2015年07月06日

Organic Electro luminesence Display

LG電子が、大型有機ELテレビを出している。ソニーが最初の有機ELを出したのがかれこれ10年くらい前だろうか。55インチの4Kで、今後PC用のディスプレイになってくると買いだ。
あまり騒がれていないが、これはかなり大きなイノベーションだろう。元々が次世代ディスプレイとして日本で研究開発されてきたものだ。

昔のソニーのやつも、画面は小さかったが階調が滑らかで驚くほど綺麗だった。
今後、PCのモニターはこれに以降していくだろう。写真をPCで処理するのが普通になってきたから、有機ELのアドバンテージは大だ。軽量で薄く曲げることもできる。モニターがこうなってくると、PCやタブレットのデバイス形態もまた変化してくる。
ソニーや日本メーカーが先鞭をつけた技術であったが、朝鮮にしてやられたりというところだ。

これは、おそらく、日本の技術者が引きぬかれて韓国で開発したのであろう。
デフレの中で、日本の有機ELの開発は各社で中止され頓挫した。そして日本の技術者はシナや朝鮮に引きぬかれた。
もし日銀がデフレ政策をとっていなければ、日本ではこの間に大きなイノベーションがあったろうし、有機ELも日本で完成していたに違いない。デフレのために日本では過去20年くらい研究開発予算が削られてきて開発力が大きく落ちた。
これが、今の日本の衰退の原因である。こういった研究開発の立ち遅れを一朝一夕で取り戻すことは難しい。
posted by libertarian at 18:08| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月30日

Nationalism and University

教育が問題だと思うのは、今の自衛権の問題や財政の問題に関する話を見るにつけ、あまりにも低レベルだと思うからだ。まともな大人の議論とはとてもいえない。
この元を辿れば教育の問題に行き着く。
教育機関が左翼に簒奪された状況では、まじめな子供ほど左巻きな発想を持つようになる。
このような左翼思想教育が行われている結果、人々のオツムの中身が左巻きがデフォルトとなり、必然的に社会的な議論も低レベルなものになるわけだ。この問題は結構深刻だと思う。
結果、おぞましい程に低レベルな話が延々と繰り返される。

私が思うに右と左の区別ができている人間は日本にはほとんどいない。右翼だ左翼だというが、日本にはそんなものはない。総左巻きという状況では右も左である。
いろんな人間が本を書いているが、私が知る限り、日本で右と左の区別ができている人間は数人程度だ。10人はいない。
特に新自由主義うんぬんという言葉を使う連中は、まず右と左の区別が全くできていない人間だ。
このように日本で社会的な議論が猛烈に低レベルになっているのは、マスゴミがそのような話を拡声器でがなりたてるからという面はあるだろうが、国会議員のレベルというのはその国の社会レベルを反映しているだろう。
アメリカの論壇を見るとやはり日本よりかなりレベルが上だ。比較にならないといっていい。

今まで散々、でたらめなことを言ってきた自称経済学者の大学教員連中も未だになんの反省もしない。
彼らは現実にコミットする責任感も意識すらもないただのガキにすぎない。学校秀才の成れの果てという情けない連中だ。大学を辞めるくらいの気概があればいいが、それすらもない。
今は大学の文系への予算を減らそうとしているようだが、それが当然だ。少なくとも国公立大学の文系学部は廃止すればいい。私学で文系学部があるのはいいだろうが。

教育という言葉そのものが、まちがった思想、言葉なのだろう。
例えば、正しい知識が必要というのは正しい。なんらかの技能が有益というのも正しい。
専門家には専門知識が必要というのも正しい。
しかし、こういったことと、教育が必要というのは別のことである。教育とは制度のことである。
制度は手段にすぎないわけで、必要なのは教育(制度)ではない。

有害な権威主義で固められた大学なる制度は、19世紀的国家主義の象徴にすぎない。
国家主義と中央集権制度からくるエリート主義がもととなり、その制度的一貫として大学という制度が作られた。時代的な合理性は当時はあった。だが、もはやそういう時代は実質的に終わっている。
しかし終わった制度とはいえ、制度そのものは、銀塩カメラのフィルムよりは長生きするかもしれない。
posted by libertarian at 00:53| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月26日

How to live

政府による教育の簒奪が、今の日本の最大の問題かもしれない。
今の教育システムは社会の進歩を抑制し、人々の自由を強制的に抑圧しているのは間違いがない。
それは全て政府が教育システムの根幹を管理しているからだ。
今はますます政府による教育支配が進んでいる。
まあ、これは欧米でも似たり寄ったりではある。
私はこの事態にSF的な管理社会と同じイメージを抱くわけだが、どうもそのように世の中は進んでいる傾向にありそうだ。これは社会主義化の第2段階かもしれない。

人間には何を為すかという選択と、どのように生きるかという選択がある。
教育システムという管理システムに従順であればあるほど、人は貧弱な人生を生きるのは確実であろう。
何を為すかという点では、職業選択の自由のようなものがある。才能があれば芸術家にもなれるし、スポーツ選手にもなれるし、自分の選択したもので何かを為すことができるだろう。
だが、これとどのように生きるかはまた次元を異にする問題である。
どのように生きるかは、2つに一つであり、自由に生きるか他人に支配されて生きるかの2つに一つしかない。
起業家をリスクテイカーと言って、リスクをとる人間とリスクをとらない人間とにわけることがあるが、それは間違いだ。彼らが選択してるのは、自由になるか、奴隷になるかの選択なのである。起業家はリスクをとるというよりも自由を選択する人間といったほうがいい。

教育は何を為すかの、その職業訓練的な意味合いが強いが、同時にどのように生きるかを強制的に決定してしまう。
そこが、教育システムの悪質なところである。犯罪的な点でもある。
もし、政府の管理的な教育システムがなければ、まず最初にくるのはどのように生きるかの選択だろう。
今の日本社会のエリートといわれる人たちは、東大をでて政府官僚になるような連中であろう。
依然としてそれは変わらないだろう。
だが、彼らはどのように生きるかを選択する前に職業を選択してしまった。
ハイリスク・ローリターンな人生を選択してしまった。
もちろん、日本の官僚は世界的にも異常なほどに高給取りであり、社会的な体裁もいいから悪い選択とは一般には思われないわけだが、間違った選択をしたことは間違いない。
人に自由をコントロールされる生き方を選択してしまうことは、奴隷の平安を選ぶだけで、リスクしかなくリターンはほとんどないのである。これは優良企業のサラリーマンになるのも同じ。
職業の選択の前に生き方の選択がなくてはならない。
教育システムでは奴隷の人生の歩み方しか教えないのである。そして教師というシステムに洗脳された奴隷の優等生連中が子どもたちの目を狭くし奴隷への道へ優秀な子どもたちを誘導していくのである。
posted by libertarian at 01:29| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

Keyboard

買ってはいたものの、あまり使っていなかったWindowsTabletを持ちだして、喫茶店で使ってみた。
非常に使いやすい。
タブレットはキーボードが分離式のブルートゥースであるが、長時間使っていてもキーボードが熱くならないのがよい。ノートPCはどうしてもキーボードが暑くなるのが欠点である。

しかし、日本語配列のキーボードはいかがなものか。一番、重要な左の小指の位置に全く使うことのないCAPS lockが依然としてあるのは、どう考えてもおかしい。狂っているとしかいいようがない。
もちろん、自分はxkeymacsのようなアプリで、CAPSをコントロールキーにするなど、キー配列を変更して使うのが決まりであるが、どうもWin8.1には、これが未対応のようでインストールしてない。
キーをカスタマイズできないと、入力作業がかなりつらい。
Macは日本語キーボードでも、ちゃんとコントロールキーがあるべきところにある。

このような酷い配列の日本語キーボードが依然として作られ続けるのであれば、Windowsの方でキーカスタマイズのソフトをデフォルトで入れるべきである。
キーマッピングは、ソフトでWindowsも管理しているのだから、こういったソフトをはじめから入れておくべきである。
そうすれば、xkeymacsをわざわざ入れる必要がないし、まだWin8に未対応だといって、苦労することもない。

同時にキーボードメーカーも、よりスッキリとした合理的な配列の独自規格のキーボードを提供すれば儲かるのではないか。日本語配列のキーボードはあまりにも無駄な使わないキーが多すぎて、狭い空間をさらに狭くしている。



posted by libertarian at 15:13| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月17日

LED and Fluctuation

家の照明をLED照明に取り替えた。
トイレとかは、人感センサー付きの照明にしたが実に具合がよろしい。
電気のつけたり消したりは、結構面倒で消し忘れとかも多いので人感センサーは便利である。
しかしLEDの寿命は数万時間あるそうだが、センサーの寿命はそれよりもずっと短そうだ。そちらの寿命については記述がなにもない。だが、元が安いし、利便性を考えれば問題にはならない。

最近のセンサーは反応が早く、LEDもすぐにぱっと明るくなる。技術の進歩を感じる。
LEDも5−6wで60−100wの明るさだから、大きな省エネ効果がある。消費電力が小さいため、熱を帯びないのも良い点である。
さらに電池式のセンサーライトも各種購入した。電池式とはいえ、LEDのお陰でかなり長くもつので、実用に耐える。
階段などに設置したが、快適だ。昔のフランス映画で美女と野獣というのがあった。この中で、廊下を通ると自動的にランプが灯るシーンがある。あれと同じかんじだ。w
電池も充電式のものにすれば、電池のランニングコストは問題にならない。

住居において、照明装置は重要なものだとあらためて感じる。
以前の電球や蛍光灯は、ちらつきゆらぎがあるから目が疲れるとか言われていて、インバーターでちらつきを抑えるような工夫がされているものもあった。biolightなどはちらつき抑制が謳い文句で、これを買ったりもした。
LEDはこのようなゆらぎはない。だが、光のゆらぎがないのは、逆にLEDの欠点の一つでもある。
コンピューターディスプレイにしても、昔のやつは蛍光灯だったが、今のはLEDだ。
どちらが、目にやさしいかといえば、昔の蛍光灯バックライトのタイプである。だから、ディスプレイはメインのは昔の蛍光灯タイプのやつを大事に使っている。
ディスプレイのLEDの光はシャープだが、長く使うと目が疲れる印象がある。

今後は、LED照明は、目に優しいゆらぎを作る回路ができるかもしれないw

posted by libertarian at 11:04| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月06日

Quiz

サイコロを振り、1と2と3と4が出たら掛け金と同じ額を得、5と6が出たら掛け金が胴元に取られるという賭けを考える。具体的には例えば1000円を賭け、1が出たら1000円の儲け、5が出たら1000円を没収というゲームである。今、手元に軍資金として100万円がある。ゲームは100回繰り返す。どのように賭けるのがいいだろうか?掛け金は毎回同じでもいいし、毎回変動させてもいい。
2/3 で勝ち、1/3 で負けるわけで、このゲームは賭ける方に有利なゲームである。だが負ける可能性も当然にある。
意外とこういった問題をちゃんと解ける人は少ないのかもしれない。
しかしこういった問題に投資戦略の基本的な考えがあると思われる。
つまり、これは投資における資金管理の考え方だ。

この問題はサイコロで確率が決まっているから正解があるが、実際の投資では確率は決まっていないから、この正解のようなアグレッシブな投資はできない。
投資の世界は、あまりにもデタラメや詐欺が多く、本もネットも証券会社の情報も全く使いものにならない。
そんなものを見ているのは、カモにされる素人だけだろう。
こういった問題を自分の頭で考えることもできない人間が投資をしても生き残れる可能性はほぼ0であろう。

投資はゼロサムゲームであり、将棋や麻雀やポーカー、バックギャモンと同様に強者が勝つゲームと考えられる。確率が入るゲームであっても、それは運次第を意味しない。プロのポーカープレーヤーや将棋の棋士に素人が勝負して勝てる可能性はほぼ0だ。将棋は完全情報ゲームだから可能性は0だが、偶然性が入るポーカーならたまに勝つこともあるだろう。だが、ゲームを繰り返せば必ず負ける。
投資もそういったゲームとかんがえられる。
つまり、市場といった人外なものを相手にしているのではなく、あくまでも人間相手のゲームだと考える方が正しいのだろう。
posted by libertarian at 22:38| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月31日

Memorization

最近、世界地図の国を暗記した。
暗記をするのはずいぶんと久しぶりである。

どのくらいの人が、世界の国の地理上の位置をちゃんと覚えているのかわからないが、アメリカ人の多くは日本がどこにあるのかも知らないらしい。嘆かわしいことである。
これは日本人がアルメニアと聞いてどこにあるのか知らないのと同様なのか?これも結構嘆かわしい。私もつい最近まで知らなかった。

どうやって覚えたのかといえば、iアプリを使った。
アンドロイドや iPadには、世界パズルというパズルピースゲームがあり、タイムを競う。
自分はタイム的には大したことがないが、これを何回もやって、ほぼ全世界の国を制覇した。

それまでは、アフリカは沢山ごちゃごちゃ国があるなとしか認識していなかったし、中東のあたりも何が何だか知らなかったし、東の方のヨーロッパもちゃんとは知らなかったし、東南アジアも曖昧であったし、中南米も興味がなかった。
つまるところ、世界のほとんどの国をちゃんとは覚えていなかったわけだ。これは自分が特別に無知なのではなく、普通の人と同じだろう。
だが、今では、国の名前を聞くだけで、あそこにあると頭の中ではっきりとイメージできる。
これは、大きな進歩である。頭の中に世界地図ができたようなものだ。
このような教育アプリは非常に良く出来ている。年齢に関係なく役に立つというものだ。
地図を覚えることは、重要な大人の教養の一つといって過言でない。

映画を見ていると、あちらの教養のある人は結構、有名な本を暗記しているらしい。まず、聖書の暗記が基本で、シェークスピアのセリフなどの暗記をしている人もいるようだ。
こういった暗記は意外と重要なことだと思う。
私はその昔高校の頃、日本国憲法の前文のGHQ版の英語を暗記させられた。というか、暗記しているかテストをされた。だが、暗記してなかったので、最初の1フレーズしか回答できなかった記憶がある。こんなものを覚えなかったのは幸いであった。大学ではボードレールのフランス語の詩を暗記させられた。というか、暗記しろという課題がでて、テストに出たが、やはり覚えてなかったので、これも最初の1フレーズしか書けなかった。
だが、今でもこれらの最初の1フレーズだけは頭の中に残っているのである。
ボードレールの詩は全部覚えておいたほうが良かったかもしれない。

イスラム圏では、コーランの暗唱、暗記が教育の基本となっているようだ。
これも教育効果は高いだろう。
日本でも断片的な知識の暗記が教育の基本となっているが、文章丸ごと暗記というのはあまりさせないと思う。
それでも昔は日本でも、論語などの暗記をさせていたようだ。
自分で何かを学ぶ場合、テストがないから、特に暗記を自分に課すことがないが、基本的なことは暗記する努力が必要だろう。

posted by libertarian at 22:34| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月30日

Borgia

TVドラマのボルジア家を観た。
なかなかの大作で見応えがあった。

ジェレミー・アイアンズが演じるロドリーゴ ボルジアが聖職売買でローマ教皇アレクサンデル6世になるところから話ははじまる。
ボルジア家のチェーザレ・ボルジア、ルクレツィア・ボルジアやマキャベリ、ジュリアファルネーゼなど有名な歴史人物が出てくるが、ドラマをみてこの頃の時代雰囲気みたいなものが分かる気がした。マキャベリの君主論はこの頃の歴史を知らないと読んでもよくわからない。

1500年前後の時代だが、この頃はイタリアも日本も統一されておらず、群雄割拠状態だ。日本は信長や秀吉の時代だ。
チェーザレ・ボルジアなどは、この頃の信長みたいな歴史上の人物である。
イタリアではこの頃、ルネサンスが起こり、同時に宗教改革が起こり、コロンブスのアメリカ大陸の発見があった。

ロドリーゴボルジアは、Wikiなどを見ても「世俗化した教皇」の代表と書かれているが、これは間違っている。
たしかに、政治的だったが、宗教教団が政治的であることを世俗化とはいわない。これはイスラームと同じで、宗教と政治を切り離すことが世俗化の正しい意味である。
この頃は、まさに政治と宗教が分離されていない時代、世俗化される前のキリスト教世界だ。世俗化される前のキリスト教には、カトリックのような政治権力を掌握した組織と、宗教改革を唱える革命主義的な宗教者が対立していた。しかし、このどちらも世俗化した宗教組織ではない。当時の宗教改革派のやっていることはシナの文化大革命と同じである。特に子供を使った破壊活動が描かれている。
ボルジアはむしろシナの共産主義に対向する自由主義陣営に近い存在で、ルネサンスの擁護者だ。
当時は、ルネサンスに象徴される自由主義と、宗教改革の全体主義的な動きの2つがあったわけだが、その後は、むしろ宗教改革という全体主義がヨーロッパを風靡していく。
ヨーロッパが世俗化されるのは、17世紀以降、ウェストファリア条約から後のことである。しかし、それがいつなのかは定かでない。

日本はこの頃もその前もその後にも、宗教支配が存在しなかったから、世界最古の世俗化社会と呼べるかもしれない。
また日本の場合、全国の統一が早かった。徳川家康が1600年に統一したわけだが、イタリアが統一されたのは1870年頃とつい最近である。イタリアやフランスにはこの統一の英雄、ガリバルディの名をとった通りや広場がたくさんあるが、日本の教科書には載っているのであろうか?私はイタリアにいってガリバルディという名前を初めて知った。


posted by libertarian at 08:38| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

Prediction of unpredictable

箱根火山が噴火しそうである。箱根といえば富士山の連山のようなものだからやはり富士山も怪しい。
木村政昭氏の予想が2015年だから、当たるかもしれない。

地震予知は不可能だと言って、予想行為を何でもかんでも批判する連中が東大などにいるが、全く税金の無駄遣いの穀潰しとしかいえない連中だと思う。

株の変動は、ヒストグラムを描くと一見、正規分布のようだが、実は全く異なる分布となる。
いわゆるベキ分布と言われるが、こういうのは自分でデータ分析して検証するべきことであろう。
ランダムという言葉は意味もわからないで多用されてるが、ランダム性はレヴィ安定分布のα値で表現される。
正規分布はα=2のケース。αが1以下になると平均値も分散も存在しなくなり、1<α<2の場合は、分散が存在しない。
従来のファイナンス理論は、株式市場を適当に正規分布すると前提していたから、根本的に誤っていたわけだ。

地震現象がどのようなランダム性をもつかはわからないが、正規分布とはかけ離れた激しいランダム性をもつ現象を予測しようとしているのが現代の研究者である。大した理論もなく予想は不可能だなどと断言する人間は何もわかっていないだけだし、それ以上に有害だ。
事は重大な問題であり、予測不可能と思われるものを予測する努力をしなければいけない。
そしてそういった予測は高度に理論的、数学的になるので地質学者や火山学者だけでなく、数学や物理の研究者が参戦すべき領域だろう。これを政府の補助金をばらまいてやるのではなく、世界的にオープンな懸賞金システムで行うのがいい。
posted by libertarian at 23:34| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Changing regime in Osaka

大阪都構想の投票が明日ある。
詳しいことは知らなかったが、橋下徹の演説などを見て、また高橋洋一氏の解説などを読んで大体内容がわかってきた。
橋下徹氏の演説は、以下のが充実している。

選挙の結果、大阪都構想が潰されれば、大阪人はその民度の低さによって自滅することになるわけだ。
東京も都になったのは、1943年で、それまでは大阪と同じ、東京府、東京市だったらしい。

大阪のような行政利権によって腐りきった膠着体制を正すには、橋下徹のような傑出した政治家がなければ不可能ということだ。
大阪都構想が投票結果でぽしゃらないことを祈念しないわけにはいかない。


posted by libertarian at 19:05| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月03日

24 live another day

24 live another dayを一気に観た。w
観だすとついついはまってしまう。
テーマは、タイムリーなdroneだ。
droneをハックする機械が作られて大ピンチになるといったストーリーだが、特にdroneに対して批判的というわけではないようだ。
ドラマの中ではdrone反対運動が出てくるが。

droneに対する反感としては、軍事介入が容易になりすぎるというのが危惧される点としてあるのかもしれない。
実際、CIAが最初にDroneを開発し運用もしていたから、本来軍隊でもない連中がそんなものを扱うべきかという話もあった。
これは軍事技術的には一種のイノベーションで、空軍は職域を侵されることから当初は強く反対していたが、CIAから陸軍、海軍に導入が急速に広まった経緯がある。Droneなら超人的なパイロットがいなくても、ちょっと訓練すればそれこそ子供でも操作できる。
そのうち、Droneが増えるに従い空軍は反対もできなくなってきたというのが現状らしい。
そのままでは空軍がイノベーションに取り残されてしまうからである。

Droneのデメリットはあまり見当たらないと思っていたが、よくよく考えると機体が劇的に安くなるということは、それを手に入れるのが容易になるという側面もある。ただ、Droneの操作を地球の裏側から行うには、衛星などの通信インフラが重要となってくる。
つまりDrone以外のインフラが必要という点では、どこでももてるわけではないのかもしれない。

しかし、24ではどんなネットワークでも簡単にハックされてしまうわけだが、もしほんとにそうなら、全ての現代兵器、ネットワーク兵器は使い物にならないだろう。実際は、ホームページをハックするのとは違って、なんでもそんなに簡単にできるわけではない。
だが、基本が暗号技術によるセキュリティだから、今後どうなるのかはわからない。
ドラマのように、技術のブレークスルーはどこから起こるかわからないから、暗号技術に完全なる信用を置くことは基本的にできない。
ハードが進歩するに従い暗号強度はどんどん高まっているが、もっと数論的に本質的なブレークスルーが出てこないとも限らない。
まだ、リーマン予想は未解決問題だが、そこら辺から暗号技術のブレークスルーの可能性もあるのではないかと思われているわけだ。

posted by libertarian at 11:54| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

Abolish Economic school

高橋洋一氏も嘆いているように、日銀のデフレ政策を擁護しつつ20年デフレを招いた、日銀ー財務省の使いぱしりの手下として動いた日本の経済学部の教員とはなんなのか?

こいつらはA級戦犯として、社会的に抹殺されるべき存在である。
日本においては経済学部の存在意義が0だということも示す結果となった。
連中は未だに、一切の反省もせず、うやむやにして逃げようとしているのは、卑怯の限りだが、だからこそ、財務省のぱしりとして20年間デマを流し続けたわけだ。
さらに、自分らのでたらめが明らかになってからでも、増税を支持するトンデモぶりであった。

増税のせいで、この20年デフレはまだ完全には収束できていないが、この間に失われた日本の富は大東亜戦争の経済損失を遥に上回り、シナと朝鮮を潤すだけの結果をもたらした。
こういうポチの奴隷根性の大学公務員、教員共は、社会的存在価値がマイナスであり、犯罪的である。

東大の経済学部から廃止するのが妥当だろう。これほどの犯罪を教員が犯して存続が許されるはずはない。
大体、教育が大事だとか高等教育の重要性をどうのこうのと自明のことのように言う連中が多いが、教育はもろ刃の刃である。
実際、経済学のポチ教員は日本に惨憺たる被害を与える一翼を担ったわけだ。この連中に教育をする資格はない。
デフレ派は、全員解雇しパージしなければいけない。



posted by libertarian at 01:27| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月01日

Drinking in Islam

「イスラム飲酒紀行」という高野秀行氏の本を読む。
これも、なかなか興味深い本だ。
イスラームでは、ムスリムの飲酒は犯罪的な行為とされるが、酒好きの高野氏はイスラム諸国に入っても酒を求めて奔走する。

すると、ほんとはあってはならないお酒が、次々とでてくるわけだ。
特にイランでは飲酒に対して厳しいが、そのイランで沢山酒が出てくる。w
もともと、イランはホメイニ革命がおこるまでは、飲酒は普通に行われていたようだ。
そういった人々の習俗はなかなか変えられない。
結局、一般人は裏と表を使い分けているわけだ。

こういうのを見ると、イスラームの厳格主義とは全く別のゆるいイスラーム社会というのがベースにあるということがわかる。
こういった現実は結構重要だろう。
それもイスラームのリアルな現実で、原理主義的なイスラームの厳格主義が支配的というわけではない。

posted by libertarian at 17:18| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

Free trade and the sixth mass extinction

トルコがEUに加入できないのは、EUに入ると人の出入りが自由になるからだろう。
EUはイスラームというかムスリムがこれ以上、自分らの国に入って来てほしくないと思っているわけだ。
実際、イスラームがヨーロッパに融合することはイスラームである限り無理であろうから、それもやむをえないことなのかもしれない。
そもそも、自由貿易は、物資の輸出入に税をかけないで自由に行うことが理想であるが、人間は自由貿易の物資に含まれるものなのかは疑問である。
日本であっても、シナや朝鮮からあまり人が自由に入ってきたら、かなり社会的な不安定さは増すだろう。
ビザのようなもので、退出を強制できればそれほど問題はないのかもしれないが、素直に出て行ってくれないのが移民というものである。
ここで問題とすべきは、人間の移動の自由と、自由貿易の関係である。

ところで、現代は第6の大絶滅期に相当するらしい。過去に地球において種の大絶滅が5回起こっているが、それと今の絶滅速度と量は比較にならないものらしい。数千倍、数万倍の速度で種の絶滅がおこっている。
これは、もちろん温暖化が原因ではなく、貿易が盛んになったことで、それにくっついて移動した動植物によって生態が変化しているためらしい。西洋のカエルが南米にいって、南米のカエルが淘汰されているといったようなことが原因だ。
こうなると、自由貿易の負の面をみるような気はする。

posted by libertarian at 21:20| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

Secularization

イスラームの歴史は長くて複雑であるが、最も重要な年を3つあげよといわれれば、おそらく、622年、1517年、1917年となるだろう。
622年は、マジーナ遷都のヘジュラの年でイスラム元年。1517年はオスマン帝国がイスラームを支配した年。1917年は第1次大戦の終了と共にオスマン帝国が解体された年だ。
1517年、オスマンに支配されたことでイスラームは栄光のサラセン帝国の時代から没落の時代に入ると捉えられているそうだ。
一方の1517年、ヨーロッパでは宗教改革がおこる。ルネサンスから宗教改革、航海時代を経て、啓蒙主義の時代となり、ヨーロッパは発展する。
キリスト教ももともとは利子を禁止するような宗教だったが、宗教改革を経て、世俗化する。
世俗化とは、宗教と政治の分離といったものである。政治の領域が宗教から独立するといったことだろう。

アメリカはジョンロックのイギリスの啓蒙主義の流れを汲んで、プロテスタントたちが作った国である。
キリスト教は聖の部分として、政治という俗の部分とは切り離された土台があった。
そのうえで、成文憲法によるconstitutionalismによって、宗教と政治の分離を長期的に固定化した。
これによってかえって、アメリカでは宗教活動が盛んになったように思える。
様々なキリスト教宗派がなぜか喧嘩もしないで活動している。
しかし近年では、宗教票が逆に政治に大きな影響を与えつつある。

一方のイスラームは、1917年以降、トルコなどが必死になってイスラムを世俗化しようとしたが果たせなかった。
中東ではわざわざ働いて産業を起こさなくとも、幸か不幸か膨大な石油が発見され、物凄く豊かになった。一部の人だけスーパーリッチになったという面はあるだろうが、それでも石油がないよりは明らかに社会全体としても豊かになったことは間違いない。
もともと遊牧民であるから、勤労を貴ぶ風習は0だ。まさに石油はアラーの賜物というわけであろう。
ところでインドネシアにしても、石油産出地帯にムスリムが多いように見えるのはなぜだろう。アラーの賜物か。w

結果的に、イスラームはキリスト教ほどに世俗化しないでも、社会全体としては豊かになることができたわけである。
考えてみれば、石油なんてものが膨大な富になったのも、キリスト教が世俗化して技術進歩し、産業が発達したおかげで石油というものに需要が生まれたからである。
こうしてみると、別にアラブは何も問題がなさそうに思えるが、宗教的な紛争の火種が尽きることのない地帯である。
その理由としては、イスラームの原理に関わる問題がくすぶっているからと考えられるわけだが、本当は単なる権力闘争なのかもしれない。
イスラームはキリスト教と違ってあまり世俗化はしないかもしれないが、イスラームの原理的に考えれば今の状態でも十分に逸脱した状態にあると考えるようだ。だが、これを逸脱していると考える人は、イスラーム学者など一部のインテリだけだろう。中田考さんなんかもその一人だろう。
もし石油がなかったとしたら、イスラームは経済発展しないどころか、世界の最貧国地帯になっていたのではないかと思う。
実際、石油のでないアフガニスタンなどのイスラム圏は最貧国になっている。
もし、その状態で経済発展しようとしたら、トルコが目指したようにイスラームを世俗化しなければならないだろう。
しかし、トルコ以外のアラブでは石油のおかげでその必要がなかった。
ちなみにトルコは、残念ながら石油がほとんど出なかった。しかし、地の利を生かして水力発電大国だ。



posted by libertarian at 00:02| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月10日

Corner state and Othelo

地政学なるものがあるが、私はこれはオセロで考えた方がよいと思うにいたった。
地政学の本を読んでも、株の秘伝書みたいに曖昧で意味不明である。w

オセロは4隅をとるのが合理的な作戦だが、地理上で、この四隅に相当する国家が何かだ。
これはまず、イギリス、日本、アメリカといった島国家が相当する。四隅にある国家は地理的、オセロ的に圧倒的に有利なのである。
オーストラリアも島国家だが、他国と地理的に遠すぎるので無視できる。すくなくとも今までは。

中東は、トルコがオスマン帝国として長らく支配していた。そしてトルコはカプランが指摘しているように、地理的には島国家に相当するのである。
トルコは地中海と黒海に囲まれ、さらに中東とは山脈で隔てられていて、地理的には島国家的な条件にある。つまりトルコは中東における四隅に相当する位置にあるのである。それがためにトルコは中東を支配する地理的条件を持っていた。
ヨーロッパ半島をみるとスペイン、ポルトガルも四隅にありそうだ。しかし、ここは北アフリカつながりでイスラムに長らく支配された。だから一見、隅にあるが実は地理的、地政学的な隅の条件にはなかったのかもしれない。
海で仕切られているようでもジブラルタル海峡はあまりに狭すぎたわけだ。
それでも、スペインは一度は世界を制した。この前にイスラムの支配から抜けコーナー国家になったからである。

オセロにおいては、隅をとるのが大事で、内側はあまり重要でない。広大なハートランドは重要ではないのである。
もっとも四隅とっても、コマの数でまけたら意味ないが。
実際に、近代において世界を制したのはイギリスであり、アメリカというコーナー国家、コーナーになる島国家である。


posted by libertarian at 03:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Security

戦争とは、セキュリティの1局面に過ぎない。
つまり、セキュリティが問題の本質で、戦争はその1局面に過ぎないということである。
国家というシステムは、コンピューターシステムと同様に、セキュリティシステムが常に動いていないといけない。そして、セキュリティを完全に突破されるとシステムが破壊される。人体であっても普段は意識してないが免疫システムという高度なセキュリティシステムが常に働いていて、それが突破されると病気になる。病気になると、体の中で菌やらウイルスとの全面戦争状態になっているわけだ。

これは哺乳類のような複雑な多細胞生物でなくても、菌やウイルスでもセキュリティシステムはある。
戦争と平和は、The war and peaceであって、The war and the peaceじゃないと大学の頃に授業で聞いたが、戦争と平和で一対となっている、もしくは一環のもので、対立概念ではないということだ。
これも、セキュリティ1元論で考えれば分かる。
セキュリティ体制がうまく機能している状態が平常の平和状態だ。
これが突破されると戦争、warfareとなる。

国家とは、本来、集団的自衛のために組織されたものなので、国家の本質とはセキュリティシステムである。
国家とは、福祉や産業政策をするための経済的な単位ではもともとない。
セキュリティの柱となるのが、軍隊であり、外交部門であり、諜報部門である。これは昔も今もそのままだ。サイバー空間やら宇宙空間のように領域が広がっているだけだ。
日本の場合は、軍隊云々以前に広義のセキュリティ体制が脆弱もしくは存在しないのが大問題だ。属国といわれる所以である。

posted by libertarian at 01:17| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HOMELAND

TVドラマシリーズのHomelandが面白い。
24のスタッフが作ったそうだが、24よりもかなり大人な作品になっている。
使われているジャズも非常によい。

24では、テロリスト=インディアンといった扱いだったが、Homelandではイスラームの側からも問題を捉える視点があるのが、2001年から12年以上も経って、アメリカも少し落ち着いてきたということなのだろう。24が作られた時には、決して許されなかっただろう視点である。主人公の元海兵隊員がムスリムという設定もなかなかだ。単純な善悪の対立という現代版の西部劇ではなくなっている。
もっとも初めの方の24のシリーズは、テロとの戦いという国威発揚ドラマだったのが、だんだんに懐疑的な色調を帯びてきてはいた。

しかし、アメリカのテロとの戦いが実は、現代版の宗教戦争、十字軍というのは事実のように思われる。
自分のアメリカのイメージはカリフォルニアであり、ニューヨークだったが、実際のアメリカは中世ヨーロッパ並みの宗教国家、キリスト教国家である。一方のヨーロッパではキリスト教は衰退基調にある。
我々日本人が中東を全く理解できないのは、イスラームを全く知らないからであり、アメリカなら少し分かっているように思っていて、実は何も分かっていないのはキリスト教に対しても無知だからなのだろう。
日本の神道がどうのこうのいっても、あれは宗教とはいえないし、仏教も葬式仏教だから、日本は事実上、完全なる無神論国家に近い。
日本の八百万の神様というのは、イスラーム的にはこれは多神教ではなく、精霊、ジンに近いイメージだそうだ。

イスラーム法が国家法に優越するのは、イスラームの原理からくる必然だ。
一方のキリスト教の場合、キリスト法というのがなく、宗教法と国家法との争いがない。キリスト教は世俗宗教であるがゆえに、宗教と全く別の国家法という法体系が成立可能だったのであろうか。政教分離といってもキリスト教の場合、法レベルの争いはなく、政治的な主導権争いのようにみえる。

国家法と宗教が別のものとして並立しているのがアメリカ社会だ。
アメリカという祖国、homelandへの帰依と、キリスト教への帰依が同時にあるように見える。
イスラームの場合、国家法がイスラーム法に優越することは原則ないため、国民国家やら国家法というものが成立しない。
イスラームには本当の国家はないが、かなり濃いイスラーム社会がある。
そして、イスラームでは国民国家という近代的な軍事体制国家が成立しなかったために、欧米のキリスト教圏の国民国家によって近代になって軍事的に敗北したという見方もできるのではなかろうか。

posted by libertarian at 00:41| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

Amazon Vs Yodobashi

今までネットで買い物するのはもっぱらアマゾンであったが、ヨドバシ.comが非常に充実していることに遅まきながら気付いた。
特に本の充実ぶりが半端でない。おまけに、新本が全て3%のポイント還元だ。
送料もアマゾン同様に無料。
ヨドバシといえば、家電ばかりかと思っていたが、いつのまに本をこれほどに扱うようになったのか?
専門書の品揃えでは、アマゾンよりも充実している部分もかなりある。
これからは、アマゾンよりもヨドバシ.comを使うようにしようと思う。

とはいえ、アマゾンより本は安く、家電製品はアマゾンの方が安い傾向があるような妙な逆転現象があるので、買う前には比較した方がいい。
posted by libertarian at 23:02| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

Drone

F35を日本は次期戦闘機として購入するらしいが、めちゃくちゃ高価で開発も遅れているらしい。
そうこうしている内に、無人機が主流になりそうだ。
すでにアメリカは無人機がアフガンでも主流になりつつあるようで、おまけにこれを使っているのがCIAらしい。
CIAはもはやアメリカの5番目の軍隊になっているそうだ。
無人機は、戦闘機に比べて多くのメリットがある。

パイロットの命が犠牲になることがない。
パイロットが捕虜になって機密がもれることもない。
パイロット養成のコストがかからない。
人間が乗らないから、その分、小型軽量で、はるかに安価に作れる。
小型軽量であるから、航続時間が長い。
など。

一方、デメリットは、あまりなさそうだ。

空軍は自分らの職域を侵されるから無人機に否定的だが、陸軍、海軍は無人機導入に積極的だそうだ。
今までの肉弾戦的な戦争から、今後はテレビゲーム的な戦闘になっていくのであろう。
そのうち、オペレーターがなくても勝手に動く、人工知能型の無人機になっていくに違いない。
テクノロジーによって、戦闘の形態が急速に変わっていく。
日本も今後この分野に参入するとよいと思う。

旅客機にしても、ほんとはドローン化した方がよい。パイロットは緊急事態用に一人必要だろうが、オートパイロットだけで飛ばすこともできる。これもパイロットの組合が反対しているからできないが、こないだの事故のようなものは防げる。

posted by libertarian at 18:11| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

Geopolitics

「地政学の逆襲」をほぼ読んだ。
ロバート カプランは、リベラル寄りのライターだが、なかなか興味深い本であった。
しかしあちらのリベラルは、いかなる文明もいわゆる民主主義なるものに収束するのが進歩と思っているのはどうしようもない。
だが、この本を読むような人間は、そういうわかりやすい落とし所を与えられて安心するのだろう。
むしろデモクラシーとは何のための手段、制度かというのが問題で、これに答えられる人間は残念ながらあまりいないだろう。


もとより民主主義、デモクラシーとは政治制度であるから、単なる手段仕組みであり、信仰や理想の対象ではないのだが、アホな教育とマスゴミの喧伝により、単なる制度が思想なり理想に格上げされているわけだ。ツーバイフォー工法はなによりも素晴らしいと信仰しているようなものである。
リバタリアンならば、リベラルのいう自由とは積極的自由であり消極的自由とは真逆のものであると理解するであろうし、民主主義なるものは全体主義と同じ仕組みと理解するだろう。それが事実である。

教育制度においてイデオロギー教育は認められていないが、現実に歴史教育はイデオロギー教育そのものだ。
歴史というのは、普通、戦争や政権や国の盛衰に関する記述だが、私の生きていた時間だけでも、多くの国が生まれ、多くの国が消滅している。ソ連が解体して、いろんな国が生まれたし、ユーゴも分裂し、さらに大東亜戦争終結時から考えれば、ほんの70年の間にかなりの数の国の生成消滅がある。逆にいえばほんの70年前はいわゆる国などごく僅かだった。国とよべる国は欧米諸国とロシアと日本くらいだったのだ。その他は、国ではなく地域、地帯といったもので、そこに住む人たちの比較的小さな社会があっただけというのが事実だろう。

国が沢山あると戦争がおこり、戦争をなくすという大義で大統合が行われるが、結局、民族問題などを抑えるため抑圧的な制度がしかれ、そのうち内紛が起こって、また分裂するというのが国という制度のパターンである。キングタムの秦の始皇帝もしかりだ。

ナショナルヒストリーとは別の観点で、歴史を考える必要がある。国が無くなろうが、新しい国になろうが、そんなものは市町村の統合、改廃と同じ程度の意味しかない。日本はその点特別だが、大陸国家では国というのはそんなものだ。宗教や民族的共同体の方が国家という枠組みよりはるかに強い結び付きがある。
その点、日本はあまりに特別だ。恵まれた国といえよう。イギリスと同じ島国といっても、今もイギリスはかなり強権的な中央集権で無理やりまとめた国である。このことは、こないだのスコットランド独立問題でよく分かった。
日本は特別な歴史と地理と一体感をもつ国といえる。宗教的、民族的連帯感というよりも、強い近代的なナショナリズムがかなり古くからある国なのだろう。

本当の人類の歴史とは技術の歴史であり、宗教の歴史と見たほうがよいと思う。
戦争は悲惨だが、実際はインフルエンザや疫病による大量死の方が多い。
戦争は派手だし悲惨だから大きな事件と思われるが、戦争とはセキュリティ問題の1局面であり、セキュリティが突破された時、または突破した時に起こる事件にすぎない。
長い時間を通して変わらないのは、地理くらいのものだ。地理は人類のマクロな制約条件といえる。このマクロな制約条件について考えるのが地政学とも思われる。つまり地理は歴史の本質ともいえる。








posted by libertarian at 23:25| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

Kingdom

キングダムが面白い。
この1週間で36巻まで読んだが、息もつかせぬ面白さ。
最近の漫画は、プロットが実に緻密だが、この原泰久氏のキングダムのストーリーの巧みさは天才的だ。
この漫画をなんで知ったかというと、あの中田考氏が面白いと絶賛していたからである。
全く知らなかったがアニメ化もされているようだ。youtubeで第1話の最初のところだけ見たが、どうも絵に力がない。
秦の始皇帝の話だが、まだまだ続きそうで長く楽しめそうだ。既に10年くらい続いているようだが、もう10年くらいしないと終わらないのではないか。w

組織戦闘がリアルに描かれている。つまり5人が基本単位の組となり、それが集まって10人、100人といった戦闘単位を作り、さらに数千、数万の軍隊を形成するということが描かれていて、将軍や大将軍の意味、価値というのがよくわかる。
この時代にそんな詳細な記録は残っていないのではないかと思うが、逆算すれば、そういった組織は不可欠だったと思われる。

この漫画はおそらく、リドリースコットの傑作「Kingdom of Heaven」に影響されているだろう。
スコットの映画では私が一番好きな映画だ。


posted by libertarian at 18:24| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

Self responsibility

ISISによる日本人捕虜の問題で、自己責任論と、自己責任論を否定する論があった。
あきれるのは、国民を救出するのは国家の義務であるとして自己責任論を否定する意見が多かったことだ。
そもそも、国家が国民の命を何に変えても救出しなければいけないなどという法はない。

国民の身体生命や財産の保護は憲法に謳われていても、無条件でそうしなければいけないという話ではない。
例えば、海外旅行で詐欺にあって金銭的損害を被ったとき、自国民の財産権の保護のために、政府が無条件で全額補償するなどいうことはありえないのと同様だ。
そこらは、保険でカバーするなり、自分で注意するべきことなのは当たり前だ。
これは命に関わることでも全く同じである。常識で考えればわかることだ。
特に今回はマスコミが騒いだだけで、海外で犯罪に巻き込まれて命を落とす日本人など毎年いくらでもいる。

軍人が捕虜になった時など、軍隊の士気にもかかわるから政府は最大限の譲歩はする傾向にあっても、それも別に義務云々とは違う。
自己責任論を否定して政府の義務などというバカなことを言う保守を自称する連中は全くのイカサマ連中である。
自己責任と個人の自由とは表裏一体のものであり、自己責任で行動するから自由でありうるのである。
posted by libertarian at 20:51| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

Hostages

日本人二人がISISの捕虜となった事件だが、これに対して、国は国民を救出するのが当然であるという論調が多かった。
このことは、北朝鮮に拉致された日本人との問題とも絡めて、自国の人間を助けるのが国家の政府の当然の責務であるという考えがあった。
しかし、北朝鮮に拉致された人たちは、日本国内で拉致強奪されたのであり、禁止地帯に勝手に入り込んで捕虜となったわけではない。
これをアナロジーで同じと考えるのは間違いだ。

私の考えでは、ISISの捕虜となった二人に対しては、日本は形だけの努力をしたのだと思うが、そもそも助ける義務が法的にあるとは思えない。もちろん、助けられるなら助けるのが温情的だが、法的にそうすべきという話とは違う。
その点、北朝鮮に拉致された人たちと一緒にすべき問題でもない。
一方、北朝鮮に拉致された人間を救出するのは、国家の、または政府の義務である。

所詮は今回の捕虜問題なるものもマスゴミのワイドショーネタでしかない。マスゴミが騒ぐ問題だけに反応して、もっと大きな問題について考えが及ばないというのはダメすぎる。
そもそも、今回のことでそんなに騒ぐなら、北朝鮮に拉致された数百人規模の人たちのことをテレビで連日放送すべきなのだが、いままでもほとんど何もしてきていない。

マスゴミがISISは悪だといえば、悪だと感情的に反応し、北朝鮮はそうでもないよといえば、そうでもないと思うのが、大衆というものだ。
こういう操作をされるようでは、高等教育の意味もないし、振り込め詐欺も減らないだろう。w
posted by libertarian at 23:30| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Invasion to Iraq

アメリカのイラク侵攻は、侵略と言ってもいいと思われるが、この反省とか総括のようなものが全くなされていないのは不思議である。
特に日本ではマスゴミを賑わすだけの一抹のショーでしかなかった。
化学兵器にしてもあったとかなかっとか諸説あるが、公式にはなかったで済ましている。しかし、それで済むことではなかろう。
予防戦争、preventive warとか言っていたが、一体何を予防したのだろうか。

アメリカは、イラク侵攻に1兆ドルの予算を投入し、4000人の兵士が亡くなった。
ベトナム戦争のようなかつての代理戦争と比較しても、意味のない戦争だった印象がある。
イラク侵攻は、米ソの代理戦争でもなく、一方的にアメリカがイラクの政治体制を許せないとし、アルカイダとの結びつきをねつ造し、やくざもどきの因縁をつけて侵略しただけの戦争ではなかったか。
アルカイダとの結びつきをねつ造するために、アル ザルカウィのありもしない話を捏造し正当化しようとした。

イスラム世界というのは、非常に複雑で混沌としている。
例えばイラク戦争では多国籍軍とイラク軍の戦いだと見られていたが、実は、この時、イラク軍に対して、反シーア派も攻撃を加えていたそうだ。この反シーア派がISISの前身、イラクのアルカイダだったいうのが皮肉なことだ。
これは、後でわかったことらしい。アメリカの中東情勢分析も穴だらけということが、後になってわかってきているようだ。

アメリカのISISに対する分析も全くずれたものだったようだ。
ここでは、敵と味方といった2元論的な見方は不可能なほど、複雑な入り組んだ対立構造があり、アメリカの行動も矛盾しまくったものとなっている。バルカン、ユーゴスラビア紛争と同様に日本人には理解不可能な世界だ。
アメリカがテロ組織として対立している組織に対して、別の敵に対抗するために資金援助、武器供与ということを平気でしているらしい。
アメリカは中東におけるまさしく紛争当事者であるから、アメリカへの協力は、決して中立でもフェアでもない。
日本は、平和主義を発揮して、こういう時こそ不関与の方針を貫くべきである。
主張がフェアなら、欧米も反論はできないのである。

そもそも日本はアメリカ以上に中東のことは何も理解していないだろう。
人道援助といえば何でも聞こえがいいが、具体的に誰に何をどのように援助するのかという具体的な内容が示されなければいけない。
しかし、このような複雑極まりない紛争地帯に関与することは、たとえ善意からであっても、善意の結果をもたらすとは限らない。
つまり、日本は一切の関与をしないのが、ベストである。
国益をセキュリティ上の課題としてみても、関与しないのが一番のセキュリティ、つまり国益になる。
日本は石油を買いますよというだけの、お客様でいるべきなのである。
日本は国際秩序なるものの一角として振る舞うのではなく、正しく一介の小国として振る舞うべきなのだ。
むしろ不関与を貫けば、将来的には調停者となる立場にもなりうる。

宗教というのは、それを信仰している人の理解と、それを信仰していない人の理解というのは、質的に異なるだろう。
仏教にしてもキリスト教にしてもイスラム教にしても、信仰しない人がそれを理解できるかどうかは大いに疑問だ。
表面的な知識として整理はできるだろうが、理解はできないだろう。
つまり、理解できないものに不用意に立ち入るのは危険ということもある。
分からないことは、分からんと正直に言うべきだ。できないことはできませんというべきなのである。
社会工学的な発想、社会を人工的に改造するという発想は日本にはもともとないだろう。

ISISに対しても兵糧攻めがきくとか、高橋洋一氏なども言っているが、本当に効果的なのかは大いに疑問だ。
そもそも、そこまで関与すべきではない。
おそらくアメリカは空爆くらいしかしないだろうし、できないだろう。そして空爆はあまり効果のないものだ。
コソボでも空爆はしたが、それは単に乱暴な破壊行為だけで、政治的な効果、つまり戦局を変えるほどの効果はないものだ。
結局、アメリカの軍事力、影響力というのも限定されたものにすぎず、その地域の安定化とかには結びついていない。
コソボ紛争にしても、アメリカとは関係なく勝手に自然とけりがついたとみるべきだろう。


posted by libertarian at 22:43| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fermentation and AI

食事は、大事なものだ。
こういうものは無関心だと徹底的に無関心で、せいぜい店で出される料理をうまいとかまずいとか言っているだけの評論家にしかならない。
グルメを自称しつつ、料理には全く無関心というのは矛盾している。
食事は、自分である程度作ったり、研究しないと興味がでない。料理と食事は一体であり、料理をしないで食事にだけ関心があるというのは、食事の意味を理解していないことになる。料理をすれば素材に関心がでてくるし、調理によって素材がどう変わるかも肌で分かる。

また本当にうまいものとは、大体が発酵食品だ。発酵食品は人知を超えたものである。人間はそれを作ることができない。微生物の活動をある程度コントロールするくらいのことしかできない。
魚の乾物でも、納豆にせよ、漬物にせよ、チーズにせよ、酒にせよ、よくできた発酵食品は人知を超えている。

人間というのはいかに頭が良くても複雑なものは理解できないのである。逆に言えば、頭の良さとか科学というのは、複雑なものを単純化することが基本だ。複雑なものを複雑なまま理解することはできない。
ここがAIとの本質的な違いになる可能性があると思う。AIは複雑なものを複雑なままハンドリングできるという点で、人間とは異質な知性になる可能性があると思う。

posted by libertarian at 19:59| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

The real criminal of the STAP case

STAP細胞の真犯人は、理研そのものであったという武田邦彦氏の論


ここまでSTAP問題をつきつめたのは、さすがである。
武田氏はSTAPは、理研の金目当ての組織犯罪である可能性が高いと推理している。
大いにありそうなことだ。理研の行動に着目すれば、すっきりと今回の事件の意味が見えてくる。

武田氏も、ここまで言いきるのは、勇気のあることだ。
武田氏は、是非、小保方さんと対談をしてほしい。そこで、具体的な真相を聞き出すことができるのではないか。

もしこれが本当なら、ノーベル賞受賞者の野依理事長のスキャンダルに発展するだろう。
これこそ、マスコミが追求すべきスキャンダルではないか。

posted by libertarian at 03:39| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月01日

Terrorism

ISIL、またはイスラム国が話題となっている。
テロ国家といわれるし、それは事実であろうが、これは国家とは何かという大きな問題を含んでいる。
イスラム国なるものが話題になったのは、去年2014年くらいからだが、オバマ政権がイラクから軍を撤退した軍事的空白を埋める形でイラクのアルカイダ、つまりイスラム原理主義が台頭してきたわけだ。
アメリカがサダムフセインを排除して、さらに最悪の敵が台頭した結果となった。

国家の基本的な条件とは、領土、国民、主権だが、イスラム国はこれらを満たすから国家とはいえる。しかしイスラム国を承認する国はないから国家ではないともいえるが、シナや北朝鮮が国家だというなら公平に言ってやはりイスラム国も国家だろう。w

現代の欧米のワールドオーダーに挑戦しているのは、いわゆるイスラムではなく、イスラム原理主義と限定すべきである。
イスラム原理主義とは、簡単にいえば、コーランの原典に回帰すべしという運動と理解している。コーランは法であり、細々としたことを規定しているが、時代の変化にあわせて、コーランは拡張してきた。イスラム学者があたらしい技術や社会環境の変化に対して、解釈を加えてきて、結果的にコーランがふくれあがってしまい、元のコーランから離れてしまった。
そこで、原典のコーランの教えに帰ろうというのがイスラム原理主義である。だから、斬首刑とか石打ち刑といった、アナクロな現代的には残酷な刑をコーランの原典通りに行う。

イスラム原理主義は、反欧米、反近代文明、といった挑戦的、戦闘的な要素が強い。それがテロという具体的な戦闘行為、非対称戦争を起こしている。いわゆるイスラムが欧米と共存の道を歩もうとしているのとは対照的だ。もっともイスラムにとって欧米とはキリスト教なのだろうが、政治と宗教を分離して考えればよいというところに落ち着いてきている。
だが、イスラム原理主義はそのようには決して考えないという点が厄介で危険なところなのだろう。

ISILの行為をテロと呼ぶのは、ISILを国家と認めないからである。
アメリカの軍事行動も、アラブの国にとっては、とんでもない暴力だろうが、テロと呼ばないのは国家の行動だからである。
ISILが国家であることを強調しているのは、イスラム原理主義の戦闘行為をテロではなく、国家行動と認めさせようという思惑なのだろう。

posted by libertarian at 03:13| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

Anesthesia

年末に骨折をした。
鎖骨を折り、人生初の手術をした。全身麻酔も初めての経験。
術後も痛みがあるので、鎮痛剤を飲んでいたが、おかげでオツムが前よりも悪くなったような気がしてならない。w
囲碁棋士の趙治勲は大けがをして、手術をしなければならなくなったとき、麻酔は頭を悪くすると聞いて、麻酔なしで手術するように頼んだそうだ。ほんとに麻酔なしで激痛に耐えながら手術したそうだから、驚異的だ。

しかし、私は痛いのは大層苦手であるため、全身麻酔はするは、術後は鎮痛剤を飲みまくり、痛みから逃れていた。
お蔭で、前よりも一層バカになったかなと感じる。w
麻酔というのは、不思議なもので、手術が終わり、医者に手術が終わりましたよと声をかけられるとぱっと目が覚める。
麻酔がかかる時の記憶もない。
麻酔は麻酔医という専門家がいるが、麻酔の仕組みは未だによくわかってないらしい。
一種の仮死状態のようで、夢も見ないし、その間の記憶がなくなる。

私が前よりバカになったような気がするのは、簡単な詰み将棋が前よりも簡単には解けなくなったような気がするからである。
頭の中で駒を動かすのが、少ししんどい気がする。
これが麻酔による効果なのか、単なる気のせいなのかはわからない。
しかし、麻酔がオツムを悪くするのが、単なる迷信であるなら、趙治勲の激痛に耐えた苦労は意味がなかったことになる。

骨がくっつけばくっついたで、また入院して手術をしないといけない羽目になる。
さらにバカになるのかと思うと困ったものである。w
posted by libertarian at 21:39| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

Never Let me go

Kazuo Ishiguroの原作の映画「私を離さないで」を観た。
SFということだが、一言でいえば、自分の臓器提供者となるクローンを作る社会があり、そのクローンとなった側の人間を描いたドラマである。しかし、SFということだが、時代設定は1952年以降の現代だ。
映画はなかなか映像もきれいで、よくできた映画だ。
役者も大物が出ているので、それなりの大作なのだと思われる。
実は私はこの原作も随分前に買って持ってはいるのだが、まだ読んでいない。
映画が面白ければ読もうと思っていたので、そのうち読む予定だ。

このストーリーではおそらくクローンはオリジナルの所有物とされているわけだ。
オリジナルが所有権をもち、クローンはオリジナルの所有物とされる。
おそらく、というか間違いなくクローンには人権もない。提供者として、臓器提供する時を待つだけの任務である。

こういった所有権原理の拡張というのは、現実的には起こらないだろう。
例え人間のクローンが可能になったとしてもだ。
自分の子供が半分自分の遺伝子を継いでいるとしても、半分所有権が親にあるわけではないのと同様である。
この物語の設定が現代となっているのは、現代人にも生き方の強制があること、生きる方法に選択の余地がないこと、また生きる意味を知らないこと、利他主義の強制があることを意味しているのかもしれない。

しかし、こういった奴隷原理というのは、欧米の人間には割と自然なのかもしれない。w
所有物になりえない対象は、世の中には存在しないと考えるのであろう。
作者のイシグロ カズオは日系人だが、頭の中は完全に欧米人だ。
人権思想とは、所有権の限界を定めるものともいえる。
人が人権を持つことと、人は人を所有できないのはほぼ同じ意味になる。つまり、人権を持つものを人は所有できないシステムともいえる。



posted by libertarian at 17:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月29日

Credit and Cosigner

遅まきながら、半沢直樹をDVDレンタルで観た。
日本のドラマには、アメリカドラマとは違い日本ならではのリアリティがそれなりにあるのがよい。
このドラマでは、銀行融資の実態が描かれている。晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げるといわれる銀行融資に対して批判的である。
このようなことは、過去のバブルー破綻ー回復ー破綻といった、過去20年くらいの一歩進んで2歩下がるデフレ環境の中で繰り返されてきたことだと思う。これに加えるなら、連帯保証人制度も取り上げるとよかったと思う。
ところで、連帯保証制度は、少し前に改正の話を聞いたが、その後どうなったのだろうか。

基本的にお金はどこにあるのがよいだろうか。銀行の融資業務は、中小企業の経営者よりも経営能力、情報収集能力が高いとドラマでは考えてるようだが、ほんとにそうなのだろうか。マクロにみれば、そうとはいえないだろう。
銀行の本分が融資業務にあるとしたら、経営能力があまりないというのは融資能力の低さと同じで致命的だ。
もし一流銀行の人間が民間の中小企業の社長よりも経営能力があるとするのなら、同様に役所の官僚の方が普通の民間企業よりも先読み能力、経営能力が高いということになり、公共事業や産業政策、しいては社会主義が肯定されるだろうが、事実は決してそうでない。

いわゆる金持ちが金を持つべきなのは、お金の使い方を知っている、経営能力が高い、投資能力が高いといった能力がそこらの銀行員よりは期待できるからである。
おまけに、日本の銀行は連帯保証人制度で、とりっぱぐれがない。貸す側にリスクがほとんど0だから、大した与信能力はなにもないというのが現実だ。この結果が、晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる銀行融資の実態だ。
日本の銀行に与信能力をつけさせるためには、まずは連帯保証制度の廃止からはじめないといけない。

いわゆるエンジェルの投資は、これと対照的に、貸す側に保証がない分、貸す側の与信能力はかなり要求される。





posted by libertarian at 14:57| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月25日

Rear car

最近、宅配の車が東京の市街地では、自転車が多い。
自転車に大きなリアカーをつけて走っていて、よくみるとアシストがついているものと、ついていないものがあるようだ。
車の駐輪規制が強すぎて、ああなってしまったのであろうか?
自転車選手を目指すなら、トレーニングにもなろうが、結構な歳の人が乗っていると、なんという過酷な仕事だと思わず同情してしまう。

アマゾンの隆盛に伴い、宅配のデリバリー業務は増えているのだろうが、現場はどんどん過酷になっているようだ。
うちにくる宅配の人も、文句を言っていた。

このような物流はもう少し、合理化できないものかと思う。
自分もアマゾンのPrimeで、翌日には配達されるのが便利で、頻繁に利用する。もはや、大型店舗に行くこともあまりなくなった。
少し前なら、ヨドバシやビックカメラによく行ったものだが、最近は行かなくなってしまった。
これらは、ネット店舗もあるので、そちらを利用することはある。アマゾンで買うより安いことはしばしばある。

昔、「ハエ男の恐怖」という空間瞬間移動をテーマにしたSFがあった。これはリメイクもされてThe Flyという映画になった。
リメイク版は、少し現代的になっていて、コンピューターで全要素を分析し、一方で再構成するというような仕組みを謳っていた。
このアイデアは今では、3Dプリンターのようなものがあるから、実現してしまったというべきか。
もちろんThe Flyの仕組みなるものはやはり無理がある。w

このような物流システムは、現代ではまさに先端的な情報システムが使われている。
かなり大規模なシステムを業者は使っているが、現場の末端では、リアカーになるというのが現実なのである。
アマゾンは、ドローンを使った配送など、実験的なことも考えているようだが、これだと少し重いものは運べない。やはりリアカーが最終的な解なのだろうか?

せめて、配送用の自転車は全部、アシスト自転車にするくらいのことはしたほうが良いと思う。
そのうち、配送はやはりロボットカーで行うようになるのではないかと思う。
いつのことになるかは、分からないが。

私が思うには、これほど宅配がふえてくると、受け取り側の仕組みに工夫が必要ということだ。
いちいち、ピンポンを押してハンコだサインだではなく、受け取り側で大きな郵便ボックスを用意しておき、アマゾンへ発注したら、そのボックスのコンピューターに受け取りIDのようなものが自動登録される。
配送側は、バーコードを入れると、自動的にIDが照合され、受け取りしたという証拠になるといった寸法だ。
一戸建ての家なら、そういうスペースもあろうから、可能だろう。





posted by libertarian at 14:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Replace Central bank with Computer

中央銀行制度というのは、おそらく過渡的なもので、そのうちコンピューターで置き換えられるかもしれない。
これは今でもやろうと思えば技術的には十分にできる。
統計データさえ正確にインプットすれば、インフレターゲットをどのように実行するかはコンピューターの方が正確にできるからである。

金融政策に政治性がなくなるほうが、政府の存在は中立なものとできる。
組織としては、統計データを集める部署だけが必要ということになる。
日本の中央銀行、日銀は財務省の下部組織にして、政府のコントロールを一切受けない違法な組織であり、政治的な道具として悪用されてきた。この被害はあまりにも甚大だ。日銀法の是正は未だに喫緊の課題だ。

インフレターゲットの値は政治的なプロセスの結果となるかもしれないが、金融政策そのものは、政治的な権力とは独立した、機械的な作業にしてしまうのがよいだろう。
金融”政策”というよりも、単にこれは通貨発行量を決めるだけの作業に過ぎないからである。
政策性はインフレターゲットの値の決定にのみ存在する。

このような状況になると、どうなるだろうか。少なくとも市場は中央銀行の発表に右往左往することはなくなるだろう。
また市場はコンピュータ化された金融政策の裏をかくことができるだろうか?
裏をかくとは、矛盾を突くことなので、アルゴリズム化された金融政策の裏をつくのは難しくなるのではないか。




posted by libertarian at 10:13| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

STAP and Media Lynch

今年、最もいきどおりを感じた出来事は、STAP騒動だ。
マスゴミによる重大な人権侵害犯罪により、優秀な研究者を自殺にまで追い込み、NHKをはじめとするマスゴミは謝罪どころか、まだ、STAPの犯罪なるものを喚きたてている。
今のマスゴミの40代は学校でいじめが流行った世代で、それを大人になっても繰り返しているのだろう。

ネットで調べると、ほんとに愚劣ないじめ記事だらけであきれる。小保方さんも、ほんとに自殺しかねないから、誰かがケアしてあげなければ危ない。こういうマスゴミによるメディアリンチは、ネットによって、増幅される。
このようなメディアによる違法な人権侵害をどうして放っておくのか理解に苦しむ。
これで、日本の科学界も大きな打撃をこうむった。科学の自由も正統性も踏みにじられた格好だ。
理研の対応もあまりにも悪かった。
現代のマスゴミに対する危機管理ができていなかったのだろう。
またマスゴミのような巨大メディアによる重大な個人への人権侵害が司法の場で断罪されないことも今後に残る問題だ。

ネットで見る限り、武田邦彦氏が一人、STAPの研究者を全面的に擁護しているが、武田氏の見解が正論だ。
ここから引用→
すでに示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つである。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。

3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

====

今回の事件では、日本人の民度の低下というものを感じざるを得ない。

posted by libertarian at 00:39| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月21日

Drop Handle

自転車に乗っていると、まだまだ改良の余地があると感じる。
しかし、たかが自転車とはいえ、一から自作するのはかなり敷居が高い。
いろんな工具が必要だし、溶接にいたっては、普通できないだろう。w
そこまでするのは、ホビーユースでは、どうしてもコストベネフィットが合わない。

最近、特によくないと感じるのは、ロードバイクの定番ともなっているドロップハンドルだ。
これもいろんな形状があるにはあるが、私はドロップハンドルは間違っていると思う。
スピードを追求するロードバイクならば、トライアスロンバイクのエアロバーみたいなのが良い。ドロップは合理的でないが、おそらくUCIの規定でドロップハンドルを使えとなっているのであろう。

ドロップハンドルの最大の欠点は、大して空力がよくなるわけではないのに、視界が物凄く悪くなることだ。どんなに首をあげて上目にしても悪くなるものは悪くなる。視界が悪くなることによる安全性の低下は致命的である。
レースならいいが、一般的な使用には全く不適切である。
ドロップハンドルに最適化したSTIレバーもよくない。
Diのように変速機を電動化するなら、エアロバーのようなものでこそ意味があるだろう。

自転車業界というのは、市場規模的には中規模なのだろうが、あんまり進歩のない業界である。
ロードバイクの世界はUCIというオリンピック委員会のような怪しい団体が仕切っているようだが、実にくだらない。
一般市場的にはミーハーな連中がほとんどだから、スター選手にあこがれて同じバイクが欲しいといった程度のニーズばかりなのかもしれない。w

自転車というのは、筋力があれば瞬間的には50−60kmh出せても、長時間の巡航となると、平坦な無風条件でせいぜい頑張って平均30kmhが限界だ。ロードバイクもママチャリで走るのとあまり変わらないといえば変わらない。w
軽量なロードバイクは、あまり風圧が高くならない25kmh位までの加速感で有利だろうが、それ以上になると風圧が相対的に大きくなりすぎて、効率ががくんと低下するのである。


posted by libertarian at 23:26| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

Candidates

映画「立候補」を Gyao の無料放送で観た。

なかなか面白かった。非常によく出来たドキュメンタリーだ。
言っている内容はともかく、泡沫候補は陽のエネルギーがある人達とは感じる。w
というか、集団に埋もれて安心するタイプとは正反対なのだろう。
リスクテイカーは、必ずしも合理的な人間ではないが、非合理な人間ではない。



posted by libertarian at 10:38| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月12日

Exploit Machines

人間が機械を利用するとき、人間は機械をある意味、搾取しているともいえるかもしれない。
昔の西洋社会は奴隷を使役させ搾取していたが、産業革命以降、機械が普及することで奴隷の経済性が劣ってきて、奴隷があまり必要でなくなったということもあるらしい。
洗濯機やブルドーザーや工業機械は、擬人的でないから搾取という感じがないが、これがロボット、AIになると搾取している感が出てくる。
工業用機械はメンテも必要で、道具と言った方がよい。

しかしAIとなると、人間様にしかできないと思われてきた事をずっとうまくやるようになる。AIはSiriみたいに擬人的な存在にもなる。
これは道具を超えたもので、人間は機械からより多くのことを搾取できるようになる。
搾取は適切な言葉でないかもしれないが、要するに人間がやっていた労働を機械に肩代わりさせることができるようになる。

レイ カーツワイルが予測する2029年のシンギュラリティが来た場合だが、AIの意識とか感情といったよく取り上げられる問題はあまり興味がない。こういったものはそもそもその定義が明確でないため、どうとでも議論可能だろう。
私が関心があるのは、人間の知能を大幅に超えてしまうというマシンは、未解決の数学問題を解くことができるだろうかということだ。

今でも、Mathematicaとか数式処理ソフトはあるが、それと証明はまた別だ。
未解決の問題の証明でなくても、ユークリッド幾何学の証明問題でもいい。
こういったことが、特別なプログラムをすることなく、マシンが勝手にできるようになったら、ほんとに人間のすることはなくなる。w

チェスでアドバンスドチェスという人間とコンピューターがタッグを組んで、戦うゲームがある。提唱者はあのカスパロフらしい。
電王戦でも同じようなことをやっているが、プロ対プロでやるのではなく、プロ対アマでやらないと意味がない。
アドバンスドチェスでは、プロとマシンのチームよりも、アマとマシンのタッグの方が良い結果になることも多いらしい。
人間が下手に考えるよりも、マシンの手を考えずに選ぶ方がよいということか。

ここでは、人間の知性が邪魔になっているわけである。下手に考えるよりも、機械任せのほうが効率がいいということになる。
こうなると大学のような専門教育の意味はますます希薄化していくかもしれない。

こういう人工知能の社会を描いたSFとしては、昔の手塚治虫や、藤子不二雄のマンガが素晴らしい。
来るべき人工知能社会を適切に描いているようにも見える。

私が思うに、未来社会では人はどんどん働かなくなるのではないかということだ。
今、教育期間が長くなっているのも、要するに働かなくてもよい期間が長くなったということの裏返しだ。昔は機械から搾取できなかったから、丁稚にでたりして子供のころから働いていた。
機械が進歩するにつれ、人間が働くトータルの量はどんどん減っていくのではないか。
優秀な人ほど忙しいというのはおそらく事実だが、普通というか特に優秀でない人は働かない期間がながくなっていくだろう。
そうなると、暇を持て余すことを心配するかもしれないが、AIは、最高の奴隷として、人を退屈させたり孤独を感じたりしないように尽くしてくれるのだろう。

とはいえ、そうなると人間はどこでお金を手に入れるのかというのも素朴な疑問として残る。
グーグルのようなAI企業ばかりが儲かるようになるのであろうか?

社会的に人間とは財産権をもつ存在であり、逆も真なりで財産権をもたないものは人間とはみなされない。
奴隷は財産権がないから、人間とはみなされていなかったということである。
犬や猫、牛も羊も財産権がないから人間ではないのだと言っても間違いではない。
もし、彼らに財産権があれば、ほとんど人間様と待遇は変わらなくなることは間違いない。w
共産主義社会では、財産権を認めないから、国民全員が国家という得体の知れない存在の奴隷になるという悲惨なことになった。実際、人間扱いされなかったのである。ロシアでもカンボジアでもシナでもそうだ。

ロボットも財産権がないから、どんなに優れた知性を持っていても、人間ではない。チューリングテストに合格しようが財産権がないと人間ではない。チューリングテストに合格しない人間もいるだろうが、彼らが社会的に人間であると認知されるのは、財産権があるからかもしれない。

posted by libertarian at 13:43| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Reducing Tax

今回の衆院選挙では増税の延期が焦点ではあるが、増税の延期ではなく、停止がよいこと、さらには減税がもっとよいことは言うまでもない。
増税の延期というのは、焦点としては確かにインパクトがない。
減税をぶつけてくる野党があれば、よかったがないようだ。

と思っていたところ、こないだ郵便入れに投げ込まれていた、幸福の党のパンフレットに目を通したところ、消費税を5%に戻す減税が謳われていた。
怪しい宗教団体と思っていたが、意外と言っていることはまともである。w
教祖がちゃんと高橋洋一氏の本を読んでいるらしい。w

しかし、公約というのは民主党が破りに破ったから、公約に対する世間の信頼度はもはや0であろう。
このことは、もっと問題にしないといけない。公約とはどれだけ拘束力があるものなのか法的にも怪しい。公約を担保する法律などないだろう。約束とか契約は重要なものだが、それを政権政党が無視する慣習があっては話にならない。

だから、日本の政党の公約というのは、約束でも契約でもなんでもない、全く無意味なものになっている。
これでは、選挙の意味も薄れてくるわけだ。


posted by libertarian at 10:17| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月06日

Google Tax?

英国のジョージ・オズボーン財務大臣は、いわゆる「グーグル税」を新設する方針を発表した。多国籍企業が英国で得た利益に対して税金を支払わない「租税回避」を阻止することが目的だ。
====

イギリスが、クラウド企業に対して課税するというニュースだが、これは可能なのだろうか?
例えばグーグルが現地法人を引き上げれば、課税する方法がなくなる。
そうなるとかえって困るのはイギリスだろう。
税金を払わないと、国民にグーグルを使わせないなんてことも不可能だ。
もし全ての国が歩調を合わせて課税することになったら、さすがに税を払わないわけにはいかないだろうがそうはならないと思う。

クラウド企業に対する課税が困難なのは前から言われてきたが、これをリバタリアニズムと結びつけて論じられることもある。
国家が徴税能力を失い、クラウドがサイバーな独立国のようになるのではないかという話だ。
だが、今のところクラウド企業の規模は大きいとはいえ、全体の中ではごく小さいものである。

だが、クラウド企業のようなものが今後さらに成長するのは間違いない。これらはもはやベンチャーではなく、安定した大企業である。
クラウド企業にはデータが集積しこれらは次世代のAIの原料となる。
実際、AIの世界はもはや未来の話ではなく、今おこりつつあることだ。
AIといっても、弱いAI,weak AIだが、これが急速に使い物になりつつある。
Siriのようなものもそうだ。
自然言語処理の技術が急速に進歩してきている。
現在、自然言語処理の研究者は欧米では半分くらいがクラウド企業に就職、転職しているらしい。
クラウド企業が抱えるビッグデータは、AIにおいて重要な原料となる。

そのうち、アップルやグーグルといったクラウド企業はAI企業に変わっていくだろう。
IBMもそうなるのかもしれないが、吸収されるかもしれない。w


posted by libertarian at 20:21| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Coming Election

Yahoo! JAPANビッグデータレポートによる選挙予想

これを見ると、共産党が議席を伸ばすとある。
実際、共産党の主張は増税をやめ、脱原発だから、今回の焦点では、自民以上にまともである。w
脱原発問題は焦点とはいえないが依然、重要な問題だ。
私は民主は壊滅するのではないかと思っていたが、この予測ではなぜか議席を伸ばすとある。

まあ、かなりあてにならない予想と思うが、TVででたらめな解説がしつこくされているようだから、今回の選挙の焦点の意味がどれだけ理解されているかというのは怪しい限りだ。問題が複雑だと焦点もボケる可能性がある。というか、マスゴミがデタラメ情報の洪水を流して問題を混乱させようとしているのだろう。
特に朝日にとって、安倍内閣は鬼畜米英だから必死だ。

しかし自民はもっと議席を伸ばしても不思議ではない。第3極なるものが、ほぼ壊滅しているのでこの票はどこにながれるかだが、民主に流れるとは思えない。やはり自民に行くのではないか。

このヤフーの予想はビッグデータ予想とかいうが、なにがビッグデータ予想なのか?おそらく、ネットの情報をみているのだろうが、手法もなにも明らかでないから、相当に怪しい。ネットの情報、特にtwitterとかSNSの情報はデータは多くても母集団からはかけ離れている事が多いのである。

#この手法はよく見ると書いてあった。

データには検索キーワードを使っているようだ。前回の選挙ではかなり正確に当てたらしい。

かくいう私も、どんな人が自分の所から出ているのかまだ知らない。いままでは、みんなの党をひいきにしてきたが、無くなってしまったので、意外と選択が難しい。
今回、増税廃止を言っているのが唯一共産党だけというのが、悩ましい。w

ちなみにヨーロッパでは、共産主義のイデオロギーを掲げる政党は法律で禁止されているらしい。これは長いこと東と西が冷戦下にあったわけだから当然であろう。
日本も、ずっとシナとロシアという共産主義に囲まれていて、共産主義政党を禁止しなかったのが、なんとも馬鹿げた話しではあるが、日本らしいといえば日本らしい。w



posted by libertarian at 18:56| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月03日

Low carbohydrate diet

炭水化物制限を再び始めた。
きっかけは、夏井睦氏の「炭水化物が人類を滅ぼす」を読んだこと。
この人の本は、面白くて読ませる。
かなり壮大な生化学に関する仮説を論じている本だが、こういった理詰めの推理というのは、意外と普通の研究者はやらないものだ。
特に、生化学は、物理学のように数学的なロジックが乏しいから、教科書に書かれたものをデファクトとして、覚えるだけになる。
今の教育はやたらと細かいことをただ暗記させる悪質なことを未だにやっているから、科学の本質である懐疑精神がなく研究者になる人間が多いと思う。
教科書に書かれている断片的な事実を合理的推論を駆使し論理的に組み合わせていくのは、難しいことである。
私も生化学の基本は勉強したが、いままでの断片的な知識がつなぎ合わされるのは非常に興味深いところだ。
夏井氏は、東北大の医学部をでた現場の医師で、博士号をもった研究者ではないが、もともと頭がいいのだろう。
というわけで、おすすめの本だ。

再び糖質制限をを始めたのは、太ってしまったこともあり、ご飯を食べた後の強烈な眠気に辟易していたこともある。
糖質制限をすると、眠気があまりないし、しばらく続けていると、いわゆる腹が減ったという食欲も抑えられる。
糖質制限を続けると、この食欲なるものは、糖質に対する中毒的な渇望に他ならないということが実感される。
ご飯やパンをとらなければ、食事後の満腹感、満足感もあまりなく、食事をした感覚も小さい。
だが、この満足感が糖質で血糖値が上がることによる、ある種の中毒症状なのだと気付く。

擦り傷の湿潤療法もそうだが、いままで常識として慣習的に行われてきたことが、大した根拠もない非科学的な慣習でしかないということが、まだまだ沢山あるのだろう。
従来の消毒という概念そのものが、非科学的な慣習にすぎないことは、もはや証明された事実と言ってもよいだろう。
食に関しては、それ以上に間違った慣習が多いと思われる。
というか、分かってないことがあまりにも多いのに、全て分かったように、ああすべき、こうすべきと自称専門家なる連中が適当なことを言いすぎているのが問題だ。

posted by libertarian at 10:53| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月28日

SS

秋も深まってきた。
自転車に乗るには一番よい季節である。
ロードバイクには、変速機というやや複雑なメカがついている。
変速機のメリットは多々ある。人間の脚力は人によってさまざまだが、その人の上限があり、その人がだせる適正な力加減というものがある。
変速機は、登りでも平地でもその人に適正なトルクで自転車を漕ぐことができるようにしてくれる。そして、変速機は加速効率も高める。

しかし、このところ、シングルスピードの自転車に乗っているが、これが面白い。
シングルスピード(ss)の自転車には、当然のことながら変速機がついてない。フリーもついてない。実にシンプルだ。
ssに乗っていると、フリーのついた普通の自転車とは乗り味が大きく異なるので、いろいろと発見がある。
 #フリー付のssは、ママチャリと同じだが、フリーなしのssは、ピストと同じである。だが、もちろんブレーキはついている。
ツーリングで長距離を走るのでなければ、ssの方が快適だというのが実感だ。

ロードバイクとssとの違いはあまりに大きい。
ペダリングで、ロードは加速しかできないが、ssは減速もできる。ロードのようなフリー付の自転車はペダリングを止めることができるが、ssは足を動かし続けていないといけない。
フリーがついているか否かで、物理的に大きく異なってくるようだ。

フリーのついてない変速機を作ったらどうなるだろうか?果たしてそれは可能だろうか?

posted by libertarian at 01:26| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

Prospect theory and Game

人間にはプロスペクト理論がいうところの心理的なバイアスがある。
これは人間である以上必然であり、必ずしも合理的ではないが、不合理ともいいきれない。
Wikiの解説を引用すると「人間は目の前に利益があると、利益が手に入らないというリスクの回避を優先し、損失を目の前にすると、損失そのものを回避しようとする傾向があるということである」
これは投資のような確率的行動の際には顕著に表れる。お金のかかったゲームでも同様だろう。

普段、人間は習慣の中で暮らしており、偶然的な要素を排除しつつ安定を求めて生きている。
一方、将棋や麻雀などのプロの勝負師と言われる人たちは、確率的な戦略を持っている。確率的な戦略をとることが、動的な安定をもたらす。

法律などのルールは、社会を安定化させるためにあるが、デフレのような社会状況になると、社会が不安定化するのでかえって法律ルールによる縛りが強くなるのであろう。この20年、コンプライアンスだなんだと、法的な縛りは非常に強化されてきている。
これは偽りの”法の支配”である。これによって社会が硬直化することによるデメリットの方が大きい。

事業を起こすのも、株式投資もリスクを伴う投機的行動だ。実業はリスクが少なく、投資はリスクが大きいと思われているが、現実はその逆かもしれない。
確率的な動的リスク対策をもつことが大事である。
存在しない静的な安定を求めるのでなく、リスクを動的にコントロールすることが大事だ。



posted by libertarian at 12:30| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

The art of siege

将棋の終盤戦は、寄せ合いと呼ばれるが、終盤が強い人とは詰将棋が得意な人ではなく、寄せがうまい人である。
詰将棋と将棋はやはり別物だ。詰将棋をやっていると、奇抜な手が多いので、実戦でもついその手の筋を考えてしまいがちだ。w
詰将棋は、将棋の学習としては頭の中で駒を動かす訓練という意味あいが大きい。詰将棋がうまくなっても必ずしも寄せの技術は高くならない。

多くの定跡書は、序盤の手順について詳しいが、寄せの技術に関する本は少ない。
詰将棋の上手い人が必ずしも実戦では、詰将棋ほどにうまくないのは、寄せと詰めが似て非なる技術だからだろう。
必至はまさに寄せの技術の根幹であるが、必至関連の本も少ない。
へぼ将棋は王手ばかりかけるが、将棋とは寄せるゲームだということを最初に教えてないからだろう。w

人間とコンピューターとの将棋を見ていると、ほとんどの場合、人間は一方的に負けるが、この差は寄せの力の圧倒的な差と思う。
一方、コンピューター同士の対戦だと、ぎりぎりの寄せ合いになることが多い。これは棋力が拮抗しているからだ。

寄せあいでは、自玉と相手の玉が詰めろか否かを常に正確に判断しないといけないが、この力がやはりマシンは圧倒的に強い。
終盤では、読みの量と深さの圧倒的な違いが出てくる。何手も先の局面で自玉が詰めろになっているか、相手玉に必至がかかるかなんてのは人間には判断できないが、コンピューターには今の局面も数手先の局面も違いはない。
おまけに人間は、相手の玉の詰めは熱心に考えるが、自玉の状態について考えるのは面倒くさいというバイアスがある。少なくとも心理的にイーブンというわけにはいかない。>これはプロでもそうだろう。w

posted by libertarian at 10:37| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月20日

The end of Shogi

将棋とはいったい何を目的とするゲームだろうか?
もちろん相手の王様を詰ますことが目的、つまり勝利であるが、詰まし方にもいろいろある。ほんとは詰まないのだが、逃げ方を間違えて詰んでしまうケース。
実戦では、これはプロでも頻繁に起こる。本当の詰みとは、どう逃げても応じても詰んでしまうことで、この時、相手の玉は必至の状態である。詰将棋の問題は全て必至の状態だ。(但し詰将棋はどう応じても同手数内に詰むという制約のある作品)

つまり、相手の王様を詰ますとは、相手の王様を必至の状態にするということともいえる。必至の状態にしたとき、自分の王様が詰めろでなければ勝ちである。
自玉が2手隙以上の状態で相手玉を必至の1手隙状態にするのが将棋の正統的な勝ち方である。
そして、相手に手番を渡す。この時、自玉が必至状態で、相手に即詰みがないことを理解したら、最後まで指さずに投了するのがプロの美学だろう。

実戦では、局面が複雑化して、この何手隙かの判断が難しい。
いわば、将棋には、王手という0手隙、詰めろの1手隙、必至の1手隙、その他2手隙以上の4種類があると分類できる。
王手は絶対手だから、必ず応じなければいけない。詰めろの状態に自玉があれば、相手を即詰みにするか、詰めろ回避をしないといけない。必至なら、相手玉を即詰みにしないかぎり投了だ。
序盤中盤終盤といった分類で、終盤は詰めろがかかった状態からと考えてもいいかもしれない。王手は序盤でもかけられるが、詰めろは終盤にならないとかからない。

ちなみに、詰めろと必至は正確には意味が違うので区別しないといけない。
単なる詰めろは、応手によって詰みを回避できる場合もある。必至とは詰めろでかつ詰みをどのように応じても回避できない状態である。
実戦では詰めろと王手をかけて迫りつつ、相手に駒を渡し、詰めろが途切れ2手隙状態になった時に、自分の王様が即詰みになるか、王手と詰めろから必至になってしまうことが多い。
将棋の勉強として詰将棋をやれとよく言われるが、必至の本はそれに比べると非常に少ない。私が思うに詰将棋よりも必至の勉強をした方が、実践的であるし、即詰みの前に必至ありという将棋のゲームの本質の上でもよいと思う。

コンピューター将棋は、詰み発見アルゴリズムで、詰みがあるかは多くの場合で分かるようだが、意外と必至のアルゴリズムはまだまともなものはないらしい。将棋が必至を掛けるゲームであるとするならば、コンピューター将棋に必至アルゴリズムが欠如しているのは、まだ未成熟だということではないだろうか?
posted by libertarian at 20:51| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

Election for the consumption tax 2

昨日、安倍首相が解散総選挙を宣言した。
そのスピーチを見ると、次の点が非常に気になる。

「来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後にさらに延期するのではないか?」といった声があります。再び延期することはない、ここで皆さんにはっきりと、そう断言いたします。平成29年(2017年)4月の引き上げについては景気判断条項を付すことなく確実に実施します。

安部さんのやることは、やれば100点取れる学生が周りに気兼ねして合格ギリギリの60点の答案を出してくるようなイメージがある。
2017年に景気条項を付すことなく確実に増税を行うということであれば、消費税増税に対する国民の意思を問う選挙でなく、来年予定通り上げるか否かを問うという非常に限定的な意味合いの選挙になる。

おまけに、2017年の景気などまた何があるかわからない。リーマンショックみたいなことがないともいえない。景気判断条項を廃棄するというのは、その点でも大変、危険である。
さらに、思惑通りに消費税延期によって景気が急回復してGDPが急上昇すれば、当然に政府のプライマリーバランスもかなり回復しているはずで、そうすればいわゆる”増税の大義”なるものもほとんど消滅している可能性も大きい。それでも増税ありきというのはナンセンスきわまりない。
だから、自民に対抗するには、増税の無期限延期と減税を公約に掲げればいい。それしか安倍自民に対抗する公約はない。

そもそも本来はプライマリーバランスが回復するまでに、金融緩和と同時に減税を行うべき局面である。
もとより減税という財政政策に優る財政政策は存在しないのである。
公共投資を財政政策と称して、無責任な役人に金をばらまかせれば、今まで通り金をドブにすてるだけである。
財務省は、そのドブに捨てる金を配分するのがその権力の源泉だから、増税にこだわり、財政再建には本当のところは関心がない。
このカルト省庁は、どうにかしないと日本はまた大東亜戦争の時の大本営と同じような狂気の亡国政策を画策しつづけるだろう。

ところで、減税を財政政策の一つとして見るマクロ経済的な観点が、リバタリアンには欠如しているのは問題だ。
リバタリアンは、減税はよいことで、財政政策は悪いものという頭があるが、マクロ経済的には減税とは財政政策である。
財政政策には、個人に金を”残す”方法と、役人に金を一旦集めて、中央集権的に金を使う2つの方法がある。
そして有効な財政政策は、減税政策しかない。中央集権的な財政政策は社会主義同様に必ず失敗する。

posted by libertarian at 22:05| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

Kindle paperwhite

先日、kindle Paperwhiteを手に入れた。
4000円と安かったので、思わずポチッた。
しかし、読みやすさという点では、普通のiPadやアンドロイドのカラー端末で読む方がやはり読みやすい。
白黒のペーパーホワイトは、反応性が劣るし、カラーがないというのは大きな制約条件でもある。
一方こちらのメリットとしては、お日様の下で読む分には、カラー液晶よりはっきり見えること。軽いこと。サイズも小さめな点。バッテリーの持ちも比較的よい。といったことか。
いずれにせよ、この値段であれば、買っても損ということはない。

Kindleは、iPodのようにアルバムを持ち出すのでなく、ライブラリーを丸ごと持ち出せるというのがメリットで、この感覚はとてもよろしい。
将棋の本などももっとKindle化するとよいと思う。
私は、web上のpdf論文などをkindleフォーマットに変換して、kindle上で読んでいる。この機能は非常に便利である。
使い方は、自分のkindleメールアドレスへpdfを添付して変換というタイトルで送るだけ。
これを知るのと知らないのでは、kindleの価値が大きく変わる。
特に英語論文のpdfの場合は、辞書機能も使えるし、便利なことこの上なしだ。pdfはいわば画像のような固定フォーマットなので、pcの大きいディスプレイ上で読むのでさえも少し面倒だが、キンドルの可変的なフォーマットになると非常に扱いやすいわけである。


posted by libertarian at 08:29| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

Election for the consumption tax

安倍さんは解散総選挙をやるようだ。選挙の正しい使い方を知っている。
腐りきった財務省支配を打ち砕くには、こういった選挙システムを使うしかない。小泉さんが郵政選挙をして大勝したように、今回も消費税増税に焦点が絞れるから、大勝するだろう。場合によると、その時よりも大勝する可能性がある。

デモクラシーの最大の武器が選挙システムにあるというのは事実だろう。システムが暴走してどうしようもなくなったら、リセットスイッチを押すしかないのである。
総理大臣には法的な決定を覆す権限は当然ないが、解散総選挙というリセットボタンを押す権限が与えられており、民意を問うことで国の方向を修正するチャレンジができる。
昔は膠着し機能しなくなった腐った体制を変えるには、革命のような暴力的手段しかなかったが、それを法的なプロセスとして制度化したのが近代のデモクラシーの優れた点といえよう。

しかし戦後政治で、このデモクラシーの仕組みが正しく使われたのは、小泉郵政選挙と、今度の安倍消費税増税選挙くらいしかないかもしれない。
マスゴミがどんなにネガティブキャンペーンを張っても、意外と国民は正しい選択をすることが分かったのが、小泉郵政選挙だった。
おそらく、自民は大勝し、安倍政権は安定基盤を得る。
ここで増税派の議員が大量に落選すれば、財務省の息のかかった族議員が失職し、政治の色が一変するだろう。
これによって、増税によって失速し、再度墜落しそうだった日本経済が持ち直せば、財政赤字問題なる偽問題も消滅することになる。

しかしこの財務省という日本最大の利権カルト集団はなんとかならないものか。異常極まりない亡国のカルト集団としかいいようがない。
日銀の黒田も、財務省族だから、基本的に危険人物である。先日の金融追加緩和も遅きに失したものだが、黒田の意図は増税を支援するためだったというトンデモぶりだ。
日銀法の修正も依然として重大な課題だ。

今度の選挙は日本だけでなく21世紀の世界の方向を決めるかもしれないくらいの超重大な選挙になるだろう。
posted by libertarian at 03:11| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

R value

将棋の世界は強い人は若いころから強く、かなりの年齢まで強いままというケースが多い。
大山名人が典型だが、これもコンピューター将棋と同じくR値に換算することはできる。
レーティング値は、若い時点である点まで行き、そこでほぼプラトーになるのであろう。
おそらくA級棋士でRが2800以上くらいではないか?羽生名人がR3000くらいとすると、タイトル独占といったことが可能になる。
そして若いうちからR値が高い人だけが、順位戦のクラスを駆け上っていくことができる。

トップのコンピューターソフトはR3700くらいあるようだが、こうなるといかなるプロでも番勝負で勝つことは無理だ。
人間の棋士は、自分にとって分かりやすい将棋を指すが、コンピューター将棋は、中終盤で自分に分かりやすく指すわけではなく、ひたすら相対的に善い手を探索している。そこが一番の違いだろう。
いわゆる定跡というのも、人間が思考を省略するためのものだ。もはやコンピューターは定跡など必要ともしない。

人間の分かりやすく指す行為とは、複雑なものを単純化する行為だが、多くの場合、単純化しすぎてしまうのだと思う。
コンピューターは複雑なものを複雑なまま処理してしまうのが、人間との大きな違いである。
問題は、人間は抽象化され単純化されたものから学ぶが、複雑なものを複雑なまま処理してしまうコンピューターから学ぶことができるのかという点だ。学ぶ=まねることはほぼ無理だろう。その点、ソフトは人間とは異次元だ。
もしかしたら、コンピューターの評価方法を一般化単純化できるのかもしれない。
ただ、そうしたところで、将棋を指すという行為が、暗算選手権のようなものになるだけかもしれない。

コンピューター将棋ソフトは、人間なら早い時期に到達するプラトーにはまだまだなっておらず、年々R値がうなぎ上りだ。
来年はR値4000超えのソフトもでてくるだろう。
posted by libertarian at 09:38| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

Denousen

本日は電王戦を見て過ごした。3連休は電王戦三昧となる。w
今回、注目はやねうら王だ。
この作者は凄い才能の持ち主のようで、ボナンザ方式が多い将棋ソフトとは一線を画しているようだ。詳しいことはわからないが。

そもそも今の上位の将棋ソフトはR3500以上あるわけで、プロであろうと人間が番勝負して勝てるわけがない。
羽生名人であろうと、ポナンザと7番勝負をすれば、よくても1−4くらいで負けるのではないか。
羽生名人が最強の人類としてもRは3000程度ではないだろうか。かりに3200あったとしてもやはり上位ソフトとは手合い違いということになってしまう。
人間の暗算の達人は確かに超人的だが、コンピューターとは勝負にならないのと同じようなものである。

ソフトの中終盤は、人間の将棋とは異次元という気がする。かつて羽生名人は終盤は誰が指しても同じと言っていたが、たしかに詰みがある局面では正しく指せばだれでも同じだが、ソフトの中終盤を見ていると人間のそれとは次元が違う。目が覚めるような手が連発して面白い。

将棋のようなゲームはアナログな要素が強いと思われていたわけだが、結局のところ、それはデジタルに還元されてしまったということか。
posted by libertarian at 23:43| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする