2016年07月15日

Apple新本社社屋:Apple Campus2

アップルの巨大な本社新社屋がそろそろ完成するそうだ。
http://gigazine.net/news/20160404-apple-campus-construction/

昔から、メーカーが本社を立派にすると経営が傾くと言われるが、これはおそらくアップルにも当てはまるかもしれない。
そもそも今の時代に巨大な本社は時代遅れである。通勤しないでも勤務できる形を作った会社のほうが強いだろう。
この本社には工場も研究所もなさそうだから、これは時代に逆行した大企業病であり、アップルも例外ではないということだ。今更、巨大な本社社屋はなんともあほらしい。
もしかしたら、この建物の目的にはデータセンターの機能もあるのかもしれないが、よくわからない。

本社を立派にするのではなく、週に1−2回集まるだけの集会所があればいいはずだ。
もはやアップルも創業50年近い成熟企業で衰退期に入ったと私は思う。
posted by libertarian at 10:33| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

転職(転社)できる発展する社会

日本は終身雇用制だったが、それが崩れつつあると言われるようになって久しいが、正直なところ、あまりそれは実感しない。
そもそも公務員は典型的な終身雇用でこれは未だに全く不動だ。(→キャリア官僚は例外だが)だから、近年、民間に比べ給与待遇もよく、さらに解雇されないことが保証されている公務員の人気が高まっていた。

続きを読む
posted by libertarian at 08:18| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

System1 vs System2

カーネマンによるとシステム1は、人間の知覚判断のようなほとんど無意識に行われる早い思考で、システム2は計算をするときのような頭を使う遅い思考のことを指す。

続きを読む
posted by libertarian at 21:02| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月02日

日本人は差別の対象である : On Discrimination

ヨーロッパも移民、難民問題で混沌としているようだが、それに比べ、日本は今の世界ではパラダイスと言っても過言ではない国であろう。
しかし、旅行者として海外へ行くときはほとんど感じないが、日本人が海外に行けば多くの場合、差別の対象となる。アメリカに行けば、黒人は東洋人を自分たちより下の階層とみて差別したがるようだし、イスラム圏に行けば無神論者や異教徒の外人は奴隷並みの存在であると看做されるだろうし、ヒンズー教のカースト制度のインドに行けばアンタッチャブルと同類に看做される。人によって表面に出す出さないはあるだろうが、潜在的にそういうものと看做されるわけである。

続きを読む
posted by libertarian at 12:12| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

Brexit

イギリスのEU離脱が決まったが、特に意外な気はしない。
なぜなら最初からほぼ互角だったので、どっちに転んでも意外ではない。
スコットランドは残留派であったが、イギリスのEU離脱が決まったので、今度はイギリスからのスコットランド独立論が再燃し、イギリスから離脱してEUに入ろうとするのかもしれない。

長期的には今のEUという仕組みはそのまま存続できるわけもないので、今回のイギリスのEU離脱によって、EU体制が将来的に遅かれ早かれ崩れていくだろうことが明らかになったと思う。
まあ、イギリスが離脱したとしても、自由貿易は相互にメリットがあるわけだから、今後の交渉で離脱後も自由貿易体制はそのまま存続させていく方向にいくこともありうる。
イギリスはもともとユーロに加盟もしておらず、シェンゲン協定にも入っていないのだから、自由貿易体制さえ維持できれば大した不都合はないのではないか。
こういった出来事の意味というのは、大げさに悲観的に語られるが、それも予断にすぎない。

だが、もしスコットランドがイギリスから離脱するとヨーロッパは地政学的に不安定になるだろう。
本当はこちらのリスクの方が大きいかもしれない。
posted by libertarian at 18:06| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

Build a house

「1日を楽しみたいなら本を読みなさい。1年を楽しみたいなら種を撒きなさい。一生楽しみたければ家を建てなさい」という建築会社のCMが昔あった。これはイギリスあたりの言葉らしいが、最近、この言葉の意味が分かった。そもそも家を建てたらなんで一生楽しめるのかと疑問だったわけだが、これは建築会社に家を建ててもらうということではなく、自分で家を建てるという意味であろう。
自分で家を建てれば、確かに相当長い間、DIY を楽しめる。w

続きを読む
posted by libertarian at 19:28| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

主人のいない奴隷:Slaves without Master

イケダハヤトという若い人が「まだ東京で消耗しているの」というBlogを書いている。
少し見ただけだが、本人がサラリーマンを辞めて高知に移住してブログなどの収入だけで豊かに暮らすという実践的な内容のようだ。
たしかに東京の通勤は異常で、悲惨ですらある。このネットの時代になんで会社なんて場所にわざわざ行く必要があるのだろうか?

続きを読む
posted by libertarian at 09:43| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月16日

電波オークションを実施すべきである:Pulse Auction

日本社会における最大の問題の一つに左翼に簒奪されたメディアの問題がある。
日本のメディアは左派に完全に簒奪されており、テレビ、新聞など全くお話にならない酷いレベルなわけだ。
特にテレビの偏向報道を批判する、「放送法遵守を求める視聴者の会」というのが発足した。

続きを読む
posted by libertarian at 15:29| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

Vintage

「なんにもないぶろぐ」というのが、本になり、ドラマになったようだ。
http://nannimonaiblog.blogspot.jp

続きを読む
posted by libertarian at 10:12| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

テーブルと椅子:Table and Chair

キャンプをすると、テーブルの偉大さに気付かされる。
テーブルがないと、なんでもかんでも地面に置くことになり不便だし不潔だが、小さなテーブルがあるとその空間に人類の文明を感じる。
続きを読む
posted by libertarian at 10:15| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

工作の知性:Intelligence of Craft

連休は、工作したり塗料を塗ったりして暮らしていたが、やはり物を作るというのは面白い。物を作るなかでしか育まれない知性というのはあるだろうと思う。続きを読む
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

新白河原人:Ultimate DIY

守村大の「新白河原人」が面白い。
福島に広大な土地を購入して移住した漫画家のエッセイだが、究極のDIY生活の奮闘ぶりが見事な文章で活写されている。
続きを読む
posted by libertarian at 09:05| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

自由人のための工作:Do it yourself

最近はDIYに少々はまっている。
続きを読む
posted by libertarian at 13:19| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

DIY

DIYで家の簡単な補修を少しやったところ、その効果の大きさに嬉しくなり、木工工作をしたくなった。
のこぎりとか昔ながらの大工道具は持っているが、これを使いこなすのは大変だ。
のこぎりでまっすぐに切る、垂直に切る、平行に切るというのは容易ではない。この基本がうまくできるのは匠の技としかいいようがない。また、分厚い木材を切るのはかなりの重労働でもある。
大工の理想は宮大工の西岡常一棟梁であるが、邪道ながら電気工具を使うことにした。丸鋸はまだ怖いので電気ドリルやジグソーやサンダーなどを買った。このくらいでもかなりのことができる。あとはルーターや工作台があれば十分だ。
しかし、こういった電気工具は屑を大量に出すので部屋の中でやるわけにはいかない。
作業場が必要だ。資材をがっちりと固定する作業台も必要だ。アメリカのように家が広ければ、屋内ガレージで作業をしたりとかできるが、東京でそんな作業場を用意するのは難しい。
そこで今考えているのが、別荘の購入である。
しかし不動産の購入は慎重を要する。木工といってもそんなに作るものは沢山ないから、そのうちに飽きるであろうことは容易に想像がつく。
だが、風光明媚な田舎に拠点を持てば、天体写真などもできるし、釣りやキャンプなどのアウトドアもしやすくなるかもしれない。いろいろと妄想は広がる。w
posted by libertarian at 21:58| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

LP

LPレコードが何百枚もあり場所をとるため処分しようと考えた。
ずっと前にレコードプレイヤーも処分してしまったので、LPだけあっても聞けないのである。w
しかし、整理しているうちに聞きたくなった。それに旧いレコードだと必ずしもCDになっているわけでもないようだ。

そこで、DENONの安価なレコードプレイヤーを購入して、20年ぶりくらいにLPを聞いたのだが、音の良さに驚いた。
そこらのCDより遙かに音がいい。
というわけで、処分するのはごく一部だけにし、大事にとっておくことにした。w
CDなんかも、性能のよいDACを通すとかなり音がよくなるが、これは一種のアップコンバートをやっているのであろう。元のアナログの波形に近くする処理をしているわけだ。
それでもCDは44KHzで音がカットされているから、失われた倍音成分は回復できないと思われる。
LPのアナログの音は、その点でナチュラルで瑞々しい印象がある。

最近はLPが静かなブームらしい。
AppleMusic,Amazon Musicと音楽を気軽に聞く環境は劇的に進んだが、音楽を聞く時間、聞ける時間はあまり変わらない。
コンサートに行って音楽をじっくりと聞くような時間は貴重であり、LPレコードを聞くというのは、そういった能動的な行為に近いものがある。
posted by libertarian at 20:45| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

Pyramid

ギザの大ピラミッドについて、youtubeで何本か見た。
私も30年ほど昔、大ピラミッドを見に行ったことがある。あれから政変などがあったが、基本イスラム社会なので今も当時とあまり変わっていないだろう。

続きを読む
posted by libertarian at 11:35| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月13日

コンプライアンスは法の支配を破壊する:Compliance fascism,Unknown Capitalism

The Americansのような80年代の冷戦時代のスパイものドラマを見ると、少し前のことのような、遠い昔のような感じがする。この時代は右と左、リベラルと保守という対立軸が強くあり、それこそが問題の本質であると多くの人が思っていた。

続きを読む
posted by libertarian at 23:19| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

必勝法のないゲーム:GAME

将棋もチェスも囲碁もポーカーも麻雀も必勝法は今の所ないと思われるが、強い悪いは厳然としてはっきりとある。つまり、初心者や自称初段程度のアマチュアがプロ棋士と指しても全く勝負にならないし、100%負ける。仮に1000回やっても1回も勝てないのは確実だ。このように、必勝法はないが、強い弱いの差が激しくあるのが将棋のような勝負の世界である。プロ同士であっても、当然ながら強い弱いがある。
投資というのも勝負の世界であり必勝法はないが、やはり強い弱いがある。
これは、将棋でいえば具体的に技術の違いということだ。将棋はゲームとは言っても手筋や定石など覚えることは山ほどあり、詰将棋や必死の技術といったものがたくさんある。こういった技術の高低によって力の差が激しく生まれる。投資も同様にこのようなゲームの一種と考えることができる。そうであるなら、ロジャースやソロスといった有名投資家はゲームにおける強者だということだろう。

そしてゲームには、将棋のような完全情報ゲームと、ポーカーのような不完全情報ゲームがある。
不完全情報ゲームとは、自分のカードを隠すゲームのことだ。
将棋は全部オープンであるから完全情報ゲームだ。
では、投資、例えば株式投資のようなものは、どっちなのか?
これがよくわからない。これをどっちかと考えるかによって、投資の考え方は大きく変わるだろう。
私は完全情報ゲームの一種だろうと思う。
posted by libertarian at 21:59| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

Kindle

最近はキンドル本ばかり買う。キンドルになっていない本はしょうがないので図書館から借りて読むようにしている。どうも家の中が本だらけになるのが鬱陶しい。
続きを読む
posted by libertarian at 12:26| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Carbon diet again

1年前に怪我をして以来、自転車にも乗らず運動を全くしていなかったが、体重がかなり増えてしまった。
さすがにこれではまずいと糖質ダイエットを再び始めることにした。
ご飯や麺類など炭水化物をなるべく採らないようにするだけだ。

続きを読む
posted by libertarian at 11:30| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月28日

大聖堂と裁判所:Basilica

古代ローマには裁判所があったのかなかったのか定かでなかったので、調べてみた。
そもそも裁判所という場所がなければ、法律だけあっても運用ができないので、当然にあるはずである。
ちょっと調べたところ、やはり古代ローマにはちゃんと裁判所があった。裁判所はバシリカと呼ばれ、後に大聖堂がバジリカと呼ばれる元らしい。

しかし、古代ローマの裁判システムの説明が見当たらない。
そこで、「古代ローマ人の24時間」という本を見たところ、簡単な話が載っていた。
裁判は百人法院という180人の判事集団、それと弁護士に被告、原告で構成されるようだ。
当時は裁判そのものが雄弁術と記憶術を駆使する舞台であり、多くの観客がいたそうだ。
しかし裁判官について記載がない。だれが判決を下していたのであろうか?
ここら辺のところはさらなる要調査である。

塩野七生さんは、哲学科を出ているらしいが、法律はあまり興味がないようである。それなのに、哲学の国家ギリシャでなく、法律の帝国、ローマが好きらしい。
だがアメリカにしてもローマにしても、法律という観点がないと、所詮は通俗的な理解しかできまい。w

あと、ローマ帝国の版図は地図で見ると広大だが、当時、人口はどのくらいだったのか調べてみたところ、紀元1年頃のローマの100万人とwiki にあった。今の世田谷区くらいの人口規模である。
これはローマ市民とその他(奴隷その他)を入れた人口だろうか。他にも植民市とか属州があったから、この数倍(2−3倍?)が当時のローマ帝国の人口になるかもしれない。あの広大な領土にして、それしか人がいなかったわけだ。当時はまだほとんど土地が開拓されていなくて野生にあふれていたのであろうが。
この内、ローマ市民権を持ったローマ市民は30万人くらいか。
奴隷は人口の10%程度だったらしい。

高校の世界史はやたらと沢山のことを暗記させる愚劣な暗記コンテストと化しているが、教科書にも資料にもこういった具体的な数字がほとんど載っていない。分からないのもあるだろうが、そういう数字を伴う具体性について教科書を作っている連中の意識が向いていないようだ。
電話帳のような細かなことの暗記なんかしても、試験が終わったら何も残らないだろうに、愚劣な努力を弱者である学生に強いるのが現代の教育という強制収容所システムの悪辣なところである。

追記)
さすがに数百万人は少なすぎると思い、さらに調べたところ、よいサイトを見つけた。
http://heartland.geocities.jp/zae06141/romandata1.html
http://heartland.geocities.jp/zae06141/roman_population2.html

これによると、アウグストゥスのAD14年頃のローマ帝国は4500万人。
ローマ市の人口 100万人で、帝国内でローマ市民権を持つ人の全体493万人。
奴隷も1割だと450万人程度。残り8割は奴隷ではないがローマ市民権を持たない人か?
このくらいであれば納得だ。w

しかし、これだけ人口があれば裁判所もそれなりの数がないと処理しきれなかったろう。
posted by libertarian at 13:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

Socialism,Communism,Anarchy

ソ連や中国は社会主義か、それとも共産主義なのかというのは素朴な疑問としてあるが、正解は社会主義ということになる。共産主義とはアナーキーな状態、政府のない状態なので、共産主義への道の前段階として社会主義国があるという理屈らしい。
ここでアナーキーという言葉の定義がまた問題になるわけだ。
アナーキーの意味も曖昧なままに無政府という言葉にあこがれる人間は、共産主義者であれ、アナルコキャピタリストであれ、本質的に変わらないのであろう。W

歴史的には、今の国家はナポレオン以降のものと考えられているので、1700年代までの世界に国家はなかった。歴史を記述する際にも、ここを境にして別の記述の仕方をした方がよいのではないかと思ったりする。
ハプスブルク朝とか、なんとか王国というのは軍事セキュリティ上の単位であって、いわゆる国家ではない。
また、この前国家時代の王国は、最小政府と呼べる。あったのは、徴税組織と軍隊だけだ。
江戸時代であっても、幕府の官僚組織は極めてミニマルであった。
ローマ帝国であっても、その官僚組織はミニマルで、社会インフラはほとんどが個人のボランティアと寄付で作られたものだった。その報酬は名誉だけだったようだ。
政府が肥大化するのは、この100年くらいの現象と思われる。この原因は改めて考えるべきテーマだろう。
posted by libertarian at 22:03| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

The Americans

The AmericansというアメリカのTVドラマシリーズを観た。
レーガン時代のアメリカで、ソ連のスパイ夫婦の活動を描いたものだ。
80年代の雰囲気がよく再現されていると思う。走っている車、ファッションをその時代のものに揃えるのは結構大変だろう。80年代は遠くなりにけりだ。
今の24のようなドラマと違い、ハイテクがないし、ケータイもスマホもない時代だが、かえってドラマ性が高い感じがある。スパイの活動も基本的に内部の人間をいかに欺いて情報を引き出すかという技術だが、現代においても、このような人間がターゲットにされるスパイ活動は未だに一番のセキュリティ上のネックだろう。まさにミトニックのいうところの欺術である。

しかし今の水も漏らさぬ情報社会では個人はいくらでも国家権力に監視されてしまうわけで、たしかに危険だ。
カードなんか使うのは危険だと思いつつも、ついつい便利なので使ってしまうが。w
そもそもセキュリティ技術も軍事技術の一つだが、それが国外の敵にだけでなく、セキュリティの名目で国内の一般人に対しても使われているわけで、それはどこまで許されるのかという問題がある。情報というのは物でないのでどこまでという境界がない。

セキュリティ技術、ネットワーク技術というのは深い部分でどうなっているのかがよく分からない。ある程度までは学習できても、あるところから先の深いところは公開情報ばかりではなく闇が増えてくる感じだ。
そこを自力でブレークスルーした人間がハッカーなのだろうが。
この分野は日進月歩で複雑化、多様化していくから、ほんとに最新の技術を理解できている専門家は逆に少なくなっていくにちがいない。

posted by libertarian at 03:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

Jutu

天地明察に出てくる和算の問題は、幾何の問題であったが、私はこれが出てきたとき本を閉じて自分で解いてみた。計算間違いをしたが、わりとすぐに解けた。算額の問題はもっと高度なものかと思っていたので、ブルーバックスの”算法勝負!「江戸の数学」に挑戦”という本を借りてきた。
幾何の問題を5問ほど解いてみたが、問題のレベルとしては中学生でも数学がうんと得意な子なら解けるだろう問題かもしれない。知識としては三平方の定理を知っていれば解ける問題だ。だが、意外と計算は複雑で、私は例のごとく計算間違いをした。江戸の数学定理を前提として使えば、スムースに解ける問題もある。

、、などと舐めていたら、後半の問題はかなり難しい。
江戸の和算のレベル、恐るべしである。

算盤も、昔小学生の頃に授業であったが、完全に忘れていたので、「そろばん入門」という小学生低学年向けと思しき本を借りてきて、そろばんの仕組みを調べてみた。
そろばんは、まさに術、計算術というべきもので結構難しそうだ。
例えば10−1といえば9だとすぐにわかるが、そろばん的には、この解法プロセスは1段階ではない。
これを動作として瞬間的に行えるようにするのが、そろばん術とみた。
数字を数字としてみるのでなく、動作に還元するのである。
そろばんを頭にイメージする、日本の暗算術は驚異的で、おそらく世界一だろう。
江戸の日本は算盤は基本科目であったが、庶民のほとんどが、そろばん術を使えた日本というのは、おそるべき国である。現代の人間よりもはるかに計算力が高かったろう。

今は術という言葉はあまり用いられないが、江戸の和算は全てなんとか術という呼び名がある。
忍者の術のようでエキサイティングである。技術とか定理とかいうよりも術という言葉を使ったほうがいい。

江戸では読み書きそろばんが必修で教えられたが、今でもこれで十分だと思う。
現代の学校のような強制収容所に子供を押し込めるより、寺子屋のようなところで読み書きそろばんを本人のペースで教えていれば十分なのである。
現代的には小学校までで、そろばん術と、速読術と、記憶術を教えればよいと思う。
これらの術を使えば、あとは世に本がいくらでも溢れているのだから、自分で勝手に興味のあることを学べばいいわけだ。

もっと言えば、今後AIのようなものもが発達してくるほどに、こういった術の価値はむしろ高まるかもしれない。
術とは、知的と思われている脳内の作業を動作に置き換えるものとすれば、これはコンピューターの内部動作に近い。コンピューターは知的ではないが、ある種の術を使っているわけだ。そのマシンがあたかも知的な動作をするようになる。
人間も頭でっかちに考えるのではなく、体を使った動作が知的であるという価値を再発見するのではないか。
posted by libertarian at 02:18| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

Other peoples affair

一旦戦争になるとあまり詳しい戦争の情報というのは報道もされないようになる。
思い出してもこの30年の間に湾岸戦争、イラク侵略戦争、アフガン紛争などといろいろあったが、戦地の情報はあまり報道されていなかった。ベトナム戦争の頃よりも戦場報道というのは少なくなっているのではなかろうか。
今のシリアにしても、実際の状況はほとんどわからない。誰も戦地には行かないし、現地の住民であっても状況は自分の住んでいる周辺くらいしか分かっていないのではなかろうか。全く把握できていない可能性もある。
これは一つに戦地の状況が軍事秘密とされているからという理由もありそうだが、実際の地上戦では指揮官といえでも戦況の確認は非常に困難で、自分らが勝っているのか負けているのかを把握することが一大テーマとなるらしい。広範囲で戦っていれば、自分の被害はある程度把握できても相手の被害までは正確にはわからない。実際は勝っていても劣勢と判断するリスクもあるし、逆のリスクもある。
ここら辺は、将棋も同じで、優勢か劣勢かを判断するのは余程、形勢に差がついていない限り難しいのである。

シリアでIS側を1万人空爆で殺戮したというのはアメリカ軍による正式報道だが、あまり関心をひかず、同情も起きていない。実際はISの戦闘員以外にも現地の人も相当の数、虐殺されているはずである。
空爆で戦闘員だけピンポイントで殺すことはできないし、いわゆる軍隊の形式をとっていないISが戦闘員だけ1カ所に固まっているとも思えないからだ。

一方で先日のフランステロのようなものは詳しく何度でも報道される。
そこで、120人程度が殺されたフランステロにはやたらと同情的なコメントが溢れるが、シリアのどこかで空爆によって1万人以上殺されたと聞いても、あっそうで終わるのが世論というものだ。

わからないことはいろいろとある。アメリカがアサドをデモナイズしてアサド政権を、イラクのフセイン同様に倒そうとしている理由も定かでない。これら両名は汎アラブ主義者であったが、それがけしからんということなのか?どこかには書いてあるが、それを私が知らないだけなのか?

戦争にデモナイズはつきものである。アサドもISもデモナイズされているが、空爆で数万人一挙に虐殺する欧米側が冷酷で残虐でないとでも思っているのであろうか。
イラク侵略の際のサダムフセインのデモナイズも相当なものであった。これはハリウッド映画で悪役がまず最初に非道な殺しをし、それを主人公が後で殺すことに正当性を与えるというおきまりのパターンである。

アメリカもネオコンというキリスト教福音派の原理主義者が闊歩していたときにイラク侵略戦争を起こしたし、ロシアはもともと共産主義原理主義であるし、フランスも社会民主主義の国である。中東が原理主義者の騒乱の場となってきているわけだが、そもそもが一神教は原理主義なのである。

この中で一番の劣勢に置かれていた原理主義がイスラームだろう。
イスラーム原理主義には、今までのイスラームの穏健な考え、つまり、汎アラブ主義のような世俗主義をベースとしたアラブ国家の統合みたいなものは全くダメという認識がある。世俗的でリベラルなゆるい支配による、真綿で首を締められるような完全な敗北という状況から抜け出せないわけだ。
その点、ISはカリフ復活を謳うことで、イスラームの本質的な問題、もしくはビジョンを世に問うたという点で画期的な存在といえる。国家の統合ではなく、イスラームの家の再建というのがそのビジョンだろう。

今までの中東のわけのわからないゲリラ的な紛争ははたから見て全く意味がわからなかったが、ISはビジョンと大義を明確にしめしたといえる。
昔と違って、中田考氏のような本格的なイスラム原理主義者、もといイスラム法学者が日本にも登場したお陰で、イスラームの考えそのものがある程度、わかる状況になってきたことも自分的には大きいかもしれない。w
この点、池内恵とかいう若手の中東研究家とかがもてはやされているようだが、私はこういった人間はあまり評価しない。国際関係やイスラームを論じるにはあまりに未熟な印象がある。

イスラームが良いとか悪いとか部外者が言ってもしょうがない。そもそもそんなものを深く理解するほど誰も興味も時間もない。これは他宗教、キリスト教にしてもヒンズー教にしても同様だ。
イスラームの律法主義が部外者からは奇異なものに見えたとしても、ムスリムがそう思わないのであれば別にどうでもよいわけだ。
posted by libertarian at 16:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

Don't take any part in Syria

パリのISによる襲撃事件を、フランス首相が戦争だと言ったことは、ISが国家であることを間接的に認めたことになるかもしれない。戦争とは国家対国家の行為だからである。
これは、ISという国家の完全殲滅を意図する総力戦になる。
すでに半年くらい前にはIS側を1万人以上抹殺したという攻撃があった。一挙に1万人の人間を殺戮するのはかなりの虐殺である。

日本の立場を考えれば、日本は国防上、national security上の最適な方法は、この件に関して一切の不関与を明言することだ。そもそも、これはイギリス、フランス、ロシアとアラブイスラームとのサイクスピコ以来の因縁の戦争であり、日本には全くなんの関係もない。下手に欧米について日本がテロに巻き込まれたら元も子もない。
これは南シナ海とは全く別の文脈の戦争だ。
この件に関しては集団自衛も関係ない。これはこれらの国がずっと前から関与している代理戦争だからである。
日本はISはテロ集団で国家とは認めないという立場を貫き、国家間紛争に巻き込まれないようにすることだ。
フランスがISとの戦争をいうのは、これは集団的自衛の範囲だとしたいからだろう。
日本は中途半端に欧米を支持して関与し、テロを受けないようにすることが国防上大事な点である。
日本政府はシリア紛争に対して人道支援を含めて一切の無関与を宣言せよ。

ISが領土征服を行っているのは、領域国民国家の形態を目指しているからではなく、単なる戦略的な手段にすぎないだろう。一つはサイクスピコの国境の実質的な否定であり、一つは欧米との国家間戦争という形にしようということだ。フランス、ヨーロッパはこの挑発に乗った形だ。
そして、フランスの行動で漁夫の利を得たのはロシアか。親アサドのロシアと反アサドのフランスが手を組んでISを討伐することはロシアとシリアに利する結果になる。

ISに加入するものが増えているというが、ISには加入するのではなく、おそらくこれはバグダッディをカリフと認めるということなのだろう。つまり、IS支持とバグダッディをカリフと認めることはイコールなのではないか。領域国民国家を作らなくとも、バグダッディをカリフと認めれば、ISというイスラームの家は広がるわけだ。このように精神的な宗教上の契約がISの実態だとすると、ヨーロッパにいるムスリムは潜在的にISの予備軍となる。となると欧米は移民拒否どころかムスリムの排斥運動になっていくだろう。

誰もシリア戦争の戦争目的など知らないし、実際それはあってないようなものだ。
フランスは弱小国なくせに大国意識が強く、中東に対する昔の植民地利権が手放せない。こういうものに巻き込まれないようにするのが国防の基本というものだ。
posted by libertarian at 08:08| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月15日

Asymmetrical War

フランスで同時多発テロが起こった。
ISが犯行声明を出したので、おそらくISの犯行なのであろう。
高度な計画性があるということは、背後に組織があるということだ。
これをテロとはいうが、いわゆる非対称戦争でありつまるところ戦争だ。
そして、これはイスラームから見れば、ジハードだ。国家間の争いが戦争だとすれば、イスラームにいわゆる国家はないから、戦争ではなくジハードということになる。

フランスは歴史的にも現在も中東紛争の最大の当事者国であり、シリア紛争に大きくコミットしているから、ISに狙われているわけである。
ISを国と認めようが認めまいが、フランスとISは戦争状態にあるわけだから、ISの攻撃はやはり戦争の一環と見ないとおかしい。テロといえば国内法で裁かれる犯罪行為というニュアンスだが、むしろ戦争法規で裁くべきものだろう。

もとより、こういった戦争、もしくはイスラームからすればジハードなるものは、あの中田考氏の解釈によるとイスラームの教えから外れた行為であるらしい。
シャルリーエブドの際は言論の自由という論点であれこれ言われたのがミスリーディングであった。
そもそもムハンマドの顔を書くのはダメだというイスラームの禁忌のようなものはコーランになく、イスラームではより広く動物一般の像を描いてはいけないということがハディースにのみ書かれているらしい。しかし、これには解釈の余地がいろいろとあり、実際は、イスラームの中でもムハンマドの像は普通にあり、別に問題とはされていないそうだ。

シャルリーエブドの問題の本質は、ムハンマドの姿を描いたことではなく、預言者を侮辱したことにあるのである。そして預言者に対する侮辱や冒涜は、最悪の罪とされ決して許されず、それがムスリムによるものであれば死に値する大罪とされる。
これは、ハッドと呼ばれる法定刑として定められている。

では、なぜシャルリーエブドのような報復がイスラーム法では本来許されない行為なのかといえば、「戦争の家(ダール アル ハルブ)」におけるムハンマドの侮辱のような犯罪は、イスラームが罰則規定を執行する政治的権力を持たないため、犯人が戦争の家に居住するものである限り、このハッド執行の義務は免除され、放置されるからだそうだ。
もし、このハッドを執行しようとするならば、カリフ国の存在がなくてはならない。だが、今はカリフはいないので、このハッドの執行はイスラームの教えからは逸脱した行為となるというのが、中田考氏の説明である。

なんとなくわかったような気にはなる説明である。
だがしかし、このハッドを行った犯人はイスラーム法上、なんらかの罰則があるのであろうか?
そこまでは、中田氏は論じていない。ちなみに、この中田氏の論考は2006年に発表された「幻想の自由と偶像破壊の神話」という論文によるものである。約10年前のものでシャルリーエブドを論じたものでもないし、ISも存在していなかった。

現在、ISのバグダッディがカリフを宣言しているのは、ISを「イスラームの家」(ダールアルイスラーム)にしようということなのだろう。
もし、ISを支持するものにとってバグダッディがカリフであり、ISがイスラームの家なのだとしたら、シャルリーエブドのハッドもイスラームの法定行為ということになるのかもしれない。
つまり、ハッド執行の義務は免除されない。
ここら辺はスンニー派のイスラム法の解釈問題なので、部外者にはわからない問題ではある。

いずれにせよISというイスラームを相手にする場合は、国際法も国内法も通用しない。
ISはイスラームの義務を果たしているという論理なのであろう。ISを国と認めようが認めまいが、それすらもイスラームの法からすれば全くどうでもよい話なのだ。
戦闘員でなく、民間人を殺すのはテロだと言っても、中東では民間人を数十万人規模で殺してきたのが欧米であるし、今もドローンで民間人を殺しまくっているらしい。あちらのコラテラルダメージは無視する方針でもあるかのようだが、当然にこれは非人道的だ。
こう考えると、欧米はやはりシリアや中東から手を引くべきなのかもしれない。ISを完全殲滅することもできないし、それが良いことだとも思えない。シリアから手を引けば欧米はISに屈服することになるが、それで何か困ることがあるのだろうか?
posted by libertarian at 00:53| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月09日

Army First

最小国家とは、基本的に軍隊だけある国家だ。軍隊がない社会は国家ではない。国家の定義はそのくらいに狭く定義した方がよい。アメリカの州が国家であるのは軍隊をもつ単位だからだ。逆にいえば軍のない社会は国家ではない。
#アメリカを合衆国と書くのは断固として間違い、誤訳であり、合州国と書くべきである。united statesは連合国と訳してもいい気がするが、連合国は普通、united nationsだからNGだ。
ここにnation とstateの違いがある。
例えばフランスがnation であってもカリフォルニア州は nation じゃない.
合州国 もやはり nation ではなく、united statesなのである。

3権分立というが、司法、立法、行政部門は軍隊の後に生まれる。順番としては、軍隊の次に司法、その次に立法、最後に行政部門だろうか。
それまでは軍が支配する体制、軍事政権だ。軍事政権は発展途上国に多い。
まず軍と軍事政権が最初にあって、次に近代国家の体裁を作るわけだ。この過程で軍は行政部門の一部として位置づけられることになる。だが本質的に軍隊は内政部門ではないから、微妙な位置づけだ。

大日本帝國もそうやってできたわけだが、大東亜戦争に負けてアメリカに占領され、軍隊を憲法で禁じられたため、戦後、日本はこの定義上、国家ではなかったということになる。
よく言われる通り、アメリカの51番目の州みたいなものというのが実情に即しているといえよう。
アメリカの州は、独自の憲法と法律と軍隊を持つわけだから、日本も独自の憲法と法律と自衛隊をもつアメリカの州といってもそう違わない。ただ本質的に違うのはアメリカの州とは違ってアメリカの連邦法には全く縛られないとこだけだ。

そもそもアメリカがあれだけ徹底した占領を行いながら、日本をアメリカに併合しなかった理由はなんなのかよくわからない。なんらかのpragmaticな理由があったのだろうが、それはなんなのか?
おそらくは、当初は日本を対共産主義の防波堤、つまりは緩衝地帯として利用しようという魂胆だったのだろう。併合して州にするよりも緩衝国家として使う方が責任もなく切り捨て可能で便利だということだ。
だがディーンアチソンが日本がアメリカの防衛ラインだと宣言したことから朝鮮戦争が始まり、日本は地政学的にも緩衝地帯にはならないことをおそまきながら認識したのだろう。w

日本は戦後、軍隊がないから国家とはいえないわけだが、では何かといえば、いわば去勢された存在という立ち位置なのかもしれない。アメリカの州軍が連邦に反旗を翻すことがまずあり得ないという点では、日本はやはりアメリカの州に近いが、日本は州より下の存在といもいえる。

私は当然ながら日本という深い歴史と伝統をもつ国がアメリカに占領統合され51番目の州にならなくてよかったと思うわけだが、一旦去勢されると元にもどるのは至難の技でそもそもそれは可能なのかという疑問すら抱く。人間は一度去勢されたら元には戻らない。国家はどうなのか?

posted by libertarian at 01:41| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

Anti company

昨今、企業の不祥事なるものがあるたびにメディアからの激しいバッシングがあるが、この社会的な損失は大きい。つまるところ、これはまともな法的な解決ができなくなる原因の一つだ。
アメリカも日本もメディアはアホな左翼勢力であるから基本、反企業、反資本主義だ。
反企業キャンペーンはマスゴミにとって、社会的正義なのだ。
マスゴミは広告などの取引関係がない普通の会社に対しては、バッシングのし放題だ。
何か不祥事なるものがあると、企業の重役に土下座させるというのも異常だ。これは朝鮮の風習だろう。
南朝鮮は法の支配がない後進国で、裁判所が世論に左右されるとか批判されているが、日本も似たり寄ったりで、日本もアジア的で法治国家とはいえないところがある。

ほとんどの人は、どこかの会社に勤めているわけだから、マスゴミの人間以外は企業が悪とは思っていないだろう。だがマスゴミと公務員と子供は別だ。
このように、「社会の公器を詐称するマスゴミ」対「悪の金儲け集団である企業」という構図はマスゴミがのさばる限りなくならない。
日本の大メディアは、朝日、毎日、日経と悪意のある捏造記事をばらまいてきており、計り知れない社会的な損失を生んでいるが、一切の責任をとらない。NHKも同様。潰れるべきなのは、メーカーではなく、日本のマスゴミなのは言うまでもない。新聞を買わなければ部数が減り、大新聞であっても潰れるわけだから、こういったデマ、デタラメを振りまく新聞を買わないことが大事だ。

しかしそういった市場メカニズムくらいでは容易に日本のマスゴミが潰れないのは、言論の自由という全然関係のない名目で、メディアに様々な特権が与えられているのが原因だ。メディアの特権は剥奪していかないといけない。
再販制度も軽減税率も許されないし、電波の割り当て制度という社会主義政策も廃止しなければいけない。
このような特権によって守られたマスゴミが特権意識を振りかざすのは必然だ。
posted by libertarian at 12:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

Incentive War

レッシグのTEDを見ると、英語字幕と日本語訳が出てくるので大体何を言っているのかはわかる。
要するに、アメリカの大統領選で勝つには何十億、何百億円という活動費用が必要だが、これを提供しているのは、ごく少数の人間、大企業で、およそ0.05%くらいの人間がこの金を牛耳っているのが現実。

大統領選に出馬する人は、有権者の票だけでなく、一部の資金提供者達からの資金集めにも奔走しなければいけない。
そして、このごくごく一部の人間が資金を支配することで選挙結果をコントロールしている。
とくに、「直近の選挙期間の統計で忘れられない数字は 0.000042% 計算してみるとわかりますが132人のアメリカ人です―彼らが この期間中に(献金限度額のない)特別政治活動委員会資金として 使われた資金の6割を提供しました」

これによりアメリカの憲法は歪められ、意味のある政治改革が困難になっている。
つまり選挙制度がアメリカの問題の根本原因にあり、これを改革するのは人種偏見を取り除くことよりも遥かに容易なはずである。実際、いくつかの州では近年、少額選挙制度が導入されている。といったことか。

より露骨に言えばアメリカの民主主義は実質的にごく一部の人間に乗っ取られているということだろう。
こういうと、陰謀論めいているが、選挙システムをみれば陰謀でもなんでもない公開事実だ。

レッシグはクラウドファンディングで選挙資金1億円を集めようとしており、これが集まらなければ出馬は取りやめるようだ。1億円くらいはすぐに集まりそうな気もするがどうだろうか?

レッシグは、アメリカのかなり本質的な利権構造を正そうと勝負に出ているともみえる。
著作権問題で共に戦った同志ともいえる天才アーロンシュワルツの死もあり、やはり戦わなければいけないと思ったのであろうか。レッシグはシュワルツの死を目を腫らして語っていたが、CC運動がこのような戦死者を生むとは思っていなかっただろう。

アメリカの覇権がそろそろ終わるということは前からいろんな人が唱えているが、確かに内部的にも本質的な改革がそろそろ起こる時期なのかもしれない。アメリカはこういう時に銃社会であることが大きなメリットとなる。憲法に立ち返るという大義がアメリカには常にあり、それがある種の体制転覆的な動きすらも憲法が保障しているからだ。GUN RIGHTSは憲法が保障する権利であるからこそ、軽々しく制限してはならないという理解がアメリカにはある。

レッシグの著作権問題に関する運動は、実際のところ結構理解が難しかった。
その問題意識を理解するには、著作権法についてある程度知っている必要があり、かつCREATIVE COMMONS LICENCEが既存の著作権法とどのように違うのかを理解しないといけない。
これはかなり意識の高いインテリでないと無理だ。
普通の人が著作権を理解しようとすれば、私同様に眠くなるのが必然であろう。

ようするに、著作権問題のような運動はかなりハイブロウ、かつ頭がよくて良識のある人の善意だけで成り立つもので、一般的なインセンティブがほとんどないのである。
今回、レッシグは選挙システムの改革は単なるインセンティブの問題だから差別問題よりは簡単だと言っている。CCプロジェクトで、いかに既存利権集団の抵抗が強いかを思い知ったのだろう。

実際、著作権問題よりは、はるかに多くの人に理解しやすい問題設定であろう。そして、それはインセンティブ設計の問題だ。
厄介なのは、既存利権集団はお金と、改革を阻止する強いインセンティブを持っているという点にある。
だから、こういった利権に関わる改革はシビアな戦いになるわけだ。
レッシグというリベラルな頭のいいハーバード教授がそういうシビアな戦いをできるかどうかはわからないが、彼をサポートする組織がどれだけのインセンティブを持つかにもよる。
posted by libertarian at 22:52| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

Border of Law

法というのは基本、国があってその国内を扱うものだ。
アメリカ人が聖書の次くらいに大事に思っている憲法も、その効力は内部にしか働かない。
つまり、対外的には効力が基本ないし、また政府の対外的な行動を制限するものでもない。
ここには内と外がはっきりとあって、法の支配なるものはあったとしても内部だけにしかない。

アメリカの対外行動は、基本、国際法は無視するはで大いに問題がある。立派な憲法があっても、政府の対外的な行動については何も制限できない。政府行動は侵略であろうとなんでもありだ。
これが世界がアナーキーである原因で、国際法など覇権国の前にはあまり効力はない。
軍事行動とは、national security の一環だが、security という曖昧なものでどんな行動でも正当化してしまう傾向がある。実際は利潤動機に過ぎないものでも、securityとして正当化できてしまうわけだ。
constitutionalismという政府の力を制限する仕組みがあっても、対外的には無制限の権力を政府に与えてしまっている。

アーロンシュワルツの映画で、シュワルツがサイバー戦争などを理由に政府がネットの自由、言論の自由を侵害しようとしていると言っていた。国内に対してもsecurityという曖昧な概念でなんでも正当化されてしまう危険はある。

セキュリティとか知的財産というのは曖昧で捉えどころがなく、厄介この上ない。
セキュリティの危機を感じたから、それを排除するために、先制攻撃をしかけ相手を殺したりした場合、普通の人なら殺人事件だが、アメリカのような国家はやられる前にやる。支那もそうだろう。パリ不戦条約など意味がないのである。

支那に関してアメリカが危惧していることは、支那は核兵器、水爆であっても、単なる抑止兵器とは考えておらず、通常兵器として躊躇なく使う恐れがあるということらしい。
対ソ連の時にはあったコモンセンスが全く通用しないサイコパスのような相手と考えているようだ。
支那中共は毛沢東という稀代のサイコパスが作った王朝であるから、大いにありうることだろう。
それをアメリカは朝鮮戦争の時に思い知ったはずなのである。

posted by libertarian at 01:55| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

Layer

アメリカの政治思想は興味深く、リバタリアニズムもその一つである。
しかしアメリカ社会のレイヤーは、第1層が宗教で、その上に第2層として政治思想が乗る形であろう。
通常、政治思想は宗教との絡みでは論じられず、独立したもののように扱われている。
だから、政治思想だけを理解すればよいと思ってしまうわけだが、実際は宗教レイヤーと政治レイヤーは独立というわけではあるまい。
これはTCP/IPの7レイヤーのように分離されているとはどうも思えなくなってきたわけだ。
例えば第7層のアプリケーション層は第1層の物理層を無視して独立に扱えるが、宗教と政治思想には、断ち難い関係があり独立してない。

しかし、キリスト教については普通の日本人は全く不可解であるし、表面的にもアメリカの多様化した宗教状況を理解するのは難しい。
アメリカでも宗教レイヤーを論じることは、ある種のタブーなのではないか。だからそんなものには触れずに政治思想というのを論じようとするわけだ。

一方、日本社会においては、宗教レイヤーもなければ政治思想レイヤーもほぼ存在しないといってよい。
日本に宗教レベルのレイヤーがあるとは思えない。
日本に宗教がないわけではないが、レイヤーとして社会構造に存在しているとは思えない。
神道=天皇というのが存在しているが、神道は宗教とはいえないと思う。
キリスト教は、政治思想に対して理屈や根拠を与える一段深いものだが、神道はそうではない。
だが、天皇、皇室、神道は、宗教的ではないが宗教レイヤーと同様に日本社会において深い構造を形成していることは間違いないだろう。

さらにアメリカのレイヤーとして法レイヤーというのもあるかもしれない。
つまり、アメリカ社会は宗教ー政治思想ー法という3レイヤー構造と見ることができる。
アメリカは信教の自由があり、政教分離されているが、これによって逆に宗教が政治的であることが可能となっている。

アメリカの奴隷制など日本人からみればとんでもないものと思うわけだが、これが20世紀中頃まで維持されてきたのは、奴隷制を肯定する論理がキリスト教の中に存在したからである。
そして奴隷制を巡る議論の中で、アメリカのキリスト教社会も様々な教派に分かれてきた。
マルコムXはネーションオブイスラームというイスラム団体から出てきたが、キリスト教そのものに人種差別、Racismの論理があると認識してイスラームに改宗したそうだ。
もともとアメリカのイスラム教は奴隷として連れてこられた黒人のムスリムが最初で、黒人社会にイスラームの基盤にあったようだ。
歴史的にみても、イスラームにキリスト教のようなRacismはないように思われる。奴隷はあったが、それとキリスト教のRacism とは違うように思われる。
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fullmetal Alchemist

Netflixにお試し入会し退会処理を忘れていたら延長になってしまった。
そこで、「鋼の錬金術師」と、「銀の匙」と2つ荒川弘のアニメを観た。
鋼の錬金術師は休み2日かけてぶっ通しでシーズン5の最後まで観た。w

ところで荒川弘は、先ほどまでずっと男の作家だと思っていたが、実は女性作家らしい。
弘は、「ひろし」ではなく、「ひろむ」と読むらしい。これには少し驚いた。w
荒川弘は天才的なストーリーテラーで絵も上手い。
このストーリーの緻密さは、考えてみれば女流作家らしいともいえる。昔から少女漫画は緻密なストーリーの名作が多い。また少女漫画の心理描写の緻密さはかなり文学的である。荒川弘はさらに会話の文章も洗練されている。

しかし漫画といえども、質量保存の法則やら物理の基本を無視したものは読む気がしないが、鋼の錬金術師は、物理を無視していないところがよい。錬金術の基本に等価交換の法則というのがあると強調されている。
これに対して、「進撃の巨人」では、物語の途中から質量保存の法則を完全に無視しているために物語性までが破綻している。w

こういうアニメ作品のクオリティの高さをハリウッドのドラマや映画と比較すると、アニメの方がよくできているなと思う。映画やTVは職業シナリオライターがマーケティングしながら作ったものに過ぎないが、日本のアニメには天才作家の作家性というオリジナリティがある。
アメリカのコミックは、Marvellという出版社に勤めるサラリーマン作家が集団で作っているらしい。
これではよい物ができるはずがない。
日本の漫画やアニメ業界は、全く何の身分保障もない完全な競争市場の中で進歩してきた。
この環境の中だからこそ、天才的な作家が次々に輩出されてきたのであろう。

しかしアメリカのドラマや映画を見ると、ドラマに過ぎないとはいえ、感覚の違いをかなり感じる。
登場人物の人間性が日本人とはかけ離れた印象を抱くわけだ。これは何故なのか?
posted by libertarian at 19:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

Tell spring not to come this year

ミアシャイマーの主張は明確で、アメリカの敵は何かを見定めれば、何が敵でないかは決まり、敵でない勢力と戦ってはいけないというものだ。
911のイスラム原理主義勢力がアメリカの敵ならば、反原理主義のサダムのイラクはアメリカの敵ではなかったし、支那が敵ならば、いつまでもソ連と敵対していてはいけないという。
イデオロギーでなく、利害関係だけで友好、同盟関係を結ぶという点がリアリズムと言われる理由だ。
実際、それでいいのであって、国や組織は人間じゃないのだから、国家間の関係を人間関係のアナロジーで考えるのは危険だ。

しかしアメリカは自国の利益だけで基本的に動いているためアメリカに過度に依存するのは危険である。
日本はかなり過度にnational securityをアメリカに依存している。
過去において、ベトナムでもアフガンでもイラクでもアメリカは途中で急に撤退、分散し、火中に取り残された同盟国はどうにもならなくなる。
先日、NetflixでTell spring not to come this yearというアフガンのドキュメンタリー映画を観た。
アフガンから米軍が撤退し、残されたアフガンの国軍がタリバンと孤軍奮闘している状況のドキュメンタリーだが、取り残された国軍は厳しい状況となっている。
アメリカ連合軍が残していった、わずかなアメリカ製の兵器で戦っているようだ。
日本もこうなる危険性はある。アメリカにとって日本はロシアと支那を閉じ込めるための瓶の蓋、つまりは使い捨ての蓋にすぎないということを忘れてはいけない。
ベトナムやアフガンのようにならないようにするためには、日本は自主防衛可能な軍事システムを構築するしかない。公共投資も無駄な土木に無理やり金を使うのはやめて、国防に金を大々的に回すべきだ。
一挙に国防費を倍額とかすればいい。1%ルールなんてものは、法律でもなんでもないのだから、そんなものをルールということ自体が間違いである。非核3原則しかり。

集団自衛権の話が騒がれたが、左派の支那の手先連中は論外にしても、保守?の連中も期限に関する危機感が全く感じられないのはなぜなのか?連中は支那との衝突をいつか遠い先に起こるかもしれない危機という程度のイメージしかもっていないようだ。これは要するにアメリカがいるから大丈夫という安心感なのであろう。
これは甘すぎる。私はあと5年以内にその危機がやってくると思っているから、保守の連中の話を聞いていても、なんという危機感のない連中なのだと唖然とする。
自主防衛可能な体制を目的とする軍事体制は一朝一夕にどうなる問題ではない。
posted by libertarian at 19:07| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

Twenty four

アマゾンのプライムビデオが始まったので、無料公開されている24を観た。
昔、レンタルビデオで観たが、今度は日本語吹き替えで見直している。英語で観る方がおどろおどろしく感じるが、日本語で観る方が字幕に集中しなくて済むし、わかりやすい。w
シーズン5で、かれこれ10年位前の作品なので、結構内容は忘れているところもあり、新鮮である。w

24で使われているコンピューターやテクノロジーも結構進歩している。昔はガラケーばかりだったが、シーズン7になるとスマホだ。上空からの監視システムも昔は衛星だったのが、シーズン8はドローンになっている。
衛星は位置調整をしたり解像度が悪かったりしたが、ドローンはリアルタイムで追跡して鮮明な画像を送ってくる。日本も交通監視にドローンを使ったらどうだろう。

しかし24は観だすとついついハマってしまい夜を徹して観てしまうので、注意が必要だ。w
あまり刺激の強いドラマを長時間観ると頭が麻痺してくる。w
ドラマというのは論理的な流れが重要で、少しでも論理的でないと感じると白けてしまい、そこでドラマは終わってしまう。
その点、24と言えども論理的でないところが少しあるが、全体としてはよくできたシナリオだと思う。
今はハリウッド映画よりもこういったTVシリーズの方が面白いし、実際、映画よりも大金を投じて作られているようだ。

24ではジャックバウアーと CTUと大統領官邸の活躍が描かれるわけだが、アメリカの大統領の意思決定は実際、ああいう生身の人間関係の中で密室で行われているのであろうと思われる。
テロリスト側の主張も結構出てくるが、これも意外とまともで、日本の自称保守派がいいそうな内容と変わらないと思うところがある。w
大体、中東のテロリストは、アメリカに中東への不干渉を主張するわけだが、その主張はなかなかに筋が通っている。
つまりアメリカ人もテロリストの主張には結構真実があると少しは思いながら24を見ているのであろう。

24は、冷戦の2極構造が終わり、パワーバランス外交が失われ直接干渉主義に走ったアメリカを描いているとも観れる。とはいえ実際はアメリカは911以降、国内でのテロにほとんどおきていない。2001年の911以降は対テロ戦争、非対称戦争が唱えられた最中に始まった24だが、その後アメリカ国内でテロはほとんどなく、テロは大体がイスラーム圏、中東内部で起こっている。たまに小規模なテロがヨーロッパとかで起こるとマスコミでバカみたいに騒がれるくらいである。

しかし、なぜアメリカ国内では予想外なほどにテロが少ないのであろうか?事前に防止している面もあるだろうが、アメリカに直接にテロを仕掛けることが経済的にペイしないということが大きいだろう。
テロ戦争といえども経済活動の一つで大きな金が動くプロジェクトだから、経済性の悪いプロジェクトは持続可能でない。
あとアメリカがサウジアラビアの直接駐留軍をイラク戦争以降、完全撤退したことも大きかったのだろう。
ビンラディンのテロの理由が聖地マッカとマディーナのあるサウジへのアメリカ軍の直接駐留への抗議であったから、その点、オサマの主張は通った結果になったともいえる。

これだけ中東が戦争でめちゃくちゃになっても、その実態は国内では報道もされずなかなかイメージできないが、テロリストがアメリカ国内を戦場としようとするのは、戦争を一般人に対して可視化させるという効果も狙っているのであろう。これはISなんかがyoutubeで殺戮シーンを流すのもおそらく同じで、戦争の可視化、殺戮行為の可視化を狙っている。古来より残虐行為は心理作戦として、軍事的に劣勢な方が行う戦略だ。
これは、まさに恐怖=terrorを与えることが目的の軍事的戦術といえる。
posted by libertarian at 20:42| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

Division of Holy and Profane

日本の国史は、基本的に皇室を理解しないかぎり、理解はできない。皇室抜きでは理解できない日本の文化は他にも和歌などがある。和歌を通して国史を知ることもできる。天皇の和歌からその心を察することができたからだ。今の学校教育では皇室に関する教育がWGIPでタブーとされていたことをそのまま70年も引きずっている為に、国民が皇室を全く理解できず、その結果、国史も和歌も全く理解できなくなってしまったわけだ。

議会制民主主義というが、これには大きく2つの形態がある。一つはイギリスや日本型のもので、行政府の長=首相・内閣総理大臣と、国家の権威を体現する元首=天皇・国王とを分けるものである。
国家元首は首相のように行政に関する具体的な仕事は行わず権力をもたないが、その国の尊厳、権威を象徴し、儀礼的な機能を果たす。この点において日本とイギリスは比較的近いが、日本の皇室の方が歴史が比較にならないほどに深い。特にイギリスにおける権威と権力の分離、聖俗分離はわりと最近のものに過ぎない。
フランスは大統領制で、フランス革命の際に王室を全部虐殺してしまったために、王室の代わりに大統領職という権威の象徴を置いているわけだ。だが国家の権威の象徴としては任期制の大統領は皇室、王室よりはるかに格が落ちる。

もう一つはアメリカの共和制で、大統領は国家元首であり、かつ行政府の首長を兼ねる。
アメリカの立憲主義の制度上の問題点としては、国家が肥大化したにもかかわらず、このような元首=首長制度を持っていることもあげられる。つまり、このような元首としての権威と、行政府の長としての権力の役割を同時に体現することを一人の俗人に課すのは実際上、無理がありすぎるのだ。

いわばアメリカの大統領とは聖と俗を同時に体現する人間という制度設計になっており、これは制度設計上の失敗、もしくは古すぎる制度設計に由来する問題である。これは小さな発展途上国ならありえても、スーパーパワーとなったアメリカでは大きな問題がある。
人工国家としてスタートしたアメリカには、社会の歴史的伝統、国家の聖の部分を体現する人間がいなかったからしょうがないともいえるが。。
そしてアメリカの初代大統領、ジョージワシントンは笑ってしまうほどに神格化されているが、これはアメリカの制度上の帰結ともいえる。
そして聖俗未分離のアメリカは、ウェストファリア体制以前の性質を持つスーパーパワー国家、かつ最大のキリスト教国家として台頭し、第1次大戦以降は世界をウェストファリア体制以前の混乱に陥れるようになる。
ウェストファリア以降のパワーバランス外交は失われる。

アメリカの大統領とは何かをイメージする上で役にたつのが24(Twenty-four)というドラマである。
大統領に求められた聖の部分としては、合衆国の崇高な理念なるものがあり、同時にリアルポリティックスを裁く行政府の長、かつ全軍の長として有能でなければならないという2つの役割がアメリカの大統領には求められている。問題はアメリカの大統領が理念の体現者として行動する傾向があることだ。
これがリアリズムに基づく行動から乖離する原因となる。ウィルソンしかりFDルーズベルトしかり、ブッシュしかりオバマしかりだ。

戦後のアメリカの大統領で最も有能な大統領は誰かといえば、ポールジョンソンに言わせると、アイクことアイゼンハワー大統領だったということになる。
アイゼンハワーは将軍から大統領になった人だが、アメリカの場合、軍人が大統領になるのがよいかもしれない。軍人はリアリズムで動き、かつ、国家の聖なる部分も体現しうる戦争の修羅場をくぐった人間だからである。
これは24を観たアメリカ人が共通に抱く感想だろう、ジャックバウアーこそが合州国大統領にふさわしいという感情にも則しているかもしれない。w
ローマ帝国型の軍人皇帝がアメリカの大統領には適切なのだと思われる。
posted by libertarian at 04:08| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

Multi Polar worlld

ドローンやロボット、AIはもはやSFの世界のものではないが、これがあと10年、20年経つと相当なレベルになるのは間違いない。
アメリカは、すでに世界の複数の地域に軍事展開することは経済的に困難で、これが世界が多極化するのを不可避にすると思われているわけだが、地球の裏側からドローンやロボットをコントロールできるようになれば、世界に軍事的同時展開をするのは可能になるかもしれない。地球の裏側からコントロールしなくてもAIで自律的に動くようになるだろう。

アメリカの将来的軍事ビジョンはここらへんにある。こういった技術でアメリカは軍事的ヘゲモニーを維持しようとしているのであろう。
だが、コンピューター技術はコピーが容易だから、アメリカがそういった技術を独占し続けることもできないだろう。
こうなると、映画のターミネーターのように将来の戦場は、人間とロボットやドローンが戦うという世界になるのかもしれない。しかし人間に勝ち目はない。

世界が多極化するといっても、どこがpolarになるのかだが、アメリカ、支那、ロシア?、インド、イスラム国?、ドイツ、日本くらいしか、候補は思いつかない。
GDPでみれば、ロシアは軍事的には依然として強国だが、経済はイタリアと同じ程度。
ドイツは日本より少し下で、日本はGDP的にはアメリカ、支那に次ぐ3位にある。
だから、日本も核システムを持てば、一つのPolar になる可能性はある。
posted by libertarian at 02:16| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

Macro is different from Micro

因果関係の分析は一般に難しい。
マクロな現象になると、特に因果関係は分かりにくくなると思われる。
ミクロな方が因果関係は要因が制限され分析しやすい。経済では原因をインセンティブと呼ぶ。インセンティブは個人に行動を起こさせる動機であり原因といえる。
その点、経済学ではミクロの方がマクロよりも合理的、論理的で完成された領域にみえる。

むしろマクロな現象では因果関係よりも、自生的秩序とでも呼ぶべき構造を見いだすことが肝要だ。
一見ランダムなものから、隠された構造を見いだすのは発見的なもので演繹的なものではない。
マクロな現象には、隠された構造がある。これに対し因果関係という狭い見方で捉えようとしてもダメなのである。ランズバーグなんかは、ミクロの合理性でマクロ経済までを理解しようとしているようだが、そういうのはダメだろう。ランズバーグの書いたものを少し読み返したが、あまり感心しないことが多かった。特にリーマンショクの最中に非現実的な間抜けな思考実験をして得意になっているのは感心しない。w

マクロの現象の構造にも、原因といってもいい何がしかの数学的な構造があるのだろうが、それがまだ見出されていないと考えた方が良さそうだ。マクロな現象は経済現象にしても、カオス理論と無関係ではないだろう。しかし、まだ見出されていない数学的な構造の解明が、カオス理論の進歩延長線上にあるのか、全く別の理論が必要になるのかどうかもわからない。
いずれにしても、なんらかのセオリーが必要だ。
従来のマクロ分析は統計的手法を使えばいいというかんじであった。しかし、従来の金融理論は統計的手法を用いたがゆえに根本的に間違えていたわけだ。
つまり通常の統計的手法は正規分布を対象にしているが、金融理論が対象とする相場は正規分布とは似て全く異なるものであった。
ではこのような正規分布でない分布、構造をもたらす仕組み、原理、メカニズムがなんなのかというところから、考える必要がある。
これ以上に詳しいことは営業秘密だから言わないが。w
posted by libertarian at 21:59| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月29日

Racism

欧米の歴史とは、キリスト教をベースとした宗教戦争の歴史だ。宗教戦争は、異教徒を殺し、それもできる限りの苦痛を与えて殺すのがセオリーであった。
このような戦争を欧米のキリスト教世界では1000年以上も行ってきたわけだ。そして、航海技術が発達してアメリカ大陸や南国の島へ行くようになってからは、現地人を異教徒以上に残虐に虫けら以下の存在として殺戮の限りを尽くしてきた。
これが驚くべきことに19世紀くらいまでずっと続く。ほんの、つい最近までだ。
20世紀の1945年に日本に落とした原爆は、その集大成のようなものといえよう。

問題は、今では人権だ、差別撤廃だといったスローガンはあるにせよ、こういった遺伝子レベルで染みついているだろう欧米の人種差別意識はあまり変わっていない可能性が高いということだ。
つまり、単に裏と表、本音と建前で綺麗事を言っているだけの可能性が高い。
遺伝子レベルというのは比喩だが、キリスト教が未だに広く信じられている世界で、こういった虐殺の論理はキリスト教の中に内在した論理であると思われる。
それが、最近のものにすぎない政治スローガンごときでなくなるとは思えない。
アメリカのイラク侵攻であっても、そこには宗教戦争、人種差別偏見の匂いがする。
敬虔なキリスト教徒が多い南部ほど、人種差別が未だに根強いのはこのことと関係がある。

連中は、長い植民地政策の経験から、劣った原住民をmanipulate する技術を発達させてきた。
日本に対して行われた占領政策、War Guilt Information Program(WGIP)もその一つだ。こんなものが、一朝一夕に用意できるわけはない。

先日、「日本人を狂わせた洗脳工作」(関野道夫)を読んだが、これは、アメリカのWGIPの公式文書を発掘した本だ。その1次資料をみると、露骨にそのコードネームも、War Guilt Information Program そのままだ。
WGIPは江藤淳氏が「閉ざされた言語空間」で発表したが、その一次資料が行方不明で、存在について疑義を唱えられていたらしいが、それを発掘したものだ。
薄い本だが、読む価値の高い本だ。おすすめだ。

これと同様のことをブッシュのアメリカはイラクに対しても行おうとしたわけだ。
ここに、アメリカの宗教的に狂った熱情を感じるわけだ。
劣った原住民、異教徒をmanipulate できるという人種差別意識は未だに根強い。
このブッシュという南部出身のいかれた大統領は日本人のことを日常的にジャップと呼んでいたそうだ。
基本的に欧米のRacismはなくなってなどないし、これは我々日本人が直面している大きなリスク要因だ。

デュランれい子だったか、東南アジアで若い女性から真顔であなたのマスターカントリーはどこかと聞かれて驚いたという話がある。マスターカントリーとはご主人様の国とでもいったとこか。
今の日本人はマスターカントリーがアメリカだとはさすがに思っていないだろうが、未だにWGIPの言語空間にあることは間違いない。これを打ち破るにはメディア改革が手っ取り早い。
これは、電波割当の競争入札制度にするなどの制度改革で容易に実現できるだろう。
日本の既存大手メディアに与えられている特権は法外なものであり、これを叩き壊さなければはじまらない。
posted by libertarian at 22:38| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

China shock

株が最近、大きく下がったようだが、これが良いとか悪いとかいう記事をよく目にする。
だが、思うに株の上がり下がりは、下がることで儲かる人もいるので、基本的には上がろうが下がろうがニュートラルだ。信用取引で株を買う人と、現物で株を買う人との区別はなく、同様に、信用取引で売る人と現物を売る人の間にも違いはない。
信用取引がなければ、売りから入って下落で利益を得る人はいないから、株の下落には損失しかないように思ってしまう。おそらく株式の下落が損失でしかないと思っている人は、株式市場が現物取引だけでなりたっているとでも思っているのだろう。

ただ、企業にとっては、株の下げはやはり問題で、それは企業経営に影響を与え、しいては実物経済に影響を与える。結果的に雇用などに大きな影響を及ぼす。
そういった点では、株の下落は喜ばしいことではない。
もっともこれだと株の下落が雇用悪化の原因のようだが、株はもっと根本的な経済の変化予測に反応するパラメーターにすぎず、経済が悪化するから雇用が悪くなると解釈すべきなのだろう。
そもそも株の変動は大きいが、それは短期的には企業の業績の変動とは無関係だ。
そして経済の変化はマクロに評価するしかない。

私が思うに、今回の下げは、チャイナショックの予兆的な一波で、本格的なクラッシュと下げはこれから起こる可能性がある。そうなると、今回の下げが小さな波にしか見えなくなるだろう。リーマンショックの時と同じだ。
実際、チャイナショックは起きても驚くようなことではない。
起きないと思うほうが、根拠なき楽観だろう。w

だが、その時、大事なのは高橋洋一氏が再三指摘されている通り、金融政策を間違えないことである。
株式市場の変動は、マーケット参加者トータルではプラマイ0であり大した問題ではないが、金融政策を間違えると酷いことになる。

今回の状況から、アメリカは利上げ時期を期限を決めずに延期するのは確実だろう。アメリカのFRBはもはやそういった間違いは犯しそうにない安心感がある。しかし、黒田日銀体制にはまだあまり安心感がない。w
そしてシナは、もっと利下げをする可能性も高い。
基本的に今回のシナの利下げは、アメリカが利上げをする(金融引き締め)という観測の中で、それと連動してシナが金融引き締めを行ったら、ただでさえも不穏なシナのマーケットがクラッシュするのは確実だから、シナがあらかじめ金融緩和の姿勢を示したものと思える。だが、もはやシナはそういった金融政策だけでマーケットクラッシュを防ぐことができるのかどうかという状況なのだろう。

過去のマーケット危機では、その度に固定相場制から変動相場制に移行する国を生み出してきた。
例えばイギリスであっても1992年のポンド危機で管理相場制(ERM)から変動相場に移行したばかりだ。
おそらく、来たるべきチャイナショックは、シナがドルペッグという固定相場から変動相場に移行する引き金となるのかもしれない。





posted by libertarian at 10:44| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

Security doesn't bring peace

セキュリティとは、一定の安全をもたらすが、別に平和をもたらすものではない。
安全と平和は別物である。
軍事といった言葉はやめて、セキュリティという言葉で正しく国防なりを語る必要がある。
もとより、国防とはNational securityのことである。
平和という概念には意味がない。戦闘がなくても、リスクのない状態は存在しないからである。
リスクがあって、セキュリティがある。戦争と平和ではなく、Risk and Securityだ。

日本もセキュリティの観点では核システムの保持は不可欠な状況である。アメリカがそれを認めないわけだが、日本に核が使用されても、アメリカが核兵器で報復することもあり得ないわけだから、日本は独自に核を持たないといけない。
10年前なら、シナや北コリアの核能力も低かったから、特に必要なかったわけだが、状況は急速に変わった。
アメリカの核では日本への抑止能力として不十分である。フランスのドゴールがいった通りである。
セキュリティとは、状況に応じて対応を変化させなければいけない。
アメリカは日本に核をレンタルするべきである。

そもそもシナや北コリアには、国軍がない。シナは共産党というマフィア組織が支配する地帯であり、北はシナのはぐれものの舎弟だ。シナの軍隊は、中共という山賊の支配する私設軍隊にすぎない。
北も全く同様。シナや北コリアを国と呼んでいるから勘違いするのだ。

ISIL は国家ではないから、イスラム国という言葉を使ってはいけないとか言ってる連中は、シナや北のことをなぜ国と呼んでいるのか?シナや北が国家なら、ISIL,イスラム国も国家である。
つまりは、これら無法地帯を国家と呼んではならないのである。

歴史的に言っても、シナのような無法地帯が国家になる可能性はあまりないと思う。
逆に言えばシナが国家であったことは未だかつてなかった。中原を支配するギャング団が入れ替わり立ち替わり支配する地帯にすぎなかったわけだ。
シナには未だかつて法の支配があったためしはなく、ギャング団のみかじめ料、所場代を民衆から取り立てるだけの官僚組織があっただけだ。
posted by libertarian at 23:23| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Dead or Slave,Defeat means slave

日本の自称リバタリアンの連中など、私からみれば、連中はただの変形左翼にすぎない。
これは、池田信夫みたいなどーしようもない連中のことである。

ネットにいる自称リバタリアンの連中も所詮は変形左翼にすぎないということを私はよく知っている。
共産党よりのリバタリアンもいれば、ヒッピーよりの自称リバタリアンもいるということで、どちらも私は全く認めていない。日本のミーゼス崇拝者も同じである。連中は経済も数学も分からないただのバカである。w
つまるところ、日本にリバタリアンと言える人間は悲しいかな私しかいないということなのである。(爆

自分をどう呼ぶかは勝手なので、別にどうでもよいが、日本の自称リバタリアン達が変形左翼にすぎないのは悲しい現実だ。このままだと、共産党が日本リバタリアン党と自称する恐れもすらある。w
どうすれば、本当のリバタリアニズムを日本人に広めることができるのであろうか?
別に広まらなくてもいいのだが、あまりにも低レベルすぎて話にならない。w

リアリズムとリベラリズムにしても必要条件と必要十分条件の違いがわかってない。
貿易や交易が平和的な関係の必要条件であったとしても、それは必要十分条件ではない。
では、なにが必要十分条件なのかは、リアリズムもリベラリズムもわかっていない。ただ、どう対応するべきかという点で、リアリズムが正しいのである。
貿易が大事なのは自明だが、経済的相互主義そのものはセキュリティの代わりにはならない。
誰もなにが平和の必要十分条件かを知らない。
戦争か平和の選択ではない。セキュリティとは相手のアナーキーな暴力に敗北するか否かの問題だ。

デフレが正しいなどとほざいているバカどもは相手にしてもしょうがない。
彼らはただバカなだけだ。オウムの主張にいちいち相手などバカバカしくてだれもしない。w
しかし、こういう連中は単にバカなだけでなく、極めて有害だ。

政府の存在もそれ自体は大した問題ではない。70年前の日本人が対峙したのは、欧米のキリスト教価値観からくる人種差別問題だった。この問題に対して日本は戦争には敗北したが、論理的には勝利した。

日本でもっと理解されるべきなのは、ミルトンフリードマンやその息子、デイビットフリードマンの考えかただろう。彼らのことを帰結主義だなんだといっても、帰結主義の意味が理解されていない。
posted by libertarian at 04:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

Wider-area local government system

素朴な疑問として、日本の旧大蔵省はなぜこれほどに権力があるのであろうか?
財布のひもを握っているからだというのは、当たり前のような理由だが、アメリカの財務省がこれほどの権力を持っているという話は聞いたことがない。
一つに連邦制が理由で、アメリカの場合、予算配分権力が連邦政府に集中しているわけではなく、各州に財政権力が分散されているためなのかもしれない。
しかしスイスでは一時期、自治体間でのTax competition が問題になったが、アメリカではそのような話を聞いたことはない。実態はどうなのか?

アメリカのような連邦国家と、EUのような体制の違いもはっきりしない。
アメリカの各stateは、独自の憲法、法律、独自の軍隊も保有する主権国家であるが、通貨発行権はない。この点、EUの各国と同じだ。分かりやすい違いは連邦憲法に相当するものがEUにはないことだ。
EUは経済的な統合であるが、統一の連邦憲法に相当するものはない。
ちなみにアメリカの各stateが軍隊を持つのは主権国家だからだろう。w

日本はやはりその経済規模に対して、中央集権が強すぎるのは事実だ。
依然として後進国的な中央集権体制をとるのは、その経済規模に即していない。
そのくせ、政府にとって一番肝心の軍事に関しては政府の役割があいまいだ。
本来、中央集権化の目的は軍隊の一極集中化にあった。
そもそも日本は軍隊がない前提で議論するのをいい加減やめないとはじまらないわけだが。

昔、大前研一が言っていたように、ある種の連邦制、道州制のような仕組みはやはり必要なのであろう。
日本の地方自治体の条例は法的位置づけもいい加減で、意味がない。
そのため、憲法に抵触するような条例を平気で作る。地方議会に法的な専門能力がない。
アメリカの場合、法律家が多いのは、国=州の数が多いからということもあるのだろう。
州ごとに専門の法律家が必要だ。

道州制については維新の橋下氏も言っていた。地方自治体の統廃合はすでに進んでいるようだが、これをもう少し大きなビジョンで加速する必要がある。
posted by libertarian at 08:40| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

Class

今の社会はリベラリズムが教条であるから、クラスなる差別的なものは原則否定される。
しかし、社会において上下の関係はどこにでも必ずあるし、上下の違いは存在する。
契約関係に基づく上下関係もあるが、契約関係のない上下関係もある。そこが重要なところだ。

実際のところ、左派こそが、単一の価値観に基づく上下関係を欲する連中である。
人間関係の基本はクラスにある。
年齢によるクラス、実力によるクラス、これら諸々のものを前提として社会関係というものは成り立っている。
クラスは必ずしも上下の貴賎を意味するものではない。
だが、リベラル連中はこれがわからない。連中はバカだから「違い」を差別=悪だと言うわけだ。
恐るべきことにリベラルはこのように学校教育でも教えている。

社会において大事なものはクラスなのだ。誰も自分より低いクラスの連中と対等に接しようとは思わない。
だから同類でグループを作る。古今東西、社会はクラスで構成される。
逆に言えばクラス以外のもので構成される社会はあり得ない。
そこにあるのは、自生的なものであり、外部の権力がどうこう横槍を入れるべきものではない。
世の中に法的権利の平等があることは認めても、それ以外の対等関係は存在しないと認識しないといけないわけだ。
posted by libertarian at 04:41| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Benefit of computer

コンピューターの性能は向上し続けるし、ソフトもどんどん進化する。
これによる利便性の向上は何を意味するのだろうか?
正直なところ、体感的にはそれほど大したことはない。
人間にとって、最大の希少性はお金ではなく時間だが、コンピューターは利便性の向上と引き換えに時間を消費している感がある。
一方で利便性が向上するほどに、コンピューターに投資する時間は増大していく。
そういったコンピューターへの時間投資は注意しないといけないものであろう。
もっと別の事に時間は投資した方が満足感は高い場合が多い。
コンピューターをSNSのようなコミュニケーション手段として捉えると、それは電話と大した違いはない。
電話の方が充実したコミュニケーションになるかもしれない。
気軽さというのが罠で、気軽なものにあまり価値がないのだ。
しかし、利便性の向上は気軽さの向上に結びついて、それにのめり込むようになる。
価値の低いものに、のめり込むようになる。
コンピューターは利便性の高い道具ではあるが、その利便性に飛びつかない方がよい。
大事な事は自分にとってなるべく価値の高いことに時間を投資することである。
コンピューターはそれを使って何か価値あるものを作り出す道具としてつかわないといけないが、そうして価値のある何かを作ると他人の時間を無駄に消費するのである。w

posted by libertarian at 04:20| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

Jim Rogers is just a trader

ジムロジャースの雑誌記事を読んだ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44481

ロジャースはいまだに投資で成功しているようだ?が、投資に成功していたとしても別に正しい経済理解をしているわけではないという見本だろう。
しかし、ロジャースは自称リバタリアンであり、こういった経済に関する意見を持っているリバタリアンは多い。私も以前はなんとなく、こういった考えが正しいと思っていた。w

成功している投資家が正しい経済理解をしているわけではないし、正しい経済理解をすれば投資で成功する可能性が高くなるわけでもない。
それは、別物なのである。
とはいえ、ロジャースの言っていることも半分くらいは正しそうだ。
ロジャースはファンダメンタルズ投資をしているから、経済分析はいろいろとしていて、現状認識は適切であることが多く、そのため投資で成功できているということなのであろう。どのくらい成功しているのかは分からないが。w 一度運よく大成功して、大金を手にしたら、その半分投資に回し、半分は手を付けないでいたらそれだけで一生贅沢に暮らせるわけで、その後の投資パフォーマンスがどうであれ、成功した伝説の投資家として暮らしていけるわけだ。w

投資家には経済について一家言持つ人が多いように思うが、大体怪しい床屋談義に過ぎない。
投資家やトレーダーにとっては投資で儲かればいいのであって、国家や経済は自分とは関係のないことだからだ。
ロジャースもただのアメリカ人一相場師に過ぎない。いや、ただの投資家というよりは、かなりの曲者と見るべきだろう。
投資で成功したいからと言って、ロジャースの経済床屋談義まで信じてはいけないということだ。



posted by libertarian at 03:26| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月07日

Apple Music

Apple Musicのお試し入会をしたが、そのまま忘れて全く使っていなかった。
しかし、昨日、色々と試してみたら、これは非常に強力なサービスだとわかった。
ほとんど、ありとあらゆる曲、古今東西の曲がなんでも聞ける。月に980円の定額だから、輸入版のCD1枚買うより安い。

今までは、気に入ったアーティストのアルバムを買って集めたり、レンタルにあれば借りたりしていた。
しかしレンタルCDはメジャーなものしか置いてないから、買わないといけないことが多い。
また、cdは溜まる一方で、よく聞くCDとほとんど聞かないCDに分かれる。

今はネットラジオ局も数万局もあり、ジャズでもジャンルごとに細かく専門化して配信をしている。
気に入ったのがあれば、アマゾンで検索して購入したりしていたが、apple musicに入れば
その必要もない。アルバムを丸ごと聞けるからだ。

音質は、まあまあというべきか。そんなに良くはないと思われるが、悪くはないだろう。
音楽もやはり時代性があって、昔新しく感じたものもすぐに古くなる。
コンピューターなどの機器がすぐに旧くなるのと近いかもしれない。
当時、先端的なものと感じたものこそ、廃れて旧く感じるようになる。

ネットラジオは、古いのからコンテンポラリーなのまで集めているから、飽きない。
音楽もどんどん若い才能、天才が出現してくるし、アレンジも洗練されてくる感じがある。
音楽も5−6年位前のものだとコンテンポラリーと感じるが、10年経つと旧いなと感じることがある。
やはり、新しい音楽を聴くのが楽しい。

今は音も映像もアップコンバート技術が当たり前になっている。dvdをフルハイビジョンでみても綺麗なのはアップコンバートのおかげだ。これを早い時期に普及させたのは、おそらくPS3だろう。
pcオーディオの音がいいのも、このアップコンバートのおかげと思われる。
普通にCDを聞くよりも音がよくなるのは、不思議といえば不思議だ。

やはり自分の好きな音楽は、自分で発掘しないといけない。昔はこの手間が大きかったし限界がかなりあったが、今は容易だ。そのうち、映画なんかでも、こういった定額配信でなんでも観れるようになるのだろう。
HULUとか今でもあるが、音楽ほどにたくさんの作品に自由にアクセスはできない。
本もそうすればいい。

しかし、音楽や映画は楽しむのにも時間がかかるから、どんなに沢山あっても、アクセスできる時間が限られる。昔の方が、音楽を聴いてる時間は長かったが、同じアルバムを何度も聴いていた。
レコードは高価だったし、試聴も簡単ではなかった。FMファンとかの雑誌でラジオ番組をチェックしてテープに録音するくらいであった。
だが、時代的なものかもしれないが、昔の方が音楽は熱心に聞かれていたと思う。
今はテレビ番組でも歌ものはあまりなさそうだ。昔は歌番組ばかりだったが。
posted by libertarian at 06:30| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

Theory

theory,セオリーという言葉の意味は、なかなか難しい。
ミアシャイマーなどが、自分の説をmy theory、my theoryと呼ぶのに違和感を覚えていたが、〜説は、〜セオリーということなのか。
セオリーは実証されない段階でも、セオリーではあるということか。
私の感覚では、ある程度、実証されたものがセオリー、理論で、その前の段階のものは〜説とするのが正しいと思っていたし、今でもそう思っている。実証がともなっていない理論は、仮説の段階にある。

だから、ミアシャイマーのセオリーは、ミアシャイマーの説だ。
歴史的なバックテストに合格したから、ミアシャイマーの説は、theoryと言えるかといえば、それは無理だ。
英語には、このような言葉の使い分けがあまり厳密にないのか?hypothesisは、もっと狭い範囲の、限定的な仮定のイメージだ。これを説とするのもしっくりこない。

歴史的なバックテストは、何重にも難しい。あまり昔だと正確な記録がない。記録が残っていなかったり、残っていても勝者の歴史で改竄されていたりする。また記録があっても、数字がない。そもそも正確な統計数字などは、せいぜいこの100年くらいしかない。記録しか手がかりがないが、記録を検証する手段がまた他の記録しかない。
国際政治や地政学、また経済学の問題は、理論の歴史的な検証が困難かつ怪しいところにある。ある程度、フォワードテスト、つまり予想が当たればよしとするのであろうが、それもかなり限定的になる。
だから世の中には怪しいtheoryや、怪しい証明が溢れているわけだ。

そもそもニュートン物理のようなものを理論とするのであれば、社会科学の理論など理論と呼ぶのもおこがましい。ニュートン物理の衝撃とは、この世の中、この世界に理論が存在すること、そのものだった。当時それは神の存在証明として受け入れられた。
ニュートン以前に理論があったのかは分からない。
ギリシャ時代に理論があったとは思えない。数学はあったが、数学と理論とはまた別だ。
theory,theologyは同起源の言葉なのだろうか?
昔はニュートン教なんてものもあったらしい。w

ニュートン以後は、逆に理論なるものが溢れてくる。説と呼ぶならいいが、理論と呼ぶのは問題があるようなものが多い。説と呼ぶと、簡単に相対化されてしまうので、theoryだ理論だというのであろうが、やはり、理論ではなく説というべきである。

それでもマクロ経済学などは、ミルトンフリードマンの大恐慌研究以来、歴史的な実証をちゃんとしようとしてきた。それが、バーナンキなどのマクロエコノミストの業績で、仮説を実証して理論にまで高めようとしてきたのが偉い。この100年のことでも、数字は簡単に手に入らない。
もとより、実験科学でも数字を手に入れるのは非常に大変だ。一つのデータを手に入れるのでも、大変な労力、時間、お金がかかるのが普通だ。


posted by libertarian at 10:54| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月31日

Risk Control

リスクコントロールとはどういった意味か?
これもよく聞くが、分かったような分からないような言葉で、実際、その定義はあまり明確ではない。
リスクをコントロールするのだから、リスクを増やしたり減らしたりすることがイメージされるが、実際のリスクコントロールとは、リスクを時間的に一定に保つことである。
リスクが周りの環境で増減するのは、コントロールができていない状態だ。
これはナショナルセキュリティでも同様で、外的環境に合わせてリスクの増減を許さないようにコントロールしなければいけない。相手のリスクが低下した状態は、自分のリスクが高まったことと同じだ。自分に課せられたノルマ、課題も当然に上昇する。

日本は全くリスクコントロールができていない状態で、リスクコントロールの意味すら分かっている人は少ない。
ちなみに、投資においてもこの正しい意味でのリスクコントロールが必要なのだが、これが分かっている人も少ない。
posted by libertarian at 03:46| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Risk on

今はマーケットはRiskOn状態になりつつあると思われる。
説明はしないが、そう思われるわけだ。w

ここで問題とするのは、Riskとは何かだ。
セキュリティ問題はRisk問題であり、Riskを定義しないと意味がない。
日常生活は安定的なもので、リスクの存在を意識しない。セキュリティも安定性、日常性を脅かすものといった定義であれば、リスクを意識していない可能性がある。

結論から言えば、リスクとは期待リワードに対して発生するものだ。
おそらく、普通、リスクとは0の状態がマイナスになることとイメージされているだろう。そうではなく、+Aの期待に対してリスクは-Aが自動発生する。意識するしないに関わらずである。

株式投資をする初心者はロスカットを設定しないで買い、ひたすら上がることを願うだろうが、ロスカットを設定しないで利益を期待することで、リスクリワード比は無限大になるかといえば、そうはならない。w
仮に10万円でロスカットするとしよう。ロスカットの値がリスクであり、リワードはそれ以上を達成しなければいけないノルマになる。ロスカットを20万にすれば、なかなかロスカットにかからず、2−3万円で利食いもできるチャンスがあるだろう。だが、ロスカットを大きくすれば、自分がとらなければいけない利益水準が上がっていく。20万のリスクをとって、2万円の利益では勝ったことにはならない。リスクを沢山とるということは、同時に自分に課すノルマ、達成基準を高くするのと同じなのである。1回限りの勝負でなければ、自分の設定したリスクが重くのしかかってくるだろう。自分の能力を超えたリスクを設定すれば、そのノルマは達することもできないだろう。リスク=ノルマであり、その人間の力量にバランスしたものでなければいけない。

セキュリティも、お金を沢山持っている人がより多くの投資をする。普通の人はセキュリティ投資などほとんどしないが、金持ちはそうではない。相当なセキュリティ投資をしている。
これは国家についてもいえることで、豊かな国家ほど多くのセキュリティ投資をする。アメリカは戦争を仕掛けてばかりいるようにも見えるが、あれはあくまで国防、national security の一環なのである。
核兵器が最高のセキュリティ兵器であるのは、相手の期待リワードをマイナス無限大に持っていくことが可能だからで、リスクリワードを1以下に容易にできるからだろう。

posted by libertarian at 02:46| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする