィズムは、タリバンなどと違い新しいテクノロジーを受け入れる点が異なる点だ。だが、その他はアナクロともいえる厳格な戒律を重視するサラフィズム、原理主義だ。

ISILが従来のサラフィズムを掲げる過激派、アルカイダやタリバンなどのゲリラと戦略的に違うのは、領土的野心を持っている点である。
ISILのカリフ、アル バクダッディは、領土を得ない国の建設はあり得ないということを理解し、カリフ制の国を建設しようとしている。
これは、いままでどのイスラムも達成できなかったが、それを瞬く間に実現し、さらに領土を急速に拡大している。
今はまだ偽装国家(shell state)だが、そのうち他国も承認をせざるを得なくなるだろう。

このカリフ、バクダッディはムハンマドの末裔を自称し、バクダッド大学で神学を収めたインテリで学者の家柄。
このバクダッディの指導力、戦略眼が従来のサラフィズムとは別次元の成功をおさめた原因かもしれない。1971年生まれだから、まだ若い。
我々はイスラムにおける新しい巨大パワーの台頭を目撃することになりそうだ。

ISILは、スンニー派のカリフ制国家の建設を行っているわけだが、シーア派を根絶やしにするという戦略を持っている。
実際に、シーア派の村を襲って、女子供を問わず虐殺をすることを繰り返しているようだ。
もともとシーア派はスンニー派に比べると数は小さい。中東はイランとシリアがシーア派の拠点だが、シリアはISILの手におちつつある。
ISISに比べると、サダムフセインは随分穏健だったのではないかと感じる。

こうなってくると、もはや欧米はなすすべもないのではなかろうか。経済封鎖もほぼ不可能。空爆は効果なし。
イラクへの予防戦争とやらに天文学的な費用と、多くの人命を投入して結果がこれだから、今後アメリカは中東から手を引いていくのではないか。イラク侵攻は中東のパワーバランスを破壊し、カオスしか生まなかった。
イラク侵攻を推進したのはネオコンこと共和党リベラル派だった。一方のミアシャイマーらリアリストは反対をしていたが、結果はリアリストの勝ちだ。戦力は有限な資源なので、中東から手を引き、シナの方へ向かうのかもしれない。

イランは核保有国だが、近未来的にはイランとイスラム国の間で第3次世界大戦が起こる可能性もあるかもしれない。そうなればイランによる核の使用もあるかもしれない。
ローマ教皇は、去年、第3次世界大戦は既に始まっていると述べたそうだ。

日本は中東からは一切手を引いた方がいいだろう。関わらないことが一番のセキュリティ対策である。
人道支援と称して資金を提供するのもやめといた方がよいだろう。資金を紛争国に供与すれば、人道支援と軍事支援の区別などできない。
お金に色はついていないからだ。

posted by libertarian at 18:50| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

World not understood

世の中でニュースというのは絶えることがないが、それらは点情報でしかない。
その時々で関心をひいたニュースにごちゃごちゃとした解説だが感想がメディアでなされる。一時の関心をひくが誰もそんなものは理解もなにもしてない。
例えば、去年、ソ連のクリミア問題がおこったが、その後は一切ニュースにもならないし、どうなったか気にする人も稀だろう。
問題を、ちり紙程度の点としか把握していないわけだ。問題を理解すれば、線として認識するようになるだろう。

イスラム国にしても、そもそもイスラム国とは何かについて、まともに報道も説明もされない。これでは、イスラム国でなく、A国とでも言った方がよい。つまり、ニュースは自明でないことをあたかも自明のように報道し、結局報道する側もそれを受け取る側も誰も何も理解していない。今はWIKIがあるので、昔と違ってある程度のまとまった知識を容易に得ることができるようになったが、普通の人はそれすらしないだろう。何も知らないのに、良い悪いといった判断は適当にしているわけだ。
イスラムは複雑で理解しにくいということはある。特に歴史を知らないから、イスラムやアラブの意味もわからない。漠然としたイメージをもっているだけだ。

”クラッシュ”という映画で、雑貨店を営むイスラム系にみえる店主が、自分たちのことを社会はアラブだと思っている。ほんとはペルシャ人なのに。。とつぶやくシーンがある。ペルシャはイランだが、イランはアラブではないのである。これは彼らにしてみれば日本人が中国人として扱われているようなものなのだろう。

我々は近現代史にあまりにも無知であるがために、現代の世界をほとんどなにも理解できないでいる。
現代の世界もわからなければ、現代の日本のことも何も分かっていないわけである。

posted by libertarian at 11:56| 東京 ☔| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

The Civil War,Gold and Japan

歴史というのは、非常に大事である。
歴史認識はある意味、教育システムの根幹となっている部分である。
その点、日本の教育は特に歴史教育がめちゃくちゃであるから、荒廃しているのである。
学校で教える歴史は、基本がマルクス史観で作られており、くだらない暗記コンテストになっている。
日本の歴史教育など百害あって一利なしだ。
だから、自分で一から歴史は勉強しなおさないといけない。
近現代史を知らないと現代を理解することは不可能である。
今を理解するためには、歴史を知るしかない。そして歴史を間違えて理解すれば、今の時代も間違えて理解することになる。
左翼はマルクス史観を必ず持っており、歴史観がめちゃくちゃだから言っていることも全部だめといえよう。

例えば南北戦争(civil war)  について、日本人は何も知らない。
これは市民戦争といった内紛ではなく、一旦、南が連邦を正式に離脱して、confederate states of Americaという国を独立に立てた。
だから、これは内紛ではなく、国家間戦争であった。
当時、南部は北部に比べて圧倒的に豊かであったから、独立は容易だったし、合理的だった。
では、なぜ圧倒的に豊かな南部が、貧しい北部に負けたのかが、大きな問題である。
こういったことを学校教育では一切不問に付している。

驚くべきことに、北部の資金源は日本にあったのである。
当時、日本はほんとに黄金の国ジパングで、国内では銀が相対的に少なかったために、銀と金の交換比率が低かったらしい。つまり、銀が国内では国際相場と比べてずっと高かった。
金の歴史上の産出量はプール3杯分と言われているが、なんとそのうちの1/3,つまり1杯分は日本から産出したものなのだ。
そこに目をつけたのがアメリカだった。アメリカは安い銀貨で日本国内の金を大量に交換し、濡れ手に粟で日本の金の大半を短期間に持ち出したのである。これが北軍の莫大な資金源となった。
これを許したのは、日本が鎖国をしていたからだろう。日米修好通商条約は金の持ち出しがアメリカの本当の目的だったというわけだ。

歴史を理解するためには、経済の観点と地政学の観点がやはり大事だと思う。
特に経済は大事だと思う。経済的な効果には偶然の要素があまり入らない。
地政学は経済学的観点が乏しいところが弱点だが、補完的なものにはなると思われる。



posted by libertarian at 00:26| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月03日

Micro history and Macro history

日本の真珠湾攻撃は、パリ不戦条約違反であって侵略だという議論がある。
前に読んだ別宮氏とかが、熱心に言っているようだ。兵頭二十八氏も同じだ。
しかし、こういう法解釈は難しい。そもそも国際法の解釈次第だが、国際法は民法のように法典があるわけじゃなくて、世界各国の条約の寄せ集めが法源となっている。あまり杓子定規にパリ不戦条約違反だから侵略だとかいうのは、法解釈的に疑問がある。
それも当時の国際慣習法なり、国際関係の条件で考えないといけないから、より難しいだろう。

兵頭氏の本を少しばかり読んだが、テクノロジーと戦争の関係に関する研究は緻密でオタッキーで面白い。しかし、彼は法律はあまりよくわかってなさそうだ。それに地政学という言葉を使うが、ミアシャイマーとか、ギルピンとか、ウォルツとかそういった本はちゃんと読んだこともないようにみえる。少なくとも全く言及されてないから読んでないのだろう。

日本の軍事研究は、オタッキーなところにはとても詳細だが、学問的に大きな国際関係論とかとは、別のところでオタク的に趣味的に研究されてきているようにみえる。IRなき軍事論はオタク的である。
私も軍事技術の話は嫌いじゃないし、どちらかというと好きな方であるが、別に全然オタクな知識も興味もない。
そこまで重要とは思わないから、そんなに興味がないのである。
しかしオタクな軍事評論家には、兵器の性能といったミクロな条件が、戦争の勝敗というマクロな結果を決めるという考えがあることは明らかだ。
これは、必ずしも否定はできないが、逆にミクロがマクロを決定すると強く主張するとしたらこれまた間違うように思われる。
ミクロもマクロもどちらも重要だ。どちらか一方がもう一方を決定する関係にはないだろう。
posted by libertarian at 11:47| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

What is happened, What is not happened

戦争は合理的な行動であることを証明しない限り、戦争論なんていうものは全て個人的なエッセイにすぎない。
ウォルツにしても、基本的に戦争は勝った方も負けた方も損失ばかり巨大で、不合理な行動だと考えているようだが、こういう直感的な判断をしているから、戦争論なんてものはつまらんエッセイに過ぎないと思うわけだ。人間という動物の本質的な不合理さを理由にもってくるのは、単なる循環論法にすぎない。

戦争がおこり、仮に強い方が順当に勝ったとする。しかし、莫大な出費と人命の損失、巨大な破壊を被ったとする。
すると、その損失に目を奪われて、強国が勝っても戦争は得策ではない、愚かな行動だったと後知恵で思う。
しかし、ここでは、もし戦争をしていなかった場合の、想定される最悪の損失との比較がされてない。
最悪の損失が100とすれば、戦争で失った損失はもしかしたら1程度だったのかもしれない。
セキュリティやリスクを考える際は、往々にして最悪と0の比較になる。
もし、最悪がー∞とすれば、有限の損失回避行動は必ず合理的なのである。
最悪がー∞というのは、国家の滅亡という意味で、これは個人の死よりもはるかに大きなものと考えるわけだ。

コンピューターセキュリティでも、まともなリスク計算は難しいが、通常でもかなり過大にみえる投資をしないといけない。
リスクなどまともに計算する方法がないから、原則、最悪として会社が潰れる事態を想定する。
合理的なリスク計算を困難にさせ、ー∞と0との比較になるのは、そこがアナーキーな世界だからである。
逆に言えば、アナーキーとは、リスク計算ができない世界ともいえる。ー∞と0の2つしかない世界である。

話は違うが、今の西ヨーロッパが第2次大戦以来から数えて50年以上、平和であるのは、なぜかという問題がある。
いろいろな理由が挙げられているが、ミアシャイマーによると、それはアメリカ軍の駐留のお蔭だとしている。
もし、アメリカが撤退すれば、また衝突が起こるようになる可能性が高い。
アメリカ軍の駐留が西ヨーロッパにアナーキーでない状態をもたらしているともいえるだろう。

アメリカ国内にしても、南北戦争以来、大した内乱はない。
アメリカの州の間でなぜ戦争が起きないのかといえば、連邦制度によって州と州の関係がアナーキーではないからといえるだろう。
また教育によって、アメリカという連邦国家への帰属意識をもたせているということもある。アメリカ人はアメリカ人であって、カリフォルニア人といった州への帰属意識はないだろう。
リンカーンへの評価はいろいろあるが、もし連邦制の維持によって、その後に起こったかもしれない、より多くの戦争とより巨大な被害を防いだとするならば、やはりリンカーンは偉かったということになろう。だが、起こらなかったことの評価は基本的にできないのである。





posted by libertarian at 12:48| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

Colonialism is Socialism

歴史の本には、なんとか主義という言葉が沢山でてくる。
しかし、その意味をちゃんと理解している人はほとんどいないのではないか。
例えば、植民地主義という言葉にしても、イメージだけで使っていて、その意味を理解している人はあまりいないだろう。

植民地では具体的にどのようなシステムだったのかということを知らないと、植民地主義の言葉の定義だけ知っていても意味がない。
もっと具体的には、インドのようなイギリスの植民地では、個人の所有権はどうあったのか?私的所有権、土地の所有権はどの程度認められていたのか?
、、といった具体性を知ることは、植民地主義の意味を知るうえで非常に重要な点である。

歴史の本を読むと、こういう言葉がやたらとでてきて、知ってて当然とばかりに書かれているが、実は書いている本人すらわかってないだろうと思われるのである。
植民地主義というのが、統治形態の一つということであれば、その法律やら経済体制から逆に定義されるものだろう。

インドの「植民地主義」に関しては、土地は私的所有は認められず、政府がすべて所有していたようだ。
さらに経済システムは、全て政府の計画経済だった。
あの広大な国をイギリスは、完全なる社会主義的仕組みで長年統治していた。
インドこそは、もっとも早い時期に作られた完全なる社会主義国だったというのが、イギリスのインド統治だったらしい。



posted by libertarian at 10:11| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月27日

The truth of Pearl Harbor

パールハーバーは、不十分すぎる攻撃だったが、ある程度は戦艦を撃沈し戦果があったと言われているが、事実はそれで終わらないようだ。つまり、撃沈したはずの戦艦はほとんどサルベージされて、前よりも強化され投入されたらしい。
結局、使えなくなった戦艦は、2艦だけだった。(アリゾナとオクラホマの老朽戦艦2隻だけ)
パールハーバーは浅瀬で14mくらいしかないから、簡単にサルベージされた。
浅瀬だから、海軍はそれなりの準備をして、浅瀬用の魚雷を開発し、戦闘機の特訓をかさねて実行したわけだが、ごく浅瀬だから簡単にサルベージできることを想定してなかったらしい。とてもバカである。
こういう事実は、おそらくあまり知られていない。というか、小説なんかではかかれてもいないし、言及している本はあまりないのではないか。
つまり、パールハーバー攻撃は、戦果がほとんどなかったのである。
このことは、中川八洋の「山本五十六の大罪」にかかれている。
山本五十六は、とんでもない奴だったのは確実だ。中川氏は死刑にせよと言っている。(死んでいるが)
博打好き、女好き、臆病者で、軍人の風上にもおけない奴だった。
大和、武蔵は内装を大金かけて超豪華にし、そこで自分は戦場から遠くはなれたところで、貴族のような優雅な生活をしていたそうだ。
この海軍の腐敗は、相当なものだったことが山本だけ見ていても推察できるのである。
しかし、日本は山本を英雄とし、東京大空襲の虐殺魔ルメイに勲章を与えたりと、これまた狂ったことをしている。
河野洋平にも勲章をやってたし。
悪党ほど称賛されるのか。

日本の大東亜戦争観は、山本五十六の評価を180度変える辺りのことから初めないといけないだろう。
posted by libertarian at 10:05| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月26日

Why history is important

歴史の一般の本を書くメンツというのはかなり限られている。
ある程度読むと大体,論者のスタンスが見えてくる。
近現代史に関しては特にメンツが限られる。いろいろ読んだが、やはり歴史というのは文学の一種のような感じである。
所詮は過去のことなので、いかようにでもストーリーを作れるのであろう。
歴史を解釈するとは物語を作ることだ。
特に近現代史に関しては名誉、プライドが絡んでくるらしく、こだわりがある部分らしい。
自分で歴史の一次資料を掘り起こして調べるなんてことはまずやらないから、何が正しいのかは誰を信じるかによることになる。
私は、あまり誰の物語も積極的に信じる気はおきない。

ナショナリズムだかパトリオティズムの根拠として歴史認識が大事だと思っているのであろう。もしくは反ナショナリズム、反日の根拠として、歴史を利用する人間もいる。さすがに、後者は全くいただけないが、前者もいかがなものか。
まずもって、歴史論議には数字とか客観的なものが少なすぎる。
経済分析なら、1930年代以降はある程度の正確な統計数字があるようだが、それ以前になるとほとんどないだろう。
特に大東亜戦争になると、イデオロギーが最大の論点となっていて、共産主義とその工作プロパガンダだなんだと、客観的な資料の出にくいところを問題にせざるをえないのが議論をあいまいにする。
兵士が天皇陛下万歳といって死んで行っているのにたいし、海軍のトップは敗戦主義(という革命思想)を持っていたとか、そんなことはなんともわからないことだ。証明もできないだろうし、絶対なかったともなかなか言えない。過去の人間が何を考えていたかなんて、記録もないのに分かるわけがないではないか。

その点、ミアシャイマーのように、イデオロギーや内部政治的なものをすべて捨象する議論というのは、ある程度の客観性があるように思う。
コミンテルンのスパイがいようがいまいが、謀略がどうあろうと、アメリカは日本と闘うことになる国家間の力学がそこに見出せるわけだ。
しかし、そうであっても日本が北進したか南進したかで歴史は全く違く結果になっただろうことも間違いない。
ミアシャイマーの議論はバランスオブパワーから大国間の衝突予測を可能とするが、細かいところまで決定する議論ではない。
もとより決定論などナンセンスだ。
だが、もし北進していてもミアシャイマーの理論では、やはり日本はアメリカと衝突することになったということになる。

各国間の政治力学、軍事力学については、ミアシャイマーのモデルは興味深いし、私はそれがリスペクトに値すると思っている。
そもそも過去の歴史についても、国際政治、軍事力学を理解するデータとして見るくらいしか利用価値はない。
歴史がナショナリズムだかパトリオティズムの根拠となる物語でしかないなら、むしろ有害無益であろう。
バランスオブパワーの力学を理解するためのデータとして歴史をみるべきなのである。



posted by libertarian at 18:28| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月24日

Soldier

戦争の兵士は、もともとは傭兵のような専門の軍人がやっていた歴史の方が長い。
それがナポレオンあたりから、国民軍に徴兵した一般人が兵士となるようになる。国民皆兵だ。
これがなぜか非常に強く、職業軍人や傭兵からなるドイツ、プロイセンにも勝った。
ここら辺から、戦争の性質が変わっていく。ナポレオンの絶対戦争だ。
戦争に参加することが、国民の権利要求と結びついていたということもある。

第1ー2次大戦のときは、総力戦となり、兵士だけでなく、銃後の女子供まで戦争に協力させられることになった。
さらには銃後の民間人への攻撃も普通になり、ウェストファリア秩序は失われた。

原爆の登場後は、逆に職業軍人、傭兵による戦争に戻ったようにも思う。アメリカも徴兵制は廃止した。
いまだに戦争のイメージは総力戦にあるが、今後起こる戦争が総力戦になるかどうかは疑問だ。
ベトナムは代理戦争ではあったが、少なくともベトナム側は総力戦を戦った。しかしそれ以降の戦争は総力戦ではない。湾岸戦争しかり、イラク戦争しかり。アメリカも当初は、短期決戦を指向しているが、長期になれば失敗する。
日本は日露戦争までは限定戦争であり、総力戦ではなかった。大東亜戦争も総力戦を意識してやっていたかどうかは疑問だ。総力戦は研究はされていたが、短期の限定戦争にしようとは当初の目論見だった。
それがミッドウェーの敗戦以来、海軍の大嘘という犯罪行為もあり、引くに引けない状況になっていった。
東條が終戦間際までミッドウェーの大敗北を知らなかったのは有名だ。
今の時点であの戦争を見れば、いろんなことが分かるが、戦時中は誰も全体を知らない。
日本の場合は、トップの東條にまで重大情報が隠されていたのが致命的だった。(東條は終戦後、敗因は海軍と陸軍が完全に分離していたことだと正確に反省している。)

今、起こっていることについては、やはり誰も全体を知らない。真実を知る方法がない。
これから日本は総力戦ではない戦争に備える必要がある。
posted by libertarian at 13:42| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Luddite



「政府は雇用創出のため、機械力などによる経済合理化を制限する事で、人手を増加させる方策をとった。第一次ラインハルト計画や1933年7月15日の「タバコ産業における機械使用の制限に関する法」には機械力制限が明記されており、事業資金中の賃金費用の割合が増大した。事業資金全体に占める賃金割合はパーペン計画では43.8%、緊急計画では38.0%、アウトバーン建設では46%、第一次ラインハルト計画に至っては70%であった[88]。

パーペン計画、緊急計画、第一次ラインハルト計画の三計画によって1935年までに50万人の雇用が生み出され[90]、さらにドイツ国鉄も4万人の職員を雇用した上に6万人を短期雇用し、さらに発注によって工業・手工業界に25万人の雇用を生み出した[91]。また郵便事業などの公社も個別に雇用を増大させている。

1933年の一年間で失業者は200万人減少したが[92]、工業雇用の回復よりも失業者数の減少が大きいなど[93]、再び生産過程に吸収されたのはその7割ほどであった。また従来失業者にカウントされていた失対労働者、農業補助者、勤労奉仕者を労働者として数えるという統計操作も行われていた[94]。しかし失業者を減少させるという社会政策的には大きな意味があり、ナチス政権の安定化に寄与した[95]。1935年以降の再軍備による軍の雇用もあり、1937年には失業者数を求人者数が上回り、ほぼ完全雇用が達成された[96]。」


ここにあるようにあえて機械化をさせず、人力で仕事をやらせることで、雇用を増やしたようだ。
合理的ではないが、人間のメンタルに与えるプラスの影響はあったのだろう。
福祉のように、ただお金をもらうのではなく、労働対価として正当に賃金を得る方がプライドは傷つかない。
それが、「公益は私益に優先する」というナチスのスローガンにも即していた。
このスローガンは今の日本でもすんなりと納得してしまう人間は多いだろう。
いや、そんな人間の方が圧倒的な多数派に違いない。

統制経済のような社会主義的施策は、長期的には成り立たなくとも、数年ならごまかしがきくのかもしれない。
とにもかくにも短期間で失業率40%の状態からほぼ完全雇用を実現してしまったから、ナチスは当時世界から称賛されていた。
驚くべきことは、1938年の時点でナチスの一人当たりGDPが非常に高かったことである。
先のグラフのように、アメリカ、イギリスの6に対し、ドイツは5強あった。
対して日本はソ連よりは少し高かったが、2.3だ。ドイツの半分もなかった。
一人当たりGDPが低いと、戦時中には国民が激しく窮乏する。

日本も戦時中は統制経済をやっていた。しかし統制経済では資源価格が市場調整を経ないために、資源の浪費が起こる。それは人間、人材に対しても同様だった。例えば、日本では高度熟練技術者も、一平卒として平気で徴兵していた。
こういったラッダタイト的な方法は、今後ロボットが普及していく過程でも再び起こりそうだ。
posted by libertarian at 13:08| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月22日

Apology for Slavery

https://www.govtrack.us/congress/bills/110/hres194/text
H. RES. 194

In the House of Representatives, U. S.,
July 29, 2008
RESOLUTION

Whereas millions of Africans and their descendants were enslaved in the United States and the 13 American colonies from 1619 through 1865;

Whereas slavery in America resembled no other form of involuntary servitude known in history, as Africans were captured and sold at auction like inanimate objects or animals;

Whereas Africans forced into slavery were brutalized, humiliated, dehumanized, and subjected to the indignity of being stripped of their names and heritage;

Whereas enslaved families were torn apart after having been sold separately from one another;

Whereas the system of slavery and the visceral racism against persons of African descent upon which it depended became entrenched in the Nation’s social fabric;

Whereas slavery was not officially abolished until the passage of the 13th Amendment to the United States Constitution in 1865 after the end of the Civil War;

Whereas after emancipation from 246 years of slavery, African-Americans soon saw the fleeting political, social, and economic gains they made during Reconstruction eviscerated by virulent racism, lynchings, disenfranchisement, Black Codes, and racial segregation laws that imposed a rigid system of officially sanctioned racial segregation in virtually all areas of life;

Whereas the system of de jure racial segregation known as Jim Crow, which arose in certain parts of the Nation following the Civil War to create separate and unequal societies for whites and African-Americans, was a direct result of the racism against persons of African descent engendered by slavery;

Whereas a century after the official end of slavery in America, Federal action was required during the 1960s to eliminate the dejure and defacto system of Jim Crow throughout parts of the Nation, though its vestiges still linger to this day;

Whereas African-Americans continue to suffer from the complex interplay between slavery and Jim Crow−long after both systems were formally abolished−through enormous damage and loss, both tangible and intangible, including the loss of human dignity, the frustration of careers and professional lives, and the long-term loss of income and opportunity;

Whereas the story of the enslavement and de jure segregation of African-Americans and the dehumanizing atrocities committed against them should not be purged from or minimized in the telling of American history;

Whereas on July 8, 2003, during a trip to Goree Island, Senegal, a former slave port, President George W. Bush acknowledged slavery’s continuing legacy in American life and the need to confront that legacy when he stated that slavery was . . . one of the greatest crimes of history . . . The racial bigotry fed by slavery did not end with slavery or with segregation. And many of the issues that still trouble America have roots in the bitter experience of other times. But however long the journey, our destiny is set: liberty and justice for all.;

Whereas President Bill Clinton also acknowledged the deep-seated problems caused by the continuing legacy of racism against African-Americans that began with slavery when he initiated a national dialogue about race;

Whereas a genuine apology is an important and necessary first step in the process of racial reconciliation;

Whereas an apology for centuries of brutal dehumanization and injustices cannot erase the past, but confession of the wrongs committed can speed racial healing and reconciliation and help Americans confront the ghosts of their past;

Whereas the legislature of the Commonwealth of Virginia has recently taken the lead in adopting a resolution officially expressing appropriate remorse for slavery and other State legislatures have adopted or are considering similar resolutions; and

Whereas it is important for this country, which legally recognized slavery through its Constitution and its laws, to make a formal apology for slavery and for its successor, Jim Crow, so that it can move forward and seek reconciliation, justice, and harmony for all of its citizens: Now, therefore, be it

That the House of Representatives−
(1)acknowledges that slavery is incompatible with the basic founding principles recognized in the Declaration of Independence that all men are created equal;
(2)acknowledges the fundamental injustice, cruelty, brutality, and inhumanity of slavery and Jim Crow;
(3)apologizes to African Americans on behalf of the people of the United States, for the wrongs committed against them and their ancestors who suffered under slavery and Jim Crow; and
(4)expresses its commitment to rectify the lingering consequences of the misdeeds committed against African Americans under slavery and Jim Crow and to stop the occurrence of human rights violations in the future.
Clerk.
posted by libertarian at 06:25| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月20日

The economics of WW2

第2次大戦前の各国の一人当たりGDPの比較

posted by libertarian at 19:56| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月16日

USA must apologize to Japan

知らなかったがアメリカは過去の奴隷制に対する連邦政府からの正式謝罪を2009年に行っていたらしい。
こうなると当然に賠償の話になるが、数兆ドルの損害という計算があるらしい。
オバマは払わんと言ってるようだが。
やはり日本への原爆投下や都市部への無差別爆撃による民間人虐殺、1夜にして10万人を焼き殺した東京大空襲などもいつかは謝罪させないといけない。
あと50年もしたら、そういうことも可能なのかもしれないが、そんな先に謝罪されても意味がない。
それに50年もあとだと、下手するとシナに日本はやられて自治区になっている恐れもある。
そうならないことを祈るしかないが。

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2014年07月15日

The great war

第一次世界大戦、The great warの始まりが1914年で今年でちょうど100年になる。
感慨深いのは私が生まれたときは、まだそれからそんなに経っていなかったということだ。

この1900年代前半というのは、今とは全く違う世界だ。
アジアのほとんどは植民地であったし、イギリスなどはめちゃくちゃな残虐な植民地統治をしていた。
植民地主義は、まだまだ健在だったのである。
20世紀前半の最大の世界史的事件が、1905年の日露戦争の日本の勝利だったのは当然である。
アジアの植民地の人々も、日露戦争での大日本帝国の圧勝を知り、独立の気概を持ちえたのだった。

日本の指導層も当時はさまざまな人種差別に遭遇したのであろう。
大東亜戦争が始まる前までには、日本ではイギリスなどの植民地統治の悪辣さが熱心に研究されていたし、
植民地主義や人種差別の悪を告発する本も広く読まれていたらしい。
当時、日本で出版された植民地主義批判の本は、戦後GHQにより焚書の憂き目にあったものが多い。
これは西尾幹二氏のGHQ焚書図書シリーズに詳しい。

植民地解放の大義は、そういった背景の中で生まれたもので、大東亜戦争の大義だったのだ。
これを一切教えない日本の歴史教育は異常である。未だにGHQ史観を教えているのだから、救いがたい。

もっともこの当時は、日本はアメリカよりもイギリスを意識していたようだ。
それが海軍の暴走により、アメリカを引き込んでしまった。
当初は、日露戦争のような限定戦争をイギリス相手に想定していたようだ。
もしくは陸軍の北進論を選択していれば、ロシアスターリンもシナの毛沢東も存在してなかったろう。
これにはゾルゲなどのコミンテルンスパイの活動があったわけだが、もし日本が北進していれば
ソ連は敗れ、日本もナチスも勝っていただろう。シナ共産党の影も形もなかったろう。
そしてアメリカと戦争になることもなかったろう。





posted by libertarian at 19:48| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

Demonized coutries

歴史というのは、プロパガンダと事実からなっているわけだが、本来、歴史家というのは、プロパガンダと事実の区別を厳格につけなければいけない。
しかし、多くの場合、歴史家がプロパガンダをあおる傾向がある。
司馬遼太郎のような大衆小説家と、歴史家の区別がない状態だ。
日本も南京大虐殺だなんだと、ありもしないデマを執拗にプロパガンダされ、それを権威ある大学の歴史家も追認している状態では、ナチスドイツも同じことをやられているのだろうと最近思う。

ナチスを擁護するしないの以前に、事実とプロパガンダの区別がついてない状態で、デモナイズとデヒューマナイズが行われているわけだ。
ナチスが何をやったかに関しても、ほとんどの人はなにも知らないだろう。ナチスへのデモナイズは日本以上に徹底されている。
しかしアウシュビッツなどの猟奇的な話とは別に、ナチスが何をやったのか、正確な事実を知らないとはじまらない。
ヒットラーが政権をとったのは、1933年でルーズベルトが大統領になったのと同じ年だ。
その前に、1929年からの大恐慌があり、1928年にはスムートホーリー関税法がある。
さらにその前1914−1918年には第1次世界大戦がある。ナチスが政権をとる15年前だ。

ナチスが政権をとってから、1939年のヨーロッパ大戦の開始までの間に、ナチスがどのような経済政策をとったか、つまり、どうやって大恐慌から抜け出したのかとか、具体的なことを知らないことには何もいえない。
「ヒトラーの経済政策」(武田)という本を読むと、ここらのことが少し詳しめに書かれている。
国家社会主義党、略してナチスがこの間にやった政策は、今の日本がやっていることと同じようなことだ。
ナチスの方がはるかにうまく公明正大にやっていることも多々ある。
今の日本は、やはり実質的に国家社会主義の国だと思う。国家社会主義との違いは天皇制があることくらいではないのか。

ハイエクは、国家社会主義と共産主義を、ともに集散主義というくくりで論じたのであるが、国家社会主義は、私的所有権を認める。
そこがいわゆる共産主義、社会主義との、本質的な違いだ。日本でも私的所有権が認められているのと同じだ。
だから、集散主義というくくりで、国家社会主義と共産主義を同時に論じるのは、正しくない場合もあるだろう。
1930年当時から、ナチスは、ビーフステーキと呼ばれており、制服は茶色いが中身は赤い(共産主義)だと見抜かれていた。
だが、私的所有権を否定はしてなかったから、実業界は共産主義をけん制しつつ、むしろナチスを選んだ。
共産主義と連立されると危険だと考えたわけだ。

1933年に政権をとってから、ヒットラーはシャハトをリクルートして、経済運営を任せる。
シャハトは金本位制から脱却し、変動相場に切り替える。1940年には、ドイツ圏でのマルクへの通貨統合も行おうとする。
一方ヒットラーは、就任してすぐにアウトバーンなどの大規模公共事業に着手する。
同時に、大減税も行った。これは、財政政策の一種である。
この点、今の日本の政府よりもはるかに正しい経済政策を行ったといえる。
そして失業率を下げるためのきめの細かい政策を沢山打ち出す。例えば、公共事業のピンハネを禁止し、労働者へ事業費の5割近い額が流れるようにしたそうだ。これによって、公共投資の乗数効果が高まった。
その他にも、日本ではいまだに行っている集団検診制度や、健康運動、タバコ廃止運動、社会福祉の充実など、公共事業の福祉に対する投資を重点的に行っている。そしてそれらは、かなりうまくいって有効需要を作ったようだ。

結果的に、こういった経済運営を積極的に行ったからこそ、大恐慌からあっという間にドイツは脱却できた。
ドイツは、この第2次大戦前の6年の期間によって、急激な経済成長をなしとげ、平和的台頭を達成した。


posted by libertarian at 15:11| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

Definition of War

戦争論というのは、まず戦争の定義をしようとする。
クラウゼビッツにせよ、クレフェルトにせよ、その定義をしようとするわけだ。
戦争をいかに防ぐか、いかに勝つかという議論は二の次である。
しかし戦争が文化的行為であるとか定義しても、あまり意味を感じない。
だからなんなの?というところだ。
その定義から、戦争は必要不可欠であるとか、必要悪だといった結論になるのであろうか?

ミアシャイマーなどは、戦争の定義など問題にしない。
それがどこで発生するかを予想するのが、リアリズムの議論の中心だろう。
そこが、ミアシャイマーのオフェンシブ リアリズムの面白いところだ。

しかしクレフェルトが書いているとおり、兵士が命を懸けて行動するのは、究極の利他的な行為であるというのはその通りかもしれない。
だが、そういった利他行為は、戦っている双方にあるわけだ。一方にとって究極の利他行為が、もう一方の側からは究極の迷惑行為、残虐行為となる。
利他行為を美しいとかいって感動しているだけでは、そこらの熱血保守老人と変わらない。

私の考えでは、戦争は単に不合理な紛争解決策であり、政治的な野心や、情報の途絶や、プロパガンダによる歪曲によって、故意に起こされるものという理解だ。昔は貿易が大きな情報の交換手段でもあったから、貿易が途絶えれば情報も途絶えた。
現代は農業社会ではないから、土地というのは別に富の源泉ではない。
しかし、居場所という意味では重要だ。そういう点では生存権と絡む問題だ。
だが、経済的には昔ほど価値をもたない。

むしろ、戦争の合理性を、戦略家なる人は問題にすべきなのではないか。
多くの人にとって、戦争はなぜか起こるものであり、なかなか避けられないが、それは全く不合理な天災のようなものと感じるだろう。
だから、戦争の必然性を肯定するのであれば、むしろ戦争行為の合理性を証明したほうがよい。
戦争の定義なんてものは、所詮は俺様流の勝手な決めつけにすぎない。
いかにして、戦争行為を合理的と証明するかが腕の見せ所だろう。

ミアシャイマーは、ある意味経験的なルールとして戦争の発生をみているわけだ。
そこに、大義、イデオロギーといった主観的な価値判断はない。みるのはバランスオブパワーだけだ。
オフェンシブリアリズムの観点とは、起こるものは起こるという、強い経験則だけだ。

現代の大規模戦争、トータルウォー(総力戦)なるものは、国民国家の発生とともに起こったものだ。
歴史的には、ナポレオンが国民国家という制度とともに、国民軍という制度と、絶対戦争という概念をもたらした。
問題なのは、いわゆる広義の戦争ではなく、絶対戦争と総力戦だ。

それ以前の人類の戦争なるものは、これに比較すれば、小規模紛争にすぎないし、ギャング団の抗争とあまり変わらない。
ヨーロッパによるアジアや南米の虐殺はあまりに一方的な行為なので、戦争とすらいえないかもしれない。
明治の日本人が恐れたのは、こういった欧米による侵略と虐殺だろう。
そしてほぼその通りになってしまった。

私が思うに強者が弱者に対して起こす暴力といったシンプルな定義の方が、戦争の定義としてはよさげである。
弱者が強者に喧嘩を売るなんてことは稀である。喧嘩を売る人間がいて初めて争いがおこるのだ。
そして弱者が防衛しようとするから戦争になる。アジアやアフリカの人間は抵抗もできなかったから戦争にすらならなかった。
その証拠に、核をお互いにもつと、強者は喧嘩をふっかけられなくなる。

昔の紛争と現代の総力戦を同じ戦争という範疇で定義するのはおかしい。
文化人類学的な定義で、第2次大戦を論じるのは、飛躍した話でしかないのである。
戦略家たる者は、戦争を定義する前に、戦争の合理性を証明するべきである。

経済学などでは、カーネマンのように不合理な選択の必然性みたいなものを問題にしているが、戦争の必然性ももしかしたら、人間の不合理な選択の必然性に起因しているのかもしれない。
いずれにせよ、経済学同様に、戦略論は人間行動のインセンティブと戦争の合理性を問題にしなければいけない。

経済学的には、途方もない金と人命を費やして領土を奪うよりも、単に自由貿易をするのが合理的な解決策だ。
過去の大戦でどの国にとっても経済的にプラスだった戦争など存在しないだろう。
植民地経営は、圧倒的な搾取だから儲かるように見えるが、長期的には儲からない。自由貿易とは比較にならない愚かな選択だ。
植民地収奪が儲かるというのは、重商主義的錯覚にすぎない。

posted by libertarian at 12:35| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The masacre of Nanking ?

外国の歴史家、戦略家の本を読んでいると、日本軍による南京大虐殺を完全に信じている人が多いとわかる。
高名なところでは、ミアシャイマー、クレフェルト、ニアル ファーガソンなど。

南京大虐殺は、シナーアメリカの合作によるねつ造であるが、これが海外の歴史家にとっては、ゆるぎない事実として認識されているわけだ。
一般人以前に、歴史認識に関するオピニオンリーダーとなる学者がこれでは、どうしようもない。
日本で南京大虐殺は事実無根のプロパガンダだと主張する人たちは、まずは、こういった欧米の歴史家を説得しないといけないだろう。

基本的には彼らはそういった問題、日本の歴史や存在に関してあまり関心がないわけである。
だから一次資料を調べもせず、そこらのシナ人の書いたプロパガンダ本を信じて疑わない。
ファーガソンにいたっては、アイリスチャンのRape of Nankingを参考文献に挙げている。

しかし、歴史認識の間違いが、彼らの理論や主張にどのように影響を及ぼしているのだろうかはよくわからない。

科学とはちがって、こういった文系分野は、事実認識に極めてゆるい印象がある。


posted by libertarian at 08:38| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

Black box in history

私のように昭和生まれで50を過ぎた人間は、昭和初期の雰囲気をかろうじて理解できる最後に近い世代なのだろう。
私の祖父は日露戦争の年に生まれているし、父は大恐慌の頃に生まれた昭和一桁世代だ。
自分は戦後の日教組反日教育を受けさせられた世代である。もっとも私は学校の授業などまともに聞いたことがないが、読書からGHQ史観にかなり洗脳させられてきた。未だに歴史家は、GHQ史観で洗脳された人間ばかりなのだろう。

戦前のインテリは、世界史の中で日本を考えていたが、戦後はひきこもりになり、世界史のメカニズムはなにも見えなくなり、ひたすら内向きにオタッキーに自虐的なことを言い続けてきたのが、戦後の進歩的文化人というバカどもであった。
司馬遼太郎、その子分の半藤一利といった3流小説家が、いまだに結構人気があるようだ。もっとも司馬遼太郎の人気も権威も落ち気味なのだろうが。連中はGHQ史観の中で、えらそうなことを言っているだけで、いわゆる敗戦利得者といってもいい。
戦後の東大は、このGHQ史観、敗戦利得者史観、マルクス史観の牙城となり、いまだにそうであり続けいている。
東大を民営化するくらいのことをしないと、今後もこの東大の体質は変わらず、害毒を垂れ流し続けることになる。

柄谷のようなド左翼評論家の歴史観なるものも、所詮は司馬遼太郎程度のレベルだ。柄谷は司馬を絶賛していて、本は全部読んでいるといっていた。だから、柄谷はあれほどに何事に関してもでたらめなことをほざいてきたのである。

昭和初期を理解するのは、未だに大きな知的な課題だ。失われていた記憶が取り戻されて、記憶のピースがつながっていくような発見がある。
最近、西尾幹二氏のGHQ焚書図書開封というのを、読んでいる。GHQによって昭和初期の約8000冊の図書が焚書になったのを発掘し、紹介している本だが、非常に興味深い。1945−1952年までにGHQによって行われた徹底的な言論統制、社会改造こそが、一番意識されていない日本の失われた記憶の部分である。その期間のoccupied japanはブラックボックスとなっており、その間に戦前戦中の記録の抹消と改竄が組織的に行われている。

posted by libertarian at 13:23| 東京 🌁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月24日

History

日本語で歴史学というが、英語ではこれは単にhistoryとなる。
歴史学というが、これは学問ではない。単に歴史だ。
実際、歴史学なるものは、国家のある種のプロパガンダ部門といったほうが正確だと思う。

今現在にしても、世の現実というのは、経済、政治、法律、技術、また軍事、というものからなっていて、過去の世もそういったもので動いている。
だから過去の世を分析的に客観的にみようとしたら、経済学、法学、政治、国際関係論、科学技術、軍事学といったものの、専門的な知識が要求されることになる。だが、いわゆる歴史家というのは、このどれも全く何も知らないど素人の集団である。
東大の歴史学は酷いことで有名だが、彼らは一流の学者と世間的には観られているのかもしれないが、何年に何が起こったとか、誰がああいった、こう言ったといったことを、高校の教科書よりは詳しく知っている程度の連中だろう。
本当の学問的な専門性、経済学、法学、政治、国際関係論、科学技術、軍事学といったものはなにも知らない素人の集まりだ。
むしろ、経済史とか、技術史とか、なにかの専門性の上に立った歴史が必要なのだろう。そういったものの組み合わせから複合的に歴史がみえてくるかもしれない。

たちが悪いのは歴史家が、時の権力と結びついたプロパガンダをする存在だからである。
それでも普通は自国に有利なことをいうのが、歴史家というものの役割だが、日本の場合は反日的なデマを延々と言い続けているから異常だ。
これは今の日本の権力というのが、ある意味、日本の中にはないからなのかもしれない。それはアメリカやシナにあるということか。

posted by libertarian at 16:34| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

The villan churchill

チャーチルという人間は、ヒットラーやスターリン、FDルーズベルト以上の悪党であったようだ。
ということを、パトリックブキャナンが「不必要だった二つの大戦」という本で書いている。
ざっと読んだところ、確かにチャーチルの悪党ぶりは普通、あまり取り上がられないが、ルーズベルト以上に悪を世界にばらまいた人間だったことは事実のようだ。
実際、チャーチルは人格的にも問題があった。ルーズベルトにまさるとも劣らない人種差別主義者であり、ウェストファリア体制を破壊したのもアメリカよりもチャーチルが先だった。戦時指導者として、チャーチルは最悪の人間だった。
読んでいると、確かにヒトラー、スターリン以上の悪党のように見えてくる。

ブキャナンは、ブッシュJrがチャーチルの像をホワイトハウスにかざって、チャーチルを真似ている愚を憂えているわけだが、実際、ブッシュはチャーチルの真似をしていたようだ。
チャーチル家はイギリス貴族社会の中でも最高位の貴族らしいが、もとはといえば、海賊王の末裔であろう。
獰猛な人間ほど権力を得る歴史、伝統の中でチャーチルという悪党が育ったわけだ。




posted by libertarian at 18:24| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

Lost histories of The Empire of Japan

日本の近現代の歴史は圧倒的に情報が希薄だ。
特に明治維新以降、日本が大日本帝国であったころの歴史がすっぽりと失われているかんじだ。
肝心な近現代の歴史についての断絶がある。
少なくとも当時の記録情報が本来あるべきレベルからすれば、圧倒的に希薄だ。
これは、戦後のGHQによる徹底的な言論統制によって、実際に大量の焚書があったということがあり、その後も、日本の支配階級となった日本人の敗戦利得者達によって、意識的に当時の記録が排除され歪められてきたからだろう。
それら悪の大日本帝国の歴史など唾棄すべきものとして扱われてきたわけだ。
結果、日本人は日本の近現代の歴史について記憶喪失状態になってしまい、その頃のイメージすらほとんどもっていない。
だが、当時のイメージ、その頃日本人が何をどう考え行動していたかを客観的に知る事は大事だ。
翻って、1900年以降のアメリカの近現代史に関しては、日本人は映像的にも連続的にイメージできるだろう。
これは映画やドラマ、小説などで繰り返し見ているからということもあるが、そこに断絶がないからだ。
変化はあっても、アメリカはアメリカであり続けている。
日本は大日本帝国からただの日本国になる過程で、別の国になったとされ、歴史的に断絶させられているわけだ。
しかし、それならそれで、大日本帝国という国がどういう国だったかを知る必要があり、それはとても興味深い。

ところでイギリスも第二次大戦後、British EmpireからただのEngland、United kingdomになったわけだが、
植民地支配とEmpire、帝国という言葉が結びついていたため、日本も帝国とした分、植民地主義の帝国と同じイメージでみられた。本来、imperialismとは王制国家という意味だろう。それが帝国主義とされ、植民地支配主義と同一視された。
正しくは、大英帝国とはThe Empire of United colonials of British kingdomであった。
だが日本は欧米の植民地支配を真似ようとしたことはなかったことが重要である。日本は開国の当初から欧米の奴隷主義、人種差別に対し強い反感をもっていたからである。
アメリカは王を戴かない国、もしくは独立の時に王を捨て去ったイギリスの分家であるから、imperialではなかったが、拡張主義、奴隷主義、人種差別は強烈であった。アメリカはヨーロッパ、イギリスから離れた時、ギリシャ、ローマをその理想的原型とした。奴隷主義はギリシャローマ以来の伝統なのである。

実際は、日本人は帝国をKingdomという意味で使っていたのであろう。帝(みかど)を戴く国という意味での帝国だ。
だから、大日本帝国は、本来Empire of Japanではなく、Kingdom of Japanと訳した方がよかった。
大日本帝国も、大日本王国とした方がよかったと思う。
ただ日本人の意識上、帝と王では王は帝よりも格下だから、帝国という言葉にしたのだろう。
たとえば徳川は将軍王であったが、天皇は帝だ。
もし、日本が今後改名するのなら、実態に即して日本天皇国とするのが適切かもしれない。
江戸時代は、実際は連邦国家に近かったので、United states of Japanだった。それをKingdom of Japanの中央集権強化をしたのが明治維新(Meiji revolution)であった。維新というが、英語では単にrevolutionだ。
posted by libertarian at 06:53| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

Liberation of Colonized countries

大東亜戦争は、日本人にとってアジア解放の大義のある戦争であった。
これは事実であり、この事実を軽く見てはならない。この視点を欠いては、あの戦争を正しく見ることができない。
東京裁判史観で抹殺されたのは、この日本の大義である。

日本は、アジアのイギリス、オランダの軍隊をあっという間に負かした後、そこで、すぐに学校や病院などの公共施設を持ち出しで建設し、現地の人を教育し平等に扱った。あの戦争の最中でそのようなことをやったのは、どれだけ日本が本気でアジア解放の大義を信じていたかということの証明だ。
日本のアジア植民地の解放は、歴史の奇跡のような偉業であり、明治維新からの総決算ともよんでしかるべきものだ。

次のビデオは、映像もよく選ばれていて見応えがある。オススメだ。

posted by libertarian at 14:38| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

Castrated Japan

明治維新からの日本の歴史を3つに分けて、第3期が敗戦後からと見たとき、現代、つまり第3期の日本は去勢されているというべきかもしれない。第二期までの日本は、そのビジョンと野心、他に優越しようとする意識(右矢印1ヘーゲル)において実に雄々しい国民であった。
GHQが日本に施した社会工学的手術とは、去勢手術であった。
一旦去勢されてしまうともとに戻す事はできないから、このまま日本はずっと去勢国家であり続けるのであろうか。
国家が去勢され、社会が去勢され、男が去勢されるとどうなるのか?
病理的な社会になることは間違いない。そして長期的には維持発展も存続もできない社会になるだろう。

このことは経験的にもいえる。戦前、戦中世代の人間はアメリカに敗れたりとはいえども、完全に去勢されてはいなかった。
30年前はまだ世の中には脂ぎったおっさんで溢れていたものだ。
しかし、戦後世代で、戦後教育を受けた人間は去勢されており、人口バランスが後者が増えるに従い、日本社会の去勢度も上がって行った。

核ミサイルが男根の象徴であるという話は当たっているのかもしれない。

posted by libertarian at 12:19| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月16日

Social contract and Family

大東亜戦争は知れば知る程暗澹たる気持ちになる。
ミクロに見れば、特攻のようなものにもある種の合理性はある。だがマクロに見れば不合理極まりない。
特攻のミクロな合理性とは、無駄な死よりは戦果の高い戦死を選ぶといった意味での合理性だ。
犬死にする恐怖から解放される。そしてあの時は犬死のような戦死をする可能性が極めて高かった。
下世話な所では、特攻で死ねば二階級特進して恩給もあがって家族が助かる。
しかしミクロにいかに合理性があったとしても、マクロな合理性がない場合、最終的には不合理になる。
ミクロの合理性を積み重ねても、マクロの不合理を覆せない。
ミクロな一所懸命の合成が全体ではマイナスになるという悲しさだ。
そしてマクロな不合理を分かっている人は一部にいても、それを正す方法がない。

日本の金融政策の失敗による失われた20年を見ると、大東亜戦争のときと日本社会の体質がかわってないと思う。
個々の企業はミクロに合理的に行動するが、マクロな金融政策が間違っていれば、結局社会全体としては、うまくいかない。
おまけに誰もデフレの責任をとらないし、もし追求してものれんに腕押しだろう。責任の所在がないからだ。
この20年の金融政策の失政による金銭的損害は大東亜戦争のそれを上回るとされるのにである。

日本の場合、社会契約といった法概念が欠如している。それは戦前も戦後も同様だろう。
戦前、国民は天皇の臣民であって、これは対等な契約関係ではなく、絶対的な服従関係、もしくは親子の関係に近いものだったのではないか。天皇は日本家族の家父長というイメージだ。
近代国家では、国と国民の関係は、服従関係ではなく社会契約と見做される。
宗教的な関係、神と人の関係は服従関係かもしれないが、国は神ではないから、契約関係になる。
日本の場合は、国体とは天皇のことだから、国と個人の間に社会契約はない。
このことは、国家指導層にあった国家社会主義といった付け刃的思想より、もっと深い所にある原因のような気がする。
社会主義では、公益=国家利益のようなのが上位概念で、個は公益に殉ずべしといった考えだろう。
これに近い発想は日本にもあった。
公益というものを個人の権利より圧倒的な上位におくのは、公益は契約概念から外れているからだ。
ものの値段は売り手と買い手の間の売買契約で決まるが、社会主義ではものの値段が契約では決まらない。
所有権なき交換だから、それは国家指導者、官僚が適当に決める。
人間の命の値段もそこではいくらでも暴落するのだ。
日本の馬鹿な自称保守連中は公益という言葉が大好きだが、リバタリアニズムは公益という概念そのものを否定する。
なぜなら、そんなものはどこにも存在しないからである。

契約概念の希薄さというのは、日本の会社には未だに強い。
会社に勤めるとは、会社との契約ではなく、ファミリーに入る感覚だ。
国と国民の関係もファミリーの関係にある。
これは未だに日本社会の本質のように思われる。
契約関係は、責任や義務といったものが双方に生まれるが、日本社会は本質的に契約関係ではないから、責任がない。
ファミリーの内部の上下関係だけで動いているわけだ。

ファミリーの問題となると、責任の追及を裁判所でやるという発想もない。政府の責任に対しては、アメリカは裁判で問題にする。日本は政府責任を裁判で訴える事などほとんどないし、その発想がない。次の選挙まで我慢するしかないと思っているわけだ。
日本は法意識という点では前近代的な段階にまだあるようなかんじだ。

posted by libertarian at 01:10| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

Old War Movies

古い日本の戦争映画から大東亜戦争を学ぶのはなかなかよい。
本だけでは、その時代のイメージが掴めない。
1950年代−60年代の映画は、特撮は円谷英二監督の模型で今のCGを駆使したものに比較すればかなりちゃちではあるが、それでも十分である。
この時の若い映画スターの多くは亡くなっているので、感慨ひとしおだ。

丸山誠治監督の映画など娯楽性の点でも非常にレベルが高い。正直、昨今のハリウッド映画より遥かに面白い。
「太平洋奇跡の作戦キスカ」などは傑作だ。あの悲惨で救いのない戦争で、このような実話があったとは奇跡のような話だ。
これは今の技術でリメイクしても売れるのではないか。
だが、この頃の戦争映画はツタヤには置いてないのが多い。反日団体からクレームなど、なんらかのプレスコードがあるのだろう。ツタヤに置いてない映画はアマゾンで扱っている事もあるが値段が高い。
しかし「永遠の0」の映画化も大ヒットしたことだし、大東亜戦争を脱東京裁判史観で、まともに扱う映画がもっと作られるとよいと思う。

先日、横須賀に保存されている東郷平八郎の旗艦三笠も見てきたが、イメージしていたよりも大きな戦艦だった。
内部は貴重な資料が展示してあるので見応えがある。
大和は長さでこの2倍、排水量で4−5倍あったから、どれほど巨大な戦艦であったかがイメージできる。日露戦争当時の戦艦はほとんどがイギリス製だ。

日露戦争といえば、高橋是清だが、是清の自伝も非常に面白い。
高橋是清はアメリカ人ユダヤ財閥のシフから18億円もの戦費を調達したが、当時の日本の年間国家予算が2.3億円だったから、その8倍もの戦費を獲得した。日露戦争では、日本のバックにイギリス、アメリカがつくが、日露戦争とは、結局のところユダヤを迫害する帝政ロシアと、ユダヤを支援する英米との代理戦争という色彩が強い。
ちなみに、シフは全米ユダヤ人協会会長にしてハリマンの仲間だった。ユダヤ社会が、帝政ロシアと戦う日本を全力でバックアップしたのであった。

日本は日露戦争に辛勝するが、その終戦処理を誤る。支援側のハリマンとの満州鉄道共同経営などを小村寿太郎が潰してしまい、バックアップしてくれた英米を排除してしまった。その結果、アメリカの恨みを買う事となった。日露戦争後、アメリカでは日本人移民の排斥が急速に加熱し、1924年には連邦法で排日移民法が成立してしまう。全く異常としかいいようがない。
すでにこの時点で日米の関係は急速に険悪なものになっていた。

アメリカ側の視点で太平洋戦争を描いたのがThe Pacificというシリーズドラマがあるが、こちらは最新の映像技術で超リアルに太平洋戦争を追体験させるようなものになっている。しかし映像をリアルにするほど残酷になるだけでドラマ性は薄まってくる。

posted by libertarian at 08:43| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月01日

The Russo-Japanese War

最近、1950年代、60年代の日本映画を見るが、非常に面白い。
まさに日本映画の全盛時代だけある。
木下惠介の「喜びも悲しみも幾歳月」などは、支那事変あたり、1930年代からの時代背景が描かれていて、時代考証的にも興味深い。50年代の映画(1957)だから、その時の空気を再現することができた。もはや今の日本は風景、風物、人間もその時とは大きく変わってしまっている。

日露戦争の「日本海大海戦」も面白い。
東郷平八郎役が三船敏郎だが、三船と東郷はよく似ているし、適役だ。
東郷平八郎は小柄だがハンサムな人物だった。

日露戦争は第0次世界大戦と言われる、当時の世界史上、最大の戦争であった。
非当事者の国から観戦武官が多く参加しているため、正確な記録が残されている。
もし、この戦争に負けていれば、その時点で、日本はロシアの植民地となり、完全に終了していた。
しかし世界の大方の予想に反し、バルチック艦隊に対し空前の大勝利を納める。
下瀬火薬の発明、秋山好古の騎馬戦法の変革など、技術的にも多くのイノベーションを取り入れての勝利であった。
映画を見て知ったが、東郷は、日本の北海道から沖縄までの全海岸線に300以上の観測所を造り、バルチック艦隊がどちらから来るかを見張っていた。

バルチック艦隊との決戦は日本の生死を分ける決戦だったことすら知らない人間が多い。
だからZ旗を掲げたのである。大東亜戦争では、出撃の度にZ旗を出していたそうだが。w
大東亜戦争では、愚かにも日露戦争の真似をしようとしすぎたのも敗因だった。

この東郷平八郎の日本海決戦を日本では学校でほとんど教えないのが、今の日本を象徴している。
日本の歴史には英雄もいなければ誇るべきことも何もないと暗に教えているのだからどうしようもない。
これは世界史上でも超重要な大決戦であり、明治維新からの日本史の頂点にたつ事件であった。
今は日本人よりも、外人の方が日露戦争のことは詳しいかもしれない。

陸の大山、海の東郷といわれるが、東郷も大山巌も薩摩の人間だ。
日本の近現代史のよい部分は、ほとんどが薩摩人が担っているといっても過言ではない。
私も薩摩の人間だが、ほんとに近現代史は薩摩の人間が大活躍するので楽しい。

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2014年04月19日

Navy and Army

大東亜戦争の敗因、自滅の原因は、帝国憲法の統帥権干犯の欠点により、責任体制が曖昧になったからという説がある。
陸軍と海軍は徹底的に反目し、これらを指揮する権力がどこにもなかった。
それにより、頭から腐り、どこにも責任のない、指導層の責任が一切問われない体制となった。

日露戦争までは、維新の英雄達が健在で、総理はなかったが、元老院がありこれが総理大臣のような役割をもっていた。
軍も薩長の軍功のある軍人が仕切っており、学歴エリートということで重用されることはなかった。
陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥だった。

日露戦争後、薩長に対する反目から、軍隊は学歴エリートを重用する方針にかわる。元老院も西園寺公望だけになっていた。
軍隊の学歴官僚化である。
そして陸軍はドイツにならい、海軍はイギリスにならった。

海軍は陸軍と反目し、ドイツを嫌った。これが大東亜戦争時の海軍の行動に影響する。

posted by libertarian at 12:32| 東京 🌁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする