2015年02月07日

Hostages

日本人二人がISISの捕虜となった事件だが、これに対して、国は国民を救出するのが当然であるという論調が多かった。
このことは、北朝鮮に拉致された日本人との問題とも絡めて、自国の人間を助けるのが国家の政府の当然の責務であるという考えがあった。
しかし、北朝鮮に拉致された人たちは、日本国内で拉致強奪されたのであり、禁止地帯に勝手に入り込んで捕虜となったわけではない。
これをアナロジーで同じと考えるのは間違いだ。

私の考えでは、ISISの捕虜となった二人に対しては、日本は形だけの努力をしたのだと思うが、そもそも助ける義務が法的にあるとは思えない。もちろん、助けられるなら助けるのが温情的だが、法的にそうすべきという話とは違う。
その点、北朝鮮に拉致された人たちと一緒にすべき問題でもない。
一方、北朝鮮に拉致された人間を救出するのは、国家の、または政府の義務である。

所詮は今回の捕虜問題なるものもマスゴミのワイドショーネタでしかない。マスゴミが騒ぐ問題だけに反応して、もっと大きな問題について考えが及ばないというのはダメすぎる。
そもそも、今回のことでそんなに騒ぐなら、北朝鮮に拉致された数百人規模の人たちのことをテレビで連日放送すべきなのだが、いままでもほとんど何もしてきていない。

マスゴミがISISは悪だといえば、悪だと感情的に反応し、北朝鮮はそうでもないよといえば、そうでもないと思うのが、大衆というものだ。
こういう操作をされるようでは、高等教育の意味もないし、振り込め詐欺も減らないだろう。w
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Invasion to Iraq

アメリカのイラク侵攻は、侵略と言ってもいいと思われるが、この反省とか総括のようなものが全くなされていないのは不思議である。
特に日本ではマスゴミを賑わすだけの一抹のショーでしかなかった。
化学兵器にしてもあったとかなかっとか諸説あるが、公式にはなかったで済ましている。しかし、それで済むことではなかろう。
予防戦争、preventive warとか言っていたが、一体何を予防したのだろうか。

アメリカは、イラク侵攻に1兆ドルの予算を投入し、4000人の兵士が亡くなった。
ベトナム戦争のようなかつての代理戦争と比較しても、意味のない戦争だった印象がある。
イラク侵攻は、米ソの代理戦争でもなく、一方的にアメリカがイラクの政治体制を許せないとし、アルカイダとの結びつきをねつ造し、やくざもどきの因縁をつけて侵略しただけの戦争ではなかったか。
アルカイダとの結びつきをねつ造するために、アル ザルカウィのありもしない話を捏造し正当化しようとした。

イスラム世界というのは、非常に複雑で混沌としている。
例えばイラク戦争では多国籍軍とイラク軍の戦いだと見られていたが、実は、この時、イラク軍に対して、反シーア派も攻撃を加えていたそうだ。この反シーア派がISISの前身、イラクのアルカイダだったいうのが皮肉なことだ。
これは、後でわかったことらしい。アメリカの中東情勢分析も穴だらけということが、後になってわかってきているようだ。

アメリカのISISに対する分析も全くずれたものだったようだ。
ここでは、敵と味方といった2元論的な見方は不可能なほど、複雑な入り組んだ対立構造があり、アメリカの行動も矛盾しまくったものとなっている。バルカン、ユーゴスラビア紛争と同様に日本人には理解不可能な世界だ。
アメリカがテロ組織として対立している組織に対して、別の敵に対抗するために資金援助、武器供与ということを平気でしているらしい。
アメリカは中東におけるまさしく紛争当事者であるから、アメリカへの協力は、決して中立でもフェアでもない。
日本は、平和主義を発揮して、こういう時こそ不関与の方針を貫くべきである。
主張がフェアなら、欧米も反論はできないのである。

そもそも日本はアメリカ以上に中東のことは何も理解していないだろう。
人道援助といえば何でも聞こえがいいが、具体的に誰に何をどのように援助するのかという具体的な内容が示されなければいけない。
しかし、このような複雑極まりない紛争地帯に関与することは、たとえ善意からであっても、善意の結果をもたらすとは限らない。
つまり、日本は一切の関与をしないのが、ベストである。
国益をセキュリティ上の課題としてみても、関与しないのが一番のセキュリティ、つまり国益になる。
日本は石油を買いますよというだけの、お客様でいるべきなのである。
日本は国際秩序なるものの一角として振る舞うのではなく、正しく一介の小国として振る舞うべきなのだ。
むしろ不関与を貫けば、将来的には調停者となる立場にもなりうる。

宗教というのは、それを信仰している人の理解と、それを信仰していない人の理解というのは、質的に異なるだろう。
仏教にしてもキリスト教にしてもイスラム教にしても、信仰しない人がそれを理解できるかどうかは大いに疑問だ。
表面的な知識として整理はできるだろうが、理解はできないだろう。
つまり、理解できないものに不用意に立ち入るのは危険ということもある。
分からないことは、分からんと正直に言うべきだ。できないことはできませんというべきなのである。
社会工学的な発想、社会を人工的に改造するという発想は日本にはもともとないだろう。

ISISに対しても兵糧攻めがきくとか、高橋洋一氏なども言っているが、本当に効果的なのかは大いに疑問だ。
そもそも、そこまで関与すべきではない。
おそらくアメリカは空爆くらいしかしないだろうし、できないだろう。そして空爆はあまり効果のないものだ。
コソボでも空爆はしたが、それは単に乱暴な破壊行為だけで、政治的な効果、つまり戦局を変えるほどの効果はないものだ。
結局、アメリカの軍事力、影響力というのも限定されたものにすぎず、その地域の安定化とかには結びついていない。
コソボ紛争にしても、アメリカとは関係なく勝手に自然とけりがついたとみるべきだろう。


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Fermentation and AI

食事は、大事なものだ。
こういうものは無関心だと徹底的に無関心で、せいぜい店で出される料理をうまいとかまずいとか言っているだけの評論家にしかならない。
グルメを自称しつつ、料理には全く無関心というのは矛盾している。
食事は、自分である程度作ったり、研究しないと興味がでない。料理と食事は一体であり、料理をしないで食事にだけ関心があるというのは、食事の意味を理解していないことになる。料理をすれば素材に関心がでてくるし、調理によって素材がどう変わるかも肌で分かる。

また本当にうまいものとは、大体が発酵食品だ。発酵食品は人知を超えたものである。人間はそれを作ることができない。微生物の活動をある程度コントロールするくらいのことしかできない。
魚の乾物でも、納豆にせよ、漬物にせよ、チーズにせよ、酒にせよ、よくできた発酵食品は人知を超えている。

人間というのはいかに頭が良くても複雑なものは理解できないのである。逆に言えば、頭の良さとか科学というのは、複雑なものを単純化することが基本だ。複雑なものを複雑なまま理解することはできない。
ここがAIとの本質的な違いになる可能性があると思う。AIは複雑なものを複雑なままハンドリングできるという点で、人間とは異質な知性になる可能性があると思う。

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2015年02月06日

The real criminal of the STAP case

STAP細胞の真犯人は、理研そのものであったという武田邦彦氏の論


ここまでSTAP問題をつきつめたのは、さすがである。
武田氏はSTAPは、理研の金目当ての組織犯罪である可能性が高いと推理している。
大いにありそうなことだ。理研の行動に着目すれば、すっきりと今回の事件の意味が見えてくる。

武田氏も、ここまで言いきるのは、勇気のあることだ。
武田氏は、是非、小保方さんと対談をしてほしい。そこで、具体的な真相を聞き出すことができるのではないか。

もしこれが本当なら、ノーベル賞受賞者の野依理事長のスキャンダルに発展するだろう。
これこそ、マスコミが追求すべきスキャンダルではないか。

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2015年02月01日

Terrorism

ISIL、またはイスラム国が話題となっている。
テロ国家といわれるし、それは事実であろうが、これは国家とは何かという大きな問題を含んでいる。
イスラム国なるものが話題になったのは、去年2014年くらいからだが、オバマ政権がイラクから軍を撤退した軍事的空白を埋める形でイラクのアルカイダ、つまりイスラム原理主義が台頭してきたわけだ。
アメリカがサダムフセインを排除して、さらに最悪の敵が台頭した結果となった。

国家の基本的な条件とは、領土、国民、主権だが、イスラム国はこれらを満たすから国家とはいえる。しかしイスラム国を承認する国はないから国家ではないともいえるが、シナや北朝鮮が国家だというなら公平に言ってやはりイスラム国も国家だろう。w

現代の欧米のワールドオーダーに挑戦しているのは、いわゆるイスラムではなく、イスラム原理主義と限定すべきである。
イスラム原理主義とは、簡単にいえば、コーランの原典に回帰すべしという運動と理解している。コーランは法であり、細々としたことを規定しているが、時代の変化にあわせて、コーランは拡張してきた。イスラム学者があたらしい技術や社会環境の変化に対して、解釈を加えてきて、結果的にコーランがふくれあがってしまい、元のコーランから離れてしまった。
そこで、原典のコーランの教えに帰ろうというのがイスラム原理主義である。だから、斬首刑とか石打ち刑といった、アナクロな現代的には残酷な刑をコーランの原典通りに行う。

イスラム原理主義は、反欧米、反近代文明、といった挑戦的、戦闘的な要素が強い。それがテロという具体的な戦闘行為、非対称戦争を起こしている。いわゆるイスラムが欧米と共存の道を歩もうとしているのとは対照的だ。もっともイスラムにとって欧米とはキリスト教なのだろうが、政治と宗教を分離して考えればよいというところに落ち着いてきている。
だが、イスラム原理主義はそのようには決して考えないという点が厄介で危険なところなのだろう。

ISILの行為をテロと呼ぶのは、ISILを国家と認めないからである。
アメリカの軍事行動も、アラブの国にとっては、とんでもない暴力だろうが、テロと呼ばないのは国家の行動だからである。
ISILが国家であることを強調しているのは、イスラム原理主義の戦闘行為をテロではなく、国家行動と認めさせようという思惑なのだろう。

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2015年01月21日

Anesthesia

年末に骨折をした。
鎖骨を折り、人生初の手術をした。全身麻酔も初めての経験。
術後も痛みがあるので、鎮痛剤を飲んでいたが、おかげでオツムが前よりも悪くなったような気がしてならない。w
囲碁棋士の趙治勲は大けがをして、手術をしなければならなくなったとき、麻酔は頭を悪くすると聞いて、麻酔なしで手術するように頼んだそうだ。ほんとに麻酔なしで激痛に耐えながら手術したそうだから、驚異的だ。

しかし、私は痛いのは大層苦手であるため、全身麻酔はするは、術後は鎮痛剤を飲みまくり、痛みから逃れていた。
お蔭で、前よりも一層バカになったかなと感じる。w
麻酔というのは、不思議なもので、手術が終わり、医者に手術が終わりましたよと声をかけられるとぱっと目が覚める。
麻酔がかかる時の記憶もない。
麻酔は麻酔医という専門家がいるが、麻酔の仕組みは未だによくわかってないらしい。
一種の仮死状態のようで、夢も見ないし、その間の記憶がなくなる。

私が前よりバカになったような気がするのは、簡単な詰み将棋が前よりも簡単には解けなくなったような気がするからである。
頭の中で駒を動かすのが、少ししんどい気がする。
これが麻酔による効果なのか、単なる気のせいなのかはわからない。
しかし、麻酔がオツムを悪くするのが、単なる迷信であるなら、趙治勲の激痛に耐えた苦労は意味がなかったことになる。

骨がくっつけばくっついたで、また入院して手術をしないといけない羽目になる。
さらにバカになるのかと思うと困ったものである。w
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2015年01月18日

Never Let me go

Kazuo Ishiguroの原作の映画「私を離さないで」を観た。
SFということだが、一言でいえば、自分の臓器提供者となるクローンを作る社会があり、そのクローンとなった側の人間を描いたドラマである。しかし、SFということだが、時代設定は1952年以降の現代だ。
映画はなかなか映像もきれいで、よくできた映画だ。
役者も大物が出ているので、それなりの大作なのだと思われる。
実は私はこの原作も随分前に買って持ってはいるのだが、まだ読んでいない。
映画が面白ければ読もうと思っていたので、そのうち読む予定だ。

このストーリーではおそらくクローンはオリジナルの所有物とされているわけだ。
オリジナルが所有権をもち、クローンはオリジナルの所有物とされる。
おそらく、というか間違いなくクローンには人権もない。提供者として、臓器提供する時を待つだけの任務である。

こういった所有権原理の拡張というのは、現実的には起こらないだろう。
例え人間のクローンが可能になったとしてもだ。
自分の子供が半分自分の遺伝子を継いでいるとしても、半分所有権が親にあるわけではないのと同様である。
この物語の設定が現代となっているのは、現代人にも生き方の強制があること、生きる方法に選択の余地がないこと、また生きる意味を知らないこと、利他主義の強制があることを意味しているのかもしれない。

しかし、こういった奴隷原理というのは、欧米の人間には割と自然なのかもしれない。w
所有物になりえない対象は、世の中には存在しないと考えるのであろう。
作者のイシグロ カズオは日系人だが、頭の中は完全に欧米人だ。
人権思想とは、所有権の限界を定めるものともいえる。
人が人権を持つことと、人は人を所有できないのはほぼ同じ意味になる。つまり、人権を持つものを人は所有できないシステムともいえる。



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2014年12月29日

Credit and Cosigner

遅まきながら、半沢直樹をDVDレンタルで観た。
日本のドラマには、アメリカドラマとは違い日本ならではのリアリティがそれなりにあるのがよい。
このドラマでは、銀行融資の実態が描かれている。晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げるといわれる銀行融資に対して批判的である。
このようなことは、過去のバブルー破綻ー回復ー破綻といった、過去20年くらいの一歩進んで2歩下がるデフレ環境の中で繰り返されてきたことだと思う。これに加えるなら、連帯保証人制度も取り上げるとよかったと思う。
ところで、連帯保証制度は、少し前に改正の話を聞いたが、その後どうなったのだろうか。

基本的にお金はどこにあるのがよいだろうか。銀行の融資業務は、中小企業の経営者よりも経営能力、情報収集能力が高いとドラマでは考えてるようだが、ほんとにそうなのだろうか。マクロにみれば、そうとはいえないだろう。
銀行の本分が融資業務にあるとしたら、経営能力があまりないというのは融資能力の低さと同じで致命的だ。
もし一流銀行の人間が民間の中小企業の社長よりも経営能力があるとするのなら、同様に役所の官僚の方が普通の民間企業よりも先読み能力、経営能力が高いということになり、公共事業や産業政策、しいては社会主義が肯定されるだろうが、事実は決してそうでない。

いわゆる金持ちが金を持つべきなのは、お金の使い方を知っている、経営能力が高い、投資能力が高いといった能力がそこらの銀行員よりは期待できるからである。
おまけに、日本の銀行は連帯保証人制度で、とりっぱぐれがない。貸す側にリスクがほとんど0だから、大した与信能力はなにもないというのが現実だ。この結果が、晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる銀行融資の実態だ。
日本の銀行に与信能力をつけさせるためには、まずは連帯保証制度の廃止からはじめないといけない。

いわゆるエンジェルの投資は、これと対照的に、貸す側に保証がない分、貸す側の与信能力はかなり要求される。





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2014年12月25日

Rear car

最近、宅配の車が東京の市街地では、自転車が多い。
自転車に大きなリアカーをつけて走っていて、よくみるとアシストがついているものと、ついていないものがあるようだ。
車の駐輪規制が強すぎて、ああなってしまったのであろうか?
自転車選手を目指すなら、トレーニングにもなろうが、結構な歳の人が乗っていると、なんという過酷な仕事だと思わず同情してしまう。

アマゾンの隆盛に伴い、宅配のデリバリー業務は増えているのだろうが、現場はどんどん過酷になっているようだ。
うちにくる宅配の人も、文句を言っていた。

このような物流はもう少し、合理化できないものかと思う。
自分もアマゾンのPrimeで、翌日には配達されるのが便利で、頻繁に利用する。もはや、大型店舗に行くこともあまりなくなった。
少し前なら、ヨドバシやビックカメラによく行ったものだが、最近は行かなくなってしまった。
これらは、ネット店舗もあるので、そちらを利用することはある。アマゾンで買うより安いことはしばしばある。

昔、「ハエ男の恐怖」という空間瞬間移動をテーマにしたSFがあった。これはリメイクもされてThe Flyという映画になった。
リメイク版は、少し現代的になっていて、コンピューターで全要素を分析し、一方で再構成するというような仕組みを謳っていた。
このアイデアは今では、3Dプリンターのようなものがあるから、実現してしまったというべきか。
もちろんThe Flyの仕組みなるものはやはり無理がある。w

このような物流システムは、現代ではまさに先端的な情報システムが使われている。
かなり大規模なシステムを業者は使っているが、現場の末端では、リアカーになるというのが現実なのである。
アマゾンは、ドローンを使った配送など、実験的なことも考えているようだが、これだと少し重いものは運べない。やはりリアカーが最終的な解なのだろうか?

せめて、配送用の自転車は全部、アシスト自転車にするくらいのことはしたほうが良いと思う。
そのうち、配送はやはりロボットカーで行うようになるのではないかと思う。
いつのことになるかは、分からないが。

私が思うには、これほど宅配がふえてくると、受け取り側の仕組みに工夫が必要ということだ。
いちいち、ピンポンを押してハンコだサインだではなく、受け取り側で大きな郵便ボックスを用意しておき、アマゾンへ発注したら、そのボックスのコンピューターに受け取りIDのようなものが自動登録される。
配送側は、バーコードを入れると、自動的にIDが照合され、受け取りしたという証拠になるといった寸法だ。
一戸建ての家なら、そういうスペースもあろうから、可能だろう。





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Replace Central bank with Computer

中央銀行制度というのは、おそらく過渡的なもので、そのうちコンピューターで置き換えられるかもしれない。
これは今でもやろうと思えば技術的には十分にできる。
統計データさえ正確にインプットすれば、インフレターゲットをどのように実行するかはコンピューターの方が正確にできるからである。

金融政策に政治性がなくなるほうが、政府の存在は中立なものとできる。
組織としては、統計データを集める部署だけが必要ということになる。
日本の中央銀行、日銀は財務省の下部組織にして、政府のコントロールを一切受けない違法な組織であり、政治的な道具として悪用されてきた。この被害はあまりにも甚大だ。日銀法の是正は未だに喫緊の課題だ。

インフレターゲットの値は政治的なプロセスの結果となるかもしれないが、金融政策そのものは、政治的な権力とは独立した、機械的な作業にしてしまうのがよいだろう。
金融”政策”というよりも、単にこれは通貨発行量を決めるだけの作業に過ぎないからである。
政策性はインフレターゲットの値の決定にのみ存在する。

このような状況になると、どうなるだろうか。少なくとも市場は中央銀行の発表に右往左往することはなくなるだろう。
また市場はコンピュータ化された金融政策の裏をかくことができるだろうか?
裏をかくとは、矛盾を突くことなので、アルゴリズム化された金融政策の裏をつくのは難しくなるのではないか。




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2014年12月23日

STAP and Media Lynch

今年、最もいきどおりを感じた出来事は、STAP騒動だ。
マスゴミによる重大な人権侵害犯罪により、優秀な研究者を自殺にまで追い込み、NHKをはじめとするマスゴミは謝罪どころか、まだ、STAPの犯罪なるものを喚きたてている。
今のマスゴミの40代は学校でいじめが流行った世代で、それを大人になっても繰り返しているのだろう。

ネットで調べると、ほんとに愚劣ないじめ記事だらけであきれる。小保方さんも、ほんとに自殺しかねないから、誰かがケアしてあげなければ危ない。こういうマスゴミによるメディアリンチは、ネットによって、増幅される。
このようなメディアによる違法な人権侵害をどうして放っておくのか理解に苦しむ。
これで、日本の科学界も大きな打撃をこうむった。科学の自由も正統性も踏みにじられた格好だ。
理研の対応もあまりにも悪かった。
現代のマスゴミに対する危機管理ができていなかったのだろう。
またマスゴミのような巨大メディアによる重大な個人への人権侵害が司法の場で断罪されないことも今後に残る問題だ。

ネットで見る限り、武田邦彦氏が一人、STAPの研究者を全面的に擁護しているが、武田氏の見解が正論だ。
ここから引用→
すでに示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つである。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。

3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

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今回の事件では、日本人の民度の低下というものを感じざるを得ない。

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2014年12月21日

Drop Handle

自転車に乗っていると、まだまだ改良の余地があると感じる。
しかし、たかが自転車とはいえ、一から自作するのはかなり敷居が高い。
いろんな工具が必要だし、溶接にいたっては、普通できないだろう。w
そこまでするのは、ホビーユースでは、どうしてもコストベネフィットが合わない。

最近、特によくないと感じるのは、ロードバイクの定番ともなっているドロップハンドルだ。
これもいろんな形状があるにはあるが、私はドロップハンドルは間違っていると思う。
スピードを追求するロードバイクならば、トライアスロンバイクのエアロバーみたいなのが良い。ドロップは合理的でないが、おそらくUCIの規定でドロップハンドルを使えとなっているのであろう。

ドロップハンドルの最大の欠点は、大して空力がよくなるわけではないのに、視界が物凄く悪くなることだ。どんなに首をあげて上目にしても悪くなるものは悪くなる。視界が悪くなることによる安全性の低下は致命的である。
レースならいいが、一般的な使用には全く不適切である。
ドロップハンドルに最適化したSTIレバーもよくない。
Diのように変速機を電動化するなら、エアロバーのようなものでこそ意味があるだろう。

自転車業界というのは、市場規模的には中規模なのだろうが、あんまり進歩のない業界である。
ロードバイクの世界はUCIというオリンピック委員会のような怪しい団体が仕切っているようだが、実にくだらない。
一般市場的にはミーハーな連中がほとんどだから、スター選手にあこがれて同じバイクが欲しいといった程度のニーズばかりなのかもしれない。w

自転車というのは、筋力があれば瞬間的には50−60kmh出せても、長時間の巡航となると、平坦な無風条件でせいぜい頑張って平均30kmhが限界だ。ロードバイクもママチャリで走るのとあまり変わらないといえば変わらない。w
軽量なロードバイクは、あまり風圧が高くならない25kmh位までの加速感で有利だろうが、それ以上になると風圧が相対的に大きくなりすぎて、効率ががくんと低下するのである。


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2014年12月14日

Candidates

映画「立候補」を Gyao の無料放送で観た。

なかなか面白かった。非常によく出来たドキュメンタリーだ。
言っている内容はともかく、泡沫候補は陽のエネルギーがある人達とは感じる。w
というか、集団に埋もれて安心するタイプとは正反対なのだろう。
リスクテイカーは、必ずしも合理的な人間ではないが、非合理な人間ではない。



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2014年12月12日

Exploit Machines

人間が機械を利用するとき、人間は機械をある意味、搾取しているともいえるかもしれない。
昔の西洋社会は奴隷を使役させ搾取していたが、産業革命以降、機械が普及することで奴隷の経済性が劣ってきて、奴隷があまり必要でなくなったということもあるらしい。
洗濯機やブルドーザーや工業機械は、擬人的でないから搾取という感じがないが、これがロボット、AIになると搾取している感が出てくる。
工業用機械はメンテも必要で、道具と言った方がよい。

しかしAIとなると、人間様にしかできないと思われてきた事をずっとうまくやるようになる。AIはSiriみたいに擬人的な存在にもなる。
これは道具を超えたもので、人間は機械からより多くのことを搾取できるようになる。
搾取は適切な言葉でないかもしれないが、要するに人間がやっていた労働を機械に肩代わりさせることができるようになる。

レイ カーツワイルが予測する2029年のシンギュラリティが来た場合だが、AIの意識とか感情といったよく取り上げられる問題はあまり興味がない。こういったものはそもそもその定義が明確でないため、どうとでも議論可能だろう。
私が関心があるのは、人間の知能を大幅に超えてしまうというマシンは、未解決の数学問題を解くことができるだろうかということだ。

今でも、Mathematicaとか数式処理ソフトはあるが、それと証明はまた別だ。
未解決の問題の証明でなくても、ユークリッド幾何学の証明問題でもいい。
こういったことが、特別なプログラムをすることなく、マシンが勝手にできるようになったら、ほんとに人間のすることはなくなる。w

チェスでアドバンスドチェスという人間とコンピューターがタッグを組んで、戦うゲームがある。提唱者はあのカスパロフらしい。
電王戦でも同じようなことをやっているが、プロ対プロでやるのではなく、プロ対アマでやらないと意味がない。
アドバンスドチェスでは、プロとマシンのチームよりも、アマとマシンのタッグの方が良い結果になることも多いらしい。
人間が下手に考えるよりも、マシンの手を考えずに選ぶ方がよいということか。

ここでは、人間の知性が邪魔になっているわけである。下手に考えるよりも、機械任せのほうが効率がいいということになる。
こうなると大学のような専門教育の意味はますます希薄化していくかもしれない。

こういう人工知能の社会を描いたSFとしては、昔の手塚治虫や、藤子不二雄のマンガが素晴らしい。
来るべき人工知能社会を適切に描いているようにも見える。

私が思うに、未来社会では人はどんどん働かなくなるのではないかということだ。
今、教育期間が長くなっているのも、要するに働かなくてもよい期間が長くなったということの裏返しだ。昔は機械から搾取できなかったから、丁稚にでたりして子供のころから働いていた。
機械が進歩するにつれ、人間が働くトータルの量はどんどん減っていくのではないか。
優秀な人ほど忙しいというのはおそらく事実だが、普通というか特に優秀でない人は働かない期間がながくなっていくだろう。
そうなると、暇を持て余すことを心配するかもしれないが、AIは、最高の奴隷として、人を退屈させたり孤独を感じたりしないように尽くしてくれるのだろう。

とはいえ、そうなると人間はどこでお金を手に入れるのかというのも素朴な疑問として残る。
グーグルのようなAI企業ばかりが儲かるようになるのであろうか?

社会的に人間とは財産権をもつ存在であり、逆も真なりで財産権をもたないものは人間とはみなされない。
奴隷は財産権がないから、人間とはみなされていなかったということである。
犬や猫、牛も羊も財産権がないから人間ではないのだと言っても間違いではない。
もし、彼らに財産権があれば、ほとんど人間様と待遇は変わらなくなることは間違いない。w
共産主義社会では、財産権を認めないから、国民全員が国家という得体の知れない存在の奴隷になるという悲惨なことになった。実際、人間扱いされなかったのである。ロシアでもカンボジアでもシナでもそうだ。

ロボットも財産権がないから、どんなに優れた知性を持っていても、人間ではない。チューリングテストに合格しようが財産権がないと人間ではない。チューリングテストに合格しない人間もいるだろうが、彼らが社会的に人間であると認知されるのは、財産権があるからかもしれない。

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Reducing Tax

今回の衆院選挙では増税の延期が焦点ではあるが、増税の延期ではなく、停止がよいこと、さらには減税がもっとよいことは言うまでもない。
増税の延期というのは、焦点としては確かにインパクトがない。
減税をぶつけてくる野党があれば、よかったがないようだ。

と思っていたところ、こないだ郵便入れに投げ込まれていた、幸福の党のパンフレットに目を通したところ、消費税を5%に戻す減税が謳われていた。
怪しい宗教団体と思っていたが、意外と言っていることはまともである。w
教祖がちゃんと高橋洋一氏の本を読んでいるらしい。w

しかし、公約というのは民主党が破りに破ったから、公約に対する世間の信頼度はもはや0であろう。
このことは、もっと問題にしないといけない。公約とはどれだけ拘束力があるものなのか法的にも怪しい。公約を担保する法律などないだろう。約束とか契約は重要なものだが、それを政権政党が無視する慣習があっては話にならない。

だから、日本の政党の公約というのは、約束でも契約でもなんでもない、全く無意味なものになっている。
これでは、選挙の意味も薄れてくるわけだ。


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2014年12月06日

Google Tax?

英国のジョージ・オズボーン財務大臣は、いわゆる「グーグル税」を新設する方針を発表した。多国籍企業が英国で得た利益に対して税金を支払わない「租税回避」を阻止することが目的だ。
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イギリスが、クラウド企業に対して課税するというニュースだが、これは可能なのだろうか?
例えばグーグルが現地法人を引き上げれば、課税する方法がなくなる。
そうなるとかえって困るのはイギリスだろう。
税金を払わないと、国民にグーグルを使わせないなんてことも不可能だ。
もし全ての国が歩調を合わせて課税することになったら、さすがに税を払わないわけにはいかないだろうがそうはならないと思う。

クラウド企業に対する課税が困難なのは前から言われてきたが、これをリバタリアニズムと結びつけて論じられることもある。
国家が徴税能力を失い、クラウドがサイバーな独立国のようになるのではないかという話だ。
だが、今のところクラウド企業の規模は大きいとはいえ、全体の中ではごく小さいものである。

だが、クラウド企業のようなものが今後さらに成長するのは間違いない。これらはもはやベンチャーではなく、安定した大企業である。
クラウド企業にはデータが集積しこれらは次世代のAIの原料となる。
実際、AIの世界はもはや未来の話ではなく、今おこりつつあることだ。
AIといっても、弱いAI,weak AIだが、これが急速に使い物になりつつある。
Siriのようなものもそうだ。
自然言語処理の技術が急速に進歩してきている。
現在、自然言語処理の研究者は欧米では半分くらいがクラウド企業に就職、転職しているらしい。
クラウド企業が抱えるビッグデータは、AIにおいて重要な原料となる。

そのうち、アップルやグーグルといったクラウド企業はAI企業に変わっていくだろう。
IBMもそうなるのかもしれないが、吸収されるかもしれない。w


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Coming Election

Yahoo! JAPANビッグデータレポートによる選挙予想

これを見ると、共産党が議席を伸ばすとある。
実際、共産党の主張は増税をやめ、脱原発だから、今回の焦点では、自民以上にまともである。w
脱原発問題は焦点とはいえないが依然、重要な問題だ。
私は民主は壊滅するのではないかと思っていたが、この予測ではなぜか議席を伸ばすとある。

まあ、かなりあてにならない予想と思うが、TVででたらめな解説がしつこくされているようだから、今回の選挙の焦点の意味がどれだけ理解されているかというのは怪しい限りだ。問題が複雑だと焦点もボケる可能性がある。というか、マスゴミがデタラメ情報の洪水を流して問題を混乱させようとしているのだろう。
特に朝日にとって、安倍内閣は鬼畜米英だから必死だ。

しかし自民はもっと議席を伸ばしても不思議ではない。第3極なるものが、ほぼ壊滅しているのでこの票はどこにながれるかだが、民主に流れるとは思えない。やはり自民に行くのではないか。

このヤフーの予想はビッグデータ予想とかいうが、なにがビッグデータ予想なのか?おそらく、ネットの情報をみているのだろうが、手法もなにも明らかでないから、相当に怪しい。ネットの情報、特にtwitterとかSNSの情報はデータは多くても母集団からはかけ離れている事が多いのである。

#この手法はよく見ると書いてあった。

データには検索キーワードを使っているようだ。前回の選挙ではかなり正確に当てたらしい。

かくいう私も、どんな人が自分の所から出ているのかまだ知らない。いままでは、みんなの党をひいきにしてきたが、無くなってしまったので、意外と選択が難しい。
今回、増税廃止を言っているのが唯一共産党だけというのが、悩ましい。w

ちなみにヨーロッパでは、共産主義のイデオロギーを掲げる政党は法律で禁止されているらしい。これは長いこと東と西が冷戦下にあったわけだから当然であろう。
日本も、ずっとシナとロシアという共産主義に囲まれていて、共産主義政党を禁止しなかったのが、なんとも馬鹿げた話しではあるが、日本らしいといえば日本らしい。w



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2014年12月03日

Low carbohydrate diet

炭水化物制限を再び始めた。
きっかけは、夏井睦氏の「炭水化物が人類を滅ぼす」を読んだこと。
この人の本は、面白くて読ませる。
かなり壮大な生化学に関する仮説を論じている本だが、こういった理詰めの推理というのは、意外と普通の研究者はやらないものだ。
特に、生化学は、物理学のように数学的なロジックが乏しいから、教科書に書かれたものをデファクトとして、覚えるだけになる。
今の教育はやたらと細かいことをただ暗記させる悪質なことを未だにやっているから、科学の本質である懐疑精神がなく研究者になる人間が多いと思う。
教科書に書かれている断片的な事実を合理的推論を駆使し論理的に組み合わせていくのは、難しいことである。
私も生化学の基本は勉強したが、いままでの断片的な知識がつなぎ合わされるのは非常に興味深いところだ。
夏井氏は、東北大の医学部をでた現場の医師で、博士号をもった研究者ではないが、もともと頭がいいのだろう。
というわけで、おすすめの本だ。

再び糖質制限をを始めたのは、太ってしまったこともあり、ご飯を食べた後の強烈な眠気に辟易していたこともある。
糖質制限をすると、眠気があまりないし、しばらく続けていると、いわゆる腹が減ったという食欲も抑えられる。
糖質制限を続けると、この食欲なるものは、糖質に対する中毒的な渇望に他ならないということが実感される。
ご飯やパンをとらなければ、食事後の満腹感、満足感もあまりなく、食事をした感覚も小さい。
だが、この満足感が糖質で血糖値が上がることによる、ある種の中毒症状なのだと気付く。

擦り傷の湿潤療法もそうだが、いままで常識として慣習的に行われてきたことが、大した根拠もない非科学的な慣習でしかないということが、まだまだ沢山あるのだろう。
従来の消毒という概念そのものが、非科学的な慣習にすぎないことは、もはや証明された事実と言ってもよいだろう。
食に関しては、それ以上に間違った慣習が多いと思われる。
というか、分かってないことがあまりにも多いのに、全て分かったように、ああすべき、こうすべきと自称専門家なる連中が適当なことを言いすぎているのが問題だ。

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2014年11月28日

SS

秋も深まってきた。
自転車に乗るには一番よい季節である。
ロードバイクには、変速機というやや複雑なメカがついている。
変速機のメリットは多々ある。人間の脚力は人によってさまざまだが、その人の上限があり、その人がだせる適正な力加減というものがある。
変速機は、登りでも平地でもその人に適正なトルクで自転車を漕ぐことができるようにしてくれる。そして、変速機は加速効率も高める。

しかし、このところ、シングルスピードの自転車に乗っているが、これが面白い。
シングルスピード(ss)の自転車には、当然のことながら変速機がついてない。フリーもついてない。実にシンプルだ。
ssに乗っていると、フリーのついた普通の自転車とは乗り味が大きく異なるので、いろいろと発見がある。
 #フリー付のssは、ママチャリと同じだが、フリーなしのssは、ピストと同じである。だが、もちろんブレーキはついている。
ツーリングで長距離を走るのでなければ、ssの方が快適だというのが実感だ。

ロードバイクとssとの違いはあまりに大きい。
ペダリングで、ロードは加速しかできないが、ssは減速もできる。ロードのようなフリー付の自転車はペダリングを止めることができるが、ssは足を動かし続けていないといけない。
フリーがついているか否かで、物理的に大きく異なってくるようだ。

フリーのついてない変速機を作ったらどうなるだろうか?果たしてそれは可能だろうか?

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2014年11月22日

Prospect theory and Game

人間にはプロスペクト理論がいうところの心理的なバイアスがある。
これは人間である以上必然であり、必ずしも合理的ではないが、不合理ともいいきれない。
Wikiの解説を引用すると「人間は目の前に利益があると、利益が手に入らないというリスクの回避を優先し、損失を目の前にすると、損失そのものを回避しようとする傾向があるということである」
これは投資のような確率的行動の際には顕著に表れる。お金のかかったゲームでも同様だろう。

普段、人間は習慣の中で暮らしており、偶然的な要素を排除しつつ安定を求めて生きている。
一方、将棋や麻雀などのプロの勝負師と言われる人たちは、確率的な戦略を持っている。確率的な戦略をとることが、動的な安定をもたらす。

法律などのルールは、社会を安定化させるためにあるが、デフレのような社会状況になると、社会が不安定化するのでかえって法律ルールによる縛りが強くなるのであろう。この20年、コンプライアンスだなんだと、法的な縛りは非常に強化されてきている。
これは偽りの”法の支配”である。これによって社会が硬直化することによるデメリットの方が大きい。

事業を起こすのも、株式投資もリスクを伴う投機的行動だ。実業はリスクが少なく、投資はリスクが大きいと思われているが、現実はその逆かもしれない。
確率的な動的リスク対策をもつことが大事である。
存在しない静的な安定を求めるのでなく、リスクを動的にコントロールすることが大事だ。



posted by libertarian at 12:30| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

The art of siege

将棋の終盤戦は、寄せ合いと呼ばれるが、終盤が強い人とは詰将棋が得意な人ではなく、寄せがうまい人である。
詰将棋と将棋はやはり別物だ。詰将棋をやっていると、奇抜な手が多いので、実戦でもついその手の筋を考えてしまいがちだ。w
詰将棋は、将棋の学習としては頭の中で駒を動かす訓練という意味あいが大きい。詰将棋がうまくなっても必ずしも寄せの技術は高くならない。

多くの定跡書は、序盤の手順について詳しいが、寄せの技術に関する本は少ない。
詰将棋の上手い人が必ずしも実戦では、詰将棋ほどにうまくないのは、寄せと詰めが似て非なる技術だからだろう。
必至はまさに寄せの技術の根幹であるが、必至関連の本も少ない。
へぼ将棋は王手ばかりかけるが、将棋とは寄せるゲームだということを最初に教えてないからだろう。w

人間とコンピューターとの将棋を見ていると、ほとんどの場合、人間は一方的に負けるが、この差は寄せの力の圧倒的な差と思う。
一方、コンピューター同士の対戦だと、ぎりぎりの寄せ合いになることが多い。これは棋力が拮抗しているからだ。

寄せあいでは、自玉と相手の玉が詰めろか否かを常に正確に判断しないといけないが、この力がやはりマシンは圧倒的に強い。
終盤では、読みの量と深さの圧倒的な違いが出てくる。何手も先の局面で自玉が詰めろになっているか、相手玉に必至がかかるかなんてのは人間には判断できないが、コンピューターには今の局面も数手先の局面も違いはない。
おまけに人間は、相手の玉の詰めは熱心に考えるが、自玉の状態について考えるのは面倒くさいというバイアスがある。少なくとも心理的にイーブンというわけにはいかない。>これはプロでもそうだろう。w

posted by libertarian at 10:37| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月20日

The end of Shogi

将棋とはいったい何を目的とするゲームだろうか?
もちろん相手の王様を詰ますことが目的、つまり勝利であるが、詰まし方にもいろいろある。ほんとは詰まないのだが、逃げ方を間違えて詰んでしまうケース。
実戦では、これはプロでも頻繁に起こる。本当の詰みとは、どう逃げても応じても詰んでしまうことで、この時、相手の玉は必至の状態である。詰将棋の問題は全て必至の状態だ。(但し詰将棋はどう応じても同手数内に詰むという制約のある作品)

つまり、相手の王様を詰ますとは、相手の王様を必至の状態にするということともいえる。必至の状態にしたとき、自分の王様が詰めろでなければ勝ちである。
自玉が2手隙以上の状態で相手玉を必至の1手隙状態にするのが将棋の正統的な勝ち方である。
そして、相手に手番を渡す。この時、自玉が必至状態で、相手に即詰みがないことを理解したら、最後まで指さずに投了するのがプロの美学だろう。

実戦では、局面が複雑化して、この何手隙かの判断が難しい。
いわば、将棋には、王手という0手隙、詰めろの1手隙、必至の1手隙、その他2手隙以上の4種類があると分類できる。
王手は絶対手だから、必ず応じなければいけない。詰めろの状態に自玉があれば、相手を即詰みにするか、詰めろ回避をしないといけない。必至なら、相手玉を即詰みにしないかぎり投了だ。
序盤中盤終盤といった分類で、終盤は詰めろがかかった状態からと考えてもいいかもしれない。王手は序盤でもかけられるが、詰めろは終盤にならないとかからない。

ちなみに、詰めろと必至は正確には意味が違うので区別しないといけない。
単なる詰めろは、応手によって詰みを回避できる場合もある。必至とは詰めろでかつ詰みをどのように応じても回避できない状態である。
実戦では詰めろと王手をかけて迫りつつ、相手に駒を渡し、詰めろが途切れ2手隙状態になった時に、自分の王様が即詰みになるか、王手と詰めろから必至になってしまうことが多い。
将棋の勉強として詰将棋をやれとよく言われるが、必至の本はそれに比べると非常に少ない。私が思うに詰将棋よりも必至の勉強をした方が、実践的であるし、即詰みの前に必至ありという将棋のゲームの本質の上でもよいと思う。

コンピューター将棋は、詰み発見アルゴリズムで、詰みがあるかは多くの場合で分かるようだが、意外と必至のアルゴリズムはまだまともなものはないらしい。将棋が必至を掛けるゲームであるとするならば、コンピューター将棋に必至アルゴリズムが欠如しているのは、まだ未成熟だということではないだろうか?
posted by libertarian at 20:51| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

Election for the consumption tax 2

昨日、安倍首相が解散総選挙を宣言した。
そのスピーチを見ると、次の点が非常に気になる。

「来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後にさらに延期するのではないか?」といった声があります。再び延期することはない、ここで皆さんにはっきりと、そう断言いたします。平成29年(2017年)4月の引き上げについては景気判断条項を付すことなく確実に実施します。

安部さんのやることは、やれば100点取れる学生が周りに気兼ねして合格ギリギリの60点の答案を出してくるようなイメージがある。
2017年に景気条項を付すことなく確実に増税を行うということであれば、消費税増税に対する国民の意思を問う選挙でなく、来年予定通り上げるか否かを問うという非常に限定的な意味合いの選挙になる。

おまけに、2017年の景気などまた何があるかわからない。リーマンショックみたいなことがないともいえない。景気判断条項を廃棄するというのは、その点でも大変、危険である。
さらに、思惑通りに消費税延期によって景気が急回復してGDPが急上昇すれば、当然に政府のプライマリーバランスもかなり回復しているはずで、そうすればいわゆる”増税の大義”なるものもほとんど消滅している可能性も大きい。それでも増税ありきというのはナンセンスきわまりない。
だから、自民に対抗するには、増税の無期限延期と減税を公約に掲げればいい。それしか安倍自民に対抗する公約はない。

そもそも本来はプライマリーバランスが回復するまでに、金融緩和と同時に減税を行うべき局面である。
もとより減税という財政政策に優る財政政策は存在しないのである。
公共投資を財政政策と称して、無責任な役人に金をばらまかせれば、今まで通り金をドブにすてるだけである。
財務省は、そのドブに捨てる金を配分するのがその権力の源泉だから、増税にこだわり、財政再建には本当のところは関心がない。
このカルト省庁は、どうにかしないと日本はまた大東亜戦争の時の大本営と同じような狂気の亡国政策を画策しつづけるだろう。

ところで、減税を財政政策の一つとして見るマクロ経済的な観点が、リバタリアンには欠如しているのは問題だ。
リバタリアンは、減税はよいことで、財政政策は悪いものという頭があるが、マクロ経済的には減税とは財政政策である。
財政政策には、個人に金を”残す”方法と、役人に金を一旦集めて、中央集権的に金を使う2つの方法がある。
そして有効な財政政策は、減税政策しかない。中央集権的な財政政策は社会主義同様に必ず失敗する。

posted by libertarian at 22:05| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

Kindle paperwhite

先日、kindle Paperwhiteを手に入れた。
4000円と安かったので、思わずポチッた。
しかし、読みやすさという点では、普通のiPadやアンドロイドのカラー端末で読む方がやはり読みやすい。
白黒のペーパーホワイトは、反応性が劣るし、カラーがないというのは大きな制約条件でもある。
一方こちらのメリットとしては、お日様の下で読む分には、カラー液晶よりはっきり見えること。軽いこと。サイズも小さめな点。バッテリーの持ちも比較的よい。といったことか。
いずれにせよ、この値段であれば、買っても損ということはない。

Kindleは、iPodのようにアルバムを持ち出すのでなく、ライブラリーを丸ごと持ち出せるというのがメリットで、この感覚はとてもよろしい。
将棋の本などももっとKindle化するとよいと思う。
私は、web上のpdf論文などをkindleフォーマットに変換して、kindle上で読んでいる。この機能は非常に便利である。
使い方は、自分のkindleメールアドレスへpdfを添付して変換というタイトルで送るだけ。
これを知るのと知らないのでは、kindleの価値が大きく変わる。
特に英語論文のpdfの場合は、辞書機能も使えるし、便利なことこの上なしだ。pdfはいわば画像のような固定フォーマットなので、pcの大きいディスプレイ上で読むのでさえも少し面倒だが、キンドルの可変的なフォーマットになると非常に扱いやすいわけである。


posted by libertarian at 08:29| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

Election for the consumption tax

安倍さんは解散総選挙をやるようだ。選挙の正しい使い方を知っている。
腐りきった財務省支配を打ち砕くには、こういった選挙システムを使うしかない。小泉さんが郵政選挙をして大勝したように、今回も消費税増税に焦点が絞れるから、大勝するだろう。場合によると、その時よりも大勝する可能性がある。

デモクラシーの最大の武器が選挙システムにあるというのは事実だろう。システムが暴走してどうしようもなくなったら、リセットスイッチを押すしかないのである。
総理大臣には法的な決定を覆す権限は当然ないが、解散総選挙というリセットボタンを押す権限が与えられており、民意を問うことで国の方向を修正するチャレンジができる。
昔は膠着し機能しなくなった腐った体制を変えるには、革命のような暴力的手段しかなかったが、それを法的なプロセスとして制度化したのが近代のデモクラシーの優れた点といえよう。

しかし戦後政治で、このデモクラシーの仕組みが正しく使われたのは、小泉郵政選挙と、今度の安倍消費税増税選挙くらいしかないかもしれない。
マスゴミがどんなにネガティブキャンペーンを張っても、意外と国民は正しい選択をすることが分かったのが、小泉郵政選挙だった。
おそらく、自民は大勝し、安倍政権は安定基盤を得る。
ここで増税派の議員が大量に落選すれば、財務省の息のかかった族議員が失職し、政治の色が一変するだろう。
これによって、増税によって失速し、再度墜落しそうだった日本経済が持ち直せば、財政赤字問題なる偽問題も消滅することになる。

しかしこの財務省という日本最大の利権カルト集団はなんとかならないものか。異常極まりない亡国のカルト集団としかいいようがない。
日銀の黒田も、財務省族だから、基本的に危険人物である。先日の金融追加緩和も遅きに失したものだが、黒田の意図は増税を支援するためだったというトンデモぶりだ。
日銀法の修正も依然として重大な課題だ。

今度の選挙は日本だけでなく21世紀の世界の方向を決めるかもしれないくらいの超重大な選挙になるだろう。
posted by libertarian at 03:11| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

R value

将棋の世界は強い人は若いころから強く、かなりの年齢まで強いままというケースが多い。
大山名人が典型だが、これもコンピューター将棋と同じくR値に換算することはできる。
レーティング値は、若い時点である点まで行き、そこでほぼプラトーになるのであろう。
おそらくA級棋士でRが2800以上くらいではないか?羽生名人がR3000くらいとすると、タイトル独占といったことが可能になる。
そして若いうちからR値が高い人だけが、順位戦のクラスを駆け上っていくことができる。

トップのコンピューターソフトはR3700くらいあるようだが、こうなるといかなるプロでも番勝負で勝つことは無理だ。
人間の棋士は、自分にとって分かりやすい将棋を指すが、コンピューター将棋は、中終盤で自分に分かりやすく指すわけではなく、ひたすら相対的に善い手を探索している。そこが一番の違いだろう。
いわゆる定跡というのも、人間が思考を省略するためのものだ。もはやコンピューターは定跡など必要ともしない。

人間の分かりやすく指す行為とは、複雑なものを単純化する行為だが、多くの場合、単純化しすぎてしまうのだと思う。
コンピューターは複雑なものを複雑なまま処理してしまうのが、人間との大きな違いである。
問題は、人間は抽象化され単純化されたものから学ぶが、複雑なものを複雑なまま処理してしまうコンピューターから学ぶことができるのかという点だ。学ぶ=まねることはほぼ無理だろう。その点、ソフトは人間とは異次元だ。
もしかしたら、コンピューターの評価方法を一般化単純化できるのかもしれない。
ただ、そうしたところで、将棋を指すという行為が、暗算選手権のようなものになるだけかもしれない。

コンピューター将棋ソフトは、人間なら早い時期に到達するプラトーにはまだまだなっておらず、年々R値がうなぎ上りだ。
来年はR値4000超えのソフトもでてくるだろう。
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2014年11月01日

Denousen

本日は電王戦を見て過ごした。3連休は電王戦三昧となる。w
今回、注目はやねうら王だ。
この作者は凄い才能の持ち主のようで、ボナンザ方式が多い将棋ソフトとは一線を画しているようだ。詳しいことはわからないが。

そもそも今の上位の将棋ソフトはR3500以上あるわけで、プロであろうと人間が番勝負して勝てるわけがない。
羽生名人であろうと、ポナンザと7番勝負をすれば、よくても1−4くらいで負けるのではないか。
羽生名人が最強の人類としてもRは3000程度ではないだろうか。かりに3200あったとしてもやはり上位ソフトとは手合い違いということになってしまう。
人間の暗算の達人は確かに超人的だが、コンピューターとは勝負にならないのと同じようなものである。

ソフトの中終盤は、人間の将棋とは異次元という気がする。かつて羽生名人は終盤は誰が指しても同じと言っていたが、たしかに詰みがある局面では正しく指せばだれでも同じだが、ソフトの中終盤を見ていると人間のそれとは次元が違う。目が覚めるような手が連発して面白い。

将棋のようなゲームはアナログな要素が強いと思われていたわけだが、結局のところ、それはデジタルに還元されてしまったということか。
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2014年10月29日

Politics and Marketing

021でピーターティールが書いているように、世の技術屋、おたく、理系の頭のよい人間はマーケティングを軽視しがちだ。
自分が嫌いでやりたくないから軽視するのだろう。しかし凄い技術があれば客がよってくるというのは、かなりレアなケースだ。(青色LEDとか)
何が正しい論理か、何が凄い技術かに価値を置くおたくたちには、セールス、マーケティングなんてものは、汚れた、口先三寸のものであり、近寄りたくもないだろう。
だが、セールスやマーケティングは重要であり、これができなければ、よいアイデアも商売としてはなかなか成功しない。

セールス、マーケティングは政治的な技術といえる。逆もしかりで、政治とはセールス、マーケティングに近い。
そこでは何が正しいかではなく、何が支持されたかとか、シェアといったものだけがものをいう世界である。論理よりも、イメージが決定的だ。
それは少数の人間がマスを動かす技術である。
そしてマスコミはプロパガンダ機関であり、マスコミと政治の関係は持ちつ持たれつの関係にある。

それに対して、法律は本来、多数決やシェアよりも、真理やJusticeを重んじるものと考えられる。
その点、理系のおたくの世界に通じるものがある気がする。
法律家には、頭脳優秀な法律オタクというのが多い。w
この点は本来の理系の世界に近いものがあるかもしれない

いわば、政治とはリアリズムであり、一方、法律とか科学というのは規範的なものだ。
しかし日本は公務員大学教員の世界は、科学でもなんでも政治の一部となってしまう傾向がある。
これは昔よりも、最近の方が顕著なのかもしれない。原子力村、地震村、経済学村といったものは、科学の規範をかなぐり捨てて、政治に隷属している。

シナのような恐ろしく野蛮な世界では、どんなに優秀な人間でも政治に飲み込まれてしまうのだろう。シナではリアリズムがなければ、生き延びることができない。そこでは科学のような規範的な理想主義は追求しがたい。
せいぜい政治から逃れて、隠棲するというのが古来よりシナの知識人のあり方であった。





posted by libertarian at 21:17| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月28日

Impression is always wrong

自転車に乗っていると機材に目移りする。
カメラに興味が出ると、レンズに目移りし、自転車に乗っていると自転車に目移りし、コンピューター使っているとコンピューターに目移りする。
こういうのは単なる物欲なので、手段と目的が逆転してしまっている状態である。
実に愚かであるが、手段を目的にするのも、そこに工夫やら創意があれば悪いこととは言い切れない。
単に、いいもの=高いものが欲しくなるのは、愚かな物欲だが、機材の不満を解消すべく、創意工夫を入れて頭を使って何か作るのであれば結構なことだ。

そもそも、レースなどの競技を目的とするのでなければ、自転車に乗るというのはほとんど目的らしきものがない。健康の為に乗ると言っても、それは結果であり、そんな漠然としたものはインセンティブにはなりえない。そもそも自転車やスポーツには事故というリスクも結構あるから、健康というプラスばかりでもない。というか事故をおこしたら健康どころの話ではないのだ。
ジョッギングと同様に気分爽快になるのが、直接のインセンティブの一つだが、実は機材をいじるのも、結果、効果がすぐに分かるのでわりとインセンティブが高いことなのである。

また自転車は工芸品として見て楽しむ要素もあり、クロモリフレームなどは工芸品そのものだ。
私は少しでも速く走ろうといった野心が全くないから、クロモリフレームしか興味ないが、これもデローザだコルナゴだ、トマジーニだ、ケルビムだなんだと美的な価値の高い奴についつい目が行く。だが、冷静に考えれば、そんなものは傷つけるのが気になって乗る気がしなくなること必至だ。それでも、美術品と考えればリーズナブルな値段の置物かもしれない。w 最高級の美術品自転車でも100万円もしないだろうから。

ある程度、クロモリフレームを乗ってみると、フレームの性能の違いと思っているのが、実はホイールの違いだったりする。
雑誌で自転車のインプレッションなんかが書かれているが、ホイールもタイヤも全然違うものをつけて、比較しようというのが土台無理な話で、ああいったものは適当な作文に過ぎないのである。

スポーツ関係は、インプレッション評論がやたらと大手を振るっていて、書かれている内容は、物理学の初歩の初歩も分かってない筋肉バカが偉そうに適当なことを書いているだけというのが多い。個人的なインプレッションなら、何書いても間違いではないと思っているのだろうが、間違いは間違いであり、間違いだらけなのだ。
所詮、彼らには、力学は難しすぎ、理解できないのである。いかに学校教育が有名無実なのか、これを見ているだけでもよくわかる。
それを読んで、間違っているとも分からずに、ふむふむと読んでいる読者も多いから、そういった記事が無くなることも減ることもない。w

ところで、日本の大学のレベルの酷さは、かなり問題だ。原子力村ばかりではなく、経済学村、地震村、火山村というのもあるようだ。
かれらは、権力に魂を売って、でたらめなことを平気でほざき、日本社会を構造的にダメにするのに貢献している。
原子力村も犯罪者集団だが、経済学村は場合によってはそれ以上に破壊力のある暴力的な犯罪者集団といえるかもしれない。





posted by libertarian at 10:36| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月21日

Entertainment

本というのは音楽や映画と同じで、沢山作られているが、自分が面白いと思う本はかなり稀である。
今は映画もほんとにつまらなくなった。マンガみたいな面白さはあるが、その程度だ。
金と手間暇かけて、なんでこんなにつまらないものばかり作るんだという気がする。
基本的に、娯楽作品に期待するのが間違いで、娯楽と言うよりは暇つぶし程度のものだ。

最近は、娯楽といえばもっぱら将棋観戦だ。将棋を見るためにniconicoの会員にもなっている。
さらに将棋ウォーズなども、観戦する。
しかし、将棋は見るばかりで、自分ではほとんど指さなくなった。w

一番面白いのは、人間の強豪とコンピューターとの対戦だ。
既にコンピューターはプロをも遥かに上回る力を持っている。おそらく、羽生名人であっても番勝負すれば勝てないだろう。
終盤の読みと力は、人間のトッププロと比較しても既に手合違いというレベルだろう。
コンピューター将棋の中終盤の手順の精妙さには、感心することしきりである。

将棋ウォーズなど見ていると、プロなのかそうでないのかわからないが、やたらと強い人が結構いる。
コンピューター指しでは必ずしもないようだ。
#だが、棋神が使えるので、ところどころコンピューター指しになっているのかもしれない。
いずれにしても、一般の人の棋力もネット対戦できるようになって、かなり上がっているkとは間違いない。
裾野が広くなると同時に、飛び抜けた棋力の人も増えてきている感じだ。

niconicoでは、将棋がかなり流行っているようだが、この手の番組というのは、飽きることもなく、よい娯楽といえる。
将棋のプロに対しては将棋の内容に感心するよりも、解説のうまさ、話のうまさに感心することの方が多くなった。w
解説とトークはまだマシンにはできないだろう。





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2014年10月19日

Recumbent

自転車という乗り物は、かなり完成された形態とは思うが、それでも乗っていると、いろいろと不満や疑問を感じる。
前から興味が有るのが、リカンベントだ。これは、前面投影面積がロードバイクよりずっと小さくなる構造なので、平地であればロードよりもずっと早く走れる。

ロードバイクは車体の軽量化とかに皆さん血眼になるが、それは大変に非科学的である。
車重は路面との転がり抵抗に比例的に作用するが、あくまでそれは(自分の体重+車重)に対してである。
今のロードバイクは10kg以下のものが多いから、10kgもダイエットすれば自転車まるごと軽量化したのと同じだ。
つまり、自分の体重を減らす努力をしたほうが、ずっと効率的なのである。w

もとより、自転車のうける抵抗としては、ほんの30kmくらいのスピードになれば、抵抗の8割以上は空気抵抗だ。35kmも出せば9割以上だ。
路面抵抗は一定だが、空気抵抗は速度の2乗に比例して増大する。
だから、ロードバイクはもっと空気抵抗を減らすように進化するべきだと思うのだが、エアロパーツとか雀の涙のような空力向上くらいしかされていない。それも多分にマーケティング程度のウリ文句にすぎない。
具体的には、フードのようなものをつけるのがよい。それで多少重くなっても、空力が向上するほうがスピードはでる。
ただ、自転車は風で人体を空冷するのも大事なので、風を遮りすぎてもいけないだろうが。

リカンベントの場合、その点、実に合理的である。車重が多少重くても、平地なら圧倒的に有利なのである。
だが、車の横をあのようなゴキブリのような格好で走っていたら、ダンプに踏み潰されても文句はいえない。w
そこで、セミリカンベントともいうべき自転車がタルタルーガとかから出ているが、これなら、あまり抵抗なく乗れそうな気がする。
前面投影面積がどの程度、ロードよりも小さくなるのか少し疑問ではあるが、小さくはなっているだろう。



posted by libertarian at 22:39| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月18日

Eruptiion of Mt.Fuji 2 : Seismic eye

木村政昭氏(琉球大 名誉教授)の本を2−3冊読んだ。
木村氏は、東日本大震災の予測なども、次々と当ててきた人らしい。単なる予想ではなく、きちんとした理論がそこにあるのである。
ごく簡単にいうと、プレートの運動によって、地殻は弾性体のように振る舞い、初めに火山活動が活発化する。地下のマグマがプレートの圧力の上昇で噴火するわけだ。その後に大地震が起こる。つまり、噴火活動と大地震には相関、因果関係があり、噴火活動は大地震の予兆現象として見ることができる。地震の発生を、木村氏はSeismic eyeの出現という形で具体的に計測を行い地震予測を行っている。

1986年の三原山噴火の時も、木村氏が強く提言することで島民の避難が事前に行われ、死傷者がでなかったそうだ。
実に偉い人物である。
日本は、この重要な地震や火山噴火の分野が完全に原子力村と同じような村社会になっていて、無責任きわまりない腐った体質にあるようだ。
木村氏のようなまともな学者は、日本の官僚主導の腐敗した村社会の学会の中ではアウトサイダーなのだろう。

この木村氏のサイトが次にある。

富士山の噴火は2015年頃の可能性が高い。来年だ!

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2014年10月17日

Power and Speed

ロードバイクに乗っている時に出している力をワットで表すと、スピードで大体次のように変化する。

15km 25w
20Km 50w
25km 80w
30km 130w
35km 200w
40km 280w
45km 400w
50km 530w

しかし、実際は、この4倍のエネルギーを出している。なぜなら人間のエネルギー効率が25%程度だからである。
つまり、100wの運動をするには、400wのエネルギーが出ており、300wは熱として発散される。
このため、いかに熱を放出して体温の上昇を抑えるかが重要になる。

20km/hで比較的ゆっくりと走っていても、200wのエネルギーを出していることになるから、自転車に乗るとダイエットになる。
最近はハートレートモニターが普及しているが、自転車に乗っているときはHRが重要だ。心拍数は車のタコメーターと同じである。
同じスピードで走っても人によって心拍数はかなり違う。心拍数が違うということは運動強度が違うということで、これを適正な幅に保ちつつ走れるスピードが上限スピードとなる。

自転車のアワーレコード、つまり1時間にどれだけの距離を走れるかは、世界記録が51km程度。
これは超人的な人間の記録であり、人類のMAXと言える。
アワーレコードにチャレンジするのは、物凄く大変で勇気がいることらしい。
1時間に平均50km/hで走るということは、500*4=約2000wを発生しているということになる。これは1500wの熱を発散し冷却なければ、いけないということでもあり、どうやってこの熱を発散除去できるのか不思議なくらいだ。電気ストーブでも1500wはかなりの熱さになる。
スピードが高いことによる空冷効果とのバランスだろう。となると、気温がアワーレコードチャレンジには大きな要因となるかもしれない。

ロードバイクだと、頑張れば50kmくらいは出せる人もいるが、それは決して1時間も持続できるスピードではないのである。
ただ瞬間的にでも加速して、そのくらいのスピードを出せるのがロードバイクの軽快さであり、気持ちのいいところだ。
瞬間的な最高速の向上は筋力が発達することで可能となるが、心肺能力が伴わないと、持続はできない。

ロードバイクはエネルギー効率がよいだけで、ママチャリでもダイエット目的に乗るのなら同じである。
同じスピードで走った時は、ママチャリの方が余計にエネルギーを消費する。
逆に同じエネルギーなら、ロードバイクの方がスピードが出るというだけの違いである。
その軽快さ、疾走感の快感がロードバイクのメリットである。




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Degree of Freedom

乗り物、vehicleには、自由度というものがある。
この自由度は、法的な規制によるものが主である。
この点、自由度の低い乗り物は飛行機で、自家用機の免許をとっても、雁字搦めに飛ぶことになり、全然つまらないそうだ。ラジコンを飛ばしていたほうが面白いらしい。
その点、昔のゼロ戦パイロットは自由に大空を飛んでいたように思われる。

電車も飛行機と同じようなものだ。一般人が運転することはまずないが、全く自由がない。
車も、多くの規制、ルールがあり、自由ではない。入れない場所も多く、一通も多い。都会では一時駐車も容易でない。駐車場を探すのも面倒だ。
オートバイもほぼ、車に準ずる。二輪とはいえ、オートバイは車と変わらない。つまり、自由度がない。

最も自由度の高い乗り物は、明らかに自転車である。自転車の自由度は、歩行とほとんど変わらない。
この自由度の高さが自転車人気の本質であろう。免許や規制から自転車は開放されており、生身で走るのと同じだ。
若い頃は、車やオートバイに凝っていた人が、年取ってから自転車にハマる人が多いのも、この自由度ゆえだろう。

ロードバイクの不自由な点といえば、高価な自転車を目のつかないところに駐輪していると、盗難の恐れが有ることだ。
そのため、ロードバイクでは食事を取るのも、コンビニでということにあいなる。
コンビニのおにぎりやパン、肉まんは十分美味しいし、自転車乗っていると腹が減るから何食べても満足なのだが、落ち着いたところで食事できないのが不便といえば不便だ。

posted by libertarian at 22:58| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Find your way

ロードバイクは、道を選ぶ。
東京だと幹線道路を走るのは、危険だし、不快であり、なるべく避けるべきだ。
ロードバイクを買っても、幹線道路ばかり走っていると、そのうち乗るのが嫌になってくること必至だ。

だから近場で、ロードバイクに適した道を見つけることから始めないといけない。

その条件としては
・舗装状態がよい道
・車が少ない、または走っていない道。
・人が少ない。または車道と歩行者道路が分離している道。
・景観がよい道
・ある程度、まとまった距離を走れる道
、、というところか。

こんな道は東京なんかではそうそうあるまいと思っていたが、意外なことに割と近場にあった。
このようなロードバイク用のマイウェイ、マイコースを2−3見つけておくと、日常、ロードバイクで走るのにとても便利だ。
そして、このような道を見つけるのには、なんといってもGoogle Mapが便利である。
Mapで検討をつけてから、探しに行くと、いろいろと発見がある。
車での移動だとどうしても幹線道路を走るのが分かりやすいので、同じようなところばかり走るが、自転車だと行動範囲が線から面になる。
それによって、多くのことを発見できる。
意外と長いこと住んでいても、近場にあるのに行ったこともないところが大変に多いことに気付く。
電車だと1時間以上かかるようなところが、20−30分で行けることもある。電車も車も線の移動だが、自転車は面で移動できるから、ショートカットできる。
自転車でほんの30分ほども行けば、自宅の近くにも驚くようなところが結構あるのである。

posted by libertarian at 15:48| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月16日

Eruption of Mt. Fuji

御嶽山が噴火した。
この時、安全レベル1の予想を出していた予知連絡会の責任者は、業務上過失致死罪で起訴されるのが当然である。
予想ができないなら予想をしてはいけないのであり、国の威信を負った責任者が、事後に噴火予想はできないなどと言い訳をするのは許されない。
くだらないことには見当違いな大騒ぎをするバカなマスゴミは、こういった重要な問題には全く声を上げることもない。
本来は、ワイドショーで予知連絡会と国の責任を追及をするべきだ。

もとより国ができもしない予知をするのではなく、税金で集められた観測データをネットで全て公開するのがよい。
そして、地震予知や火山噴火予想に関しては高額の懸賞金をかけ、世界中の研究者の英知を集めるべきだ。
このような参加資格を特に問わない懸賞金システムというのは、非常にコストパフォーマンスの高い問題解決法で、Googleでも、このような懸賞金システムで難問を解決しようとしている。
今は日本の中の限られた国公立の研究室、研究者に潤沢な金をばらまいているだけで、その責任も非常に軽いから、できることもできないのだ。原発村と同じような地震村、火山村だ。

もっとも、御嶽山の噴火については、琉球大学の木村名誉教授が予想をしていたそうだ。

2013年±4年という予想で、4年の幅は大きいとも思われるが、地質学現象としてはピンポイントに近い予想といえる。

さらに木村氏は、富士山の噴火を、2014年±5年と予想している。

東北の大地震が起こった後であるし、その可能性,危険性は高そうだ。御嶽山の噴火もその前兆なのかもしれない。

そもそも、今は地震予知など研究が進んでいて、予知が不可能とはいえないようだ。
フランスの天才学者Sornetteの研究など、従来、予想不可能とされていた一見ランダムな複雑現象の予測を可能としている。
ランダムだから予想が不可能とか安易に思われている株式市場に対してでですら、予測を可能にしている。
#これは、市場の大暴落のような大きな変化の予測を理論的にする。

こういった、世界中の才能を、懸賞金システムによって、日本の自然災害予知に活用すべきである。




posted by libertarian at 18:38| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Zero to One

ピーター ティールの「ゼロ トゥ ワン」を読む。
ペイパルを創業し、やることなすこと大成功という羨ましい人物だが、そのビジネス哲学を語った本だ。
ティールはリバタリアニズムにシンパシーを持った人物のようで、あのパトリ フリードマンの人工島計画にもかなり投資している理解者らしい。
ところで、あのリバタリアン島の計画は今どうなっているのだろうか?w

ここにあるのは、凡人は近づこうともしない、「隠された真実」に対する積極的な姿勢だ。
つまり「隠された真実」を掴んだものだけが、大きな成功を達成することができるということだ。
改良、改善、といった日本の製造業のような、「モノマネプロセス」ではなく、まず最初に「隠された真実」を掴まなくてはならない。
マーケティングは、さらに一層、モノマネプロセスといっていよい。
必ずしもモノマネが悪いわけではないが、それは本質的な成功要因ではないというのは当然だ。
ネットの世界はあまりにもマネが容易な世界なので、モノマネによる追従、差別化戦略は難しく、競争要因にすらならないのであろう。

こういった「隠された真実」に対する積極的な姿勢は、ある意味で、純粋な科学的野心と違いがない。
純粋な科学者は、他人がどうしているとか、何を考えているかではなく、どこに隠された真実があるのかにフォーカスするだろう。
ビジネスも、「隠された真実」を掴んだものが勝者となるロマンなのである。
青色LEDの発明も、99%の研究者が否定し見向きもしなかった窒化ガリウム方式に着目し成功させた点がドラマである。
隠された真実は、世界中の多くの優秀な研究者99%の取り組んでいた方式にではなく、超マイナーな窒化ガリウムにあったのだ。

#ちなみに、「隠された真実」という言葉は、アフリカの言葉でカンジ(Kanji)という。天才ボノボの名前でもある。


posted by libertarian at 11:00| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

How to reward Inventions

社員発明について、もう少し書いておく。
高橋洋一さんが、この件について分かりやすい説明を書かれている。

ここにまとめられているように、発明の帰属は
イギリス、フランス→会社に帰属
アメリカ→個人に帰属 ただし契約次第
ドイツ→個人に帰属 細かい報酬ガイドライン規定が法律にある

そして日本は、特許をうける権利が発明者本人にあり、それを相当の対価で会社に譲渡することになっている。
今、日本ではイギリス式に会社に帰属するようにしようとしているようだ。

日本の企業によくある発明対価が、糞みそ一緒で数万円という報償体系はさすがにおかしいと思うのは自然だ。
しかし、この報償体系は企業に自由にさせるのがいい。
研究者、技術者にとっては、特許報償体系の違いが会社を選択する際の物差しの一つになる。
一律2万円の報償であれば、発明に対するインセンティブが小さいだろうし、もっと多くの報償がもらえるのであればインセンティブは大きくなる。これは企業の開発力に影響を及ぼすだろう。

問題は、特許をうける権利が財産権としてあり、それを「相当の対価」でダンピングすることなく、会社に「売る」という形だと、その発明の値段が利益をだす前に判断されないといけないという点だ。日本の法律では、ここで発明者と会社は対等の関係となっている。

青色LEDのような革命的な大発明、世界中の研究者がしのぎを削って求めていた技術というのは、発明の価値が分かりやすいが稀なケースだが、普通の電気製品にも特許は沢山詰まっているし、つまらない?健康器具にも特許はある。そういった特許と利益の関係が定かでない。いくら優れた発明でも、マーケティングが全くなければ製品は売れず、利益もでない。
逆に健康器具のつまらない発明でも、マーケティングがうまければ大きな利益がでるだろう。その利益は発明の質ではなく、マーケティングによってもたらされたものだ。

製品から得られる利益は事後的に決まり、さらに発明とは無関係なマーケティングなどによって大きく左右される。
その点、発明の相当の対価というのが、現実的ではない、空理空論となってくるわけだ。

だから単に報償規定によって、どれだけ発明者、技術者を報うべきかを、企業側の研究スタンスによって自由に決めさせた方がよい。
相当な対価での財産権売却という仕組みだと、無理がある。
特許をライセンスさせた場合は、ライセンスフィーに対する一定割合を報償として与えるというのも一案ではあるが、パテントプールみたいな形だと、どうするかとか難しい問題はいろいろと出てくるだろう。

その点、職務著作物規定のように、初めから会社に帰属というルールであれば分かりやすい。
後は会社がどのように事後的な報償ルールを作り、研究のインセンティブをどの程度にするかという判断にある。
技術者や研究者は、発明を重視する企業を選択することもできるし、そうでない企業を選択する自由がある。
posted by libertarian at 09:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月15日

Erosive Aggression

シナの平和的台頭戦略は、浸食的な侵略だろう。
この手段が、他国のメディアや教育機関を乗っ取ることだ。シナはアメリカに対してもこのやり方でいこうとしている。
朝日の本社には、中共の新華社通信が常駐しているし、NHKの本部には、朝鮮日報が常駐している。
これはもちろん単なる業務提携関係ではない。w

日本は教育も日教組という社会主義団体に戦後牛耳られてきており、メディアと教育は親シナ勢力に支配された状況だ。
こういった人心に対する時間をかけたコントロールが戦略としてとられている。
まずは、日本のメディアと教育をどうにかしないといけない。

朝日は今度の問題で、商業的にもダメになって行くだろうが、NHKは放送法で守られているので、放送法を大きく変えないといけない。
電波解放でNHKの専有している帯域をオークションに出させるなどの、電波法の改正からのNHK解体方法も考えられる。


posted by libertarian at 04:51| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月12日

Employee Invention

職務発明の問題について、池田信夫が書いている。>このブログは随分と久しぶりに見た。w
====>
その理由は簡単だ。青色レーザーのような成果が出る確率は、控えめにみても1/10000ぐらいだから、中村氏に投資した5億円の研究開発投資の1万倍、つまり5兆円の資金が必要だ。600億円の利益では、とても採算が合わない。

これは逆に考えてもわかる。もし中村氏が研究成果を100%取りたいなら、5億円の投資を自分ですればいい。ドクター中松のように、そういう人はいくらでもいる。しかし中村氏が失敗する確率のほうがはるかに高いので、彼は成果を出す前に破産するだろう。

イノベーションとは賭けである。事後的には、価値を生み出した人が半分取るのがフェアにみえるが、それは9999人の失敗した人の犠牲の上に生まれた偶然だ。企業の研究者の大部分は、会社の金で自分の成果を出すフリーライダーなのだ。
<====


私もこの考えにほぼ同意だ。
要するにリスクを誰がどれだけ負担しているかが、問題だ。
企業内の研究開発のリスクは企業側がとっていて、研究者ではない。
アメリカでは、企業で研究者が大きな特許を取得したらその報酬は大きいというのは神話で、そんなことはない。
中村さんはそんな噂話を信じていた感じがある。

条文にある「相当の対価」という言葉で、発明対価の問題は泥沼になったが、理屈から考えれば、企業が利益をとるのが当然である。
この何気ない条文の一文が物事をこじらすだけのガンだった。

職務発明に関しては、著作権の職務著作物規定のように職務上の発明は自動的に企業の権利になるという制度にしようという話があったが、どうなったのだろうか?私はそれが一番いいソリューションだと思う。

そもそも研究や発明の質と、その特許によって得られる商売上の利益には相関もない。
青色ダイオードは、大発明が大きな利益と市場をもたらすという分かりやすい話であったが、これは稀なケースである。
普通は一つの商品には沢山の特許が入っており、その利益に対する特許の貢献割合など、計算は不可能だ。

話は違うが、この池田信夫さんは、朝日の問題やら歴史問題を随分と取り上げているようだが、朝日を上回る最悪のマスゴミ、NHKについては一切批判しない。自分がNHK出身者だから、批判しないというのは、言論人として問題だ。
この人は頭の中の海馬あたりに左翼の思考が深く刷り込まれているようで、リバタリアニズムを問題にしても、結局そこから出ることができず、変なことを言い出す。
デフレ問題でも、めちゃくちゃなことを言っていたが、未だに自分の間違いを認めようともしない。
これはマスゴミ出身の評論家の限界というよりも、自分の損得で発言していることが問題だ。言論人としては失格だろう。


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2014年10月02日

Smart revolution

現代のキーワードは、スマート(smart)だろう。
スマートとは、スマートフォンのように、過剰なエネルギーやコストをかけずにさらりと、やるべきことをやることだ。
スマートフォンは、情報をスマートに扱うことを可能にするが、Vehicleもスマート化していくだろう。
人一人を1−2トンの車で移動させるのではなく、より軽く、エネルギーを使わない形で快適に移動させるのがスマートなvehicleだ。
道具や手段がスマート化し、情報処理がスマート化していくことで、世の中は高効率なスマートな社会になる。
エネルギーも、スマート化していく。エネルギーマネジメントがスマート化し、エネルギー生産がスマート化していく。
今は数千円のモバイルソーラーパネルを買えば、モバイル機器の充電くらいはオフラインで十分にできる。

こういったスマート化は、中央集権、統制経済の対極にある。
市場経済の含意が、アンチ中央集権、アンチ統制経済であるように、市場経済にはミクロの個々人の最適化がマクロの最適化につながるというイメージがある。
だが、現実にはミクロの個々人による最適化は困難であった。複雑な情報を個人が処理することが困難であるからだ。
それを可能にするのがスマート化である。



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2014年10月01日

Progress of Gadgets

最近、ガジェットが進歩していきている。
いろんな要素技術が進歩し、多様化してきたおかげであろう。
iPhoneなどのスマホの登場以来、世の中は急速にSFちっくになってきた。
しかし、ガジェットもシンプルで軽量、そしてデザイン性のあることが重要だ。

最近、面白いと思ったのは、次のもの。バイクの方はガジェットとは言えないかもしれないが、Vehicleの概念が変わりつつある。
人一人を運ぶのに2tの車を使うのはスマートじゃない。これはオートバイのようだが、アシスト自転車でもOKだろう。

腕から飛び立つドローン型カメラ Nixie

自立式カプセル型バイク

あと、デジタルカメラもほとんど成熟しきった感があるが、Goproのようなアクションカメラでは日本メーカーは立ち遅れている。
アクションカメラは安くてかなりの高性能。かなりの広角レンズのようだが、ソフト的に合成しているのだろうか?

スチルのデジタルカメラに関しては、私はSigma DPMerrillで画質的にほぼ完璧で、満足だ。
こんな高画質なカメラが5万円程度で買えるのだから、ライカやツアイスは太刀打ちできないかもしれない。


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2014年09月28日

May rest in peace, Mr Uzawa

宇沢弘文氏が亡くなった。
結構、新聞やネットで騒がれているが、どれだけの人が宇沢さんの本を読んだことがあるのだろうか。あの読みにくい本を。w
この人は経済学などやらずに数学者として歩むべき人間だったと思う。
数学に大変な才能を持っているが、左翼思想に目覚めたのか経済学に転向し、日本の経済学、そして日本社会に対し結果的にかなりの害悪をもたらした人間である。

東大の経済学がダメになった原因は宇沢氏にもあるだろう。はっきりとマルクス経済ではないが、心情的にはかなりそれと親和性がある。奇人変人ぶり全開で、バカなことをいっていたが、それをマスゴミが神妙な顔をして取り上げて、祀り上げていた。
マスゴミは反新自由主義なるものを、宇沢氏の権威にかこつけて我田引水しようという魂胆なわけである。

私が宇沢氏のことを知ったのは随分と昔だ。40年くらい前か。そのころは宇沢氏はまだ今の自分よりも若かったのだなと思う。
個人的にもなにがしかの因縁のある人ではある。
ご冥福を祈る。



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2014年09月21日

Bike and Muscle

自転車の物理は意外と複雑に思える。
ロードバイクなどで、前傾姿勢をとるのはひとえに風の抵抗を抑えるためだ。自転車も20Km/hを超すと風圧がバカにならなくなり、30km/hを越すとスピードの二乗に比例して増加する風圧との戦いになる。ロードバイクだと力のある乗り手は50km/hくらいは平気で出すが、そのくらいのスピードになると、あの前傾姿勢は不可欠だ。

短距離走でも最初は前傾姿勢で走る。足の踏力をできる限り前への推進力とするためだ。
しかし、重心が前に倒れたままで走り続けることはできないから、すぐに上半身が起き上がる。

自転車の場合、前傾姿勢をとっても、体重をサドルの上に残す姿勢が求められる。
人間の重心は大体へその辺りにあるが、ロードバイク乗りはへそから上を曲げた前傾姿勢をとっている。
この姿勢は、ロードバイク乗りに特有で、プロの選手などへそから上の上体が、こきっと折れるようになる。これが体にいいのかどうかは、かなり疑問だ。かなり不自然に見えるが。。w

これが初心者だとへそごと前に倒れてしまっていて、体重をハンドルにかけている。
すると踏力が体を浮き上がらせ、尻が跳ね上がる。

ママチャリのようにせいぜい20kmくらいしかださない場合は、風圧は大したことがないから、完全に上体をおこした姿勢でのるのがかえって合理的だろう。この場合、体重を載せた踏むペダリングになる。姿勢に無理がないのがよい。
ローラー台などで風圧が無視できる条件で最大速度を出そうとした場合、意外とこのママチャリ姿勢の方がいいのかもしれない。
リカンベントなどはこの状態に近い。それを横に寝せた形だ。
これは実験してみる価値がある。ローラー台を持っていないので、今はできないが。

体重をかけた踏力だけでなく、背筋力テストのように背筋をつかった体を開く力も利用できれば、さらに力はアップするだろうか。
体幹筋力を使うべしというのは、足の力にプラスして、背筋の力を踏力に加算することだろう。
リカンベントなどでは、背筋を使わず、腰辺りにあるハンドルを握って足の筋肉だけを使っているようだ。
空力の有利さだけであのスピードがでているのか、筋力の遣い方が合理的なのかどうかよくわからない。
→空力の有利さがほとんどだろうが。
全力でもがいている時は、自転車そのものにも、かなりのねじりの力が働く。カーボンフレームなどは剛性が高い分、力が自転車をねじる力に消費されず、推進力になるのだろう。クロモリフレームなどは、力のある乗り手がもがく際は、おそらくかなりねじれている。


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2014年09月20日

NHK must be accused

日本のメディアの驚異的な低能さ、無知性、品性の下劣さぶり、また、それに追随する御用の屑連中の同様の下劣さぶりを見ると、この国は非常に危険な社会だと感じる。
ホリエモン事件にしても、小保方報道問題などは、その顕著な例である。
今回、朝日新聞が倒れれば、次はNHKを廃止しなければ、日本社会は大きな爆弾を抱えた状態だ。
STAP報道におけるNHKと毎日の報道は、人権侵害で犯罪である。メディアの犯罪を裁判所が断罪しなければ、誰が罰することができるのかということだ。これは人権侵害から個人を死に至らしめた重大犯罪だ。

これも何度も書いてることだが、こういった日本の大メディアの人権侵害の横暴、暴力を許している淵源には、日本の司法の在り方の問題がある。私はヒューマンライツ派ではないが、このような人権侵害を大メディアに許しているのは、日本の司法が法の番人ではないからである。
私は、こういうのを見るにつけ、ほんとに嫌な気分になる。
日本人に正義の観念がないとは思わないが、正義の観念を裁判所がもたず、下劣な野心で世におもねっているようでは、世も末だ。

このような陰湿で下劣なことがまかり通っている今の日本とはなんなのかと思う。
これも20年デフレの結果の一つなのかもしれない。
おまけに、今の政治状況では消費税を10%に上げることはほぼ阻止できないだろう。離陸過程での逆噴射によってまた日本経済は失速、墜落するだろう。
これにより、さらに日本はさらに暗黒で下劣な社会になっていくような予感がするわけだ。
既得権はさらに強化され、財務省がのさばり、司法はますます弱体化し、法の正義は失われる方向に行くことになる。




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2014年09月19日

Nobeyama

先日は野辺山に行った。自転車の輪行で行ったわけだが、目的は星の写真を撮ることであった。
そこで自転車には禁じ手といってもよい、重いカメラを持って行ったのだが、あいにく曇りで夜は漆黒の闇であった。
しかし雨にならなかっただけでも幸運としないといけない。

ついでに野辺山の電波望遠鏡も見てきたが、なかなかSFちっくであった。
最近はここで宇宙誕生の初期段階でアミノ酸が大量に生成されているという発見があったようだ。面白い。

帰りは野辺山からずっと下りで自転車をほとんどこぐこともなく、あっというまに100kmほど走った。
最大時速は70km以上でていただろうか。下りは重い方がスピードがでるのだ。
しかし、スマホの自転車アプリの調子が悪く、記録が残っていなかった。
やはり、複雑な道具というやつは、屋外のハードな環境ではボロを出す。道具の本当の実力は屋外の環境で使うとすぐにわかる。
この点、スピードメータなどは従来のサイコンの方がずっと精度もよく頑健だ。GPSで速度を測るのはリアルタイム性がなく精度が低い。

秋は自転車のシーズンだ。近くまた野辺山に再チャレンジしよう。


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Bike and electric power

自転車とアシスト自転車は似て非なるものである。
別種の乗り物と言った方が適切だ。

最近のロードバイクの変速機には、電気という禁じ手を使うようになった。
今のところトップモデルくらいにしか電気シフターはないが、私の感覚的には電気を一部でも使うと、それは自転車の美学に反する。
最近の自転車はカーボンフレームが全盛でデザイン的にもマッチョになった。MTBのブームで自転車の美学がくるってきたのであろう。
変速機は動力ではないが、そんなものはワイヤーで十分だ。変速機に電気を使うことは、アシストに近寄るように思うわけだ。
電池が切れたらそれまでよというのでは、スマホみたいである。

もし電池の使用を許すとしたら、電池がきれたらワイヤーでも駆動できるくらいの仕組みになってないとおかしい。
競技に用いるスポーツバイクは、完全人力で電気は一切認めるべきではない。
一方、実用的な自転車なら、電気シフターでもなんでもありだ。

自転車の進歩は、もはや行きつくところまで行っており、これ以上進歩はないだろう。
むしろ美的にはどんどん退化しているとしか思えない。
だから、電気で変速という誰でも考えそうなところに行っている。カーボンフレームといっても、もともとは自転車の車体は最初は木で作られていたのだ。

自転車の直系の進歩ではないが、アシスト自転車が今後の主流になるだろう。
全部電気動力でも構わないわけだが、この半分人間、半分電気というところに道具としての面白さがある。
電気が切れても、自転車として機能することが大事なのである。






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Scotland

スコットランド独立投票は注目していたが、結局、独立はならなかった。
このところ、世界情勢が動いてきていて、ここでスコットランドの独立、大英帝国もといUKの分裂となったら、地政学的にどうなるものかと思っていたが、結局そうはならなかった。
もし、分裂していたらイギリスは核保有が難しくなったかもしれない。イギリスの核保有数はMinimum deterrenceとしての核弾頭数185発らしい。これであっても、ある程度の国の規模がないと維持できない。
イギリスは島国家として、核保有していることが、軍事的、経済的に大きな安定要因であることは間違いない。
イギリスが核を保持できなくなれば、地政学的にヨーロッパしいては世界のバランスオブパワーが崩れることになるのは必至だった。

高橋洋一氏いわく、イギリスは強い中央集権の国だそうで、ほとんど自治が認められておらず、地方税もないそうだ。

これは無理やりに連合国家にした歴史的経緯が原因だろう。
経済的には中央集権よりも分権体制の方が効率的である。だから、今後はある程度、イギリスも分権化の方向に行くのかもしれない。
今回の件で結局のところ分離独立は難しいことが分かったわけで、無理やり抑える必要もないだろうからだ。
そうやって、民族的、歴史的なプライドを満たす形で、強固な国内自由貿易経済圏としての国の形をとどめておいた方がいい。

posted by libertarian at 19:29| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月30日

City and Transportation

ヨーロッパではアシスト自転車がわりと普及しているようだ。
日本はアシスト先進国だったが、ヨーロッパ市場はとれていない。
アシストモーターのようなものこそ、モジュール化するとよいと思っていたが、すでにいろいろとあるようだ。
サンスターという歯磨き粉で有名な会社が、電動アシストユニットを出している。
日本では規制のため、マーケットはヨーロッパ向けのようだ。日本では一般には売っていない。

日本は動力加算方式がベルト加算なのにたいし、ヨーロッパではクランク加算なのが違いらしい。
性能はヤマハのパスのようなベルト加算方式のほうがパワー、トルクがでるらしいが、ヨーロッパでは、電気バイク的な感覚が好まれているらしい。このサンスターのもクランク合算方式だ。
クランク合算方式の方がモジュール化しやすいメリットがあるようだ。

今のアシスト自転車の不満は、本体の自転車のグレードが下げられていることだ。
全体価格を高くても15万円程度に抑えると、自転車のグレードはかなり下げざるを得ないというわけだ。
これがモジュール化されれば、ハイグレードな車体にも簡単に取り付けられる。

アシスト自転車は、上り坂、向かい風に強く行動範囲を2倍以上に広げてくれるだろう。
都市部であれば、車は遠出する時以外は不便なものだ。私は車にのらなくなってから10年以上たつが、不便を感じたことはあまりない。
雨の時の移動に屋根つきの車は便利だが、よほどの理由がなければわざわざ雨の日に移動しなくてもよい。

都市とは、一種の工場のようなマシン設備と考えられる。
道路や、地下道、上水、下水、配電、ガスといったものが複雑に絡み合った工場、もしくはマシンだ。
交通システムも、そのマシンの機能のメインの一つだ。
ヨーロッパで自転車が交通手段として認知されているのは、都市の設計思想と絡んでいるだろう。
都市間の交通は車だし、都市内部の移動は自転車が合理的な構造があるわけだ。

つまるところ、自転車にせよ、なんにせよ移動手段を考えることは、都市の設計の問題となる。
日本の場合、ヨーロッパと違って、人間の住む居住空間としての都市、町というのが、拡散しすぎているのが問題だ。
ヨーロッパは、都市や町が城塞のように固まっているから、インフラ投資が非常に効率的になる。
一方、日本の田舎など、民家が広域にわたってまんべんなく拡散している。これがインフラ整備の上で物凄い不経済をもたらしている。
さすがに最近は、日本でも地方の町を集約化していこうという動きがあるようだ。
今までは潤沢な公共投資で拡散した地方の街に無駄なインフラ投資をしてきたわけだが、さすがに無駄が続けられなくなったわけだろう。

移動手段の動力が人力だろうと、電気だろうと、ガソリンだろうと別になんでもいい。
人力はエコでガソリンは環境破壊だというのは馬鹿げた非科学的、非経済学的な偏見に過ぎない。
しかし、都市の集約化が進めば、都市内部の交通手段として、自転車やアシストや電気自動車のようなものが重要性を増すだろう。
東京のようなだらだらと浸食的に巨大化してきた拡散都市は構造が本質的に都市とその他といった形になっていないから、都市内部の移動でも車になってしまう。

日本には馬鹿げたタクシー規制があるが、タクシー料金を高く維持するよう規制することで、結果的にタクシーの台数と利用機会はかなり抑えられている。これによってタクシー業界の全体規模は縮小するが、自家用車市場はその分、拡大しているだろうか?おそらく自家用車市場はそれによってある程度増えているはずだ。
だが、東京ではタクシーを自由化してタクシー台数を増やし、自家用車は少なくした方が合理的だ。
私はタクシーはめったに利用しない。値段が高いし、サービスが悪いし、道も知らない運転手が多すぎるからだ。これは規制業界の特徴だ。価格もサービスも自由競争させれば、大きく変わるだろう。
東京内部では移動は車は不便、タクシーは使えない、バスもどうなっているのかよくわからんという次第で、鉄道くらいしか使えない。バスも短距離移動には値段が随分と高くなった。だから自家用車が欲しいニーズもあるのだろう。あれば安心くらいのもので、都市部の自家用車の稼働率はあまり高くない。

アシスト自転車を使えば、雨が降ってなければ、行動半径は15−20Km位には無理なく広げられる。そこで、最近は都内の移動には自転車を私は使うようになったが、時間的には電車や車と同じか早いくらいだ。道がよく分からないという問題は、スマホのナビを使うことで、解決される。道に迷うことに伴う、時間的、精神的、金銭的なコストが少なくなったことは、結構大きなことだ。

posted by libertarian at 13:47| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月26日

Human power,Electric power

私のような特にトレーニングや運動をしてない大人が自転車にのって数時間継続的に出せる出力は大体100W程度である。
また、プロでなくても、大会にでるような熱心な自転車乗りの場合、それは200w程度らしい。
2倍も出せるのはかなり凄いことである。
しかし、これがツールドフランスに出るような自転車のトッププロになると、400wになるらしい。常人の4倍である。
いかに彼らが、超人的なアスリートであるかが数字にするとよく分かる。

ところで、私の愛用しているYamaha Pas Brace-Lのようなアシスト自転車の定格出力は、250wである。
これに私のような普通のおっさんがのると、250+100=350でほぼツールのプロ選手並みの出力になるのだ。
もっとも25Km/hでアシストはぷっつりと切れるが、それでも25Kmまでのパフォーマンスはツールのプロ並みであることは間違いない。

電気というのは安いので、このような人間の力を増幅しアシストするのは、非常に合理的だ。
オートバイや車はアシストではないし、装置が大袈裟になり、またパワーを浪費するイメージがある。
アシスト自転車のように人間の力を増幅するマシンというのは、今後のトレンドだろう。

posted by libertarian at 02:08| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする