2017年03月13日

職人の技とコンピューター

先日、秋岡芳夫の展覧会に行った。
故秋岡芳夫氏は著名な工業デザイナーで、多くの名作を残している。氏のことは私は最近知ったのだが、私と考えが近いなと共感し著書を何冊か読んでいた。

氏はテーブルや椅子の高さが日本人には高すぎると主張し、椅子やテーブルの脚を切って短くしようという運動もしていた。 氏によるとテーブルの高さは60cm程度。椅子の座面の高さは35cm程度が日本人には適しているという。これは全く同感で、私も自分の使う椅子やテーブルはそのくらいの高さに調整している。
市販のテーブルは、70cm以上の高さがある(73cm位のものも多い)ので、明らかに高すぎるのである。もちろん椅子も一般に高すぎる。食事をするにも、本を読むにもテーブルは60cm前後の高さがちょうどよい。そして椅子もそれに合わせた高さにする。

そもそも日本の家屋は天井も欧米の家に比べると低いし、体格も違うのだから、高さは1cm単位で重要だ。もし、使っているテーブルや椅子が、70cm前後なら脚を切って短くするとよい。俄然使いやすくなるのは間違いない。空間も広くなる。喫茶店などが居心地がいいのは、テーブルや椅子の高さを低く抑えているところが多いというのもある。

秋岡氏は日本の職人の大工道具の収集も行っており、西岡常一氏とも知り合いであり、西岡常一氏を世に紹介した最初のほうの人だろう。
私はDIYをする前から、道具の連鎖というものに興味があった。何かを作るには、それを作る道具が沢山あり、さらにその道具を作る道具がありと、道具の連鎖が存在するのである。
秋岡氏は、道具と工具を峻別しており、今の電動工具、丸のこやインパクトドライバーのようなものは工具であり、誰が使っても同じだから、人に貸すこともできるが、大工の道具はそれを調整し、しつらえるのが大きな仕事であるから人に貸せるものではないという。金槌のような単純な道具であっても、実にさまざまな種類があり、決して単純なものではないということが分かる。特に日本の職人の道具へのこだわりはすごかったようである。

また大工道具は刃物が基本だから、研ぎは日常的なものだった。だから、砥石屋も沢山あったし、砥石道楽というものもあった。高価な砥石は恐ろしく高価なものだったからである。
今は、人工砥石が高性能になってきているが、やはり天然砥石の世界は奥が深いのであろう。しかし今は砥石が枯渇してきているので、以前より需要も減ったが供給も激減した。
ほんのすこし前、50年くらい前は、生活とはDIYそのものだったのだ。
今のようにDIYを趣味やライフスタイルとする好き者の世界ではなく、DIYしなければ生活にならなかったのであろう。

室町時代以前の大工の工法は、割木工法であり、法隆寺も全て割木で作られている。直方体に製材して木目を切断してしまうと木の耐久性も激減する。これはある意味自明なことだろう。法隆寺は割木したものの表面を槍鉋で仕上げている。
そして、木の癖を読んで釘などはほとんど使わず、組んでいるのである。
ちなみに新人の職人を「叩き上げ」というが、これは新入りの大工は木を組む技倆がないので、なんでも釘で叩いて仕上げていたから叩き上げという言葉が生まれたそうだ。
木を組んで作った家は解体し、また組み直すことも可能である。そういった工法は20世紀初頭までは日本でも続いていたようだ。

私が思うに、そういった職人技を要する技術、一つ一つ違う木の性質を読んで組み上げるといった人間の凄い知能的な技術は、室町時代以降、木が製材化され工業製品となることで徐々に失われていったわけだが、コンピューターの処理能力が高度になった現代ではそういった技術を復活させられる可能性がある。AIと言わずとも、そういった複雑性を大量に処理することは今のコンピューターには可能だろうし、これから先のコンピュータはますます得意になるのは間違いがない。
そうやって失われた優れた技術が復活する可能性はある。コンピューター時代は、20世紀までのいわゆる工業化社会ではないのである。工業化社会は大雑把な画一性をもたらしたが、コンピューター時代は昔のような高度な職人技の復活を可能とするだろう。
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2017年03月04日

文具のテクノロジー

ここのところ、文房具に嵌って色々と買っては使い勝手を試していた。
日本は世界最高の文具大国でもある。日本にはオリジナリティのある個性的な文具メーカーが多い。これは競争の結果、そういうメーカーだけが生き残ったということだろう。

古来より文房三宝とは、墨、筆、紙のことだが、今風には、インク、ペン、ノートというところか。
これらは三位一体で、どの一つが欠けても用をなさない。

毛筆や万年筆は完成された筆記具だ。毛筆の方は殆ど知らないが、万年筆はやはり良い奴は素晴らしい。値段は割と正直に性能を表すが、十分条件ではなく、必要条件かもしれない。私はペリカンのSouveran M800を万年筆のスタンダード、基準と見ている。ただM800であっても、調整は多くの場合で必要である。
M800を超える書き味を求めようとしたら、やはりM800より高い値段の万年筆から選ぶしかないだろう。
それもやたらと装飾にコストをかけて高価になっているものではなく、書き味に徹底的にこだわった万年筆で高価なものである。そうなるとパイロットやセーラー、プラチナといった国産万年筆メーカーのフラッグシップモデルが対抗できる軸として候補になる。日本語は漢字という複雑な文字を書かねばならないので、万年筆に要求される性能レベルは高くなるのである。

しかし、最近色々と試してみたのは、万年筆ではなく、ボールペンのほうだ。
日本のボールペン開発が今は非常にホットといえるだろう。
三菱のジェットストリームのような油性低粘度インクの開発に始まり、水性ゲルインクの開発も非常に進んでいる。今まで自分はボールペンはジェットストリームばかり使っていたが、水性ゲルインクボールペンの進歩に驚いた。
水性ゲルインクボールペンでは、三菱のシグノ、ZebraのSarasa、ぺんてるのエナージェルなどがメジャーで、どれも非常に優れている。私が特に気に入っているのが、PilotのHITEC-C Maicaである。
このインクは、微生物から作られる樹脂を用いた「バイオポリマーインキ」で、私の印象では三菱のジェットストリーム以来の驚きの書き味を実現している。
ぺんてるのエナージェルはヨーロッパでバカ売れしているそうだが、水性ゲルインクボールペンなのに油性ボールペンのような滑らかさがあり、これもお気に入りだ。

ボールペンはインクの開発がかなりハイテクになっているようで、おそらくボールペンインクのようなハイテク商品は日本の技術力のある大手文具メーカーでないと今後は開発できなくなるかもしれない。
海外の有名ペンブランドは、デザインがよかったりするが、実際は、日本の文具メーカー、パイロットや三菱Uniといったところと比べると、売り上げ規模では弱小なのだ。

日本の水性ゲルボールペンは、線の幅と色の種類で多種多様で、海外ブランドも、もはやパーカーのリフィル規格の軸を作っている場合ではない。日本の水性ゲルインクボールペンはC−300という規格でほぼ統一されているのもよい。それでもリフィルの形状に若干のブレはあるが、対応は可能だ。
だから、高価な軸でC300リフィルが入るものを選ぶのがよい。

思うに筆記具が字体というものを形成する決定的な道具であり、逆に言えば字体は筆記具に即して変化するべきものだろう。歴史的にみてもこれはいえる。
日本は江戸の頃までは、寺子屋で行書を主体に教え、草書も教えていた。
それが明治で、学校で楷書を強制するように変化した。
毛筆で書くことを前提とした場合、行書、草書で書くのが正しく、楷書のような「活字」は適さない。
歴史的にも、チャイナで、行書、草書が最初に生まれ、その後、楷書が規格化された公文書用の文字として開発されたのである。
毛筆は筆圧0で方向性も360度自由に線が書ける唯一の筆記具であり、この特性を生かして行書、草書の流麗な字体が生まれた。

楷書は活字であり、行書のもつ運筆という本質を排除した文字である。楷書は活字であって、活字そっくりに書けることがうまい文字だとされる。これが日本人の文字を決定的に下手くそにしてしまったし、字を書くことを苦痛にさせてしまった原因である。楷書とは公文書用の「活字」だから、自由度がほとんどなく、書く楽しみが失われた文字なのだ。

明治ー大正ー昭和の頃の有名小説家の生原稿を見ると、原稿用紙に万年筆やら鉛筆で書く文字はかなり下手くそだが、筆で書いてる文字は全くの別物で達筆ということがよくある。(ちなみに三島由紀夫は硬筆でもずいぶんとうまい字を書く。)
硬筆で書く楷書と、毛筆で書く行書の間に物凄い落差があるのである。
毛筆で書く行書は、さらさらと楽に早く綺麗に書けるが、硬筆で書く楷書は、書くのに恐ろしく苦労し、おまけに下手くそで、その下手くそさに嫌になりながら書いているように見える。ww

もっとも今はPCで書くのが一般的で、こういった筆記具と格闘することもあまりないだろう。
だが、筆記具で書くことには未だに意味があり、筆記具で書くことが、昔の日本人が毛筆でさらさらと書いていたように、早く楽に楽しく書ける道具であれば、この快楽の道具を手放す理由はない。
今の文房具の進歩が、どうやってこの快楽を開発していくのかが興味深い。一つは万年筆であり、一つは筆ペンのようなハイテク毛筆。もう一つはハイテクインクを使ったボールペンで、どれも可能性がある。
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2017年02月22日

東芝問題

今回の東芝問題だが、ざっと調べたかぎりでは、東芝は倒産する可能性が高いようだ。
東芝の中で原子力事業に関わっている人間は、ごくごく少数であり、ほとんどの社員にとっては今回の話は寝耳に水の話だろう。だが、東芝グループとしてみれば、海外のウェスティンぐハウス(WH)との原子力事業を経営の2本柱の1つに据えていた。結局、海外のWH経由の投資でほとんど詐欺にあい7000億円以上ともいわれる巨額損失をだし債務超過にいきなり陥ってしまったわけだ。東芝には不正会計という問題もあるが、そんな海外の投資案件で詐欺にあい、いきなりの債務超過という事態に陥れば、経営者としてもパニックだろう。不正会計そのものは犯罪性があるが、不正会計をしなければしないで、いきなりの債務超過で伝統ある巨大な東芝グループの倒産ということになるのだから、粉飾会計をして泥をかぶってでも、どうにかして時間稼ぎをしなければと経営者は思ったのだろう。
実際、日本の東芝の幹部も今回のWHとの件はなにがどうなっているのかさっぱり分からないらしい。
海のむこうのWHとS&Wとかいう会社の投資問題が、日本の東芝に降りかかってきたというところだろう。

東芝でも原発事業はそれまでも決して利益の大きい部門ではなかったろうに、なぜそんなものを2本柱の1つにしたのだろうか。これが第一の経営判断ミスだったと思う。ただ売り上げ規模では発電設備事業は全体の売り上げの1/3くらいはあったようだ。
WHを買収したのがそもそも経営的に冒険的な悪手だったのだろう。
2006年ごろにWH買収を決断した西田という社長の投資ミスがすべての元凶だったのではないのか。
東芝の日本国内のイメージは重電の会社ではなく、家電や半導体や医療機器というハイテク会社であった。実際、東芝の社員はそういう風に思っていただろう。原発投資の失敗で、優良な部門から切り売りし、医療に続き半導体も手放そうとしている。

S&Wの件は詐欺に騙された可能性も高いので、あまり無責任に経営者の責任だと責めるのもどうかと思うが、あと数か月で東芝の命運が決まることは確実である。


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2016年11月27日

法律という国のかたち

ある国や社会を知ろうとするとき、その国の歴史や地理、宗教、文化、習俗的なものを知ろうとするのが普通だが、それだけでは不十分だ。その国の法システムを知ることが大事である。
しかし、法律は膨大にして極めて複雑であり、自国の法律ですら何も知らないのに、他国の法システムを知ることなど出来ない。だから、ある程度の概念的な理解に留まるのは仕方がない。

思うにこれは外国だけでなく、自国のことであっても、その法律に対するある程度の理解がないと何もわからないのではないか。
日本では政治的な話題はニュースになるが、それが法律問題として認識されることはほとんどない。派閥や人間関係のドラマとして、面白おかしく報道されるのが落ちである。
マスゴミや元マスゴミのジャーナリストも法律を知らなすぎる。日本の保守系言論人と言われる人も、元ジャーナリストや文学部の教師というのが多く、法律も経済についてのまともな理解力も知識もなさすぎる。もちろん、左翼の連中もこの点は変わらない。

アメリカの特徴としては、政治家に法律家の割合が非常に多いことがある。政治家は本来がLaw makerなのだから当然と言えば当然のことかもしれない。
先進国の中の比較では、日本は法律家出身の政治家は少ない。日本の国会議員は、衆参合わせて717人の内、法曹出身は42人しかいない。
アメリカでは、上院100人の内、51人が、また下院440人の内、151人が法律家である。さらに各議員が多くの法律家スタッフを抱えている。
特にアメリカのような国を理解するには、法律を知らないと何も分からないだろうが、多かれ少なかれ、どの国であっても、国家というのは法律によって国のかたちのアウトラインが決まっていると言える。


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2016年11月18日

24とカタカナ英語

オバマ民主党政権時代、ヒラリーが国務長官だった時は、ほとんど24(Twentyfour)の世界だったようだ。
当然にヒラリーが悪党である。FBIが投票日前に決死の勝負にでて、国民にヒラリーの凶悪性を警告しなければヒラリーが538の予測通りに当選していた虞が強い。

ということを思っているうちに、24をまた観たくなった。
ドラマ24はシーズン8で終わったが、シーズン2を先日見直した。
10年くらい前に見たので、細かい所は忘れている。また今回はClosed Captionの英語字幕で見た。
発音が聞き取れなくても、英語字幕があれば大体何を言っているかは分かる。
しかし、少しでもスラングな表現が入ると全く分からなくなる。

日本人の平均的な英語能力は悲惨なレベルで、日本人の英語べたは世界的にも有名である。日本人の英語はジャングリッシュと呼ばれ特別扱いされているそうだ。w
これは、学校教育の方法論が根本的に間違っているからである。これほどひどい教育をしていても、一切の責任が問われないのだから教師とは無責任な商売である。やはり文部科学省は廃止しなければいけない。
というのが、私のかねてから思っていたことであったが、先日、池谷裕二著「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」という本を読んで、我が意を得た。

基本的に、言語の音を聞き分ける能力は8−9歳までに完成するので、その後努力しても無駄であると書かれている。つまり、その後努力しても、聞き分けることのできない音はずっと聞き分けられないのが、脳科学上の悲しい現実なのである。著者は本職が脳科学者なので、そういう立場で書いている。
実際、日本語であっても訛りはなかなか抜けないし、まして外国語であれば、どんなにネイティブのように話してるようにみえても違うのだ。
またBとVの区別など、なんとか発声を分けることは出来ても、それを聞き分けることはそれでもできないらしい。
しかしだからといって、8−9歳になる前の早期教育で英語を教えるべしという話ではない。
そんなことをすれば、別のなにかがその分だけ教育できなくなるわけで、その弊害がでる。
間違いなくその分、日本語能力が劣ってくるだろう。

むしろ、江戸時代の人間のように、日本語で英語の発音をシミュレートするようにすべきだというのがこの本の主張である。

ジョン万次郎は、年をとってからアメリカに行ったので、当然に英語の音の聞き取りはできなかったが、見事に日本語で英語の発音のシミュレートをしていた。
例えば、What time is it now?を「掘ったイモいじるな」とするなどだ。
White shirtsをワイシャツとよんだ昔の日本人は賢かった。ホワイトシャツでは通じないが、ワイシャツなら今でも外国人に通じる。

これが今の日本の英語教育では、あちらの発音を無理やり発声させようとする。舌と歯の位置がどうのとか、唇の形がどうのこうのとか、日本人にできるわけもないことを強制するのが正しい英語教育だと思っているわけだ。
と同時に、What time is it now?の発音表記としては、リエゾンを完全に無視して「ふぁったいむいじっとなう」などと英語教本には表記する。
だが、この表記ではまず通じない。一方、「掘ったイモいじるな」をストレートに読めばそれで通じる。

つまり、英語の発音を江戸時代のジョン万次郎のように、カタカナでシミュレートすることは十分に可能であり、日本人はそのようなリエゾンや音の省略までをも再現したカタカナ発音を教えるべきなのである。
そして、そのようなカタカナ発音ができるようになれば、英語の聞き取りもできるようになるのである。

この本で読んでいたので、24をCCで見ながら英語について考えていた。
24の場合、大統領官邸の場面が多く出てくるし、CTUもエリート部隊であるから、そんなにスラングはでてこないし、どちらかというとフォーマルな英語なのだろう。だからわりと分かりやすい。だが、人によって聞き取りにくい発音は結構ある。私にはミッシェルの発音など分かりにくい。
また簡単な単語しかでてこない文章でも意味がぱっと響いてくるという感じにはならない。

つまり、日本語をきく場合、
日本語→分かる。となるが、英語の場合、
英語→日本語→分かる。 と、日本語がバッファーとして入るくせがついてしまっているのだ.
ここで、分かるとは何かが問題だ。
基本的に、会話言葉は相手があるものなので、分かるとは相手の気持ちと意図の理解が基本だ。
つまるところ、相手の気持ちを理解しようという気持ちで聞いていると、この日本語バッファーが少し小さくなってくる感じがする。また実際そういう気持ちで話を聞かないと、外国人がわけのわからん奇声を発するエイリアンのように思えてくるのだ。

最後に、池谷氏の本の発音の例を少し載せておく。
なお、このカタカナ発音表記には、ちゃんとルールがあるのである。

I want you to →あいわにゅる
Do you mind if I open the door?→じゅまいんでふぁい おうぺなどあ?
Nice to meet you →ないすとみーちゅ
Good afternoon → ぐらふとぬーん
Good morning → ぐっもーねん
You are welcome →ゆおうぇうくむ
Not at all →ならろーう
Thank you →てんきゅ
Take care →ていけお
How are you? →はおゆ?
I've got to go →あいがーらごぅ
a couple of minuites→あかぷらめねつ
What is up? →わつぁ?
I need a cab → アイニーラキャーブ
I am getting off →アイムゲリンガフ
Take it easy →ていけりーずぃ
Say it again →セイーラゲイン
Are you sure? →オユシュオ?
I am not sure →アイナッシュオ
I didn't know that → アイディンーノウダーッ

怖いくらい通じるカタカナ英語の法則 ネット対応版 ネイティブも認めた画期的発音術 (ブルーバックス) -
怖いくらい通じるカタカナ英語の法則 ネット対応版 ネイティブも認めた画期的発音術 (ブルーバックス) -
posted by libertarian at 18:24| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

定款としての憲法

アメリカ合衆国の歴史は短いとはいえ、独立前の期間も入れると実はそれほど短くはない。
独立(1776年)からは240年だが、アメリカ入植を日本で関ヶ原の戦いがあった1605年くらいとして数えれば400年以上ある。
日本では、アメリカ史やアメリカ法に関する碌な本が私の知る限りないが、その中で阿川尚之氏の著書は別格である。「憲法で読むアメリカ史」は名著であったが、先日、最新刊の「憲法改正とは何かーアメリカ改憲史から考える」を購入して読んでいる。全部は読んでいないが、この本も前著に負けず劣らずの名著である!

この本は、アメリカ憲法の成立過程から改憲の経緯を書いたものだが、ほとんどの日本人が知らないだろう空白のアメリカ独立前史からのアメリカ憲法の成立過程を分かりやすく説明している。
私も入植から独立までの160〜170年の期間がどういうもので、どういった経緯で憲法の制定に至ったのか具体的なことを調べようとしたことはあったが、日本ではまともな本が見当たらず、積年の疑問であった。
ハイエクの「自由の条件」は、アメリカ憲法の本質について書いたものだが、歴史的な事実関係が分からない。おそらくハイエクもあまりちゃんとは知らなかったのだろう。w
だが、この本を読んで、かなりすっきりと分かってきた。

この本から、アメリカ前史から憲法制定に至る経緯を簡単にまとめておこう。

1.株式会社型植民地
アメリカの植民地の大半は株式会社として発足し、定款を有していた。その代表がバージニア植民地である。
植民地人は従業員のようなもので、定款や経営に関して発言権は当然になかった。
しかし、バージニアの総監(国王に委託された子会社の社長のようなもの)は、移住者をさらにつのり士気を高めるため代議員会議を作らせた。

同様にマサチューセッツ湾会社の植民地では、会社の定款はそのまま植民地の憲法として用いられた。マサチューセッツ湾会社では、自分たちの信仰に基づく共同体を築くために勅許を得て作られた。バージニアの会社の出資者はイギリスに残ったが、マサチューセッツ湾会社では出資者もアメリカに渡ったという違いがあった。

重要なポイントは、株式会社として発足した植民地では、当初は本国イギリスのコモンローは適用はされなかったということだ。植民地は本質的に王の所有物であり、「王の法」が植民地の法に優先した。つまり植民地の住民は会社の従業員のようなものなので、会社のルールに従うだけだった。

#ちなみに、定款とは国王から与えられた勅許状のことである。これには、会社組織と運営の大綱を定めていた。本拠地はロンドン、総督(governer)という社長を置き、総督と投資家からなる諮問委員会(council)は総会を開く。植民者はこの会社と契約を交わして新大陸に渡った年季奉公人である。

2.社会契約型植民地
プリマス植民地では、メイフラワー盟約に基づいて作られた。彼らは国教会の権威を認めないピルグリムズという信仰集団だったのでイギリスでは迫害されており、それを逃れてアメリカに理想的な共同体をつくろうとしていた。しかしプリマス植民地でも、株式会社型植民地の定款を基に法律を作った。

3.封土型植民地
メリーランド植民地では、株式会社型ではなく、国王が臣下に植民地を領土として与え、絶対的な独占的所有権と統治権を領主が持っていた。しかし、この形の植民地も住民の協力がないと経営ができなかったので、植民地議会と会社型の統治機構を採用するようになった。

4.フレンチ・インディアン戦争(7年戦争)
フランスとのこの戦争でイギリスは、多大の戦費を使い、獲得した領土管理のためにも多額の資金を必要とした。イギリス本国は、この負担を戦争の最大の受益者である13植民地に対する増税によって求めた。
しかし、彼らは本国議会に代表を送ることが許されていない。代表なくして課税なし。ボストン茶会事件などを経て1775年独立戦争が始まる。しかし、13植民地は必ずしも独立を望んでいたわけではなく、課税をやめ、自治権を認めてくれればよいと思っていた。
だが、トマスペインの「コモンセンス」などで独立しか道はないとアジられ、独立に進んでいく。

そして13の植民地が平等にイギリスからの独立を果たすが、アメリカ合衆国という国の形はまだ何もない状態だった。13の共和国が独立したわけだが、かえって総督という対抗軸を失った議会は権力の濫用に走り政治混乱が起こった。
13国の同盟に連合規約はあったが、それらは条約であり、独立後に安全保障、通商政策、通貨管理などをどうするかという問題があった。
これらの問題により、新しい国のかたちと憲法を必要とする気運が生まれる。
アメリカ憲法は、「より完全な連合を築くために」制定された。


以上、少し詳しく纏めたが、要するにアメリカの植民地なるものは、大半が株式会社組織であり、各州が議会や法律を勝手に作り自治はあったが正式に認められたものではなかった。そして各植民地の法律は定款をベースに作られた。
アメリカ独立戦争は、これら株式会社が正式に国としてイギリスから独立する運動であった。
独立により、従来から運用していた各植民地の自治的な組織、法律や議会がイギリスから承認されたともいえる。
しかし、この時点では、13国の同盟でしかなく、アメリカ合衆国ではなかった。
その後、アメリカの国の形と憲法が作られていく。
憲法改正とは何か: アメリカ改憲史から考える (新潮選書) -
憲法改正とは何か: アメリカ改憲史から考える (新潮選書) -
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2016年11月13日

藤田嗣治の時代

今、府中市美術館で藤田嗣治の展覧会をやっている。 (12/11まで)
(同時に、千葉の河村記念美術館でも展覧会をやっている。1/15まで)
私は府中市美術館での展覧会を先日見てきたが、なかなか充実していて面白かった。

藤田嗣治は、日本で最も世界的に成功した画家と言えるだろう。藤田は1886年生まれ(今年で生誕130年)。
年譜では藤田の父は軍医の藤田嗣章と簡単に書かれることが多いが、藤田嗣章は森鴎外の後任の陸軍軍医総監となった超大物である。これは中将相当のトップになる。

そういう名門の家に生まれ、1904年の日露戦争時には18歳、1914年の第1次大戦時には28歳だったわけだから、日本が大東亜戦争に負けるまでの破竹の勢いのあった頃の日本、ある意味一番いい時期の日本で育った人間だったといえる。

藤田はフランスで大成功し、一財産を築いた。日本に帰国後は、大東亜戦争時には、超大作の戦争画を描いた。
展覧会でも、「アッツ島玉砕」などの3作が展示されていた。巨大な絵で、とてつもない力作である。
こういった作品は、将来は国宝として扱われてもよさそうなものである。
藤田は、rising sunの画家であったから、これはまさに藤田の集大成ともいえる画業だろう。

だが、戦後は藤田の戦争画は、戦争協力行為として一転批判されるようになり、藤田は嫌気がさして再度フランスに渡り、そこで一生を終える。(1968年)

藤田嗣治に興味を持って何冊か本を読んでみたが、なかなか面白い。林洋子氏の「藤田嗣治 手しごとの家」「藤田嗣治 本のしごと」といった本を見ると、この画家の全体像が見えてくる感じだ。
特に藤田の展覧会に行ったときに注意してみるべきは、額縁である。私は額縁が面白いと思って興味深くみていたが、藤田作品の額縁の多くは藤田のDIYによる手作りである。このことは林洋子氏の本で後で知った。
藤田の作品は絵と額縁のセットで見るべきものである。画集だと額縁はうつっていないので展覧会には額縁を見るためだけにも行った方がよい。w
藤田はDIYの走りともいうべき画家で、なんでも手作りしている。

20世紀の現代史を藤田という傑出した画家の生涯に沿って眺めてみると、その時間感覚と時代感覚がなんとなく分かってくる気がするのである。
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2016年11月05日

丸裸の日本

飯柴智亮著の「金の切れ目で日本から本当に米軍はいなくなる」を読んだ。
筆者の飯柴氏は元アメリカ陸軍大尉で国際関係論の博士でもある。

日本に戦後70年以上、ずっと米軍は駐留しているわけだが、あまりにも長いこといるおかげで空気のような存在となっており、一体、彼らが何をしているのか、何を考えているのかなど軍事オタクでもなければ気にもしていないだろうが、この本を読むと、その軍事的な合理主義が少しわかる。
軍事というのは、科学のようにきわめて合理主義的なもので、主観や人情といったものは介入する余地がない。生死がかかっているので、必然的に超合理主義的になるのであろう。

ここから少し抜粋しておくと、

・ミサイルディフェンスの基本は、発射前の段階で発射させずに潰すこと。
・陸自は全く無用の長物であり、これを全廃して戦略ミサイル部隊にする必要がある。
・戦略ミサイル部隊とは、射程3000−4000kmのミサイルを1000基装備した部隊。
・国産ステルスX-2心神はエンジン出力が足りず、そのためミサイルを格納搭載できない。実は全く意味のないステルス戦闘機である。→ミサイルを外付けにするとステルス機ではなくなるから。
・誰が国家機密に接触できるかの基本であるセキュリティクリアランスのシステムが日本にはない。日本の国会議員はアメリカ基準ではこのクリアランスを取得できない。
・日本の自衛隊空軍の任務は、嘉手納、岩国、横田、三沢の分軍飛行場を守ることにあり、日本の防空ではない。
・海自の任務は、米第7艦隊を守ることにあり、掃海と潜水艦の哨戒がその役割。
・海自にイージス艦、対潜哨戒機の比率が非常に高いのは、米空母を守ることが海自の主な任務だからである。 海自は第7艦隊の外堀の役割に過ぎない。
・2016年3月に来日したメルケル首相が安倍首相にこういった。「日本がNATOに加盟して何が悪いのか?私は、イギリスとフランスを説得できる。」
・日本で米中大戦争があって、日米同盟があったとしてもアメリカが日本に残ってほしいのは2か所のレーダー基地と横須賀、佐世保の港湾施設だけ。他が全滅しても構わない。
・現在の在日米軍は総計45000人。沖縄に2万人。本土に25000人。20年前は10万人いた。
・米海兵隊の敵は、昔はソ連、今は支那。第1撃で全滅する可能性の高い沖縄に海兵隊がいても無駄。海兵隊は沖縄から完全撤退する可能性がある。この点において基地問題で騒いでいるのは意味がない。
・日本人は、水と安全と在日米軍はただと思っている。

実際、日本の自衛隊は軍隊ではない。それは法律上、警察の延長にある組織にすぎず軍法もない。またここが重要な点だが、自衛隊の主な任務は日本人と日本の国土の防衛ではなく、日米安保条約に基づいて在日米軍と在日米軍基地を守ることにあるのである。
日本はアメリカ軍がいなければセキュリティ的に丸裸の状態だが、アメリカは自国の国益にかなった合理主義で動くだけだから、日本の防衛のために動くことはない。
もし米軍が台湾から撤退したら、その翌日に支那は台湾に攻め入り、あっという間に台湾を占領し、次の日には沖縄を占領する。こういった軍事行動はこのくらいのスピード感で行われると予想されている。
日本は憲法9条の封印を解き、第2の開国を成し遂げなければ支那の餌になる可能性が非常に高いのである。
そのためにも、トランプが大統領にならないと日本の近い将来は真っ暗といえる。
もしクリントンが大統領になったら、日本はほんとにやばい状態になりそうだ。そして今のところ、その最悪の可能性はかなり高い。

posted by libertarian at 00:03| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月18日

建築の寿命

建築のスクラップアンドビルドというのは、割と重要なテーマだと思う。
だが、この問題に真正面から向き合った考察は寡聞にして知らない。
建築を文化財として考えれば、できる限り長く保存すべきだということになるし、消費財の一つにすぎないと考えれば経済性でスクラップアンドビルドするということになる。

日本も戦後の名建築は筑後40−50年という短期間でスクラップアンドビルドされるものが多い。
これを、どうにかして残そうというDOCOMOMOのような運動もあるが、何の強制力もないので、残されるものは少ないのが現実だ。

私もレトロビンテージが好きなので、味わいのある旧い建物はなるべく残ってほしいと思うわけだが、それを許さないメカニズムが何なのかを明確にしないといけないだろう。
もっともモダニズム建築が割と簡単に壊される傾向にあるのは、必ずしも日本だけの現象ではないようで、アメリカでも同様のようだ。
もともとモダニズム建築が工業化社会の商品として生まれたということは、それがスクラップアンドビルドされることを想定していなければおかしいとも思われる。

日本の場合は、建築基準法がどんどん変わり、耐震基準も変わるし、それに適用しようとすると壊して建て直した方が安上がりという現実があるのは事実である。また、建築に事実上の減価償却期間が定められているというのも日本に特異な状況である。

建築基準や減価償却期間の問題は立法論上の大問題であり、経済的な合理性がそれらの規制にあるのかどうかは問題である。おそらく減価償却期間の設定は全く有害無益な規制であろうと思う。

だが、RC建築の寿命は当初言われていたより短く、実際50年程度で相当にガタがくるのは事実のようだ。
これはコンクリートという人工物素材の限界なのかもしれない。
コンクリートでなく天然の石造りの家や木造建築は、ずっと長くもつだろう。

その点、RC建築をベースとしたモダニズム建築は、やはり50年が限界で、建て直すしかないのかもしれないとも思う。
もし、ほんとにそのデザインがいいのなら、デザインをそのままに構造だけ新建築基準に準じた作りで再構築するというオプションもある。

前川国男の名作建築であるとか、私の子供の頃はまだできたばかりという感じで、子供ながらにその雰囲気に感動し圧倒されたものである。それが終わるということは自分の生きてきた時代が終わるような気がして寂しいものがあるが、そう悲観するほどのことではないのであろう。w







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2016年09月19日

人間は間違いを修正しないといけない

随分と昔に書いた「Hayekを読む」を再掲した。
昔書いた文章を読むと間違いだらけで消したくなるが、これもヒストリーということで消していない。
おまけに書いた自分が読んでも一体何を言っているのかよくわからないものが多い。w
このHayekシリーズは文章は長いが引用が長いだけなので、短時間で書いた記憶があるが、比較的に何を言っているのか分かるので載せた。

ハイエクに対する私の評価は随分と小さくなったが、ハイエクの後期作品は未だに魅力はある。
ハイエクは経済学者としては3流以下だろうが、後期作品で示した政治思想は未だに意味があると思う。
ただ、ハイエクの事実認識はかなり間違いが多いのである。
昔はネットなんぞなかったということもあるが、調べずに書いたのか、思い込みで書いたのだろう。
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2016年09月11日

豊洲移転問題について考えなおした

豊洲移転関係の都のpdf資料をいろいろと見てみた。
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/project/punflet/

遅まきながら見たのだが、なかなか面白い。
やはりこういう問題は双方の言い分を偏見なく聞かないといけない。
次のまとめサイトもある。
豊洲新市場は欠陥施設なのか?
http://togetter.com/li/1014036

今日は小池都知事がなにやら粛清するとかいうニュースがあり、なんとも穏やかでないと思っていた。問題は建物部分に盛り土がなく地下室になっているということだが、そういう工法を採用したというだけで別に問題とするようなものではないらしい。あれ自体が基礎の一部になって安定性がますという算段なのだろう。

この豊洲移転問題は、反対派がほとんど共産党系の人間なので、原発反対とおなじような雰囲気がある。
私も原発は反対なほうだが、共産党の反原発とは違うのである。
森山高至氏がこの先頭に立っていて、この人自身は共産党と直接に関係がないのかと思っていたが、やはりあるのかもしれない。w 
中沢新一と意気投合したというのはかなりやばいだろう。w
小池都知事も森山さんの反対意見にオルグされてしまったのかもしれない。

共産党は逆神なので、共産党が移転反対ということは、やはり即刻移転した方が賢明なのかもしれない。w
私も最近のレトロビンテージ趣味が昂じて、築地のボロがいいと思っていたが、やはり合理的に考えて豊洲に移転した方がよさそうだ。
もう一つのオプションとしては、豊洲に暫定的に移り、築地をその間に立て直してまた築地に戻り、豊洲はその後売り払うというのはどうかと思ったが、そこまでする意味はないだろう。w
不具合は最初はあるだろうが、おいおい直していけばいい。

もちろん、耐震偽装などがないという条件だが、耐震偽装の話もほんとかどうかは分からない。
とはいえ、たかが仲卸市場といってはなんだが、そんなものにコストをかけ過ぎだろという疑問は強い。
コールドチェーンだ、HACCPだと仕様を欲張り過ぎたのではないか。



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2016年08月22日

帝都の面影を捨てた街

東京の建築を通して一九世紀の終わりから今に至るまでの変遷を見てみると興味深い。

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2016年08月21日

建築ツーリズム

日本の建築は1960年代に名作が多いが、この頃作られた建築が50年位たって、はやくも取り壊しの危機に瀕している。
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2016年08月03日

ヘリコプターマネー

ヘリコプターマネーは、ミルトン・フリードマンの作った寓話であるが、この話の意味は、金融政策と同時に財政政策をすることである。お金を刷るだけでは巷に流通するまでのプロセスが複雑なので、一挙にヘリコプターでばらまいて巷にカネを流通させるという思考実験だ。


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2016年07月21日

誰にも正解のわからない問題への対処法:Problems nobody knows the correct answer

世の中には正解はあるだろうが、その正解が誰にも分からず検証も不可能という問題は沢山ある。
#検証不可能というのは原理的にとどまらず現実的に検証が不可能というのも含む。

例えば、放射能の安全性問題は、福島第一原発事故以来、喧しい言い合いが起こっているが、この問題はまさに個人には検証不可能な問題である。専門家であっても放射能の安全性に関して、放射性物質の体内被曝の問題を含めて確かなことを言える人は今のところいない。こういうのは実際の経験例から判断することなので、その手のデータがほとんどない状態ではいわゆる専門家にも誰にもホントのところは分からんのである。これは長い時間をかけて臨床結果を統計的に分析することでしか判断できない。

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トルコは今後どうなるか?

トルコのクーデターで、エルドアンはまさに独裁者としての地位を固めつつある。戒厳令下で法の支配の全くない状態になっているようだ。エルドアンのようなイスラーム主義者にとっては、もともと世俗主義の産物でしかない国家の法律など糞食らえといったところだろう。エルドアンはこれを好都合としてトルコのイスラーム回帰を加速するのは間違いない。
もとよりエルドアンはいままでも出所不明の莫大な資金を使って大宮殿を作るなど既にやりたい放題の独裁者となっていた。
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posted by libertarian at 22:35| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みみっちい日本のネット

ネットは未だに指数的に拡大しているが、ここ10年位をみるとどんどん一極集中化が起こっているように見える。Googleに独禁法を適用しようとかヨーロッパはしているようだが、うまくいかないだろう。
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2016年07月18日

教育と医療:The Worst 2 system

教育システムと医療システムは近年に肥大化したものだが、この2つは現代の最大の問題とも考えられる。
結論からいえば、この2つは福祉国家を標榜する国家の法律体系に組み込まれているために巨大な利権システムと化しており、何人たりともそこから逃れることは難しい。
この2つを真っ向から批判したのが、哲学者イワン イリイチであった。

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2016年07月17日

トルコのクーデター

トルコのクーデターが起こったが、早々と鎮圧されたようだ。
詳しいことは何もわからないが、このニュースを聞いて最初に思ったのが、軍=世俗主義で、エルドアン=イスラーム回帰という構図だ。
昨日の段階ではアメリカに亡命中のギュレン師が黒幕だといった報道だったが、今日のニュースを見ると、軍は世俗主義勢力だという点に触れられているものがでるようになった。
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posted by libertarian at 18:24| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

ニースでのテロ

フランスのニース(nice)でテロが起きた。
私も以前、ニースには行ったことがあり、ニュースにでてくる町並みは見覚えがあるところだった。
80人以上の一般人が殺された悲惨なテロであるが、これもやはりIS絡みのテロなのであろう。

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Apple新本社社屋:Apple Campus2

アップルの巨大な本社新社屋がそろそろ完成するそうだ。
http://gigazine.net/news/20160404-apple-campus-construction/

昔から、メーカーが本社を立派にすると経営が傾くと言われるが、これはおそらくアップルにも当てはまるかもしれない。
そもそも今の時代に巨大な本社は時代遅れである。通勤しないでも勤務できる形を作った会社のほうが強いだろう。
この本社には工場も研究所もなさそうだから、これは時代に逆行した大企業病であり、アップルも例外ではないということだ。今更、巨大な本社社屋はなんともあほらしい。
もしかしたら、この建物の目的にはデータセンターの機能もあるのかもしれないが、よくわからない。

本社を立派にするのではなく、週に1−2回集まるだけの集会所があればいいはずだ。
もはやアップルも創業50年近い成熟企業で衰退期に入ったと私は思う。
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転職(転社)できる発展する社会

日本は終身雇用制だったが、それが崩れつつあると言われるようになって久しいが、正直なところ、あまりそれは実感しない。
そもそも公務員は典型的な終身雇用でこれは未だに全く不動だ。(→キャリア官僚は例外だが)だから、近年、民間に比べ給与待遇もよく、さらに解雇されないことが保証されている公務員の人気が高まっていた。

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2016年07月09日

System1 vs System2

カーネマンによるとシステム1は、人間の知覚判断のようなほとんど無意識に行われる早い思考で、システム2は計算をするときのような頭を使う遅い思考のことを指す。

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2016年07月02日

日本人は差別の対象である : On Discrimination

ヨーロッパも移民、難民問題で混沌としているようだが、それに比べ、日本は今の世界ではパラダイスと言っても過言ではない国であろう。
しかし、旅行者として海外へ行くときはほとんど感じないが、日本人が海外に行けば多くの場合、差別の対象となる。アメリカに行けば、黒人は東洋人を自分たちより下の階層とみて差別したがるようだし、イスラム圏に行けば無神論者や異教徒の外人は奴隷並みの存在であると看做されるだろうし、ヒンズー教のカースト制度のインドに行けばアンタッチャブルと同類に看做される。人によって表面に出す出さないはあるだろうが、潜在的にそういうものと看做されるわけである。

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2016年06月24日

Brexit

イギリスのEU離脱が決まったが、特に意外な気はしない。
なぜなら最初からほぼ互角だったので、どっちに転んでも意外ではない。
スコットランドは残留派であったが、イギリスのEU離脱が決まったので、今度はイギリスからのスコットランド独立論が再燃し、イギリスから離脱してEUに入ろうとするのかもしれない。

長期的には今のEUという仕組みはそのまま存続できるわけもないので、今回のイギリスのEU離脱によって、EU体制が将来的に遅かれ早かれ崩れていくだろうことが明らかになったと思う。
まあ、イギリスが離脱したとしても、自由貿易は相互にメリットがあるわけだから、今後の交渉で離脱後も自由貿易体制はそのまま存続させていく方向にいくこともありうる。
イギリスはもともとユーロに加盟もしておらず、シェンゲン協定にも入っていないのだから、自由貿易体制さえ維持できれば大した不都合はないのではないか。
こういった出来事の意味というのは、大げさに悲観的に語られるが、それも予断にすぎない。

だが、もしスコットランドがイギリスから離脱するとヨーロッパは地政学的に不安定になるだろう。
本当はこちらのリスクの方が大きいかもしれない。
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2016年06月22日

Build a house

「1日を楽しみたいなら本を読みなさい。1年を楽しみたいなら種を撒きなさい。一生楽しみたければ家を建てなさい」という建築会社のCMが昔あった。これはイギリスあたりの言葉らしいが、最近、この言葉の意味が分かった。そもそも家を建てたらなんで一生楽しめるのかと疑問だったわけだが、これは建築会社に家を建ててもらうということではなく、自分で家を建てるという意味であろう。
自分で家を建てれば、確かに相当長い間、DIY を楽しめる。w

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2016年06月19日

主人のいない奴隷:Slaves without Master

イケダハヤトという若い人が「まだ東京で消耗しているの」というBlogを書いている。
少し見ただけだが、本人がサラリーマンを辞めて高知に移住してブログなどの収入だけで豊かに暮らすという実践的な内容のようだ。
たしかに東京の通勤は異常で、悲惨ですらある。このネットの時代になんで会社なんて場所にわざわざ行く必要があるのだろうか?

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2016年06月16日

電波オークションを実施すべきである:Pulse Auction

日本社会における最大の問題の一つに左翼に簒奪されたメディアの問題がある。
日本のメディアは左派に完全に簒奪されており、テレビ、新聞など全くお話にならない酷いレベルなわけだ。
特にテレビの偏向報道を批判する、「放送法遵守を求める視聴者の会」というのが発足した。

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2016年05月21日

Vintage

「なんにもないぶろぐ」というのが、本になり、ドラマになったようだ。
http://nannimonaiblog.blogspot.jp

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2016年05月15日

テーブルと椅子:Table and Chair

キャンプをすると、テーブルの偉大さに気付かされる。
テーブルがないと、なんでもかんでも地面に置くことになり不便だし不潔だが、小さなテーブルがあるとその空間に人類の文明を感じる。
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2016年05月08日

工作の知性:Intelligence of Craft

連休は、工作したり塗料を塗ったりして暮らしていたが、やはり物を作るというのは面白い。物を作るなかでしか育まれない知性というのはあるだろうと思う。続きを読む
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

新白河原人:Ultimate DIY

守村大の「新白河原人」が面白い。
福島に広大な土地を購入して移住した漫画家のエッセイだが、究極のDIY生活の奮闘ぶりが見事な文章で活写されている。
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2016年04月24日

自由人のための工作:Do it yourself

最近はDIYに少々はまっている。
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2016年03月27日

DIY

DIYで家の簡単な補修を少しやったところ、その効果の大きさに嬉しくなり、木工工作をしたくなった。
のこぎりとか昔ながらの大工道具は持っているが、これを使いこなすのは大変だ。
のこぎりでまっすぐに切る、垂直に切る、平行に切るというのは容易ではない。この基本がうまくできるのは匠の技としかいいようがない。また、分厚い木材を切るのはかなりの重労働でもある。
大工の理想は宮大工の西岡常一棟梁であるが、邪道ながら電気工具を使うことにした。丸鋸はまだ怖いので電気ドリルやジグソーやサンダーなどを買った。このくらいでもかなりのことができる。あとはルーターや工作台があれば十分だ。
しかし、こういった電気工具は屑を大量に出すので部屋の中でやるわけにはいかない。
作業場が必要だ。資材をがっちりと固定する作業台も必要だ。アメリカのように家が広ければ、屋内ガレージで作業をしたりとかできるが、東京でそんな作業場を用意するのは難しい。
そこで今考えているのが、別荘の購入である。
しかし不動産の購入は慎重を要する。木工といってもそんなに作るものは沢山ないから、そのうちに飽きるであろうことは容易に想像がつく。
だが、風光明媚な田舎に拠点を持てば、天体写真などもできるし、釣りやキャンプなどのアウトドアもしやすくなるかもしれない。いろいろと妄想は広がる。w
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2016年02月28日

LP

LPレコードが何百枚もあり場所をとるため処分しようと考えた。
ずっと前にレコードプレイヤーも処分してしまったので、LPだけあっても聞けないのである。w
しかし、整理しているうちに聞きたくなった。それに旧いレコードだと必ずしもCDになっているわけでもないようだ。

そこで、DENONの安価なレコードプレイヤーを購入して、20年ぶりくらいにLPを聞いたのだが、音の良さに驚いた。
そこらのCDより遙かに音がいい。
というわけで、処分するのはごく一部だけにし、大事にとっておくことにした。w
CDなんかも、性能のよいDACを通すとかなり音がよくなるが、これは一種のアップコンバートをやっているのであろう。元のアナログの波形に近くする処理をしているわけだ。
それでもCDは44KHzで音がカットされているから、失われた倍音成分は回復できないと思われる。
LPのアナログの音は、その点でナチュラルで瑞々しい印象がある。

最近はLPが静かなブームらしい。
AppleMusic,Amazon Musicと音楽を気軽に聞く環境は劇的に進んだが、音楽を聞く時間、聞ける時間はあまり変わらない。
コンサートに行って音楽をじっくりと聞くような時間は貴重であり、LPレコードを聞くというのは、そういった能動的な行為に近いものがある。
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2016年02月14日

Pyramid

ギザの大ピラミッドについて、youtubeで何本か見た。
私も30年ほど昔、大ピラミッドを見に行ったことがある。あれから政変などがあったが、基本イスラム社会なので今も当時とあまり変わっていないだろう。

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2016年02月13日

コンプライアンスは法の支配を破壊する:Compliance fascism,Unknown Capitalism

The Americansのような80年代の冷戦時代のスパイものドラマを見ると、少し前のことのような、遠い昔のような感じがする。この時代は右と左、リベラルと保守という対立軸が強くあり、それこそが問題の本質であると多くの人が思っていた。

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2016年02月07日

必勝法のないゲーム:GAME

将棋もチェスも囲碁もポーカーも麻雀も必勝法は今の所ないと思われるが、強い悪いは厳然としてはっきりとある。つまり、初心者や自称初段程度のアマチュアがプロ棋士と指しても全く勝負にならないし、100%負ける。仮に1000回やっても1回も勝てないのは確実だ。このように、必勝法はないが、強い弱いの差が激しくあるのが将棋のような勝負の世界である。プロ同士であっても、当然ながら強い弱いがある。
投資というのも勝負の世界であり必勝法はないが、やはり強い弱いがある。
これは、将棋でいえば具体的に技術の違いということだ。将棋はゲームとは言っても手筋や定石など覚えることは山ほどあり、詰将棋や必死の技術といったものがたくさんある。こういった技術の高低によって力の差が激しく生まれる。投資も同様にこのようなゲームの一種と考えることができる。そうであるなら、ロジャースやソロスといった有名投資家はゲームにおける強者だということだろう。

そしてゲームには、将棋のような完全情報ゲームと、ポーカーのような不完全情報ゲームがある。
不完全情報ゲームとは、自分のカードを隠すゲームのことだ。
将棋は全部オープンであるから完全情報ゲームだ。
では、投資、例えば株式投資のようなものは、どっちなのか?
これがよくわからない。これをどっちかと考えるかによって、投資の考え方は大きく変わるだろう。
私は完全情報ゲームの一種だろうと思う。
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2016年01月30日

Kindle

最近はキンドル本ばかり買う。キンドルになっていない本はしょうがないので図書館から借りて読むようにしている。どうも家の中が本だらけになるのが鬱陶しい。
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Carbon diet again

1年前に怪我をして以来、自転車にも乗らず運動を全くしていなかったが、体重がかなり増えてしまった。
さすがにこれではまずいと糖質ダイエットを再び始めることにした。
ご飯や麺類など炭水化物をなるべく採らないようにするだけだ。

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2016年01月28日

大聖堂と裁判所:Basilica

古代ローマには裁判所があったのかなかったのか定かでなかったので、調べてみた。
そもそも裁判所という場所がなければ、法律だけあっても運用ができないので、当然にあるはずである。
ちょっと調べたところ、やはり古代ローマにはちゃんと裁判所があった。裁判所はバシリカと呼ばれ、後に大聖堂がバジリカと呼ばれる元らしい。

しかし、古代ローマの裁判システムの説明が見当たらない。
そこで、「古代ローマ人の24時間」という本を見たところ、簡単な話が載っていた。
裁判は百人法院という180人の判事集団、それと弁護士に被告、原告で構成されるようだ。
当時は裁判そのものが雄弁術と記憶術を駆使する舞台であり、多くの観客がいたそうだ。
しかし裁判官について記載がない。だれが判決を下していたのであろうか?
ここら辺のところはさらなる要調査である。

塩野七生さんは、哲学科を出ているらしいが、法律はあまり興味がないようである。それなのに、哲学の国家ギリシャでなく、法律の帝国、ローマが好きらしい。
だがアメリカにしてもローマにしても、法律という観点がないと、所詮は通俗的な理解しかできまい。w

あと、ローマ帝国の版図は地図で見ると広大だが、当時、人口はどのくらいだったのか調べてみたところ、紀元1年頃のローマの100万人とwiki にあった。今の世田谷区くらいの人口規模である。
これはローマ市民とその他(奴隷その他)を入れた人口だろうか。他にも植民市とか属州があったから、この数倍(2−3倍?)が当時のローマ帝国の人口になるかもしれない。あの広大な領土にして、それしか人がいなかったわけだ。当時はまだほとんど土地が開拓されていなくて野生にあふれていたのであろうが。
この内、ローマ市民権を持ったローマ市民は30万人くらいか。
奴隷は人口の10%程度だったらしい。

高校の世界史はやたらと沢山のことを暗記させる愚劣な暗記コンテストと化しているが、教科書にも資料にもこういった具体的な数字がほとんど載っていない。分からないのもあるだろうが、そういう数字を伴う具体性について教科書を作っている連中の意識が向いていないようだ。
電話帳のような細かなことの暗記なんかしても、試験が終わったら何も残らないだろうに、愚劣な努力を弱者である学生に強いるのが現代の教育という強制収容所システムの悪辣なところである。

追記)
さすがに数百万人は少なすぎると思い、さらに調べたところ、よいサイトを見つけた。
http://heartland.geocities.jp/zae06141/romandata1.html
http://heartland.geocities.jp/zae06141/roman_population2.html

これによると、アウグストゥスのAD14年頃のローマ帝国は4500万人。
ローマ市の人口 100万人で、帝国内でローマ市民権を持つ人の全体493万人。
奴隷も1割だと450万人程度。残り8割は奴隷ではないがローマ市民権を持たない人か?
このくらいであれば納得だ。w

しかし、これだけ人口があれば裁判所もそれなりの数がないと処理しきれなかったろう。
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2016年01月20日

Socialism,Communism,Anarchy

ソ連や中国は社会主義か、それとも共産主義なのかというのは素朴な疑問としてあるが、正解は社会主義ということになる。共産主義とはアナーキーな状態、政府のない状態なので、共産主義への道の前段階として社会主義国があるという理屈らしい。
ここでアナーキーという言葉の定義がまた問題になるわけだ。
アナーキーの意味も曖昧なままに無政府という言葉にあこがれる人間は、共産主義者であれ、アナルコキャピタリストであれ、本質的に変わらないのであろう。W

歴史的には、今の国家はナポレオン以降のものと考えられているので、1700年代までの世界に国家はなかった。歴史を記述する際にも、ここを境にして別の記述の仕方をした方がよいのではないかと思ったりする。
ハプスブルク朝とか、なんとか王国というのは軍事セキュリティ上の単位であって、いわゆる国家ではない。
また、この前国家時代の王国は、最小政府と呼べる。あったのは、徴税組織と軍隊だけだ。
江戸時代であっても、幕府の官僚組織は極めてミニマルであった。
ローマ帝国であっても、その官僚組織はミニマルで、社会インフラはほとんどが個人のボランティアと寄付で作られたものだった。その報酬は名誉だけだったようだ。
政府が肥大化するのは、この100年くらいの現象と思われる。この原因は改めて考えるべきテーマだろう。
posted by libertarian at 22:03| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

The Americans

The AmericansというアメリカのTVドラマシリーズを観た。
レーガン時代のアメリカで、ソ連のスパイ夫婦の活動を描いたものだ。
80年代の雰囲気がよく再現されていると思う。走っている車、ファッションをその時代のものに揃えるのは結構大変だろう。80年代は遠くなりにけりだ。
今の24のようなドラマと違い、ハイテクがないし、ケータイもスマホもない時代だが、かえってドラマ性が高い感じがある。スパイの活動も基本的に内部の人間をいかに欺いて情報を引き出すかという技術だが、現代においても、このような人間がターゲットにされるスパイ活動は未だに一番のセキュリティ上のネックだろう。まさにミトニックのいうところの欺術である。

しかし今の水も漏らさぬ情報社会では個人はいくらでも国家権力に監視されてしまうわけで、たしかに危険だ。
カードなんか使うのは危険だと思いつつも、ついつい便利なので使ってしまうが。w
そもそもセキュリティ技術も軍事技術の一つだが、それが国外の敵にだけでなく、セキュリティの名目で国内の一般人に対しても使われているわけで、それはどこまで許されるのかという問題がある。情報というのは物でないのでどこまでという境界がない。

セキュリティ技術、ネットワーク技術というのは深い部分でどうなっているのかがよく分からない。ある程度までは学習できても、あるところから先の深いところは公開情報ばかりではなく闇が増えてくる感じだ。
そこを自力でブレークスルーした人間がハッカーなのだろうが。
この分野は日進月歩で複雑化、多様化していくから、ほんとに最新の技術を理解できている専門家は逆に少なくなっていくにちがいない。

posted by libertarian at 03:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

Jutu

天地明察に出てくる和算の問題は、幾何の問題であったが、私はこれが出てきたとき本を閉じて自分で解いてみた。計算間違いをしたが、わりとすぐに解けた。算額の問題はもっと高度なものかと思っていたので、ブルーバックスの”算法勝負!「江戸の数学」に挑戦”という本を借りてきた。
幾何の問題を5問ほど解いてみたが、問題のレベルとしては中学生でも数学がうんと得意な子なら解けるだろう問題かもしれない。知識としては三平方の定理を知っていれば解ける問題だ。だが、意外と計算は複雑で、私は例のごとく計算間違いをした。江戸の数学定理を前提として使えば、スムースに解ける問題もある。

、、などと舐めていたら、後半の問題はかなり難しい。
江戸の和算のレベル、恐るべしである。

算盤も、昔小学生の頃に授業であったが、完全に忘れていたので、「そろばん入門」という小学生低学年向けと思しき本を借りてきて、そろばんの仕組みを調べてみた。
そろばんは、まさに術、計算術というべきもので結構難しそうだ。
例えば10−1といえば9だとすぐにわかるが、そろばん的には、この解法プロセスは1段階ではない。
これを動作として瞬間的に行えるようにするのが、そろばん術とみた。
数字を数字としてみるのでなく、動作に還元するのである。
そろばんを頭にイメージする、日本の暗算術は驚異的で、おそらく世界一だろう。
江戸の日本は算盤は基本科目であったが、庶民のほとんどが、そろばん術を使えた日本というのは、おそるべき国である。現代の人間よりもはるかに計算力が高かったろう。

今は術という言葉はあまり用いられないが、江戸の和算は全てなんとか術という呼び名がある。
忍者の術のようでエキサイティングである。技術とか定理とかいうよりも術という言葉を使ったほうがいい。

江戸では読み書きそろばんが必修で教えられたが、今でもこれで十分だと思う。
現代の学校のような強制収容所に子供を押し込めるより、寺子屋のようなところで読み書きそろばんを本人のペースで教えていれば十分なのである。
現代的には小学校までで、そろばん術と、速読術と、記憶術を教えればよいと思う。
これらの術を使えば、あとは世に本がいくらでも溢れているのだから、自分で勝手に興味のあることを学べばいいわけだ。

もっと言えば、今後AIのようなものもが発達してくるほどに、こういった術の価値はむしろ高まるかもしれない。
術とは、知的と思われている脳内の作業を動作に置き換えるものとすれば、これはコンピューターの内部動作に近い。コンピューターは知的ではないが、ある種の術を使っているわけだ。そのマシンがあたかも知的な動作をするようになる。
人間も頭でっかちに考えるのではなく、体を使った動作が知的であるという価値を再発見するのではないか。
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2015年11月28日

Other peoples affair

一旦戦争になるとあまり詳しい戦争の情報というのは報道もされないようになる。
思い出してもこの30年の間に湾岸戦争、イラク侵略戦争、アフガン紛争などといろいろあったが、戦地の情報はあまり報道されていなかった。ベトナム戦争の頃よりも戦場報道というのは少なくなっているのではなかろうか。
今のシリアにしても、実際の状況はほとんどわからない。誰も戦地には行かないし、現地の住民であっても状況は自分の住んでいる周辺くらいしか分かっていないのではなかろうか。全く把握できていない可能性もある。
これは一つに戦地の状況が軍事秘密とされているからという理由もありそうだが、実際の地上戦では指揮官といえでも戦況の確認は非常に困難で、自分らが勝っているのか負けているのかを把握することが一大テーマとなるらしい。広範囲で戦っていれば、自分の被害はある程度把握できても相手の被害までは正確にはわからない。実際は勝っていても劣勢と判断するリスクもあるし、逆のリスクもある。
ここら辺は、将棋も同じで、優勢か劣勢かを判断するのは余程、形勢に差がついていない限り難しいのである。

シリアでIS側を1万人空爆で殺戮したというのはアメリカ軍による正式報道だが、あまり関心をひかず、同情も起きていない。実際はISの戦闘員以外にも現地の人も相当の数、虐殺されているはずである。
空爆で戦闘員だけピンポイントで殺すことはできないし、いわゆる軍隊の形式をとっていないISが戦闘員だけ1カ所に固まっているとも思えないからだ。

一方で先日のフランステロのようなものは詳しく何度でも報道される。
そこで、120人程度が殺されたフランステロにはやたらと同情的なコメントが溢れるが、シリアのどこかで空爆によって1万人以上殺されたと聞いても、あっそうで終わるのが世論というものだ。

わからないことはいろいろとある。アメリカがアサドをデモナイズしてアサド政権を、イラクのフセイン同様に倒そうとしている理由も定かでない。これら両名は汎アラブ主義者であったが、それがけしからんということなのか?どこかには書いてあるが、それを私が知らないだけなのか?

戦争にデモナイズはつきものである。アサドもISもデモナイズされているが、空爆で数万人一挙に虐殺する欧米側が冷酷で残虐でないとでも思っているのであろうか。
イラク侵略の際のサダムフセインのデモナイズも相当なものであった。これはハリウッド映画で悪役がまず最初に非道な殺しをし、それを主人公が後で殺すことに正当性を与えるというおきまりのパターンである。

アメリカもネオコンというキリスト教福音派の原理主義者が闊歩していたときにイラク侵略戦争を起こしたし、ロシアはもともと共産主義原理主義であるし、フランスも社会民主主義の国である。中東が原理主義者の騒乱の場となってきているわけだが、そもそもが一神教は原理主義なのである。

この中で一番の劣勢に置かれていた原理主義がイスラームだろう。
イスラーム原理主義には、今までのイスラームの穏健な考え、つまり、汎アラブ主義のような世俗主義をベースとしたアラブ国家の統合みたいなものは全くダメという認識がある。世俗的でリベラルなゆるい支配による、真綿で首を締められるような完全な敗北という状況から抜け出せないわけだ。
その点、ISはカリフ復活を謳うことで、イスラームの本質的な問題、もしくはビジョンを世に問うたという点で画期的な存在といえる。国家の統合ではなく、イスラームの家の再建というのがそのビジョンだろう。

今までの中東のわけのわからないゲリラ的な紛争ははたから見て全く意味がわからなかったが、ISはビジョンと大義を明確にしめしたといえる。
昔と違って、中田考氏のような本格的なイスラム原理主義者、もといイスラム法学者が日本にも登場したお陰で、イスラームの考えそのものがある程度、わかる状況になってきたことも自分的には大きいかもしれない。w
この点、池内恵とかいう若手の中東研究家とかがもてはやされているようだが、私はこういった人間はあまり評価しない。国際関係やイスラームを論じるにはあまりに未熟な印象がある。

イスラームが良いとか悪いとか部外者が言ってもしょうがない。そもそもそんなものを深く理解するほど誰も興味も時間もない。これは他宗教、キリスト教にしてもヒンズー教にしても同様だ。
イスラームの律法主義が部外者からは奇異なものに見えたとしても、ムスリムがそう思わないのであれば別にどうでもよいわけだ。
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2015年11月25日

Don't take any part in Syria

パリのISによる襲撃事件を、フランス首相が戦争だと言ったことは、ISが国家であることを間接的に認めたことになるかもしれない。戦争とは国家対国家の行為だからである。
これは、ISという国家の完全殲滅を意図する総力戦になる。
すでに半年くらい前にはIS側を1万人以上抹殺したという攻撃があった。一挙に1万人の人間を殺戮するのはかなりの虐殺である。

日本の立場を考えれば、日本は国防上、national security上の最適な方法は、この件に関して一切の不関与を明言することだ。そもそも、これはイギリス、フランス、ロシアとアラブイスラームとのサイクスピコ以来の因縁の戦争であり、日本には全くなんの関係もない。下手に欧米について日本がテロに巻き込まれたら元も子もない。
これは南シナ海とは全く別の文脈の戦争だ。
この件に関しては集団自衛も関係ない。これはこれらの国がずっと前から関与している代理戦争だからである。
日本はISはテロ集団で国家とは認めないという立場を貫き、国家間紛争に巻き込まれないようにすることだ。
フランスがISとの戦争をいうのは、これは集団的自衛の範囲だとしたいからだろう。
日本は中途半端に欧米を支持して関与し、テロを受けないようにすることが国防上大事な点である。
日本政府はシリア紛争に対して人道支援を含めて一切の無関与を宣言せよ。

ISが領土征服を行っているのは、領域国民国家の形態を目指しているからではなく、単なる戦略的な手段にすぎないだろう。一つはサイクスピコの国境の実質的な否定であり、一つは欧米との国家間戦争という形にしようということだ。フランス、ヨーロッパはこの挑発に乗った形だ。
そして、フランスの行動で漁夫の利を得たのはロシアか。親アサドのロシアと反アサドのフランスが手を組んでISを討伐することはロシアとシリアに利する結果になる。

ISに加入するものが増えているというが、ISには加入するのではなく、おそらくこれはバグダッディをカリフと認めるということなのだろう。つまり、IS支持とバグダッディをカリフと認めることはイコールなのではないか。領域国民国家を作らなくとも、バグダッディをカリフと認めれば、ISというイスラームの家は広がるわけだ。このように精神的な宗教上の契約がISの実態だとすると、ヨーロッパにいるムスリムは潜在的にISの予備軍となる。となると欧米は移民拒否どころかムスリムの排斥運動になっていくだろう。

誰もシリア戦争の戦争目的など知らないし、実際それはあってないようなものだ。
フランスは弱小国なくせに大国意識が強く、中東に対する昔の植民地利権が手放せない。こういうものに巻き込まれないようにするのが国防の基本というものだ。
posted by libertarian at 08:08| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月15日

Asymmetrical War

フランスで同時多発テロが起こった。
ISが犯行声明を出したので、おそらくISの犯行なのであろう。
高度な計画性があるということは、背後に組織があるということだ。
これをテロとはいうが、いわゆる非対称戦争でありつまるところ戦争だ。
そして、これはイスラームから見れば、ジハードだ。国家間の争いが戦争だとすれば、イスラームにいわゆる国家はないから、戦争ではなくジハードということになる。

フランスは歴史的にも現在も中東紛争の最大の当事者国であり、シリア紛争に大きくコミットしているから、ISに狙われているわけである。
ISを国と認めようが認めまいが、フランスとISは戦争状態にあるわけだから、ISの攻撃はやはり戦争の一環と見ないとおかしい。テロといえば国内法で裁かれる犯罪行為というニュアンスだが、むしろ戦争法規で裁くべきものだろう。

もとより、こういった戦争、もしくはイスラームからすればジハードなるものは、あの中田考氏の解釈によるとイスラームの教えから外れた行為であるらしい。
シャルリーエブドの際は言論の自由という論点であれこれ言われたのがミスリーディングであった。
そもそもムハンマドの顔を書くのはダメだというイスラームの禁忌のようなものはコーランになく、イスラームではより広く動物一般の像を描いてはいけないということがハディースにのみ書かれているらしい。しかし、これには解釈の余地がいろいろとあり、実際は、イスラームの中でもムハンマドの像は普通にあり、別に問題とはされていないそうだ。

シャルリーエブドの問題の本質は、ムハンマドの姿を描いたことではなく、預言者を侮辱したことにあるのである。そして預言者に対する侮辱や冒涜は、最悪の罪とされ決して許されず、それがムスリムによるものであれば死に値する大罪とされる。
これは、ハッドと呼ばれる法定刑として定められている。

では、なぜシャルリーエブドのような報復がイスラーム法では本来許されない行為なのかといえば、「戦争の家(ダール アル ハルブ)」におけるムハンマドの侮辱のような犯罪は、イスラームが罰則規定を執行する政治的権力を持たないため、犯人が戦争の家に居住するものである限り、このハッド執行の義務は免除され、放置されるからだそうだ。
もし、このハッドを執行しようとするならば、カリフ国の存在がなくてはならない。だが、今はカリフはいないので、このハッドの執行はイスラームの教えからは逸脱した行為となるというのが、中田考氏の説明である。

なんとなくわかったような気にはなる説明である。
だがしかし、このハッドを行った犯人はイスラーム法上、なんらかの罰則があるのであろうか?
そこまでは、中田氏は論じていない。ちなみに、この中田氏の論考は2006年に発表された「幻想の自由と偶像破壊の神話」という論文によるものである。約10年前のものでシャルリーエブドを論じたものでもないし、ISも存在していなかった。

現在、ISのバグダッディがカリフを宣言しているのは、ISを「イスラームの家」(ダールアルイスラーム)にしようということなのだろう。
もし、ISを支持するものにとってバグダッディがカリフであり、ISがイスラームの家なのだとしたら、シャルリーエブドのハッドもイスラームの法定行為ということになるのかもしれない。
つまり、ハッド執行の義務は免除されない。
ここら辺はスンニー派のイスラム法の解釈問題なので、部外者にはわからない問題ではある。

いずれにせよISというイスラームを相手にする場合は、国際法も国内法も通用しない。
ISはイスラームの義務を果たしているという論理なのであろう。ISを国と認めようが認めまいが、それすらもイスラームの法からすれば全くどうでもよい話なのだ。
戦闘員でなく、民間人を殺すのはテロだと言っても、中東では民間人を数十万人規模で殺してきたのが欧米であるし、今もドローンで民間人を殺しまくっているらしい。あちらのコラテラルダメージは無視する方針でもあるかのようだが、当然にこれは非人道的だ。
こう考えると、欧米はやはりシリアや中東から手を引くべきなのかもしれない。ISを完全殲滅することもできないし、それが良いことだとも思えない。シリアから手を引けば欧米はISに屈服することになるが、それで何か困ることがあるのだろうか?
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2015年11月09日

Army First

最小国家とは、基本的に軍隊だけある国家だ。軍隊がない社会は国家ではない。国家の定義はそのくらいに狭く定義した方がよい。アメリカの州が国家であるのは軍隊をもつ単位だからだ。逆にいえば軍のない社会は国家ではない。
#アメリカを合衆国と書くのは断固として間違い、誤訳であり、合州国と書くべきである。united statesは連合国と訳してもいい気がするが、連合国は普通、united nationsだからNGだ。
ここにnation とstateの違いがある。
例えばフランスがnation であってもカリフォルニア州は nation じゃない.
合州国 もやはり nation ではなく、united statesなのである。

3権分立というが、司法、立法、行政部門は軍隊の後に生まれる。順番としては、軍隊の次に司法、その次に立法、最後に行政部門だろうか。
それまでは軍が支配する体制、軍事政権だ。軍事政権は発展途上国に多い。
まず軍と軍事政権が最初にあって、次に近代国家の体裁を作るわけだ。この過程で軍は行政部門の一部として位置づけられることになる。だが本質的に軍隊は内政部門ではないから、微妙な位置づけだ。

大日本帝國もそうやってできたわけだが、大東亜戦争に負けてアメリカに占領され、軍隊を憲法で禁じられたため、戦後、日本はこの定義上、国家ではなかったということになる。
よく言われる通り、アメリカの51番目の州みたいなものというのが実情に即しているといえよう。
アメリカの州は、独自の憲法と法律と軍隊を持つわけだから、日本も独自の憲法と法律と自衛隊をもつアメリカの州といってもそう違わない。ただ本質的に違うのはアメリカの州とは違ってアメリカの連邦法には全く縛られないとこだけだ。

そもそもアメリカがあれだけ徹底した占領を行いながら、日本をアメリカに併合しなかった理由はなんなのかよくわからない。なんらかのpragmaticな理由があったのだろうが、それはなんなのか?
おそらくは、当初は日本を対共産主義の防波堤、つまりは緩衝地帯として利用しようという魂胆だったのだろう。併合して州にするよりも緩衝国家として使う方が責任もなく切り捨て可能で便利だということだ。
だがディーンアチソンが日本がアメリカの防衛ラインだと宣言したことから朝鮮戦争が始まり、日本は地政学的にも緩衝地帯にはならないことをおそまきながら認識したのだろう。w

日本は戦後、軍隊がないから国家とはいえないわけだが、では何かといえば、いわば去勢された存在という立ち位置なのかもしれない。アメリカの州軍が連邦に反旗を翻すことがまずあり得ないという点では、日本はやはりアメリカの州に近いが、日本は州より下の存在といもいえる。

私は当然ながら日本という深い歴史と伝統をもつ国がアメリカに占領統合され51番目の州にならなくてよかったと思うわけだが、一旦去勢されると元にもどるのは至難の技でそもそもそれは可能なのかという疑問すら抱く。人間は一度去勢されたら元には戻らない。国家はどうなのか?

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2015年11月06日

Anti company

昨今、企業の不祥事なるものがあるたびにメディアからの激しいバッシングがあるが、この社会的な損失は大きい。つまるところ、これはまともな法的な解決ができなくなる原因の一つだ。
アメリカも日本もメディアはアホな左翼勢力であるから基本、反企業、反資本主義だ。
反企業キャンペーンはマスゴミにとって、社会的正義なのだ。
マスゴミは広告などの取引関係がない普通の会社に対しては、バッシングのし放題だ。
何か不祥事なるものがあると、企業の重役に土下座させるというのも異常だ。これは朝鮮の風習だろう。
南朝鮮は法の支配がない後進国で、裁判所が世論に左右されるとか批判されているが、日本も似たり寄ったりで、日本もアジア的で法治国家とはいえないところがある。

ほとんどの人は、どこかの会社に勤めているわけだから、マスゴミの人間以外は企業が悪とは思っていないだろう。だがマスゴミと公務員と子供は別だ。
このように、「社会の公器を詐称するマスゴミ」対「悪の金儲け集団である企業」という構図はマスゴミがのさばる限りなくならない。
日本の大メディアは、朝日、毎日、日経と悪意のある捏造記事をばらまいてきており、計り知れない社会的な損失を生んでいるが、一切の責任をとらない。NHKも同様。潰れるべきなのは、メーカーではなく、日本のマスゴミなのは言うまでもない。新聞を買わなければ部数が減り、大新聞であっても潰れるわけだから、こういったデマ、デタラメを振りまく新聞を買わないことが大事だ。

しかしそういった市場メカニズムくらいでは容易に日本のマスゴミが潰れないのは、言論の自由という全然関係のない名目で、メディアに様々な特権が与えられているのが原因だ。メディアの特権は剥奪していかないといけない。
再販制度も軽減税率も許されないし、電波の割り当て制度という社会主義政策も廃止しなければいけない。
このような特権によって守られたマスゴミが特権意識を振りかざすのは必然だ。
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2015年10月27日

Incentive War

レッシグのTEDを見ると、英語字幕と日本語訳が出てくるので大体何を言っているのかはわかる。
要するに、アメリカの大統領選で勝つには何十億、何百億円という活動費用が必要だが、これを提供しているのは、ごく少数の人間、大企業で、およそ0.05%くらいの人間がこの金を牛耳っているのが現実。

大統領選に出馬する人は、有権者の票だけでなく、一部の資金提供者達からの資金集めにも奔走しなければいけない。
そして、このごくごく一部の人間が資金を支配することで選挙結果をコントロールしている。
とくに、「直近の選挙期間の統計で忘れられない数字は 0.000042% 計算してみるとわかりますが132人のアメリカ人です―彼らが この期間中に(献金限度額のない)特別政治活動委員会資金として 使われた資金の6割を提供しました」

これによりアメリカの憲法は歪められ、意味のある政治改革が困難になっている。
つまり選挙制度がアメリカの問題の根本原因にあり、これを改革するのは人種偏見を取り除くことよりも遥かに容易なはずである。実際、いくつかの州では近年、少額選挙制度が導入されている。といったことか。

より露骨に言えばアメリカの民主主義は実質的にごく一部の人間に乗っ取られているということだろう。
こういうと、陰謀論めいているが、選挙システムをみれば陰謀でもなんでもない公開事実だ。

レッシグはクラウドファンディングで選挙資金1億円を集めようとしており、これが集まらなければ出馬は取りやめるようだ。1億円くらいはすぐに集まりそうな気もするがどうだろうか?

レッシグは、アメリカのかなり本質的な利権構造を正そうと勝負に出ているともみえる。
著作権問題で共に戦った同志ともいえる天才アーロンシュワルツの死もあり、やはり戦わなければいけないと思ったのであろうか。レッシグはシュワルツの死を目を腫らして語っていたが、CC運動がこのような戦死者を生むとは思っていなかっただろう。

アメリカの覇権がそろそろ終わるということは前からいろんな人が唱えているが、確かに内部的にも本質的な改革がそろそろ起こる時期なのかもしれない。アメリカはこういう時に銃社会であることが大きなメリットとなる。憲法に立ち返るという大義がアメリカには常にあり、それがある種の体制転覆的な動きすらも憲法が保障しているからだ。GUN RIGHTSは憲法が保障する権利であるからこそ、軽々しく制限してはならないという理解がアメリカにはある。

レッシグの著作権問題に関する運動は、実際のところ結構理解が難しかった。
その問題意識を理解するには、著作権法についてある程度知っている必要があり、かつCREATIVE COMMONS LICENCEが既存の著作権法とどのように違うのかを理解しないといけない。
これはかなり意識の高いインテリでないと無理だ。
普通の人が著作権を理解しようとすれば、私同様に眠くなるのが必然であろう。

ようするに、著作権問題のような運動はかなりハイブロウ、かつ頭がよくて良識のある人の善意だけで成り立つもので、一般的なインセンティブがほとんどないのである。
今回、レッシグは選挙システムの改革は単なるインセンティブの問題だから差別問題よりは簡単だと言っている。CCプロジェクトで、いかに既存利権集団の抵抗が強いかを思い知ったのだろう。

実際、著作権問題よりは、はるかに多くの人に理解しやすい問題設定であろう。そして、それはインセンティブ設計の問題だ。
厄介なのは、既存利権集団はお金と、改革を阻止する強いインセンティブを持っているという点にある。
だから、こういった利権に関わる改革はシビアな戦いになるわけだ。
レッシグというリベラルな頭のいいハーバード教授がそういうシビアな戦いをできるかどうかはわからないが、彼をサポートする組織がどれだけのインセンティブを持つかにもよる。
posted by libertarian at 22:52| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする