2005年09月10日

Warning

このBlogのLinkと文章を、2chやら、あっちこっちの掲示板に貼り付けている人間がいるようだ。

特に悪意はないのだろうが、止めて欲しい。

著作権がどうのこうの言うつもりはないが、不愉快であり迷惑である。
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2005年09月09日

Queue

司法改革が言われるし、必要だとは思う。

だが、根本的な改革案は日本では決して上がってこないし問題にもならない。

もっと言えば、何が問題なのかさえもコンセンサスがない。



英米法と大陸法ではあまりに違いが大きすぎるから、あちらの動きは

ほとんど参考にもならない。そもそも法曹の位置付けがまったく違う。

アメリカでは、法曹一元化といって、私的な組織である弁護士会が主催する

資格試験を通って、弁護士になるが、この合格率は高い。

そして弁護士のキャリアを積んで優秀な人間が裁判官とかに抜擢されていく。



弁護士会という私的なシステムが、公共的な司法システムのスタートとしてあるのは象徴的だ。

日本のように、何から何まで国家資格というのとは大きく違う。

日本の政府は、教師であり、親であり、君主でありという位置付けだろう。

しかし、この点は、とりあえずおいておこう。



司法の効率性を裁判所の効率と考えれば、裁判所がどれだけ

多くの事件を裁けるかという問題となる。今の日本では、混雑した病院のごとくで裁判の

待ち時間がかかりすぎ、殆ど機能してないというのが問題だ。



この効率性を上げるには、どうすれば良いか?

例えば、待ち時間を少なくする方法として、裁判官の数を増やすのと、裁判官の処理スピードをアップするという

方法がある。では、裁判官の数を2倍に増やすのと、裁判官の数は同じだが、裁判官の処理スピードを2倍に

上げるのでは、平均待ち時間はどう変わるか?これは、待ち行列の理論で説明できる。



この結論を言えば、裁判官の処理スピードが倍になるほうが、平均待ち時間は減少する。

もちろん、能力の同じ裁判官の数を2倍に増やすのでも、平均待ち時間は半分ではなく、1/4とか1/5に大きく減少する。

一方、裁判官の処理能力が倍になれば、1/71/8と、さらに大きく減少するということである。

しかし裁判官の処理能力を上げることは非常に難しいから、裁判官の数を増やすのが合理的かつ容易だ。

#尤も司法官僚である日本の裁判官は、どれだけ沢山の裁判をこなしたかで評価され出世するシステムのようだが。



法曹人口の国際比較をすると、日本が一万人あたり1.7人に対して

アメリカが35.3人、イギリスが15.8人である。

大陸法圏のドイツでも13.6人、フランスで6.1人である。



さらに裁判官数の比較では、日本が一万人あたり0.2人でアメリカ1.2人、イギリス0.6人、ドイツ2.6人

フランス0.8人となる。

トータルの民事訴訟件数が、日本が42万件、アメリカ1570万件、イギリス234万件、ドイツ211万件、フランス111万件である。



この民事訴訟件数の傾向は、裁判官の数と整合する。

つまり、人口あたりの裁判官の数では、大陸法圏では 日本(0.2)<フランス(0.8)<ドイツ(2.6)

一万人あたりの民事訴訟件数でも             日本(34)<フランス(190)<ドイツ(258)



英米法圏でも、同様で

一万人あたり裁判官数     イギリス(0.6)<アメリカ(1.2)

一万人あたり民事訴訟件数  イギリス(447)<アメリカ(588)



また、ドイツは一万人あたり裁判官数が2.6とアメリカの1.2よりも

倍以上多いが、一万人あたり民事訴訟件数では258とアメリカの588の半分以下である。

これは、司法システムの根本的な違いによるものかもしれない。



大陸法圏の日本とフランスでは、フランスは日本より一万人あたり裁判官は四倍いるが、

民事訴訟件数は6倍ある。

実際は、裁判官が4倍いれば、一裁判あたりにかける時間は、日本よりもずっと丁寧に長くできるはずだ。

それでも待ち時間は大幅に減少し充分な訴訟件数がこなせるということである。



#ちなみにイギリスとアメリカでは裁判官は倍違うが、訴訟件数は倍も違わない。これはイギリスもアメリカも裁判が"混んでいない”ことを意味していると考えられる。

先にあげた待ち行列による比較はもちろん一律にいえることではなく、混んだ状況で特にあらわれる傾向である。




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2005年09月07日

Broken window

Broken window theoryと呼ばれるものが2種類ある。



一つは、バスティアのBroken Window theoryで、「見えるものと見えないもの」という著作に書かれた有名な話である。

これは、子供が誤って窓ガラスを割ったとき、町の人は、むしろこれで経済が刺激されることになって

よいとかなんとか言うわけだが、実は、それは純損失以外の何物でもないということを説明

した話である。1850年前後に、既にこの町の人々のような間違ったケインズ経済的な発想が

一般に存在したということに、ある意味驚く。



もう一つは、ニューヨーク市長がジュリアーニだったころに採用された心理学理論である。

以下のサイトから説明をコピペしておく。

[http://www.hitobito.net/navipage/con010.asp?navi=bpsych&CID=4&ID=17]



「ラトガース大学のケリング教授は「誰にも管理されていない」と感じられる場所では、略奪や破壊の罪悪感は薄らぐとし、実験を行い検証した。

実験の結果、自動車のフロントガラス(ウィンドウ)を割ったまま放置した場合、割らなかった時に比べて略奪や破壊にあう可能性が高いことがわかった。

しかも、略奪や破壊は短期間にエスカレートしていく。

この「壊された窓」からこの理論にはブロークンウィンドウ理論という名前がつけられた。



教授はニューヨークの地下鉄の凶悪犯罪の抑制に、落書きを消すことを提案した。

落書きが放置されている状態は窓の割れた自動車と同様という考えであろう。

多くの人が半信半疑の中、この作戦は実行され、落書きは消えた。その後、地下鉄での凶悪犯罪は減り始め、短期間に半減した。

ニューヨーク全体でも、落書きが消され、軽犯罪の検挙にも力が入れられた。

その結果ニューヨークの治安は回復した。」







このように2つのBroken Window theoryがあるが、バスティアのそれが非常に重要である。

#もう一方のケリングの理論は、私は少しあやしいとにらんでいる。このことはまた別に書いてみたい。



今回のカトリーナ台風でも相変わらず、これが今後、景気刺激にもなるはずだと、

慰みにもならん馬鹿なことを本気で言っている人間がいるようだ。




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2005年09月01日

The Oil Price Mirage

The Oil Price Mirage

by Pierre Lemieux

[http://www.mises.org/story/1892]



"Until his death in 1997, economist Julian Simon predicted a continuous decline in resource prices. In 1980, he made a famous bet with environmentalist Paul Ehrlich. Simon’s bet was that a $1,000 basket of any five metals chosen by Ehrlich would be worth less (in constant dollars) 10 years later. Ehrlich lost. In 1990, the value of the basket at current market prices was down more than 50%. Ehrlich had to send a $576.07 check to Simon, representing the drop in the basket value. In fact, the prices of all the metals chosen by Ehrlich had fallen.[5]



In his challenging 1981 book The Ultimate Resource, Simon showed that resource prices had generally decreased over time. The relative price of oil (in terms of other goods) has fallen by perhaps as much as twothirds between the 1860s and today. During the same period, the price of oil in terms of salaries has decreased by more than 90%.



Simon forecasted that the downward trend in resource prices would continue because, over the long run, the supply of resources (including oil) increases more than demand. Supply increases because of human ingenuity. Proved world reserves of oil, which were 762 billion barrels in 1984, are now estimated at 1,189 billion barrels.[6] As for the growth of demand, which normally follows population and revenue growth, Simon argued that it would be dampened by new technologies that reduce the use of oil (like lighter cars), and eventually by new materials. The value of petroleum as a proportion of finished products will continue to decrease. And contrary to Malthusian fears, population growth will spur the potential for inventions.



In the past few years, however, many resource prices exemplified by copper have gone up. As the saying goes, forecasting is risky, especially with regard to the future. Prices change because people change their minds. But we know the broad interacting factors in oil prices: political uncertainty in the Middle East, increased demand from rapidly developing countries (assuming that their growth is not stopped by their states), and the usual innovation spirit and entrepreneurship of man. We should just make sure that politics interfere as little as possible with the last factor."



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最近、石油価格が上昇している。

だが、これは先物投機による一時的な現象と見たほうがよさそうだ。

世界の石油先物価格を決めるNYMEXには、アメリカの弱小油田が入っているだけで

アラブなどは参加していない。世界の産油量の0.5%くらいしかない油田だけで

構成される先物市場であるために、ローリスクでの投機が可能な構造らしい。

しかしロングタームではサイモンの洞察通りに、石油の実質価格は下がっていくだろう。

このThe Oil Price Mirageという記事は、サイモンの”The Ultimate Resource2"の入門的解説としても

ためになる。



#しかし、大豆のような農作物と違い、石油のようないくらでも生産調整がきくものを

先物にする必要はそもそもないような気がする。

石油が先物であること自体が問題なのではないか?
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2005年08月24日

Earth Simulator 2

地球シミュレーターという去年まで世界1高速だったNECのスパコンがある。

これが、今年どこかの外国のスパコンに抜かれた。そこで挽回するために

地球シミュレーター2を作ろうとしているらしい。

#この地球シミュレーターはハード性能は立派だが、問題はこれで動かす

ソフトがあまりないことらしい。ソフトのないコンピューターはただの箱

だが、それに近いものがあるらしい。



#CNET記事より「今回のテストに使われたのはIBMの「Blue Gene/L」というマシンで、1秒間に36.01テラフロップ(36兆100億回の演算処理)を記録し、これまで地球シミュレータの持っていた35.86テラフロップをわずかに上回った。なおベンチマークにはLinpackが使われたという。」

[http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20074849,00.htm]



しかしCELLが倍精度計算ではないが、2テラフロップスというのはやはり凄い。ちなみにXBOXも1テラフロップスでるらしいが。



日本ではスパコンも公共事業の目玉のひとつになっている。

アメリカでは、スパコンは軍事技術として税金が投入されているようだが

日本の場合、道路や橋と同じような公共事業なのである。



物理シミュレーション技術も、Pixar社のようにCGアニメーションという市場を

作り出すことで民間で驚異的な発展を遂げている。

こちらはちゃんとソフトとハードが二人三脚で発展している。

基礎研究と商売とアートの幸福な結びつきがあるように見える。



基礎研究分野であっても、やはり民間主導でやるべきなのだろう。

国家プロジェクトとしてしか大規模な基礎研究は成り立たないというのは間違った偏見だ。



NASAも今では苔が生えたような古めかしいイメージがあるが、その一方で民間の宇宙開発

事業は徐々にビジネスとして勃興しつつある。

大富豪が100億円払って宇宙旅行をしたりしているが、これもあと10年もしたら

数百万円くらいで旅行ができるようになるのだろう。



私も20年以上前、FM8とかの時代からパソコンをいじってきているが、あの時代の

8ビットパソコンは値段も結構高かった。

性能は今のパソコンに比べればおもちゃともいえないくらいのものだった。

だが、そういうものでも欲しがる物好きはかならずいるわけで、そのおかげで

世の中は発展するのである。


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2005年08月21日

The Incredibles

ミスターインクレディブルというディズニー映画をレンタルDVDで見た。

私は、コンピューターグラフィックス技術にずっと前から興味があるので、この手の

CG作品は必ず見るのである。



この映画のCG技術はまさにIncredibleな領域に達している。

水の表現、森林の表現など2−3年前の技術に比べても長足の進歩を感じる。

このCG技術には、最先端ともいえる物理シミュレーション研究の成果が反映されている。

複雑な系をシミュレートするにはマシンパワーだけでなく、高度な学問(物理学)が必要なのである。



さらにこの映画は、ディズニー映画であるにも係らず、ヒーローやヒロイズムに対するオマージュがテーマとなっている。

これは、ある意味でAynRand的な世界ともいえるもので、傑出した人間、

傑出しようとする人間を相対化し、凡庸化させる現代のイデオロギーに

対する否定がある。



下手な実写映画よりも、こういうアニメ映画の方がはるかにいろんな意味で知的な作品なのだろう。

#そもそも実写映画の大作は費用の大半はタレントのギャラだ。

この1作品に投入されている人材と頭脳、費用は相当なものだし、またこれが

どんどんCG技術へのインフラを作りながら進歩していくのが凄いところである。

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Neet

前にも書いたがNeetという現象の経済合理性を誰も問題にしていないようだ。

フーテンの寅さんも、言わばNot Employed Educated Trainedであるが、ニート

ではないだろう。

ニートというカテゴリーに与えられた意味は怪しいが、これは働かずに生きるライフスタイル

なのかもしれない。これは現代の社会保障システムを利用すれば可能だろう。

つまり完全なるTax Eaterとして生き、自ら”社会的弱者”の立場を選択するわけだ。

これは極めて経済的に合理性がある。

なぜなら、ニートは、弱者として社会から搾取する側に立つからだ。

#逆に資本家とは理屈上、一切の搾取ができない与えるだけの存在なのである。



もちろん、Neetは全く褒められた事ではないが、それは社会における経済的合理行動の一つに

過ぎない現象ともいえる。

そして、これに経済的合理性があるということは、税金制度が如何に狂った

合法的な泥棒システムかということである。



働かずに自分の時間を自分の楽しみのために費やせば、税金はその間かからないが

自分の時間を犠牲にして労働をすれば、その分の時間の税金を払わなければならない。

これは矛盾である。もし半分の税金を搾取されるのなら、労働時間、つまりは人生時間

の半分を政府に搾取されているのと等しい。



逆に働かなければ政府から社会保障を貰えるのだ。

もし親の家に住むなら十分食っていけるくらいのお金がもらえるだろう。

ニートの生き方は、社会主義社会における経済合理行動としかいいようがない。

なぜ、もっと多くの人間がNeetにならないのか不思議だ。
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Dove

ダブ号の冒険(原題はDove)という実話冒険物を読んだ。

これは映画にもなったらしい。単身、16歳から5年かけて小型ヨットで世界を一周したRobin Lee Grahamという少年の話である。

私が感心するのは、子供の手助けをしたこの父親である。子供より父親の方が命懸けだったと思う。



「人より抜きん出、不可能を可能にし、結果を気にせず丘の向こうに何があるのか知ろうと

する熱血の衝動・・・無責任?実にそうだ。無思慮?これもしかり。しかし、これを堕落と

呼ぶのはばかげている!」というのは、このDove号の冒険の前にしでかした遭難劇に対して

退役軍人が書いた手紙の内容。

私も考えてみれば、中学ー高校と冒険家にあこがれていた。平凡さ、日常性に対する嫌悪が強かった。

学校など不愉快なだけのところであった。

しかし私は大学で堕落したかもしれない。左翼な哲学本ばかり読んでいたために

誤った考えに陥った。左翼な思想から気概など生まれるわけもない。

しかし凡庸な人間にこそ気概が不可欠である。



私の大学での友人は東大を出てほんの数年会社に勤めた後、世界放浪の旅にでた。

かれは、世界のほぼ全ての国である204カ国を訪れたらしい。

しかし、いまだに定職にはついてないようだ。

訪れた国の数もさることながら、20年近くも働きもせず食っていることの方が驚きというところもあるが、

今の世の中は福祉社会であるから、こういう生き方でも死にはしないのだろう。

いい歳こいて経済的に独立してないのは大いに情けないことであるが・・。



だが、人生において「人より抜きん出、不可能を可能にし、結果を気にせず

丘の向こうに何があるのか知ろうとする熱血の衝動」こそが重要なのだろう。

最近BSで、「男はつらいよ」の寅さんシリーズをやっているが、寅さんにも

人より抜きん出ようとする気概はあったようだ。

だから周りから大事にされていたのかもしれない。

Robin少年も運良く無事に帰ってきたが、運が悪ければ死んでいたろう。

しかし結果はどうあれ、冒険は決して堕落ではない。

逆に言えば冒険のない人生は堕落なのかもしれない。


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2005年08月04日

Pomo People

岩井克人東大経済学部学部長が書いた「会社は誰のものか」という

本が出ている。

私は買って読んだわけでもきちんと読んだわけでもないが、やはり

かなりお粗末な本だということが嗅覚でわかる。



所詮、岩井克人はPomoPeopleであり社会民主主義者だ。

差異とか両義性といったレトリックで何か意味のあることを言ってる気に

なっているだけのオメデタイPomoな人なのである。

#Pomo People= Post Modernist peopleのこと。



言っていることのアイデアは基本的に単純だ。

言語(signifiant/signifie)→貨幣(商品/価値)というお得意のアナロジーを

さらに、法人(人間/機関)という考えに無理やり適用しているだけである。

さらに言えばLang→社会か。w



蓮実が総長になったから、そのうち岩井も東大総長になるかもしれない。

両者に共通するのは、ほとんど何も勉強してない無教養さにある。

蓮実重彦は従来の東大総長の中でも飛びぬけたアホであろう。

アホというよりは詐欺師に近い。



蓮実は、草野進というペンネームで「プロ野球批評宣言」というくだらない本も書いていたが

映画を見て野球を見て遊んでいるだけのPomoな人というのが真相である。

学生の時、少し勉強しただけで、その後、まともに学問している時間など殆どなかったに違いない。

岩井克人も子供だましのレトリックだけで学部長にまで上り詰めた幸せな人である。

嘘も間違いも許されない科学の世界とは、なんとかけ離れた世界だろう。



東大は今やポモピープルの世界最大の牙城かもしれない。

→こんな大学に莫大な税金(全国立大学の10%近く)を投入していてはいけない。



日本のPomoPeopleは何故か社会的に出世するようだ。PomoPeopleと糸井重里のような

80年代カルチャーとそれは一体となっていて区別ができない。

つまるところ、岩井克人東大経済学部学部長と糸井重里のレベルの差異など殆どないということである。



で、やはりというか、この本での岩井克人東大経済学部学部長の結論は「会社は社会のものである」ということらしい。

これでは、あきれて真面目に批判する気にもならないのだが、フリードマンの考えに対する

表層批評の根本的間違いは指摘しておいた方がよいかもしれない。

この点は、そのうち纏めて書こうと思う。
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2005年07月28日

Unbundle MacOS

[http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20085782,00.htm?ref=rss]

 今後、Windowsに最新のアドオンを追加するユーザーは必ず、

自分の使用するオペレーティングシステム(OS)が正規品である

ことを証明しなくてはならなくなる。



 全世界で米国時間26日より、Windows XPのアドオンをダウンロード

したいと考える顧客に対し、違法コピー対策を目的とするこの確認

手続きが義務付けられる。







すでにXPには登録ユーザーの1CPUにしか使えない制限がある。

今回の策もMSは中国の違法コピー対策としてやっているのだろうが、

そもそもの問題はWindowsの値段が高すぎることにある。

もし2000−3000円なら、違法コピーは激減するはずである。

たかがOSなんぞに法外な値段をつけるから、違法コピーのインセンティブになるのだ。

情報を全て無料のPublicDomainにすべしという発想は間違っているが、

適正価格を形成するには競争が不可欠である。



MSとしては値段を下げることなく、こういった物理的手段で

ある程度、違法コピーに対抗することができるからMS側にも値段を

下げるインセンティブが働かない。



MSの独占状態に対抗できる可能性があるのは、今のところLinuxとMacOS

くらいだが、MacOSは、OSを安く提供すればかなりのシェアがとれるので

はないか。

MacOSの母体もLinuxだが、GUIは通常のLinuxより魅力がある。

もちろんWinよりも好きだという人は多い。



ハードウェアとのバンドル戦略はMacブランド維持にはわかりやすいが、

やはり限界のあるニッチ戦略に過ぎない。

iPODのヒットがなければMacはもっとジリ貧だったろう。今の状態は

おそらくiPOD特需に過ぎないし、これも参入が増えるのが確実で長続きは

しないだろう。



Appleは正々堂々とOS市場で勝負したほうがよい。いや、そうするべきだ。

ハードウェアの薄い利幅をOS開発に再投資するという構造には無理がある。

MSのようにソフトウェアという情報を売りながら、法外な利幅を稼いで

その利益をOS開発に再投資する仕組みと比較すれば、OS開発競争で勝ち目

がない。

そもそも、だからOSXに移行したという経緯もあったわけだ。



ハードウェアの高級ブランド戦略には、Sonyの”Qualia”というのもあった。

だが、コスト/性能が指数的に向上していくハイテク製品には、このような

戦略は成り立たない。

どんなに外側をよくしても中古市場が無残な価格になるのは明らかだ。

そうなると市場価格が維持できなくなる。

Macのブランド戦略もこれと似たような間違った戦略だと思う。



TigerをPLAYSTATION3に載せることからはじめてはどうか?

MSには出来ない戦略だと思うし、これはWinWinの関係になる。

さらにTigerをCellに最適化するというのも面白い。

グラフィックス系を売り物にしているMacだからCellを使う利点は非常に

大きいはずだ。
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Kinobori

[http://www.kinobori.com/]

アーティスティックなサイトだ。

楽しくて有益な情報がある。
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2005年07月27日

They were Right

They were right

[http://www.libertyhaven.com/theoreticalorphilosophicalissues/libertarianism/theywereright.shtml]



by Mark Skousen



"Americans need to know the history of American

anticommunism if they are to understand the great role they

have played in ridding the world of the most murderous of

the twentieth century totalitarians."

Richard Gid Powers



このエッセイはおもしろい。

"They were Right"というのは、もちろん、「彼らは右翼だった」という意味と

「彼らは正しかった」という意味を掛けているタイトルである。



アメリカには反共主義の歴史があり、それを赤狩だなんだと

マイナスのイメージをうえつけようとするメディアがあるが、

<反共>が果たした歴史的意義は非常に大きい。



左派リベラルは、いわゆる<右翼>による反共主義を冷笑的に非難してきた

が、ベルリンの壁崩壊以降、旧ソ連のKGB資料が公開されたことで、左派は

間違っていたのは完全に自分たちであったことを証明されてしまったのである。



Rosenberg事件を冤罪事件だと告発するアメリカ映画とかが日本でも70年代に

やっていたが、これらの資料で完全に彼らはスパイだったことが確証された。

#ちなみに、このRosenberg事件の裁判官は、あのRichard Posnerの父親だったらしい。



サミュエルソンのような社会民主主義者=社会主義者の経済学者は、

ベルリンの壁崩壊以降、ソビエト経済は機能するという自説を翻した。



日本には、表立った反共運動というのは戦後なかった。

あったのは社会主義=共産主義運動だけだった。

つまり、日本には"They were Right"といえる人間たちがあまりいないということだ。



しかし、私が思うに日本社会においても、上流階級もしくは良家におけ

る良識として、このような社会主義=農民運動に対する嫌悪が、

大きな運動とはならないまでもほそぼそと存在していたのではないかという気がする。



70年代までは進歩派知識人とか言われる人間達がいたが、当時においても彼らは23流の

インテリに過ぎなかったのである。

ホントのインテリは目立たぬところにちゃんといたにちがいない。
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2005年07月25日

Translation

日本語で書かれたリバタリアニズムの入門本で良いのはないか?というコメントのご質問に返答しながら思ったのだが、日本語翻訳が出ていてもやはり英語で読んだ方が分かりやすい場合が多いのではないだろうか。



カントの原文はドイツ語だが、日本語の翻訳でカントを読んで腑に落ちるという人間を私はあまり信用しない。せめて英語訳を読まないと全く理解できないと思う。

ハイエク全集はかなり丁寧に翻訳されており良い<仕事>だと思うが、英語で読んだ方が結局分かりやすい。



これは一つに哲学的な本によくある関係代名詞を多用した文章は、翻訳もかなり難儀であるが、それを無理やり翻訳したものを読むのでも大変だという現実がある。



また、キーワードを無理やり日本語に置き換えるという作業にも無理があって、元の英語の単語を見ないと意味が分からないことが多い。私はキーワードはあまり勝手に翻訳者が日本語に訳さない方がよいと思う。



あとこれは私の英語力がないのが原因の一つと思うが、英語だと昔に書かれたものでもあまり旧さを感じない。アダムスミスの国富論がつい最近書かれた文章のように読めるというのは驚きである。→200年以上前に書かれた本であるが。



逆に日本語翻訳というのは、少し前の翻訳であっても100年−200年は古く感じるから不思議だ。
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2005年07月13日

Bid-rigging Case : 談合

最近、ニュースで談合事件が話題だ。

談合事件は、定期的にガス抜きのようにニュースになる。

だが、このような事件の本質は、独禁法ー公正取引委員会の存在そのものであり、

さらには、政府の行う<公共事業>の存在そのものにある。



公正取引委員会の仕事の殆どは、不正入札の摘発だが、公共事業を政府が

やらなければ、そもそも不正入札の問題も存在しない。

また、このような逆オークションの入札システムは理屈から言っても本来、機能するわけがない。

一番安く入札しようと思ったら、0円以下は禁じられているから、1円になるしかない。



越後先生が独禁法に強く反対されているが、その論旨はまた後日まとめてみたい。

一言で言えば、独禁法とは誤った左翼ー社会主義的な経済理論をベースにした政府の市場への介入政策法である。

その理論的前提を問う法律家など日本には一人もいない。経済学者もほぼ同様である。

公正取引委員会に与えられた市場介入権力は、戦中の特高なみかそれ以上であろう。自由国家においては、このような存在は有害なだけだ。



政府系〜民間系シンクタンクは、このような経済学的ナンセンスに立脚した法律を批判することはないし、これからも多分ないだろう。

企業法人がこれらの立法を望んでいるのかと言えばそれもありえない。→少なくとも成功したレントシーカーになる前は。

そもそも法人は、いかに巨大であっても一票すらを持たない。

企業にとって、法律とはお天道様と同じ、文句の言えない単なる環境条件でしかない。

そして一票を持つ一般個人の立場では、産業立法などに無関心なのが普通であり、それが当然だ。



産業政策立法とは、いったい、誰が誰のためにやっているのかも分からない法律だ。

現実は、単に政府が政府のために作って運営しているシステムなのである。

政府だけは利権が増えるためにWinnerだが、政府以外は長期的に全員がLoserとなる法システムだ。



独禁法が守っているのは自由市場ではない。

政府の公共政策と市場介入を正当化する機能をもち、さらには政府独占を下支えする法律である。

独禁法には真の自由市場を破壊する効果があり、事実そのように機能している。



#Israel Kirsnerをめぐる越後先生の議論については、またそのうち論じてみたい。
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Accountablitiy

Accountability=アカウンタビリティという言葉がある。

これは、以前、ウォルフレンの本で紹介され、一時世間でもよく使われていた。

しかし、アカウンタビリティを政府の「説明責任」という意味で使っていたのは若干ミスリーディングであった。



これは、単純に会計責任、もしくは会計説明責任と訳すべきであったと思う。

会計はAccountだが、これは、お金の出入りを説明するという意味がある。

政府には、まずこの会計説明責任を義務として要求する必要がある。



政府系機関の殆どは、近代的会計(複式簿記)を導入しておらず、大福帳の単式簿記

であるがゆえに、国民への一切のAccountabilityが根本的にありえない。

実際、政府の資金の動きを全体的に正確に把握することは誰にも不可能である。

その一方で、民間には馬鹿馬鹿しいほど手間とコストのかかるもろもろの監査システムを要求してくる。



これは許されざることである。

だが、現実には、政府には法律上、アカウンタビリティのような責任も義務も定義されていないのだろう。

役所の場合、法律がなければそれまでだ。



ウォルフレンは、これを市民的権利のように主張していたがそれは違う。

法律にない市民的権利などは現実的に存在しないといって差し支えない。

役所は成文化された法律が全ての世界だからだ。

義務と無責任の両極端からなっていて、その中間はない。



政府に会計説明責任を要求するにはなんらかの法律制定が必要だろう。

「お役所も全て、複式簿記をつけ監査をうけるべし」という単純で地味な

法律制定が日本政府の利権システムの根幹を揺さぶる可能性もある。
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2005年07月10日

Jewish Museum Berlin





[http://www.daniellibeskind.com/projects/pro.html?ID=2]



上はDaniel Libeskindが設計したベルリンのホロコースト記念館の写真である。

これは、壁の一部分だが、建物は全体的に強制収容所のような暗い雰囲気で、壁には

このような傷のような裂け目だか窓が沢山デザインされている。



リベスキンドが、WTCの再開発に起用されたのも、このMuseumの実績が買われて

911テロによる無差別虐殺への鎮魂となる象徴にしようという意図もあったのだろう。



しかしそれはユダヤとアラブといった対立の象徴になり、かえって逆効果だろう。

WTCの再開発は民間主体であり、公共施設ではないし、頭を冷やして考えた結果、

そんなものを作っても、なんの得にもならないことを痛感してリベスキンドを外し

たのではないか。
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Distinction between equality and indiscrimintion

一見、似たような言葉だが<平等>=equalityと<無差別>=indiscriminationの違いは大きい。

平等という言葉には社会的正義をイメージする人が多いだろうが、無差別といえば無差別爆撃=indiscrimate bombing、無差別虐殺=indiscriminate mass murderのようなネガティブなイメージを持つだろう。



現実に政府が行う平等政策は、実は無差別政策とでも言った方がいい。

それは<権利の平等>といった公正の理念を大きく逸脱した政府による無差別な蛮行である。

また<権利の平等>という公正理念は、Negative Rightsに関してだけ成立するものだ。



政府の公共政策などは、Public Policyではなく、Indiscriminate Policy とでも呼ぶべきだ。



#ちなみに無差別曲線はIndifference curve であって、Indisctimination Curveではない。
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GM and HealthCare

GMの急激な業績悪化が問題になっている。

日経ビジネス誌の記事によると、GMの業績悪化の一因としてヘルスケア負担の問題があるらしい。あまり詳しく書かれていなかったので、よくわからないのだが、退職者の面倒まで企業が丸抱えで負担するため、莫大なコストがかかるらしい。



その点、新参企業のトヨタホンダは、社員の雇用待遇はGMに引けをとらないが、社員の平均年齢もまだ若いおかげでヘルスケア負担がまだGMほどに過大ではない。

しかし、あと20−30年したらヘルスケアのコストがGM同様にのしかかってくるだろうということだった。



GM車の一台当たりにすれば、十数万円のヘルスケアコストが掛かっているそうだから、これは圧倒的に不利な競争要因だ。これではGMがいくら頑張ってもトヨタ、ホンダに勝つのは難しい。



医療保険を国が税金から負担するのでなく、雇用主体である民間企業に負担させればよいというのは、大きな錯覚だ。結局、これは民間企業に税金を負担させているのと等しい。さらに税は無差別だから、消費者にもGMの元従業員のヘルスケア費用まで払わせることになる。



トヨタは、GMに気兼ねして、アメリカでのトヨタ車の販売価格を引き上げるそうだが、これは、実はGMを口実に利用しているだけだろう。

この値上げで潤うのはGMよりも、むしろトヨタである。価格競争にまつわる偏見を逆手に取る三河商人の商魂は逞しい。
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2005年07月07日

The Innovator's dilemma? There ain't no such dilemma.

クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」という本がある。

一度買って読んだが、つまらない本と思い、すぐに売ってしまった。

クリステンセンは、ハーバードのHBSの教授だ。

#ハーバードのHBSというだけで私は眉唾で読んでしまうのだが。。

もちろん、クリステンセンはリバタリアンではない。



最近の日経ビジネスでクリステンセンのインタビューがあったが、私はこのようなつまらないビジネス理論がなぜそんなに有難がられるのか理解に苦しむ。

クリステンセン曰く、「イノベーションには持続型と、破壊型がある。破壊型は、最初は顧客から見向きもされない技術であることが多く、単純、小型で使いやすく価格が安いという特徴があります」とのことである。「イノベーターのジレンマ」という本で、HardDisk市場の変化に着目してクリステンセンはこのご高説に実証的分析を行っている。



日経の雑誌インタビューでは、クリステンセンは「ソニーは70年代までは革新的だったが、MBAを採用するようになってだめになったとか、プレイステーションは持続型の技術だ」とかなんとか、分かったようなことを言っている。

#ところで、そのMBAで教えて飯を食っているのは当の本人ではないのか?



それはよいとしても、外部から客観的な判断を下そうとするのなら、自分にとっての客観的な判断基準を宣言する必要がある。

ハイテク技術の内部事情などクリステンセンはよく知らないはずだ。

クリステンセンにとって、その客観性基準は経済学以外のものではないはずだが、その経済学的考察が貧弱すぎる。



このイノベーション理論は、私は基本的にかなり筋悪だと思う。

価格理論で考えれば当たり前の現象を、HBS流もしくはモルモン教流?の説教に置き換えているだけというのが真相だろう。

クリステンセンの話は結局、企業は大きくなっても初心忘れるべからずで、”最初は顧客から見向きもされない技術で、単純、小型で使いやすく価格が安い”技術に取り組みましょうといったくらいの解釈になるだろう。



だが、そうならない現実があり、それにはなにがしかの経済的理由なり必然性があるはずだから、それを分析しなければいけない。もし経済学者であるならばの話だが。
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2005年07月06日

Tax

私は大前研一氏の無料メルマガをとってるのだが、最近は大前さんも

おつむがかなり濁ってきたようである。

これは前からかもしれないが、大前氏は全共闘世代だか戦後民主主義世代特有のリベラリズムがかなり濃厚である。



理論なき思想なきラディカリズムは、このような形で縮小均衡してしまうものなのかもしれない。



本質的な問題は、どのポケットから税金をふんだくるかではない。

政府の支出はどうあるべきかという点だ。

70兆もの支出がなぜ必要なのか?なぜ人件費割合が高水準でよいのか?

なぜ公共事業を政府がやるのか?といった議論は本質的だろうが、今の税収をそのままどうやって確保するかという方法なぞ全く問題にならない。



おまけにそのアイデアも酷いものだ。

資産課税は確実に国家社会主義的な体制を強化することになるだろう。

その資産が所得からもたらされたものなら、所得税を何重にも課税する結果になる。



資産課税強化の意図は有効活用されてない資産のLiquidityを高めようということだろうが、

全く本末転倒の危険な議論である。



日本には経済のわかる社会批評家がいない。

おまけに経済学者は、政府に予算つまりは生殺与奪権を握られ

批判もなにもできないし、生産的な論点も社会に示せないでいる。

日本の言論状況はあまりに貧弱でお寒い限りだ。





以下は大前研一氏のメルマガから引用





今回の政府税調・石弘光会長の報告は非常にお粗末なものでした。「所

得税について考えれば、8割を占めるサラリーマンから取らなければしょ

うがない。サラリーマンは控除が多すぎるから、これを削るしかない」

という言い方です。



この案がどういう内容かというと、まず給与所得控除は縮小。それから

配偶者控除、特定扶養控除などの各種所得控除は縮小・廃止。また、住

宅ローン減税や定率減税も同様に縮小・廃止の方向です。



このように今までの日本では、サラリーマンの所得に対して控除でもっ

て一括して網をかけて税金そのものを免除するというやり方でした。そ

れに対してアメリカの場合には、控除という概念がない代わりに、サラ

リーマンはそれぞれが確定申告をして経費を申告しています。





●「資産課税」「付加価値税」で、日本の税収を抜本から見直す●



今後、日本の税収はどのような形で確保するべきでしょうか。私は一時

期、フラットタックスということで、法人税・所得税をやめてしまい、

経費も控除も関係なく、フラットに収入の10%を取るというやり方を提

案したことがあります。が、そういうやり方に代わって私が最近、より

現実的だと思っているのは資産課税です。



今の日本には不動産関係の資産が2000兆円以上、また金融資産が1400兆

円あります。これに1%の資産課税をかけると34兆円の税収になります。



例えば多くの資産を持っていながら使っていないようなコクドなどの会

社の場合、ピーク時には42兆円の資産を持っていたわけですから4000億

円の税金が取れます。



税金を払うのがいやだと言うのなら、土地を手放してもらう。それによっ

て資産の供給が行われ、若い人たちも自分たちの家を安く買うことがで

きるようになるわけです。このような方法は、アメリカのカリフォルニ

ア州やいくつかの国でも実際に導入されています。



それから今回、消費税をなぜいじらないのかという議論もありましたが、

当然、消費税という付加価値税は見直さなければいけないでしょう。



そしてもう一つ、法人税を廃止して付加価値税にシフトするという方法

もあります。法人税というのは経費をどう認めるかという非常に恣意的

なものなので、基本的にはヨーロッパ型のインボイス方式による付加価

値税にして、10%を税金として取れば法人税に代わるものになると思い

ます。



GDPは付加価値の総和です。日本のGDPは約500兆円ですから、その10%で

あれば50兆円の財源が出てくる。資産課税と合わせれば84兆円、若干の

漏れがあっても70兆円を超えるでしょう。



今、日本が実際に使っているお金は82兆円ですが、税収は42兆円しかあ

りません。その不足分を国債などの発行でまかなっている状態ですが、

それもかなり改善することができるのです。



今回の増税案は所得税のみを対象としていますから「サラリーマンから

取るしかない」という結果になり、当然反発も出るのです。さらに今後、

日本は少子高齢化で働く人が少なくなり給与所得は減少するため、この

ように所得税に依存する方法では税収も縮小してしまいます。



しかし一方で日本は非常に資産の豊かな国です。ですから今回のように

給与所得に税源を求めるのではなく、所得税に代わるものとして資産課

税を導入し、税源の対象を移すことが重要になってきます。



よって所得税、法人税を廃止し、この資産課税、付加価値税の二つだけ

にして、恣意的、判断的な部分を全くなくしてしまったほうがいいとい

うのが私の考えです。



取りやすいところから取る、という安直な考え方ではなく、「本来、税

金はいかにあるべきか」「税金以外の国民負担はいかにあるべきか」と

いった大局的な見地での議論を重ね、日本の将来を広く見据えた改革に

取り組む必要があります。
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2005年07月05日

Income Tax and Inheritance Tax

政府の支出スタイルとして赤字財政型でも均衡財政型でも、実は全く等価である。

別だと思っている人間は、根本的にわかっていない。

これは単純な算数から導かれる事実なのである。



今の日本の一般税収が40兆程度だろうと、実際の政府支出70兆円程度が実際の税である。

40兆程度をキャッシュ払いとし、30兆円程度を前借にした支出=税だ。

国債を隠れ蓑にしているだけで、現実には毎年70兆円のあまりに過大な税金が支出されているのである。

今の一般税収レベルでも過大だが、現実は、その1.8倍なのだからやっていけるわけはない。



本質的問題は、現在も、また今までも政府支出が過大でありすぎたという1点に尽きる。

このことは即ち、政府支出の大幅な根本的削減以外の対策は全て間違っているという意味である。



政府が一般税収を使って政府支出をキャッシュ払いにしたのと、国債の形で前借して金利を載せた後払いにした場合とで、資金提供の大元である納税者に残る金額は同じになる。

仮に、政府が国債を全く出さずに、所得税を現在の国債発行額と同じだけ吊り上げることで政府支出の全てをキャッシュ払いにしても、数年後の個人の手元に残るお金は結局同じになると言い換えてもいい。



しかし、今の人間が子供や孫に一切の遺産を残さずに、自分が生きている間に使い切ってしまえば、確かに、国債という前借して金利を載せた後払いの税金は、子供や孫に引き継がれる。



もし、Inheritance Tax=相続税が過大であれば、遺産を残すよりも消費してしまうのが合理的になる。

すると、債務の多くは子供や孫たちに引き継がれることになる。

これが、今の日本の現実である。

Inheritance Taxは、実質的に所得税を最後の最後にまとめてドカンととるのと同じであり、論理的に完全な2重課税なのだ。



相続税の問題は、西郷さんの「子孫に美田を残さず」とかいった精神論の問題では断じてない。

そもそも子供に何も残したくない人間は勝手に遺言を書けばいいだけのことだ。(とはいえ、本人が子供に一切何も残したくなくても民法上、遺留分はいくわけだが。)



未だに「子孫に美田を残さず」と得意になってメディアで言っている人間がいるが、そういう人間は単なるパフォーマンスでやっているはずだ。そんなやつに限って、自分では、そんな遺言は決して書かないだろう。また自分で自分のお金は全部使ってしまうよという意味なら、それはそれで子孫に今度は負債を残す結果になるのである。

自分が子供に何も残したくないからといって、お前も残すべきでないというのは余計なお世話を通り越した非常識な話だ。



昨今の増税論議は、間違った前提から出発した完全にミスリーディングな議論に過ぎない。

また、以上書いたことは、森村進さんの相続税肯定論がナンセンスであることの一つの理由でもある。



#国債をクレジット払いと比喩したのは正確ではなかった。単にお金を前借して金利を載せた後払いにするという意味である。
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2005年07月04日

Raising Tax : 増税

サラリーマン大増税が決まった。



>個人所得課税に関する論点整理

[http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/tosin/170621.htm]





この石弘光というのは、財務省の手下の御用学者として夕刊フジなんぞに叩かれていたが、こういった税問題になぜ経済学者はきちんと反論しないのだろうか。

それとも誰か、どこかでまともな反論をしているのだろうか?

ぱっとみでは加藤寛氏くらいしか、声を大にして意見している経済学者は見当たらない。こういう問題は大学の中の内輪で話しているのではなく、世間に向かって話さなければならない問題である。

この問題に対しどのように経済学的に意見するかで、その経済学者の本質もしくは限界がわかる。



ちなみに環境問題で有名?な東大の石弘之は、この人の弟らしいが、兄弟そろって社会の害毒にして、碌でなしのアホである。
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2005年07月02日

The Vulture Investors

ハゲタカ投資家というのは聞こえが悪いが、これは市場経済の再生役となる存在である。

[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532163536/qid%3D1120230779/25029454974098640]



日本でもこのような会社がどんどん出てくればよいと思うのだが、そうならないとこをみると、やはり何らかの規制があるのだろう。

そのかわりに、お上主導の再生機構のような最悪のものが作られているということか。

ここらの事情はよくわからない。



ハゲタカ投資家とは、ダメな会社を立て直す、民間の再建プロ集団であり自らのリスクを背負ってダメ会社を再生させているのである。そのかわり当然ながら成功した時のリターンもでかい。



”会社はだれのものか”という議論においてもこのような株式会社というシステムのダイナミズムに対する認識が不可欠である。完全なPrivate Property原理に則っているからこのようなダイナミズムが生まれてくるのだといえる。



この再生手法は、株主主導ではなく債権者主導である。事前に債権をハゲタカが安く買い集めておき、アメリカの連邦倒産法Chapter11によって、会社の所有権を債権者=ハゲタカファンドが、従来の株主と経営者から完全に奪い取り、自主再建するという仕組みである。



会社は株主のものだといっても現実には経営を完全にコントロールできる主体ではないが、会社の所有権を債権者=ハゲタカが奪い取ることで経営をリブートするのである。

この時点で経営と所有権が、株主という意思も実権もほとんどない主体から、強固な意思と能力と実権をもったハゲタカチームに置き換わるのがミソのようである。


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2005年07月01日

Design Plan for Freedom Tower

[http://www.renewnyc.com/welcome/Default.asp]



[http://www.lowermanhattan.info/rebuild/]





Freedom Towerの設計者ダニエル リベスキンドが外された。

新しい建築家は、元々、リベスキントとの共同建築家だったMichael Childsと Michael Aradに委ねられたようだ。

リベスキントを外したのは正解だと私は思う。



上が新しい案で、下がリベスキンドの没になった案。

跡地に建設中(2009年竣工予定)のフリーダム・タワー(Freedom Tower)は高さ514m=アメリカ独立宣言の年にちなんだ1776フィートで、この高さだけは変更されないらしい。



リベスキンドのデザインは、模型で見る限りいただけない。新デザインの方がシンメトリカルでマシなのではないかと思う。

リベスキンドはThe Jewish Holocaust Museum in Berlinの設計者でもあるが、そのデザインには何やら思想性がありそうな感じがある。

だが、それはFreedom Towerの名にふさわしいものなのかどうか?



Post modern建築の多くもひどかったが、リベスキントはあの延長線上にありそうな感じだ。もちろん、あれと全く同じではないが。

POMO peopleは社会民主主義者たちであるから、もしリベスキントがPOMOに棹差す人間だとした場合、Freedom Towerの設計者としては不適格だ。



永井豪の古い漫画でキッカイくんというのがあったが、Daniel Libeskindの他の建築もキッカイくんの家のようなデザインである。↓



ちなみにリベスキンドがフリーダムタワーのコンペで優勝した時の、オリジナルデザインは上の右のデッサンである。殆どWTC崩壊後の現場のような感じだ。



しかしミノル ヤマザキのTwin Towerは秀逸なデザインであった。

建物の品格が上の新デザイン案などとは比べ物にならない。まさに傑作建築であった。

下の写真でWTCの前で写っている日本人がMinoru Yamazaki氏である。

私も15年ほど前に一度、このビルに行ったことがあった。

WTCは遠目で見るとのっぺりしているが近くで見るとまた違った印象で、ディテールもよくできていた。

行っておいてよかったとつくづく思う。



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2005年06月27日

Deep Throat and Genocide

Deep Throat and Genocide

By Ben Stein



[http://www.spectator.org/dsp_article.asp?art_id=8242]

That is his legacy. He was a peacemaker. He was a lying, conniving, covering up peacemaker. He was not a lying, conniving drug addict like JFK, a lying, conniving war starter like LBJ, a lying, conniving seducer like Clinton a lying, conniving peacemaker. That is Nixon's kharma.



When his enemies brought him down, and they had been laying for him since he proved that Alger Hiss was a traitor, since Alger Hiss was their fairhaired boy, this is what they bought for themselves in the Kharma Supermarket that is life:



1.) The defeat of the South Vietnamese government with decades of death and hardship for the people of Vietnam.



2.) The assumption of power in Cambodia by the bloodiest government of all time, the Khmer Rouge, who killed a third of their own people, often by making children beat their own parents to death. No one doubts RN would never have let this happen.



So, this is the great boast of the enemies of Richard Nixon, including Mark Felt: they made the conditions necessary for the Cambodian genocide. If there is such a thing as kharma, if there is such a thing as justice in this life of the next, Mark Felt has bought himself the worst future of any man on this earth. And Bob Woodward is right behind him, with Ben Bradlee bringing up the rear. Out of their smug arrogance and contempt, they hatched the worst nightmare imaginable: genocide. I hope they are happy now because their future looks pretty bleak to me.





[http://mediamatters.org/items/200506020001]

Buchanan, Limbaugh, Stein blamed those who "brought down" Nixon for fall of Vietnam, Cambodian genocide



MSNBC analyst Pat Buchanan, nationally syndicated radio host Rush Limbaugh, and conservative author and TV personality Ben Stein suggested that, through their role in exposing the Watergate scandal, which resulted in the resignation of President Richard Nixon, newly disclosed "Deep Throat" W. Mark Felt and Washington Post reporters Bob Woodward and Carl Bernstein were responsible for the fall of South Vietnam and the genocide in Cambodia that left approximately 1.7 million people dead.





BUCHANAN: There's something deadly serious here. People that brought down Nixon also resulted in the fall of South Vietnam, the death of hundreds of thousands of people. ... Nixon was brought down by people who were a hell of a lot worse than he was. [MSNBC's Hardball with Chris Matthews, 5/31/05]





LIMBAUGH: Had they not brought down Nixon, we wouldn't have lost Vietnam. Had [they] not brought down Nixon, the Khmer Rouge would not have come to power and murdered two million people in a fullfledged genocide. [The Rush Limbaugh Show, 6/1/05]





STEIN: When his [Nixon's] enemies brought him down, and they had been laying for him since he proved that Alger Hiss was a traitor, since Alger Hiss was their fairhaired boy, this is what they bought for themselves in the Kharma Supermarket that is life:







元FBI副長官のMark FeltがWaterGateのDeepthroatであったことが分かったが、アメリカの保守派論客のパットブキャナンや、ベンスタイン、ラッシュリンボーらが激しく批判している。



このBlogでも少し前に書いたが、ウォーターゲイト事件の真の問題はこれら論客も指摘しているように、ニクソン失脚の直接の結果として、ベトナムやカンボジアでの共産勢力の台頭を許したことにある。その結果、凄まじい地獄絵図がもたらされたのだ。ニクソンもこの問題があったから、退陣しないように踏ん張っていたのだろうが、結局、頑張りきれず失脚してしまった。ニクソンのウォーターゲートでの失脚がなかったら、ポルポトの大虐殺もまずありえなかったはずである。



Feltは旧ソ連と通じていた可能性は高いと思うが、それはこれから明らかになるのだろうか?もし事実そうだったとしても、その真相だけは墓まで持っていくかもしれない。

しかし、このような確信犯的行動が、ポスト争いに敗れたことへの怨恨だけで出来るとは思えない。Feltが旧ソ連と通じていたとすれば、共産主義勢力の対米諜報戦の最大の勝利だったといえるだろう。



しかしあの頃の朝日新聞は特に酷かった。まさにクメールルージュのシンパだったのだから。

朝日の本多勝一や下村満子をはじめとする当時の名物記者たちは、自分の言動の責任を一生悔いることもないだろう下衆どもである。こいつらは北朝鮮にでも追放するべきだ。こいつらの言論は立派な詐欺行為による大量殺人であった。多くの人を騙して死に追いやり、ただで済むはずがない。もちろん朝日新聞も同罪である。

もし少しでも反省しているのなら、拉致被害者の身代わりとして北朝鮮に行くべし。馬鹿は死んでも直らないのだが。




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2005年06月21日

会社は誰のものか

「会社は誰のものか」By 吉田望 新潮選書



以前、このサイトにトラックバックをしていただいた吉田望氏の待望の著書が出た。

本日購入し早速読んでみた。大変、面白い本であった。お勧めである。

岩井克人氏の例の本より、はるかに知的な本だと思われる。



もちろん、この本の本題は”会社は誰のものか”というテーマである。

いろいろと考えさせられる問題提起を多く含んだ本だ。

先ほど読了したばかりで、まだ頭に引っかかった点を思案中なのだが考えがまとまったら、また書いてみたい。



もともと私は”ブランド価値”なるものをどう考えるべきか前から気になっていたのだが、ブランドという企業のIdentityと、その所有権の関係をどう考えるかというのが、この本が投げかけている大テーマである。



但しこの本で”株主主権”なる言葉が使われているのはいただけない。

明らかに株主に<主権>はないからだ。

株主にあるのは完全な所有権である。