2017年09月21日

チャイナと北は国家ではない

チャイナと北を国家と呼ぶのは大きな間違いだ。
チャイナが国連常任理事国というトンデモな地位を持っているのがそもそも狂気の沙汰である。
やはり、国連は今世紀中には解体されるべきであり、新たな国際組織が必要になるだろう。
チャイナとは中共という世界最大最悪のギャング組織が支配している地帯にすぎない。

北の地獄のような残虐な実態は脱北者などの証言などから徐々に知られきてはいるが、チャイナはその兄貴分のような存在であり、チャイナの残虐、無法ぶりは情報が隠蔽されているだけで、チャイナの実態は北に輪をかけて酷いものであることは間違いない。

そもそもチャイナは一応憲法らしきものはあるが、中共はその憲法の上にある存在である。そして、人民解放軍は中共=ギャング団の私的軍隊という位置づけだ。中共が憲法の上位にあるということは、中共は一切の法を超越した存在であり、無法の存在だということである。そして、その無法の組織が所有する無法のならず者軍隊が人民解放軍なのだ。
チャイナとは中共という地球上で最凶にして最大最悪のギャング団が支配する無法地帯にすぎないのである。

こういう当たり前の認識がなかったから、日本の企業は大前研一のような愚かなコンサルタントの甘言にだまされてホイホイとチャイナに進出してしまったのであろう。
日銀の罪も大きいが、私はこの大前研一の罪も馬鹿にならないと見ている。
大前研一は、自分でも自慢して書いているがチャイナの接待攻勢に簡単に籠絡されてしまったのだ。
大前研一のような人間は、ある程度カネも名声もあるわけだが、こういう人間を落とすのは自尊心をくすぐれば簡単だとチャイナに見透かされていたのであろう。w

当時、大前研一の書いたチャイナ礼賛本はほんとに酷かったし、酷い結末、甚大な被害をもたらした。これはあと数年でもっと酷いことになる。
このような経済も法律も歴史もなにも分からない口先三寸のコンサルタントなるものを信じた企業がバカをみたわけだ。
こうしてみると、やはり理系的に合理的に考えられるだけではダメだということだ。実際、大前研一は起業家としてはビジネススクールみたいのを作ったが大した成功もしてないだろう。w
大前研一はもう完全に終わっていると思っていたが、まだ大前信者がいるらしくて驚きだ。そういう人間はまたバカをみることになる。
かくいう私も昔20年くらい前までは、大前研一のファンであった。ww
つまりは、今よりも、若くて無知でバカだったのである。ww

大前研一の責任問題は置いておくとしても、問題は東アジアは極めて危ない状態にあるということだ。
今の東アジアには、チャイナという巨大ギャング組織と、北というチャイナの鉄砲玉のようなギャング組織と、南というチャイナに擦り寄る卑しい緩衝地帯と、ロシアという共産主義は一応は捨てたものの、軍事的プレゼンスだけは大きい貧乏で真人間にはなってない元ギャングと、台湾という国連にも入れてもらえない島と、日本という軍隊も持てない50%緩衝地帯と成り果てた島からなる地帯だということだ。
つまり、この広大な東アジア一帯にはまともな「国家意志」を持った国が存在しないということなのである。

そして、この地帯をチャイナというギャング団が全てを牛耳ろうとして動き始めた。これはギャング団の意志であり国家の意志ではない。これを阻止できるのは、今のところアメリカの国家意志しかないのが悲しい現実だ。

アメリカもバカでなければ、戦後政策を180℃転換し、日本に国軍を正式にもたせ、アメリカの軍事パートナーとなるマトモな同盟国として扱うべきなのだ。
つまり日本を国家意志をもつまともな国家として復活させるしかない。

ピーターナバロが指摘しているように、アメリカだけでこの地帯を守ることはかなり無理がある。1万キロの距離の過酷さもある。アメリカは日本を自国の強い軍事的パートナーとして復活させるべきなのである。
それしかチャイナ共産党の東アジア全域のリージョナルヘゲモニー獲得の野望を阻止する方法はない。アメリカだけではダメなのだ。
どんな屁理屈をつけても、自衛隊は法律上は警察隊にすぎず軍隊ではないから、今の日本はアメリカの軍事パートナーにはなりえない。

ついでというわけではないが、これは台湾に対しても同様だ。台湾も日本と同様の非国家とされてきた。しかし、台湾も対チャイナの防波堤として、アメリカの軍事パートナーに育てなければならない。
さらに言えば台湾は日本の連合国となるのもいいだろう。つまりは元の鞘に収まるのだ。
そうなれば、日本と台湾がアメリカにとって強靭な対チャイナの防波堤となる。
そのような体制を築いた暁には、チャイナ中共という世界最凶にして最大最悪の組織を叩き潰す土台ができるだろう。


posted by libertarian at 22:26| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

日本は緩衝地帯であり国家ではない

朝鮮半島は歴史的にずっと緩衝地帯であり現在もそうだが、日本はそうではない。しかし日本も対米戦争の敗戦後は70年以上、緩衝地帯にされてきた。日本は対ソ連に対する緩衝地帯だったのだ。
そして、現在は対チャイナの緩衝地帯となりつつある。海で隔絶されているおかげで100%緩衝地帯とまではいかなかったろうが、50%緩衝地帯くらいには没落したのである。
だから、朝鮮半島をただの緩衝地帯だと嗤っているのは目くそ鼻くそになってしまうだろう。w

そして緩衝地帯に住んでいる人々には自分らが緩衝地帯の住民という認識がほとんどない。そして緩衝地帯では国家の非国家化が進む。つまりそこに住んでいる人間は普通の国だと思っているが、世界情勢的にみると実は緩衝地帯は国家とは言えない非常に中途半端な「地帯」にすぎないのである。w

とはいえ、現在2017年は皇紀2677年であり、アメリカに敗戦するまでの日本は緩衝地帯では全くなかった。実際、日露戦争、第1次世界大戦を経て日本は世界に冠たる大日本帝国となり、おどろくほど広大な領土を持っていた。

今の日本人は人間がどんどん小粒になっているが、これは日本が大国からなさけない緩衝地帯に没落してしまったからである。それでも、日本は技術や科学、文化の面で世界最先進国の一つであることに変わりなかったから、戦後急速な経済復興を成し遂げたが、軍隊も持てない非国家の道、緩衝地帯化の道を進んできた。

今の日本は緩衝地帯にすぎないという厳しい認識を持つことが必要だろう。それは国家のようでいて実際は国家の条件たる軍隊すらもない(自衛隊は警察隊だw)非国家なのだ。
posted by libertarian at 10:24| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一神教の戦争

ビスマルクの活躍した19世紀ヨーロッパは、まだ共産主義独裁国家はなかったので、当時のパワーバランスは似たようないわゆる主権国家間の純粋な軍事パワーバランスのことだった。国家には大国も小国も入り混じっているので、同盟関係によって勢力バランスをとるという合理的なものだ。

これが20世紀になると、共産主義という一神教的、キリスト教の異端思想のような考えが生まれ、そういった異常な体制とのパワーバランスが問題となる。つまり、ウェストファリア体制以前の宗教戦争のような状況が新たに生まれる。
一神教とは世界宗教であり、世界をその一神教で塗りつぶそうとする。キリスト教と同じく共産主義は世界を共産主義で塗りつぶそうとする。キリスト教とイスラム教は世界2大一神教で、それに共産主義が付け加わって3大一神教か。しかし、20世紀以降、共産主義はイスラム教との親和性が高かった。イスラム圏の地域は国という体裁を作るにあたって共産主義を取り入れてきたのだ。
これはイスラムだけだと原理的に近代的な国家の体裁が成立しないので、同じく一神教的な共産主義を取り入れて体裁を繕ってきたわけだ。アフリカにもイスラムの国家は多く、それらの多くが共産主義を取り入れてきた。そして、共産化の必然的な結果として恐るべき独裁と腐敗と国内の粛清虐殺が起こったというのが20世紀だったと思う。
これを単に後進国と共産主義との親和性が高いと見るのでなく、イスラム系の後進国と共産主義の親和性と見たほうがいいかもしれない。とはいえ、キリスト教との親和性も共産主義は高いのも事実。w

しかしチャイナの場合はイスラムでもキリスト教でもないし、今のチャイナは共産主義といっても異質だ。チャイナはイデオロギー的なものを単なる独裁のための教義として使っているだけだろう。だから、ケ小平の共産主義を捨てるかのようにみえた路線変更などがスムーズにできた。そしてそれに西側諸国はだまされてしまった。
チャイナは単に自分らの独裁体制が維持できればイデオロギーそのものにはこだわりがないわけだ。w
これはアジア的というのか、日本共産党も全く同様だろう。w

21世紀の現代は、ウェストファリア体制以前の一神教戦争に近い状況がまだ残っている。それは共産主義、社会主義がもたらした状況といえるだろう。
posted by libertarian at 07:16| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

シンプルな旅行道具

コンピューターやらガジェットに囲まれた生活をしていると、つまらんことに時間がとられるようになり、本来の生活のシンプルさが失われてしまう。
こういう時に旅行や冒険ものを読むと気持ちがリセットされてよい。旅や冒険の道具に必要なものは、シンプルで頑丈で応用が利くものである。電気仕掛けのものは必要最小限となる。

とはいえ、無人島や山奥にでも行くのでなければガジェットはやはり必要だ。スマホ、PC、モバイルバッテリー、デジカメといったものが必要になる。
PCを1週間くらいの旅行に持っていくとき問題なのは充電器だ。これが意外と嵩張り重いことが多い。
その点、レノボのYOGABookだとモバイルバッテリーから充電できるので荷物を節約できる。旅行にはこれが便利だ。スマホはテザリング用に必要だ。
カメラも沢山持っているが旅行に行くときは1台に絞る必要がある。簡単なスナップなら今はスマホのカメラでも十分だが、高品質な写真にこだわりがあるので、それだけでは不足である。
私は通常、SigmaのDP2Merrillを持っていく。これは交換レンズ式ではなく50mmレンズ固定なので、交換レンズに何を持っていくか迷うこともない。写りは未だに最高だ。
EOS5Dmark2とかも持っているが結局のところ重すぎて旅行には不向きである。

あと、食器は必ず持って行った方がいい。箸、フォーク、ナイフ、カップの類だ。フォーク、ナイフは旅先のスーパーでも買えるが軽量なので持っていた方が安心。スキットルのような携帯容器もあると便利だ。酒をいれたり、山に行くときは燃料も入れられる。水のペットボトルのクラッシャブル容器もつぶして持っていくと便利。
都会であっても、お守りにエスビットの携帯固形コンロもあるといい。あと、小型LEDライトもお守りに持っていく。

意外と少なくできるのは衣類だ。下着はユニクロの薄手のものが軽量で高性能、かつ安い。
服装ではポケットの沢山あるベストがいい。

あとは、ノートと筆記具。旅先での記録はアナログに限る。欠点はなくしやすいことか。ある程度たまったら、デジカメで撮ってメールで自分あてに送っておくと安心だ。

今は便利な世の中になったので、旅行でも高性能で軽量なガジェットを持っていけるが、結局、それらを持っていくと旅行が日常の延長になってしまうのである。w


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2017年09月03日

二百三高地

日露戦争といえば、二百三高地と日本海決戦だが、二百三高地は司馬遼太郎のフィクションによってかなり認識が歪められていると思われる。
少しネットを調べてみたが、Wikiは、なかなか簡潔に重要なことが纏められている。
日露戦争は、前哨戦として黄海海戦が1904/8/10にあり、この時も東郷平八郎の元でロシアの旅順艦隊に大打撃を与えた。

二百三高地の攻略戦は旅順攻囲戦の一つであり、旅順攻囲戦は第1回ー第3回総攻撃の第3回総攻撃にあたる。総攻撃の、それぞれ戦闘日数は4−6日程度だ。
旅順攻囲戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E5%9B%B2%E6%88%A6
二百三高地
https://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C%B0

戦闘目的は、旅順港にある旅順艦隊を殲滅するための観測点(高台)を得ることだった。
しかし、乃木大将は、この作戦を以下の理由で無駄であるとして出撃を拒否していたが、結局、御前会議で決まったことだとする圧力に屈して出撃した。

(Wikiより)
これに対し大山や児玉、現地軍である第3軍司令官の乃木希典らは
1.すでに大孤山からの観測砲撃や黄海海戦で旅順艦隊は壊滅しており、観測点など必要としない。
2.艦隊を殲滅しても要塞守備隊は降伏せず、降伏しない限り第3軍は北上することはできない。そのためには、要塞正面への攻撃による消耗戦しかない[1]。
3.東北方面にある「望台」の方が、要塞も艦隊も一望でき、重要性が高い。


実際、旅順艦隊は黄海海戦で戦闘不能状態に陥っていて、旅順艦隊はすでに全て自沈されていたことが後で分かる。
つまり、大山、児玉、乃木の主張の通りだったのである。
無駄とわかっている戦闘作戦でも役所の形式主義でやらされたというのが悲劇的なところであった。

小説を読むよりも、当時の地図をよく見ることが重要だ。以下の地図は当時の旅順だがgooglemapを見ると今は大規模に埋め立てられているところがある。

Map_of_the_Encirclement_of_Port_Arthur.jpg
posted by libertarian at 14:45| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

コミンテルンのスパイとMITM攻撃

コミンテルンが、戦前から日本でもアメリカでも政権中枢に入り込み、深刻な謀略を行っていたのは事実であるが、このように政府インサイダーにスパイが入り込むと防御ができなくなるのは、同一のコンピューターネットワーク(ドメイン)に侵入されるとセキュリティが破綻してしまうのと同じである。ドメインのネットワークは基本的に信頼関係がなければ成立しないのだ。

スパイとはテロリストと同じである。日本が近衛文麿の周囲に尾崎秀実のようなコミンテルンの工作員がうようよしていた結果、対米戦争へと誘導されたわけであり、爆弾テロなどとは比較にならない深刻な被害をもたらした。
#ココらへんの事実関係は、江崎道郎氏の著書にくわしい。
またスパイによる攻撃は非対称的な攻撃でもあり、独裁組織が民主主義の権力中枢にスパイを送り込むことは、民主主義の国がスパイを独裁政権の中に送り込むよりずっと容易だ。

日本では蓮舫の国籍問題は依然としてうやむやにされているが、蓮舫がチャイナのスパイだろうことは露骨に明らかだと思う。にもかかわらず蓮舫が逮捕されないのは、日本にセキュリティ体制が存在しないことを物語っている。本来、国会議員になろうとする人間に対しては立候補に際して厳しい個人情報開示を要件とすべきなのである。

現実問題として、今の日本は権力中枢にチャイナのスパイはかなり多く入り込んでいるのであろう。
今の状況が近衛内閣の時代よりましとは思えない。むしろ、もっとずっと酷い状況に違いない。
日本のメディアを支配している電通の役員には朝鮮人が多く入り込んでいる結果、今のメディアも反安倍で露骨に動いているわけだ。これもソフトなテロであり、テロはテロだ。
posted by libertarian at 23:30| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

民主主義と攻撃的セキュリティ

日本がコミンテルンの謀略によって、対米戦争に突き進んでいったという説は正しいと私は思う。アメリカもコミンテルンの謀略によって政治を大きくミスリードされてきた。
コミンテルンの謀略のような非対称的なテロ的な活動は、わずかなコストによって甚大な被害を世界にもたらしてきた。
これは、なぜかというに、デモクラシーにセキュリティが埋め込まれていないからだろう。つまり、デモクラシーといったオープンな制度は初期のインターネット同様にオープンで自由であることを理想としているがために、セキュリティのような性悪説的な仕組みが織り込まれていないのだと思う。デモクラシーは民主政体といった制度だが、その具体的な内容は選挙制度がベースとなる。

ちなみに法治主義、法の支配とデモクラシーは同じではない。法の支配が上位概念であり、民主制度というのは明らかにすっと下位の意味合いしかない。
おそらく「法の支配」の理想的な意味では、法とは自然法のことだが、それが拡大されて人間の決めた単なるルール(人定法)としての法も含むようになった。そうやって法の意味が拡大されるにつれて、民主制度=デモクラシーの価値も拡大的に解釈されてきたのだろうと思われる。だが、デモクラシーの基盤となる選挙制度は様々あり、どの選挙制度も深刻な問題を持っている。

話がそれたが、今のインターネットは後付の暗号システムによってなんとか成り立っているわけだが、デモクラシーにも後付的なセキュリティシステムがあるのかと考えるに、おそらくそれはない。
セキュリティがないがゆえに先進国のデモクラシーに対する、後進国のコミンテルン、中共といった悪党集団の付け入るスキが沢山あるのである。
それでも正義が最後は勝つとは残念ながら言えないのだ。実際、これだけ甚大な被害を被ってきて今もそうなのであるから、正義が勝ったとは全く言えない。これは明らかにセキュリティシステムを内在しないデモクラシーのもつ制度的な欠陥である。

思うにセキュリティを広く解釈すれば、免疫システムもそうだし、そういった複雑なシステムは間違いなく後付のものである。しかし、その後付のシステムがサバイバルを分けるのだと思う。必要とされるセキュリティシステムとは、Offensive securityだ。
アメリカを見ればわかるように攻撃は最大の防御なりということで、Offensive Security、攻撃的防御システムがアメリカのセキュリティの基本だ。最初に攻撃する必要はなくても、OffensiveSecurity、攻撃的セキュリティシステムを持つ必要がある。危険は小さい芽のうちに摘んでおくという原則だ。
しかし、アメリカであっても国内政治はオープンでフリーが原則であるためにそこに食い込まれてしまっているわけだ。
選挙で大半が社会主義支持者が選ばれれば、無血革命で社会主義者は勝利するが、それもすぐには難しいので教育、メディアという制度を乗っ取りにかかってきたのが戦後の共産主義ー社会主義陣営の一貫とした戦略だろう。そして、それは物凄い成果を着実にあげている。


posted by libertarian at 21:18| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

日本の軍事力

「日本の軍事力」(中村秀樹著)を読んだ。
これは日本の自衛隊の現状を内部告発した本だが、思った通りと言うか日本の防衛省ー自衛隊はかなりメタメタな状態のようだ。もし有事となれば、日本の自衛隊は全く機能しない。映画のゴジラで官邸の混乱が描かれているが、実際はもっとヒドイことになるだろう。
やはり自衛隊は軍隊として正式に法的な枠組みの中で位置づけない限り、日本の軍事力は0と言わざるをえない。今の自衛隊は法的には警察権力の延長であるから軍隊ではない。日本に正式の軍隊がないということは軍事力が0ということであり、日本の軍事力が0だということは、防衛力も0だということだ。専守防衛というのは幻想で、軍隊がなければ防衛など不可能である。

日米同盟は矛と盾の関係といわれるが、自衛隊が盾として機能できるかはかなり怪しい。
もし、チャイナが本格的に侵攻してきたら、あっというまに終わりだろう。
9条問題も泥沼だが、もはや日本はどうにもならない状態になっているようだ。
軍隊を法的にきちんと位置づけない限り何も始まらないが、9条問題をクリアするのは現状どうしようもない状態に思われる。安倍首相が加憲案をだして以来、チャイナや朝鮮の手先と化しているメディアが安倍おろしの総攻撃を違法にも仕掛けてきているということもある。

この本の内容とは離れるが、北の問題も深刻だ。藤井厳喜氏の予測だとアメリカは北への攻撃はしないということだ。
なぜなら、アメリカの本当の敵はチャイナであり、北への攻撃はチャイナを利することになる。アメリカのリベラルメディアが今は戦争を煽っているが、トランプ政権は北を相手にしないだろうということのようだ。
予測は予測であるから、どうなるかは分からないが、もし北の核を放置するとなると、どうなるのかが問題だ。
完全に放置しておけば、実質的に朝鮮半島は北に併合され、日本が100%干渉地帯になるという流れになるだろう。
緩衝地帯は、いわば非国家であるから、早晩、チャイナと北に侵略され占領されるだろう。
日本は軍隊をもたないのであるから、実際問題、戦後一貫して非国家だったのかもしれない。
それが、またどうしようもない段階に来てしまっているというのが現実だ。

あるべき姿としては、当然ながら憲法9条を削除し、軍隊を法的にきちんと位置づけ軍法を作り、核武装をしなければいけない。また原子力潜水艦をもち核反撃能力をもち、武力均衡を図らなければならない。仮に台湾がチャイナに併合される事態になれば、最低限、そのくらいしなければ防衛は不可能であろう。
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2017年07月09日

地図と地政学

最近はタイトルに地政学とついた本が多く出ているが、地政学に興味があるなら、地図にこだわるべきである。
メルカトル図法の地図が標準になっているが、これは悪しき慣習に過ぎない。
基本的に世界地図は、正積方位図法か正距方位図法で見るのがいい。

昔はこんな地図は作るのが難しかったが、コンピューター時代の現代では容易にできる。
どこを起点にしても正積方位図法や正距方位図法が見れる。

どこでも方位図法
http://maps.ontarget.cc/azmap/

正距方位図法.PNG

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2017年07月02日

東京砂漠

前川清と渡辺香津美の共演による「東京砂漠」



昭和は遠くなりにけりだが、今聴くと新鮮でかつ深みを感じる。
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2017年07月01日

教育から学習へというコペルニクス的転回

前から書いているように、教育とは強制であり、一方の学習は自発的な行為である。
そして自由な社会では、強制はミニマムに制限されなければならない。
英語でeducationには、teaching,training,coachingといった強制的な面が色濃く有る。
そして学習は、learningで、自発的なものだ。
つまり欧米では、教育とは犬の調教のようなイメージで捉えられていることが伺える。
さらに言えば、教育制度とは欧米の数千年の歴史がある奴隷制度の延長なのである。
日本も明治以降、欧米の教育という強制制度を取り入れてきたから、同じようなものだ。
しかし、江戸時代の寺子屋はそうではなかった。それは完全に自由な学習機関であった。
もちろん、テニスのプロがコーチを高給で雇うように、自発的にコーチングやトレーニングを依頼するのは問題ではない。

今の日本の文科省に支配され、さらに日教組が寄生して間接支配する強制制度にすぎない教育システムとは、アメリカのシステムを真似たものだろう。それはヨーロッパのシステムがベースになっている。

そして、アメリカも日本も奴隷養成システムと化した教育機関は、カルト的洗脳機関となっており、リベラル、社会主義、共産主義、全体主義の再生産装置となっている。
社会の再生産システムが、このようなカルトによって支配されているために、自由主義 対 {社会主義、全体主義、集産主義}という構図はエンドレスゲームとなっている状況だ。

この枠組を打ち破るためには、e-Learningが有効だろう。自由市場ではe-Teachingなど有り得ないのだ。
学習とは、どの車を買うか、どの服を買うかと同様の個人の趣味や価値観の問題だからである。
posted by libertarian at 00:45| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

標準規格の意味

キーボードのJIS規格について書いたが、なぜこのような標準規格があるのかと考えるに、これはおそらく特許制度の負の面を補償する意味があるのであろう。
例えば、ネジの形状でも特許によって大手に囲い込まれると、それを他社は真似することができないので、様々な仕様や規格が乱立せざるを得なくなる。
そうなると、いろいろと不便であるので、公的部門が特許フリーの標準規格を作って、さらに規格を広めるためのインセンティブも与えるというわけだろう。

ソフトウェア特許がどうなっているのか知らないが、あまり聞かないことを考えると、おそらくソフトウェア特許はかなり審査に通るのが難しいのであろう。これなんかは数学の定理が特許にならないのと同じだろうという議論が最初からあり、実際あまり特許によるプログラム保護はされていない。ただし、プログラムにも著作権があるということになっている。

私が思うにキーボードは物理的なモノだが、その本質はソフトに近く、様々な仕様が乱立することを恐れる必要はないものだろうということだ。たしかに、キーボードの配列が各社でバラバラだと困るだろうと考えるのは自然だが、配列を自分で決めて自由に変更できる機能があれば、別に全く困らないのである。
そして、それはソフトによって容易に実現できるので、規格化する必要がないというわけだ。
posted by libertarian at 00:11| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

ベトナム戦争

ベトナム戦争は私の子供の頃にあった。ベトナム戦争は1963年のアメリカ参戦から1972年のアメリカ撤退まででも約10年も続いた戦争であり、子供のころのニュースはベトナム戦争にあふれていた。当時、ベトナム戦争の状況は連日テレビや新聞で詳細に報道されていたが、私には全く何をやっているのか理解できなかった。学校の教師に聞いたこともあったが、教師も何も理解していなかった。
小学生の私が質問したのは1点で「つまるところ何で戦争しているのか?」という素朴な疑問であったが、教師はそれを理解してなかったようで、納得いく回答はなかった。
そのうち、ベトナム戦争は終わり、世の中はヒッピーやロック全盛期であったが、戦争は悪いものだという反戦、厭戦気分だけはなんとなく自分も共有していた。だが、ベトナム戦争とは何だったのかはその後も謎のままだった。
このなにがなんだか全くわからん状況はおそらく子供だけでなく老若男女の日本人のほぼ全員に共通していたものだろう。報道する側も、それを読む側も何も分からなかったし、今も分かっていないわけだ。
カンボジアにしても同様である。

しかし、ベトナム戦争の意味を今の段階で、ちゃんと理解しておくことは大事なことだろう。
ベトナム戦争は、アメリカが参戦する前から、大東亜戦争の後に連なっておきた民族独立戦争から続いた戦争であり、日本もこれに大きく関係している。
ベトナム戦争は、アメリカ参戦から考えては、わからないわけだ。
アメリカは、ホーチミン政権を共産主義イデオロギーの拡大としてみて、反共の旗の下に阻止しようとしたのだが、実際は大東亜戦争終結頃からはじまる民族解放戦争という色彩がベトナム戦争に関しては強かった。
ベトナム人にゲリラ戦を仕込んだのも大日本帝国軍人だった。彼らは戦後、ベトナムに残留し、ベトナムがフランスからの独立戦争を戦えるようにゲリラ戦を教え、また、ともに戦った。
ベトナム戦争では、ソ連やチャイナがバックにあると考えられていたが、実際はチャイナとベトナムはその当時から対立しており、チャイナはソ連の物資供給を妨害しまくっていたようだ。アメリカはこういうアジアの歴史を全く理解していなかったらしい。

posted by libertarian at 01:58| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拡散するIS

ニュースによるとフィリピンにISの勢力が拡大し、ひどい状態になっているようだ。
事態を重く見て戒厳令がひかれているようだが、シリアのISを潰したことで、ISは拡散して世界各地でテロを頻発させる作戦に移ったのだろう。アジアではフィリピンだけでなく、イスラム教徒の多いインドネシア辺りも危ない。
フィリピンやインドネシアに過激なIS支持組織があるというのは、前々から指摘されていたが、それが勢力を拡大してきたわけだ。
日本もフィリピンやインドネシア辺りから入国してくる人間には注意をしないと、日本国内でのテロも起こりうるだろう。ISは前々から日本もターゲットだと公言しているからだ。

こうなってくると、海外旅行も危ない地域ばかりになってきて、アジアもヨーロッパもちょっと行く気がしない。
せめて日本国内は安全に旅行を楽しめる状態を維持してほしいものだ。
しかし、日本のテロ対策は全くできていないようだ。
このままだと、東京オリンピックはほんとに危険なことになりかねない。
しかし、小池百合子が共産党に完全に飲み込まれたようで、困ったものだ。小池がこれほどのバカだったとは知らなかった。小池は、法律も行政も何も知らないただの婆さんなのであろう。
こうなると、舛添の方がまだましだったのではないかと思うが、後の祭りである。
posted by libertarian at 00:59| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

現代の疎外論 w

「仕事なんか生きがいにするな」という本をざっと読んだ。
著者は泉谷閑示という精神科医で、次のネット記事を見て少し興味を持ったためである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/030200240/

泉谷:そうなんです。しかし面白いことに、インド・ヨーロッパ語族の言語も7世紀くらいまでは、やはり日本語と同じように主語というものはなかったのだそうです。しかし、そのうち動詞の活用が始まり、主語も登場してきた。英語では12世紀頃、主語の義務化が起こるようになってきた。それはムラ的だったヨーロッパの中世の社会が、「個人」に目覚めていった社会の流れと密接に関連しているわけです。


興味を持ったのはこの部分で、ほんとかどうかは知らないが、ほんとだとすると興味深い。W
しかし、こういった断片的な知識では何とも言えないし、事実関係については注意深くあるべきである。

先の本は全く面白くなかったし、つまらない本を買ってしまったと後悔したが、同調圧力とか、主語の問題というのは興味深い。が、そういう話は先の本には載ってなかった。
労働教を否定するのに、フロムやらマルクスの甥やらウェーバーやらいろいろと引用が出てくるが、こういった名前を聞くだけで、著者の知的背景はなんとなくわかるのだ。W
労働教、労働価値説、怠ける権利、実存主義、、こういった20世紀初頭からもてはやされたリベラルの空疎な概念をもてあそんでも100害あって1利なしだ。
著者は労働教といったものが現代にあるとして、それを否定的に扱っているのだが、これも一種の昔からある左の疎外論だろう。

私が前々から思うに、右と左のわからない人間がほとんどだが、右と左がわからない人間はまず例外なく左なのだ。この精神科医も右も左もわからない左である。

子供のころ、つむじが右回りか、左回りかというのがはやった。たしか、左回りのつむじだと賢くて、右回りだとバカということだったと記憶している。私はこの理由がわからず不思議であったが、今思うに、これは左と右をからかった話だったのかもしれない。W
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2017年05月27日

ペンとノートとキーボード

ここのところ、筆記具、文房具、キーボードに凝っていた。この手の道具は普段は何となく使ってるが、意外と奥が深いことを再認識した。w
現代人にとっては、手書きもキーボードも日常的に必須の道具で、どちらか一方だけというわけにはいかない。

思うに手書きの場合の一番のメリットは、落書きができるということかもしれない。
パソコンでも落書きはできないこともないが、やはりノートに書いた方がしっくりくる。
雑然とした考えやイメージを絵、図形などの落書きで徐々に整理していくには、ノートとペンというシンプルで自由度の高いものがよいのである。コンピューターは便利だが、基本的にとんでもなく複雑なもので、自由度も高くない。プログラムされた機能に制約される。
紙やペンには、紙の質感や書き味という要素があるがコンピューターにはない。まあ、ないわけじゃないが、良質の紙とペンのフィーリングにはまだ遠く及ばない。

コンピューターは、ノートとペンのもつ、質感とか書き味といった感覚的な要素を一切廃した情報としてしか扱わないわけだ。そこがコンピューターの良いところでもあり限界でもある。
しかし、人間の能力をより引き出してくれるのは、ノートとペンの方だろう。

タイピングゲームの寿司打の1万円コースでタイピングと手書きのスピード比較をしてみた。大体、手書きもタイピングも同じくらいのスピードのようである。手書きも練習をすれば、もう少しきれいに早く書けるようになると思う。今の状態では、寿司が流れる前に手書きできるが、力が入りすぎるのか乱雑になる。
しかしタイピングの方がずっと速く書けるように思っていたが、あまり大差ないというのは、発見であった。w

書くスピードが大差ない上、実際は考えたり思い出したりする時間が圧倒的に長くてそれが律速段階になるので、どちらで書いても時間的な違いはないということだろう。
プログラムもノートに書いた方がいいかもしれない。w
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2017年05月22日

将棋の考え方

電王戦を見ていたが、面白かった。佐藤名人の態度や発言が立派で感心しきりであった。
今のコンピューター将棋が、人知を遥かに上回るレベルだというのは、既に数年前からの常識であり、もはや興行的な面白さもなくなったから今回で電王戦は終わるようだ。

将棋というのは、何をどう考えるゲームなのかがわりとはっきりしないゲームだと思う。
つまり、「将棋の考え方」がよくわからないために、上達も難しいゲームだと思う。
谷川浩司永世名人が若い頃に書いた「将棋に勝つ考え方」という本が昔あったが、この本は、将棋の評価をどうするかについて初めて書かれた本ではないかと思う。その本では、持ち駒に点数をつけ、その合計点で客観評価のようなものを行っていた。
しかし、その後、「将棋の考え方」についての本は出ていないと思う。
やれ、最新定跡だ、戦法だ詰将棋だといった本ばかりで、将棋とは何をどう考えるゲームなのかが分かっていない。昔はココらへんを曖昧に大局観という言葉で表現していた。大局観が評価関数のようなものだ。
それは、指す人間によって異なり、強い人間は正しい大局観をもっているから強いのだと思われていた。

今のコンピューター将棋の留まるところを知らない進歩は、この評価関数の進化という風にも考えられるのだろうか。それは非常に複雑なもので、開発者であってもその評価関数の意味を理解することはできない。
おそらく関数という形では中身をみることもできないブラックボックス化されたものだろう。

肝心の評価関数がブラックボックス化されているという点では、従来の人間の評価がその人間に固有のものでブラックボックス化されていたのと似ている。棋士にもなんらかの評価関数があるが、それを正確に言葉にすることはできない。

実際、将棋で学習し上達できる部分は、寄せの技術、詰ます技術くらいかもしれない。
プロでも終盤のこの技術で大体の力関係は決まっているように思われる。
藤井4段も、詰ます技術がすでに棋界トップだから強い。
#しかし、寄せの技術と詰ます技術は似て非なるもので、実際は寄せる技術も高いのだろう。

実際の勝負は時間という要因が大きく、将棋は限られた時間内でどちらが正確に読めるかを競うゲームだ。
特に中終盤の複雑化した局面で、どちらがより深く正しく読むかを競っている。そういった力はR値のようなもので評価できて、かつ年齢に関係がないし、ある程度でその人のもつプラトーになってしまうのではないか。

将棋も高段者になるほど、相手の攻めを手抜きして切り返しの手を指す。高段者の将棋になると何箇所も駒がぶつかっている状況になる。私の印象では女流の将棋よりもやはり男の棋士の方が駒のぶつかりが多いと思う。そして、コンピューター将棋は、さらにこの傾向が強くなる。普通なら飛車をいただきというところで、無視して別の攻めを重ねていく感じだ。
人間同士なら飛車をとって勝ちでも、コンピュータ相手だとそれが敗因になりかねない。
人間は将棋の駒に価値を感じてしまうので、おそらくプロスペクト理論が働いてしまうのであろう。「ヘボ将棋、王より飛車を大事にし」という川柳は、将棋のプロスペクト理論である。これが将棋に恐怖の感情をもたらす。w
もっとも将棋も上達していくと、ある程度、この感覚から離れていくのだろうが、完全には無理だろう。だが、コンピュータには最初からそんな心理要因は働かない。

圧倒的な優位を築くことは、相手が明らかな悪手を指さない限り無理なので、均衡を保ちながら徐々に相手を制圧する感じか。例えばコンピューター将棋は、穴熊の価値はあまり高く見ていないらしい。
あと歩の価値は人間が感じているよりも高いのだろうと思う。コンピュータ将棋は歩がどんどん相手に突き刺さっていき歩で制圧される感じがある。
CPU同士の戦いであれば、ミスは基本ないので、寄せ合いになる前の中盤で4−500点前後の優位を築けばそれで勝負が決まってしまうようだ。






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2017年05月13日

Rについて

あるアイデアを思いつき、どの言語で作ろうかと考えていた。
私は今までにいろんな言語をかじってきたので、普段は細かいことはほとんど覚えてないが、ちょっと復習すればプログラムを作れるくらいの知識と理解はあるのである。私にとってプログラミングはDIYの楽しみの一つだ。
そして開発言語の選択はDIYにおける道具の選択と同様に重要な問題である。

言語は大体、C系統とlisp系統の関数型言語の2つのパラダイムに分けられると思う。prologもパラダイムの一つに入れられるのかもしれない。が、prologは使ったことがない。w
それにくわえてoopがある。ただしオブジェクト指向はパラダイムというわけではない。昨今の言語は、マルチパラダイム化しており、いろんな言語のいいとこ取りをしているわけだ。oop的なものは最近の言語では大体必須になっている。

で、今回はRを使おうと思った。Rは日本ではコマンドラインで使うフリーの多機能な統計処理プログラムとしてしか認識されていないことが多いが、実際は、立派な関数型言語であり、それに統計処理関係のライブラリーが沢山あるだけという把握のほうが正しい。要するにRは言語、それも関数型言語だ。
大体数学関係のソフトは関数型言語が使われてることが多い。matlab,mathematheca,maximaしかり。
だが、それらは独自言語を持つがその言語の解説書が少ないので、使い方がよくわからない。Rは最近、言語として注目されているようで、解説書が沢山あるのがメリットでもある。
私もRをプログラミング言語として使ったことはなかったので、オライリーのpdf本が役にたったという次第だ。

ちなみにR関係のpdf本は沢山ネット上にあるが、私がいいと思ったのは、Advanced-Rという本である。
lispのような関数型言語の経験があれば、R言語の学習はわりとスムーズにできるのではないかと思うが、javaとかC系統の言語しか使ったことがないと少ししんどいかもしれない。w
Rはlisp,schemeなどと同様にfor文やif文を原則として使わないのがコツである。一応用意されているが、それら制御構文を使うとめちゃくちゃ遅くなる。逆にそれらを使わないでヴェクトル処理だけで書くとC言語並のスピードで動く。
またパッケージライブラリも万の単位で存在する。そんなに沢山あると、どこにどんなのがあるのかさっぱりわからない。どこかで紹介されている良さそうな奴を試すしかない。w
posted by libertarian at 20:46| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

PDF本

最近、今さらのように気づいたのであるが、オライリーなどのコンピューター関係の本は、英語版の原書は大概がPDFで公開されている。これが違法なのか合意の上なのかはよくわからない。大学のサイトに掲載されていることも多いので合意の上での公開が多いのではないかと思われる。

とはいえ、そうなっているのは出版から2−3年以上過ぎた本で、新しく出たばかりの本とかはさすがに公開されていない。コンピューター言語やOSはGNUで無償で提供されていることが一般的になっているので、その無償のソフトを解説した本もある程度売れたら無償で公開するという精神なのかもしれない。

日本人の書いたコンピューター関係の本はいいのがあまりないので、オライリーのような本が無償で読めるのはありがたい。WEB上にも解説的な記事は沢山散在しているが、やはりちゃんとした専門家が気合を入れて書いた本は価値が高い。
それにコンピューターとか技術的な本は英語が文学書と違って平易なので、下手な日本語の翻訳を読むよりわかりやすいということもある。英語は技術書を書くのには適した言語なのではないかという気もする。つまり、日本語より曖昧さが少ないので明確だ。

さらにPDF本はキンドル本よりもコピペが用意というのもメリットだ。
サンプルプログラムをコピペで実際に走らせてみることが簡単なのは大きなメリットである。キンドルだとそうはいかない。
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2017年04月29日

キーボードについて

この前までは文房具に凝っていたが、最近はキーボードに関心が移った。
キーボードはコンピューターをいじるときには最重要なインタフェースである。
いままで、いろいろと買って試してきたが、英語配列キーボードがやはりよい。
まあ慣れれば日本語配列キーボードでもさして不便は感じないし、ノートpcが日本語配列だから
どちらも使う必要があるわけだが、日本語配列は無駄なキーが多すぎるのが気に食わない。w

マックの場合はキーボードが非常によく考えられていてkarabiner elementなどを使えば設定の変更も細かく容易にできる。しかし、Windowsになるとキーボードの設定が一苦労である。
xkeymacsのようなキー設定ソフトがなぜかWindows8以降は対応改良がされなくなり、不便この上ない。
#しかし、これも一部問題はあるがWin10でも使えないわけではないようだ。*

今はなにをやるのでも、マックのほうがいろいろと便利な時代になったと実感する。
マックのおかげでUnixもかなり一般化したと言えるだろう。
キーボードは高いやつでもせいぜいHHKの3万円位だから、万年筆に比べるとそんなに高いものではない。
一方、キーボードの方が利用頻度はずっと高い。HHKも買おうかと思ったが、英語配列のHHKproになると矢印キーがないなどの問題もあり、やめといた。矢印キーはターミナルなどを使うときにもあったほうが便利なのである。ショートカットでも代用できるがあまりショートカットキーばかりなのも不便である。
アプリごとにショートカットキーがあるので、そんなものをいちいち覚えていたらかえって単純なことが複雑になってしまう。それにタイピングの絶対速度などは実際のところはあまり意味がない。タイピングゲームと違って、実際の文章を書いたりプログラムを書いたりする作業では、考える時間が律速になり、タイピングが早くても早く書けるわけではないからだ。大事なのはストレスなくスムーズに確実にブラインドタッチができることである。私がめったに使わないのはファンクションキーであるから、ファンクションキーのないフルサイズのキーピッチのコンパクトメカニカルキーボードで英語配列のものを探した。

そして、自分は結構キータイプはそこそこ早い気でいたが、キータイピング練習サイトで遊んでみた所、意外と遅いという事実に気がついた。これはなぜかといえば、自分がブラインドタッチできるのが、qwerty行までで数字行になるとブラインドタッチがかなりあやふやになるからだと判明した。
そこで、いろんなタイピング練習サイトで練習をしたところ、短期間でかなり上達した。最初に計測したときより10日くらいで倍くらいのスコアを叩き出せるようになった。w
ブラインドタッチは練習すれば必ず上達するので、基本技能として練習すべきである。

*)ちなみに、CapslockをCtrlキーに変更するのは、いろいろ方法はあるが、マイクロソフトのRemapkeyを使うのが便利。デフォルトでは入ってないので、Windows Server 2003 Resource Kit ToolsをMSからダウンロードしてインストールする必要がある。これはレジストリを書き換える方式。
これなんぞは、MSが標準ツールとして最初から入れておくべきだと思う。レジストリを直接書き換えることはできるがリスクがあるし、なにより面倒だ。

xkeymacsはキーバインディングを変更するが、設定画面が下の方が切れてしまうなどの問題はあるものの、Win10でも使用できる。OKボタンも下の方をクリックすると表示される。

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2017年03月25日

緩衝地帯化する日本

日本のマスゴミメディア、民進党などの政治勢力が露骨にチャイナ化、もしくはチャイナにコントロールされている現状をみると、日本がすでに緩衝地帯と化しているというおぞましい事実に気付かされる。
この傾向はオバマ政権になってから、また進んだもののように思う。
朝鮮半島がロシア、チャイナ、日本ーアメリカの3大軍事パワーの緩衝地帯だと書いたが、アメリカやロシア、チャイナからみれば現実的には、今の日本も朝鮮半島の延長であり緩衝地帯の一部なのである。
緩衝地帯では、国家の非国家化が進む。朝鮮半島は緩衝地帯なので北も南の国家を名乗ってはいるが、国家とよべる代物ではない。日本も緩衝地帯化するにつれてその傾向が強まるだろう。
緩衝地帯では、ウクライナのように西側と東側の政治勢力のような対立勢力が並立するわけだ。逆に言えば、それを許すことによって緩衝地帯となりうるわけだ。

もし、朝鮮半島が北に併合されれば、今度は日本の緩衝地帯化が劇的に進むことになる。
今の時点で日本の緩衝地帯度を50%としたならば、朝鮮半島が北に併合されれば日本が100%の緩衝地帯となるだろう。
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2017年03月13日

職人の技とコンピューター

先日、秋岡芳夫の展覧会に行った。
故秋岡芳夫氏は著名な工業デザイナーで、多くの名作を残している。氏のことは私は最近知ったのだが、私と考えが近いなと共感し著書を何冊か読んでいた。

氏はテーブルや椅子の高さが日本人には高すぎると主張し、椅子やテーブルの脚を切って短くしようという運動もしていた。 氏によるとテーブルの高さは60cm程度。椅子の座面の高さは35cm程度が日本人には適しているという。これは全く同感で、私も自分の使う椅子やテーブルはそのくらいの高さに調整している。
市販のテーブルは、70cm以上の高さがある(73cm位のものも多い)ので、明らかに高すぎるのである。もちろん椅子も一般に高すぎる。食事をするにも、本を読むにもテーブルは60cm前後の高さがちょうどよい。そして椅子もそれに合わせた高さにする。

そもそも日本の家屋は天井も欧米の家に比べると低いし、体格も違うのだから、高さは1cm単位で重要だ。もし、使っているテーブルや椅子が、70cm前後なら脚を切って短くするとよい。俄然使いやすくなるのは間違いない。空間も広くなる。喫茶店などが居心地がいいのは、テーブルや椅子の高さを低く抑えているところが多いというのもある。

秋岡氏は日本の職人の大工道具の収集も行っており、西岡常一氏とも知り合いであり、西岡常一氏を世に紹介した最初のほうの人だろう。
私はDIYをする前から、道具の連鎖というものに興味があった。何かを作るには、それを作る道具が沢山あり、さらにその道具を作る道具がありと、道具の連鎖が存在するのである。
秋岡氏は、道具と工具を峻別しており、今の電動工具、丸のこやインパクトドライバーのようなものは工具であり、誰が使っても同じだから、人に貸すこともできるが、大工の道具はそれを調整し、しつらえるのが大きな仕事であるから人に貸せるものではないという。金槌のような単純な道具であっても、実にさまざまな種類があり、決して単純なものではないということが分かる。特に日本の職人の道具へのこだわりはすごかったようである。

また大工道具は刃物が基本だから、研ぎは日常的なものだった。だから、砥石屋も沢山あったし、砥石道楽というものもあった。高価な砥石は恐ろしく高価なものだったからである。
今は、人工砥石が高性能になってきているが、やはり天然砥石の世界は奥が深いのであろう。しかし今は砥石が枯渇してきているので、以前より需要も減ったが供給も激減した。
ほんのすこし前、50年くらい前は、生活とはDIYそのものだったのだ。
今のようにDIYを趣味やライフスタイルとする好き者の世界ではなく、DIYしなければ生活にならなかったのであろう。

室町時代以前の大工の工法は、割木工法であり、法隆寺も全て割木で作られている。直方体に製材して木目を切断してしまうと木の耐久性も激減する。これはある意味自明なことだろう。法隆寺は割木したものの表面を槍鉋で仕上げている。
そして、木の癖を読んで釘などはほとんど使わず、組んでいるのである。
ちなみに新人の職人を「叩き上げ」というが、これは新入りの大工は木を組む技倆がないので、なんでも釘で叩いて仕上げていたから叩き上げという言葉が生まれたそうだ。
木を組んで作った家は解体し、また組み直すことも可能である。そういった工法は20世紀初頭までは日本でも続いていたようだ。

私が思うに、そういった職人技を要する技術、一つ一つ違う木の性質を読んで組み上げるといった人間の凄い知能的な技術は、室町時代以降、木が製材化され工業製品となることで徐々に失われていったわけだが、コンピューターの処理能力が高度になった現代ではそういった技術を復活させられる可能性がある。AIと言わずとも、そういった複雑性を大量に処理することは今のコンピューターには可能だろうし、これから先のコンピュータはますます得意になるのは間違いがない。
そうやって失われた優れた技術が復活する可能性はある。コンピューター時代は、20世紀までのいわゆる工業化社会ではないのである。工業化社会は大雑把な画一性をもたらしたが、コンピューター時代は昔のような高度な職人技の復活を可能とするだろう。
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2017年03月04日

文具のテクノロジー

ここのところ、文房具に嵌って色々と買っては使い勝手を試していた。
日本は世界最高の文具大国でもある。日本にはオリジナリティのある個性的な文具メーカーが多い。これは競争の結果、そういうメーカーだけが生き残ったということだろう。

古来より文房三宝とは、墨、筆、紙のことだが、今風には、インク、ペン、ノートというところか。
これらは三位一体で、どの一つが欠けても用をなさない。

毛筆や万年筆は完成された筆記具だ。毛筆の方は殆ど知らないが、万年筆はやはり良い奴は素晴らしい。値段は割と正直に性能を表すが、十分条件ではなく、必要条件かもしれない。私はペリカンのSouveran M800を万年筆のスタンダード、基準と見ている。ただM800であっても、調整は多くの場合で必要である。
M800を超える書き味を求めようとしたら、やはりM800より高い値段の万年筆から選ぶしかないだろう。
それもやたらと装飾にコストをかけて高価になっているものではなく、書き味に徹底的にこだわった万年筆で高価なものである。そうなるとパイロットやセーラー、プラチナといった国産万年筆メーカーのフラッグシップモデルが対抗できる軸として候補になる。日本語は漢字という複雑な文字を書かねばならないので、万年筆に要求される性能レベルは高くなるのである。

しかし、最近色々と試してみたのは、万年筆ではなく、ボールペンのほうだ。
日本のボールペン開発が今は非常にホットといえるだろう。
三菱のジェットストリームのような油性低粘度インクの開発に始まり、水性ゲルインクの開発も非常に進んでいる。今まで自分はボールペンはジェットストリームばかり使っていたが、水性ゲルインクボールペンの進歩に驚いた。
水性ゲルインクボールペンでは、三菱のシグノ、ZebraのSarasa、ぺんてるのエナージェルなどがメジャーで、どれも非常に優れている。私が特に気に入っているのが、PilotのHITEC-C Maicaである。
このインクは、微生物から作られる樹脂を用いた「バイオポリマーインキ」で、私の印象では三菱のジェットストリーム以来の驚きの書き味を実現している。
ぺんてるのエナージェルはヨーロッパでバカ売れしているそうだが、水性ゲルインクボールペンなのに油性ボールペンのような滑らかさがあり、これもお気に入りだ。

ボールペンはインクの開発がかなりハイテクになっているようで、おそらくボールペンインクのようなハイテク商品は日本の技術力のある大手文具メーカーでないと今後は開発できなくなるかもしれない。
海外の有名ペンブランドは、デザインがよかったりするが、実際は、日本の文具メーカー、パイロットや三菱Uniといったところと比べると、売り上げ規模では弱小なのだ。

日本の水性ゲルボールペンは、線の幅と色の種類で多種多様で、海外ブランドも、もはやパーカーのリフィル規格の軸を作っている場合ではない。日本の水性ゲルインクボールペンはC−300という規格でほぼ統一されているのもよい。それでもリフィルの形状に若干のブレはあるが、対応は可能だ。
だから、高価な軸でC300リフィルが入るものを選ぶのがよい。

思うに筆記具が字体というものを形成する決定的な道具であり、逆に言えば字体は筆記具に即して変化するべきものだろう。歴史的にみてもこれはいえる。
日本は江戸の頃までは、寺子屋で行書を主体に教え、草書も教えていた。
それが明治で、学校で楷書を強制するように変化した。
毛筆で書くことを前提とした場合、行書、草書で書くのが正しく、楷書のような「活字」は適さない。
歴史的にも、チャイナで、行書、草書が最初に生まれ、その後、楷書が規格化された公文書用の文字として開発されたのである。
毛筆は筆圧0で方向性も360度自由に線が書ける唯一の筆記具であり、この特性を生かして行書、草書の流麗な字体が生まれた。

楷書は活字であり、行書のもつ運筆という本質を排除した文字である。楷書は活字であって、活字そっくりに書けることがうまい文字だとされる。これが日本人の文字を決定的に下手くそにしてしまったし、字を書くことを苦痛にさせてしまった原因である。楷書とは公文書用の「活字」だから、自由度がほとんどなく、書く楽しみが失われた文字なのだ。

明治ー大正ー昭和の頃の有名小説家の生原稿を見ると、原稿用紙に万年筆やら鉛筆で書く文字はかなり下手くそだが、筆で書いてる文字は全くの別物で達筆ということがよくある。(ちなみに三島由紀夫は硬筆でもずいぶんとうまい字を書く。)
硬筆で書く楷書と、毛筆で書く行書の間に物凄い落差があるのである。
毛筆で書く行書は、さらさらと楽に早く綺麗に書けるが、硬筆で書く楷書は、書くのに恐ろしく苦労し、おまけに下手くそで、その下手くそさに嫌になりながら書いているように見える。ww

もっとも今はPCで書くのが一般的で、こういった筆記具と格闘することもあまりないだろう。
だが、筆記具で書くことには未だに意味があり、筆記具で書くことが、昔の日本人が毛筆でさらさらと書いていたように、早く楽に楽しく書ける道具であれば、この快楽の道具を手放す理由はない。
今の文房具の進歩が、どうやってこの快楽を開発していくのかが興味深い。一つは万年筆であり、一つは筆ペンのようなハイテク毛筆。もう一つはハイテクインクを使ったボールペンで、どれも可能性がある。
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2017年02月22日

東芝問題

今回の東芝問題だが、ざっと調べたかぎりでは、東芝は倒産する可能性が高いようだ。
東芝の中で原子力事業に関わっている人間は、ごくごく少数であり、ほとんどの社員にとっては今回の話は寝耳に水の話だろう。だが、東芝グループとしてみれば、海外のウェスティンぐハウス(WH)との原子力事業を経営の2本柱の1つに据えていた。結局、海外のWH経由の投資でほとんど詐欺にあい7000億円以上ともいわれる巨額損失をだし債務超過にいきなり陥ってしまったわけだ。東芝には不正会計という問題もあるが、そんな海外の投資案件で詐欺にあい、いきなりの債務超過という事態に陥れば、経営者としてもパニックだろう。不正会計そのものは犯罪性があるが、不正会計をしなければしないで、いきなりの債務超過で伝統ある巨大な東芝グループの倒産ということになるのだから、粉飾会計をして泥をかぶってでも、どうにかして時間稼ぎをしなければと経営者は思ったのだろう。
実際、日本の東芝の幹部も今回のWHとの件はなにがどうなっているのかさっぱり分からないらしい。
海のむこうのWHとS&Wとかいう会社の投資問題が、日本の東芝に降りかかってきたというところだろう。

東芝でも原発事業はそれまでも決して利益の大きい部門ではなかったろうに、なぜそんなものを2本柱の1つにしたのだろうか。これが第一の経営判断ミスだったと思う。ただ売り上げ規模では発電設備事業は全体の売り上げの1/3くらいはあったようだ。
WHを買収したのがそもそも経営的に冒険的な悪手だったのだろう。
2006年ごろにWH買収を決断した西田という社長の投資ミスがすべての元凶だったのではないのか。
東芝の日本国内のイメージは重電の会社ではなく、家電や半導体や医療機器というハイテク会社であった。実際、東芝の社員はそういう風に思っていただろう。原発投資の失敗で、優良な部門から切り売りし、医療に続き半導体も手放そうとしている。

S&Wの件は詐欺に騙された可能性も高いので、あまり無責任に経営者の責任だと責めるのもどうかと思うが、あと数か月で東芝の命運が決まることは確実である。


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2016年11月27日

法律という国のかたち

ある国や社会を知ろうとするとき、その国の歴史や地理、宗教、文化、習俗的なものを知ろうとするのが普通だが、それだけでは不十分だ。その国の法システムを知ることが大事である。
しかし、法律は膨大にして極めて複雑であり、自国の法律ですら何も知らないのに、他国の法システムを知ることなど出来ない。だから、ある程度の概念的な理解に留まるのは仕方がない。

思うにこれは外国だけでなく、自国のことであっても、その法律に対するある程度の理解がないと何もわからないのではないか。
日本では政治的な話題はニュースになるが、それが法律問題として認識されることはほとんどない。派閥や人間関係のドラマとして、面白おかしく報道されるのが落ちである。
マスゴミや元マスゴミのジャーナリストも法律を知らなすぎる。日本の保守系言論人と言われる人も、元ジャーナリストや文学部の教師というのが多く、法律も経済についてのまともな理解力も知識もなさすぎる。もちろん、左翼の連中もこの点は変わらない。

アメリカの特徴としては、政治家に法律家の割合が非常に多いことがある。政治家は本来がLaw makerなのだから当然と言えば当然のことかもしれない。
先進国の中の比較では、日本は法律家出身の政治家は少ない。日本の国会議員は、衆参合わせて717人の内、法曹出身は42人しかいない。
アメリカでは、上院100人の内、51人が、また下院440人の内、151人が法律家である。さらに各議員が多くの法律家スタッフを抱えている。
特にアメリカのような国を理解するには、法律を知らないと何も分からないだろうが、多かれ少なかれ、どの国であっても、国家というのは法律によって国のかたちのアウトラインが決まっていると言える。


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2016年11月18日

24とカタカナ英語

オバマ民主党政権時代、ヒラリーが国務長官だった時は、ほとんど24(Twentyfour)の世界だったようだ。
当然にヒラリーが悪党である。FBIが投票日前に決死の勝負にでて、国民にヒラリーの凶悪性を警告しなければヒラリーが538の予測通りに当選していた虞が強い。

ということを思っているうちに、24をまた観たくなった。
ドラマ24はシーズン8で終わったが、シーズン2を先日見直した。
10年くらい前に見たので、細かい所は忘れている。また今回はClosed Captionの英語字幕で見た。
発音が聞き取れなくても、英語字幕があれば大体何を言っているかは分かる。
しかし、少しでもスラングな表現が入ると全く分からなくなる。

日本人の平均的な英語能力は悲惨なレベルで、日本人の英語べたは世界的にも有名である。日本人の英語はジャングリッシュと呼ばれ特別扱いされているそうだ。w
これは、学校教育の方法論が根本的に間違っているからである。これほどひどい教育をしていても、一切の責任が問われないのだから教師とは無責任な商売である。やはり文部科学省は廃止しなければいけない。
というのが、私のかねてから思っていたことであったが、先日、池谷裕二著「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」という本を読んで、我が意を得た。

基本的に、言語の音を聞き分ける能力は8−9歳までに完成するので、その後努力しても無駄であると書かれている。つまり、その後努力しても、聞き分けることのできない音はずっと聞き分けられないのが、脳科学上の悲しい現実なのである。著者は本職が脳科学者なので、そういう立場で書いている。
実際、日本語であっても訛りはなかなか抜けないし、まして外国語であれば、どんなにネイティブのように話してるようにみえても違うのだ。
またBとVの区別など、なんとか発声を分けることは出来ても、それを聞き分けることはそれでもできないらしい。
しかしだからといって、8−9歳になる前の早期教育で英語を教えるべしという話ではない。
そんなことをすれば、別のなにかがその分だけ教育できなくなるわけで、その弊害がでる。
間違いなくその分、日本語能力が劣ってくるだろう。

むしろ、江戸時代の人間のように、日本語で英語の発音をシミュレートするようにすべきだというのがこの本の主張である。

ジョン万次郎は、年をとってからアメリカに行ったので、当然に英語の音の聞き取りはできなかったが、見事に日本語で英語の発音のシミュレートをしていた。
例えば、What time is it now?を「掘ったイモいじるな」とするなどだ。
White shirtsをワイシャツとよんだ昔の日本人は賢かった。ホワイトシャツでは通じないが、ワイシャツなら今でも外国人に通じる。

これが今の日本の英語教育では、あちらの発音を無理やり発声させようとする。舌と歯の位置がどうのとか、唇の形がどうのこうのとか、日本人にできるわけもないことを強制するのが正しい英語教育だと思っているわけだ。
と同時に、What time is it now?の発音表記としては、リエゾンを完全に無視して「ふぁったいむいじっとなう」などと英語教本には表記する。
だが、この表記ではまず通じない。一方、「掘ったイモいじるな」をストレートに読めばそれで通じる。

つまり、英語の発音を江戸時代のジョン万次郎のように、カタカナでシミュレートすることは十分に可能であり、日本人はそのようなリエゾンや音の省略までをも再現したカタカナ発音を教えるべきなのである。
そして、そのようなカタカナ発音ができるようになれば、英語の聞き取りもできるようになるのである。

この本で読んでいたので、24をCCで見ながら英語について考えていた。
24の場合、大統領官邸の場面が多く出てくるし、CTUもエリート部隊であるから、そんなにスラングはでてこないし、どちらかというとフォーマルな英語なのだろう。だからわりと分かりやすい。だが、人によって聞き取りにくい発音は結構ある。私にはミッシェルの発音など分かりにくい。
また簡単な単語しかでてこない文章でも意味がぱっと響いてくるという感じにはならない。

つまり、日本語をきく場合、
日本語→分かる。となるが、英語の場合、
英語→日本語→分かる。 と、日本語がバッファーとして入るくせがついてしまっているのだ.
ここで、分かるとは何かが問題だ。
基本的に、会話言葉は相手があるものなので、分かるとは相手の気持ちと意図の理解が基本だ。
つまるところ、相手の気持ちを理解しようという気持ちで聞いていると、この日本語バッファーが少し小さくなってくる感じがする。また実際そういう気持ちで話を聞かないと、外国人がわけのわからん奇声を発するエイリアンのように思えてくるのだ。

最後に、池谷氏の本の発音の例を少し載せておく。
なお、このカタカナ発音表記には、ちゃんとルールがあるのである。

I want you to →あいわにゅる
Do you mind if I open the door?→じゅまいんでふぁい おうぺなどあ?
Nice to meet you →ないすとみーちゅ
Good afternoon → ぐらふとぬーん
Good morning → ぐっもーねん
You are welcome →ゆおうぇうくむ
Not at all →ならろーう
Thank you →てんきゅ
Take care →ていけお
How are you? →はおゆ?
I've got to go →あいがーらごぅ
a couple of minuites→あかぷらめねつ
What is up? →わつぁ?
I need a cab → アイニーラキャーブ
I am getting off →アイムゲリンガフ
Take it easy →ていけりーずぃ
Say it again →セイーラゲイン
Are you sure? →オユシュオ?
I am not sure →アイナッシュオ
I didn't know that → アイディンーノウダーッ

怖いくらい通じるカタカナ英語の法則 ネット対応版 ネイティブも認めた画期的発音術 (ブルーバックス) -
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定款としての憲法

アメリカ合衆国の歴史は短いとはいえ、独立前の期間も入れると実はそれほど短くはない。
独立(1776年)からは240年だが、アメリカ入植を日本で関ヶ原の戦いがあった1605年くらいとして数えれば400年以上ある。
日本では、アメリカ史やアメリカ法に関する碌な本が私の知る限りないが、その中で阿川尚之氏の著書は別格である。「憲法で読むアメリカ史」は名著であったが、先日、最新刊の「憲法改正とは何かーアメリカ改憲史から考える」を購入して読んでいる。全部は読んでいないが、この本も前著に負けず劣らずの名著である!

この本は、アメリカ憲法の成立過程から改憲の経緯を書いたものだが、ほとんどの日本人が知らないだろう空白のアメリカ独立前史からのアメリカ憲法の成立過程を分かりやすく説明している。
私も入植から独立までの160〜170年の期間がどういうもので、どういった経緯で憲法の制定に至ったのか具体的なことを調べようとしたことはあったが、日本ではまともな本が見当たらず、積年の疑問であった。
ハイエクの「自由の条件」は、アメリカ憲法の本質について書いたものだが、歴史的な事実関係が分からない。おそらくハイエクもあまりちゃんとは知らなかったのだろう。w
だが、この本を読んで、かなりすっきりと分かってきた。

この本から、アメリカ前史から憲法制定に至る経緯を簡単にまとめておこう。

1.株式会社型植民地
アメリカの植民地の大半は株式会社として発足し、定款を有していた。その代表がバージニア植民地である。
植民地人は従業員のようなもので、定款や経営に関して発言権は当然になかった。
しかし、バージニアの総監(国王に委託された子会社の社長のようなもの)は、移住者をさらにつのり士気を高めるため代議員会議を作らせた。

同様にマサチューセッツ湾会社の植民地では、会社の定款はそのまま植民地の憲法として用いられた。マサチューセッツ湾会社では、自分たちの信仰に基づく共同体を築くために勅許を得て作られた。バージニアの会社の出資者はイギリスに残ったが、マサチューセッツ湾会社では出資者もアメリカに渡ったという違いがあった。

重要なポイントは、株式会社として発足した植民地では、当初は本国イギリスのコモンローは適用はされなかったということだ。植民地は本質的に王の所有物であり、「王の法」が植民地の法に優先した。つまり植民地の住民は会社の従業員のようなものなので、会社のルールに従うだけだった。

#ちなみに、定款とは国王から与えられた勅許状のことである。これには、会社組織と運営の大綱を定めていた。本拠地はロンドン、総督(governer)という社長を置き、総督と投資家からなる諮問委員会(council)は総会を開く。植民者はこの会社と契約を交わして新大陸に渡った年季奉公人である。

2.社会契約型植民地
プリマス植民地では、メイフラワー盟約に基づいて作られた。彼らは国教会の権威を認めないピルグリムズという信仰集団だったのでイギリスでは迫害されており、それを逃れてアメリカに理想的な共同体をつくろうとしていた。しかしプリマス植民地でも、株式会社型植民地の定款を基に法律を作った。

3.封土型植民地
メリーランド植民地では、株式会社型ではなく、国王が臣下に植民地を領土として与え、絶対的な独占的所有権と統治権を領主が持っていた。しかし、この形の植民地も住民の協力がないと経営ができなかったので、植民地議会と会社型の統治機構を採用するようになった。

4.フレンチ・インディアン戦争(7年戦争)
フランスとのこの戦争でイギリスは、多大の戦費を使い、獲得した領土管理のためにも多額の資金を必要とした。イギリス本国は、この負担を戦争の最大の受益者である13植民地に対する増税によって求めた。
しかし、彼らは本国議会に代表を送ることが許されていない。代表なくして課税なし。ボストン茶会事件などを経て1775年独立戦争が始まる。しかし、13植民地は必ずしも独立を望んでいたわけではなく、課税をやめ、自治権を認めてくれればよいと思っていた。
だが、トマスペインの「コモンセンス」などで独立しか道はないとアジられ、独立に進んでいく。

そして13の植民地が平等にイギリスからの独立を果たすが、アメリカ合衆国という国の形はまだ何もない状態だった。13の共和国が独立したわけだが、かえって総督という対抗軸を失った議会は権力の濫用に走り政治混乱が起こった。
13国の同盟に連合規約はあったが、それらは条約であり、独立後に安全保障、通商政策、通貨管理などをどうするかという問題があった。
これらの問題により、新しい国のかたちと憲法を必要とする気運が生まれる。
アメリカ憲法は、「より完全な連合を築くために」制定された。


以上、少し詳しく纏めたが、要するにアメリカの植民地なるものは、大半が株式会社組織であり、各州が議会や法律を勝手に作り自治はあったが正式に認められたものではなかった。そして各植民地の法律は定款をベースに作られた。
アメリカ独立戦争は、これら株式会社が正式に国としてイギリスから独立する運動であった。
独立により、従来から運用していた各植民地の自治的な組織、法律や議会がイギリスから承認されたともいえる。
しかし、この時点では、13国の同盟でしかなく、アメリカ合衆国ではなかった。
その後、アメリカの国の形と憲法が作られていく。
憲法改正とは何か: アメリカ改憲史から考える (新潮選書) -
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posted by libertarian at 12:51| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

藤田嗣治の時代

今、府中市美術館で藤田嗣治の展覧会をやっている。 (12/11まで)
(同時に、千葉の河村記念美術館でも展覧会をやっている。1/15まで)
私は府中市美術館での展覧会を先日見てきたが、なかなか充実していて面白かった。

藤田嗣治は、日本で最も世界的に成功した画家と言えるだろう。藤田は1886年生まれ(今年で生誕130年)。
年譜では藤田の父は軍医の藤田嗣章と簡単に書かれることが多いが、藤田嗣章は森鴎外の後任の陸軍軍医総監となった超大物である。これは中将相当のトップになる。

そういう名門の家に生まれ、1904年の日露戦争時には18歳、1914年の第1次大戦時には28歳だったわけだから、日本が大東亜戦争に負けるまでの破竹の勢いのあった頃の日本、ある意味一番いい時期の日本で育った人間だったといえる。

藤田はフランスで大成功し、一財産を築いた。日本に帰国後は、大東亜戦争時には、超大作の戦争画を描いた。
展覧会でも、「アッツ島玉砕」などの3作が展示されていた。巨大な絵で、とてつもない力作である。
こういった作品は、将来は国宝として扱われてもよさそうなものである。
藤田は、rising sunの画家であったから、これはまさに藤田の集大成ともいえる画業だろう。

だが、戦後は藤田の戦争画は、戦争協力行為として一転批判されるようになり、藤田は嫌気がさして再度フランスに渡り、そこで一生を終える。(1968年)

藤田嗣治に興味を持って何冊か本を読んでみたが、なかなか面白い。林洋子氏の「藤田嗣治 手しごとの家」「藤田嗣治 本のしごと」といった本を見ると、この画家の全体像が見えてくる感じだ。
特に藤田の展覧会に行ったときに注意してみるべきは、額縁である。私は額縁が面白いと思って興味深くみていたが、藤田作品の額縁の多くは藤田のDIYによる手作りである。このことは林洋子氏の本で後で知った。
藤田の作品は絵と額縁のセットで見るべきものである。画集だと額縁はうつっていないので展覧会には額縁を見るためだけにも行った方がよい。w
藤田はDIYの走りともいうべき画家で、なんでも手作りしている。

20世紀の現代史を藤田という傑出した画家の生涯に沿って眺めてみると、その時間感覚と時代感覚がなんとなく分かってくる気がするのである。
posted by libertarian at 10:23| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

丸裸の日本

飯柴智亮著の「金の切れ目で日本から本当に米軍はいなくなる」を読んだ。
筆者の飯柴氏は元アメリカ陸軍大尉で国際関係論の博士でもある。

日本に戦後70年以上、ずっと米軍は駐留しているわけだが、あまりにも長いこといるおかげで空気のような存在となっており、一体、彼らが何をしているのか、何を考えているのかなど軍事オタクでもなければ気にもしていないだろうが、この本を読むと、その軍事的な合理主義が少しわかる。
軍事というのは、科学のようにきわめて合理主義的なもので、主観や人情といったものは介入する余地がない。生死がかかっているので、必然的に超合理主義的になるのであろう。

ここから少し抜粋しておくと、

・ミサイルディフェンスの基本は、発射前の段階で発射させずに潰すこと。
・陸自は全く無用の長物であり、これを全廃して戦略ミサイル部隊にする必要がある。
・戦略ミサイル部隊とは、射程3000−4000kmのミサイルを1000基装備した部隊。
・国産ステルスX-2心神はエンジン出力が足りず、そのためミサイルを格納搭載できない。実は全く意味のないステルス戦闘機である。→ミサイルを外付けにするとステルス機ではなくなるから。
・誰が国家機密に接触できるかの基本であるセキュリティクリアランスのシステムが日本にはない。日本の国会議員はアメリカ基準ではこのクリアランスを取得できない。
・日本の自衛隊空軍の任務は、嘉手納、岩国、横田、三沢の分軍飛行場を守ることにあり、日本の防空ではない。
・海自の任務は、米第7艦隊を守ることにあり、掃海と潜水艦の哨戒がその役割。
・海自にイージス艦、対潜哨戒機の比率が非常に高いのは、米空母を守ることが海自の主な任務だからである。 海自は第7艦隊の外堀の役割に過ぎない。
・2016年3月に来日したメルケル首相が安倍首相にこういった。「日本がNATOに加盟して何が悪いのか?私は、イギリスとフランスを説得できる。」
・日本で米中大戦争があって、日米同盟があったとしてもアメリカが日本に残ってほしいのは2か所のレーダー基地と横須賀、佐世保の港湾施設だけ。他が全滅しても構わない。
・現在の在日米軍は総計45000人。沖縄に2万人。本土に25000人。20年前は10万人いた。
・米海兵隊の敵は、昔はソ連、今は支那。第1撃で全滅する可能性の高い沖縄に海兵隊がいても無駄。海兵隊は沖縄から完全撤退する可能性がある。この点において基地問題で騒いでいるのは意味がない。
・日本人は、水と安全と在日米軍はただと思っている。

実際、日本の自衛隊は軍隊ではない。それは法律上、警察の延長にある組織にすぎず軍法もない。またここが重要な点だが、自衛隊の主な任務は日本人と日本の国土の防衛ではなく、日米安保条約に基づいて在日米軍と在日米軍基地を守ることにあるのである。
日本はアメリカ軍がいなければセキュリティ的に丸裸の状態だが、アメリカは自国の国益にかなった合理主義で動くだけだから、日本の防衛のために動くことはない。
もし米軍が台湾から撤退したら、その翌日に支那は台湾に攻め入り、あっという間に台湾を占領し、次の日には沖縄を占領する。こういった軍事行動はこのくらいのスピード感で行われると予想されている。
日本は憲法9条の封印を解き、第2の開国を成し遂げなければ支那の餌になる可能性が非常に高いのである。
そのためにも、トランプが大統領にならないと日本の近い将来は真っ暗といえる。
もしクリントンが大統領になったら、日本はほんとにやばい状態になりそうだ。そして今のところ、その最悪の可能性はかなり高い。

posted by libertarian at 00:03| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

建築の寿命

建築のスクラップアンドビルドというのは、割と重要なテーマだと思う。
だが、この問題に真正面から向き合った考察は寡聞にして知らない。
建築を文化財として考えれば、できる限り長く保存すべきだということになるし、消費財の一つにすぎないと考えれば経済性でスクラップアンドビルドするということになる。

日本も戦後の名建築は筑後40−50年という短期間でスクラップアンドビルドされるものが多い。
これを、どうにかして残そうというDOCOMOMOのような運動もあるが、何の強制力もないので、残されるものは少ないのが現実だ。

私もレトロビンテージが好きなので、味わいのある旧い建物はなるべく残ってほしいと思うわけだが、それを許さないメカニズムが何なのかを明確にしないといけないだろう。
もっともモダニズム建築が割と簡単に壊される傾向にあるのは、必ずしも日本だけの現象ではないようで、アメリカでも同様のようだ。
もともとモダニズム建築が工業化社会の商品として生まれたということは、それがスクラップアンドビルドされることを想定していなければおかしいとも思われる。

日本の場合は、建築基準法がどんどん変わり、耐震基準も変わるし、それに適用しようとすると壊して建て直した方が安上がりという現実があるのは事実である。また、建築に事実上の減価償却期間が定められているというのも日本に特異な状況である。

建築基準や減価償却期間の問題は立法論上の大問題であり、経済的な合理性がそれらの規制にあるのかどうかは問題である。おそらく減価償却期間の設定は全く有害無益な規制であろうと思う。

だが、RC建築の寿命は当初言われていたより短く、実際50年程度で相当にガタがくるのは事実のようだ。
これはコンクリートという人工物素材の限界なのかもしれない。
コンクリートでなく天然の石造りの家や木造建築は、ずっと長くもつだろう。

その点、RC建築をベースとしたモダニズム建築は、やはり50年が限界で、建て直すしかないのかもしれないとも思う。
もし、ほんとにそのデザインがいいのなら、デザインをそのままに構造だけ新建築基準に準じた作りで再構築するというオプションもある。

前川国男の名作建築であるとか、私の子供の頃はまだできたばかりという感じで、子供ながらにその雰囲気に感動し圧倒されたものである。それが終わるということは自分の生きてきた時代が終わるような気がして寂しいものがあるが、そう悲観するほどのことではないのであろう。w







posted by libertarian at 01:00| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

人間は間違いを修正しないといけない

随分と昔に書いた「Hayekを読む」を再掲した。
昔書いた文章を読むと間違いだらけで消したくなるが、これもヒストリーということで消していない。
おまけに書いた自分が読んでも一体何を言っているのかよくわからないものが多い。w
このHayekシリーズは文章は長いが引用が長いだけなので、短時間で書いた記憶があるが、比較的に何を言っているのか分かるので載せた。

ハイエクに対する私の評価は随分と小さくなったが、ハイエクの後期作品は未だに魅力はある。
ハイエクは経済学者としては3流以下だろうが、後期作品で示した政治思想は未だに意味があると思う。
ただ、ハイエクの事実認識はかなり間違いが多いのである。
昔はネットなんぞなかったということもあるが、調べずに書いたのか、思い込みで書いたのだろう。
posted by libertarian at 03:13| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月11日

豊洲移転問題について考えなおした

豊洲移転関係の都のpdf資料をいろいろと見てみた。
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/project/punflet/

遅まきながら見たのだが、なかなか面白い。
やはりこういう問題は双方の言い分を偏見なく聞かないといけない。
次のまとめサイトもある。
豊洲新市場は欠陥施設なのか?
http://togetter.com/li/1014036

今日は小池都知事がなにやら粛清するとかいうニュースがあり、なんとも穏やかでないと思っていた。問題は建物部分に盛り土がなく地下室になっているということだが、そういう工法を採用したというだけで別に問題とするようなものではないらしい。あれ自体が基礎の一部になって安定性がますという算段なのだろう。

この豊洲移転問題は、反対派がほとんど共産党系の人間なので、原発反対とおなじような雰囲気がある。
私も原発は反対なほうだが、共産党の反原発とは違うのである。
森山高至氏がこの先頭に立っていて、この人自身は共産党と直接に関係がないのかと思っていたが、やはりあるのかもしれない。w 
中沢新一と意気投合したというのはかなりやばいだろう。w
小池都知事も森山さんの反対意見にオルグされてしまったのかもしれない。

共産党は逆神なので、共産党が移転反対ということは、やはり即刻移転した方が賢明なのかもしれない。w
私も最近のレトロビンテージ趣味が昂じて、築地のボロがいいと思っていたが、やはり合理的に考えて豊洲に移転した方がよさそうだ。
もう一つのオプションとしては、豊洲に暫定的に移り、築地をその間に立て直してまた築地に戻り、豊洲はその後売り払うというのはどうかと思ったが、そこまでする意味はないだろう。w
不具合は最初はあるだろうが、おいおい直していけばいい。

もちろん、耐震偽装などがないという条件だが、耐震偽装の話もほんとかどうかは分からない。
とはいえ、たかが仲卸市場といってはなんだが、そんなものにコストをかけ過ぎだろという疑問は強い。
コールドチェーンだ、HACCPだと仕様を欲張り過ぎたのではないか。



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2016年08月22日

帝都の面影を捨てた街

東京の建築を通して一九世紀の終わりから今に至るまでの変遷を見てみると興味深い。

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posted by libertarian at 19:19| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月21日

建築ツーリズム

日本の建築は1960年代に名作が多いが、この頃作られた建築が50年位たって、はやくも取り壊しの危機に瀕している。
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2016年08月03日

ヘリコプターマネー

ヘリコプターマネーは、ミルトン・フリードマンの作った寓話であるが、この話の意味は、金融政策と同時に財政政策をすることである。お金を刷るだけでは巷に流通するまでのプロセスが複雑なので、一挙にヘリコプターでばらまいて巷にカネを流通させるという思考実験だ。


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2016年07月21日

誰にも正解のわからない問題への対処法:Problems nobody knows the correct answer

世の中には正解はあるだろうが、その正解が誰にも分からず検証も不可能という問題は沢山ある。
#検証不可能というのは原理的にとどまらず現実的に検証が不可能というのも含む。

例えば、放射能の安全性問題は、福島第一原発事故以来、喧しい言い合いが起こっているが、この問題はまさに個人には検証不可能な問題である。専門家であっても放射能の安全性に関して、放射性物質の体内被曝の問題を含めて確かなことを言える人は今のところいない。こういうのは実際の経験例から判断することなので、その手のデータがほとんどない状態ではいわゆる専門家にも誰にもホントのところは分からんのである。これは長い時間をかけて臨床結果を統計的に分析することでしか判断できない。

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トルコは今後どうなるか?

トルコのクーデターで、エルドアンはまさに独裁者としての地位を固めつつある。戒厳令下で法の支配の全くない状態になっているようだ。エルドアンのようなイスラーム主義者にとっては、もともと世俗主義の産物でしかない国家の法律など糞食らえといったところだろう。エルドアンはこれを好都合としてトルコのイスラーム回帰を加速するのは間違いない。
もとよりエルドアンはいままでも出所不明の莫大な資金を使って大宮殿を作るなど既にやりたい放題の独裁者となっていた。
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みみっちい日本のネット

ネットは未だに指数的に拡大しているが、ここ10年位をみるとどんどん一極集中化が起こっているように見える。Googleに独禁法を適用しようとかヨーロッパはしているようだが、うまくいかないだろう。
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2016年07月18日

教育と医療:The Worst 2 system

教育システムと医療システムは近年に肥大化したものだが、この2つは現代の最大の問題とも考えられる。
結論からいえば、この2つは福祉国家を標榜する国家の法律体系に組み込まれているために巨大な利権システムと化しており、何人たりともそこから逃れることは難しい。
この2つを真っ向から批判したのが、哲学者イワン イリイチであった。

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2016年07月17日

トルコのクーデター

トルコのクーデターが起こったが、早々と鎮圧されたようだ。
詳しいことは何もわからないが、このニュースを聞いて最初に思ったのが、軍=世俗主義で、エルドアン=イスラーム回帰という構図だ。
昨日の段階ではアメリカに亡命中のギュレン師が黒幕だといった報道だったが、今日のニュースを見ると、軍は世俗主義勢力だという点に触れられているものがでるようになった。
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2016年07月15日

ニースでのテロ

フランスのニース(nice)でテロが起きた。
私も以前、ニースには行ったことがあり、ニュースにでてくる町並みは見覚えがあるところだった。
80人以上の一般人が殺された悲惨なテロであるが、これもやはりIS絡みのテロなのであろう。

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Apple新本社社屋:Apple Campus2

アップルの巨大な本社新社屋がそろそろ完成するそうだ。
http://gigazine.net/news/20160404-apple-campus-construction/

昔から、メーカーが本社を立派にすると経営が傾くと言われるが、これはおそらくアップルにも当てはまるかもしれない。
そもそも今の時代に巨大な本社は時代遅れである。通勤しないでも勤務できる形を作った会社のほうが強いだろう。
この本社には工場も研究所もなさそうだから、これは時代に逆行した大企業病であり、アップルも例外ではないということだ。今更、巨大な本社社屋はなんともあほらしい。
もしかしたら、この建物の目的にはデータセンターの機能もあるのかもしれないが、よくわからない。

本社を立派にするのではなく、週に1−2回集まるだけの集会所があればいいはずだ。
もはやアップルも創業50年近い成熟企業で衰退期に入ったと私は思う。
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転職(転社)できる発展する社会

日本は終身雇用制だったが、それが崩れつつあると言われるようになって久しいが、正直なところ、あまりそれは実感しない。
そもそも公務員は典型的な終身雇用でこれは未だに全く不動だ。(→キャリア官僚は例外だが)だから、近年、民間に比べ給与待遇もよく、さらに解雇されないことが保証されている公務員の人気が高まっていた。

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2016年07月09日

System1 vs System2

カーネマンによるとシステム1は、人間の知覚判断のようなほとんど無意識に行われる早い思考で、システム2は計算をするときのような頭を使う遅い思考のことを指す。

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2016年07月02日

日本人は差別の対象である : On Discrimination

ヨーロッパも移民、難民問題で混沌としているようだが、それに比べ、日本は今の世界ではパラダイスと言っても過言ではない国であろう。
しかし、旅行者として海外へ行くときはほとんど感じないが、日本人が海外に行けば多くの場合、差別の対象となる。アメリカに行けば、黒人は東洋人を自分たちより下の階層とみて差別したがるようだし、イスラム圏に行けば無神論者や異教徒の外人は奴隷並みの存在であると看做されるだろうし、ヒンズー教のカースト制度のインドに行けばアンタッチャブルと同類に看做される。人によって表面に出す出さないはあるだろうが、潜在的にそういうものと看做されるわけである。

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2016年06月24日

Brexit

イギリスのEU離脱が決まったが、特に意外な気はしない。
なぜなら最初からほぼ互角だったので、どっちに転んでも意外ではない。
スコットランドは残留派であったが、イギリスのEU離脱が決まったので、今度はイギリスからのスコットランド独立論が再燃し、イギリスから離脱してEUに入ろうとするのかもしれない。

長期的には今のEUという仕組みはそのまま存続できるわけもないので、今回のイギリスのEU離脱によって、EU体制が将来的に遅かれ早かれ崩れていくだろうことが明らかになったと思う。
まあ、イギリスが離脱したとしても、自由貿易は相互にメリットがあるわけだから、今後の交渉で離脱後も自由貿易体制はそのまま存続させていく方向にいくこともありうる。
イギリスはもともとユーロに加盟もしておらず、シェンゲン協定にも入っていないのだから、自由貿易体制さえ維持できれば大した不都合はないのではないか。
こういった出来事の意味というのは、大げさに悲観的に語られるが、それも予断にすぎない。

だが、もしスコットランドがイギリスから離脱するとヨーロッパは地政学的に不安定になるだろう。
本当はこちらのリスクの方が大きいかもしれない。
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2016年06月22日

Build a house

「1日を楽しみたいなら本を読みなさい。1年を楽しみたいなら種を撒きなさい。一生楽しみたければ家を建てなさい」という建築会社のCMが昔あった。これはイギリスあたりの言葉らしいが、最近、この言葉の意味が分かった。そもそも家を建てたらなんで一生楽しめるのかと疑問だったわけだが、これは建築会社に家を建ててもらうということではなく、自分で家を建てるという意味であろう。
自分で家を建てれば、確かに相当長い間、DIY を楽しめる。w

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2016年06月19日

主人のいない奴隷:Slaves without Master

イケダハヤトという若い人が「まだ東京で消耗しているの」というBlogを書いている。
少し見ただけだが、本人がサラリーマンを辞めて高知に移住してブログなどの収入だけで豊かに暮らすという実践的な内容のようだ。
たしかに東京の通勤は異常で、悲惨ですらある。このネットの時代になんで会社なんて場所にわざわざ行く必要があるのだろうか?

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2016年06月16日

電波オークションを実施すべきである:Pulse Auction

日本社会における最大の問題の一つに左翼に簒奪されたメディアの問題がある。
日本のメディアは左派に完全に簒奪されており、テレビ、新聞など全くお話にならない酷いレベルなわけだ。
特にテレビの偏向報道を批判する、「放送法遵守を求める視聴者の会」というのが発足した。

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2016年05月21日

Vintage

「なんにもないぶろぐ」というのが、本になり、ドラマになったようだ。
http://nannimonaiblog.blogspot.jp

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