2008年07月03日

Why individualism?

欧米社会の個人主義はキリスト教的伝統であり、東洋にはそぐわないのだといった軽薄な議論は、多くあるし、今も根強い。

だが、欧米も長いこと社会主義が隆盛を極めていたわけで、社会主義では個人主義などありえない。むしろegoismの対極としての利他主義(altruism)はキリスト教文化では顕著だ。

個人主義とはキケロからの政治的哲学として大事にされている原理であって、キリスト教的なものではなく、まして人間関係に関する感覚的なことをさしているわけではない。

リバタリアニズムがキケロよりの個人主義の伝統を重んじ、ハイエクがキケロ以来の個人主義の伝統が失われていると嘆いたのは、この政治哲学としての個人主義である。これは決してキリスト教的なものではない。
政治が個人主義の原理を失えば、即、全体主義に政治が向かうことが明らかであるために、個人主義は必要不可欠な原理と考えられたのだ。

これは自明ではない政治哲学的な発見の一つと考えられる。
つまり、社会全体をよくしようとすれば必ず社会全体がだめになり、個人を最適化すれば社会全体がよくなる。ここで個人の最適化とは個人の自由を最大化することを意味する。

社会全体の福利を目的関数とする設計主義はローマの昔からあり、今も根強いわけだが、個人主義というのは、これにたいするanti-constructivisticな発見といえよう。

キケロはそれを明確に述べた政治哲学者だった。

例えば キケロはこういっている。

最も厳しい法律は、しばしば最も深刻な誤りを引き起こす。
  
法律をより多く制定すれば、より少ない正義に結びつく。
  
官界の傲慢は、手なずけ、そして、コントロールされなければならない...

政府が強力になる時...、それは無実の者の口からパンをとる強奪者であって、そして、それ自体を恒久化するために、尊敬すべき人間から投票に必要な彼らの財産を奪う。


我々は自由でいられるように、法の奴隷となっている。


自由の本質は自分の選択によって生きることである。


個人主義とは政治哲学的な原理として狭く考える必要がある。
これはアインランドでも同様だし、リバタリアニズムでも同様だ。

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2008年06月28日

Importing Industrial Revolution

明治維新の最大の意味は、開国によって海外の産業革命の成果を輸入したことであるが、当時の日本は、維新(1867)からのほんの30年間ですごい勢いで海外技術を輸入している。
ミルトンフリードマンは、1910年くらいまでの日本は完全なる自由貿易体制だったと言っているが、この時期に日本は自由貿易の恩恵を存分にうけることで海外に技術的にキャッチアップしようとしたのである。
戦争経済と貿易保護主義、関税主義というのは完全に結びついている。
リバタリアンFAQには次にように書いてある。

”自由貿易は世界平和をもたらすことにも貢献する。1920年代から1930年代の間で、貿易障壁が世界中に行き渡ってしまったことで、それが直接的に第2次世界大戦を引き起こしたのである。
もし商品が国境を渡ってこないのなら、軍隊が国境を越えてくるであろう。”

これは歴史的な事実が常に示すものである。
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Lessons to Bill Gates

 

Creative Capitalism  - A conversation
http://creativecapitalismblog.com/

ビルゲイツの講演に対して、なかなか錚々たる経済学者達がコメントを寄せている。
たとえばスティーブン ランズバーグや、ゲイリーベッカー、リチャード ポズナー、ビル イースタリー等々である。


ゲイツの考えは、おそらくジェフ サックスの考えに近く、実際に影響も受けているだろう。きっとサックス一派に、そそのかされもしたに違いない。
だが、ビルゲイツも馬鹿でなければ、このサイトにある経済学者達のコメントから自分の考えをある程度は反省することができるかもしれない。

ゲイツの考えとは、今までのCapitalismは欠陥があるし、世の貧困や貧富の格差を解決できていない。だからより創造的な新しいCapitalismが必要だという趣旨で、よくある金持ちのフィラントロピックな考えだ。

だが、ランズバーグやイースタリーが批判しているように、従来の資本主義は一般に誤解されているよりもはるかによく機能しており、問題は資本主義ではなく、自由な市場、自由な交易を制限しようとする統制経済への動きが常にあることだ。
つまり本来の自由市場主義は十分にCreativeであり、これを上回るものはないといって過言でないのである。
問題は本来の自由市場主義が政治的になかなか実現されないということにつきる。

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2008年06月26日

Smoking, Liberty and Health Fascism

前にも紹介したが、ピエール ルミューの以下のリンクは、非常に重要だ。

http://www.pierrelemieux.org/re-smoking.html

喫煙の問題を愚行権の問題とか言っている、自称リバタリアンがいるが、結局のところ全く何もわかっていないらしい。

”After echoing a few scientific doubts about the danger of tobacco, and especially the very fleeting second-hand smoke, I have tried to show that, even if we accept the dreadful claims of government propaganda, coercive public regulation of production and consumption of tobacco has no rational basis but the glorification of state paternalism and its growing power. As we know it at the end of the 20th century, the state is, much more than tobacco, a very real public health problem. ” - Pierre Lemieux

誰が言っていたのか忘れたが、次の言葉はWitに富んでいる。

「何が一番健康に悪いかって? それは生きていることだ。」

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2008年06月21日

Iran and President McCain

Thomas Sowell(トマス ソーウェル)の次のコラムを読んだ。
冷静なソーウェルにしては、かなり危機感に満ちた文章だ。


Obama and McCain
http://jewishworldreview.com/cols/sowell060508.php3


トマス ソーウェルは、現代最大のテロ支援国家イランによる核爆弾開発問題が、世界の最大にして喫緊の課題であるという。
この危機に可能な限り迅速に対応しなければ、世界はヒットラー以上の災いが台頭することを見逃すことになり、もし、テロリストの手にイラン経由で核爆弾が渡れば、911も子供の遊びのようなものに見えることになるだろうという。

この対応には、今回のアメリカの大統領に誰を選ぶかが極めて重大な決断となる。遊びは許されない。


この結論は明白であり、マケインを大統領に選ぶしか選択肢はないのだとしている。


"Senator John McCain has been criticized in this column many times. But, when all is said and done, Senator McCain has not spent decades aiding and abetting people who hate America.


On the contrary, he has paid a huge price for resisting our enemies, even when they held him prisoner and tortured him. The choice between him and Barack Obama should be a no-brainer. "

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The Drastic Effect of NAFTA from 1994

NAFTA(North America Free Trade Agreement)がいかに劇的に経済を向上させたかというチャートがある。
1991年に議論が開始され、1994年にNAFTAは発効された。
このチャートに示されるとおり、それを境に経済が劇的に上向いた。
これは、自由貿易がいかに重要なものかということを示している。

今の民主党の論調は、労組の影響もあるのだろうが、このNAFTAがアメリカの賃金レベルを低下させているというのがある。
この筆頭がデヴィッドシロタのような札付きのデマゴーグ連中である。
だが、シロタだけでなくObamaもクリントンもNAFTAの見直しを掲げている。
こういった連中も、Globalizationの弊害とかを本気で信じているようだ。
この雰囲気はかなり不気味である。やはり今回の大統領選でオバマ民主党になるとかなりまずいことになるだろう。

http://www.rossputin.com/blog/index.php/2008/06/20/free-trade-is-good-for-us


Series Id:     CES0500000031
Seasonally Adjusted
Super Sector:  Total private
Industry:      Total private
NAICS Code:    N/A
Data Type:     AVERAGE WEEKLY EARNINGS, 1982 DOLLARS
CES05.gif








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2008年06月16日

Final Tax Return

アメリカでは、税制が常に選挙の政策論点になるが、これはアメリカが基本的に源泉徴収でなく確定申告(Final tax return)制度だからだろう。
この日本の源泉徴収制度はきわめて邪悪なものである。

日本は憲法で、ふざけた事に納税を国民の義務とうたっているが、100歩譲って国民の義務だとしても、税を払うことと、いくら払うかは同じことではない。
税をいくら払うかは、常に政策論点の中心になければならない。


この点、高橋洋一氏の日本の財政タカ派の嘘に関する記述は是非読むことをお勧めする。
#実は、これもミルトンフリードマンやそれに続くリバタリアン達が言っている論理と同じなのである。

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2008年06月04日

Mankiw on Cutting Corporate Income Tax

マンキューの次のNYTimesの記事は面白い。一般向けの記事だがレベルが高い。

Cut the Corporate Income Tax

ここで書かれてるように、金持ちの企業から税金を取れというのは間違っている。
なぜなら、企業への課税は、結果的に個人へ課税するのと同じ結果になるからである。
つまり、個人は所得税に加えて法人課税分の税金も払う羽目になる。
これは経済学の基本が分かっていればきれいに導き出せる。
こうなるのは決して悪辣な企業の悪巧みでなく、無から有が生じないのと同じく経済法則上、どう頑張ってもそのようになる。
#しかし日本人でこのことを分かっている人間はあまりいないかもしれない。


もっとも法人課税の全部が一般消費者負担となるのではなく、法人が負担している税=Aと、一般個人が負担するトータル=Bを合わせてA+B=法人課税額となる。だが、この法人課税の負担割合(A:B)は一般的には決まらない。しかしマンキューのこの記事で紹介されている最近の研究によれば、法人課税を1ドル上げると、平均的な所得を92Cents押し下げることになるらしい。
なお給与所得が減るのも、給与が変わらず所得税がその分増えるのも同じなので、これは実質的に個人所得税の増税に等しい。

” After examining data on more than 50,000 companies in nine European countries, they concluded that “a substantial part of the corporation income tax is passed on to the labor force in the form of lower wages,” adding that “in the long-run a $1 increase in the tax bill tends to reduce real wages at the median by 92 cents.”


マンキューは、法人税の大幅減税を公約に掲げるマケインをこの点で評価している。つまりオバマのように所得税減税をうたう方が一般受けしてポイントを稼ぎやすいが、実は法人課税を減らす方が、個人の所得税を減らすよりも経済効果は大きいのだと説明する。


the corporate tax is particularly hard on economic growth. A C.B.O. report in 2005 concluded that the “distortions that the corporate income tax induces are large compared with the revenues that the tax generates.” Reducing these distortions would lead to better-paying jobs.


しかし、減税がまともな選挙争点とすらならない日本と違って、アメリカの選挙は常に税金問題が主要論点となるのには彼我の違いを大きく感じる。

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2008年05月31日

Constructivistic Suggestions


次の大前研一氏のコラムは力作だ。Read it!

http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz08q2/572889/


これによると金融庁構想を時の小渕首相に提言したのは大前氏で、これは債権処理を目的とした特別組織とするスウェーデン方式の構想だったらしいが、それがそのまま官僚組織として当然のごとくに生き残り、現在のもろもろの規制の元凶になっている。

これを読むと結果的に、大前氏の東京の銀行構想にしても、金融庁にしても酷い結果になったのであるから、大前氏にもかなりの責任があるといえる。

つまり、政府に対して新組織を作ろうという提案(constructivistic suggestion)をすれば、それに乗る官僚の裏の魂胆を大前氏は熟知しているはずだが、自分のアイデアに惚れて、後のことを考えずに提案してしまうわけだ。

こういう政治権力に対する大前氏のPositiveな態度というのは間違っている。
大前氏は政治権力に対してナイーブすぎるのではないか。これは、極悪人にも三分の魂があるという仏心なのかもしれないが、制度化された政治権力という抽象的悪には、そのような魂なるものは存在しない。

同様に地方分権だ、生活者主権だといった大前氏のアイデアも、現在政府がスローガンとして取り入れ推進しているが、こちらも恐ろしく酷いものであることはすでに結果を見なくても明らかだ。とくに消費者庁は凄まじく酷いものである。地方分権うんぬんも同様に最悪の結果になるだろう。
大前さんのイメージしているような分権型国家にしようとすれば、アメリカのようなConstitutionalismが前提となるはずだが、日本の憲法は変えられない。
しかし、Consitutionalismなき真の地方分権はありえないのだ。

この帰結としては、各地方に、中央省庁並みの規制権力が生まれ、日本から自由が消滅することになるだろう。

 
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2008年05月17日

Shifting Initiative of Free State

目には見えなくても、現在の私達の政策が抱えているコストはずっと高いものであると思う。
どれくらい高いかは私にはわからない。少なくともコーチゾン薬の開発に携わっていた医師の一人が、現在のような厳格な安全基準をFDAが当時も実施していたら、この薬は今でも利用できなかっただろうと思っていることを私は知っている。同様のことがペニシリンにおいても述べられてきた。おそらく安全とは言えない新薬の使用に命を賭けて、亡くなっていく人々は存在するだろう。私達は、そのことを50年前に「危険を避けて」いたら今日死んでいただろう数百万の人々の命と比べてみなければならない。

デヴィッド フリードマン 「自由のためのメカニズム」 より

このデヴィッド フリードマンの名著は、22歳の時に書かれた本だ。
その早熟さ(*)には驚嘆する。内容の濃い本なので、たまに読み返すが、その度に発見がある。
#というか、私は読んだことをすぐに忘れてしまうから、覚えてないだけか。。(^^;

この本は、内容は濃いが平易に書かれている。やはりミルトンの息子である。
だから多くの人に読むことをお勧めできる。しかし平易ではあるが、内容が濃いので何度も読み返すとよいと思う。1回読んだくらいでは、この含蓄ある政治的マニフェストが理解できないだろう。

*親父のミルトンも天才で、母親のRoseも一流の学者であり、母親の兄弟Aaron Directorもノーベル賞受賞者だから、David Friedmanはいわばリバタリアンのサラブレッドだ。

話がそれたが、このように政府が社会にもたらす損失というのは、計算が不可能だ。
しかし、それは計算できる無駄の部分よりも、はるかに巨大であることは間違いない。
医薬のように、FDAが絶対的な許認可権限をもっている場合では、新薬の開発の遅れ、新薬の禁止による社会的コストはほとんど計算ができない。一方で、政府が禁止をするのに要するコストは、ほとんど0だ。無用な橋や道路にかける膨大な税金の無駄というのは目に見えるし、ある程度計算できるが、このような禁止による損失というのは、なかなか目に見えない。
このことは医薬に限らずに言えることだ。

以下はバウチャープランについて触れた部分だが、引用すると、
諦める理由など全くない。国家を現在のような状態にするためには長い年月を要した。そして国家をそこから抜け出させるにも長い年月がかかるであろう。(同p77)

と書いているが、最近のドバイのような非NationStateの勃興とNetの普及によって、もはや自由の実験はアメリカという国から離れたのではないかと思う。
これは18世紀にイギリスから「自由な政府の理想をさらに発展させることの主導権はアメリカ人の手にわたった」とハイエクがConstitution of Libertyの中で書いたように、現在は、もはやアメリカは自由の理想を実現させる主導権は持っていない。自由の理想の主導権は、もしかするとドバイのような小国に移りつつあるのかもしれない。ベドウィンとは、もともと遊牧民族であるからこういった国はNationStateではない。ベドウィンの国境を無視して交易する商業民族のDNAと、ネットで国境なく移動する資本というのがマッチしているだろう。
#ドバイのユニークな点として、街に住所というのが一切ないらしい。遊牧民にはそういう観念がないそうだ。

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Dubai Libertarian Country?

「ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか?」福田一郎

このところよくドバイの話を聞くようになった
私も前からDubaiは注目していたが、この本を読んでさらに興味がそそられた。

簡単にドバイの特徴を纏めてみると
  • シェイク(首長)の国であり、行政府がない→政府がZeroMinimum!
  • 100%Taxフリー、つまり税金がない→そのため、政府による税金の無駄遣いがないし、政府の腐敗汚職もありえない。
  • 恒久的滞在権がなく、更新制となっている→移民問題なし。さらに就労していないと更新できない。
  • 犯罪が極めて少ない→犯罪をすれば2度と入国が許されない
  • 医師や弁護士の資格は、外国でとった資格がポータブルに使える。→簡単な面接試験だけでOK
  • オープンな経済→規制が少ない。資金の持ち出しも持ちいれも自由
  • ドバイの会社制度は更新制
 
ざっと書いただけでもこのような特徴があり、単なるタックスヘイブン(tax haven)とは異なる。これはほとんどリバタリアン国家といってもいいだろう。

このような国家が21世紀の国家のお手本となるだろうことは間違いない。
私も近く、ドバイを見に行ってみたいと思う。

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2008年05月10日

David Friedman on Obama

デビッド フリードマンがObama支持を書いている。
Obamaはanti-Bush的な存在になるだろうと考えているようだ。
MccainはPro-Warだからダメで、一方、Obamaは、リバタリアン的なリベラル?と見ているようだ。例えば、school vouchersやhealth insuranceの拒否、marijuana decriminalization(マリファナを刑事罰としない)といった姿勢を評価している。
シカゴスクールの人間でありながら、左派のニューバージョンを作ろうとしてるCass Sunsteinのような人間にObamaは近いと考えているようだ。
このフリードマンのObama評価は、積極的なのか消去法によるのかよく分からないが、pro-warの大統領だけは願い下げと考えているのかもしれない。しかし民主党がなったとしても、anti-warとなるとは限らないと思うが。

There is a group of intellectuals connected with the University of Chicago who have accepted a good deal of the Chicago school analysis but still want to think of themselves as leftists. They are, as I see it, trying to construct a new version of what "left" means. Examples would be Cass Sunstein and Austan Goolsby, both at Chicago, and Larry Lessig, who used to be there.
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2008年05月04日

J.S.Mill was left

フリードマンの「資本主義と自由」のアマゾンの出版社の内容紹介で次のようにある。
「ジョン・スチュアート・ミル『自由論』、フリードリッヒ・ハイエク『隷従への道』と並ぶ自由主義(リバタリアニズム)の三大古典の1冊。」

これらを3大古典と一体誰が読んでいるのかしらないが、リバタリアニズムやクラシカルリベラルにミルを入れるのは何も分かっていない証拠だ。
ミルはクラシカルリベラリズムとも全く異なるのである。
例えばハイエクはミルの残した大量の手書き原稿を含めて数年かけて詳細に研究したらしいが、ミルはconstructivistでありダメだと言っている。つまりミルの自由はpositive libertyであり、リバタリアニズム〜クラシカルリベラリズムの消極的自由とはかけ離れているということだ。
ミルはむしろプラグマティズムの流れ(utilitarian)であり、リバタリアニズムと混同するととんでもないことになる。

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2008年05月03日

Securitization of Organization

いうまでもなく組織とは人間集団であり、また組織活動とは人間集団の活動である。 組織の中には、多くの契約が存在する。
組織の従業員であることにも契約があるし、組織が取引を行うことも契約だ。組織をこのような”契約の束”として考えることで、その”契約の束”を証券化(securitize)することが可能になる。
つまり、組織そのものを証券化することで、人間集団というとらえどころのないものに、所有権が発生する。(ちなみに当然だが人間に対する所有権ではない。契約に対する所有権だ)

#しかし、この契約を介した組織というのは既に、ゲマインシャフト的な、つまり村落共同体、家族共同体的な組織とは異なる。
とりあえず会社組織を考える上では、このレベルで一旦止めておくのがいい。

つまり、契約の束である組織を証券化して株式会社にする仕組みと、株式を公開市場に上場するシステムは別に考えないといけない。

上場システムと有限責任特権の関係を考えてみよう。
まず、株式市場への上場システムは、資金的なレバレッジを得る仕組の一つである。
現在、上場が許される会社は、株主が有限責任の株式会社に限られる。
もし、この際、株主の有限責任という条件がなければ、無限責任の一端を株主が負うことになるからマーケットに上場しても買い手がつかないかもしれない。
株主になるリスクが大きすぎるからだ。
コロンブスの時代の航海船は、いかに莫大な費用がかかろうとも、損失の上限はきっかりと決まっていた。だから費用を分散で負担している株主は有限責任で全く問題がなかったわけだが、近代の会社組織は損失の上限が決まっていない。
そういった違いがあるにもかかわらず、国家権力により気前よく”株式会社は有限責任でOK!”としたのが、制度上の大飛躍であったと考えられる。

もちろん、上場と引き換えに様々な義務を負うことになるが、それでも株主=所有者にとって、大層、好都合なことだ。
こう考えると、現代の株式会社の有限責任制度は、株式の公開マーケットへの上場システムと切り離せない関係にある。そうでなければ、有限会社が上場できない理由がない。

問題は、資金的なレバレッジを与える仕組みとして、上場システムしかないのか否かだ。
企業にとって証券市場への上場はあくまでも資金調達が目的であり、多くの人と会社を共有するのが目的ではない。
創業者が会社を上場させるインセンティブとなっているのは、当初は株式を自分で大半を所有しているために、上場によって一攫千金のキャピタルゲインを得ることがある。だが、経営が好調でキャッシュフローが潤沢で、資金面で苦労がなければ、無理して上場する必要もない。
サントリーとか優良な大会社が上場していないのは、そのためだ。創業者にとっては、利益が沢山出ている限り、”自分の会社”として独占していたほうがいいに決まっているのである。
#ちなみに、世界最大のプライベートカンパニーは、コーク(Koch)の創業した会社(Koch industries)で、コーク兄弟は世界の大富豪の5本の指に入る。このコークこそは、リバタリアニズムの世界最大のパトロンでもある。コークは、自分が生きている限り、上場することはありえないといっている。

株式会社として有限責任特権を得つつ、株式上場ー株式公開はせずに私的な会社としているのが最もメリットがある。
さらにいえば株式会社への有限責任特権を取り払ってしまえば、わざわざ株式会社にする必要すらない。
さらに資金的なレバレッジを得る有効な仕組みがほかにもあれば、上場の必要性も小さくなる。このように考えていくと、株式会社=有限責任としなければならない制度上の必然性もほとんどないことになる。例えば、新製品の研究開発に対する資金が足りなければ、そのプロジェクトに対する資金を募るというのでもいいわけだ。何も株券を担保にしなくても、その利益に対する分配金を払えば済むだろう。

この場合は、一族経営が基本となって経営と所有が分離されないことが多いだろう。もちろん、創業者一族以外は奉公人でしかないが、経営をプロに任せることも当然できる。
おそらく、リバタリアニズム的には、政府による有限責任特権は認めるべきではない。無限責任の前提では、株式証券の市場化は、現在のような形ではできないだろうが、保険とセットにした仕組みなどいろいろと私的な制度的発明は考えられるに違いない。
 
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2008年04月26日

Prison Nation

 

Llewellyn H. Rockwell, Jr.のコラムを少し紹介しよう。
Prison Nation
http://mises.org/story/2957

アメリカは驚くべきことに世界で最も監獄の好きな国になっている。
今では、成人の100人に一人以上が監獄で暮らしている。
NYTimesによると、アメリカでは200〜300万人が監獄につながれている。
中国はアメリカの4倍の人口があるが、囚人の数は160万人だ。
囚人の数を人口比でいえば、次のとおりとなる。
アメリカは10万人あたり751人。一方、ロシアは同627人、キューバは531人となり、世界平均では125人だ。

アメリカのこのトレンドは1980年代からのものであり、その原因の大半は麻薬法の改正によるものだ。
1925年から1975年にかけてのUSの囚人比率は110で、世界平均よりも低かった。
この傾向は1980年代になって急激に変化した。1980年には3万人がドラッグで監獄につながれていたが、今では50万人がドラッグで囚人となっている。

ドラッグ以外の要因として、今では殆ど全てのことが刑罰(criminalization)の対象となっていることがある。

監獄の意味を考える必要がある。監獄につながれた人間は国家の奴隷だ。これは究極の人間の尊厳に対する暴力なのだ。
囚人は、罪の代償を払っていると言われるが、その代価を受け取る人間はいない。彼らは犯した罪の負債を払っているわけではなく、ただ無為に時間を過ごしているだけだ。しかし納税者は囚人一人あたりに25000ドルの費用を払っている。彼らは社会にとってコストでしかない。
刑務所は人を更正させたりしない。ジョージバーナードショーが言ったように、「刑務所に入れられたら死ぬのと同様に取り返しがつかないことになる。」

政府は毎年440億ドルを刑務所の維持にかけている。
今アメリカでは不法ドラッグは1000億ドルの産業だが、ドラッグ戦争には190億ドルの税金を投入している。同様に司法システムのコストはうなぎのぼりだ。(この25年間で418%の上昇)

麻薬使用の犯罪化によって、麻薬はさらに深く地下に潜っただけだ。刑務所の中でもドラッグマーケットは非常に盛んというのが究極の皮肉である。
また司法任命の政治化によって、裁判官は犯罪へのより厳しい判決を競うようになっている。

さらに、いままで語られることのなかった要因としては、刑務所産業のロビー活動そのものがあげられる。刑務所産業複合体がどれほどの規模なのかはまだ掴めていないが、あらゆる業界が刑務所というミニチュアの社会を作るのにかかわっている。
監獄とは、Statismの究極のシンボルなのだ。

 
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2008年04月25日

Adam Smith and Virtues

アダム スミス 堂目卓生著 中公新書

この本を読んだが、ややダルな本であった。この本を読むよりは、竹内靖雄氏の「経済倫理学のすすめ」中公新書をお奨めする。
竹内靖雄氏は、古くからリバタリアニズム的な主張を著書で書いているが、残念ながらリバタリアニズムの紹介であるというネタを明らかにしてこなかったと思う。(竹内氏の本は多くは読んでないので知らないが。)最近、この本をぱらぱらと再読して、理解はたしかだと思った次第だ。法哲学系の連中が書いているリバタリアニズム本よりも竹内氏の本はずっと良いと思う。
#日本の法哲学系でリバタリアニズムを”研究”している連中は、根が左派リベラルであり、決してリバタリアンではない。

スミスとヒュームは親しい友人だったことは知られているが、改めていうまでもなく、この2人こそは、クラシカル リベラリズムのGodだ。だからスミスについて書こうとしたら、マクロスキーくらいの決意を持って書かなければならない。↓過去ポスト参照
http://libertarian.seesaa.net/article/37255142.html
#前にも書いたが、マクロスキーの「ノーベル賞経済学者の大罪」も、面白いのでお奨めだ。


スミスの国富論は、次に原文がある。
http://www.econlib.org/LIBRARY/Smith/smWN.html

国富論の中に出てくるinvisible handは、次の1個所だけ。

He generally, indeed, neither intends to promote the public interest, nor knows how much he is promoting it.
By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was no part of it.
By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it.
I have never known much good done by those who affected to trade for the public good.

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2008年04月23日

Jim Rogers's anger on FRB

悔やまれるのは、なぜ景気後退をもっと早く起こさせることができなかったかということだ。景気後退には経済システムを正常化させる機能がある。それを恐れ、金融緩和で絆創膏を張ってきたFRBには怒りすら感じる。
http://diamond.jp/series/dw_special/10016/
 

ジム ロジャースのインタビュー記事が載っている。
ロジャースの見解はリスペクトに値すると私は思っている。
ロジャースは、山勘の山師ではなく超インテリのリバタリアンだ。
特に大局観に優れた投資家であり、短期投資は下手だと自分でも言っている。
景気後退も、市場の自然なサイクルの一つとして見ていて、それに対し余計なことをしてはならないと考えているのだろう。
レッセフェール的な市場観と現実政策とのギャップを客観的に判断することがロジャースの大局観のもととなっているのかもしれない。

 
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2008年04月22日

On Iwai Katsuhito or a profound A-hole

Finantial Japan6月号の特集「会社は誰のものか」を本屋で少し立ち読みした。
相変わらず岩井克人がアホ(=A-hole)なことを得意になって話している。
その後の記事で、矢野朝水という人が、「会社は誰のものか」などというばかげた議論は
いい加減にやめろと書いている。株式会社が株主のものなのは当たり前であり、こんなことが議論になっている国は日本だけだと言っている。こちらは至極、まっとうな意見である。

要するに岩井は法律をまったく知らないし、それ以前に法律の基本的な読み方すらもしらないのだ。
東京財団というところで、「会社は誰のものか」という研究を金もらって、やっていたようだが、 そこでのインタビュー記事がある。
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=12

この対談相手の加藤秀樹会長というのは、大蔵官僚の天下りのようだ。
この東京財団というのは、もともと日下公人とかが会長をやっていたところだったと思うが、天下り財団になったのだろうか?
これから少し引用すると。

==
加藤 最近の市場には、株を今日買って今日売るというデイトレーダーのような人も多く参加しているわけですが。

岩井 そうですね、株主には2種類あります。長期的にインベストをしてくれて、長期的に会社を育てようとしてくれる株主と、短期的に利益を稼ぐことを狙っていて会社の業績を見ずにチャートだけを見て取り引きしている株主の、2種類の株主が共存していて、しかもだんだん後者のウエートが増えてきています。
==
岩井がここで言っていることは、あの亡国のクズ役人、北畑事務次官の発言と同じではないか。もしかしたら北畑は岩井から会社法の講義でも受けたのかもしれない。w
”長期的に会社を育てようとしてくれる株主と、短期的に利益を稼ぐことを狙っていて会社の業績を見ずにチャートだけを見て取り引きしている株主”というが、株主に、会社を育てるとか育てないといった区別などない。おそらく岩井は議決権をもった株主として扱われる条件すら知らないにちがいない。

これでは、小学生が知ったかぶりして”会社は誰のものか”を学級会で議論しているのと同じだ。
一体こんな低脳な人間に高給を税金で払って東大教授をさせていてよいのだろうか?

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2008年04月21日

Stay foolish

基本的に、自由主義と民主主義は相反するものだ。
民主主義とは、基本が全体主義なので民主主義者=全体主義者であり、つまりは社会主義者だ。
私はこれが今の日本社会の本質ではないかと思う。
この洗脳を解かないと、社会は正常化しないだろう。やはり教育制度の自由化、文部科学省の恒久廃絶の優先順位は高そうだ。

民主主義という名の社会主義を義務教育で徹底的に洗脳している以上、まじめで物分りのいい秀才君ほど全体主義者になってしまう。これはどこの国でもそうだ。中国の紅衛兵しかり。
私は、もとより全然まじめでもなく、反抗的かつ、かなり物分りの悪い人間であるから、このような社会には幼少の頃より常に違和感を感じてきたわけだが、私に言わせれば、紅衛兵になるくらいなら、バカのままのほうがいい。そのほうがずっと人間の格が上といえよう。

たしかに池田氏がいうように、本来、社会に目的はない。だが社会に目的がないということと、社会の目的が自由にあるということとは矛盾しない。
前者の”目的”とは、共通の積極的な価値であり、後者の目的は、消極的な価値と置き換えればわかりやすいかもしれない。

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2008年04月19日

Rising Food Prices and Public Policy

ベッカーポズナーBlogで食料品の価格高騰について論じている。
http://www.becker-posner-blog.com/

少し内容を紹介しておこう。
ベッカーによると、

”去年のアメリカのトウモロコシ生産量の4分の1、またトウモロコシの世界生産の11%はバイオ燃料に使われた。
さらに、石油価格の高騰によって、穀物価格があがった。またドル価値の下落も石油や穀物価格を上げている。
さらに、大豆などの他の穀物のトウモロコシへの転作が大規模に起こった。
つまるところ、これは、世界人口の増大というマルサス的なモデルによる価格高騰ではない。

また農業生産国では次のような負のサイクルが起きている。
穀物価格の急騰→都市部での暴動→生産国(エジプトやハイチ、ベトナム)での穀物の輸出制限による国内価格の抑制→世界の穀物価格のさらなる上昇→生産国の農家の収入が減少→生産性の低下(本来なら価格が上がれば生産も増大する)→貧富の格差の増大
つまり、途上国では都市部の政治的影響力が強いために、輸出制限を行い、アメリカのような豊かな先進国では農村部の政治力が強いために、エタノール助成金のようなエネルギー浪費的な政策が維持されるのだ。”
としている。
ポズナーのコメントとしては、エタノール助成金やそれと類似の助成金、例えばEUにおける遺伝子組替作物の全面的な禁止、さらに農産物への関税は原則として廃止することで、食料供給を増大させることはできるが、圧力利益団体の存在によってそういった改革は難しくなっているとしている。
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Marketing of Libertarianism


ミルトンフリードマンの「資本主義と自由」が日経BP社から新訳で復刊したが、その後書きを高橋洋一氏が書いている。私は本屋で後書きのところだけ、立ち読みした。
しかしこのフリードマンの名著を持っていない人間は、すぐにでも買って読むべきだろう。

その後書きの中で、なぜ自由化をするのかという現状肯定派の問いに対して、高橋氏は本来、自由が原則であって、それを規制するのであれば規制する側に挙証責任があると書いている。だが、現状は規制された状態がデフォルトであるので、自由化する側に挙証責任を転嫁されてしまう。そこで、これを説明するのに、高橋氏は”フリードマン論法”を用いたそうだ。
つまり、規制状態の問題をつらつらと挙げたわけだ。

こういう挙証責任の転換は、現代の自由主義論者には常につきまとう。殆どの人間は現状肯定的な感覚で動いているから、現実を正常化するのだでは通らず、改革、進歩させると主張しないと現状を変えることはできない。

さらにいえば市場とかマーケットという概念も、自明のようで自明ではない。
自由主義=市場主義というのもなかなか理解されにくいようだ。
こういった正しい経済学概念を日本人は教わる機会がほとんどないからだ。
そもそも教える側がそれを全く理解していないのだから話にならない。

市場主義=自由主義が優れているというのは、単に効率性の問題ではない。それは当然すぎるモラルの問題であり、「自由の価値」を当然の共通認識として話すことが出来ないことへのいらだちは残る。

また市場主義と設計主義を、効率の比較として論じるのは意外と難しい。
設計主義(=constructivism)の害悪について、ハイエクが批判した40年代頃は情報問題として原理的かつ抽象的な批判することしかできなかった。そもそも当時はConstructivismは50年くらいの歴史しかなく、それはまだ実験の途中段階だと考えられていた。
つまり設計主義は理想主義的かつ高邁な科学的試みで、さらには実験によって科学のようにどんどん進歩していくものといったイメージで捉えられていたのである。

このロジックを否定するのは、簡単ではない。もちろん社会主義の凄惨な実体が明らかになった現代では、それを事実に基づいて批判することは容易だ。だが、それだけでは必ずしも反証にはならない。なぜなら社会主義とは”永遠の実験”なのだから。
ハイエクの情報説による設計主義批判は原理的な批判ではあったが、これも完全な批判としては充分ではないかもしれない。
実際、ハイエクの設計主義批判は、社会主義〜共産主義というラディカルな設計主義の失敗に関する実証データによって社会的に受け入れられた。つまり必ずしも理論的な勝利として受け入れられたわけではなかった。
しかし、このハイエクの情報理論による設計主義批判は、その後のPositivism批判にダイレクトに結びついている。ハイエクの頭の中では、当初からPositivism批判もしくは消極的価値の擁護という、かなり説明の困難なイメージがあり、情報論を持ち出したのは、苦労してそれを具体化したものだったに違いない。

効率性を論拠とした設計主義や統制主義に対する批判は現代でも完全には解決はされていない。
そのため、社会民主主義的な混合経済主義(mixed economy)といった統制と自由の折衷的なスタンスが圧倒的な多数派なのだ。それは完全な市場主義、完全な自由主義を当然のごとくに否定し、国家社会主義と市場主義の折衷に解を求める現代の迷信といえる。

そのため完全な市場主義、完全な自由主義が、つまりはリバタリアニズムが、未だにマイナーなものとされているのだ。
だがmixed economyと完全な市場主義との効率性の比較もできないわけではない。それはかつてのようにmixed economy体制間での効率性の比較として実証データにより、自由な部分の多い、または統制の少ないmixed economy体制の方が優れていることが”証明”されていくのかもしれない。だが、これも残念ながら必ずしも証明にはならないという問題が残る。

しかし社会主義がもともとその効率性の高さによって支持されたのではなく、その理想主義が人を惹きつけたように、自由主義も現代の理想主義となる必要がある。
だが自由主義が理想主義としては理解されることはなく、弱肉強食の論理のような乾いた現実主義にすぎないと考えられているわけだ。一体、それは何故なのか?

現代の自由主義者は、マーケティングを真剣に考える必要がある。
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2008年04月12日

Cut Tax and Tariff

ガソリンや軽油の暫定税率をやめたのはよかったが、また引き上げようとしている。
メディアは、ほぼ100%の国民が歓迎していることを、各地で混乱が広がっているなどとデマを執拗に流し、また税率を引き上げようとする動きに荷担している。
まったく北朝鮮的にますますなってきている。

ガソリンよりも食料品の値上げの方がさらに問題だが、これも同様に関税を引き下げて対応すべきだ。
農産物には未だに600%もの税金がかけられているのだ。日本はエネルギー価格も他国との比較で高いが、食料品はさらに高い。
それだけ価格の底上げ分が巨大であるから、減税によって、食料物価を抑えることは容易だ。食料品の価格は、今の半分以下にだってすることができるはずだ。
野党は政策論争の争点として関税税率などの減税を大々的に掲げるべきである。
日本はアメリカなどと違って減税が選挙争点とすらならない珍しい国だ。
今後は、減税政策によって与党にチャレンジするのが正しい戦略である。

インフレーションとは、貨幣価値が下がることであって、特定の物価の上昇=インフレではない。
しかし食料品の値段の上昇は他の製品にも便乗値上げを起こして、インフレ的な状態になりやすいだろうから、これを抑えることは極めて重要だ。
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2008年04月09日

Obama is socialist

オバマは別に意外ではないが、隠れマルキスト、それも筋金入りのようだ。

http://gregransom.com/prestopundit/2008/04/gregs-guide-to-barack-obamas-d.html

ざっと目を通しただけだが、オバマはかなりの危険人物といえよう。
まとめるのも面倒かつアホらしいなので興味があればリンク先に目を通してください。
ここまで酷いと、クリントンが候補になった方がましかもしれない。
そして本大統領選では、マケインに勝って欲しいものである。
少なくともマケインはこの2人に比べるとはるかにマシだ。

posted by libertarian at 22:07| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

Public Goods Fallacies

公共物、もしくは公共財(Public Goods)の法的な定義とは何か?
法律にそんな定義があるかどうかは知らない(→多分ない)が、なんとなくのイメージならある。 例えば、公道や公園は誰のものでもない。誰のものでもないが、誰でもそこに入ったり一時的に使用する権利はあるのが公共物だ。まあ大体そういうイメージだろう。

この公共物の定義(法的?)と、経済学上の公共財の意味は違う。
だが、これは通常、無批判に混同されて用いられていると思う。
#ここでは、経済学上のPublic goods を公共財と呼び、公共物とは区別する。

経済学上の公共財とは、非排除性あるいは非競合性の少なくとも一方を有する財として定義されている。 つまり、経済学上の公共財やクラブ財といった分類は財産権とは独立したidealな定義だ。それはその財の性質によって一意的に決まるものと想定されている。

公道や公園といった現実の公共物は、きわめて不可思議なものである。
通常、財は特定の個人に独占的に所有されるか、複数の人間によって共同所有される。共同所有のばあいは、各人がパイの持分に応じた完全な財産権を持つ。

しかし、公共物が”みんなのものだ”とする意味は、決してこの共同所有の大規模なものではない。 1億人の国民がいるとして、その1億人で共同所有されているのではなく、どこの誰にも一切の所有権がないのが公共物だ。
誰のものでもないから、誰にも処分はできないし、共同所有のように部分的な処分も一切できない。
これは税金もそうだ。税金は徴税された瞬間に誰のものでもなくなる。もちろん政府にもその所有権はない。そして税金が公共事業によって橋や箱物に変わる。誰のものでもないお金が、誰のものでもない物体に変換される。

この所有権がない点が、公共財に対する、ありとあらゆる合理的な扱いを不可能しているといえよう。社会主義とは本質的に反理性主義だが、社会のすべてを公共財にしようとするのは、その反理性主義らしい帰結といえる。

さらに、経済学上の公共財と公共物の違いを、ほとんどの人間は勘違いしている。
経済学上の公共財だから、公共物とするのがふさわしいと考えてしまう間違いだ。
つまり公共財=公共物という勘違いだ。明らかに論理的な飛躍と誤謬がある。
もともと、経済学上の公共財の定義に所有権概念は含まれない。公共財であることと、その所有権の問題はまったく別であり、公共財であっても、私的所有権を設定することになんの問題もない。

例えば電波がその性質上クラブ財だとした場合、クラブ財だから公共物にするべきだというのは論理的に間違っている。だが政府はなぜかこれを自明なこととしている。
むしろ電波を公共物と政府が勝手に決めているのは、政府が暴力の独占機関だという本質に由来するのだろう。政府とは”暴力の独占”機関だというは、ロスバードの表現だが、情報技術とは古来、最重要な軍事技術の一つだから、電波技術は軍事技術であるために政府の独占物として扱われたきた。
インターネットももとはといえば、軍事技術だ。

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A matter of degree

リバタリアニズムや、アナルコキャピタリズムの違い、またはminimum state と無政府の違いは、税の問題に帰着するはずだ。
税=0なら、無政府であり、税が非常に少ないが多少はあるのであれば、minimum stateだ。 それ以上の違いはあまりない。
このminimum stateの最小限の税収を、論者がどの程度を想定しているかは定かではないが、論理的には0だろう。それが100円でも100万円でも誤差のようなものだが、minimum stateの税収入⇒0とするのが正解だ。
そういう意味では、両者に違いがあるとは思えない。
しかし、こういった”程度の問題”は、観念的な議論よりも本質的だと私は考える。

例えば、所得課税に対する累進税制(progressive tax)と、定率課税との良し悪しを論じるのは公平性の問題とは関係ないテクニカルな徴税技術の話にすぎない。所得課税の規模だけが問題の本質だ。そもそも税とは合法的略奪(legal plunder)であるから、公平な略奪というのも奇妙なものだ。
前にも書いたが、累進課税が問題なのではなく、課税率が高すぎることだけが問題の本質だ。例えば10,20,30,50%の累進課税が、1、2,3,5%という累進課税であれば、累進に対する矛盾は小さくなるし、さらに0.1〜0.5%の累進なら誰も累進性を気にもしないだろう。
さらに、税=0にすれば固定税と累進税の双方の矛盾を克服できる。
私は、まずは、この所得課税制度を廃絶するのが第1歩だと思う。

私がノージックなどの観念的リバタリアニズムに思うのは、やはりノージックは税の問題をちゃんと論じていない点だ。ロスバードなどもこれと同様の批判をしているようだ。

もちろん、所得課税以外にも税はあらゆるところにある。規制による機会費用の損失まで含めたらどれほど巨大なものになるか計り知れない。
法律による規制も税の一種であり、これをなくそうとすれば当然に法律も極めて限定されることになる。

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2008年04月06日

Defending the Undefendable

ウォルターブロックの「擁護できないものを擁護する」の原文が本一冊ダウンロードできる。
もちろん気の利いた挿絵つき。

http://mises.org/books/defending.pdf

橘玲という相当頭の悪い軽薄な人間の書いた読むに耐えない出鱈目訳と、原書とは大きく異なる。
原著はWitに富んだ洗練されたものだ。読むなら原著を読むべきだろう。

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2008年03月27日

United States of Euroland and Tax

次のコラムは面白い。

ロシアも飲み込むEUの未来 大前研一
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/124/

EUが東方に拡大してロシアを飲み込むかどうかは分からないが、
EU内のTax競争の行方はどうなるだろうか?
posted by libertarian at 22:39| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

Risk aversion

デヴィッド フリードマンがRisk aversion(危険回避性向)とは、Riskを好む好まないという問題ではなく、限界効用の問題であることを説明している。


David FriedmanのBlogの記事
Why Risk Aversion Isn't
http://daviddfriedman.blogspot.com/


The definition of risk aversion, as any good textbook that covers the subject will explain, is that a risk averse person, faced with the choice between an uncertain set of monetary payments and a certain payment with the same expected value, will prefer the latter. As that definition suggests, it is a statement not about his taste for risk but about his taste for money.

To see why we would expect people to be risk averse, imagine that you are faced with two possible jobs. One pays you $60,000/year. The other has equal odds of paying you $20,000/year or $100,000 year.
We expect most people to prefer the former job, all else being equal. To see why, imagine that you are shifting continuously from it to the other. You are giving up dollars in the future where you lose the bet?where the salary is $20,000?in order to get dollars in the future where you win the bet. That means that you are giving up (probabilistic) dollars used to buy things you would get as your income increased from $20,000 to $60,000 in order to get (probabilistic) dollars to buy things you would get as it increased from $60,000 to $100,000. As your income increases, you buy the more important things first, so we would expect the gain from getting a dollar at the high end to be less than the loss from losing one at the low end. As this (entirely conventional) exposition shows, risk aversion is simply declining marginal utility of income.

この例は、毎年6万ドルもらう仕事と、丁半ばくちによって、2万ドルか10万ドルを年毎にもらう仕事とどちらを選ぶかということだ。平均すると全く同じ額が手に入るが、殆どの人は毎年6万ドルの方を選択するはずだという。これがRisk aversionである。
要するにお金の効用関数は直線ではないため、毎年6万ドル貰う方が、効用の合計が大きくなるということで説明がつく。つまりお金に関して、一般に効用関数は金額が大きくなるほど寝て来る形だと分かる。これが時間に関しては逆に値が大きくなるほど傾きが急な効用関数になるようだ。

前に、ニコラス タレブの本について少し書いた。↓
http://libertarian.seesaa.net/article/82860748.html
繰り返すとタレブが挙げている例では、次のものがある。
1000回に999回の確率で1ドルもらえる。
1000回に1回の確率で10000ドル払う。

これは、期待値が-9ドルだから、こんな賭けをやるのはバカであり、また、これが株式ゲームの本質だというわけだ。これに対して私はギャンブル行為は期待値の問題ではないだろうということを書いた。
ちなみにこれは、ゲームのルールが完全にプレイヤーに分かっている賭けだが、プレイヤーが決してバカではないクールな博徒だとした場合、賭けに応じるか否かは、10000ドルの効用関数も考慮しなくてはならないということだろう。

たとえば1ドルの効用が1で、10000ドルの効用が、そのプレイヤーにとっては仮に1000だとした場合、このゲームの期待値はトントンだ。さらにゲームの参加というベネフィットもあるから、賭けに応じることは期待値としてもプラスになりえる。もとい真のギャンブラーにとって10000ドルの効用は500くらいなのかもしれない。そうなると効用は+0.5になる。これは、真のギャンブラーほど効用関数の寝かたが大きいということを意味する。
この賭けの場合は、胴元が儲かる構造になっているが、それでもトータルの効用ではWin-Winになっている可能性がある。これがギャンブル産業の本質かもしれない。

宝くじはこの例と全く逆で、例えば次のような形になる。
1000回に999回の確率で1ドル払う。
1000回に1回の確率で10000ドル貰える。

これは、10000ドルの効用が1000だとすると成立しない。例えば2000とか、1000よりはもっと高くないとギャンブルが成立しないことになる。(宝くじもギャンブルの一つだろう)
しかし、真のギャンブラーはこういうケチなギャンブルはしないことが推察される。
なぜなら効用が-0.5になるからである。

さらにいえば、真のギャンブラーほどお金に関する限界効用関数の寝かたが大きい(つまりお金の価値に鈍感である)ために、外資系企業ではなく、平凡な日本企業に勤めている可能性が高いということも推察できるのである。

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2008年03月20日

Moral Hazards and Individual Responsibilities

ゲーリー ベッカーの記事の抜粋↓
The Erosion of Individual Responsibility-BECKER
Hardly a day goes by during this housing crisis that the media does not report on families in foreclosure proceedings, or in arrears in repayment on mortgages that had close to zero down payment requirements and low “teaser “ interest rates.
This type of response to failed decisions is not unique to the present housing crisis, but is part of a strong trend toward shifting responsibility to others.
Successful attempts to shift the responsibility for bad decisions toward others and to society more generally create a "moral hazard" in behavior.


An important foundation of the philosophy behind the arguments for private enterprise, free economies, and free societies more generally, is that these societies rely on and require individual decision-making and responsibility.

What if anything should governments do to help out in this present financial crisis, mindful of the many kinds of moral hazard that are lurking, but also mindful that the financial structure is delicately balanced? Despite the moral hazard risks, interventionist policies might be justified not because some borrowers or lenders were taken advantage of, but if these interventions would help the economy recover more quickly, and insure that the recession is neither prolonged nor deep. Still it is difficult to see the merits in the Fed's efforts to help the sale of Bears Stearns to JPMorgan Chase by guaranteeing many billions of mortgage and other assets of the company.

ベッカーの考えは、サブプライム問題への政府の介入は、moral hazardsを生むだけだという批判だろう。これは、先のランズバーグの見解とも呼応する。要するに、この問題はFRBや政府がどうこうやって解決できることではないのだ。金利を下げるのもBears Stearnsの処理もモラルハザードだと見ているわけだ。
そして、このモラルハザードが超大規模に起きたのが、まさに日本の教訓の一つである。
つまり、自らの責任で起こした損害を他人(一般国民)に転嫁することが、日本では官主導で大規模に進められた。これは自由社会の原則を踏みにじる社会主義的統制政策だ。
アメリカはこの点で日本よりは賢明なことを期待したいが、次期政権次第では分からない。日本の二の舞を起こす可能性もあるだろう。
ただ、FRBもインフレが怖いから、金利を下げすぎるわけにも行かない。そしてアメリカが金利を上げない限り日本の株価も上がらず、だらだらと下げ続けるだろう。
今後のアメリカの金利反転局面をどう予測するかがポイントになる。

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2008年03月14日

Landsburg on foreclosure

以下は、スティーブン ランズバーグのSlateコラム。
The case for foreclosure
http://www.slate.com/id/2185303/

これは、サブプライム問題でローンを払えなくなって家を差し押さえられる(foreclosure)人間の問題を論じたものだ。
私は、ランズバーグはこのように考えているだろうと読む前から予想していた。

None of these foreclosed houses is going to disappear. After a foreclosure, one family moves out, and another moves in. We see the sad faces of the people moving out, but we don't as often see the happy faces of the new homeowners moving in. Nevertheless, those happy faces are out there, and we should not discount them.

当然ながら稼ぎ以上の生活をしたところで、その人間の稼ぎが増えるわけではない。
そういう人間がローンを払えなくなれば家をでなければならないのは当然のことであり、通常誰も同情などしない。
むしろ、日本のように死ぬまで負債が付きまとわないだけ、アメリカはずっと貧乏人にとって恵まれている。

今度のモーゲージファンドであっても、分不相応の家に住んでいた人間が家を差し押さえられ、別の家を持っていなかった人がそこに入っていくだけだ。これは公正なmarket orderといえる。
このポイントは、極めて重要だ。
今回のモーゲージ問題とは、結局この現象が大規模に起きるだけだ。
つまり、分不相応な生活をしていた人間が去り、家の価格が下落し、相応な人間が入れ替わりに入る。ただそれだけのことだ。
失う人間がいる一方で、得る人間がいることが忘れられている。

メディアには家を追い出されて悲しむ人の姿は写されても、新しくその家に入居できる家族の幸せな顔は映し出されないということだ。これがメディアのバイアスであり情報操作だ。
こういった問題は、契約自由の原則により、個々の問題として処理しなければならない。つまり、貸した側も借りた側もリスク判断を誤ったわけだから、そこで発生した損失は当事者だけで負担しなければならない。貸した側も借りた側もその代償を払わなければならない。
これに対して税金を投入すれば、さらなるunintended consequences、また、さらなる社会的不公正を生むことになるのだ。
つまり、次のようなことだ。

There's at least one more reason to regret Secretary Paulson's eagerness to forestall foreclosures: If banks can't enforce contracts (or even if they "voluntarily" forgo the enforcement of contracts under pressure from the Treasury Department), they will undoubtedly be more reluctant to make loans in the future. Rest assured that somewhere out thereinvisible to you and me but nonetheless realis a young couple who, thanks to this intervention, won't be able to get the mortgage they want next year.
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2008年03月10日

Property right and liberty

財産権=Property rightとは、the right to exclude,つまり排除する権利のことではない。
財産権という概念自体が、消極的な概念なのである。
もし、財産権がthe right to excludeであれば、それは積極的な権利だ。
そうではなく財産権とは、してはいけない原則から成立している。
つまり、自分のものを他人が処分できないことであり、他人のものを自分が処分できないことだ。
これは、リバタリアニズムにおける自由が、他からの制約や束縛がないことという意味での消極的自由を指していることと同様だ。
実は、この消極的自由の定義と、財産権の定義とは同じものなのだ。
だからこそ、ヤン ナーバソンが言うとおり、自由とは財産権なのである

 
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Globalization of Privileges

 

リバタリアニズムの基本的考え方は、政府特権を一切認めないことにある。
この基本から、特許などの知的財産権という政府特権制度も認めないことになる。
先のポストで株式会社制度とは、有限責任という特権を付与する仕組みだと書いたのは、このリバタリアニズム的なテーゼとの関係である。
企業活動がグローバル化しても、この株式会社の有限責任という特権は変わらない。別の国で与えた特権が無条件に他国でも特権として機能することになる。
企業活動が無国籍化するのであれば、こういった株式会社に対して有限責任を与える特権制度も、変更が必要なのではないだろうか。政府特権制度以外で、企業活動に対する有限責任の仕組みを導入するためには保険のような仕組みが考えられる。
保険的な仕組みといっても、いろいろあろうが、こういう政府特権によらない市場メカニズムよる、株式会社制度の再構築をデザインするのは面白いかもしれない。このような仕組みが一般化すれば、政府から箸の上げ下げまで指導される必要もなくなる。つまり、今は株式会社の有限責任性が政府特権であることによって、政府干渉の根拠を与えていることになっている。またエンロンのような事件が起これば、大規模な経済統制を政府に許すことになる。保険会社のような民間会社が、会社の財務を厳しくチェックして保険料も決めていくことになるだろうから、現在の監査よりもより真剣に行われることになるだろう。
私は寡聞にして、株式会社の有限責任という特権制度を批判しているリバタリアンを知らないが、誰かいるだろうか?

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2008年03月09日

Bastiat and Rand

最近、YBBを解約したところ、迂闊なことにYahooの会員サイトに作っていたバスティアとアインランドのサイトが抹消されてしまい、リンクが切れてしまった。
近日中に、どこかのフリーのホームページに移しかえをする予定。
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2008年03月07日

CSR and National Socialism

CSRがらみのことは、このBLOGでも随分と書いてきた。
#このページにある記事検索で、CSRと入れると13記事が出てきた。
同じようなことを繰り返して書いているのであるが、CSR論の危険さを分かっていない人も多いようなので、また少し書いておこう。

前の記事でも書いたが、CSR論が企業のマーケティング政策の一環に過ぎない場合は全く問題がない。有名なP&GのCSR的な企業憲章のようなものも明らかにマーケティング戦略の一環であり、彼らは、それを意識的に利用している。
それは、広報戦略、マーケティングであり、その限りにおいて株主利益と相反しないし、プラスになるかもしれない。
近年のアメリカのCSRとはそういう意味で、マーケティング戦略の一環でしかなかった。
前記事のCSR: Corporate Socialization Ruleを参照
http://libertarian.seesaa.net/article/38034922.html

だが、これを企業の社会的責任として義務化するとなると全く意味が異なる。

日本におけるここ数年の議論の流れでは、企業犯罪問題(という偽問題)からコーポレートガバナンスと、コンプライアンスの議論が出てきて、その後にその発展形としてCSR論議が持ち出されてきている。
つまり、経営者の違法行為や犯罪を抑止するガバナンスの問題としてはじまり、経営者が犯罪に走るのは株主統治の限界だとして考えられた。
同時期に「会社は誰のものか」という岩井克人に代表される駄本がちょっとしたブームとなった。岩井の言っていることは、会社も社会内存在でしかなく、会社は社会のものだという結論だ。
前記事→ 会社はこれからどうなるのか
http://libertarian.seesaa.net/article/37254814.html

岩井がその愚著で蒸し返した話は、50年代のバーリとドッドの論争に代表される法人名目説と法人実在説だ。ちなみに岩井はこのネタを奥村宏の本から持ってきているに違いない。
これは企業統治の議論である。岩井がここで展開している議論はいつものPOMOらしいトンチンカンできどった無意味な出鱈目に過ぎない。全く論じる価値のない与太話なのであるが、私の印象では、この東大経済学部長の幼稚な議論は、そのポジションパワーからか一定の影響を与えたように思う。岩井はその愚著で、日本において人類史上はじめて法人実在説が完成したとするニューアカ風の高尚なる哲学的議論を展開した。ちなみに私は岩井の説を妖怪人間ベム説とよんでいる。
しかし法人名目説をとるか法人実在説をとるかは、法律解釈上もなかなかに大きな問題である。これは実定法上の範疇を少し逸脱する法的フレームワークの問題だからだ。

幸いにして現行法上、会社組織に対する財産権は完全に株主のものだ。つまり法上も法人名目説が正しい。フリードマンが言っていることは、結局、この財産権原理を死守しなければならないということなのだ。「企業にとっての社会的責任とは、利潤を拡大させることである。」というフリードマンのやや挑発的ともとれる言葉は、この財産権原理の重要性を言い換えたものに過ぎない。ましてprincipal-agent problemのことを言っているのではない。こういったゲーム論的な議論は全く本質的なものではないからだ。

一方の法人実在説は、法人の財産権主体が株主にあるという財産権原理を否定する社会主義的なロジックである。そこではガバナンスの主体は公=Publicであり、社会=政府であると展開されていく。そのロジックは一言で言えば「会社は社会のものだ」とする岩井克人の危険なほどに幼稚な結論に直結するのである。
さらにこの法人実在説をimplicitな前提として企業の社会的責任論(CSR)が成立する。
そして、何度も書いたが、この法人実在説もしくは企業の社会的責任論は、バーリとドッド