2014年04月02日

STAP cell

STAP細胞騒動だが、こういうのを見ると、マスゴミの馬鹿さ加減にいらつく。
日本のマスゴミは、日本の内なる中共、朝鮮だ。
理研もことなかれ主義で、マスゴミに便乗して、研究者を迫害しているのにもあきれる。
これは理研の野依理事長の性格の悪さが原因だろう。

そもそも、STAP細胞がほんとにできるのか否かだけが、問題の本質で、論文の手続き上の瑕疵ばかりあげつらうのは本末転倒だ。
STAP細胞には大きな特許も絡むだろうから、こういう形で研究者をいじめて追いやって行けば、もしSTAPになんらかの正しさが含まれていた場合、全てを無にしてしまう。その時、誰が得をするのかを考えなければいけない。

こういった実験科学は、別に論文に嘘を書いてなくても、再現が難しいことは多い。
青色LEDを実現した中村さんも、特許や論文を読んでも、誰も再現などできないと、ほんとの事を言っていたが、論文や特許にはそういう駆け引きの部分があり、書いてある事は全部本当でも、再現の必要条件には達していない場合が多い。料理の塩梅までは料理本に書けないのに似ている。
それは研究の暗黙の慣習であり、それを外野の素人が批判するのは間違いだ。

理研がSTAP細胞を再現するなど、実際にやってみるべきなのだ。そしてできなければその時、はじめて出来ませんでしたと言えば良い。

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2014年03月30日

Right of collective self-defense

集団的自衛権の問題があるが、集団的自衛権そのものはもともと自然法上の権利であり、当然に存在する。
誰が何と言おうとも、存在する。
内閣法制局がいくらないと言っても存在するのだ。もしそれがなければ、日本という国家が存在しないと言うに等しい。
もし、個人に自衛権がないのであれば、暴漢にあっても抵抗せずに殺されろ、やられるままにしてろということに等しい。
そんなことはあり得ない。
集団的自衛権とは、その個人的な自然権の延長にあるだけのものである。

内閣法制局は、本来、法案のチェックをするだけの部門だが、とんでもない思い違い、思い上がりがある。
そもそも、内閣法制局などという行政部門に、憲法解釈権限、違憲判断権限がないのも当たり前のことだ。
これについては、高橋洋一氏が説明している。

問題なのは、従来、集団的自衛権がないというクレイジーな前提で諸々の法的判断が行われてしまっているので、これを修正しなければいけないということだ。
こんなところから始めなければいけないのだから、日本はやはり異常な国としかいいようがない。

posted by libertarian at 21:43| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

National interest ?

国際政治や歴史の本を読んでいると、国益という言葉がやたらと出てくる。
しかし、「国益」という言葉は要注意だ。
一体、国益とは何のことなのか定義がない。通常、最後の最後まで定義がなしで、頻繁に使われる。
特に歴史や政治といった人文系の連中は、記憶力だけはあるが、経済学も科学も全く分かりませんというレベルの人間が多い。こういった連中がイメージだけで話す国益なんてものは、大概ろくでもないものであろう。
ある人間は、貿易黒字が国益だとかイメージしているかもしれない。
ある人間は、貨幣価値が高くなるのも国益だとかいうかもしれない。




posted by libertarian at 20:52| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Revise history

最近の日本は右傾化し、歴史のリビジョニストが増えてきたとか言われる。
普通、リビジョニストというのは、良い意味では使われない。過去の罪を悔い改めるのでなく、開き直って正当化しようとする危険で反動的な連中といったような意味だろう。
要するに日米の左派陣営が戦後長いこと折角国民を洗脳してきたのに、それを見直すのはけしからんと言ってるわけだ。

しかし、GHQ史観は別に国際条約、国家間協定でも何でもない。間違った歴史は正されなければならないのは当然である。
歴史観とは別に条約でも契約でも義務でもなんでもなく、内面的な自由の領域にある。
もちろん、何が事実で何が事実でないかは、学問的な真実の問題だ。
GHQ史観こそがトンデモなものであることは、明白な事実である。そうでないというのなら、証明してみろ。
間違った歴史認識は潔く改めなければならない。

「永遠の0」が500万部のベストセラーとかなっているようだが、たしかにこれだけ売れるのは、ブームやヒットというよりは現象といえる。この本もリビジョニストの本ということになるのだろうか?
私もあの本をつい先日、一挙に読んだが、面白かった。
歴史観としては、従来から日本の保守の人が言っていることと齟齬がない。
普通の日本人は、大東亜戦争に関しては何も知らないし、軍国主義と全体主義による狂気の戦争といったイメージを持っているくらいだろう。そういった何もしらない状態で、作られた表層的なイメージだけのものであった戦争をはじめて意識の俎上にのせた脱洗脳的な威力があの本にはあったのだろう。
いかになんの戦略もないところで、めちゃくちゃな戦争をしていたのかということがよくわかるし、戦争を美化したものではない。

大東亜戦争が勝てるはずのない戦争だったというのも嘘だろう。むしろ戦い方がめちゃくちゃで、負けようのない戦いにも負けている。
大東亜戦争が最悪だったのは、終戦シナリオが大本営になかった点だ。
そもそも石油がなく、開戦当初は、あと7ヶ月で石油もなくなると言っていたのに、どうやって4年近くも戦争できたのか?
インドネシアに行って石油は確保できたのであろうか?
戦争を長引かせたことが最大の敗因だ。最初の半年で和平に持ち込んでいれば完全な勝利で終わったはずだ。
大本営の無能さは万死に値する。そして外交も失敗したのである。
戦争にまけることで、日本の明治維新から日露戦争にいたる栄光の歴史と積み上げてきた富の全てを日本は失い、日本は文字通りの0に、アフリカを含めた世界最貧国となったのである。

最大の誤算は、第一次世界大戦以降、アメリカの台頭により、日露戦争の頃の国際法、ウェストファリア条約に基づく限定戦争が、総力戦(Total war)に変質していたということを認識していなかったことだろう。
おそらく、日本はアメリカが国際法もなにも無視した、あれほど無法な残酷で非人道的な戦争をしてくるとは、さすがに予想はしていなかったに違いない。
日本は戦争に負けたが、悪いのは明らかにアメリカ、戦勝国側なのである。
日本の復讐を恐れたから、連合国側が洗脳をしたのが事実だろう。
もちろん、戦勝国に復讐をしようというわけではない。
だが歴史認識を正さない限り、日本の自立は今後ともあり得ない。
戦後レジームというのは、GHQ史観から派生する諸々の判断のことであり、ここから脱却して日本は自主独立しようということだ。そうしないと、中共にやられてしまうという恐るべき現実があるからである。
posted by libertarian at 19:27| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

Peer pressure

日本は1945年に敗戦したというが、GHQの占領は1952年まで続くから、実際の戦争はその時に終わった。
このように考えると、自分が生まれたのは終戦からあまり経っていなかったのだと改めて思う。
日本が独裁軍事国家だったというのは、ドイツ、イタリアとの日独伊三国同盟などというものに間違って入ってしまったからで、日本は必ずしも政治的には独裁国家ではなかった。戦争中だから軍事国家だったことは他の国と同様だ。
しかし、大東亜戦争の戦略はめちゃくちゃだったし、兵士を使い捨てのコマとしか見てない当時の軍部のあり方は、やはりアジア的な野蛮さだった。
これは日露戦争が不可能な勝利を可能にしたもので、その時の203高地の戦い方を踏襲したような感じがある。
明治維新から日露戦争までは一続きの歴史であり、維新の英雄達が日露戦争までは残っていて活躍した。
日本の維新からの歴史は日露戦争(1905)を頂点とする。

その後世代交代により、議会政治は、極端なポピュリズムとなり、明治の元勲たちがもっていたグランドビジョンは失われた。
実際のところ、自由民権派が議会をかき回していたし、議会がしっちゃかめっちゃかになってしまった。
欧米は、貴族制が残る社会だから、議会がこのようなポピュリズムに嵌ることはなかった。
議会が混乱する中で、官僚制が補完するものとして強力になって行った。これも今に続く。

日本は戦前からある意味、欧米以上の極端なデモクラシーであった。これが自由民権という衆愚政治に陥り、政治的な決断が困難な政治体制になっていった。
大東亜戦争にしても、戦略の欠如した、誰が何を決定しているのか分からない、無秩序なものであった。
それを決定するのはもとより天皇ではないし、議会は混乱し、軍部は議会にあいそをつかしていた。
中心のない秩序というのは、小さな社会ではあり得ても、国家レベルの大組織となると無責任なだけの体制となる。

大東亜戦争時の日本が、欧米から見ればカルト集団に見えたのも不思議ではない。
しかし、独裁制でもないし、デモクラシー、議会政治は欧米以上に行われていたし、一方で兵士は使い捨てのコマとして全体主義社会のように扱われたのも事実である。
日本社会の同調圧力の強さというのは、欧米のような独裁的な権力によるものではなく、もっと低い村社会的なレベルからあるのだろう。
軍隊組織も、出身地別に部隊編成されていたようだ。

同調圧力は村社会的な中では強烈に作用するが、それをでると今度は極端に無責任な仕組みとなる。
官僚や軍人といった拡大村社会の中では、強烈に作用するが、もっと大きな全体という観点では、国がどうなろうと人が死のうが関係ないということになる。
こういった強固な村社会単位の集合体として、日本の民主主義なるものはあたかも全体主義のように動いているように思われる。

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2014年03月27日

Biplane

20年ほど前に、オーストラリアで複葉機に乗ったことがある。
二人乗りの複葉機で、第一次大戦時に使われていたような木製の機体であった。
観光フライトだが、複葉機で宙返りをしたり、きりもみ飛行したりといった曲芸飛行を堪能できるものであった。
パイロットは、第一次世界大戦の生き残りのような爺さんだった。

私は、最初はカメラを持ってパシパシ写真を撮っていたのだが、曲芸飛行になると強烈なGに失神しそうになった。
手は上げていることが出来なく、身体中の細胞がGで潰されるような感じがあった。
目玉も潰れるような感じがして、目の前が暗くなるのであった。
パイロットは、OKかと聞いてくるのを我慢してOKOKと言っていたが、強烈なGでフラフラとなる体験であった。
着陸後、よく頑張ったと誉めてもらったが、あの強烈なGのもとで操縦するのは凄いことなのだとよくわかった。

飛行機のパイロットジャケットというのは、伊達ではなく、強烈なGが掛かっても血が下がらないような仕組みになっているそうだ。映画トップガンではパイロットが皆、ムキムキのマッチョであったが、あれには意味があったのだ。
強烈なGのもとで操縦桿をコントロールするのには、大変な体力、腕力が必要なのだ。
シミュレーションゲームで飛行機操縦をどんなにやっても、あのGを再現することはできない。


posted by libertarian at 22:44| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

Essence of failure

大東亜戦争は、日本側に大きな戦略上の失敗があったことは結果的に明白だ。最初の半年が怒濤の進撃だったから、トップの方で戦争目的が肥大化していったのかもしれない。
アメリカや欧米に対する怒りもそこにあっただろう。
だから大東亜共栄圏という形で、戦争目的の拡大をしたのであろう。
レパルス、プリンスオブウェールズを撃沈した初期の段階で戦争目的を達したとして、和平に持ち込んでおけば、完全な勝利で終わったはずだ。最初は短期決戦だったはずなのに、好調すぎたがゆえに、調子にのって方針を変更したのだ。

負けた直接の原因は、山本五十六などの責任が大きい。
真珠湾攻撃は山本の思いつきの攻撃で、当初の計画にはないものだった。
ミッドウェー海戦では、日本の方が負けるはずのない5倍はあるだろう圧倒的な戦力を有していたのにも関わらず、大敗を喫した。
戦略のデタラメさに官僚制の問題もあったろうが、コミンテルンのかく乱もあった。
近衞の側近はコミンテルンのスパイだらけだったし、いわばハードは優れているが、ソフトにウイルスが紛れ込んだ状態だった。

重要なのは、原因を勘違いして間違った反省をしないことだ。
今までの大東亜戦争の反省は情緒的すぎるし、見当外れなものばかりである。
トップに戦略的な思考がなかったことが最大の敗因であるから、そこを反省しないといけない。
日本は昔も今もマクロ的な思考がよわい。ミクロに緻密なのが得意なのだろう。これは文化にも現れている。

間違った反省をしているから、今の日本も相変わらず同じ問題を抱えているのだ。
各企業は優秀だが、日銀、財務省をはじめとする官僚が馬鹿で村の論理で動いているから、日本はこの20年間デフレで苦しみ負け続けたのである。
その経済的な損失は大東亜戦争よりも大きいと推定されている。
posted by libertarian at 09:14| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

Evolution doesn`t mean progress

進化論とは、ハイエクが指摘していたと思うが、ダーウィンが考えたアイデアではなく
ダーウィンが当時の経済学から借用してきたアイデアらしい。

進化論に関する典型的な誤解は、進化を進歩、progressのようなものとイメージするものである。
日本語ではevolutionを進歩に似た進化という言葉に翻訳したので、そのように誤解しやすい。
とはいえ、evolutionは世界的にもprogress と似たイメージで捉えられているような気もする。
例えば、人間は猿から進化したといえば、猿から進歩したと考えても良さそうなものと思うだろう。
では、人間は猿から変化したというのと、人間は猿から進化したというのではどうか?

evolutionは、進化ではなく、変化と訳した方がまだ適切だったと思う。
evolution説は、目的論的なニュアンスを排する点がポイントだからである。

進化論が目的論的に誤解されるようになって、進化論は人種差別を正当化するへ理屈としても利用されるようになった。
黒人は白人よりも進化レベルが低い劣った人種といったことが真面目に論じられていたのである。
これが優生学というやつだ。
evolution説とは、もともとは目的論を排除するために考えられたアイデアだったものが、おもいっきり目的論的に誤解され使われてきたといえる。
適者生存といった目的論的な概念と組み合わされることで、本来の意図とは別の目的論となった。

目的論的なものを導入すれば、それは科学ではない。
目的論の定義は難しいが、つきつめれば神の意志とか神の意図と同様のものだ。
今の分子進化論では適者生存のようなものは否定されているようだが、学校では進化論=適者生存といった教え方を未だにしているようだ。
そんなものを信じていたらろくな人間にならない。というか、そんなとんでもなことを信じていたら、20世紀の生んだカルト科学である優性論者になるしかない。
だから、いわゆる進化論を信じている日本の現代人は、そんなものを信じていない迷信を信じているアメリカ人より、科学的に劣っていると言えるのである。
posted by libertarian at 06:14| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

HongKong

先日、香港に遊びに行ったわけだが、なぜ香港に行ったのかというと理由は単純で暖かそうだったからである。暖かいところは沢山あるが、私は中国は一度も行ったことがなかったし、暖かく、かつ料理がまともそうという理由で、香港を選んだわけである。実際、香港は台湾よりも少し南の亜熱帯なので、暖かかった。
ちなみに、私は台湾は支那の一部では決してないと考える。

香港は亜熱帯なのに、ヨーロッパという感じの街であった。しかし、亜熱帯だから公園にはフラミンゴがいるし、鳥の鳴き声はアマゾンの密林のようであった。
物価は、円安のせいでちっとも安くなかった。食費は日本より高いかもしれない。多分、観光地帯にいたからだろうが。
人間も南方系の顔をした人が多い。
もう一つ、香港で興味があったのが、IM Peiの中国銀行タワーやロジャース&フォスターの香港上海銀行ビルとかの見物であった。
香港島は開発が進んでいるが、九龍地区はビルが古くてボロく、再開発待ち状態だ。

食事に関してはいい店に当たらなかっただけかもしれないが、日本でちゃんとした中華の店に入った方がきっと味も価格も満足がいくのではないかと思う。
自分としては、一度行けば十分で、これ以上、香港に行きたいとは思わないが、もし私が大金持ちになったとしたら、香港への移住は検討に値するかもしれない。
香港に移住するには700万香港ドル必要だそうだから、一億円払っても十分に元のとれる金持ちは移住するらしい。

posted by libertarian at 12:01| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Matrix

戦後の日本の政治言論は、単純には(親米、反米)*(親中、反中)の4つに分けられる。左派は、親中&反米が典型的パターン。しかし親中&親米もいる
いわゆる保守は、反中だが、親米も反米も同じくらいいそうだ。

右から左に並べれば
反中親米<反中反米<親中親米<親中反米
となるだろうか。
いわゆる極右といわれる民族主義みたいなことを主張する人は、反中反米だが、この順番でいくと反中親米よりも左よりになる。
これは割と重要なポイントで、数学的に正しいのである。

この分類はもっと単純にでき、要するに、親中(左)か反中(右)かの2つで分類できる。
#ここに、昔は親ソか反ソという分類もあったのだろうが、今はソ連がなくなったので、曖昧である。

ここで、リバタリアニズムはどうなるのかというと、日本にそんなものは存在しないのでどうでもいいのだが、常識的には反中だ。
アメリカというのも非常に問題のある国であるから、国として見た時に親米というのは難しい。
そこでアメリカも一枚岩ではないことに目を付けて、反中&親リバタリアンというのが、私のスタンスである。
中国も必ずしも一枚岩ではないのだろうが、限りなく一枚岩に近いと思われる。
アメリカはその点、ある程度の多様性が存在し得ると考えるわけである。

それも大きくは、共和党と民主党くらいの多様性だが、民主党は論外であり、共和党はキリスト教色が強く碌でもない勢力が多い。
そこで、比較的にましな第3の勢力がリバタリアンというマイナー勢力とみるわけだが、これも必ずしも一枚岩ではない。
私が、内政と外交のバランスがとれていると思うのが、ミルトンフリードマン一派である。
ロンポールのような、ミーゼス一派は、経済理論が駄目なので政権担当能力はない。
ハイエクもオーストリアンという分類ではミーゼス一派に近い。

posted by libertarian at 11:20| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

Historical facts

アメリカ人は、それなりのインテリでも歴史感覚がおかしいのが多い。これはリバタリアンでも同様だ。
ナチスドイツと大東亜戦争前の日本を同列に論じている馬鹿が多いのにはあきれる。

歴史認識がおかしいと、思想もおかしくなる。その点やはり歴史認識は、人文系の学問では大事だ。
おそらくリバタリアニズムに関しては、独立宣言や立憲主義が、ほとんど建国の神話となっていて、それにかなり依存しているわけだが、もしその歴史的事実認識が間違っていたらどうすんだ?という気がする。

開発ものを何冊か読んだが、「国家はなぜ衰退するのか」にしても、歴史認識がかなり怪しいところが多い。
しかし、それが事実として論を進めているのだから、それが事実かどうかは重大だ。
この本は開発経済学もので、やたらとよいしょされているようだが、つまらない本であった。
包括的制度とか、肝心のキーワードが未定義で、曖昧、かつ無意味である。

私の読んだ開発経済ものでは、「援助じゃアフリカは発展しない」(ダンビサ モヨ)が、ベストだった。
援助がプラマイ0なら良いのだが、実際は援助は大きなマイナスであるから、この本を書いたという。
この莫大な損害、損失に関して、サックスなどはまともに取り上げることすらしてない。何の反省もせずに、金が足りないと言っているから度し難い。おそらくサックスは開発利権と結びついているに違いない。

特に、この本でモヨは、直接投資の重要性を主張している。
アフリカへの援助も、日本の地方への公共投資も同じようなもので、役人が他人の金をばらまいているだけだからうまく行くわけがないのである。

個人が投資をすれば、それは経験になる。経験といった時間的要素は大事で、人間ならではの重要な条件だ。
経験の重要性を取り込んだ開発のキーワードは「国家は何故衰退するのか」には出てこない。
経験を通した発見的プロセス、またそれをドライブする動機、インセンティブといったものが大事で、投資行動にはそれらが含まれる。しかし、公共事業にはそれがない。


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2014年03月04日

Coming Emergency

最近のアジア情勢を見るとかなりキナ臭い。中国は、習金平体制になり侵略色を露にし、韓国は中国に属国意識で追従し、北朝鮮は崩壊寸前で、台湾は馬英九の外省人体制になり中国よりになっている。この調子だと、なにかのきっかけで、ほんとに有事が起こるのではないか。
安倍政権が、集団的自衛権の問題を急いでいるのも、この情勢と無関係ではない。秘密保護法はスパイ防止法であるから、急いで成立させた。
日本政府は脅威の存在を明確には言明しないから意図が分かりにくいのだ。

アメリカもオバマで弱体化しているようだし、日米同盟うんぬんも怪しいものだ。
このままだと、今まで、アメリカの属国として安心しきっていたツケを払うことになるだろう。
世界は日本人が思っているほどに、安定もしていなければ、安全でもない。
普段は現実政治に関心のない私が感じるくらいだから、あと5年くらいの間に有事が起こっても不思議ではない。
尖閣諸島問題など既にいろいろと伏線となる事態は起こっているのであるから。

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2014年03月02日

Independence

リバタリアン的には反戦は当然だが、それは侵略的な戦争はしてはいけないという意味である。これが、いわゆる非侵害公理というものである。
しかし、自衛のための戦いを放棄する馬鹿はリバタリアンではありえない。

しかし大東亜戦争の時の日本人は、勝てない戦争をしたというが、戦争なんてものは日露戦争にしてもほとんど勝つのは不可能のような戦争であったし、結果論でしかない。後知恵で無理だったというのは愚かである。
株のチャートを後でみて、ここで買っておけばよかった、売っておけばよかったと同様の話である。

あらゆる戦争回避の努力をアメリカの謀略によってはねつけられ、植民地化されるか戦うかという状況になった。
もちろん、日本も短期に決めないといけないことは分かっていた。しかし日露戦争の時とは違って、世界大戦になってしまっていたから、局地戦で終えることができない状況になっていた。
日本は一国で、アメリカ、イギリス、フランス、オランダを相手にしたわけで、インディアンとアメリカ人の戦いのようなものだったようにもみえる。
今でもインディアンはいるが、インディアンは実質的に、精神的に虐殺され存在しないわけだ。

日本の敗戦後、イギリス、フランス、オランダといった国は、日本が解放した植民地を再度乗っ取ろうと侵略戦争を仕掛けたが、今度は現地の人間が日本人に倣い戦って独立を勝ち得たわけだ。

いまだに欧米のアーリア人のRacismは健在であろう。それは多少は社会的に抑圧されているが、情念のようなもので、なくなったわけではない。むしろ抑圧されたものは反動があると怖いものだ。

ブラックアテナで、バナールは古代ギリシャがヨーロッパ文明の固有文明とされたのは、20世紀の人種差別主義が盛り上がった時に作られた神話であると指摘しているわけだが、人種差別や異教徒差別は植民地主義や侵略を正当化するためのイデオロギーであって、人種差別が植民地主義の原因ではないと思われる。欧米はアメリカにしても侵略と虐殺の歴史であるから、その歴史を正当化しようとする限り、racismは潜在的になくなることはない。

posted by libertarian at 13:32| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Herbert Hoover

ハーバートフーバーは、次のように回想している。

「私が”日本との戦争の全てが、戦争を仕掛けたいという狂人の欲望だった”と述べたところ、マッカーサーも同意した。
マッカーサーは、”1941年7月の日本に対する金融制裁が挑発的であったばかりでなく、その制裁を解除しなければ、たとえ自殺行為であったとしても日本を戦争をさせざるを得ない状態にまで追い込んだ。経済制裁は殺戮と破壊が行われないものの、戦争行為にあたるものであって、どのような国であっても誇りを重んじる国であったとすれば耐えられることではなかった。”と述べた。
日本に対する経済制裁は弾こそ撃ってなかったものの本質的には戦争であった。」

この狂人とはFDRを指している。FDRこそは日本にとって最悪の戦争犯罪人だったのである。
そして、フーバーは日本を壊滅させることがあってはならないとトルーマンを戒め、「日本は本質的に西側に属する国家だ」と論じた。

そもそもルーズベルトは、経済制裁どころか、その前から蒋介石の国民党軍に相当な軍事援助をし続けていたし、爆撃機や傭兵も提供して日本を攻撃させようとしていた。ルーズベルトの謀略によって日本を強制的に戦争に引きずり込んだのは自明な史実と考えなければ話がはじまらない。アメリカの連中も口では決して謝罪をしないが、頭の中では非はアメリカにあると分かっているのである。

「アラモを忘れるな」と同じ、子供騙しの謀略をごり押しで通すまねをアメリカは歴史上ずっとしてきているわけで、パールハーバーを忘れるなもその繰り返しの一つだ。

日本は当初、露骨な植民地化、つまり婦女子の強姦や奴隷化を恐れていたが、アメリカの進駐軍はそれほど酷いことはしなかったから、最初から戦争しなければよかったと思ったのであろう。だが、原爆をはじめ、占領前に散々無法な虐殺をしていたのである。
終戦直前からのめちゃくちゃな状況は、アメリカやロシアの国際法を無視した蛮行によってもたらされたもので、それはまさに植民地支配で行われた蛮行となんらかわらない。
占領後は7年も留まって、war guilt information作戦による洗脳、歴史の改ざんを行い、日本の国を根本的に社会改造をしようとした。しかし、そのうちソ連との冷戦が緊迫してきて、日本を反共の防波堤にしようと方針転換したわけだ。

そして、日本は結果的にアメリカのGHQの洗脳政策とロシアコミンテルンの策略が交錯する冷戦の舞台となり、国内言論はめちゃくちゃになった。
日本人の右も左もなにも分からないという状況は、精神的にはかなりのストレスになっているだろう。

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Incentive to science

日本は古くは関孝和のような数学の天才を輩出しているが、科学というのが発展しなかった。いわゆる科学は近代ヨーロッパでのみ発展したといえるが、そのインセンティブは何だったのか?
日本でも数学の天才は、たまに生まれるが、それが科学にはなぜ結びつかなかったのか?
日本では天文学もほとんど発達していない。

ヨーロッパで科学が生まれたのは、ギリシャであり、その後、1300年の断絶のうち、ルネッサンスで科学が復活する。
ルネッサンス以降、科学はヨーロッパで急速に発展した。その根本理念がアトムであった。
科学のような金と時間を要する取り組みに対するインセンティブが何であったのかがよくわからない。
通常は、名誉欲や金銭欲がインセンティブであったりするわけだ。
好奇心といったものだけでもインセンティブとしては不十分な気がする。
アトムという概念と無神論はセットになっており、教会に対する反発もあったとは思うが、ニュートンなどは別に無神論者でもない。

天文学はギリシャの昔より科学の元であって、それと数学が結びつき、アトム論が結びつき、近代的な科学が生まれて行った。
日本には昔から天文学がなかったのが、自然科学が発達しなかったことと関係があるのかもしれない。

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2014年02月28日

Manifest Destiny

アメリカは西へ西へと侵略していくことが、Manifest Destinyとして国是のようにある国だが、それも、そろそろ地球を一周してしまいそうだ。となるとやはり、今後は宇宙を目指すしかないようになる。実際、アメリカの宇宙開発の意欲はすごいものだ。宇宙開発には軍需産業も転換しやすいと思われる。
宇宙には、先住民はいないだろうし、チャレンジングであり、アメリカが目指すのにふさわしい無限の荒野といえる。

しかしアメリカは合衆国であるわけだが、もはや一つに固まっている意味があまりないように思われる。
アメリカは歴史的に領土の拡大、statesの増大とともに連邦政府が急速に肥大化していき、建国の理想とは異なり、連邦政府がモンスターのような制御不能な存在になってしまった。

ドルにしても、50州の全てが最適通貨圏ではないという指摘もある。アメリカがある程度、分かれて連邦制を縮小し、通貨発行も分散し、州毎に通貨発行をした方が健全な姿のように思う。そこで通貨の競争が起こる。
今の肥大化しモンスターとなったアメリカ連邦政府を制限するには、一度、分かれた方がいいのである。
そして、分かれても、自由貿易、もしくは完全なる無関税、人に移動の自由だけを保障しておけばよい。
EUにしても、通貨統合は意味がなく、完全自由貿易圏だけ達成できれば十分だった。


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2014年02月27日

Liberation

香港に行ってきた。その飛行機の中で、ヘンリーストークスの書いた「英国人記者の見た連合国戦勝史観の虚妄」という本を読んだ。

私も昭和の洗脳空間で育った人間であるから分かるが、あまりにも洗脳というのが徹底的であったがために、今でも日本の大東亜戦争を日本の侵略戦争と思っている人は多いと思う。
テレビ、新聞といったメディアが徹底的にGHQの東京裁判史観を報道洗脳してきたからだ。
ここら辺、今の日本人の歴史意識は統計調査をしてみるべきであろう。教科書が変わってないから今もほとんど同じであろう。

大東亜戦争を日本の問題として論じると、洗脳された連中がぎゃあぎゃあ言ってきて全く議論にならなくなるので、むしろ、当時の植民地主義とはどういうものであったかということをちゃんと教えることから始める方がよい。
植民地主義とは、大航海時代から500年続いた、欧米による有色人種への徹底的なracismに基づく、略奪、虐殺、奴隷化、収奪がセットになったものである。
アフリカが広大な土地にも関わらず人口が少なかったのは、奴隷化によって人口が激減したためと考えられる。

この意味で、侵略とは、まさに欧米の植民地主義のことだ。
日本の大東亜戦争は、大東亜共栄圏という理想を掲げ、その欧米の植民地支配を打ち破ろうとするものであり、それは侵略の要素はほぼ全くない。虐殺も奴隷化も収奪もなく、持ち出ししてインフラを整備していたのだ。
当時の日本人はアジアの情勢から植民地化されるとどうなるかをよく知っており、欧米の植民地主義に抗って日本が独立を維持する方策を真剣に考えていた。その結論がアジア全体の解放でもあったのだ。

実際に、その目的はかなりの程度まで達成され、それまで何百年も植民地支配されてきたインドやインドシナ、インドネシアの国は独立が可能となった。これは日本がイギリスや、フランスやオランダに勝ったからこそ、可能になった。
日本は現地の人間を、ちゃんと人間として尊重し教育し自信をつけさせ、戦う方法を教え、戦う武器を与えたからこそ独立できるようになったのである。

今では、植民地支配というのは経済的にも愚かな行動であることがわかってきて、当時のような露骨な植民地主義はないだろうが、植民地化の結果としての洗脳空間は未だに日本は健在なようである。
戦時中に個別にはいろんな問題もあったろうが、歴史的大局観としては、反植民地主義運動として、大東亜戦争を見なければ何も分からないことになる。

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2014年02月23日

Atom and Renaissance

ルクレティウスの本が発見されたのが1417年で、それでエピクロス思想がはじめて発見されたのかと思いきや、実は、ディオゲネス ラエルティオスのギリシア哲学者列伝がそれより前に、12−13世紀頃に発見されていたようだ。
となると、その10巻にエピクロスの本がそのまま写されているから、ある程度、エピクロスのことは知られていたことになる。
しかし、その量は少なかったし、ルクレティウスの本(右矢印1これは「物の本質について」という題で岩波からでている。より直截なタイトルは「宇宙をつくるものアトム」らしい)の方が、エピクロスの思想を詳しく説明したものだった。

古代ギリシアの書物の発見としては次のようになるらしい。

1100年頃 ヘロンの気体論
1269年 アルキメデス
12−13世紀 ディオゲネス ラエルティオスの「ギリシア哲学者列伝」
1417年 ルクレティウス 「宇宙をつくるものアトム」

そして、活版印刷が1450年頃に発明され、ルクレティウスの本「宇宙をつくるものアトム」は1473年に活版印刷で出版される。
この本はアトム論を通して明確に神の存在を否定しているが、驚くべきことに禁止されることもなく版を重ね5刷もでた。
この時点で、アトム論は広く人口に膾炙し、原子論ブームのようなものがあったようだ。

コペルニクスは、自分の地動説を唱える本を注意深く自分の死後に発表するように遺言し、その亡くなった年1543年に発表された。
この本の中で、原子論をも論じている。
ジョルダーノ ブルーノは、コペルニクスを支持し、異端審問でイエズス会によって焚刑にされたが、その著書「無限、宇宙、および諸世界について」でエピクロスの原子論に肯定的に言及している。

さらに、シェークスピアの戯曲の中には、アトムという言葉が多く登場する。当時の流行語となっていたようだ。
ルネサンスというのは後世の歴史家による時代区分であるが、1400年代に開花し、1500年代に頂点となる。
その一つの頂点として、ガリレオなどが生まれた。この頃には原子論は流布してたようだ。

実際、中世の作家は多く原子論に言及しているらしい。
ラブレー(1494-1553)は、ルキアノスに言及
モンテーニュ(1533-1592)は、デモクリトス、エピクロス、ルクレティウスに言及。特にルクレティウスから多く引用

「1417年 その一冊が世界を変えた」にあるように、ルネサンスとはルクレティウスの本を通したエピクロス原子論の復活、科学合理主義精神であったわけだ。(ちなみにこのグリーンブラットという人は歴史学者でなく、文学の人だった。とくにシェークスピアが専門で、シェークスピアからエピクロスにたどり着いたのであろう。)

エピクロスのアトム論というのは、アトムだけを論じたわけではなくて空虚、真空とセットになった概念で、これにより浮力の概念などを原子論的に説明することが可能になる。これに比べ、アリストテレスは、アトムを否定し、真空を否定した、ある種の連続概念を唱えていたようだ。
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2014年02月22日

Colonialism is not trade

植民地主義や人種差別に対する欧米の知識人による批判というのは、今まであったのかどうかが非常に疑問である。
ハイエクが人種差別や植民地主義を批判したなんてのも、見たことがない。だが当時はまだそういう時代だったはずだ。

今では人種差別や性差別に関しては、国内的には抑圧されている状況だが、これが国家間となると、自分の国から見てout of lawの人間は、どうも未だに人間とは扱われないようだ。
ラスカサスの恐るべき告発の書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」があるが、この本はスペイン人のアメリカ先住民に対するあまりに凄まじい残虐行為が淡々と書かれていて、読むのが辛くなるような本だ。ラスカサスは、人種差別を批判した少ない人間の一人である。人種差別という言葉では生温いのだが。

しかし、ほんの100年くらい前までは、人種差別や奴隷が当たり前の時代だったわけで、そこから人類がどれだけほんとに進歩しているのかは疑わしい。
この100年くらいで、動力、エネルギーの利用技術が指数的に増加したがゆえに、奴隷の経済性が落ちてきて、奴隷制が経済的に成り立たなくなったから廃止されたと考えるのが妥当のような気がする。人道的な見地よりも経済性が主な原因かもしれない。

法の支配というのが、結局のところ一国内でしか成立していないわけである。ジョンロックにしても、奴隷売買している会社の役員をやっていたようだ。西洋の宣教師なんてのも布教と同時に奴隷貿易をどうどうとやっていた。
つまるところ、人間の権利というのは、この100年くらいで、一国内の階級的な特権であったものから、国民全員に与えられるという発展をとげたが、一国内の外側には全く及ばないという限界がある。
アニマルライツは、極端な感じがするが、一国内の人間以外の外の人間に対しては、アニマルライツすら存在しないわけだ。
しかし、国内の家畜に対してはアニマルライツを認めようとする。

貿易や交易というと対等でフェアな感じがするが、近代までの歴史は欧米による収奪と虐殺の歴史である。
それを交易と呼ぶのは、反省が足りなすぎる。収奪によって欧米が経済発展したのは間違いないだろうが、侵略され虐殺された側には巨大なマイナスしかないし、民族虐殺されたら発展の可能性もなにもない。
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2014年02月20日

History of America

アメリカの歴史について、簡単にまとめた。備忘録

1492 コロンブス上陸

1494 Tordesillas条約

1620 メイフラワー号 ピルグリムファーザーズ

1773 ボストン茶会事件

1775  独立戦争はじまる
1776 独立宣言
1783 独立戦争おわる

1803 ルイジアナ買収 (T ジェファーソン大統領)

1810 メキシコ戦争はじまる
1821 メキシコ戦争おわる

1853 ペリー艦隊 日本にくる

1861 南北戦争はじまる
1862 黒人解放宣言
1865 南北戦争おわる

1898 ハワイ併合

1960 ベトナム戦争はじまる
1964 黒人への公民権
1975 ベトナム戦争おわる

最近のイラク戦争とかは面倒なので省略。
コロンブス上陸以来、メイフラワーなどの移民が本格的に始まるまで、120年以上ある。
これは、当時の航海術が未発達であったというのもあるかもしれない。
ハリソンのクロノメーターH−1が発明されたのが1730年で、普及するのが1770年頃から。

建国時の有名人物 生年と没年
ベンジャミン フランクリン 1705−1790
ジョージ ワシントン 1732−1799
トマス ジェファーソン 1743−1826
ジェームス マディスン 1751−1836
アレクサンダー ハミルトン 1755−1804


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Colonialism

サザンの歌で、一番知りたい近代史の歴史を授業ではやらんというのがあった。
これは誰しもが思うことだろうが、あまりに歴史教科書の記述が酷いので、歴史の教師があえて避けているのかもしれない。

近代史について、知らなければいけないのは、植民地主義、colonialism である。
これは大航海時代から、500年以上続いたもので、下のWIKIの地図のとおり、20世紀初頭は、世界は、欧米の十数か国と、日本しか国と呼べる国はなかったわけだ。
日本が明治維新によって、植民化をなんとか回避したが、結局、それも60年位しかもたず、1945年にアメリカに占領される。
日本は、それ以来、アメリカの従属国、dependant stateとして位置づけられる。天皇制を維持したくなければ、ハワイと同様の州になっていてもおかしくはない状況だ。
しかし、20世紀には植民地主義は、すでに斜陽しており、奴隷貿易も下火になっていた。これが、もし19世紀に植民地化されていれば、悲惨な状態になっていただろう。江戸幕府が鎖国したのも、この植民地化の脅威にさらされていたからだ。

この、当時の植民地化による食うか食われるかの現実があったことを歴史の授業で全く教えないのは、非常にまずいことだ。
そのために、日本人は、歴史感覚がなく、結果的に世界のことがさっぱり分からない。

Map of 1914 empires colonies territories

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Primavera

ボッチチェリの春(プリマヴェーラ)は、1482年頃の作品。
私は、この絵を昔、ウフィツィ美術館で見たことがある。実物もかなり大きな絵である。
この絵画は、ルクレティウスの詩(事物の本性について)がモチーフとなっている。
Wikiを見ると、その詩が載っている。

Spring-time and Venus come,
And Venus' boy, the winged harbinger, steps on before,
And hard on Zephyr's foot-prints Mother Flora,
Sprinkling the ways before them, filleth all
With colours and with odours excellent.

(大意)春とともにヴィーナスとキューピッドが姿を現し、
ゼピュロスは春を呼ぶ強風を吹き立て、
フローラは色とりどりの花々と芳香を周囲に満ちあふれさせる

− 『事物の本性について』


ルクレティウスの本が、ポッジョにより1417年に掘り出され、エピクロス思想がフィレンツェに復活した。
ダビンチも、ルクレティウスについて書き残しているようで、その影響は広範なものであった。

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2014年02月15日

The case of democracy

ナタン シャランスキーの「なぜ、民主主義を世界に広げるのか」という本をざっと読んだ。この本は、ベイビーブッシュが読んで大変共感したそうだ。
シャランスキーは、ユダヤ系のロシア人で理系の人間だ。ソ連の崩壊によって政治犯から釈放されたそうだ。
しかし、この内容は酷い。さすがに、ブッシュが共感したというだけのことはある。
「私の提案した判定方法を使うと、世界は自由社会と恐怖社会の2つのカテゴリーにわかれ、中間には何も残らない」そうだ。
このような無教養きわまりない理系馬鹿はどうしようもないが、それがブッシュという馬鹿同士で共鳴してしまったのが、この世の不幸である。

中東は自由になれるし、それを中東の人間は望んでいるという。
力による自由化なるものを主張しているわけだが、あきれることに日本のアメリカによる自由化、解放政策がうまく行ったのだから、中東も大丈夫だというようなことを書いている。これは、いわゆるDemocratization(デモクラタイゼーション)という社会工学的発想である。
これと全く同じことを、あのブッシュが言っているのを、テレビで見たことがある。まさに、「この本で私の信念に理論的裏付けをしてくれた」ということか。
ブッシュは911があろうとなかろうと、イラク侵攻をしたいと考えていたようだ。親父の果たせなかった敵を討とうと思っていたのであろう。

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Colonialism: History of genocide

アメリカは若い国と言われることが多いが、コロンブスがアメリカ大陸に上陸したのが1492年で、アメリカの独立宣言が1776年であるから、植民地化の歴史を考えると、この間約300年もあり、それほど新しい訳でもない。この300年の植民地化の歴史は、あまり知られていない。私もそのイメージをはっきりとは持ってない。
実際は、この時代はインディアンの殺戮の時代であった。もっとも、建国後もインディアンは殺戮されていき、ほぼ完全にジェノサイドされた。これはまさにethno clensing,民族浄化政策であった。
もともとインディアンがアメリカ大陸にどのくらいいたのか?どのくらいの人口があったのかはっきりとしないが、1000万とも2000万人とも言われる。これはほぼ当時のヨーロッパ全体の人口に匹敵するだろう。それがほぼ完全に殲滅されたことになる。独立宣言後に虐殺されたインディアンの数の方が多いのではないか。
もともとインディアンはアメリカ大陸のほぼ全域に渡って、いろんな部族が住んでいたようだ。だから独立後、西に拡大するにしたがって、インディアンもより多く殺戮されていった。
コロンブスも虐殺者であり、最初に上陸したエスパーニャ島の住民数万人を残虐極まりない方法で、数年で完全に殲滅した。昨今、インディアンや先住民が疫病で大量に死んだとされるのは嘘であろう。疫病で死んだ人もいるのは事実だろうが、それ以上に殺戮によって殲滅されたのである。もとより天然痘は当時の生物兵器として用いられたので、流感の類いではない。
植民地主義、colonialismというが、これはヨーロッパ人による侵略と虐殺のことだから、言い方も変えた方がよい。
#奴隷という呼び方も、時代と場所により意味合いが異なるので、アメリカ奴隷とか、奴隷の呼び方はもっと分けた方がいいのではないか。ギリシャ奴隷、エジプト奴隷、アメリカ奴隷とか。

スペイン、ポルトガルは熱心なカトリックであったが、まさに白い悪魔で、めちゃくちゃな殺戮、虐殺をあちらこちらでしている。
これはキリスト教の本来のカルト性からくるものなのだろう。それに比べると、イギリスの方がスペインよりはいくらかはましであったのは事実だろう。それでもめちゃくちゃであるが。これはキリスト教徒なのに、こんなに残虐なことを平気でしたというべきではなく、キリスト教徒だからこそ、この狂気のような残虐行為を平然と行ったと考えるしかないのだ。

アメリカの歴史は、植民地の領土拡大に伴う、インディアン虐殺と、奴隷の歴史が陰の部分である。
内向きには立派な立憲主義をとりながら、インディアンや奴隷は、人外、人間ではない存在、家畜以下の害獣という位置に置いていたわけである。



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Colonization of America


13 states at 1775




Colonaization of America 1750 ↓




フランス領ルイジアナ

Territories of America 1789
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2014年02月09日

History of slavery

リバタリアニズムが考える自由とは、私的所有権をベースとした概念である。
そういう点では、普遍性があり純化された概念だが、歴史的には、奴隷か自由人かという身分の問題として、自由概念はあったと考えられる。
今の人間は、自分自身を売買の対象とは考えないだろうが、歴史的にはそうではなかった。
古代ローマから近代にいたるまで、自分自身に担保を設定して、奴隷身分に転落する人間は多かったらしい。
所有権の領域に制限がなければ、自分自身が売買対象になることは不思議なことではない。

現代の先進国においては、もはや奴隷は存在しないとされるのは、奴隷という身分、自由人という身分が法的に存在しないからであり、全ての人が自由人という前提で作られているからだ。
だからこそ、逆に奴隷とは何かという歴史的な分析は非常に重要と考えられる。
前にも書いたが、一言で奴隷といっても、場所、時代で、その概念は異なる。
奴隷とは法的な制度としてあった場合もあるだろうし、慣習的な制度としてあった時もあるかもしれない。
奴隷とは歴史の闇に埋もれた存在であるが、奴隷と、奴隷ではない人間の関係を明らかにすれば、自由概念の歴史もわかる。
歴史を見れば人間というのは極めて野蛮なものであって、自分の国や共同体以外の人間を人間と見なさない時代は長かった。
奴隷が人間と見做された場合と、人間と見做されなかった場合もあるだろう。
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2014年02月08日

Ionia

ギリシャの歴史文書は、ホメロス、ヘロドトス、トゥキディデスのものが有名だが、他にもあるのであろうか?そもそも、ギリシャに関してはわかってないことが多いようだ。古代ギリシャ、地中海世界の歴史に関して、どれだけの文書記録があるのだろうか。または、残っているのであろうか? 他の文書に引用されていて名前だけは知られているが、その著書は何も残っていないギリシャの哲学者はとても多いのである。 イオニア地方の哲学者の多くもそうだ。そんな状態で正確な歴史がどうやってわかるのか不思議である。

ちなみにイオニアとは、エーゲ海を挟んでアテネとは対岸にある現在のトルコの沿岸地帯にあった諸都市を指している。
エフェソスなどの都市があった。

古代ギリシャの哲学について、例えば柄谷のように、イオニアとアテネを対比させて論じる場合、正確な歴史事実がないと、全てが間違う可能性がある。その点、柄谷の「哲学の起源」の注に載っている文献をみると、その歴史に関する文献がほとんど載っていないので、何を根拠としているのがよくわからない。

例えば、今、ぱらっと開いた部分を引用すると、
「イオニアのイソノミアが独立自営の農業や商工業の発達とともに形成されたとすれば、アテネのデモクラシーはもっぱら軍事的な理由から、あるいは戦士=農民の要求から形成されたのである。」と書いてある。
前段を仮定すると、必然的に後段の結論が導かれるといった文章だが、全く根拠なき独断に見えるわけである。
少なくともどこにもその根拠も、文献も示されてはいない。もちろん、最初の仮定から、必然的に後段が導かれるわけじゃない。
柄谷の書くものは、この手の根拠なき独断がやたらと多いのである。学問的には認められないが、評論家的にはゆるしてねということなのだろうか?
しかし、私はやはりこれは許せんと思うわけである。事実と推測を混同した文章は、お話にならない。

こういったことをきちんと証明しようとしたら、当時の歴史やら社会制度やら法律やらいろんなことが分かってないとなにもいえない。
推測にすぎないことを事実のように書いて、その推測を根拠にまた推測的なことを言ってはならない。推測と事実は明確に分けて書かなければ詐欺となる。柄谷一派がある種のカルト集団にみえるのは、こういう基本的なことができていないからである。





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2014年02月07日

Black Athena

マーティン バナールの「ブラックアテナ」論というのがある。私は、これを最初に聞いたとき、ギリシャ人は黒人だったという説なのかと思ったが、実は全く違う。w
バナール本人の解説が、次で読める。
 http://www.gn21.net/bernal_key_note.pdf

一部、最初のところを抜粋しておく。
1.『ブラック・アテナ 第1巻』が目ざしたもの 
 
 古代ギリシャの起源に関するこの書は、ある意味でヨーロッパ中心主義的な発想から
書かれたものである。というのは、古代ギリシャは、想像の世界でも、また現実として
も、ヨーロッパ文明、西洋文明にとって中心的な位置を占めるからである。すべての美
しい芸術と自由な社会制度の源泉としてのギリシャ像は、自らの文化が他のどの文化よ
りも優れているとする西洋人の自負心にとって欠かせないものである。 
 古代ギリシャの起源については多くの伝承や記述があるが、私はこれらを「古代モデ
ル」と「アーリア・モデル」としてまとめるのが便利だと考えた。私の世代の人間は、
ギリシャ文明がインド・ヨーロッパ語を話す北方からの侵入者が、白人であるが非イン
ド・ヨーロッパ語を話す原住民を征服することで成立したとする「アーリア・モデル」
を教えられて来た。 
 これに対して「古代モデル」とは、ギリシャ文明の成立がエーゲ海の南と東の方向か
らの異邦人の到来によるもので、これら異邦人が灌漑、武器、アルファベット、そして
宗教を素朴な原住民に教えたとする見解である。このモデルは少なくとも紀元前5世紀
には通念となっており、古代、初期キリスト教、イスラム教、ルネッサンス、啓蒙時代
を通じて、一般的に受け入れられていた見解である。このモデルが打ち破られ、放棄さ
れるのは、19世紀になってのことである。 
 『ブラック・アテナ』第1巻で私が行ったのは、「古代モデル」の敗退と「アーリア・
モデル」の勝利の背景には何があったかの考証である。私が主張したのは、「古代モデ
ル」は古代ギリシャ成立に関する説明が不適切だったという理由で放棄されたのでなく、
18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパにおける経済的・社会的発展に由来する一
般的な知的傾向に矛盾すると見られたからだということである。 

=== ここまで

バナールはコーネル大学の政治学の教授で、中国政治が専門だそうなので、ギリシャの歴史の専門家ではない。
しかし、歴史家は、大体、マスコミと同程度のおつむレベルの人間、つまり、法律も経済も知らず、まして科学も技術も何も分からない連中ばかりであるから、こういった専門外の専門家の方が、おつむのレベルがずっと高いことが多いわけである。

この本はそのうち読んでみたいものだが、私の直感ではギリシャ、地中海文明は、南と東からの文明が流れてきたものというのは正しいと思う。
実際は、エジプトよりもさらに古い、パルティア文明のような1万年以上前の文明もあり、そのくらいの時間感覚で歴史的な積み重ねがあったからこそ、エピクロスの科学合理主義も生まれたのではないかと思うわけである。



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What's slave?

しばしば、古代ギリシアや古代エジプトは奴隷制社会だったと言われるが、この奴隷という言葉はひっかかる。歴史家は、奴隷という言葉を多用するが、そもそも奴隷とはなんなのかの定義が明確でない。
また、ギリシアの奴隷なるものと、例えばアメリカの奴隷なるものは定義上、同じものといえるのか?

歴史家は、奴隷という言葉の定義をしないで、ごちゃごちゃと話をするからダメなのだ。堂々巡りをするだけである。
時代、社会によって、奴隷という言葉が使われていたかどうかも分からない。
それを一括して、奴隷と呼んでいいのか?奴隷とは呼ばれていなかった可能性も大いにある。
また、ある時代の奴隷と定義される人間が、現代では奴隷とはよばれないこともありうる。

もし、「奴隷」と「自由人」が古代ギリシアで対語となるものであるならば、奴隷とは自由人でないものという定義も可能だろう。
この場合、自由人を定義すればよいことになる。
おそらく、普通、奴隷とは、人身売買される対象かどうかが基準となっているだろう。
しかし古代ギリシアや古代ローマでは、債務奴隷といって、担保に自分自身を設定できたので、債務奴隷となるものも多かったらしい。
奴隷にも値段があったろうし、その値段も大きく異なったろう。役割も大きく異なった。この多様性という点では、今の被雇用者つまりはサラリーマンと変わらない。古代ギリシアでは、自由人よりもずっと豊かな奴隷もいたと言われるが、それを一律に奴隷と呼んでいいものなのか?

古代ギリシアにおいてすら、一言で奴隷といっても、そのあり方は多様で曖昧なものだったようだ。
例えば、奴隷を定義するには、当時の所有権や契約という法概念から定義しないといけないわけである。
だが、法概念は時代や地域によって大きく異なる。だから、一律の定義は難しい。
ある時代、ある地域の法概念では、奴隷ではなくても、別の時代、地域の法定義からすれば奴隷かもしれない。





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Epikouros

エピクロスの本がいつ頃、発掘されたのか少し調べたところ、エピクロスの書物そのものは全く見つかっていないが、ディオゲネス・ラエルティオスが書いた「ギリシア哲学者列伝」の第10巻にエピクロスの書、3冊がまるごと引用されており、その御蔭で保存されたらしい。現在、岩波文庫で手に入るエピクロスの本はこの本の内容だ。
ディオゲネス・ラエルティオスはAC2−3世紀のローマの人間。

そもそもギリシア文明といわれるものは地中海文明と言うべきで、地中海沿岸の諸都市、ポリスの文明といわないと間違える。
より正確には、東地中海から黒海沿岸までのポリス文明圏となる。
初期のローマは、地中海文明の延長線上にあったようだ。
ギリシア、アテネは、BC2世紀あたりにローマの属州となったが、AC6世紀までは存続していた。
エピクロス哲学はAC2世紀くらいまでは、ローマの間ではまさにメジャーな学派で、このころのローマのキケロ、セネカを始めとする多くの政治家はエピキュリアンであったようだ。むしろストア派は少数派であった。

しかし、AC313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、AC389年にはキリスト教が国教化される。
AC395年にはローマ帝国が東西ローマに分裂し、AC529年には東ローマのユスティニアス帝が、キリスト教徒以外の異教徒による教育を禁止することで、ギリシア、アテネの学問は完全に崩壊した。
そしてアリストテレスがキリスト教公認の哲学となった。
この後、特にエピクロスの科学合理主義は、積極的にキリスト教によって排斥された。

このAC6世紀あたりを境に、歴史家はヨーロッパを、古代と中世に分けているようだが、古代の方が科学合理主義で、中世はそれが失われたカルト支配の時代だったわけだ。
ルネサンスで、これらのギリシア文化の発掘が行われるまで1000年もの間、科学合理主義は失われることになる。

デモクリトスもエピクロスも、アリストテレス同様、百科全書派的に沢山の書物を残していたが、キリスト教による排斥により、今では一冊も残っていない。ラエルティウスがいなければ、エピクロスの本は何も残らなかったことになる。ラエルティウスの本もおそらくはルネサンス以降に発掘されたのであろう。それはルクレティウスの発掘よりも後だったに違いない。
それ以外にも2−3世紀ころのローマの政治家、詩人がエピクロスに関する言及を沢山残していたことも大きい。

ルネサンス期のギリシアの書物の発掘は、古い修道院、それも昔、ローマ帝国があったドイツなどの中央ヨーロッパの修道院の図書館で発掘されたわけだが、イギリスは新しい国で、なにもなかったらしい。

ベスビオ火山の爆発が、AC79年で、このときポンペイと、フルクラネウムの2都市が火山灰に埋まった。フルクラネウムからは1750年に当時のギリシアの書物、1789巻ものパピルス文書が文字通り発掘された。これは、エピクロス派の哲学者ピロモデスのものであった。
ポンペイの遺跡でいろんなところに刻まれていたというメメント・モリ(死を忘るなかれ)というのも、エピクロス思想だったのだろう。これは人はいずれ死ぬのだから、今の人生をせいいっぱい楽しめという意味である。



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2014年02月02日

From 2001

2001年からいろいろと戦争やら経済危機があったが、纏めてみると、次のようになる。

2001 9.11 同時多発テロ
   アフガン侵攻
2003 イラク侵攻
2007 サブプライム問題発覚
2008 リーマンショック
2009 民主党オバマ政権 発足 
   民主党鳩山政権 発足
2010 ジャスミン革命(北アフリカ、チュニジア)
2011 3.11 東日本大震災 福島原発爆発
   オサマ・ビン・ラディン暗殺
         エジプト革命
2012 リビア内戦 
   12.26 安倍内閣発足

いろいろとあるので前後関係が分からなくなるが、2001以降は、テロ防止、セキュリティ強化がさけばれ、準戦時状態になったかんじだ。
イラク戦争の戦死者とか具体的な数字が公表されていないが、調査機関によっては120万人という数字を出すところもある。
こういった戦争情報もあまり入ってこない。北アフリカのジャスミン革命といわれたものも、311以来、あまりニュースになってないようだ。今、どうなっているのかが分からない。
ドラマの24も、最初はテロ対策だったが、シーズンを重ねるとテロの黒幕が実は大統領だったという懐疑的な色調になってくる。
アメリカの戦争行為は国際法上は、侵略行為であり違法だが、アメリカの軍事行動を抑止できるパワーが今はどこにもない状態になっている。1991年のソ連崩壊によってパワーバランスが崩れ、アメリカ一強状態になったのがアメリカの過剰な軍事行動の遠因だ。

ミルトンフリードマンはアメリカのイラク侵攻に反対したそうだが、リバタリアンの中でもこれを支持するものもいる。
しかし2−3000人が911で亡くなったとはいえ、その仕返しにイラクの人を民間人を含め100万人以上虐殺して許されるということはあり得ない。
戦費も莫大で、これを国内に投資していたら経済危機も起こらなかったかもしれない。

911の陰謀論で、ペンタゴンへの飛行機激突の懐疑論と、WTCが制御爆発説が、両方間違いだとしても、やはり疑問は残る訳である。内部で手はずを整えていた組織的ななにかがあったのではないかという疑問だ。
しかし、こういったものは検証、立証はほぼ不可能であるから、こういった疑問はずっと残るのであろう。
ケネディの暗殺の時と同じだ。著しく矛盾のある説明をして、それでおしまいにするから懐疑論はずっと消えないのであろう。
実際アメリカの工作、陰謀は他にも沢山知られていて立証されているものもある。だから、911に政府内部の工作、陰謀がなかったとは決して断言できないことである。

そして、戦争などの危機の時に乗じて有無を言わさずに、政府は巨大化していく。
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2014年02月01日

Karatani Kojin

柄谷行人の本「哲学の起源」、「世界史の構造」を借りた。ぱらぱらと見た程度だが面白そうだ。柄谷の本を読むのは20年ぶりくらいだろうか。
知らぬ間に柄谷も、岩波が担ぐ大文化人?となっている。
昔は私は柄谷のファンで、70年代末の柄谷なんてほとんど誰も知らない時からよく読んでいた。
これが私が道を踏み外した原因ともいえる大失敗であったと思うわけだが、私の若いころは柄谷の本と共にあったといっても過言ではない。w

柄谷の本は、いろんな本を読んで思いついた断片的なアイデアを、つなぎあわせて論理を構成しようとしているのだろうが、全体としてはそれは失敗しているが、部分はそれなりに面白かったりする。
だから、初めから読まなくてもいいのである。w
もっといえば、部分しかない本なのだ。一つの本で一つの大きな主張をしている場合、それが間違っていたら全部だめになるが、柄谷の本の場合、部分のつぎはぎであるから、全体がどうでも構わないのだ。それが、柄谷が岩波文化人となった理由であろう。w

「哲学の起源」は、ギリシャ哲学の話で、最近、ギリシャに興味にある私としてはタイムリーな本といえる。が、柄谷はエピクロスの重大さには気づいていないようだ。
ギリシャというのは、実は1000年以上にもわたる文明であって、教科書にあるようなプラトンやソクラテスだけの世界ではない。
「世界史の構造」は、リバタリアニズムについても、少し書かれているようだ。
交換様式を批判の切り口としているようだが、そのうち、また感想でも備忘録として書いておこうと思う。



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2014年01月29日

911 Pentagon case - American77

911 でペンタゴンに激突したとされるアメリカン航空77便(ボーイング757)だが、公式発表では、ペンタゴンの側壁に5m程度の穴をあけ、そこに巨大な機体全体がすっぽり入り、なかですべて燃え尽きたそうだ。幼児のいいわけにもならない、めちゃくちゃぶりで、あきれる。

そもそも飛行機の機体には、厚さ1mm以下のジュラルミンが張られた張りぼて構造だから、壁にぶつかれば飛行機のほうがぺちゃんこになるのが常識だ。それが分厚いペンタゴンの3重の壁を3つも突き破ったことになっている。

アメリカン77がペンタゴンに激突しなかったのは明らかであり、ラムズフェルトが口をすべらしたようにミサイルが撃ち込まれたのだ。
飛行機には54人の乗客が乗っていたことになってるが、アメリカン77が激突してないことは明らかだから、どこか別のところで口封じに殺されたのであろう。

次の「911ボーイングを探せ」というビデオはよくできている。
このビデオは、なぜかアマゾンでは売られていないし、売ることができないらしい。


  
 

ーーーーーーーー 追記 (2014/1/30)ーーーーーーー
日本のサイトを調べたところ、次のサイトを見つけた。
http://www.geocities.jp/finalflight77/6.html

これを見ると、5mの穴に主翼から全部入った訳ではなく、主翼は側壁の壁を破壊して中に入ったと分析しているようだ。
柱のようにみえる縦の壁によって、主翼は切断されたようだ。横の崩壊した壁の穴から主翼が入った。
また、この写真からは、外に飛行機の残骸は多少あるようだ。
必ずしも、5mの穴から機体の全てが入った訳ではないから、無理な説明ではないのかもしれない。

となると、アメリカン77便はペンタゴンに突入しなかったということはないのかもしれない。
アメリカのサイトでも、こういうちゃんとした説明を分かりやすいところに置いておいて欲しいものだ。

私のペンタゴンへのアメリカン77の激突の信頼度は90%以上に急上昇した。w

続きを読む
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2014年01月27日

911

2001年の911の陰謀説は当時からあったが、あれから13年経ち、いろいろと情報や疑問点が整理されてきた感じがする。

Wikiのアメリカ同時多発テロ陰謀説を見ると、よくまとまっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC

たしかに、あまりにもおかしな点が多すぎる。
おかしなことは、おかしなことであるから、それは明らかにされないといけない。

今検索したところ、
[ 911 conspiracy ]でググると1650万件もヒットする。
「911 陰謀」でググると、168万件のヒットだ。

Loose change という911問題を扱った映画の日本語吹き替え版が、Youtube で見れる。
この映画は、2009年頃に作られたようだが、煽った陰謀でなく客観的な事実を積み上げていて興味深い。
特に国防総省に突っ込んだとされる飛行機が高温ですべて蒸発したなどという説明が公式見解だというのはトンデモ以外のなにものでもない。
TwinTowerに突っ込んだ飛行機もすべて高温で蒸発してなにものこらなかったというのも、人を馬鹿にしたようなトンデモ話である。

このビデオを見ると、なにがおかしいのかが分かり、いろいろと考えさせられるのである。
お勧めだ。
WikiLeaksなどに、911に関する情報はないのだろうか?
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2014年01月25日

The swerve

「1417年 その一冊がすべてを変えた」(グリーンブラット)を読んだ。なかなか面白かった。この本は、ギリシャのルクレティウスの「物の本質について」という本の発見によって、エピクロスの原子論が西洋に復活し、その後の社会を大きく変えたことを書いている。グリーンブラットはハーバードの歴史学教授なので、ディテール描写から中世の雰囲気が伝わってくる。

ルネサンス期に、フィレンツェの人文主義者(ユマニスト)のポッジョというブックハンターが、ドイツの古い修道院のライブラリーで、完全に失われたと考えられていたルクレティウスの写本を発見した。
ルネサンス期には、ギリシャの古い書物を発掘するブックハンターと呼ばれるユマニストのグループがあった。現代に伝わっているギリシャの文献の多くは、この頃にブックハンター達によって発掘されたようだ。アリストテレスは例外として、ほとんどのギリシャの本も思想も当時は失われていてなにもなかったようだ。ルネサンスというのはギリシャの復興というより発掘と言った方が適切なのかもしれない。まさに恐竜の化石を追い求める考古学者のように熱烈にギリシャの失われた書物が探されていた。
当時は印刷機はなかったから、筆写によって一部ずつ複製が書かれ、エリートの知識層にだけ読まれていたが、ルクレティウスのエピクロス原子論の復活は大きな知的インパクトを与えた。

エピクロスの科学合理主義精神や原子論がヨーロッパで完全に失われていたのは、それがカルト教団によって徹底的に排斥されたからだ。ギリシャの科学合理主義は、ヨーロッパがキリスト教というカルト教団に席巻されたことで1000年以上も失われてしまったわけである。(そもそも紀元前300年前にギリシャのアリスタルコスは太陽中心説をとなえていて、地球も他の惑星も太陽の周りを回っていると普通に唱えていた。)
既にギリシャの書物は大量絶滅していた。アレキサンドリアに作られた、ギリシャの書物が膨大に納められていた壮大な図書館もキリスト教によって破壊された。

エピクロスの思想の種がルネサンス期に奇跡的に発掘され、その後の西洋思想の核となっていったという話であるが、ルクレティウスの短い詩になぜそれほどのインパクトがあったのか?は、ちょっと説得力のある説明がない。ただエピクロス学派の原子論思想が、ルクレティウスの書物の発見によって始めて蘇ったことは間違いなさそうだ。
エピクロス自身の本も、ほんの少しだが残っているが、これはルクレティウスの本よりも後で発掘されたのかもしれない。
ファインマンは、もし後世の人に一つだけしか科学知識を伝えることができないとしたら、「世界は原子で出来ている」という一言を伝えるといいと書いている。ファインマンもエピキュリアンだったのだろうか?

トマス ジェファーソンは、「物の本質について」を複数冊所有していて、エピクロス主義者であることを公言していたそうだ。
そして、独立宣言に「幸福の追求」というエピクロス思想のキーワードを入れた。



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2014年01月22日

Point

ユークリッド幾何の点という概念は、大きさや部分を持たない位置といった定義だが、イメージ的にはAtomに近い。時代的にも、ユークリッドと、デモクリトス ー エピキュロス ー ルクレティウス ー アルキメデスといったAtom論は近い。
しかし、この点という概念はとてもやっかいなものであり、現代の素粒子論もこの点概念のやっかいさと同様のものを引きずっているかのようだ。
atom論自体は、現代の素粒子物理学では「場」になっていて、粒子としてのatomはもはや否定されている。
たとえば、ヒッグス粒子は、ヒッグス場であり、粒子ではない。ちなみにヒッグス場は、長いこと、なかなか見つからなかったから、レーダーバーグが、goddame particle(こんちくしょうな粒子)と書いたところ、その本のタイトルを編集者に、「神の素粒子」とありがたい高尚な名前に変更されたらしい。w 
つまり、ヒッグス場と神様はなんの関係もない。
数学は物理的な実体を扱っている訳ではないから、点という抽象概念を扱えるが、物理学は抽象概念ではなく現実のマテリアルな世界を扱っているので、大きさや部分を捨象した点を扱うわけにはいかないのだろう。しかし、物理学は点概念を扱っている。

しかし、アトム概念が否定された以上、一般人が思っているような物理学を物理学者が追求しているわけではないわけだ。
現代物理学は、場の量子論であり、標準模型が1970年代にほぼ完成したときに、アトム論から、場の理論へと極めて大きな変貌を遂げたわけだ。
ここに私は、今の物理学者たちの一種の詐欺を見るのである。
彼らは一般解説書でも「ヒッグス粒子」の話でも、適当な粒子論的な解説をごちゃごちゃとしていて、ほとんどの人は究極の粒子、つまりはアトムをイメージする。しかし、実際にやっていることは、全然違うのである。
今の人間は、学校でやたらと難しい科学の教科を学んだことになっているが、特に文系の人間の科学知識など石器時代と変わらない。いわゆる理系でも平均的にはかなり低いだろう。
石器時代の人間に現代物理をほんの少しでも理解した気持ちにさせることは不可能であり、しかし、研究予算を獲得するには、一般人の関心を得ないといけないから、嘘を書いている訳なのだ。




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2014年01月12日

Spices

大航海時代の初期、ヨーロッパの商人はスパイスを求めて貿易をしていたわけだが、なんでスパイスがそんなにヨーロッパで需要があったのか疑問であった。スパイスの用途として、薬説、肉の保存防腐をかねた香辛料説が言われてきたが、どうも後者の肉の保存説は間違いらしい。結論としてスパイスの主な用途は薬だった。だから、高値がついたというのが真相らしい。肉の保存を高価なスパイスでやるのは割が合わず、肉の保存は塩、酢、植物油を使う調理方法がとっくに確立されていたそうだ。
しかし、薬といってもおそらく効果はなかったろうから、薬用途で長く使われていたというのは怪しい感じがする。
香水の原料や化粧品用途が意外と大きかったのかもしれない。
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2014年01月11日

Pendule de Foucault

昔は、絶対空間の存在証明として使われた実験に、ニュートンの回転するバケツの水(遠心力で水の中央がへこむ)や、フーコーの振り子がある。こういった実験の合理的解釈から、昔は絶対空間の存在が証明されたと考えられていたわけだ。
別にニュートンを信仰していたから、絶対空間を信じていたわけではない。

しかし絶対空間の存在が否定されている現在では、これらの現象の説明がどうなっているのかとても気になるところである。
マッハは、絶対空間ではなく全宇宙の質量中心のようなものを考えて説明した。しかし、相対論ではこれは未解決問題のようだ。
このようなシンプルな実験の解釈がいまだに未解決問題というのは意外というべきか、さもありなんという感じでもある。
#ちなみにアクゼルの本に未解決問題と書いてあった。


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2014年01月05日

Energy Efficiency

リドレーの繁栄にあったが、エンジンのエネルギー効率は

ニューコメン式      1%
ワット式     10%
オットー式    20%
コンバイドサイクル60%

ニューコメンが最も初期の蒸気機関だが、これは1712年に発明され、60年以上使われている。
ワットはエネルギー効率を一挙に10%に高めたが、これの発明が1769年。
オットーのはガソリン機関だが、1878年発明で20%の効率。現代のガスコンバインドシステムになると60%となる。

ニューコメン式は、非常に効率が悪い蒸気機関であったが、炭坑などの水汲みに使われていたので、石炭は豊富にあり、効率はあまり気にされなかったようだ。ワットの発明まで改良もされずに長いこと使われた。当時はエネルギー効率という概念自体がなかったということか。ワットの発明で、蒸気船などに使うことができるようになった。
現代のガソリンエンジン車のエネルギー効率が大体14%だから、ワットのニューコメンエンジンの改良は立派なものだ。
そして電気自動車になると効率は50%くらいになる。

今までのエネルギーは、巨大発電所、巨大発電網、巨大電力会社という、旧時代のテクノロジーによるトップダウン、中央集権システムであるが、これをパーソナライズし、小さくし、個々人のものにしていくのが、進歩というものだ。電気という生命線を電力会社に握られた状態から、個人が自由になるのは大きな社会変革になる。
このペースでいくと、10年もしないうちに、電力会社から電気を買うよりも、ソーラーなどで自給した方がずっと安くなる時代になるだろう。ソーラーなどの自給エネルギーの初期投資は掛かるが、すでに年割りだと電力会社から買う電力料金とトントンの状態になっている。日本はアメリカよりも電気料金が2倍以上高いが、自給電力の単価がアメリカの電気料金よりも安くなれば、市場が一挙に拡大するだろう。
原発だ火力だ自然エネルギーだと言う前に、電力会社は個人の自給電力との価格競争になる。今の電力システムは送電ロスも大きく極めて効率が悪いので、Point of loadの自給電力にコストでも効率でも勝てないはずだ。
日本の町中に張り巡らされた醜い電線網もいらなくなり、スマートなボトムアップのグリッドシステムにすることが可能だ。

posted by libertarian at 22:26| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

The rational optimist

本日、マット リドレーの「繁栄」を借りて読んだ。読みやすい本で、すんなり読み切れた。歴史の本は途中で退屈して投げ出すことが多いのだが、これはスイスイ読めた。
しかし、その分、私にとって特に新しい知識が得られたともあまり思わない。が、共感を持って読める本は非常に稀少だ。w

リドレーは、科学者であり経済学も自由貿易の重大さも理解しているのが、そこらの歴史家との大きな違いだ。
ハイエクのカタラクシー(catallaxy)が最終章のタイトルになっているように、またジュリアンサイモンにも言及しているように、経済の自由、交易の重要性、技術の重要性がベースとなって、optimisticな議論を、世の訳知り顔な悲観論(マルサスの人口論、成長の限界、環境破壊、地球温暖化、、etc)に対比させながら論考している。実にまともな本といえよう。

リドレーはハイエクのカタラクシーの意味を、交換と専門化によって自発的に起こる秩序と定義している。
そこでは、知識は集団的になり、イノベーションと秩序がボトムアップになるとする。交換の容易さが、知識の専門化を押し進めるというのがリドレーの観点である。

歴史の本質を、経済、交易、法制度を含めた社会制度、技術にあるとする見方が、非常に重要なのである。
歴史を政治史、戦争史くらいにしか思ってない凡百の歴史家の本は読んでも時間の無駄だが、こういった観点からの歴史本が増えると面白い。

学校教育においては、高校くらいまでは物理や化学は結果だけ教えるのでなく、歴史的な発展をちゃんと教えるべきだろう。
最悪なのは化学だが、物理も似たようなものである。実際には数学であっても歴史的な経緯は重要だ。
ずっと後でトップダウン式に奇麗に体系化され纏められた結果だけ教えても退屈だし役にも立たない。
科学が暗中模索の中で、偶然の発見の重要性もあり、徐々にブレークスルーしていくプロセスを教えた方が、はるかに興味深いうえ、科学的な態度や思考を身につけられるに違いない。

#一方、歴史の授業は、愚かな暗記力競争でしかないし、なによりも左翼唯物史観なるものがベースにあるので有害無益だ。歴史の授業そのものがいらないのである。
posted by libertarian at 17:36| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Medieval gold

ヨーロッパの中世は金貨が使われていたが、金貨は永遠の価値どころではなく、大きく減価する最たるものであった。金は痛んで削れて行くので、年に1回、鋳直しが強制され、その料金が20%も課せられていたそうだ。
つまり、金貨はマイナス20%もの金利がつくものであった。そのため、金を退蔵することはありえず、人々は家などの不動産や田畑や農業設備などにどんどん投資をした。その結果、ヨーロッパは中世に社会インフラが充実し、現在もその遺産の上で暮らしている。

ヨーロッパ中世は同時に大航海時代でもあったわけだが、このように投資環境が充実していたために、当時としては大事業であった大型船舶の建造と物資の国際交易が大規模に行われたのである。
社会インフラ投資と、大きな利益の望める株式会社型のリスク投資が同時に行われるようになったのが、ヨーロッパの中世という時代だった。
そして、オランダでは、後者の株式会社型のリスク投資環境が真っ先に整備されたために、イギリスなどに先んじて世界覇権を握ることとなった。イギリスなどの後発国も、それに徐々に追いつくよう、法整備など社会環境が作られて行ったというのが、ヨーロッパの中世から近代への大ざっぱな道筋といえる。

大航海時代にスペインやポルトガルなどラテン系の国の植民地支配をされた国は、その後も経済発展が遅れ、イギリスなどに支配された国は発展した。スペインというのは当時から社会主義的な全体主義の国だったようだ。
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2013年12月30日

Pest

中世のペストの大流行でヨーロッパの人口が激減したというのは知られているが、この時のペストはヨーロッパに留まらず、中東ーアジアも襲ったらしい。ヨーロッパでのペストの死者が3−5000万程度として、東方世界では1億人以上の死者がでたと推定されているそうだ。このような激烈な疫病は現代では起こらないのかどうか、よくわからない。ペストの世界的大流行は中世に2度起きている。

ペストはネズミや家畜からノミを媒介として人間に感染したそうだが、これは交易、貿易がもたらした疫病と言われる。
そしてペストによって、貿易は大きく衰退することになった。
今では、はるかに物資や人の移動は盛んだが、大きな疫病の大流行は起こってない。単にたまたまなのか、衛生状態の改善や、検疫のおかげなのか、どうなのであろうか?はたして現代人は免疫が強化されているのであろうか?

太陽活動とインフルエンザや疫病との関係を研究したのが、あのフレッドホイルだが、太陽黒点が増えると疫病が増える相関関係があるようだ。
そして、現在、太陽活動は衰退期に差し掛かっていると太陽観測衛星によって観測されている。太陽黒点の11年周期が大きくずれてきたそうだ。
太陽活動が衰退すると、太陽磁場が弱まり、宇宙線が地球に届きやすくなる。宇宙線はスベンスマルクの研究によって、雲を形成する核を作ることがわかった。宇宙線が増えると、雲が増え、地球に届く太陽エネルギーは減少し、寒冷化する。
地球温暖化より、寒冷化の方が迫りつつある脅威なのである。
しかしホイルによると、黒点活動が活発な時ほど、疫病やインフルエンザが流行するということだから、逆に黒点活動が低下した現在は、インフルエンザや疫病は流行らないということになるだろうか。





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Lift

飛行機の本を読むと、最近の本は揚力をベルヌーイでなく、反作用で説明している本が目だつ。どうやらアンダーソンという人の書いた本による影響らしい。
そのインタビューがこちら→ http://www.hitomix.com/taruta/paperplane/Bernoulli.html

私も思わず信じそうになったが、少し考えると、これは明らかに間違いである。
結局、飛行機の揚力はベルヌーイで説明するしかない流体力学的効果である。

作用反作用説の反証は簡単で、エンジンの推力の一部が空気を押し下げる反作用で揚力が得られるとすると、
得られる反作用の力は、エンジンの推力が限界となる。この最大は真上をむいたロケット状態に相当する。
しかし飛行機のエンジンは通常、機体重量を垂直に持ち上げるだけのパワーはもっておらず、その1/3くらいしかない。(戦闘機は別)
よって、飛行機の揚力を反作用で説明することはできないのである。

確かに、うんと小さい力で、重たい機体を支える力が得られるのは不思議な感じがするが、仕事と力は別物ということだ。
機体が揚力で釣り合っている状態では仕事はされてない。




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2013年12月29日

Barter trade

物々交換の場合、100の商品がある場合、4950の交換組み合わせがある。ここに貨幣を介在させれば、100通りの値段だけで済む。これが貨幣の1メリットである。商品の数が多くなれば、nC2でこの組み合わせは増えてくるから、大量の交換をする場合、物々交換=barterは非常に面倒、かつデメリットが大きくなる。だから貨幣の登場はものすごく古いのである。

しかし、通貨のようなものがない場合は、物々交換しか手はない。
昔の多国間貿易は、物々交換が基本であった。西洋と中国の交易では、当時すでに中国には紙幣なんてものがあったが、それは貨幣として西洋では通用しないため、バーター貿易しかなかった。金銀と交換するよりも希少な文物で交換した方が、行きと帰りで2度利益が上がったということもあるだろう。
ギリシャの地中海貿易では通貨によって交易が行われた。これが地中海文明を発展させた一つの要因だ。
その後、地中海はイスラム社会と西洋社会の国境線となり戦場になったから、そこでの安全な貿易はできなくなり、多くの地中海都市は経済的に没落することとなった。アレキサンドリアしかりギリシャしかりだ。

アレクサンダーの帝国にしても、それは略奪というよりは自由貿易圏の拡大の意味が大きかった。こういった古代の帝国主義なるものはローマ帝国にしても現代の略奪史観とは違った自由貿易圏の拡大として肯定的に見ることができる。
歴史家は、ローマ没落の原因を消耗品である胡椒や香料を消費するために金銀を流出させたからなどというトンデモなことを、気取って書く愚かな人間が多いから全くどうしようもないのである。
歴史を書くのは、マスゴミと同じ程度のおつむしかない歴史家ではなく、まっとうな経済学者と科学者が取って代わるべきであろう。歴史を貧困にしているのはいわゆる歴史家だ。

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Calendar

歴史的時間感覚は現代のキリスト教の暦によって歪められていると思う。たかだか、2000年とかそういう感覚で歴史を論じるのは貧困だ。
マヤ文明は、原点となる日からロングカウントによって、何日経過したかを記録していた。紀元前3114年を原点として、120万何日目とかやっていたらしい。残念ながらその間に残されたとてつもなく貴重な記録は、残虐なスペイン人に全て焼き捨てられた。(奇跡的に残った数枚を除いて)
人類の歴史感覚としては、1万年くらいの幅を持つべきであろう。エジプトやメソポタミアが最古の文明という偏見は狭すぎるのである。
文書記録が残っているものを歴史の対象とすれば、過去5−6千年が限界かもしれないが、それより先を無視するべきではない。
文書記録がなくても、遺物を研究すればその技術力は推定できる場合もある。金属の冶金技術が分かれば交易の範囲や規模も推定できたりする。

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History,Economics,Money,trade,Engineering

歴史というのは、政治や思想などあまり客観的でないものを論じたものが多い。**イズムがどうのこうのと書いてある本が非常に多いような気がする。とくに日本の多くの歴史家は**主義という言葉を安易に多用する。とても愚かである。
そもそも**イズムというのは、定義も定かでなく曖昧なムードしか意味してない。ヘレニズムしかり、共和主義しかり、マルキズムしかり。
政策にすぎないことも、**主義と書いている。例えば宥和政策でなく宥和主義と連中は書くのだ。
政治など、今現在の政治状況でも客観的な評価などないだろう。書いている人間の主観と偏見の寄せ集めである。
そういったあいまいな解釈の絡むものを、過去の社会にあてはめて論じても、なんの意味も無い。
歴史においては戦争がやたらとでてくるので、歴史とは戦争史のことのようにも見える。これは勝敗がはっきりしているから歴史において割と客観的部分ではある。だが、それも表層的で大変につまらないし退屈だ。

過去の社会にも、必ず経済があり、貨幣があり、また当時の技術水準があった。こういった具体的なものを論じたものが少ない。
逆に貨幣システム、経済システム、交易、技術といったものは、客観的なので、こういったものが分かれば当時の社会はある程度、客観的に理解できる部分がでてくる。こういった本がなかなか見当たらない。

古代ギリシャ世界についても、地中海文明の中のもので、そこには多くの社会との交易があったことが重要で、他の社会との交易を可能にする貨幣システムはどのようなものだったのかとか興味がある。古代社会でも貨幣数量説は成り立つのであるから、その時の経済システムはどのようなものだったのかとか興味はつきない。
美術品にしても、経済がなければ、インセンティブもないので作られなかったのは間違いない。美術をあまり神聖な宗教的な意味合いで捉えるのはおかしいと思う。

技術にしても経済の中で進歩していくものであり、経済のベースでもある。これは客観的に分析できる対象だ。
技術の歴史は極めて重要だが、その手の本をほとんどみない。
冶金技術にしても、社会的技術インフラで、高温を出すにはどういった材料が必要とかがわかり、そういった燃料も交易によって運ばれなければならなかったろう。技術の発展は交易の発展ももたらし、ネットワークを必要とする。
物々交換もばかにしたものではなかったに違いない。物々交換のメリットは、関税などをかけることが難しくなるというメリットがある。その点、自由貿易上のメリットがある。経済、交易、貨幣、技術というのは、相互に絡み合ったシステムであり、ある社会のある時代の本質ともいえる。

普通の歴史家はどんなに博識でも、基本的な経済学も技術も、また法律さえも全く知らないから、いわゆる文系的な感覚だけで歴史的事実を扱っているだけなのであろう。ようするに中学校、高校で学ぶ「歴史」の延長線上でオタクな知識を増やしているだけなのだろう。歴史を政治史、戦争史とみているかのようだ。それでは非常につまらない。昔の歴史の授業はマルクス主義の影響が強かった。今の歴史家のオツムのベースにはそういうつまらない歴史観が植え付けられているのであろう。歴史家が歴史を貧困にしているともいえよう。
それでも済んでしまっているのは、歴史など所詮過去のどうでもいいことと考えられているからだろう。

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2013年12月27日

Big bang

ビッグバンといえば、今では幼稚園の子供でも知っている。宇宙に関する一般書でもビッグバンのことがくどいくらいに書かれているし、TVでもやたらとビッグバン関連のが多い。もはや現代の一般常識だ。ビッグバンは、宇宙背景輻射の測定と、cobe,wmap らの観測によってほぼ確実だろうとされている説であるが、CMBやcobeの観測結果が、なぜビッグバンの証拠になるのかは非常に難しい。専門家でないとその論理は分からない。
これが35年くらい前だと、ビッグバンなんて名前を知っている人の方が稀であった。当時はまだCMBの観測があったくらいだったので、未だ確証を得るまでにはなっていなかったのだろう。
今や、ビッグバンは確実とされていて、その先の理論、インフレーション理論とかが問題となっている。
ビッグバンがもし間違っていたら、現代の宇宙論ははしごを外された状態になるであろう。

これがキリスト教の世界観ともぴったりと合っているのも、妙な感じではある。実際、カトリックの法王はビッグバンのファンらしい。
一方、旧ソ連では、ビッグバンを支持した学者は悲惨な目にあい、収容所送り、銃殺刑になったそうだ。ビッグバン理論はスターリン下の唯物論科学の敵となぜか見做されていたらしい。

自分は、ビッグバンを正しいとする物理数学的なロジックを知らないので、ビッグバンは現代の通説となっているとしか判断ができない。
つまるところ、正しいのか間違っているのかも判断不能の状態だ。論理も知らずに、どうこう判断はできないからである。
そもそもCMBやCobeの観測結果が全く別の理論で予測される結果と整合的になる可能性だってありそうだ。つまり、理論が予測した値と観測結果があっていたとしても、その理論が正しいとは必ずしもいえない。言えるのは観測結果と予測が大きく狂っていたらその理論が排除されるだけである。

科学が進んでくると、こういう自分では判断できない科学知識、通説が身の周りにあふれてくる。
またそういう知識を学校なり社会が個人に常識として強要してくる傾向がある。しかし、それは感心しない。

結局のところ、物理、数学抜きでこの手の理論は一切理解不能なのであるから、一般書でどうこう説明したところで分かるわけがないのだ。
おまけに、それが疑いのない事実のように書かれていることが多いのもよくない。
こういう説が現代の通説となってるくらいの距離をおいた書き方をしないと科学的ではないし、節度がない。



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2013年12月26日

Almagest

プトレマイオスのアルマゲストを図書館で借りて眺めてみた。これはプトレマイオスが書いた当時(AC150頃)の最先端の天文科学書である。
中身は複雑な幾何学的な記述で、数学、科学そのものだ。
この時期にこれだけのものが書かれたというのは凄い。
私が気になったのは、どうやってプトレマイオスは太陽系の惑星の相対距離を求めたのかだ。この本に載っているのではないかと睨んだのだが、どうも載っていないようだ。もっとも3冊の一部しか読んでないから、確かではない。

で他の本も当たってみたところ、どうやらプトレマイオスは、遠くの星ほど動きが遅く見えるという直感で、正確な太陽系の相対距離を求めたらしい。地球を中心に、金星、水星、太陽、火星、木星、土星の順になる。
この直感は結果的に正しかった。

紀元前数百年のギリシャの科学というのは、時間的には1000−2000年くらいは突出していたもので、その多くの知識はローマ支配とキリスト教支配で失われてしまったが、アラブ世界にその一部が渡って、保存された。
#キリスト教は、アリストテレスに反する学説を唱えたり、原子論を唱えたものは死刑にするという法まで作った。

ギリシャではアルキメデスの時代(BC200-300)にアンティキテラの天文コンピューターなんていう、とてつもない機械も作られていた。これは西洋の19世紀の機械技術水準のもので、それを超えている部分もあるようだ。彫刻にしてもギリシャの彫刻にルネッサンス以降追いつこうとしたが、ついに追いつくことはできなかったわけだ。

アルキメデスというと浮力の原理くらいしかしらなかったが、アルキメデスは驚異的な天才だったようだ。アルキメデスの世界で唯一奇跡的に残った写本というのがあって、これの解析が進んで、その高度な数学は驚異的なレベルだということが分かった。
アリストテレスの本はやたらと残っているが、アルキメデスの本がほとんど残らなかったのは残念なことであった。

歴史というのは、連続的な変化ではないが、まったくの不連続という訳でもない。

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2013年12月21日

Pansuperumia and Evolution

パンスペルミアを支持するのは、大体物理学者、天文学者であり、生物学者は、パンスペルミアを支持しない人間が多い。この理由は、生物学者はいわゆる進化論的な発想に囚われているからである。
進化論的には、生命誕生はありえない奇跡のようなものだから、進化論的にパンスペルミアは認められない。
これなど、進化論というドグマに囚われた害悪と思われる。
物理学者は、進化論など、曖昧すぎる大昔の説と思っているから、進化論的な発想をそもそももってない。

ところで最近、アストロバイオロジーが少しはやってきたとはいえ、フレッド・ホイルにちゃんと言及している本が少ないのはなぜかと思う。
フレッド・ホイルはあまりに、ラジカルにパンスペルミアを主張したから、トンデモと思われているフシがあり、だからホイルの名を出すのははばかられているのかもしれない。
ホイルは馬頭星雲などの暗黒物質のスペクトルが、凍結乾燥させたバクテリアのスペクトルと全く同じだとして、その実験データから、パンスペルミアを確実と考えていた。このデータが反証されたという話を私は知らない。

しかし、ホイルは偉大な天体物理学者であったが、ビッグバンを否定して、ビッグバンの名付け親になったような人であった。
定常宇宙論を唱えていたから、ほぼ全ての元素の宇宙での生成メカニズムをほとんど自分で解明したが、水素とヘリウムの合成だけは解明できなかった。なぜなら、水素とヘリウムはビッグバンによって生成されたものだったからだ。

このような、自分のデータ解釈能力に絶対の自信がある人物であったから、大胆な説をどうどうと唱えていたわけだが、その分、反骨で異端視されていたのであろう。受賞して当然だったノーベル賞もなぜかもらえなかった。
私はこういった人物に魅力を感じる。あの石油の無機起源説を唱えているトム ゴールドもホイルの朋友であった。同類が集まるのであろう。

今は、地球温暖化=炭酸ガス原因説を強行に唱える日本の大したことのない愚かな研究者が、ゴールドの無機起源説=惑星起源説を一笑に付すのと同じような構図があるのだろう。




posted by libertarian at 11:34| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Cosmology and Atom

天動説や地動説といったコスモロジーは日本には全く存在しなかったように思う。そういった議論が江戸時代にあったとか聞いたことがない。
日本では、星というのは、せいぜい和歌や俳句の対象であって、コスモロジーとして発展することはなかった。
これは、奇妙なことのようにも思われる。

天体の距離を求めることは、大変に難しく、現代においても永遠の課題だが、多くの古代文明において、太陽系の惑星は認識していたようだ。
プトレマイオスの時代には既に、惑星は土星まで認識しており、さらに、それらと地球との相対距離も正確に求めていた。
プトレマイオスの天界図をみると、地球を中心に、金星、水星、太陽、火星、木星、土星と正確に描かれている。
ギリシャの科学は実際におどろくべきもので、エラトステネスは、地球の大きさを正確に求め、さらに月食を利用して、月の大きさまで正確に求めていた。また月や太陽までの距離も正確に求めていた。これは凄いことである。彼らは天動説など考えていなかったし、むしろ地動説的に天体の動きを把握していたと考えられる。
プトレマイオスにしても、別に天動説にこだわっていたわけではないようだ。地動説の可能性もちゃんと言及している。
そもそも、プトレマイオスは惑星の距離を地球の公転視差から求めたのであろうから、地球が動くと認識してないと惑星の相対距離も測定できない。

実際、近代ヨーロッパの科学の根本理念=Atomは、ギリシャに源流があって、デモクリトスーエピキュロスーアルキメデスのギリシャの原子論が与えた影響はきわめて大きい。
その後、キリスト教がローマの支配宗教になり、アリストテレスがキリスト教に公認され、ギリシャ原子論の流れは政治的には排斥されるが、この流れはガリレオーニュートンに受け継がれ、近代科学をもたらした。
ヨーロッパで天動説が取られていた理由は、アリストテレスを公認していたキリスト教のためで、アリストテレスが天動説を唱えていたということも多い。アリストテレスの科学は全くダメで、ギリシャの悪い部分がキリスト教と一体化して、長い間、ヨーロッパを停滞させた。アリストテレスは反Atomismだったのだ。
ルネッサンスとは、ギリシャの科学的合理主義の再興だった。この時に、ギリシャ原子論の潮流が復活した。

原子論というのは、哲学的、論理的に面白い概念で、それほど単純な概念ではない。
単純にいえば、これ以上、分割不可能なparticleということだが、それは19世紀には元素のことと考えられていた。
ラボワジェが元素表を出して以来、19世紀には元素の発見競争が行われ、19世紀中にほとんどの元素が発見された(83元素)。
それが当時の原子概念だった。だが、原子が沢山あるのはスッキリしないとも考えられていた。
20世紀になると、電子や陽子といった、素粒子がいわゆる原子と考えられるようになった。
しかし、さらに分けていくと、クオークや、レプトンやボソンといったものがでてきて、これが今の原子概念だが、数は結構多く、元素の数からあまり減っていない。これを更に分ければストリングという究極の原子になるというのが、今の一つの流れだろうが、どうなるのかは分からない。
今のところ、検証はできないし、将来的にも検証は超困難だ。
ただ、原子論といっても、素粒子になると、物理数学的にはモノではなく、「場」、fieldだから原子論からは離れるのかもしれない。
だが、イメージ的にはやはり原子だ。

さらに、現代の素粒子論は、宇宙論、コスモロジーと完全に結びついている。
もとより、ギリシャの頃より、コスモロジーと原子論は根が同じものなのである。

そして、原子論と個人主義、自由主義、科学的合理主義も同根と考えられる。
posted by libertarian at 10:26| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする