2014年10月29日

Politics and Marketing

021でピーターティールが書いているように、世の技術屋、おたく、理系の頭のよい人間はマーケティングを軽視しがちだ。
自分が嫌いでやりたくないから軽視するのだろう。しかし凄い技術があれば客がよってくるというのは、かなりレアなケースだ。(青色LEDとか)
何が正しい論理か、何が凄い技術かに価値を置くおたくたちには、セールス、マーケティングなんてものは、汚れた、口先三寸のものであり、近寄りたくもないだろう。
だが、セールスやマーケティングは重要であり、これができなければ、よいアイデアも商売としてはなかなか成功しない。

セールス、マーケティングは政治的な技術といえる。逆もしかりで、政治とはセールス、マーケティングに近い。
そこでは何が正しいかではなく、何が支持されたかとか、シェアといったものだけがものをいう世界である。論理よりも、イメージが決定的だ。
それは少数の人間がマスを動かす技術である。
そしてマスコミはプロパガンダ機関であり、マスコミと政治の関係は持ちつ持たれつの関係にある。

それに対して、法律は本来、多数決やシェアよりも、真理やJusticeを重んじるものと考えられる。
その点、理系のおたくの世界に通じるものがある気がする。
法律家には、頭脳優秀な法律オタクというのが多い。w
この点は本来の理系の世界に近いものがあるかもしれない

いわば、政治とはリアリズムであり、一方、法律とか科学というのは規範的なものだ。
しかし日本は公務員大学教員の世界は、科学でもなんでも政治の一部となってしまう傾向がある。
これは昔よりも、最近の方が顕著なのかもしれない。原子力村、地震村、経済学村といったものは、科学の規範をかなぐり捨てて、政治に隷属している。

シナのような恐ろしく野蛮な世界では、どんなに優秀な人間でも政治に飲み込まれてしまうのだろう。シナではリアリズムがなければ、生き延びることができない。そこでは科学のような規範的な理想主義は追求しがたい。
せいぜい政治から逃れて、隠棲するというのが古来よりシナの知識人のあり方であった。





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2014年10月28日

Impression is always wrong

自転車に乗っていると機材に目移りする。
カメラに興味が出ると、レンズに目移りし、自転車に乗っていると自転車に目移りし、コンピューター使っているとコンピューターに目移りする。
こういうのは単なる物欲なので、手段と目的が逆転してしまっている状態である。
実に愚かであるが、手段を目的にするのも、そこに工夫やら創意があれば悪いこととは言い切れない。
単に、いいもの=高いものが欲しくなるのは、愚かな物欲だが、機材の不満を解消すべく、創意工夫を入れて頭を使って何か作るのであれば結構なことだ。

そもそも、レースなどの競技を目的とするのでなければ、自転車に乗るというのはほとんど目的らしきものがない。健康の為に乗ると言っても、それは結果であり、そんな漠然としたものはインセンティブにはなりえない。そもそも自転車やスポーツには事故というリスクも結構あるから、健康というプラスばかりでもない。というか事故をおこしたら健康どころの話ではないのだ。
ジョッギングと同様に気分爽快になるのが、直接のインセンティブの一つだが、実は機材をいじるのも、結果、効果がすぐに分かるのでわりとインセンティブが高いことなのである。

また自転車は工芸品として見て楽しむ要素もあり、クロモリフレームなどは工芸品そのものだ。
私は少しでも速く走ろうといった野心が全くないから、クロモリフレームしか興味ないが、これもデローザだコルナゴだ、トマジーニだ、ケルビムだなんだと美的な価値の高い奴についつい目が行く。だが、冷静に考えれば、そんなものは傷つけるのが気になって乗る気がしなくなること必至だ。それでも、美術品と考えればリーズナブルな値段の置物かもしれない。w 最高級の美術品自転車でも100万円もしないだろうから。

ある程度、クロモリフレームを乗ってみると、フレームの性能の違いと思っているのが、実はホイールの違いだったりする。
雑誌で自転車のインプレッションなんかが書かれているが、ホイールもタイヤも全然違うものをつけて、比較しようというのが土台無理な話で、ああいったものは適当な作文に過ぎないのである。

スポーツ関係は、インプレッション評論がやたらと大手を振るっていて、書かれている内容は、物理学の初歩の初歩も分かってない筋肉バカが偉そうに適当なことを書いているだけというのが多い。個人的なインプレッションなら、何書いても間違いではないと思っているのだろうが、間違いは間違いであり、間違いだらけなのだ。
所詮、彼らには、力学は難しすぎ、理解できないのである。いかに学校教育が有名無実なのか、これを見ているだけでもよくわかる。
それを読んで、間違っているとも分からずに、ふむふむと読んでいる読者も多いから、そういった記事が無くなることも減ることもない。w

ところで、日本の大学のレベルの酷さは、かなり問題だ。原子力村ばかりではなく、経済学村、地震村、火山村というのもあるようだ。
かれらは、権力に魂を売って、でたらめなことを平気でほざき、日本社会を構造的にダメにするのに貢献している。
原子力村も犯罪者集団だが、経済学村は場合によってはそれ以上に破壊力のある暴力的な犯罪者集団といえるかもしれない。





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2014年10月21日

Entertainment

本というのは音楽や映画と同じで、沢山作られているが、自分が面白いと思う本はかなり稀である。
今は映画もほんとにつまらなくなった。マンガみたいな面白さはあるが、その程度だ。
金と手間暇かけて、なんでこんなにつまらないものばかり作るんだという気がする。
基本的に、娯楽作品に期待するのが間違いで、娯楽と言うよりは暇つぶし程度のものだ。

最近は、娯楽といえばもっぱら将棋観戦だ。将棋を見るためにniconicoの会員にもなっている。
さらに将棋ウォーズなども、観戦する。
しかし、将棋は見るばかりで、自分ではほとんど指さなくなった。w

一番面白いのは、人間の強豪とコンピューターとの対戦だ。
既にコンピューターはプロをも遥かに上回る力を持っている。おそらく、羽生名人であっても番勝負すれば勝てないだろう。
終盤の読みと力は、人間のトッププロと比較しても既に手合違いというレベルだろう。
コンピューター将棋の中終盤の手順の精妙さには、感心することしきりである。

将棋ウォーズなど見ていると、プロなのかそうでないのかわからないが、やたらと強い人が結構いる。
コンピューター指しでは必ずしもないようだ。
#だが、棋神が使えるので、ところどころコンピューター指しになっているのかもしれない。
いずれにしても、一般の人の棋力もネット対戦できるようになって、かなり上がっているkとは間違いない。
裾野が広くなると同時に、飛び抜けた棋力の人も増えてきている感じだ。

niconicoでは、将棋がかなり流行っているようだが、この手の番組というのは、飽きることもなく、よい娯楽といえる。
将棋のプロに対しては将棋の内容に感心するよりも、解説のうまさ、話のうまさに感心することの方が多くなった。w
解説とトークはまだマシンにはできないだろう。





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2014年10月19日

Recumbent

自転車という乗り物は、かなり完成された形態とは思うが、それでも乗っていると、いろいろと不満や疑問を感じる。
前から興味が有るのが、リカンベントだ。これは、前面投影面積がロードバイクよりずっと小さくなる構造なので、平地であればロードよりもずっと早く走れる。

ロードバイクは車体の軽量化とかに皆さん血眼になるが、それは大変に非科学的である。
車重は路面との転がり抵抗に比例的に作用するが、あくまでそれは(自分の体重+車重)に対してである。
今のロードバイクは10kg以下のものが多いから、10kgもダイエットすれば自転車まるごと軽量化したのと同じだ。
つまり、自分の体重を減らす努力をしたほうが、ずっと効率的なのである。w

もとより、自転車のうける抵抗としては、ほんの30kmくらいのスピードになれば、抵抗の8割以上は空気抵抗だ。35kmも出せば9割以上だ。
路面抵抗は一定だが、空気抵抗は速度の2乗に比例して増大する。
だから、ロードバイクはもっと空気抵抗を減らすように進化するべきだと思うのだが、エアロパーツとか雀の涙のような空力向上くらいしかされていない。それも多分にマーケティング程度のウリ文句にすぎない。
具体的には、フードのようなものをつけるのがよい。それで多少重くなっても、空力が向上するほうがスピードはでる。
ただ、自転車は風で人体を空冷するのも大事なので、風を遮りすぎてもいけないだろうが。

リカンベントの場合、その点、実に合理的である。車重が多少重くても、平地なら圧倒的に有利なのである。
だが、車の横をあのようなゴキブリのような格好で走っていたら、ダンプに踏み潰されても文句はいえない。w
そこで、セミリカンベントともいうべき自転車がタルタルーガとかから出ているが、これなら、あまり抵抗なく乗れそうな気がする。
前面投影面積がどの程度、ロードよりも小さくなるのか少し疑問ではあるが、小さくはなっているだろう。



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2014年10月18日

Eruptiion of Mt.Fuji 2 : Seismic eye

木村政昭氏(琉球大 名誉教授)の本を2−3冊読んだ。
木村氏は、東日本大震災の予測なども、次々と当ててきた人らしい。単なる予想ではなく、きちんとした理論がそこにあるのである。
ごく簡単にいうと、プレートの運動によって、地殻は弾性体のように振る舞い、初めに火山活動が活発化する。地下のマグマがプレートの圧力の上昇で噴火するわけだ。その後に大地震が起こる。つまり、噴火活動と大地震には相関、因果関係があり、噴火活動は大地震の予兆現象として見ることができる。地震の発生を、木村氏はSeismic eyeの出現という形で具体的に計測を行い地震予測を行っている。

1986年の三原山噴火の時も、木村氏が強く提言することで島民の避難が事前に行われ、死傷者がでなかったそうだ。
実に偉い人物である。
日本は、この重要な地震や火山噴火の分野が完全に原子力村と同じような村社会になっていて、無責任きわまりない腐った体質にあるようだ。
木村氏のようなまともな学者は、日本の官僚主導の腐敗した村社会の学会の中ではアウトサイダーなのだろう。

この木村氏のサイトが次にある。

富士山の噴火は2015年頃の可能性が高い。来年だ!

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2014年10月17日

Power and Speed

ロードバイクに乗っている時に出している力をワットで表すと、スピードで大体次のように変化する。

15km 25w
20Km 50w
25km 80w
30km 130w
35km 200w
40km 280w
45km 400w
50km 530w

しかし、実際は、この4倍のエネルギーを出している。なぜなら人間のエネルギー効率が25%程度だからである。
つまり、100wの運動をするには、400wのエネルギーが出ており、300wは熱として発散される。
このため、いかに熱を放出して体温の上昇を抑えるかが重要になる。

20km/hで比較的ゆっくりと走っていても、200wのエネルギーを出していることになるから、自転車に乗るとダイエットになる。
最近はハートレートモニターが普及しているが、自転車に乗っているときはHRが重要だ。心拍数は車のタコメーターと同じである。
同じスピードで走っても人によって心拍数はかなり違う。心拍数が違うということは運動強度が違うということで、これを適正な幅に保ちつつ走れるスピードが上限スピードとなる。

自転車のアワーレコード、つまり1時間にどれだけの距離を走れるかは、世界記録が51km程度。
これは超人的な人間の記録であり、人類のMAXと言える。
アワーレコードにチャレンジするのは、物凄く大変で勇気がいることらしい。
1時間に平均50km/hで走るということは、500*4=約2000wを発生しているということになる。これは1500wの熱を発散し冷却なければ、いけないということでもあり、どうやってこの熱を発散除去できるのか不思議なくらいだ。電気ストーブでも1500wはかなりの熱さになる。
スピードが高いことによる空冷効果とのバランスだろう。となると、気温がアワーレコードチャレンジには大きな要因となるかもしれない。

ロードバイクだと、頑張れば50kmくらいは出せる人もいるが、それは決して1時間も持続できるスピードではないのである。
ただ瞬間的にでも加速して、そのくらいのスピードを出せるのがロードバイクの軽快さであり、気持ちのいいところだ。
瞬間的な最高速の向上は筋力が発達することで可能となるが、心肺能力が伴わないと、持続はできない。

ロードバイクはエネルギー効率がよいだけで、ママチャリでもダイエット目的に乗るのなら同じである。
同じスピードで走った時は、ママチャリの方が余計にエネルギーを消費する。
逆に同じエネルギーなら、ロードバイクの方がスピードが出るというだけの違いである。
その軽快さ、疾走感の快感がロードバイクのメリットである。




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Degree of Freedom

乗り物、vehicleには、自由度というものがある。
この自由度は、法的な規制によるものが主である。
この点、自由度の低い乗り物は飛行機で、自家用機の免許をとっても、雁字搦めに飛ぶことになり、全然つまらないそうだ。ラジコンを飛ばしていたほうが面白いらしい。
その点、昔のゼロ戦パイロットは自由に大空を飛んでいたように思われる。

電車も飛行機と同じようなものだ。一般人が運転することはまずないが、全く自由がない。
車も、多くの規制、ルールがあり、自由ではない。入れない場所も多く、一通も多い。都会では一時駐車も容易でない。駐車場を探すのも面倒だ。
オートバイもほぼ、車に準ずる。二輪とはいえ、オートバイは車と変わらない。つまり、自由度がない。

最も自由度の高い乗り物は、明らかに自転車である。自転車の自由度は、歩行とほとんど変わらない。
この自由度の高さが自転車人気の本質であろう。免許や規制から自転車は開放されており、生身で走るのと同じだ。
若い頃は、車やオートバイに凝っていた人が、年取ってから自転車にハマる人が多いのも、この自由度ゆえだろう。

ロードバイクの不自由な点といえば、高価な自転車を目のつかないところに駐輪していると、盗難の恐れが有ることだ。
そのため、ロードバイクでは食事を取るのも、コンビニでということにあいなる。
コンビニのおにぎりやパン、肉まんは十分美味しいし、自転車乗っていると腹が減るから何食べても満足なのだが、落ち着いたところで食事できないのが不便といえば不便だ。

posted by libertarian at 22:58| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Find your way

ロードバイクは、道を選ぶ。
東京だと幹線道路を走るのは、危険だし、不快であり、なるべく避けるべきだ。
ロードバイクを買っても、幹線道路ばかり走っていると、そのうち乗るのが嫌になってくること必至だ。

だから近場で、ロードバイクに適した道を見つけることから始めないといけない。

その条件としては
・舗装状態がよい道
・車が少ない、または走っていない道。
・人が少ない。または車道と歩行者道路が分離している道。
・景観がよい道
・ある程度、まとまった距離を走れる道
、、というところか。

こんな道は東京なんかではそうそうあるまいと思っていたが、意外なことに割と近場にあった。
このようなロードバイク用のマイウェイ、マイコースを2−3見つけておくと、日常、ロードバイクで走るのにとても便利だ。
そして、このような道を見つけるのには、なんといってもGoogle Mapが便利である。
Mapで検討をつけてから、探しに行くと、いろいろと発見がある。
車での移動だとどうしても幹線道路を走るのが分かりやすいので、同じようなところばかり走るが、自転車だと行動範囲が線から面になる。
それによって、多くのことを発見できる。
意外と長いこと住んでいても、近場にあるのに行ったこともないところが大変に多いことに気付く。
電車だと1時間以上かかるようなところが、20−30分で行けることもある。電車も車も線の移動だが、自転車は面で移動できるから、ショートカットできる。
自転車でほんの30分ほども行けば、自宅の近くにも驚くようなところが結構あるのである。

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2014年10月16日

Eruption of Mt. Fuji

御嶽山が噴火した。
この時、安全レベル1の予想を出していた予知連絡会の責任者は、業務上過失致死罪で起訴されるのが当然である。
予想ができないなら予想をしてはいけないのであり、国の威信を負った責任者が、事後に噴火予想はできないなどと言い訳をするのは許されない。
くだらないことには見当違いな大騒ぎをするバカなマスゴミは、こういった重要な問題には全く声を上げることもない。
本来は、ワイドショーで予知連絡会と国の責任を追及をするべきだ。

もとより国ができもしない予知をするのではなく、税金で集められた観測データをネットで全て公開するのがよい。
そして、地震予知や火山噴火予想に関しては高額の懸賞金をかけ、世界中の研究者の英知を集めるべきだ。
このような参加資格を特に問わない懸賞金システムというのは、非常にコストパフォーマンスの高い問題解決法で、Googleでも、このような懸賞金システムで難問を解決しようとしている。
今は日本の中の限られた国公立の研究室、研究者に潤沢な金をばらまいているだけで、その責任も非常に軽いから、できることもできないのだ。原発村と同じような地震村、火山村だ。

もっとも、御嶽山の噴火については、琉球大学の木村名誉教授が予想をしていたそうだ。

2013年±4年という予想で、4年の幅は大きいとも思われるが、地質学現象としてはピンポイントに近い予想といえる。

さらに木村氏は、富士山の噴火を、2014年±5年と予想している。

東北の大地震が起こった後であるし、その可能性,危険性は高そうだ。御嶽山の噴火もその前兆なのかもしれない。

そもそも、今は地震予知など研究が進んでいて、予知が不可能とはいえないようだ。
フランスの天才学者Sornetteの研究など、従来、予想不可能とされていた一見ランダムな複雑現象の予測を可能としている。
ランダムだから予想が不可能とか安易に思われている株式市場に対してでですら、予測を可能にしている。
#これは、市場の大暴落のような大きな変化の予測を理論的にする。

こういった、世界中の才能を、懸賞金システムによって、日本の自然災害予知に活用すべきである。




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Zero to One

ピーター ティールの「ゼロ トゥ ワン」を読む。
ペイパルを創業し、やることなすこと大成功という羨ましい人物だが、そのビジネス哲学を語った本だ。
ティールはリバタリアニズムにシンパシーを持った人物のようで、あのパトリ フリードマンの人工島計画にもかなり投資している理解者らしい。
ところで、あのリバタリアン島の計画は今どうなっているのだろうか?w

ここにあるのは、凡人は近づこうともしない、「隠された真実」に対する積極的な姿勢だ。
つまり「隠された真実」を掴んだものだけが、大きな成功を達成することができるということだ。
改良、改善、といった日本の製造業のような、「モノマネプロセス」ではなく、まず最初に「隠された真実」を掴まなくてはならない。
マーケティングは、さらに一層、モノマネプロセスといっていよい。
必ずしもモノマネが悪いわけではないが、それは本質的な成功要因ではないというのは当然だ。
ネットの世界はあまりにもマネが容易な世界なので、モノマネによる追従、差別化戦略は難しく、競争要因にすらならないのであろう。

こういった「隠された真実」に対する積極的な姿勢は、ある意味で、純粋な科学的野心と違いがない。
純粋な科学者は、他人がどうしているとか、何を考えているかではなく、どこに隠された真実があるのかにフォーカスするだろう。
ビジネスも、「隠された真実」を掴んだものが勝者となるロマンなのである。
青色LEDの発明も、99%の研究者が否定し見向きもしなかった窒化ガリウム方式に着目し成功させた点がドラマである。
隠された真実は、世界中の多くの優秀な研究者99%の取り組んでいた方式にではなく、超マイナーな窒化ガリウムにあったのだ。

#ちなみに、「隠された真実」という言葉は、アフリカの言葉でカンジ(Kanji)という。天才ボノボの名前でもある。


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How to reward Inventions

社員発明について、もう少し書いておく。
高橋洋一さんが、この件について分かりやすい説明を書かれている。

ここにまとめられているように、発明の帰属は
イギリス、フランス→会社に帰属
アメリカ→個人に帰属 ただし契約次第
ドイツ→個人に帰属 細かい報酬ガイドライン規定が法律にある

そして日本は、特許をうける権利が発明者本人にあり、それを相当の対価で会社に譲渡することになっている。
今、日本ではイギリス式に会社に帰属するようにしようとしているようだ。

日本の企業によくある発明対価が、糞みそ一緒で数万円という報償体系はさすがにおかしいと思うのは自然だ。
しかし、この報償体系は企業に自由にさせるのがいい。
研究者、技術者にとっては、特許報償体系の違いが会社を選択する際の物差しの一つになる。
一律2万円の報償であれば、発明に対するインセンティブが小さいだろうし、もっと多くの報償がもらえるのであればインセンティブは大きくなる。これは企業の開発力に影響を及ぼすだろう。

問題は、特許をうける権利が財産権としてあり、それを「相当の対価」でダンピングすることなく、会社に「売る」という形だと、その発明の値段が利益をだす前に判断されないといけないという点だ。日本の法律では、ここで発明者と会社は対等の関係となっている。

青色LEDのような革命的な大発明、世界中の研究者がしのぎを削って求めていた技術というのは、発明の価値が分かりやすいが稀なケースだが、普通の電気製品にも特許は沢山詰まっているし、つまらない?健康器具にも特許はある。そういった特許と利益の関係が定かでない。いくら優れた発明でも、マーケティングが全くなければ製品は売れず、利益もでない。
逆に健康器具のつまらない発明でも、マーケティングがうまければ大きな利益がでるだろう。その利益は発明の質ではなく、マーケティングによってもたらされたものだ。

製品から得られる利益は事後的に決まり、さらに発明とは無関係なマーケティングなどによって大きく左右される。
その点、発明の相当の対価というのが、現実的ではない、空理空論となってくるわけだ。

だから単に報償規定によって、どれだけ発明者、技術者を報うべきかを、企業側の研究スタンスによって自由に決めさせた方がよい。
相当な対価での財産権売却という仕組みだと、無理がある。
特許をライセンスさせた場合は、ライセンスフィーに対する一定割合を報償として与えるというのも一案ではあるが、パテントプールみたいな形だと、どうするかとか難しい問題はいろいろと出てくるだろう。

その点、職務著作物規定のように、初めから会社に帰属というルールであれば分かりやすい。
後は会社がどのように事後的な報償ルールを作り、研究のインセンティブをどの程度にするかという判断にある。
技術者や研究者は、発明を重視する企業を選択することもできるし、そうでない企業を選択する自由がある。
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2014年10月15日

Erosive Aggression

シナの平和的台頭戦略は、浸食的な侵略だろう。
この手段が、他国のメディアや教育機関を乗っ取ることだ。シナはアメリカに対してもこのやり方でいこうとしている。
朝日の本社には、中共の新華社通信が常駐しているし、NHKの本部には、朝鮮日報が常駐している。
これはもちろん単なる業務提携関係ではない。w

日本は教育も日教組という社会主義団体に戦後牛耳られてきており、メディアと教育は親シナ勢力に支配された状況だ。
こういった人心に対する時間をかけたコントロールが戦略としてとられている。
まずは、日本のメディアと教育をどうにかしないといけない。

朝日は今度の問題で、商業的にもダメになって行くだろうが、NHKは放送法で守られているので、放送法を大きく変えないといけない。
電波解放でNHKの専有している帯域をオークションに出させるなどの、電波法の改正からのNHK解体方法も考えられる。


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2014年10月12日

Employee Invention

職務発明の問題について、池田信夫が書いている。>このブログは随分と久しぶりに見た。w
====>
その理由は簡単だ。青色レーザーのような成果が出る確率は、控えめにみても1/10000ぐらいだから、中村氏に投資した5億円の研究開発投資の1万倍、つまり5兆円の資金が必要だ。600億円の利益では、とても採算が合わない。

これは逆に考えてもわかる。もし中村氏が研究成果を100%取りたいなら、5億円の投資を自分ですればいい。ドクター中松のように、そういう人はいくらでもいる。しかし中村氏が失敗する確率のほうがはるかに高いので、彼は成果を出す前に破産するだろう。

イノベーションとは賭けである。事後的には、価値を生み出した人が半分取るのがフェアにみえるが、それは9999人の失敗した人の犠牲の上に生まれた偶然だ。企業の研究者の大部分は、会社の金で自分の成果を出すフリーライダーなのだ。
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私もこの考えにほぼ同意だ。
要するにリスクを誰がどれだけ負担しているかが、問題だ。
企業内の研究開発のリスクは企業側がとっていて、研究者ではない。
アメリカでは、企業で研究者が大きな特許を取得したらその報酬は大きいというのは神話で、そんなことはない。
中村さんはそんな噂話を信じていた感じがある。

条文にある「相当の対価」という言葉で、発明対価の問題は泥沼になったが、理屈から考えれば、企業が利益をとるのが当然である。
この何気ない条文の一文が物事をこじらすだけのガンだった。

職務発明に関しては、著作権の職務著作物規定のように職務上の発明は自動的に企業の権利になるという制度にしようという話があったが、どうなったのだろうか?私はそれが一番いいソリューションだと思う。

そもそも研究や発明の質と、その特許によって得られる商売上の利益には相関もない。
青色ダイオードは、大発明が大きな利益と市場をもたらすという分かりやすい話であったが、これは稀なケースである。
普通は一つの商品には沢山の特許が入っており、その利益に対する特許の貢献割合など、計算は不可能だ。

話は違うが、この池田信夫さんは、朝日の問題やら歴史問題を随分と取り上げているようだが、朝日を上回る最悪のマスゴミ、NHKについては一切批判しない。自分がNHK出身者だから、批判しないというのは、言論人として問題だ。
この人は頭の中の海馬あたりに左翼の思考が深く刷り込まれているようで、リバタリアニズムを問題にしても、結局そこから出ることができず、変なことを言い出す。
デフレ問題でも、めちゃくちゃなことを言っていたが、未だに自分の間違いを認めようともしない。
これはマスゴミ出身の評論家の限界というよりも、自分の損得で発言していることが問題だ。言論人としては失格だろう。


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2014年10月02日

Smart revolution

現代のキーワードは、スマート(smart)だろう。
スマートとは、スマートフォンのように、過剰なエネルギーやコストをかけずにさらりと、やるべきことをやることだ。
スマートフォンは、情報をスマートに扱うことを可能にするが、Vehicleもスマート化していくだろう。
人一人を1−2トンの車で移動させるのではなく、より軽く、エネルギーを使わない形で快適に移動させるのがスマートなvehicleだ。
道具や手段がスマート化し、情報処理がスマート化していくことで、世の中は高効率なスマートな社会になる。
エネルギーも、スマート化していく。エネルギーマネジメントがスマート化し、エネルギー生産がスマート化していく。
今は数千円のモバイルソーラーパネルを買えば、モバイル機器の充電くらいはオフラインで十分にできる。

こういったスマート化は、中央集権、統制経済の対極にある。
市場経済の含意が、アンチ中央集権、アンチ統制経済であるように、市場経済にはミクロの個々人の最適化がマクロの最適化につながるというイメージがある。
だが、現実にはミクロの個々人による最適化は困難であった。複雑な情報を個人が処理することが困難であるからだ。
それを可能にするのがスマート化である。



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2014年10月01日

Progress of Gadgets

最近、ガジェットが進歩していきている。
いろんな要素技術が進歩し、多様化してきたおかげであろう。
iPhoneなどのスマホの登場以来、世の中は急速にSFちっくになってきた。
しかし、ガジェットもシンプルで軽量、そしてデザイン性のあることが重要だ。

最近、面白いと思ったのは、次のもの。バイクの方はガジェットとは言えないかもしれないが、Vehicleの概念が変わりつつある。
人一人を運ぶのに2tの車を使うのはスマートじゃない。これはオートバイのようだが、アシスト自転車でもOKだろう。

腕から飛び立つドローン型カメラ Nixie

自立式カプセル型バイク

あと、デジタルカメラもほとんど成熟しきった感があるが、Goproのようなアクションカメラでは日本メーカーは立ち遅れている。
アクションカメラは安くてかなりの高性能。かなりの広角レンズのようだが、ソフト的に合成しているのだろうか?

スチルのデジタルカメラに関しては、私はSigma DPMerrillで画質的にほぼ完璧で、満足だ。
こんな高画質なカメラが5万円程度で買えるのだから、ライカやツアイスは太刀打ちできないかもしれない。


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2014年09月28日

May rest in peace, Mr Uzawa

宇沢弘文氏が亡くなった。
結構、新聞やネットで騒がれているが、どれだけの人が宇沢さんの本を読んだことがあるのだろうか。あの読みにくい本を。w
この人は経済学などやらずに数学者として歩むべき人間だったと思う。
数学に大変な才能を持っているが、左翼思想に目覚めたのか経済学に転向し、日本の経済学、そして日本社会に対し結果的にかなりの害悪をもたらした人間である。

東大の経済学がダメになった原因は宇沢氏にもあるだろう。はっきりとマルクス経済ではないが、心情的にはかなりそれと親和性がある。奇人変人ぶり全開で、バカなことをいっていたが、それをマスゴミが神妙な顔をして取り上げて、祀り上げていた。
マスゴミは反新自由主義なるものを、宇沢氏の権威にかこつけて我田引水しようという魂胆なわけである。

私が宇沢氏のことを知ったのは随分と昔だ。40年くらい前か。そのころは宇沢氏はまだ今の自分よりも若かったのだなと思う。
個人的にもなにがしかの因縁のある人ではある。
ご冥福を祈る。



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2014年09月21日

Bike and Muscle

自転車の物理は意外と複雑に思える。
ロードバイクなどで、前傾姿勢をとるのはひとえに風の抵抗を抑えるためだ。自転車も20Km/hを超すと風圧がバカにならなくなり、30km/hを越すとスピードの二乗に比例して増加する風圧との戦いになる。ロードバイクだと力のある乗り手は50km/hくらいは平気で出すが、そのくらいのスピードになると、あの前傾姿勢は不可欠だ。

短距離走でも最初は前傾姿勢で走る。足の踏力をできる限り前への推進力とするためだ。
しかし、重心が前に倒れたままで走り続けることはできないから、すぐに上半身が起き上がる。

自転車の場合、前傾姿勢をとっても、体重をサドルの上に残す姿勢が求められる。
人間の重心は大体へその辺りにあるが、ロードバイク乗りはへそから上を曲げた前傾姿勢をとっている。
この姿勢は、ロードバイク乗りに特有で、プロの選手などへそから上の上体が、こきっと折れるようになる。これが体にいいのかどうかは、かなり疑問だ。かなり不自然に見えるが。。w

これが初心者だとへそごと前に倒れてしまっていて、体重をハンドルにかけている。
すると踏力が体を浮き上がらせ、尻が跳ね上がる。

ママチャリのようにせいぜい20kmくらいしかださない場合は、風圧は大したことがないから、完全に上体をおこした姿勢でのるのがかえって合理的だろう。この場合、体重を載せた踏むペダリングになる。姿勢に無理がないのがよい。
ローラー台などで風圧が無視できる条件で最大速度を出そうとした場合、意外とこのママチャリ姿勢の方がいいのかもしれない。
リカンベントなどはこの状態に近い。それを横に寝せた形だ。
これは実験してみる価値がある。ローラー台を持っていないので、今はできないが。

体重をかけた踏力だけでなく、背筋力テストのように背筋をつかった体を開く力も利用できれば、さらに力はアップするだろうか。
体幹筋力を使うべしというのは、足の力にプラスして、背筋の力を踏力に加算することだろう。
リカンベントなどでは、背筋を使わず、腰辺りにあるハンドルを握って足の筋肉だけを使っているようだ。
空力の有利さだけであのスピードがでているのか、筋力の遣い方が合理的なのかどうかよくわからない。
→空力の有利さがほとんどだろうが。
全力でもがいている時は、自転車そのものにも、かなりのねじりの力が働く。カーボンフレームなどは剛性が高い分、力が自転車をねじる力に消費されず、推進力になるのだろう。クロモリフレームなどは、力のある乗り手がもがく際は、おそらくかなりねじれている。


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2014年09月20日

NHK must be accused

日本のメディアの驚異的な低能さ、無知性、品性の下劣さぶり、また、それに追随する御用の屑連中の同様の下劣さぶりを見ると、この国は非常に危険な社会だと感じる。
ホリエモン事件にしても、小保方報道問題などは、その顕著な例である。
今回、朝日新聞が倒れれば、次はNHKを廃止しなければ、日本社会は大きな爆弾を抱えた状態だ。
STAP報道におけるNHKと毎日の報道は、人権侵害で犯罪である。メディアの犯罪を裁判所が断罪しなければ、誰が罰することができるのかということだ。これは人権侵害から個人を死に至らしめた重大犯罪だ。

これも何度も書いてることだが、こういった日本の大メディアの人権侵害の横暴、暴力を許している淵源には、日本の司法の在り方の問題がある。私はヒューマンライツ派ではないが、このような人権侵害を大メディアに許しているのは、日本の司法が法の番人ではないからである。
私は、こういうのを見るにつけ、ほんとに嫌な気分になる。
日本人に正義の観念がないとは思わないが、正義の観念を裁判所がもたず、下劣な野心で世におもねっているようでは、世も末だ。

このような陰湿で下劣なことがまかり通っている今の日本とはなんなのかと思う。
これも20年デフレの結果の一つなのかもしれない。
おまけに、今の政治状況では消費税を10%に上げることはほぼ阻止できないだろう。離陸過程での逆噴射によってまた日本経済は失速、墜落するだろう。
これにより、さらに日本はさらに暗黒で下劣な社会になっていくような予感がするわけだ。
既得権はさらに強化され、財務省がのさばり、司法はますます弱体化し、法の正義は失われる方向に行くことになる。




posted by libertarian at 01:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

Nobeyama

先日は野辺山に行った。自転車の輪行で行ったわけだが、目的は星の写真を撮ることであった。
そこで自転車には禁じ手といってもよい、重いカメラを持って行ったのだが、あいにく曇りで夜は漆黒の闇であった。
しかし雨にならなかっただけでも幸運としないといけない。

ついでに野辺山の電波望遠鏡も見てきたが、なかなかSFちっくであった。
最近はここで宇宙誕生の初期段階でアミノ酸が大量に生成されているという発見があったようだ。面白い。

帰りは野辺山からずっと下りで自転車をほとんどこぐこともなく、あっというまに100kmほど走った。
最大時速は70km以上でていただろうか。下りは重い方がスピードがでるのだ。
しかし、スマホの自転車アプリの調子が悪く、記録が残っていなかった。
やはり、複雑な道具というやつは、屋外のハードな環境ではボロを出す。道具の本当の実力は屋外の環境で使うとすぐにわかる。
この点、スピードメータなどは従来のサイコンの方がずっと精度もよく頑健だ。GPSで速度を測るのはリアルタイム性がなく精度が低い。

秋は自転車のシーズンだ。近くまた野辺山に再チャレンジしよう。


posted by libertarian at 20:38| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Bike and electric power

自転車とアシスト自転車は似て非なるものである。
別種の乗り物と言った方が適切だ。

最近のロードバイクの変速機には、電気という禁じ手を使うようになった。
今のところトップモデルくらいにしか電気シフターはないが、私の感覚的には電気を一部でも使うと、それは自転車の美学に反する。
最近の自転車はカーボンフレームが全盛でデザイン的にもマッチョになった。MTBのブームで自転車の美学がくるってきたのであろう。
変速機は動力ではないが、そんなものはワイヤーで十分だ。変速機に電気を使うことは、アシストに近寄るように思うわけだ。
電池が切れたらそれまでよというのでは、スマホみたいである。

もし電池の使用を許すとしたら、電池がきれたらワイヤーでも駆動できるくらいの仕組みになってないとおかしい。
競技に用いるスポーツバイクは、完全人力で電気は一切認めるべきではない。
一方、実用的な自転車なら、電気シフターでもなんでもありだ。

自転車の進歩は、もはや行きつくところまで行っており、これ以上進歩はないだろう。
むしろ美的にはどんどん退化しているとしか思えない。
だから、電気で変速という誰でも考えそうなところに行っている。カーボンフレームといっても、もともとは自転車の車体は最初は木で作られていたのだ。

自転車の直系の進歩ではないが、アシスト自転車が今後の主流になるだろう。
全部電気動力でも構わないわけだが、この半分人間、半分電気というところに道具としての面白さがある。
電気が切れても、自転車として機能することが大事なのである。






posted by libertarian at 20:14| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Scotland

スコットランド独立投票は注目していたが、結局、独立はならなかった。
このところ、世界情勢が動いてきていて、ここでスコットランドの独立、大英帝国もといUKの分裂となったら、地政学的にどうなるものかと思っていたが、結局そうはならなかった。
もし、分裂していたらイギリスは核保有が難しくなったかもしれない。イギリスの核保有数はMinimum deterrenceとしての核弾頭数185発らしい。これであっても、ある程度の国の規模がないと維持できない。
イギリスは島国家として、核保有していることが、軍事的、経済的に大きな安定要因であることは間違いない。
イギリスが核を保持できなくなれば、地政学的にヨーロッパしいては世界のバランスオブパワーが崩れることになるのは必至だった。

高橋洋一氏いわく、イギリスは強い中央集権の国だそうで、ほとんど自治が認められておらず、地方税もないそうだ。

これは無理やりに連合国家にした歴史的経緯が原因だろう。
経済的には中央集権よりも分権体制の方が効率的である。だから、今後はある程度、イギリスも分権化の方向に行くのかもしれない。
今回の件で結局のところ分離独立は難しいことが分かったわけで、無理やり抑える必要もないだろうからだ。
そうやって、民族的、歴史的なプライドを満たす形で、強固な国内自由貿易経済圏としての国の形をとどめておいた方がいい。

posted by libertarian at 19:29| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月30日

City and Transportation

ヨーロッパではアシスト自転車がわりと普及しているようだ。
日本はアシスト先進国だったが、ヨーロッパ市場はとれていない。
アシストモーターのようなものこそ、モジュール化するとよいと思っていたが、すでにいろいろとあるようだ。
サンスターという歯磨き粉で有名な会社が、電動アシストユニットを出している。
日本では規制のため、マーケットはヨーロッパ向けのようだ。日本では一般には売っていない。

日本は動力加算方式がベルト加算なのにたいし、ヨーロッパではクランク加算なのが違いらしい。
性能はヤマハのパスのようなベルト加算方式のほうがパワー、トルクがでるらしいが、ヨーロッパでは、電気バイク的な感覚が好まれているらしい。このサンスターのもクランク合算方式だ。
クランク合算方式の方がモジュール化しやすいメリットがあるようだ。

今のアシスト自転車の不満は、本体の自転車のグレードが下げられていることだ。
全体価格を高くても15万円程度に抑えると、自転車のグレードはかなり下げざるを得ないというわけだ。
これがモジュール化されれば、ハイグレードな車体にも簡単に取り付けられる。

アシスト自転車は、上り坂、向かい風に強く行動範囲を2倍以上に広げてくれるだろう。
都市部であれば、車は遠出する時以外は不便なものだ。私は車にのらなくなってから10年以上たつが、不便を感じたことはあまりない。
雨の時の移動に屋根つきの車は便利だが、よほどの理由がなければわざわざ雨の日に移動しなくてもよい。

都市とは、一種の工場のようなマシン設備と考えられる。
道路や、地下道、上水、下水、配電、ガスといったものが複雑に絡み合った工場、もしくはマシンだ。
交通システムも、そのマシンの機能のメインの一つだ。
ヨーロッパで自転車が交通手段として認知されているのは、都市の設計思想と絡んでいるだろう。
都市間の交通は車だし、都市内部の移動は自転車が合理的な構造があるわけだ。

つまるところ、自転車にせよ、なんにせよ移動手段を考えることは、都市の設計の問題となる。
日本の場合、ヨーロッパと違って、人間の住む居住空間としての都市、町というのが、拡散しすぎているのが問題だ。
ヨーロッパは、都市や町が城塞のように固まっているから、インフラ投資が非常に効率的になる。
一方、日本の田舎など、民家が広域にわたってまんべんなく拡散している。これがインフラ整備の上で物凄い不経済をもたらしている。
さすがに最近は、日本でも地方の町を集約化していこうという動きがあるようだ。
今までは潤沢な公共投資で拡散した地方の街に無駄なインフラ投資をしてきたわけだが、さすがに無駄が続けられなくなったわけだろう。

移動手段の動力が人力だろうと、電気だろうと、ガソリンだろうと別になんでもいい。
人力はエコでガソリンは環境破壊だというのは馬鹿げた非科学的、非経済学的な偏見に過ぎない。
しかし、都市の集約化が進めば、都市内部の交通手段として、自転車やアシストや電気自動車のようなものが重要性を増すだろう。
東京のようなだらだらと浸食的に巨大化してきた拡散都市は構造が本質的に都市とその他といった形になっていないから、都市内部の移動でも車になってしまう。

日本には馬鹿げたタクシー規制があるが、タクシー料金を高く維持するよう規制することで、結果的にタクシーの台数と利用機会はかなり抑えられている。これによってタクシー業界の全体規模は縮小するが、自家用車市場はその分、拡大しているだろうか?おそらく自家用車市場はそれによってある程度増えているはずだ。
だが、東京ではタクシーを自由化してタクシー台数を増やし、自家用車は少なくした方が合理的だ。
私はタクシーはめったに利用しない。値段が高いし、サービスが悪いし、道も知らない運転手が多すぎるからだ。これは規制業界の特徴だ。価格もサービスも自由競争させれば、大きく変わるだろう。
東京内部では移動は車は不便、タクシーは使えない、バスもどうなっているのかよくわからんという次第で、鉄道くらいしか使えない。バスも短距離移動には値段が随分と高くなった。だから自家用車が欲しいニーズもあるのだろう。あれば安心くらいのもので、都市部の自家用車の稼働率はあまり高くない。

アシスト自転車を使えば、雨が降ってなければ、行動半径は15−20Km位には無理なく広げられる。そこで、最近は都内の移動には自転車を私は使うようになったが、時間的には電車や車と同じか早いくらいだ。道がよく分からないという問題は、スマホのナビを使うことで、解決される。道に迷うことに伴う、時間的、精神的、金銭的なコストが少なくなったことは、結構大きなことだ。

posted by libertarian at 13:47| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月26日

Human power,Electric power

私のような特にトレーニングや運動をしてない大人が自転車にのって数時間継続的に出せる出力は大体100W程度である。
また、プロでなくても、大会にでるような熱心な自転車乗りの場合、それは200w程度らしい。
2倍も出せるのはかなり凄いことである。
しかし、これがツールドフランスに出るような自転車のトッププロになると、400wになるらしい。常人の4倍である。
いかに彼らが、超人的なアスリートであるかが数字にするとよく分かる。

ところで、私の愛用しているYamaha Pas Brace-Lのようなアシスト自転車の定格出力は、250wである。
これに私のような普通のおっさんがのると、250+100=350でほぼツールのプロ選手並みの出力になるのだ。
もっとも25Km/hでアシストはぷっつりと切れるが、それでも25Kmまでのパフォーマンスはツールのプロ並みであることは間違いない。

電気というのは安いので、このような人間の力を増幅しアシストするのは、非常に合理的だ。
オートバイや車はアシストではないし、装置が大袈裟になり、またパワーを浪費するイメージがある。
アシスト自転車のように人間の力を増幅するマシンというのは、今後のトレンドだろう。

posted by libertarian at 02:08| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Saddle

自転車において、サドルは非常に重要だ。
ロードレーサーだと、スリムで軽量なサドルがついているが、それは大体ケツが痛くなる。
私もフィジークの高いやつを使っていたが、やはりケツが痛くなった。特に長距離を長時間乗っていると痛くなる。
自転車に乗る技量もあるのだろうが、痛くなるものは痛くなるのである。
だからロードバイクに乗る時は、レーパンというものをはかないとやっていられない。

しかし、競技でコンマ1秒を争うレースをしているのでなければ、多少重くなっても、サドルを変えればいいのである。
若い男女がレーパンをはくのはいいとしても、中年をすぎた老人がレーパンなどはいていたら、ちんどん屋のようなものだ。
そんなものは決してはくわけにはいかない。

だから私はBrooksの皮サドルを使っている。これは最初は固いが、使っているうちに自分のお尻の形に合わせて体の一部になるように心地よい乗り心地になる。こういう自然素材のもつウルトラなマイクロな精妙さは、人工物では得られまい。
ブルックスのサドルは馬の鞍と同じ感覚なのだろう。
HappyHackingKeyboard は、馬を変えても使い慣れた鞍は変えないように、Pc本体は変えてもキーボードは変えないようなものを作るというコンセプトらしい。コンセプトはいいが、このキーボードは数万円する最上位機種以外は、性能が悪すぎるのが問題だ。

振動がどうのこうのといって、カーボンやらなんやらにするのもいいが、このブルックスの皮サドルにすれば、そのような尻からくる雑音振動は全部吸収してくれる。
実際、自転車で世界一周をするような場合、このブルックスの皮サドルはマストな備品らしい。私にはその意味がよくわかる。

ロードバイクでロングライドするなら、レーパンをはくよりも、ブルックスの皮サドルにするのが正解だ。
posted by libertarian at 01:47| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Pebble watch

ついつい、アマゾンでPebble watchをぽちってしまった。
数日前は15300円だったものが、17600円になっていたが、やむを得まい。(--;

いろいろと考えたところ、このスマートウォッチを買うべき理由がいろいろと見つかった。
私は自転車はいつもは夜中に走っているので、スマホ画面はよく見えるのだが、先日昼間走ったところ、全然見えないことが判明した。
pebbleがあれば、スマホの画面を消した状態でデータ(HR,スピード、ケイデンス)をPebbleに表示させることができる。
#今のところケイデンスを表示できる保証はない。Pebble bikeだと、HRとスピードだけかもしれない。

これがあれば、今までのサイコンは全部取っ払って、ハンドルになにもくっつけなくても、スマートに腕時計にHRやスピードなどは表示することができる。白昼でも、夜中でもそれをPebbleならばちゃんとみることができる。
まあ、しかし、自転車はケイデンスが重要なので、LE ブルートゥースのケイデンスセンサーも欲しいところだ。

これでハンドル回りはすっきりするし、スマホは画面表示をオフにすればいいので、バッテリーがかなりもつ。
自転車のサイコンをほぼ完全に置き換えることができるし、面倒なことをしなくても、最初からスマホでデータを処理できることがメリットだ。
ちなみにサイコンはスマホと逆に夜中は視認ができない。数秒でバックライトが切れるので、夜中のサイクリングには全く不適である。
またサイコンだとデータをPCに取り込ませるのは面倒だし、その装置もあほみたいに高い。

これで、データをLEBTで送り、データ処理はアンドロイドで行い、データ(HR,スピード、ケイデンス)をリアルタイムに見るのは昼でも夜でもPebbleでという環境になる。かなりすっきりとスマートにできるのだ。
これだとサイコンがついてない自転車にいきなり乗っても、HRとスピードとGPSデータはOKだ。

posted by libertarian at 00:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月21日

Knowing Bike

夜中にロードバイクで走っていたらパンクした。
自分でパンク修理したことはなかったが、100円ショップのパンク修理キットでパンクを修理した。
さすがに、一回パンクしたくらいで使い捨てにしていてはもったいない。
これが旅先であれば新しいのに交換するだけなのだが。

気が付いたのは、空気圧が低かったということ。あまり高くない圧力計つき空気入れだと、圧力メーターがいい加減だ。
110Psiほど入れていたつもりが、Panaracerの空気圧測定器で正確に測ると80位しか入っていなかった。
空気圧は適正範囲にしておかないと、パンクの原因になる。今までほとんどパンクしなかったのが幸いだった。
あまり走ってなかったからだろうが。w

ロードに乗るなら、自転車用の専用工具をある程度一式そろえる必要がある。分解、調整が全部自分でできないといけない。
たかが自転車と思っても、メカの調整を自分でできるようになるには、結構なノウハウがある。
自分で分解修理ができないと、たかが自転車とはいえ、仕組みをちゃんとは理解はできない。
そして、ある程度の品質の道具でないと、作業性が悪いし、下手すると自転車のねじ山がおかしくなったりする。
道具を一通りそろえると2万円くらいはかかるだろうが、必要な出費だろう。洋服を買うと思えば安いものである。

今はネットで、youtubeもあり、自転車の調整方法などの説明ビデオもあるので、便利だ。
だが、見るのと実際にやるのでは大違い。
何事も生の経験が大事だ。
posted by libertarian at 13:48| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月20日

Smart watch

amazonでみると、スマートウォッチなるものは、いろいろ出ている。
少し調べた限りでは、やはりバッテリーが問題になるようだ。多機能で画面のきれいなやつはバッテリーの持ちが非常に悪い。
そのため、タッチしないと時計すら表示しないものが多いようだ。
そもそも屋外では画面が非常に見えずらいものばかりのようだ。これではダメだ。昼間の屋外での視認性はとても大事だ。

そもそもアンドロイドケータイを単に小型にして腕に巻いたようなものは道具として洗練されていない。
スマートウォッチは、スマホの拡張インタフェースでしかないのだから、割り切りが大事だ。
インターフェースは確実性が大事で、その結果としてシンプル、単純性に行きつく。シンプルでも確実性がなければダメ。
これはキーボードで一つでもキーが入力できないとキーボード全体がダメなのと近い。
母艦のスマホにエラーがあっても、インタフェースは確実に動作しないといけない。

時計としては視認性は、一番重要な部分だ。
それにバッテリー充電はminiUSB充電のものが多いようだが、これこそQiを使うべきではないのか。
なにか使えない理由があるのか?

Le Bluetoothのデバイスは、すでにいろいろとあるようだ。今後はもっと安くなっていくのだろう。
自転車関係のLEBTデバイスは、まだ少し高いが、サイコンに比べると既に安くて高性能だ。

私がちょっといいと思ったスマートウォッチは、PebbleWatchというペーパーインクディスプレイのもの。
これは低消費電力で、常時画面が表示され、昼でも視認性が高いといった基本が満たされており、おまけにプログラムもできる。

ただ自転車用途としては、ロードのトップチューブバックにNexus5を入れて、Runtastic proという自転車アプリを使えば、ほぼ完ぺきだ。特にスマート時計はいらない。スマホにスピード、ケイデンス、HR,マップがすべて表示されるが、マップも見たいときは、スマート時計の出番がない。
GPSデータからスピードを測るようだが、意外と正確なようだ。
Runtastic proでは、走行時のGPSデータを使い、Google Earth で走った経路を動画で再現するのが、非常に面白い。

posted by libertarian at 14:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

Google wear

androidは、退屈だと書いたが、Google wearやiWatchというのはなかなか興味深い。
これは、最強のスポーツ管理ガジェットになる。
自転車のスピード、ケイデンス、心拍数を、LE Bluetoothで受信する端末にすれば非常に便利だ。
ランニングでもスポーツなら、なんにでも使える。

スポーツも、なんとなく運動しているだけでは退屈だが、いろいろと状況をモニターできると面白い。
自転車の場合、心拍数管理は結構重要だ。最大心拍数は年齢で決まるとされているが、少し踏ん張るとすぐに計算上の最大心拍数を超えてしまう。そこで、ころっとお陀仏になる人もよくいる。
人間、歳をとってもそんなに急激に体力の衰えは感じないものだが、毎年、年齢が上がるたびにこの最大心拍数は着実にリニアに低下する。
そして最大心拍数までの範囲でできる最大の仕事量は年齢とともに確実に低下する。

最大心拍数=220−年齢
である。実に簡単だ。

だが、いわゆるランナーズハイ状態とは、この最大心拍数近辺にあるように私は予想している。
自転車はランナーズハイになりやすいスポーツとも言われるが、それは自転車は容易に最大心拍数を超えるスポーツだからだろう。
マラソンのように、走る際の苦痛、着地の痛みのようなものがあまりないので、セーブがかかりにくいのだ。
また、マラソンだと大してスピードがでないから暑さに参ってしまうことが多いが、自転車はスピードをだすと空冷されるので、熱暴走しにくいこともありそうだ。


posted by libertarian at 17:58| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

Smartphone and AI

最近、アンドロイドを使っているが、思うに、これ以上端末が進歩しても、使うアプリは変わらないだろう。
私の場合、メール、WEB,twitterといったネットアプリ。Evernote,Map,Kindleくらいだ。
その他、プラスアルファいろいろあっても、今の端末の性能でも別にストレスは全くない。
こういった傾向はおそらく多くの人に共通している。端末が高性能化することによるサプライズはあまり今後ないだろうということだ。
使うソフトもあまり変化しない。

バッテリー持続時間は既に結構長いし、これが2倍になってもそんなに感動はしない。画面もきれいだから、これがもっと高精細になっても違いはそんなにはっきりとはわからんだろう。w
その点、電子機器というのは、あまり夢のあるものではなくなった。昔はできなかったことが、できるようになるという発展途上の時期に特有の面白さがあったが、もはや電子機器は退屈なものとなった感じがある。
しかし、そうではあってもこの手のものは進歩をやめない。今後、スマホやタブレットは電卓がたどったように数百円、数千円のコモディティとなるのだろうか?性能は向上し続け、価格は低下傾向が続くだろうから、数千円で買うのが当たり前のものになるかもしれない。

自分も30年以上も、PCや電子ガジェットを追っかけて遊んできたが、この先の面白いイメージがあまりない。
便利にはなったが、便利さを実感するより、楽しみ方が変わってきたという感じがする。電卓がでて計算は便利になったが、個人的にはそんなに計算ばかりしているわけじゃないから、その便利さをあまり感じないのと近い。
PCでなにかを生産しようとすれば、ハードの進歩でその生産性は向上するが、PCがネットのような受け身のメディア的なものが主流になると、そこで何かを生産しているわけでもない。

面白い可能性があるとすれば、電子知能的なものがどのくらい進歩するかだろう。
ビッグデータはいわゆる統計のネタというよりも、人工知能的なもののリソースとして重要だというのが本質と思われる。
posted by libertarian at 02:13| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

Bike

最近、ロードバイクにまた乗り始めた。昼間は日差しがキツイので夜走るのだが、気持ちいい。
やはりランニングは苦手だが、サイクリングは自転車という道具に対する興味と一体で面白いのである。
ただ、もう歳だし速くは走れないが、それでもロードバイクの加速感は快感である。

自転車は、高級な奴ほど軽くなる。これはオートバイとは逆だ。
軽量化のコストも軽量化の限界に近づくほど大きくなっていく。
しかし、自分の体重を固定とすれば、総重量を下げるには自転車の重量を下げるしかないが、メタボで10−20Kgも体重を下げる余地のある人間が自転車の重量を下げることにやっきになっても愚かである。
自転車はいったん乗ると、ニュートン力学運動をするから、加速を決めるのは、自転車の車重+体重であって、自転車の車重ではない。
もとより、自転車の選手は体重を限界まで絞っているから、自転車の軽量化に意味がある。プロの自転車選手になると人間エンジンだから心肺能力と筋力は超人的だ。

私の場合はあと10Kg程度は、体重を軽量化する余地がある。
昨年、炭水化物をなるべくとらないダイエットをやったら、あっという間に体重が10Kg近く減ったが、その後、ダイエットはやめたから徐々に元の体重に戻りつつある。ここでまた炭水化物をなるべく摂取しないダイエットを復活させるべきであろうか。
だが、私は、炭水化物、ごはんやパンが好きなので、このダイエットを続けていると食生活、しいては人生が貧しくなるのである.

ロードバイクはあくまでスポーツであって、A地点からA地点に移動する道具である。つまり、B地点がない。乗って、行って、そのまま戻ってくるのが基本だ。高価なバイクを外においていたら盗まれる危険性が高い。だから、寄り道をせずに、自転車から離れない状態でいないといけない。その点、実用的なものではない。

私の普段の足は、ヤマハのパスのBrace-Lだが、これは非常によい。
坂道にアシスト自転車が強いのは知られているが、実は向かい風にも非常に強い。
ロードバイクだと少し強い向かい風になると、とても25Kmなど出せないが、アシストだと平気だ。
今はバッテリーが高性能になってきているから、今後ますますアシスト自転車の可能性は高まるだろう。
アシスト自転車の25km制限というのは割と妥当で、25Kmというのは結構な速さで、市街地でこれ以上だすのは危険だろう。

さらに自転車とスマホを連動させることで、自転車の愉しみと可能性が非常に高まる。
今までは、スピードメーター、ケイデンスメーターをサイクルコンピューターに取り付けていたが、今はスマホで代用できる。
GPSも最初から内臓だ。
LE-Bluetoothがでて、センサー一つで、スピードとケイデンスをスマホに送信してくれる。
おまけに、これは高性能なうえに安いから、今までのサイコンはすたれるだろう。
小さなデジカメで自転車の後ろを写し、無線で映像をスマホに送ることだってできる。まだ出てないようだが。
ハートレートモニターも、腕時計タイプのが出てくるとよい。

今後のアシスト自転車の課題は、軽量化だ。私のは20Kg以上あるが、これを12Kg位まで落とし、値段も変わらなければ最強だ。
25Km以上の加速は自力でスムーズにできるようになる。
バッテリーのエネルギー密度が高まれば、その分バッテリーの軽量化もできるから、この部分は今後進歩するだろう。
希望としては、自転車のバッテリーに2Aの外部出力とUSBの充電端子を加えてくれると便利だ。
こうすれば、電子機器の接続が楽になる。走りながら太陽光での充電もできる。


posted by libertarian at 13:35| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

Media Lynch

STAP細胞騒動ではついに死者まででた。痛ましすぎる。
マスゴミどもが、権力を悪用し、弱者である個人をリンチにかけて笹川氏という優秀な研究者を自殺に追い込んだのだ。
ほんとに日本のマスゴミの愚劣さはどうしようもない。犯罪組織というべきだ。

特に今回の件ではNHKの責任が重い。STAP細胞のような最先端科学の話など全く理解もできない、その内容に興味すらもないマスゴミのバカのくずどもが、日ごろの理系エリートに対するコンプレックスを解消しようとでもしているかのように、集団リンチ行動にでたのが今回の事件である。

今回の問題はSTAP細胞にあるのではなく、STAP報道問題であり、マスゴミをいかにして法の下に従属させるかという点にある。
日本は司法がよわいために、アメリカのメディアと比べても、その権力を制限するものがほとんどない。
アメリカでは無責任な記事をかけば、裁判で莫大な賠償金を払わないといけないから、それなりに慎重な態度をとるようだ。
日本のメディアが裁判をおそれて記事を書くなんてことはない。司法が弱すぎて、メディア権力に対して抑制力を持たないのである。
Tortsルールのようなものは、こういった問題を法規制でなく、民事裁判によって解決できるメリットがある。

手始めにやるべきことは、NHKの解体、電波オークション、再販制度の撤廃といったことで、メディアを世界的に当たり前の状態にもっていくことだ。
しかし、日本のメディアはどこも左巻きである。左巻きの程度の違いがあるくらいだ。
こうなる遠因は、日本の教育にある。日本の教育を素直に受ければ、左巻き人間に必ずなるのであって、まじめな奴ほどなるのかもしれない。
日本の左翼教育に侵されないのは、よほどの不良か、勉強が全くできないか、親などがしっかりしていて反左翼の姿勢がしっかりとある場合だけだろう。若い連中が大体左巻きというのは、義務もとい強制教育の当然の結果だ。

日本社会というのは、戦前は軍国主義/全体主義で、敗戦によってアメリカ様のおかげで、民主主義のよりよい国になりました。めでたしめでたし。という話を学校で洗脳するわけだが、実際は、日本は戦中は国家社会主義で、戦後も国家社会主義のままであった。

日本が最も成功した社会主義国というのは間違えで、もっとも成功した国家社会主義は、ナチスドイツだったろう。ユダヤ問題をおいておけば、経済政策的にナチスドイツの国家社会主義は、戦後の日本以上の成功例だ。
だから日本はナチスドイツの次くらいに成功した国家社会主義国というのが正しい。

国家社会主義では、私的所有権はある程度認めるが、国家計画経済、統制経済で、国家権力により公共目的のために個人の自由、所有権は制限される。国家社会主義では、公共概念が個人の権利の上にある。そして国家権力は公共を意味する。
そこでは個人の自由は著しく制限され、結果的に財産権も自由も蹂躙される。
国家社会主義デモクラシーと、自由主義デモクラシーとは対照的な制度だ。


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2014年08月04日

History is not science

このところ、歴史本をいろいろと乱読してみたが、どうも歴史本というのは中途半端なものが多い印象だ。
一般書ばかり読んでいたこともあるが、ちょっと専門的なやつでもかなり怪しい。
いわゆる自虐史観といわれるものは救いがたいが、大東亜戦争を全面肯定する聖戦論みたいなのもダメだ。
主観的な人物評価ばかりの本もダメだし、兵器オタク的な本もダメだ。
書いている人間が、自分勝手な視点で書いてるから、客観性が怪しいものばかりだ。
あいつは共産主義のスパイだったなんだというのは、根拠資料があればいいが、そうでないものも多いだろう。
あと法解釈の絡んだ論点は、法律家でもない歴史家がどうこういってもあまり意味がない。
もっとも、陰謀だといわれるものを一概に否定しているわけではない。世の中は今でも謀略に満ちているのは明らかだし、そんなものを公式に記録に残すわけもない。実際、日本でも密約とかいろいろとしていることは明らかになってる。
密約は政治家の越権行為であり、本来法的にも許されないものだが、実際いろいろとあることは事実だ。

歴史というのは、学問ではなく、イデオロギーかかった物語だという感を強くする。
日本の歴史学会がかなり左寄りなのは事実のようだが、民族派とか言われているらしい連中も、文学部の人が多く、結局のところ門外漢だ。
特にフラストレーションを感じるのは、自分の知りたいことがなかなか書いてないことと、論理的でない適当な説明しかないことだ。
歴史屋は頭の悪い秀才が多いのか、物事を疑って理詰めで考える習慣がないらしい。暗記が得意の記憶力だけの秀才なのかもしれない。w

その点、ミアシャイマーの本は面白い。伊藤貫氏経由でミアシャイマーなど、リアリストの本を知ったのはよかった。とはいえ、リアリストなる人でも私が面白いと思ったのは今のところはミアシャイマーだけだ。



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2014年07月29日

Virtual Gold

bitcoinのような仮想通貨の本質は、仮想の金であって、仮想の通貨ではないと思い至った。
通貨の条件はいくつかあるが、その全てはbitcoinは満たさない。
一つでも満たさないと通貨にはなれない。

元のイメージが金の採掘だが、やはりbitcoinは、仮想の金、ゴールドなのである。
この違いはかなり重要で、仮想の金、virtual goldだと、その価値は思っている以上に不安定だろう。
bitcoinシステムは、最大発掘量が決まっているが、これはただのシステムだから、同様のシステムはいくらでも作れる。
既に100種類近い仮想通貨がある。この先も増えていくだろう。
仮想のゴールドが大量に発掘されることになる。すると老舗のbitcoinの価値に影響を当然与える。

それ以前に、実物の仮想というのは無意味である。
これは真鍮を仮に金として扱いましょうというようなものだ。それよりも酷い。

中央銀行なき通貨、法貨でない通貨といった、ふれこみに騙される、もとい思い込みにとらわれると、やけどを負うだろう。



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2014年07月22日

Robot revolution

21世紀はロボット革命の世紀になるだろう。
福島原発事故以降は、ヒューマノイド型のロボットの開発が急ピッチで世界的に進められている。
車もロボット化するだろうし、すでに技術的にはできている。
今までは工場のロボット化といっても、まだ人間がかなり残っていたが、これからは人間に残された細かい仕事もロボットがやるようになる。
戦場もロボット化するだろう。人間は高価だが、ロボットは人間に比べると非常に安い。戦闘機も戦車も無人化していくだろう。
戦争は自国の人間が死ぬのが、政治家にとって戦争を避ける動機になるが、ロボット兵器で戦えば戦争をさける必要もなくなる恐れがある。

ホワイトカラーの行っていた事務作業もどんどん機械化されて人間がやらなくてもよくなる。
ある程度の技術を要する専門職の仕事も機械の方がうまくやるようになっている。医者の診断業務や、パラリーガルのやってた文献調査も機械でできるようになった。特に医者の仕事の8割は機械で代替できるそうだ。
こうなってくると、当然に人間は今までの仕事がなくなる。単純作業を機械に置き換えるのは良いことだと思うが、これからは富の分配の問題が深刻になるだろう。しかし、一般の人が仕事がなく、お金がなければ、どんなに生産性があがっても製品が売れなくなるわけだから、経済は回転しなくなる。これは矛盾しているから、ベーシックインカムのように普通の人には働かなくてもお金を配るようになるのだろうか。
人間にしかできないより高度な創造的な仕事にシフトするといっても、そんな仕事はあまり多くはないだろう。特に今の技術の指数的な進歩は急激だから、時間をかけたシフトができない。

リーマンショックでアメリカでは700万人が失業し2013年では350万人の雇用が戻ったそうだが、まだその程度ともいえる。
これは既にコンピューター化による合理化でホワイトカラーの仕事は人が少なくてもやっていける体制になっていたからではないかと言われている。

鉄腕アトムのようなロボットだらけの社会に今後急速になっていくと思われるが、その時の社会システムはどうなるのであろうか。失業しても、働かなくても食っていける社会になるのであろうか?
そうなる可能性は結構あると思う。実際、昔にくらべ現代人の労働量はかなり少ないのである。
現代社会は、そうやって余った時間が教育期間の長さにつながっていると思われる。


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2014年07月20日

GDP/man Japan 1980-2013

一人当たりの名目GDPの推移 - 世界経済のネタ帳
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GDP/man G20 2013

一人当たりGDP G20での比較 2013


オーストラリアが突出している。いつの間に。。

元データ
http://ecodb.net/ranking/group/XF/imf_ngdpdpc.html
単位USドル
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GDP/man 2013

2013の一人当たりGDP アジアのみ

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2014年07月18日

On presentation

昨今は、プレゼンテーション技術なるものを重視する空気がある。愚かである。
TEDなどを見ていて思うのが、別に皆さん、そんなにプレゼンテーション技術が高いわけではないということだ。内容があるのが面白いのであって、プレゼンテーション技術はどうでもいいのである。
プレゼンテーション技術など、下等な技術としてむしろ蔑む文化が必要である。

重要なのは、内容であり、プレゼンテーション技術などという包装技術ではない。
そして頭の悪い連中ほど、包装にころっと騙される。
こういう連中は、すぐに詐欺にひっかかる手合だろう。
結婚式場の司会者になるのであれば、それはそれで立派な技術だろうが、別にそんなものに皆さんなりたいわけじゃないだろう。

職人気質という、口下手だがいい仕事をする人間という人間像がある。
こういうものこそが、大事なのである。
posted by libertarian at 19:54| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

On Speciality

私は、専門性をかなり重んじる人間である。
専門性とは何かと言えば、何らかの技術、方法、ツールに習熟しているという意味だ。
なんの専門性もない専門家というのは、ただのオタクである。
その点、歴史家と称する連中はなんの専門性もない、ただのオタクである。

歴史も狭い分野では、マイナー言語、古代言語を読めたりとか専門性がある場合もあるだろうが、近現代史の歴史家など、そこらの大衆小説家と何も変わらないと思われる。
ニアル ファーガソンという歴史家がいるが、制度学派にシンパシーを持っているようだが、本人は経済学的なツールも使いこなせない。その点、歴史家は評論家とあまり変わらない。

経済学のツールには計量経済学のような統計技術があるわけだが、経済学者の統計の理解はかなり怪しいと思う。統計数学をほんとに理解しようとしたら、数学がほんとにできないといけないが、そんなレベルの文系の人間はほとんどいない。だから、一流といわれる経済学者はほとんど数学者や物理など理系からの文転組なのである。
法学に関しては、それなりの専門性があると思われるが、ツールという形ではない。
だから、かなり属人的な技術になっていると思われる。

日本の会社も、昔は専門性をかなり重視したが、最近はgenerarityとか称してただの総務のおっちゃんみたいな無能で何もわからない連中が幅を利かすようになった。こういった面でも日本経済の先行きは非常に暗いのである。
posted by libertarian at 19:29| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Japan is infant society

日本は、経済学と法学が学問として成立していない。
総じて文系、社会科学系は全部ダメだろう。
特に金融緩和に反対していた日本の自称経済学者連中は、全員クビにしなければいけない。
そうすると、大学の経済の教師がほとんどいなくなるだろうが、それで全く構わない。
今回の金融緩和論争で露呈したように基礎的なことも分かってない教師が学校で教えていてはいけないのだ。物理学の教授がニュートン力学に習熟してないことはあり得ないだろうが、経済では東大教授を始めそんなレベルの連中ばかりだということが露呈したのである。

経済学はまだ白黒が分かりやすいが、法学、法律はもっとだめだろう。
日本の最大の弱点は、法律分野がダメなことにある。
技術、科学では一流といえるかもしれないが、法律分野があまりに後進国的なのが、日本の大きな弱点となっている。大東亜戦争に負けたのも、日本の法体制に問題があった。

産業革命期にディケンズは、当時のイギリスの裁判所をこう書いている。
「人々は財産や忍耐力、勇気、希望を使い果たし、頭が混乱し、胸が張り裂けるため、弁護士たちのなかでも高潔な者達はこんな警告を与えかねないし、実際与えている。
”ここに来るくらいなら、どんな不正も甘んじて受け入れるがいい!”」

今の日本の裁判所も、こんなレベルだ。日本の法はまだ産業革命期のレベルにあるといえる。

しかしSTAP細胞騒ぎを見ていても、日本の科学もこれからどんどんダメになっていく予感がする。
コンプライアンスだなんだときて、低レベルなイジメ社会に日本があるのは間違いない。
日本社会は幼稚な社会にどんどんと進んでいるように思われる。
posted by libertarian at 19:09| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

Security

もし戦争がセキュリティ行動の一つなのであれば、戦争よりもセキュリティを論じたほうがよいかもしれない。
戦争論は多々あれども、セキュリティ論はあまり聞かない。おそらく戦争や戦闘よりもセキュリティの方が難しいだろう。
コンピューターセキュリティの分野くらいでしか、聞かないが、もっと広くとらえる必要がある。
攻撃されることを前提とした防御体制くらいの定義では不十分だ。
そもそも大陸国家では、地理的にセキュリティが脆弱になる。万里の長城を作るのはコストが高く割が会わない。
そのため、攻撃が最大の防御なりというのが正しいこともある。
しかし大陸弾道弾の時代では、島国家も安全ではなくなるから、相互抑止兵器をもつ必要がある。
一度、セキュリティを問題にすると、話は極端に、また複雑になっていく。
これはセキュリティに完全がなく、不確定で、コストパフォーマンスが測りにくいという性格があるためもある。
田舎の町のように、鍵もかけないが、よそ者を排除するというのが、簡単なセキュリティだが、それができないと
セキュリティはどんどん複雑な課題になる。
南北大陸、オーストラリア、東南アジアの人も、海の向こうから鬼がやってこなければ、安心社会を理想的に作り上げていたのだろう。
何千年もの間、戦争もセキュリティもそこでは大した問題ではなかったろう。抗争くらいはあったろうが。
日本もそんなものであった。戦国時代といっっても、その規模はたかが知れている。
日本にかんしては、抑止核兵器をとにもかくにも所有しなければいけない。
今の状態ではセキュリティが0に等しい。
posted by libertarian at 14:02| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Why War is rational

Mearsheimerによると戦争が起こる、または避けがたい根拠は次のとおり。

(1) it is anarchic, (2) all states have some offensive military capability, (3) states can never be certain about the intentions of other states, (4) states seek survival, and (5) states are rational actors.

1ー4が根拠となり、5の国家は合理的であるとすると、合理的な判断により、戦争という結論になるという感じだろうか。
戦争そのものは合理的ではないが、戦争の選択は合理的なセキュリティ行動になる。
戦争はセキュリティ行動であるとすると、たしかに合理的だ。防衛が合理的であるのは当然だ。
むしろヘゲモニーを握る国にとって、侵略が合理的かどうかということが問題になるのかもしれない。
しかしヘゲモニーをもつ国にとっても、ある意味で戦争は防衛、予防という位置付けなのかもしれない。


posted by libertarian at 13:31| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

Ripple

Bitcoin以外の仮想通貨がすでにいろいろあるそうだ。
グーグルが投資して注目を集めているのが、Rippleという仮想通貨で、これはBitcoinとは仕組みが違うようだ。
Bitcoinのマイニングの仕組みはよく知らないが、10分ごとにデカい数を素因数分解する問題を出しているだけとすると、そこに投入されるマシンパワーはあまりにも非生産的である。
Rippleはこのマシンパワーをもう少し生産的なことに振り向ける仕組みで、タンパク質の構造解析とか科学研究のオープンプロジェクトに参加することで仮想通貨が与えられるようだ。
以前、PS3でstanfordのFolding @ Homeというのがあったが、あれは、何の見返りもインセンティブもない、感謝もされず、何のフィードバックもないプロジェクトであった。
あれで、どんな成果があったのか未だに分からない。
だが、このRippleの仕組みであれば、こういうのに参加するインセンティブが生まれる。
その点、ナイスなアイデアであると思われるわけだ。

だが、このように競合通貨がどんどん生まれるとどうなるだろうか?
独立した仮想通貨だが、ここにおいても貨幣数量説のようなものが成り立つだろう。
しかし、今、仮に100種類程度ある仮想通貨が、1万、10万種類に増えていくとどうなるであろうか。
そのうち、シナ共産党が危なくなれば、また電子通貨がバブルになるのだろうか。

Bitcoinの仕組みは、通貨発行量がLogカーブ的にプラトーになっていくが、rippleでは最初から1億通貨単位発行されていて、
それが減っていくらしい。これはbitcoinの仕組みとどこが違うのか分からない。既に発行されていても、流通してないのであれば、同じに思われるわけだが。

電子仮想通貨は、危険だとかいう前に、経済モデルとして考えると面白い。




posted by libertarian at 12:53| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

There is no such thing as Grand Strategy

戦略論をみると、大戦略、戦略、戦術、作戦のような階層性が書かれている。
これは経営学なんかでもよくでてくるが、こういったものは、全く眉唾ものである。
そんなものは、現実にはまず存在しない。観念的に考えると、そういう階層性があってしかるべきだと思われるわけだが、現実には存在しない。
存在しないものをどうたらこうたら論じても無駄である。
さらにいえば、そのように整然と階層的に考えるべきだというのも疑うべきである。
将棋は一種のウォーゲームだが、将棋にだって大戦略なんてものはないだろう。

戦略論とか、この手の記述的な論は、理論的な積み上げがないところで、思い付きで、論者がいろいろと言っているだけだろう。
その点、多少の実証性がある経済学と比べても、あまりに非科学的な文系学問という感じがする。
実証性がなにもなければ、作文にはじまって作文に終わる。

企業なんかでも、そういう絵を描くことが流行ったことがあったが、今はすたれているだろう。
こういったものは、出来の悪い作文でしかなく、また上の階層になると、経営者判断の領域であり、ボトムアップで描くものでは本来ない。階層が上がるほど、抽象度が高くなり、曖昧になり、それに結びついたインセンティブも義務も権利ななくなるからだ。
たんなる紙上の空論になること必至である。

職務が契約ベースで明確になっている欧米社会よりも、日本の組織はあいまいと、無責任に、空気で動いていくわけだ。
これは大東亜戦争の頃から変わってない。
末端の現場レベルになると、todoが明確になり、技術も課題は明確だから、そのレベルでは整然と完全主義でやるが、それ以上のレベルになると、なにもないのが日本の組織というものであろう。
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Small government has huge armaments

戦争とは、クラウゼビッツなどによると、政治的な価値や目的を実現する手段ということらしいが、アメリカの軍事行動の目的というのは、非常に不透明である。
アメリカの軍事的覇権主義については、マニフェスト デスティニーとか、半ば宗教的な目的が挙げられることが多いが、実際のところ、第2次大戦以降、アメリカの戦争目的は不透明である。
それはリベラルデモクラシーの強制とか、石油利権であるとか、いろいろ言われているわけだが、本当のところは分からない。
目的は一つではなく、複数あるというのが本当なのだろう。
自由民主主義の国における戦争とは、公共事業のようなものだ。いろんな利権が入り乱れているが、公共のためにやるというのが建前である。
その結果や成果は問われない。建前がすべてである。

通常、大きな政府というのは、社会主義のように政府の役割が大きいということで、小さな政府はその反対に、政府の役割をできるだけ少なくして、自由市場で民間でなんでもやるべしということだ。
レーガンが小さな政府を標榜しながら、軍事的には規模が大きくなったのも、それほど矛盾はしてない。
もし軍事という一つの役割だけになれば、それは非常に小さな政府であり、軍事の規模が大きくても小さな政府ということになる。

その意味で、近代の戦争、各国とも今よりは小さな政府が起こしていた戦争だ。
戦争に関して、大きな政府も小さな政府も関係がないわけだ。

アメリカも黒人公民権は第2次大戦の頃はなかった。
アメリカも日本も政治家は、今よりはずっと狭いエリート階層、富裕層の代表であった。
その点、デモクラシーの代表の範囲というのは、政治家の軍事行動に確かに影響を及ぼすだろう。
#ところで、戦後、ケネディのとき、黒人が州立大学に入学するのに、州兵と連邦軍が対立するという出来事があったが、その黒人は日本に駐屯しているときに、日本の社会をみて平等意識に目覚めたそうだ。日本は人種差別のない平等先進国だったのだ。

今ではアメリカも兵士が死ぬことにはかなり神経をとがらしている。それは政治家の票に大きく影響を与えるからだ。
ルトワックは、昔は子沢山だったが、今は先進国は少子化しているから、兵士を死なせることが難しくなったと言っている。
だから極力、無人で戦闘を行うpost heroic war、犠牲者なき戦争になりつつあると言ってる。
#これはアメリカ人兵士の犠牲者だけが対象で、他国の人間を殺すのは別に構わない。
ルトワックの話は眉唾でかなり怪しいが、人の命の値段という考えは有りだと思う。

シナなどは、人の命の値段など限りなく低い前近代国家だから、危険なのである。



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2014年07月01日

Labour usually brings minus

サラリーマンをやっていると、労働は基本、時給であり、それが成果に結び付こうと付かないとも関係無く給料がもらえるから、労働価値説を実感するだろう。
しかし、実際は、なにかの行動の結果が必ずしも利益に結び付くわけではなくマイナスももたらす。
大蔵省や日銀の連中がやっていることは、日本社会にとっては巨大なマイナスでしかなかったが、それを連中は一生懸命に時給労働してきたわけだ。これは役所に限らない。
労働は必ずしも価値ではなく、マイナスをももたらすという当たり前のことが理解されないといけない。
ここに、自由市場の意味もあり、そのような労働を淘汰するメカニズムが市場にはあり、それが資源の浪費を防ぐ。
だが、公共機関は市場の中にないから、いくらでも破壊的な労働を続けることができる。

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TED

アンドロイドでTEDをみるアプリがあり、最近、それを少し見ている。
TEDは10分前後のプレゼンというのがよい。外でちょっとした時間にみることができる。
最近の映画の英語は字幕を読んでもよく分からないが、こういったきちんとした英語は比較的に分かりやすい。

次のは面白かった。

陸上競技など、スポーツ記録はどんどん塗り替えられるが、これは主に、スポーツ用具、くつやウェア、グラウンドの
性能の進歩によるもので、人類の身体能力が進歩しているためではないらしい。
なるほどというか、やはりと思った。

サッカーなどを見ていると、昔から進歩しているとは思えない。
昔より、大型の選手がふえてきたようには見える。空中戦で張り合い負けしないためだろうか。
だが、これは進歩ではない。
小型の選手が敏捷にスピードをもって走り回る方が面白い。

日本ではワールドカップの賭けはないのか?
世界中でこれが盛り上がるのは、大きな賭けの対象だからだろう。
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2014年06月27日

Energy Revolution

これからの世界の経済成長の推進力となるのはやはりエネルギー革命だろう。
太陽発電は、毎年価格が5ー6%のペースで低下しているし、エネルギー効率はどんどん高まっている。この分野ではまだまだイノベーションの余地が大きい。
GridParityと言われる従来の電力価格には、アメリカでもあと3年くらいでなるようだ。
アメリカの電力価格は日本の半分程度だから、日本ではすでにソーラーはGridParityに達している。
電池もどんどん進歩している。
電力のようなものは中央集権的にやるものではなく、その土地の風土や環境に適したもので行えばよい。カリフォルニアや日本の東京以南のような降雪が少なくて日照が多いところでは、太陽電池がいいし、海沿いでは風力が適しているところもある。風力もすでにGrid Parityに達した技術だ。
予想するに、今後世界はエネルギー、電気というのは希少財ではなくなるということだ。
価格はドンドン安くなり、供給量は増え、同時に省エネ技術によりledのように効率は5ー10倍に高まる。生活に必要な電気は劇的に減りつつ、電気単価価格が安くなる。
バイオエネルギーも光エネルギーの活用技術の一つだが、これは電気を直接つくるのではなく、油をつくることができる。こちらもかなり有望なようだ。

そのうちにエネルギーが希少財でなくなるのは、21世紀初頭に実現されるにちがいない。
もし、戦争の原因の多くがエネルギー資源をめぐるものであれば、それに起因する戦争はなくせる可能性がある。たしかにエネルギーはあらゆる富の源泉であるから、エネルギー革命によって実現可能な平和もあるだろう。

今の人は電気やガソリンといったエネルギーに収入の結構な割合を投じている。
これが浮くことで、他のものにお金を使うことができる。
これがさらなるイノベーションを可能にするだろうし、生活レベルが上昇するわけだ。

アフリカは今はまともなインフラがないのが幸いで、新しいインフラ、太陽エネルギーインフラが今後どんどん作られていくだろう。

posted by libertarian at 12:32| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Battle field

戦争ノンフィクションを読んでいると、戦争映画をみても同様だが、よくあのような恐ろしい、目に見えない弾丸と爆弾の飛び交う戦場で戦えるものだと思う。
しかし、戦場というのは昔も今もそのようなもので、無残で悲惨で苦痛に満ちたものだろう。
運よくというべきか、即死できれば苦痛はないかもしれないが、実際はどんな恐ろしい苦痛に満ちた怪我や死に方をするか分からない。
今は軍隊の兵隊 、兵士という呼び方をするが、日本の軍人は、むしろ武人という意識でいたように思われる。
兵隊、兵士というと、弾薬や兵器のような響きがあるが、日本の軍人は武人たろうとしていたようだ。特に将校クラスの軍人は武人という意識が強かったようだ。軍刀は武人の証だ。将校が武人として尊敬できれば、その下のものも自分も武人たらんとしたであろう。
武人は、死や苦痛の恐怖におののいてはいけない。恐怖は否定できないが、恐怖を恐れてはいけないのだろう。
恐怖を恐れないとは、矛盾があるが、武人には可能なのかもしれない。
しかし果たしてそんなことが可能とは想像できないが、昔の日本人はそうだった。
やはり、そこには集団心理というものがあり、集団心理でのみ克服できるもののような気がする。
この集団心理とは、群衆心理とはことなり、軍隊という階層集団における特殊な心理のように思う。
自分の上官や友人が死んでいくのを見ることで、自分の存在も相対化されていくのかもしれない。
posted by libertarian at 03:00| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

Bitcoin

Bitcoinは2140年までに2100万Btc発行される。そして採掘はそれで打ち止めになる。現在すでに6割程度採掘された状態だ。
これは10分ごとに発行される結果、数学的に確実にそのように設計されているそうだ。
原理的には、金本位と同じようなしくみだから、bitcoin そのものは、通貨価値が上がっていき、デフレ通貨になる。
もし取引が増えていけば、採掘完了後もデフレ通貨として、その価値は上がっていくと考えられるわけだが、どうなるかは分からない。
もし、通貨デフレで値段が上がるのが確実なら取引が激減していく。
現在すでに採掘は個人で行うのは割が合わず、いろいろとリスキーな部分がある。
BITコインの取引にはかなり詐欺が多いようだ。

これに飛びついていたのは、シナ人だが、シナがこの取引を禁止したので、最近では暴落が起きた。
こういったシステムは一見、国家を絡めないようだが、そうとも言えない。規模が大きくなれば、いかようにも規制されるだろう。
また金とちがって、リアルなものがないので、仕組みは金本位と似ているがリスクは高い。
BITコインは通常の決済通貨としては使えないから、お金を買うくらいしかできない。
となると、目的は限られる。
私は、仕組みは違うが、BITコインはチューリップバブルと似た印象をもつ。
遊びで少し買うくらいならいいだろうが、素人がやると痛い目にあいそうだ。
posted by libertarian at 20:21| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする