2006年08月08日

The greatest libertarian books

ステファン キンセラ氏がお勧めのリバタリアン本を挙げている。

このリストは、いつものワンパターンのリバタリアンの古典シリーズとは

違っていて、より現代的なセレクションである。

私も読んだことのない本が多い。

#キンセラ氏はアカデミックの人ではないが、相当なインテリである。

austrolibetarianとしては既にリーディングな論客である。

日本では無名なアメリカのリバタリアンでも、やはりその読書量と理解は日本の大学に少数いる自称リバタリアニズム研究家達とは、子供と大人程も違うだろう。

彼らはリバタリアニズムに生きているリバタリアン達なのである。



[http://www.lewrockwell.com/kinsella/kinsella20.html]



ところで私が夏休みに読むことを薦めるとしたら、この中にはないが

ポールジョンソンの「現代史」が挙げられる。

大著だが、読者をとらえて放さないgrippingな本である。

この本は、リバタリアンな歴史本と言われている名著である。
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2006年07月16日

An Interview with Gary Becker

[http://www.econlib.org/library/EconTalk.html]



Russ Roberts interviews Gary Becker on the challenges of being an intellectual maverick, the economic approach to human behavior, the influences of Adam Smith and Alfred Marshall on Becker's work and Becker's optimism for the future of economics.



ラッセルロバーツによるベッカーへのインタビューのPodcast。



リチャードエプスタインへのインタビューもある。
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2006年05月28日

Popcorn analysis

The Lessons of Popcorn

A new book does an admirable job explaining why markets work.

BY STEVEN E. LANDSBURG



[http://www.opinionjournal.com/la/?id=110007555]



A dozen years ago, the pickings were even slimmer. The unfilled niche inspired me to write a book called "The Armchair Economist" and David Friedman to write a book called "Hidden Order." In the meantime, several new entrants have arrived to compete within that same market niche, and some of them are quite good. Tim Harford's "The Undercover Economist" is one of the good ones.



I should note that Steven Levitt's recent and bestselling "Freakonomics" is of a different genre entirely. "Freakonomics" is rollicking good. But it is less about economics than about the mind of Steven Levitt, who is out to dazzle you with factsabout everything from test scores to Sumo wrestlerswhile Mr. Harford (like Mr. Friedman and me) is out to dazzle you with ideas.



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Steven LandsburgによるTim Harfordの"The Undercover Economist"の書評。

レヴィットのFreakonomics(ヤバい経済学)については、誉めながらも、あまり経済学的な本ではないと軽く評している。



ランズバーグの本(ランチタイムの経済学)で、映画館のポップコーンの値段がなぜ高いかについて価格理論で考察したものがある。

この”難問”に対してD.フリードマンやら一流の経済学者がいろいろと仮説をあげているのだが、結局のところ何故なのかは謎のままというのがある。

しかし、こういった考察はセンスがいいし、学問として意味がある。

だが、この本でのレヴィットのデータ分析は表層的だ。理解することと分析とは違うとも言えるのかもしれない。つまりデータをいくら分析しても実はそれは理解ではないということだ。

つまりポップコーンの値段がほんとに高いかどうかは調査とデータが必要だが、それが事実だとして、なぜ高いのかは理論的な問題になる。



Levittの以下のサイトに殆ど全ての論文が載っていてPDFでダウンロードできる。一つ二つ読んでみようかと思う。

[http://pricetheory.uchicago.edu/levitt/LevittCV.html]
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2006年05月02日

Ten worst government policies

[http://jeffreyalanmiron.typepad.com/jeffrey_alan_miron/2006/04/the_ten_worst_g.html]



Tyler Cowen at Marginal Revolution calls our attention to a list of the ten worst government policies according to a poll of conservatives.

[http://www.humaneventsonline.com/article.php?id=13885]



My list, not in any order and with a broad notion of policy:



1. Drug Prohibition



2. Medicare



3. Antitrust Policy



4. Nation Building and PreEmptive Military Actions



5. Affirmative Action



6. Social Security



7. Public Schools



8. The Current Tax Code



9. Government Takings



10. The Gutting of the Commerce Clause



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MironのBlogから。

しかし、日本の国公立大学の教師で麻薬の合法化を主張したり、公教育を批判する人間など一人もいないだろう。

どうやらMironは、正統派のリバタリアンらしい。


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Jane Jacobs passed away

[http://www.washingtonpost.com/wpdyn/content/article/2006/04/25/AR2006042501026.html]



ジェーン ジェイコブスも89歳で4月26日に亡くなっていたようだ。


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2006年04月18日

Economists and ideology

一般に理系の人間はイデオロギー的なもの、つまり社会思想に対して

ナイーブであり、またナイーブすぎるケースが多い。

宇沢弘文という数学者から転向した有名な経済学者がいるが、この人なんかも優秀な変人数学者でいればよかったものを社会主義?に目覚めたお陰で道を誤った人間の典型だろう。



イデオロギーに絡むことで回りの人間や社会にまで害悪を及ぼしたからである。宇沢氏は1高ー東大の当時としては最高のエリートコースを歩んでいたが、社会主義思想に目覚め?、土方をやろうとしたりとユーモラスな奇行の多い人間である。



経済学は常に社会的なイデオロギーと表裏一体である。

昨今は偽造論文の話題が多いが、これは科学研究だからであり、非科学系の学問など偽造どころか出鱈目だらけである。

偽造が許せないとするならば出鱈目も許しがたい。



博士号の乱発ぶりもはなはだしく、今ではソロバン1級をとるより博士号をとるのは平均的にずっと容易だろう。

ようするに、こういった権威だけの肩書きというのは無意味なものとなっている。言ってみればこれも学問における詐欺、出鱈目の一現象である。



社会が豊かになるにつれて、就学期間というモラトリアム期間が長く許容されることになっていくのだろうが、それが社会主義的な学校システムにどっぷりつかる時間を長くすることにつながる。

これによってますます社会と人間がスポイルされていくのである。



今の経済学の最大のイカサマ理論は公共財の理論だろう。

これは社会民主主義的イデオロギーを支える屁理屈である。

社会民主主義というのは、社会主義と自由主義の中間的な中庸的立場ではなく、社会主義のカモフラージュにすぎない。



柄谷のようなトンデモ評論家によると、ハイエクやケルゼンは両極端な思想だとわかったような口を利いているが、要するにご本人は社会民主主義者だということである。

これが団塊、全共闘世代の限界なのだろう。






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2006年04月13日

City and Class

David Friedmanの訳をアナルコキャピタリズム研究でやっている。

一読をお勧めするが、ここで書かれている内容はゲーテッドコミュニティの問題を考える上でも興味深いものだ。

価格は購買層をグループ化し、収入や所得は購買力に対応し収入によってクラスが作られる。

そういったグループは自生的なものだろうし、合理性もある。

収入を税によって平準化しようとすればグループ、クラスといった私的コミュニティの生成をも抑圧することになる。



本来こういった社会のグループ化、クラス化にはポジティブフィードバックが働くだろう。

現実に都市はどこでも地価や生活コストによってクラス化が自然に起こる。

NYで安い地区に住めば犯罪も多くリスクが高い。犯罪を避けようと思えば高級な地区に住む必要がある。

都市においては収入に応じたクラス化が自然と発生する。



こういった自然で合理的に発生するグループやクラスというのは社会において本来大事にすべきものである。

人は誰でも自分の友人を選んでいるはずだし、逆にいえば誰かを友人から排除しているわけだが

何かをincludeしたりexcludeするという選択の自由は本質的に重要なものであることは言うまでもない。

さらに社会におけるクラス化という現象は単に個人の主観的な好き嫌いからくる行為ではなく、もっと大きな合理性を持つものと考えるべきだ。

つまり、いわゆるコミュニティの誕生より前にクラスの形成が経済現象として起こると考えられる。

さらに言えば、都市や地方の荒廃も、自然なクラス形成という秩序の税システムによる破壊の結果である。
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2006年04月01日

An obstacle

フリードマンの教育クーポン制度のアイデアはおもしろい。

だが、これは税金の上にたったアイデアであるから微妙な問題をはらんでおり、リバタリアンサイドからの批判も多い。



フリードマンによるとアメリカで最も黒人差別があるのは教育機関だという。



以下はアナルコキャピタリズム研究から引用。



PB:アメリカで最も黒人が差別されているのは教育ですね?

MF:学校が公教育だからだ。政治的状況、つまり51%の多数派の要望が49%の少数派に押し付けられる状況では少数派の利益は守られない。その点市場では少数派の利益が守られる。 51%の多数派が国産車を望んでも、49%の少数派は外国車に乗ることができる(関税さえなければ)。教育クーポン制度によって私学が発達すれば、スラム街の黒人もいい学校に入れるだろう。




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そして、これは日本においても同様だろう。

日本に人種差別はあまりないかもしれないが、学校の荒廃は公共教育機関で顕著だと思う。



教育への私学の参入障壁となっている原因の一つに学校法人の設立にあたっては、その校舎と土地の所有権を学校法人のオーナー自らが所有していなければならないという法律の存在があることはあまり知られていないだろう。



専門学校という中途半端といっては失礼かもしれないが、中途半端な私学がある。私はその専門学校法人大財閥のカリスマ的な設立者である大ボスをなぜか個人的に知っていて、いろいろと話を直接聞いたからたまたま知っているのだが、どうもこれは、マクドナルドと同じでその事業の本質は不動産業にあるようなのだ。



しかし、こういったカリスマ的なアントレプレナーはやはり只者ではない人並みはずれたパワーを持った人物が多い。

こういったアクティブマンの肩にのって殆どの人は生きているのが事実だと思う。さらにいえば、アクティブマンの存在こそが自由主義社会における”その可能性の中心”といっても過言ではないのだ。
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2006年03月26日

Consequential libertarianism

What is Libertarianism?

[http://thecaseforsmallgovernment.blogspot.com/]



The traditional version, often referred to as philosophical or rightsbased libertarianism, asserts that government policy should never infringe individual rights or freedoms. Philosophical libertarians oppose virtually all government intervention since regulations, taxes, mandates, prohibitions and the like all limit individual freedoms.



A different version of libertarianism, often referred to as consequential libertarianism, opposes most government interventions because these appear to generate adverse sideeffects that are worse than the problems they were designed to alleviate. Consequential libertarians share the policy conclusions of philosophical libertarians for the most part, but they disagree in some cases. In addition, consequential libertarians argue for small government based on consequences rather than rights.



In my view the consequential approach has several advantages over the philosophical perspective.



To begin, the consequential approach allows one to distinguish moderately bad policies from really bad policies. Drug prohibition is a terrible policy from the consequential perspective because it generates a black market and all the attendant negatives. Moderate sin taxation, however, does not create a black market This does not mean sin taxation is a good idea; it harms responsible drug users by raising drug prices. But the ratio of benefits to costs from moderate sin taxation is likely better than for prohibition. Thus consequential libertarians can feel comfortable encouraging sin taxation over prohibition, even if they have reservations about sin taxation itself.



Philosophical libertarianism has a harder time adopting this kind of nuanced stand. Philosophical libertarianism tends to suggest an absolutist “all interventions are horrible” perspective.



A second benefit of the consequential approach is that it can persuade people who do not agree with the principle that policy should never infringe individual rights. Some such people, for example, might agree that drug prohibition causes more harm than it prevents, even if they would impose limitations on individual rights if they thought such infringements were beneficial overall.



Stated differently, consequential libertarianism is just costbenefit analysis. Ample room exists for disagreement about any given costbenefit analysis. But few people dispute that society’s choice of policies should consider the entire range of pros and cons from different interventions. In this sense, few dispute the basic approach that underlies consequential libertarianism.



Maybe consequential libertarians should not use the term libertarian at all; it is often more confusing than illuminating. Maybe the right label is just, “Consequentialism.”



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MironによるConsequential libertarianism=帰結主義(結果主義)リバタリアニズムの解説。
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Free-market economics one of the most revolutionary concept

[http://cafehayek.typepad.com/hayek/2006/03/sowell_on_class.html]

Sowell, who has a new book forthcoming on classical economics, strikes an important theme sounded frequently by my colleague David Levy. Here's a paragraph from today's WSJ article:



Freemarket economics, a legacy of the classical school, is thought of as an old conservative doctrine. But Mr. Sowell explains that it was in fact one of the most revolutionary concepts to emerge in the history of ideas. Moreover, "the thinking of the classical economist was not only a radical break from landmark intellectual figures like Plato and Machiavelli but also from mainstream thinking to this day." The notion of a selfequilibrating system the market economy meant a reduced role for intellectuals and politicians, he says. "And even today many still haven't accepted that their superior wisdom might be superfluous, if not damaging."



トマスソーウェルによると、フリーマーケット経済学(自由市場経済学)とは通常思われているように、古い保守主義の教義ではなく、思想史上、最も革命的な概念の一つだということらしい。

このソーウェルの新著は面白そうである。



[http://www.amazon.com/gp/product/0300113161/qid=1143324904/sr=13/ref=sr_1_3/10494473183886345?s=books&v=glance&n=283155]
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2006年03月16日

Medieval Iceland

Medieval Iceland and the Absence of Government

by Thomas Whiston

[http://www.mises.org/story/1121]

Medieval Iceland illustrates an actual and welldocumented historical example of how a stateless legal order can work and it provides insights as to how we might create a more just and efficient society today.
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2006年03月13日

Anti-Environmentalist Manifesto

[http://www.lewrockwell.com/rockwell/antienviro.html]



これはLew RockwellのAntiEnvironmentalist Manifestoだが、分かりやすい。
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Libertarian Comics :South Park and TinTin

[http://www.comedycentral.com/shows/south_park/index.jhtml]



サウスパークというアメリカのアニメは、リバタリアンなアニメであることは、

アナルコキャピタリズム研究に詳しいが、

[http://anacap.fc2web.com/SouthPark.html]

上のリンクで実際のアニメを見れる。

だが、スラングが多いのか聞き取りは大変だ。





リバタリアンなコミックという点では、先に紹介したバットマンの原作者ポールポープもそうらしいが、世界最初のリバタリアンコミックヒーローは

TinTinらしい。

[http://thestressblog.com/2006/01/25/thefirstlibertariancomicbookhero/]
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2006年03月12日

The case for small government

[http://thecaseforsmallgovernment.blogspot.com/]



Harvardのリバタリアン経済学者Jeffrey Alan Miron のBlogから。

このコラムは分かりやすい英語でありがたい。



下に引用した文章は、リバタリアニズムに関するありがちな誤解を正す意味でお勧めである。つまり、例えばリバタリアンが、リサイクル運動、組合活動、アファーマティブアクション等に反対する場合、それをやりたい人間の行為を問題にはしない。やりたい人間は勝手にやればよい。

ただ、それを政府がサポートし、推進することに断固反対するのだ。この点を勘違いしてはならないだろう。

政府政策によるサポートさえなければ、それらは基本的に無害なものであって、自然と短期間で消滅することになるだろう。





"Recycling, Unions, and Affirmative Action "



What do recycling, unions, and affirmative action have in common?



One might think the answer is, “Libertarians oppose them all.” But that answer is not correct.



Libertarians have no objection to recycling per se. If private markets recycle voluntarily because it is profitable to do so, that is desirable because it represents an efficient use of society’s resources. What libertarians oppose is government policies that mandate recycling.



Libertarians have no objection to unions per se. If employees wish to form voluntary organizations and attempt to bargain collectively with employers, that is their privilege. Indeed, this approach might benefit everyone by reducing the “transactions costs” of negotiating employment contracts. What libertarians oppose is government policies that force employers to bargain collectively with unions.



Libertarians have no objection to affirmative action per se. If companies believe a diverse work force is good for the bottom line, or if companies wish to promote minorities and women because they believe it is right, that is their business. Indeed, many libertarians believe diversity is valuable and therefore support certain kinds of private affirmative action. What libertarians oppose is government policies that mandate affirmative action in hiring and related activities.



Whether the libertarian positions on recycling, unions, and affirmative action are persuasive is a question for future blogs. The point here is that libertarianism distinguishes between whether something is good or bad and whether government policy should encourage or discourage that something.


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2006年03月07日

Minimum wage 2

Minimum wage stuff

[http://cafehayek.typepad.com/hayek/2006/03/minimum_wage_st.html]

Russell Roberts



In this post of a week ago, I invited readers to react to the following claim: if the minimum wage causes unemployment, why don't states with high state minimum wages have high unemployment rates.



A lively discussion ensued. Particularly trenchant points were made by:



1. John Dewey (and Don of CrossMolina.blogspot) who argued that the minimum wage only applies to a very small proportion of the work force. It would be unlikely that the impact on the total unemployment rate.



2. Mark Adams and Eric H and others pointed out that unemployment may not be the right measure. You might want to look at employment opportunities. If you can't find a job and give up you don't get counted as unemployed.



3. Steve Bass pointed out that whether a state has a minimum wage is endogenous. Maybe states with healthy labor markets are more likely to have a state minimum wage.



I think these are the three main points, but a long debate ensued after that, with lots of interesting back and forth. At one point, Econgeek mentioned the KruegerCard paper:



Minimum Wages and Employment: A Case Study of the FastFood Industry in New Jersey and Pennsylvania

David Card; Alan B. Krueger

The American Economic Review, Vol. 84, No. 4. (Sep., 1994), pp. 772793.

[http://links.jstor.org/sici?sici=00028282%28199409%2984%3A4%3C772%3AMWAEAC%3E2.0.CO%3B2O]



as the "standard reference in the empirical literature.



That's half right. It has become the standard reference for those who don't believe that minimum wages are bad for the poor. Whether it's a reliable source of information is a different question. It follows, I don't know, 25 or 50 or a hundred or more papers that found that minimum wages reduce employment opportunities. Is it better than the others? Maybe. It might be. But I'd be worried about basing public policy on one paper that looked at one industry, the fast food industry, using a phone survey eight months after the minimum wage was increased in New Jersey to conclude that minimum wages don't effect employment for lowskilled workers. I'd worry about whether eight months was a long enough time for people to react to the new law. And I'd worry about whether the rest of the econometric analysis was done correctly.



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少し前にポストしたCafe Hayekでの議論”Do minimum wages cause unemployment?”

は結構盛り上がっていたようだ。

以前、月面軟着陸でポストされていたDavidCardの論文の話も出てきた。

それに対するラッセルロバーツ氏の意見は、やはりデータとその処理の正確さを疑うといったものだ。



いずれにせよ、こういった実証分析は手間と金が非常にかかるわりに何も言えないというのが多い。

怪しい統計を駆使して怪しい結論を出すしかないのが実情だろう。

労多くして益少なしだ。



#多くの実験科学でも似たようなものだが、アプローチ方法が甘いのだ。

実際多くの実験科学者は手ばかり動かして論文は量産するものの何も分かりませんでした。で終わる人間が冗談でなく多い。



もし制度の実証的比較として、全く同じ国が2つ(仮に日本1と日本2)あったとして、日本1では特許の存続期間を20年にして日本2では10年だったとして、どちらが産業が発達したかという調査ができれば特許の独占権付与の実証的研究としては大変わかりやすい。

しかしそんなことはできないから、制度の影響などは理論的に考えざるを得ない。


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2006年02月28日

Do minimum wages cause unemployment?

[http://cafehayek.typepad.com/hayek/]

Do minimum wages cause unemployment?

Russell Roberts

We're adding a new category today, Cafe Conversation. The idea is to present a puzzle, let you, the readers comment on the puzzle, and then later in the week, I'll post the most interesting response or responses and add some comments of my own.



A reader wrote Don and me wondering whether the minimum wage causes unemployment:



I decided to look up some statistics on my own. Here are two sites I found:



http://www.dol.gov/esa/minwage/america.htm

http://money.cnn.com/pf/features/lists/state_unemployment/



Comparing these, I was disappointed to find that many of the states without minimum wage laws have fairly high unemployment, and the state with the lowest unemployment rate, Hawaii, has a minimum wage higher than the federal rate. Obviously I'm not foolish enough to think that the sole factor contributing to unemployment is wage rates, and obviously this doesn't even approach a scientific study, but it was a pattern I didn't expect to find. Any thoughts on the issue?




Have at it, folks.



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上はCafeHayekのポストを全引用した。

いわゆる実証的研究なるものでは、これを最低賃金法批判へのネガティブデータとするだろう。



だがこれはパズルである。

これをどう説明するか?








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2006年02月11日

An UNDEFENDABLE translation

DEFENDING THE UNDEFENDABLE

by Walter Block



上記ウォルターブロックの本が「不道徳教育」というタイトルで翻訳(超訳?)された。

本屋に行ったら山積みされていたので一応買ってみた。

どうも私はこの手のいい加減なデタラメ翻訳は嫌いで、山形ひろおのデタラメ翻訳とかも原文の味を思いっきり損なっていると思う。直訳もダメだが、翻案ではお話にならない。

こういう行為を”烏滸がましい”と呼ぶのである。翻訳者は黒子に徹しなければならないのだ。

普通、こういったレベルになると翻訳権ではなく翻案権の許諾が必要になるなところだが、日本語や中国語にどう訳されてもあちらの人間が分かるわけもないから見逃されているのかもしれない。



ちなみにこの本は、いわゆるアンダーグラウンドの商売をリバタリアニズム的に擁護した本である。

元々、この本は単に一般書として興味を惹く話題を扱っているのではなくオーストリア学派の経済学を解説した本にもなっているのである。

だが、この翻訳に関しては売らんかなという意図がみえみえであるため、却ってあまり売れないだろうと予測する。



第一、「不道徳教育」なんてちゃちなタイトルよりも、「擁護できないものを擁護する」というタイトルの方がずっと素敵ではないか。

おそらくあまり翻案されていないと思われるウォルターブロックのまえがきにも、こうある。

「リバタリアニズムは人生の哲学ではない。「人はいかに善く生きるべきか」について述べているのでもない。善と悪、道徳と不道徳、適切と不適切の間に境界線を引いてくれるわけでもない。」と。



つまり「不道徳教育」というタイトルは、まさに原作者の意図とも矛盾している。



また、欧米のキリスト教圏では、アンダーグラウンドの商売に対する差別意識が強烈であるがために

こういった書き方にインパクトがあるのだろうが、日本、特に今の平等主義に洗脳された日本では、あまり水商売に対する差別意識すらないだろうから、その分のインパクトも少ないだろう。



ざっと目を通した印象では原理主義という言葉の使用が気にかかった。これは前にも書いたことがあるのだが原理主義という言葉をリバタリアニズムに対して使用するのは間違いだ。



原理主義とはFundamentalismのこととなり、これはリバタリアニズムとは全く関係ないのである。

この翻訳者の意図は、Fundamentalという形容詞に対応したものだと推測するが、これは根本的とかいった意味だから、もし、なんとか主義という言葉を用いたいのなら、根本主義といった表現の方がまだましかもしれない。

これも翻案であるがゆえに起こる間違いなのである。つまり翻訳者は内容をきちんと理解していなくても翻訳が正確にできればそれで事足りるのだが、訳者の解釈を差し挟むことで原文の意味やニュアンスを捻じ曲げてしまう可能性が高いのである。



”主義”という言葉は日本語ではなんのことかよく分からないが、例えば特許法で先願主義といった場合、英語ではFirsttofile ruleとなる。

つまり、日本語の主義という言葉には、英語では○×ismと、○×ruleの意味があるわけだが、リバタリアニズムにおける所有権原理といったものは、principleとかruleに対応するのである。



次のURLに、ウォルターブロックのLewRockwellでのコラムのアーカイブがある。

[http://www.lewrockwell.com/block/blockarch.html]

特に”Landsburg on Crime”というカラムが興味深い。



またご本人のホームページは次のURLである。

[http://www.walterblock.com/]
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2006年02月07日

Myths of Deflation : Inflation in Japan

日本はインフレ傾向が徐々に顕著になってきたようだ。

だが、これは特に喜ぶべきことではない。インフレになってきた原因は

いろいろ考えられるのだろうが、はっきりとした理由は分からない。

インフレよりもデフレは忌むべきものだという考えがそもそも間違っているのである。

オーストリアンの立場は、"Inflation is the problem, deflation is the cure. "というものだ。





Inflation in Japan: Cause for Celebration?

Robert Blumen



[http://blog.mises.org/archives/004502.asp#more]



Inflation is the problem, deflation is the cure. The mainstream has demonized deflation as a rationalization for the preferred inflationary policies, and to justify activist central banking. Here, Hülsmann refutes othe deflation myths. Many Austrians would agree with Hayek when he wrote (cited by Salerno):



It is, however, rather doubtful whether, from a longterm point of view, deflation is really more harmful than inflation. Indeed, there is a sense in which inflation is infinitely more dangerous and needs to be more carefully guarded against. Of the two errors, it is the one much more likely to be committed. The reason for this is that moderate inflation is generally pleasant while it proceeds, whereas deflation is immediately and acutely painful. . . . The difference between inflation and deflation is that, with the former, the pleasant surprise comes first and the reaction later, while, with the latter, the first effect on business is depressing. There is little need to take precautions against any practice the bad effects of which will be immediately and strongly felt; but there is need for precautions wherever action which is immediately pleasant or relieves temporary difficulties involves much greater harm that will be felt only later. . . . It is particularly dangerous because the harmful aftereffects of even small doses of inflation can be staved off only by larger doses of inflation. Once it has continued for some time, even the prevention of further acceleration will create a situation in which it will be very difficult to avoid a spontaneous deflation. . . . Because inflation is psychologically and politically so much more difficult to prevent than deflation and because it is, at the same time, technically so much more easily prevented, the economist should always stress the dangers of inflation.

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2006年02月04日

The Batman





バットマンはリバタリアンの作者Paul Popeによって描かれたコミックらしい。



Batman & Misesという作品がオンラインで公開されている。



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2006年01月31日

Discretionary power

To Fight Corruption, Limit Government

George Reisman

[http://blog.mises.org/archives/004621.asp]



If one is serious about fighting corruption, the first and most important thing that must be fought is all discretionary power on the part of the government and its officials. The powers of Congress, state legislatures, and city councils must be strictly limited to protecting the citizens against the initiation of physical force (including fraud), and nothing else. The more the government is pressed back within these limits, the less will be the problem of corruption, because the less discretionary power will the government and its officials have to inflict harm or bestow benefits, and thus the less will be the need and the opportunity for citizens to bribe them. As part of the same process, elections will cease to be bidding wars between pressure groups. The pressure groups will dissolve once the government loses the power to harm or benefit them.


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2006年01月10日

Smoking and Liberty

[http://www.pierrelemieux.org/resmoking.html]

Smoking, Liberty and Health Fascism

by Pierre Lemieux



Jasmin wrote that “cigarettes are not only totally useless, but also dangerous”—that is, cigarettes confer no benefit to smokers and only impose costs (in terms of health risks) on them. Even if the learned judge only meant that cigarettes have lower benefits than costs for smokers, he showed his dangerous ignorance of economics.



A smoker who purchases cigarettes considers that the pleasure he gets from them is higher than the pleasure he loses by not buying something else plus his expected loss of pleasure if he ever gets ill from smoking. Otherwise, he would not consume cigarettes. Thus, in the net, cigarettes bring “utility” (pleasure, satisfaction) to smokers: this is called “revealed preference.”
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2006年01月03日

月面軟着陸

月面軟着陸のBlogが移転したようだ。

どこに移転したかは、私はなぜか知ってるが内緒にしておこうと思う。

非常に鋭い視点で書かれたBlogなのでこれからも楽しみです。



この日本で私だけでリバタリアンサイトをやっていくのもなんですが、若い人が

まじめにリバタリアニズムや自由の哲学を追求していくのは頼もしい限りだ。私の知っている限りでは、日本でもアナルコキャピタリズム研究(仮)と、旧月面軟着陸のサイトがあり、どちらもレベルが高い。



こういった自由思想は長い時間をかけて追求するべき価値が大いにあるものだ。商売でやるものではないが、価値があるものなのである。
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Patri Friedman

[http://patrifriedman.com/]



アナルコキャピタリズム研究(仮)で知ったが、D.フリードマンの息子の

サイト=Patri's Worldは面白い。

David Friedmanの息子らしいが、当然Libertarianである。
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The right to water resource

アナルコキャピタリズム研究(仮)のサイトに水道水の話があった。

[http://anacap.fc2web.com/]

しかし水道水の問題は取水権の問題である。ここにはとんでもなく馬鹿らしい利権が絡んでいる。

もともと日本の水は軟水で非常によい水だ。上流の水はそのままでも飲める実に清浄な水である。しかし、この取水権が上流から順に割り当てられているために、途中の農地用水や工業用水として先に使われる。そして、下流にしたがってどんどん汚されていく。



そして都市部の人間が飲む飲料水は、ドブ川の水を何重にも浄水処理をし、ろ過にろ過を重ねて大変なコストをかけて、ドブ水を飲料水にしているのである。この事情は関東でも関西でも大体同じである。



本来は当然ながら上流の水を飲料水用としてパイプラインを引いて都市部の圧倒的多数の住民に提供するべきなのだ。

農地用水や工業用水に清浄な水を使って、人間様が飲むのはドブ川の水をろ過したものであるという本末転倒が起こっていて、それを誰も批判しない。



今では醤油よりもミネラルウォーターの方が1L辺りで高い値段で売られていたりする。取水権を都市住民に返還すれば、こんな馬鹿らしいことは日本では起きようがない。世界的にも日本ほど良質の水に恵まれた国はあまりないのであるから。



清浄な水に恵まれた日本でなぜこれほどの馬鹿らしいことが延々と行われているのかといえば、

その理由は利権と役所と法律の問題だけである。取水権利権は、いうまでもなく<権利>ではなくまさに<特権>である。取水権を民法的な権利の枠組みでガチガチにしているから修正が一切効かない利権体制に固まっているのだろう。

このような特権はすぐに取り上げなければならない。



Privatizeの前にまず既存の特権を利権団体から剥奪して、権利関係をチャラにすることからはじめる必要がある。




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2005年12月22日

Nation state

[http://www.mises.org/nsande.asp]



"If we wish to gain insight into the essence of nationality, we must proceed not from the nation but from the individual. We must ask ourselves what the national aspect of the individual person is and what determines his belonging to a particular nation. We then recognize immediately that this national aspect can be neither where he lives nor his attachment to a state."





ミーゼスの「Nation,State,and Economy」の全文が上のリンクから読める。



Nation とかstate ,nation stateといった言葉は微妙な意味をもつ、重要かつ難しい言葉である。

ここらの言葉を適当には使わないのがリバタリアンである。
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2005年12月14日

Mao: The Unknown Story

[http://www.lewrockwell.com/blumert/blumert107.html]

Mao: The Unknown Story by Jung Chang and Jon Halliday, Knopf 2005.

Reviewed by June Morrall and Burton S Blumert



Like a bolt of lightening, Alexander Solzhenitsyn’s masterpiece Gulag Archipelago, published in 1974, destroyed in an instant, over 50 years of lies and deceit about the Soviet Union and its leaders. Stalin would never again be seen as kindly Uncle Joe, but as a ruthless killer of millions.



Some scholars suggest that it was Solzhenitsyn’s revelations that led to the collapse of the Soviet Union rather than Ronald Reagan’s strategy of “spending the ‘evil empire’ into oblivion.”



Like the “Gulag,” we finally have this extraordinary work by Jung Chang and husband Jon Halliday that will forever end the web of lies that has insulated Chairman Mao from his true place in history as the worst murderer the world has known.



Mao: The Unknown Story is a stepbystep guide to how this evil man used terror as a tool to subjugate every Chinese citizen. Fear of a horrible, slow death, torture and humiliation silenced every voice. Only what the Chairman said or thought mattered.



You must read this book.



It wasn’t fashionable to criticize Mao in the West, particularly in the US. In San Francisco’s Chinatown, only the local Kuomintang, Chiang Kaishek’s Nationalist Party, attacked Mao and they were marginalized as “reactionaries.”



During the hippie era of the 1960s, in many households, Mao’s Little Red Book was a popular Christmas Stocking stuffer. Mao was thought of as a modern Confucius, a gentle peasant who had freed China from its corrupt warlords.



Was it the media that promoted this false image about the worst tyrant who ever lived? It’s time to know the real Mao.



You must read this book.



Clearly the authors despise Mao, so it was essential that they support their 650page treatise with an additional 200 pages of meticulously researched notes. Not just scholarly citations, but countless interviews with people who worked for, or otherwise knew Mao personally, and survived the violence of his regime. The notes also include many official documents that have not been seen in the West before.



Mao wanted to impress Stalin and modeled his state after that killerthug. He then proceeded to “oneup” his Soviet teacher. Stalin would wait for the right moment to use violence and treachery against his enemies. Mao was brazen and did not need a timetable. He used torture and murder on a daily basis to control fellow communists.



Chairman Mao made it known that his tactics were never on holiday. Often his punishment was meted out in front of huge crowds. This was certain to spread the news quickly. “Watch out! Everyone is a potential spy. And you could be next.”



The masses were easy to control. He simply starved them to death.



In the end, Mao had either killed or imprisoned, or sent to work camps so many of his former officials that he had run out of credible bureaucrats to run the daytoday business of government.



He had no choice but to “rehabilitate” some that he had purged earlier, like the “Capitalist Roader,” Deng Xiaoping. These men hated Mao, and the Chairman made a critical error in underestimating how they would undermine him as his health began to fail.



Most interesting was the revelation that the Nationalist leader Chiang Kaishek (who later fled to Taiwan) was thwarted in his earlier negotiations with Mao because the Soviets were holding Chiang’s son "hostage." By appeasing Stalin and Mao, Chiang hoped he would get his son back.



During his reign of terror, Mao forced the peasants to grow huge amounts of wheat and eggs and other foodstuffs to give to Stalin in return for technical information on how to build The Bomb. Mao starved his already povertystricken people and conducted public executions if quotas were not met. Business as usual for Chairman Mao.



Mao turned the country into one big concentration camp and he was the gatekeeper, allowing in selected outsiders, controlling what they saw so that when they returned home they would glorify what the Chairman had accomplished for his people.



Mao had little difficulty locating western media whores who would promote the lies about Mao and life in Red China and spread them like a deadly virus. There should be a special place in Hell for these people.



If there is a deficiency in this book, Mao: the Unknown Story, it is that after hundreds of pages outlining Mao’s unspeakable cruelty, the reader becomes numb and desensitized. The fault is not the author’s, but with the endless crush of evidence present.



As an antidote to becoming desensitized, keep in mind that this is not about a madman like Pol Pot. Mao may, in fact, match the crazed Cambodian in savagery. But, there’s a major difference; Today, Pol Pot, often considered a protégé of Mao’s, is a statistic in the World List of Lunatics, while Mao retains his place as a great figure in world history. This remains true 20 years after the Chairman’s death. Well, until this Chang and Halliday masterpiece.



You must read this book.



Here are some tidbits from Mao: The Unknown Story:



A conservative estimate is that 70 million perished – in peacetime – as a result of Mao’s misrule.



During the famous, “Long March,” rather than trudging along with the troops, Mao reclined in an elaborate “litter” weighted down with his favorite books and other comforts, all carried by peasants forced to perform like pack animals.



Mao spent about US$4.1 billion to create a Chinese atomic bomb. That money if spent on food would have saved the 38 million Chinese lives lost in the famine.



In a recent TV ad promoting the 2008 Summer Olympic Games to be held in Beijing, China, the camera focussed on what appears to be Tiananmen Square. In the center of the screen, lo and behold, is a giant portrait of the despicable Chairman Mao.



Why do nations continue to show reverence for their tyrants?



Yes an economic miracle is taking place in today’s China. The byproduct of such an explosion is always freedom. China is a long way from being a totally free society, but, if this book, Mao: The Unknown Story, leads to the Mao portraits finally being torn down, that will be a giant symbolic stride towards individual freedom in China.



And maybe in other countries as well.







Lewrockwellでのユンチャンの本の書評

You must read this book.


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2005年12月11日

Lao-Tzu and Chuang-Tzu

[http://www.mises.org/story/1967]

The Ancient Chinese Libertarian Tradition

by Murray N. Rothbard



The first libertarian intellectual was Laotzu, the founder of Taoism. Little is known about his life, but apparently he was a personal acquaintance of Confucius in the late sixth century BC and like the latter came from the state of Sung and was descended from the lower aristocracy of the Yin dynasty.

Unlike the notable apologist for the rule of philosopherbureaucrats, however, Laotzu developed a radical libertarian creed. For Laotzu the individual and his happiness was the key unit and goal of society. If social institutions hampered the individual's flowering and his happiness, then those institutions should be reduced or abolished altogether. To the individualist Laotzu, government, with its "laws and regulations more numerous than the hairs of an ox," was a vicious oppressor of the individual, and "more to be feared than fierce tigers."



Government, in sum, must be limited to the smallest possible minimum; "inaction" was the proper function of government, since only inaction can permit the individual to flourish and achieve happiness. Any intervention by government, Laotzu declared, would be counterproductive, and would lead to confusion and turmoil. After referring to the common experience of mankind with government, Laotzu came to this incisive conclusion: "The more artificial taboos and restrictions there are in the world, the more the people are impoverished…. The more that laws and regulations are given prominence, the more thieves and robbers there will be."



The wisest course, then, is to keep the government simple and for it to take no action, for then the world "stabilizes itself." As Laotzu put it, "Therefore the Sage says: I take no action yet the people transform themselves, I favor quiescence and the people right themselves, I take no action and the people enrich themselves…."



Laotzu arrived at his challenging and radical new insights in a world dominated by the power of Oriental despotism. What strategy to pursue for social change? It surely was unthinkable for Laotzu, with no available historical or contemporary example of libertarian social change, to set forth any optimistic strategy, let alone contemplate forming a mass movement to overthrow the State. And so Laotzu took the only strategic way out that seemed open to him, counseling the familiar Taoist path of withdrawal from society and the world, of retreat and inner contemplation.



I submit that while contemporary Taoists advocate retreat from the world as a matter of religious or ideological principle, it is very possible that Laotzu called for retreat not as a principle, but as the only strategy that in his despair seemed open to him. If it was hopeless to try to disentangle society from the oppressive coils of the State, then he perhaps assumed that the proper course was to counsel withdrawal from society and the world as the only way to escape State tyranny.



That retreat from the State was a dominant Taoist objective may be seen in the views of the great Taoist Chuangtzu (369 BC 286 BC) who, two centuries after Laotzu, pushed the master's ideas of laissez faire to their logical conclusion: individualist anarchism.





Chuangtzu reiterated and embellished Laotzu's devotion to laissez faire and opposition to state rule: "There has been such a thing as letting mankind alone; there has never been such a thing as governing mankind [with success]." In fact, the world simply "does not need governing; in fact it should not be governed." Chuangtzu was also the first to work out the idea of "spontaneous order," developed particularly by Proudhon in the nineteenth and by F. A. Hayek of the Austrian School in the twentieth Century: "Good order results spontaneously when things are let alone."





ロスバードによる、老子と荘子の評価である。



話はずれるが、昨日、ユン チアンの「マオ」の上巻を少し読んだ。(→奇しくもBlogをみると池田先生が全部読まれていた。

この本はユンチアンの”ワイルドスワン”以来の2作目となる大作だ。)

毛沢東がスターリン以上の凶悪な虐殺者であった(7000万人以上を平時に虐殺した)ことは、つとに指摘されていた事実であるが

中国は未だに毛沢東を否定もしてなければ、天安門広場に巨大なマオの肖像も掲げているよう

だから、本質的に何も変わっていない。



毛沢東の伝記や神話は、作り話にすぎないが日本でも広く読まれている。

「中国の赤い星」とかいったエドガースノーのドキュメントの名を借りたプロパガンダ本などは私も大昔に読んだことがある。

しかしマオに関するこれだけの詳細な”事実”を記した本は未だかつてなかった。



冒頭の「日本語版によせて」によると、次のようにある。



「毛沢東は、後ろ盾であるスターリンが中国に干渉して日本とソ連で中国を分割する、という

状況を作り出そうと画策しました。この思惑は実現しませんでしたが、日本による侵略が毛沢東

の政権奪取を助けたのは確かです。1923年の時点で毛沢東はすでに、中国において共産主義を実現

させるには、ソ連の侵攻による以外にないと発言していました。1945年、スターリンはこれを

口実に終戦直前に対日参戦し、中国北部を広範囲にわたって占領しました。

ソ連が中国に軍隊を駐留させ、武器や軍事訓練を提供したからこそ、毛沢東は中国を征服することができたのです。」




中国はいわゆるNation Stateという意味での統一国家であったことは毛沢東の共産党による中国征服まではなかった。

共産主義や社会主義とは、社会のNation State化を目指しているものとも言える。

つまり共産主義は本当の目的や理念ではなく、Nation Stateを実現する政治的手段であったと考えた方が分かりやすいかもしれない。

文化大革命やチベット侵攻から今に続くエスニッククレンジングは、権力の暴走ではなく

Nation stateの強化にとって不可欠なことだったのだろう。これによって独裁権力は強化される。

#Nation stateとは主権国家とも言い換えられる。しかし<帝国>とは違う。共産主義革命とは、ドラッカーの言葉を借りれば主権国家による権力の完全掌握という壮大な試みである。

 帝国とは単純に皇帝の統治する国だが、皇帝とは王の中の王だから王政と変わらないだろう。ヒエラルキーによる分権的統治形態の大規模なものである。

いかに巨大な帝国の皇帝であっても、主権=sovereing rightsなどもたない(→ラストエンペラーを見るとわかる)

共産主義、社会主義とはヒエラルキーの完全否定つまり平等主義によって、主権=sovereign rightsが全体にあるとする究極の民主主義である。→ここで民主主義とはデモクラシー=民主政体ではなく、主権在民のイデオロギーを意味する。

であるからして、中国の共産主義化を易姓革命にすぎないと考えるのも間違っている。中国は共産主義革命で帝国から主権国家に根本的に変わった。



これは恐らくソ連でも同様で、封建的王政は自然発生的でかつ中央集権というよりは分権的なものだが、

Nation Stateは完全な権力一極集中を特徴とするもので、権力一極集中が崩れればNation stateという

人工的な体制も崩壊する。

そしてマオやスターリン、レーニンのような独裁者にとっては、Nation stateすらも目的ではなく

絶対権力を得るための手段にすぎない。

共産主義化とはすなわち主権国家による権力の完全掌握であるという本質を最も明敏に捉えた悪魔的人間が、これら独裁者だったのだろう。悪は悪になじむのである。

むしろ理想や理念をまじめに信じているような人間は、こういった凶悪なゴロツキの屑どもによって

虫けらのように粛清されてしまうわけである。

#しかし毛沢東の人間とは思えない拷問、虐殺の手口は読むだけでも吐き気がする。



しかし中国の民間信仰のメインは老子のタオイズムであるように、むしろレッセーフェールの市場主義が

中国大陸の根っこにあるのかもしれない。それは中央権力を拒否するもので、中国の統一が困難な

遠因の一つかもしれない。

当然、最近の中国のNation stateを基盤とする市場主義は極めて不安定なものだ。

全体主義による自由主義など矛盾にすぎない。

今後も中国の凶悪な支配層が共産主義というNation stateを支える手段を捨て去るとは思えない。

この本は中国でも発売されるのだろうか?
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2005年11月20日

Delusion of Trust



反トラスト法はアメリカの法律家の妄想の産物である。感心したものではない。

そもそも独占は新規参入者に味方し、新規参入者を支援するだけのものである。

しかもあらゆる独占が放っておいても崩壊する。・・・・独占体にとって最善の事態は分割を強要されることだ。





このドラッカーの発言はミクロ経済学的な常識を述べたものである。

これらは、フリードマンらによって証明済みの常識なのである。

だが、こういった常識は法律家は全く知らないようだ。

反トラスト法=独禁法という産業政策は経済学的にもナンセンスな制度にすぎないのだ。



法律家は経済学の常識を単に知らないのか、頬かむりしているのだろうが、「法と経済学」だなんだとアカデミックぽいことを言う前にこのような経済学上の真理に対して、きちんと反論なり議論をしなければならない。

法律家は、まず法ありきで、なぜ法があるのかを考えることが一切ないようだ。

日本には知的に誠実な法律学者は殆どいないということだろうか。



ところでドラッカーのスタンスはリバタリアン的には日和見ぽく思われているのだろうが、私はドラッカーの自由市場主義とリバタリアニズムがそれほど離れたものだとは当然思わない。

日本はドラッカーのファンが多い国であるし、自由市場主義へのシンパシーといったものはそれなりに浸透していると見て良いだろう。

リバタリアニズムはドラッカーよりはもう少し体系的な理論ー思想的なムーブメントであるが、ドラッカーが理解できればリバタリアニズムの理解もあと一歩なのではないか。
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2005年11月12日

Schwarzenegger the governer

[http://www.asahi.com/international/update/1109/017.html]

 州議会で多数を握る民主党や支える労働組合などの「抵抗勢力」に

業を煮やした知事が議会の頭越しに勝負に出た投票だったが、もくろみは

見事にはずれた形だ。



 知事が提案・支持したのは、

(1)不向きな教師を解雇しやすくする

(2)知事権限を強めて財政支出を削減する

(3)選挙区の線引き方法を見直す

(4)官公労による政治目的の支出には事前に組合員の了承を得る、

の4点。



 しかし、同州はリベラルな気風で知られ、民主党優位の土地柄。

提案に幅広い支持が得られなかった。

======================



シュワルツェネッガー知事のこの案はなかなか素晴らしい。

カリフォルニア州がリベラルな気風なのは移民が多いからだろう。

ドイツと同じで、所得格差以前に能力格差が大きい社会だと

”平等政策”の恩恵をLower Classの人間がそれなりに実感している

ということか。


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Why Nazism Was Socialism

Why Nazism Was Socialism and Why Socialism Is Totalitarian

George Reisman

[http://www.mises.org/story/1937]



Contrary to myth, Germany was a socialist state, not a capitalist one. And socialism, understood as an economic system based on government ownership of the means of production, positively requires a totalitarian dictatorship. Indeed, the identification of Nazi Germany as a socialist state was one of the many great contributions of Ludwig von Mises.

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2005年09月19日

Minimum Wage

ytakahashiさんのBlogで最低賃金の問題を取り上げていた。

David Cardのオリジナル論文はWEB公開されていないようだが、次のサイトをみつけた。

[http://www.uvm.edu/~vlrs/doc/min_wage.htm]

これをみると、確かに最低賃金を上げると微妙に失業率が減るようである。

とはいえ、5.5ドルを6.0ドルに上げたら失業率が0.04%下がったとかいったレベルであるし、

インフレ率を計算に入れているのかどうかわからない。

誤差レベルの数字を扱うには、全ての数字を厳密に標準化しないとだめだが

それをやっているのかどうかということだ。



仮に最低時給を5ドルから30ドルに上げたらきっとこういう数字にはならないだろう。

むしろ逆の効果というか、最低賃金制度が雇用を減らす効果が確実に現れるであろうが、

小さな幅であるがゆえに誤差を含む実証分析の難しいところである。

しかし、そもそもこのような研究は、DavidCardがやる前から労働省のレポートでは

ずっと出されていたようだ。どこがどう新しいのかは、実際の論文をみないことには

なんともいえない。



マイケル クライトンがいうように、地球温暖化もどの区間を抽出するかで

結果解釈は全く違ったものにできる。こういう<実証的>統計研究はマユツバで見たほうが

安全だ。



ただ問題は、最低時給を5.5ドルから6ドルに上げた場合、このコストを誰が負担しているのか

という点である。雇い主にとっては、これは税金と等価であり、所得移転を

特定の使用者層だけに強制する結果になる。

問題はむしろこの点にある。



最近の環境税というのかリサイクルコストをメーカに負担させようとする

トンデモな動きがある。例えば自動販売機でジュースを売っているメーカーがあるとして

缶のリサイクルコストを全て<メーカー責任>として負担させるとしよう。⇒実際、政府はそのような動きをしている。

その結果、一本あたりの税金に等しい追加コストが3円あがるとしよう。

いわゆる価格ー供給曲線上では、価格と消費量の双方が変化するが、自販機のコーラの値段を

123円とするわけにはいかない。そのため、それはメーカーが全部負担しなければ

ならなくなる。税金は無差別ではあるが、こういった制約があるとどちらか一方が

全面負担することにもなる。



最低賃金法では、それは低賃金労働者への雇用者からの所得移転という形の

税として局所的に課税効果が現れ、ジュースメーカの場合は、純粋に税としてメーカーが

政府に余計に支払う結果になると思われる。前者は直接の所得移転であり、後者の

場合は、いったん政府が集めてから再分配することになる。

所得分配としては、前者の方がダイレクトで後者のやり方よりも無駄は少ないが

経済的には、どちらもなにも生み出さない。単に税による所得移転の強制力が行使され

るだけであろう。

前者の場合、得をするのは、最低賃金労働者だけで、社会的には全体的に損失となるはずだ。




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2005年09月14日

Tax

英語のTaxには、”重い負担をかける”という意味がある。

日本語で税の語源はよくわからない。税というよりももっと適切な言葉があればいいのだが。

バスティアは、Taxを合法的略奪とよんだ。

略奪も泥棒も本来許されない行為だから、その盗んだお金をどう有効?に運用しようと

本来許されるわけがない。公共政策論のそもそもの間違いはここにある。

#また有効活用などありえないし、今までもあったためしがなかった。

いかなる公共政策も所詮は合法的略奪を大前提とした政策であり、盗人の屁理屈にすぎないのである。



大蔵省には、国家の起源よりも大蔵省の起源の方が旧いという伝承があるそうだが、

これはある意味本当だろう。法よりもTaxの方が旧いのは事実だ。

ヨーロッパではTaxを受け入れることとのバーターで、諸侯が王から法ルールを

勝ち取ってきたという経緯がある。略奪は法よりも旧いのだろう。

そしてTaxという略奪行為を法的にシステム化したのが近代国家=Nation stateである。



「規制緩和なくして、増税なし」とか馬鹿なことを言っている女性候補(佐藤某)がいたが

ちょっとルックスが派手なだけで中身は空っぽとしかいいようがない。

これで一流のエコノミストだというのは悲しすぎる。



ラッファーカーブのようなロジックは、アバウトには成り立たないことはないだろうが、

政府の税収はイコール政府歳出であるから、税収を増やすことを究極の目的にするのは

おかしい。ただ政府規制とは(まわりくどい形での)税に他ならないから、規制を撤廃すれば減税に等しい効果があるのは事実である。

つまり、規制緩和=減税なくして増税なしは前半だけが正しい。

後半の増税してもよいというのが間違いで、ようするにただひたすら減税だけすればいいのだ。

本来目的とすべきことは政府歳出を恒久的に押さえることである。

税が増えれば、政府はそれを貪り食ってさらに増長するだけだ。

歳入がなくても借金して金を使いダイエットなど一切考えない。



故松下幸之助氏が、以前、無税国家論なるものを唱えていた。

これは私流に言いかえれば政府を一種の財団としてしまえというアイデアであった。

1000兆円くらいの税を財団の原資として、それを運用しろというものだったと思う。

当然、政府活動は運用益の範囲に限定される。いわゆるノーベル財団のようなものだ。

政府の増長を押さえるには、政府の財団化は有効かもしれない。原資を集めるまでに

時間が必要だが、松下幸之助はすぐにできると言っていたと記憶する。



泥棒=税は全て本質的に悪なのだという前提で考えれば必然的にリバタリアン的な考えに

なるはずだ。

現代とは、この”泥棒は悪である”という単純な真理が分からなくなっている時代だといえる。

立場や状況によっては、泥棒が善になると皆さん考えているわけだ。
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2005年09月11日

Taxes and Prices

Taxes and Prices: In Defense of the Simple Story, September 05, 2005

by Bryan Caplan

[http://econlog.econlib.org/archives/2005/09/taxes_and_price.html]



Alex Tabarrok chides the maninthestreet for believing that cutting gas taxes will cut gas prices:



Does the lifting of the tax change the demand for gasoline? No. Does it change the physical supply? No. At least not by much in the short run and especially not by much when the tax relief is known to be temporary. Since neither supply nor demand change neither does the price. What does change is that with the tax the government collects the revenues, with the "tax relief" the suppliers of gasoline collect the (former) revenues. Either way, no gain to the consumer.





I agree with Alex if he's talking about the world tax rate. But there is no world tax rate. If one part of the world cuts taxes and the rest doesn't, then gas flows into the lowertax area, and consumers in that area benefit. This is clearly true for statelevel gas taxes. If Virginia dropped it's gas tax, more gas would flow into Virginia. And since the U.S. is just one corner of the world economy, cutting gas taxes in the U.S. would cut U.S. gas prices even if global production is unchanged.



I'm not saying, of course, that the maninthestreet understands any of this. But his kneejerk conclusion is correct. The worst you can say about it is that it's incomplete: At least in the shortrun, cutting gas taxes reduces your gas prices by raising them everywhere else.





この議論はなかなか面白い。コメント欄で続きの議論している。

こういうまともな論争が、日本のメディアではまずない。

しかし実際この議論の意味していることがわかる日本人はあまりいないかもしれない。


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Shareholder Activism

Shareholder Activism and Institutional Investors



STEPHEN M. BAINBRIDGE

University of California, Los Angeles School of Law



September, 2005



UCLA School of Law, LawEcon Research Paper No. 0520





Abstract:

Recent years have seen a number of efforts to extend the shareholder franchise, principally so as to empower institutional investors. The logic of these proposals is that institutional investors will behave quite differently than dispersed individual investors. Because they own large blocks, and have an incentive to develop specialized expertise in making and monitoring investments, institutional investors could play a far more active role in corporate governance than dispersed individual investors traditionally have done. Institutional investors holding large blocks thus have more power to hold management accountable for actions that do not promote shareholder welfare. Their greater access to firm information, coupled with their concentrated voting power, might enable them to more actively monitor the firm's performance and to make changes in the board's composition when performance lagged.



In fact, however, institutional investor activism is rare and limited primarily to union and state or local public employee pensions. As a result, institutional investor activism has not and cannot prove a panacea for the pathologies of corporate governance. Activist investors pursue agendas not shared by and often in conflict with those of passive investors. Activism by investors undermines the role of the board of directors as a central decisionmaking body, thereby making corporate governance less effective. Finally, relying on activist institutional investors will not solve the principalagent problem inherent in corporate governance but rather will merely shift the locus of that problem.



[http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=796227]
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Rehnquist's Legacy

Rehnquist's Legacy

Will the "New Federalism" survive the Roberts court?

BY RANDY BARNETT

Saturday, September 10, 2005 12:01 a.m. EDT

[http://www.opinionjournal.com/extra/?id=110007239]



"Last December, during my oral argument in the medical marijuana case of Gonzales v. Raich, the center chair normally occupied by Chief Justice William Rehnquist was empty. Without the towering, and sometimes glowering, visage of the chief, with his nononsense demeanor and questioning, there was a palpable void in the courtroom that day. Now, with his passing, there is a void in the Supreme Court itself. Today we mourn the death of William Rehnquist. One day soon we may mourn the death of his legacythe jurisprudence of the Rehnquist court."
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Etica & Politica

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2005年09月08日

Anti Antitrust Blog

The voluntary trade council

[http://www.voluntarytrade.org/newsite/modules/weblog/]



アンチ独禁法のBlog

私も独禁法は廃絶すべきものだと考える。

独禁法は市場経済の保護にはならない。むしろ市場経済の自生的秩序を弱め、

政府の市場介入権力を無用に肥大化させているだけの法律である。



このBlogの立場はAnti Antitrustであるから、Trustを肯定的に考える。

これはDavid Friedmanらが独占の神話として、独禁法の大前提を否定しているのと同じ理屈である。

いつまでも、ありもしない神話を根拠として悪法を守っているのは

これが一種の政府権益であるからに他ならないだろう。
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2005年09月04日

Popper and Hayek

先にポストしたBooks on Liberty by David Gordon

[http://www.lewrockwell.com/orig/gordon2.html]

であるが、ここにはカール ポパーの本がふくまれている。

"Popper, Karl. The Poverty of Historicism.

Popper argues against the possibility of laws of historical change. His argument is fatal to Marxism."



ポパーとリバタリアニズムとの結びつきという点では、ハイエクがポパーと懇意で

お互いに知的影響があったという程度のことしか、日本では知られていないようだが

ポパーのリバタリアニズム哲学への影響というのは非常に大きいと見るべきである。



ポパーは政治的にはリバタリアンでもなかったし、特に政治的な主張のある人物でも

なかったようだが、その哲学が自由主義思想に与えた影響は絶大であろう。



またここらをちゃんと論じている人間は日本には見当たらない。科学哲学という

狭い範疇だけでポパーを論じているのが多い。

#特に東大の科学史、科学哲学は、広松渉から、村上陽一郎、佐々木力と最悪の左翼が揃っている。

こんな連中では学問どころの話ではない。セクトといった感じだ。



ハイエクやポパーについて論じているサイトとして、私のペンパルでもあるRafe Champion

さんのサイトを挙げておきたい。

[http://www.therathouse.com/writingsonpopper.html]

ハイエクはポパーの哲学を”我々の哲学”と呼んでいた。つまり、ポパーとハイエクの

二人の哲学という意味だが、ハイエクは哲学的な部分はポパーに委任していたところもあるのかもしれない。



私のポパーへの関心はリバタリアニズム以外にその確率論哲学の部分である。

確率論というのは非常にDeepで難解だが、この時代は、確率論とその哲学に

がっぷり4つで取り組んだ思想家が多くいた。

その一人はケインズである。ケインズの最初の論文は確率論に関するものだった。

ケインズはその後、社会民主主義のイデオローグとなった。

自由主義と、社会民主主義=社会主義との根本的な違いには、確率論の哲学が

あるかもしれない。
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2005年08月27日

Books on Liberty

Books on Liberty

by David Gordon

[http://www.lewrockwell.com/orig/gordon2.html]



"The following reading list includes about 125 books, useful for understanding liberty and the system of individual enterprise.

It emphasizes, with a few exceptions, modern rather than historical works.

It makes no claim to be comprehensive and is nothing more than introduction to a vast literature.

Only books currently in print have been included. I urge readers to study everything they can get their hands on by Mises and Rothbard."



自由に関する125冊のお勧め本である。

日本の邦訳があるのは、このうちのおそらく10冊程度だろうか?




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Jan Narveson -Negative and Positive Rights

Jan Narveson Libertarianism:

A Philosophical Introduction

[http://www.againstpolitics.com/libertarianism/index.html]



2.2 Negative and Positive Rights a Basic Distinction



Libertarian theory, as will be evident from our next several discussions, makes major use of a distinction between two sorts of rights, distinguished by the kinds of duties they entail: negative and positive, respectively.





(a) Negative Rights: A has a "negative" right against B if what B must do in order to respect it is to refrain from various possible acts, namely ones that would hinder, or interfere with, A's attempts to do x, or (if this is different) damage A's person, or, more generally, worsen A's situation in whatever respect is in question in the context in which the right under discussion obtains or would obtain. The proponent of the right could further specify which sorts of interfering actions were forbidden perhaps not all. For instance, B may not do what would make it outrightly impossible for A to do x, no matter how hard A tries, but perhaps B may do certain acts that would make it slightly more difficult for A to do x.



(b) Positive Rights: A has the "Positive" right to do x if B must not only refrain from hindering A, but also do things which would positively assist A to do x if A is otherwise unable to do x unaided. A further important clause would also except the case where A is assisted by the purely voluntary actions of others. A has the positive right to do or to have x only if that right requires certain people, B, at least in certain possible circumstances, to assist A in doing x, or to supply A with x, whether B acts willingly or not. Obviously, the question of how much B would have to help A, that is, how great a cost B would have to bear before his obligation ceased, is a very important question and would need to be somehow specified by the propounder.



The difference between the two can be materially tiny in some cases, but can be, and usually is, very great. Take the general right to life: in its negative version it says only that others must not kill (take the life of) the rightholder; but in its positive version, it would also require that others do something to help save the rightholder's life if it is possible for them to do so. (How much? That becomes a crucial question.) The distinction cuts across various others that have been confused with it. For instance, "action" rights and "welfare" rights are both susceptible of negative and positive forms. We could have a positive right to perform certain actions, entailing that others are required to help us say, by supplying us with canes; as well as negative rights which merely forbade others from getting in our way. Similarly, I could have a merely negative right to welfare forbidding others to lower my existing level of welfare, whatever it was, but not obligating them to raise it if it got too low. By contrast, a positive welfare right what people usually mean by 'welfare rights' obligates others to do what is necessary to keep the rightholders' welfare from slipping below, or to raise it up to, some threshold, which again would have to be specified. The importance of this distinction is that the libertarian holds that people have no basic positive rights that all positive obligations have to be in some way assumed or undertaken by the obligated individual, e.g. by promising that he will perform the indicated actions.



Some writers [e.g., Shue] claim that the negative/positive distinction is illformed or fake, on the ground that negative rights require police and courts for their enforcement, and yet those things are positive acts that somebody would be required to do. This is mistaken, however. The question of what the right is a right to do, and who if anybody will enforce it, are separate. If our rights are purely negative, it will also mean that no one has the duty to enforce them, as such, although everyone has the right to use whatever means he can avail himself, with the cooperation of others who also have no duty to do so, to secure his rights. The distinction between negative and positive is quite robust.



It must be noted that libertarianism is ordinarily understood to be exclusively a theory about enforceable rights. It may ely enough be held that there are other moral categories in which we may assert that people have positive duties of a weaker kind. For example, the libertarian may hold that charity is a nonenforceable, but nevertheless real, duty. We should feel badly if we do nothing for the sick and exploitred if we could easily do so, for example. And of course there is no objection to holding that it would be a good thing if various ends were brought about, and to hold that it is morally commendable to try to bring those things about, and even that those who do nothing about those things are bad persons. Ttheory's central focus, in short, is on the morally legitimate use of force.





以上は、Jan Narvesonによるリバタリアニズムの解説からの抜粋だが、

このNegative and Positive rightsの解説は重要だ。

このキーワードの意味なりニュアンスが分からないと、リバタリアニズムの哲学的な

基礎が分からないことになる。



そしてこのBasic Disticntionが分かっている日本人はまず殆どいない。

法学からリバタリアニズムに入っていく人間は特にそうだ。

彼らはrightsとprivilegeの違いさえも分かっていないのが通常である。

そうなるのは、Positive lawが唯一絶対の世界にいて、その前提を疑って考えたことも

ないからだろう。

彼らは法律上権利と名がつくものは全て権利だと単純に思っている。



Negative rightsとPositive rightsはお互いにexclusiveな概念である。

exclusiveであることが非常にradicalな点、つまり本質的な問題だ。

CommonLawがリバタリアン的にベターであるのはその権利に対する消極的な在り方による。

単に法を成文化してないのではなく、あえて不文法にしておくことが権利への

消極的なあり方に通ずるという法哲学がその背後にあると考えられる。
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2005年08月23日

アナルコ・キャピタリズム研究

アナルコ・キャピタリズム研究(仮)

[http://anacap.fc2web.com/]



このリバタリアンサイト(アナルコキャピタリズムのサイト)は志が高い、良いサイトである。→今、発見したばかりだが。



何をするにも、重要なのはイニシアティブ(主体性)と志の高さである。

翻訳文献に頼らず、自ら英語を読んで理解しようとする態度が何よりも大事なのだ。



インターネットのおかげで外国の本物の情報にリアルタイムのアクセスが可能になったのだから、

日本のどこかの大学教師の解説に頼っているようではだめだ。



徐々に、リバタリアニズムが日本でも受け入れられつつあるのかもしれない。
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2005年08月18日

Socialization of Free enterprize

どうこう言って現代の先進国の中でもっとも個人的自由のある

国はアメリカだと思われるが、そうはいってもUSも社会民主主義に

かなり犯されていることは事実だ。



ミルトンフリードマンが警告するように、戦後一貫して個人の自由に対する

侵害は増えつつある。

個人の自由への侵害の強化は、具体的にはSOX法を典型とする連邦法の

強行規定の強化に関係がある。

#州法と連邦法の関係は、コモンローとPositiveLawの対立でもあるといえるだろう。



なぜアメリカが社会民主主義への道を深めているのかといえば、

現代のアメリカの権力中枢にいる世代が、クリントンのように6070年代に

大学に行っていたリベラル世代ということもひとつにあるだろう。

基本的に、その国の政治意識というのは、多勢の意識の

現れであるから、教育の影響が長い目でみれば最も深刻だ。



会社という私的組織に対する考え方にしても、教育の影響は大きい。

会社は社会のものだという、昔の労組のおじさんが言っていたような戯言を未だに

まじめに言っている東大教授もいる。→結局、この東大教授にしても自分が

学校システムの中で教わってきた信条を自分の中で素朴に大事にしているだけである。



会社という組織は、ずっとその内と外から社会(主義)化への圧力にさらされている。

この問題を簡単に整理してみよう。

まず、会社は社会のものであるとする”法人実在説”

は、あきらかにLegal Positiveなイデオロギーが基本にある。

法人実在説という考え方そのものが、社会民主主義という国家主義から

くる派生的なものだといえるだろう。

Positive Lawにおいて法人を、Positive rightsの”権利主体"であり、また不法行為主体、つまりは社会的責任主体として捉えることからの自然な流れである。



一方の法人擬制説は、CommonLawからすれば当然の考え方である。

こちらではあくまでも、個人が問題とされる。法人は個人ではないから、法人はあくまでも法律が擬制したものでしかないのである。

前にストライン判事のSOX法への批判を載せたが、これはコモンロー判事で

ある州判事の見解としても理に適ったものだと思われる。



自由企業を”社会のもの”にしてしまえば、その当然の帰結として

社会そのものが社会主義化され、個人の自由が損なわれるのである。



"The socialist society would have to forbid capitalist acts between consenting adults." R.Nozick
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2005年08月16日

The Anti-Capitalistic Inquisition

The AntiCapitalistic Inquisition

by Pierre Lemieux

[http://www.mises.org/story/1885]



I may be slightly off the mark on this, but I suspect that, when our descendents look back at our epoch’s Inquisition, it will be with the same sense that today’s selfrighteous intellectuals look at the premodern witchhunts. They will realize what great injustices have been done to suspected witches. Whether they will be able to speak about it is another matter.





カナダ人(フランス人)リバタリアン、ピエール ルミューのコラム「反資本主義審問」



企業責任の強化による経営者への罰則強化は現代の魔女狩りだとする。

より重大な問題は企業の詐欺行為=Fraudではなく、政府によるFraudであるとする。



#ちなみに、ルミューの以下の邦訳は絶版だが、良い本である。

「無政府国家への道―自由主義から無政府資本主義へ」

ピエール ルミュー (著)


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2005年07月22日

Polycentric Law

Polycentric Law

[http://www.againstpolitics.com/polycentric_law/index.html]



Polycentric Lawは直訳すれば”多中心主義の法”とでもなるだろうか。

だが、敢えて日本語に翻訳するまでもないだろう。



このページはリンク集だが、興味深いリンクが沢山ある。



法学とは、本来、可能性の高い学問だと思われるが、日本の法学は脳死状態で最初から最後まで受験法学の延長線上にしかないようだ。

また法曹になるために一生懸命司法試験勉強をする過程で、皆さんStatistになるよう洗脳されるようだ。

それともStatist志向の人間が法曹を目指すのかよくわからない。これは、どちらも真かもしれない。



まともな知性を持った人間は、日本の法学界でははじかれるだろう。

オツムは通俗的な意味で大変よいけれども、まともな知性ではない人間ばかりが法曹になると社会的に困った事態になる。



物事の大前提を疑って考えるという学問の基本的なスタンスがなく、まず条文ありきという

権威主義的な思考にトラップされてしまえば、法学はどんなに頑張っても学問足りえない。

公法、特に憲法学あたりの法学者は酷いのが特に多いように感じる。



法曹三者といえば、裁判官、弁護士、検察だが、日本の法律は現実的には行政のエリート官僚が作っている。

司法試験を通って法曹となった人間よりも、日本のエリート官僚は優秀(=頭が良い)かもしれない。

あの悪名高き個人情報保護法であっても、一つの体系としてみた場合かなりよくできたものであることがわかる。→よく読むとわかる



作り方にコツがあるのかどうか知らないが、どうやらそういうものは基本的にないらしい。

複雑に絡み合った文章を無矛盾に組み上げるというのは、かなり頭のよい人間でなくては作れない。

詰将棋を作る感覚なのかもしれないが。

ちなみに私は、この法律を実際に作っただろう官僚の名前も顔も大体知っている。→個人的に知っているわけではない。



リバタリアン的には、連中は自由の敵であるが、その頭の良さは認めないわけにはいかない。

彼らは、もう少し生産的なことに、その才能を活かすべきだと思う。


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2005年07月21日

Safe Harbour Rule and Free Trade

Safe harbour rule(セーフハーバールール)といわれるものがある。

これに従って行動すれば、法令違反を問われないルールのことだ。



個人情報保護で、アメリカは<賢明にも>EUや日本のように包括的規制となる法律を作らなかった。

しかし、これのお陰で当然ながらアメリカはEU指令の移転禁止先に指定された。

そこで、アメリカ商務省は、EUと交渉してセーフハーバールールを策定した。

これは商務省が作成したPrivacy Principleを遵守していれば、EU指令25条に違反しないと

決めたセーフハーバールールである。

だからEUに輸出するUS企業は、須らくこのPrincipleに厳しく縛られる。



セーフハーバーは、直訳すれば安全港だが、安全な軍隊の避難所という意味もある。

語源的には安全港ではなんのことか意味がわからないから、安全な軍隊の避難所が語源かもしれない。

戦時の中立地帯をそのように呼んだのではないか?→これは憶測でなんの根拠もないが。



特許法も典型的だが一国の産業政策は殆ど全て自由貿易の障害であり非関税障壁となっている

産業政策というのは、もともと<我国>の産業を発展させ、<我国>の利益を保護するという

お題目がある。つまり実に閉鎖的で偏狭なオラが村的動機がその立法の根底にあるのである。



アメリカがEU指令25条にからんでEUとの間で結んだセーフハーバールールも

EU側の非関税障壁としてEU指令が機能している一例である。

また、EUは日本、アメリカの内政に対しても、個人情報保護法という規制を設けることを

要求してきたわけだから内政干渉でもある。

#EUでまじめに個人情報保護に取り組んでいるのは生真面目なドイツくらいらしいが。。



だが、あくまでも豊かさや自由にとって重要なのは、<自由貿易>だ。

産業政策立法など、豚のえさにもならない、有害なだけのものだ。

自由貿易を阻害するような法律は一切作るべきではない。



特許のような産業政策で非関税障壁を作っておきながら、その一方でODAで経済援助を

するというのも経済的ナンセンスである。

自由貿易を阻害するあらゆるルールは戦争や紛争の直接の原因にもなるのが歴史の教訓である。



世界の貧困国を見れば、経済発展が停滞している主要な原因として自由貿易の欠如が挙げられている。→これは実証的に調査されている。

また日本のような特にこれといった資源のない国がGNP2位とまでなれたのは、この自由貿易に

拠っているのは誰にも否定できない事実だろう。



アフリカの貧困国であっても自由貿易さえ可能であれば、比較優位の原理により

WinWinの関係で豊かになっていくことは可能なのである。

逆に言えば何も資源のない国には、それ以外の方法はないのが事実だ。

国民にあまり教育がなくても、また資源が何もなくても、自由貿易さえあれば発展が可能である。

(ちなみに相手方より何ひとつ相対的に優れたものがなくても自由なTradeにより双方が利益をこうむることができるというのが比較優位の原理である。)



この比較優位の原理を、<市場万能主義>の根拠といってもよいかもしれない。

これは一国の中の個人と個人との間にもなりたつ普遍法則である。

なんの取り柄もない人間でも、WinWinの関係で豊かになれるという市場の自然法則である

から、市場というのはよく出来ている。

#この意味での市場万能主義の反対の言葉は、政府官僚の設計(万能)主義になる。



リバタリアニズムもしくはハイエクが主張する自由とは、このような国内外の自由貿易もしくは

個人間の契約の自由に対する制約がない事である。

つまりハイエクのいう自由とは単に”何の制約もないこと”という消極的な自由である。

そのような自由だけが価値と秩序をもたらすと考えるわけだ。



だからアファーマティブアクションでも最低賃金法でも、この比較優位の原理に反する立法は全て

大きな社会的マイナス効果しかない。これはアメリカで実証済みだ。(が、まだやっているようだ)



もし国がナショナリズムの発露として無用な産業政策法を勝手に作っていけば、

自由貿易はどんどん弱体化し、LoseLoseの世界になることは確実である。

自由貿易の障害になる可能性のある法律を作ることは、どの国の政府であっても重大な悪である。

非関税障壁とセーフハーバールールを無数に作るよりも、自由貿易の原理に反する立法を

自主的に作らないようにする仕組みが必要だ。


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2005年07月19日

Producer, Entrepreneur, and the Right to Property

Producer, Entrepreneur, and the Right to Property

by Israel M. Kirzner

[http://www.mises.org/story/1862]






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2005年07月18日

Against Posner

コモンローが効率性の点で制定法よりも優れているというのは、リバタリアン的には矛盾がない。リバタリアン的には当然そうであるに決まっているのである。



しかし、ポズナーのように、いろいろとあやしい理屈をこねてコモンローが効率性が高いからよいのだとする功利主義をリバタリアンは否定する。



私の知る限りポズナーの功利主義に対する批判は2タイプある。



一つはデヴィッドフリードマンからの批判である。

デヴィッドフリードマンの立場は、ポズナーの論法に無理があるとするものだ。



これについては以下に前にポストしたものを抜粋↓しておく

David FriedmanのFor and Against state から



”20年以上前、リチャードポズナー教授(現在判事)は、次ぎのことを示唆した。コモンローの多くの特徴は、経済効率を最大化する一連の法ルールの集合であるという仮説によって説明できると。

この仮説がどの程度正しいかは、まだ議論の対象である。しかし、正しいにせよ、間違っているせよ、この仮説が法の経済分析の発展に対し非常に大きな役割を果たしたことはたしかである。



ポズナーの議論において一つの弱点となっているのは、効率的なコモンローを生み出すもっともらしいメカニズムがないことであったし、いまだにそうだといえる。

そのかわりに彼と彼の支持者が提供しているのは、現在存在するコモンローの拡張的な分析である。

これは、コモンローのルールが、経済学者が経済効率を最大化しようとしたときに採用したであろうルールと非常に近いことを示そうとするものである。

強制力のある理論を欠いているために、経験的な証拠をだしているわけである。

とはいえ、その存在するルールが効率的なものであることを議論するためにかなりの経済理論が加えられれているのだが。

・・・・

しかし、それを証明するためには、コモンローの歴史とその内容に関するもっとはるかに広い知識が必要であろう”





そして、もう一つは、リバタリアンーオーストリアンからの批判で、結局ポズナーはLegalPositivistであり、ご都合主義的にいろいろ言ってるがその思想に一貫性がないというものだ。

さらにポズナーは自称リバタリアンであるが、あんたはリバタリアンなんかじゃないよという批判もある。



それに対して、ポズナーは、”Kelsen Hayek and Economic analysis of Law"という本を書き、ハイエクをはじめお前らは唯のPublic Intellectuals に過ぎない。

(それに対して俺様は連邦判事様だ!とは言わないが、実質そういっていると思われる)本を書いた。この中でハイエクをそれまで読んだこともなかったことを白状するとともに、ハイエクの思想は現実的には使い物にならないと評し、同時にLegal Positivistのケルゼンを非常に高く評価することで、自らがPositivistであることを認めている形である。

#ちなみにハイエクがケルゼンのLegal Positivismを最低最悪だとLLLの中で糾弾しているのは有名。



これら批判の中では、デビッドフリードマンの立場が、批判としては一番説得力がありそうである。

D.フリードマンの立場は、オーストリアンではなくアナルコキャピタリズムだが、リバタリアンであることは自認している。

ただ、DFの場合、Justiceや自然権といった観念的なものから出発することを拒否していて、あくまでも経済学の範疇でつきつめようとする態度と思われる。

一方、ミーゼスーロスバードやハイエクといったオーストリアンの経済へのアプローチ方法は数学的道具立てを殆ど用いない、Logical Economicsである。



ただ、アプローチ方法はオーストリアンとDFでかなり違うが、主張の中身としては、結果的にそんなに違うとも思えない。




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2005年07月16日

The problem is whose planning

[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050716it01.htm]]



 国土交通省が発注し2003年度に完成した約1万3000件の入札工事に関するデータをもとに、読売新聞が複数の専門家に、落札率(予定価格に占める落札価格の割合)と工事の品質に関する分析を依頼したところ、「両者には、ほとんど相関関係がない」との結論が15日得られた。



 同省は「一般競争入札だと、落札価格が下がって品質低下を招く」との理由から、多くの工事で「談合の温床」とされる指名競争入札を採用。

全国10県で価格と品質の相関関係が否定されたとの本紙報道に対し、北側国交相や岩村敬同省次官は「国と地方では違う」と反論していたが、分析結果はその主張を根底から覆した形だ。



snip



 3人の分析結果に対し、国交省技術調査課では「国交省としては、落札率と工事の成績には明確な関係があると考えており、低入札の方が明らかに工事成績は悪い。

このデータについては、これ以上、分析する予定はない」としている。



(2005年7月16日3時4分 読売新聞)





以上は、本日の読売の記事から一部引用した。



談合の問題に関しては、池田先生もBlogに書かれていたが、私はこの佐和氏の議論にしても、やはりミスリーディングなものだと考える。



もちろん、どっちがマシかという議論で言えば、一般競争入札の方がよいだろう。

政府が指名競争入札制度をとっているのは、大きな声ではいえない別の事情があるからと推察される。



公共事業だからといって、大手建設会社が手を抜くなんてことはまず考えられない

そんなことをしたら、信用をなくして一巻の終わりである。

また、公共物の建設費用は民間が計画したものよりも割高になるということもないはずである。



私の印象ではむしろ公共事業で何か建物でもビルでも作れば,民間が発注した場合よりも割安になることもあるような気がする。

これは一つに政府なりお役所の信用が高いからということもあるだろう。つまり、とりっぱぐれがない分、費用を安くすることが出来る。



実際、東京都庁にしてもあれだけの規模の建物であって建設費用は1500億円程度だったと思う。

これは決して安い額ではないが、ほぼ同時期にできた恵比寿のYGPの建設費用はトータルで3000億円程度だったはずだ。

私が見た感じでは、YGPよりも都庁の方が規模もでかく、都庁開発の建設費用はYGPと同じかそれ以上かかってもおかしくはないと思う。単純な比較はできないが、印象ではそんな感じだ。

#YGPの土地は自社所有の恵比寿工場だったところで土地の買い入れコストは0のはず。つまりどっちも上物の開発価格。



以上書いたことはどうでもいいことだが、ここでの本質的な問題は、入札の方法ではなくて、それが公共事業だということにある。



これに関しては、以下のミーゼスの至言がある。

"The alternative is not plan or no plan.The question is : whose planning?"



つまり、問題は、計画そのものでもなければ、計画をしないことでもない。問題は誰による計画なのかという点だと、ミーゼスは言っている。

公共事業の問題とは、それが政府のプランであることが問題であり、なぜ民間でないのかということだ。



多くの場合、橋でも公民館でもよいのだが、それを民間が自分の事業として作らないのは、それが経済的にペイしないことが分かっているからである。

当然、政府がやればもっとペイしない。経営という概念がないからだ。

そのコストは全て税金で広く薄められて負担されるから、だれも痛みを感じないだろうというわけだ。

おまけに公共事業を政府がやることは、とってもよいことだ!という前提から全てが出発している。



だが、経済的にペイしない公共物を作ることは間違いなく犯罪的行為である。

無用なものを作ることは、別のもっと有益な何かに投資するチャンスを失わせているからだ。

今の日本はやはりどうしようもなく社会主義国家である。


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2005年07月15日

In Defence of Negative Value

ハイエクやミーゼスは、リバタリアンから言わせれば当然リバタリアンであるが、

そのようなカテゴライズをしないで見れば、むしろハイエクとミーゼスの間の違い

は大きい。



#ハイエクは自分をOld Whigと呼びたがっていたそうだし、ミーゼスは

オーストリアンもしくはPraxeologyである。



しかし、重要なのはその違いよりも、むしろその近さだ。



同様に、老子もリバタリアンから言わせれば、世界最古のリバタリアンであり、

リバタリアンのピテカントロプスに相当するが、当然、老子の時代にリバタリアン

などというバタ臭い名前があったわけではない。

#私はリバタリアンという表記よりも、リベルタリアンという越後先生の表記の方

がよいような気がしている。しかし当面リバタリアンを使うことしよう。



私の考えではリバタリアニズム的なるものの特徴は、消極的価値の擁護にある。

左派リベラルのようなPositiveな価値を標榜する主義思想とはそこが根本的に違う。

またそこが、リバタリアニズムの分かりにくさの原因の一つでもある。



老子の思想は、道教として中国の民間信仰の最もポピュラーなものであるが、

無為自然=Laissez faireや道=Tao=Natural law、Natural emerging orderという

思想が民間に潜在的に根付いていることが中国という本来が個人主義的な商人国家

の強さかもしれない。

#中国はあまりに広く一枚岩ではないが、私の中国のイメージは中国人=商人だ。



いわゆる保守主義にも消極的価値の擁護がその根底にある。

ただ、その消極的価値の捉え方、理論武装が、いわゆる保守とリバタリアンでは違う。

いわゆる保守派の擁護する価値をご先祖さまからの伝統的価値と言ってしまえば、

それはPositiveな価値になってしまう。

ハイエクなどは、そのような俗化された保守主義へ新しい意味のある言葉なり

ビジョンを与えようとしていたようにも思える。



リバタリアンが保守的だったり、保守主義者がリバタリアン的であったりす

るのは、それらが擁護する価値の消極性という共通性のためだろう。

保守主義もリバタリアニズムも、Positiveな価値を謳う左派思想に対して、その

消極的価値の擁護という立場の分かりにくさによって苦境に立たされてきた経緯

がある。



バークの時代より、その時代のインテリ層は常に左派思想になびき、保守思想に

なびく人間は頭の硬い偏屈者くらいにしか思われていなかったと思われる。

だが、現代のリバタリアンなりオーストリアンの主張は、批判理論として明確に理論化

されている。



法思想に関して言えば、大陸法的なPositive rightsを完全に否定する。

あるのはNegative rightsだけであり、Positiveな権利などもともと存在

しないし、あってはならないとするわけだ。

それら権利は、政府を契機にしなければ成立しない権利であり、無用で有害な

権利だというわけである。それは個人の自由にとって有害だと。

それに対して、コモンローは元来がNegative rightsだから、リバタリアンーオーストリアンは

コモンローを擁護するのである。



例えばホップのようなオーストリアンーリバタリアンが、Posnerのような「法と経済学」を

批判するのはこの1点のロジックに集約している。

ポズネリアンの「法と経済学」は、はじめからPositive rightsを巡る議論で

あって、出発の前提がそもそも間違っているとするわけだ。

むしろNegative rightsから出発すればホップのような議論になるはずだという主張

である。→「鉄道の火花と周辺農家の問題」など



ただ私は、産業政策立法などは、単純にCost−Benefitの議論で経済学と一緒に

考察すればよいと思う。

そうなったとき現在の産業政策立法の殆どはCostBenefit分析においても破綻する

はずである。



結局、法=制定法は人間が恣意的に作るものであり、その建前だけは立派だが現実には

むしろ逆効果になっている。

経済の設計主義も、法の設計主義もどっちも駄目だと喝破したのがハイエクでありミーゼス

であった。



そしてマーケットメカニズムを無視した法律を立派な建前だけで作ってきたことの

ツケが巨大に膨らんでいるのが今の日本の状況だろう。



#尤も日本だけではなく、アメリカも産業政策立法において同様だが、それはまさに

USAのリバタリアンが批判してやまないところである。




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2005年07月10日

Japanese Libertarian

新オーストリア学派の思想と理論 MINERVA現代経済学叢書

越後 和典 (著)



[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/462303822X/qid=1120986209/sr=82/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/25029454974098640]



ytakahashiさんのBlogで紹介されてた上記の本を早速Amazonで買って読んでみた。

越後氏の存在を今まで知らなかったのは、私の全くの不勉強であった。

日本にもこのような学術的に正確な理解をもったリバタリアンがおられたのは驚きであり、うれしい発見だ。



こういった隠れたる優れた人物は必ずいるものであるが、それを知るのと知らないのとでは大違いだ。

越後先生は1927年生まれということだから、既にかなりのご高齢であるが、この明晰な文章と理解は素晴らしい。



この著書「新オーストリア学派の思想と理論 」というのは、私が今まで読んだ日本語で書かれたリバタリアニズム解説の本としては群を抜く正確な内容だ。



私は、今まであまり日本語文献は読まず、WEB上の英語テキストばかり読んできたのだが、おそらくこの本は、リバタリアニズムもしくはミーゼスーホップといったオーストリアンの系譜を理解する上で最良の日本語の手引書であろう。

#とはいっても、決して易しい本ではない。この手の議論に下地のない人間が読んで理解できるかどうかは疑問があるが。



#ついでに書くと、Hoppeをホッペと書かれているのは少々なじまない。英語でのHoppeの実際の発音はホップに聞こえる。またLibertarianをリバタリアンでなく、リベルタリアンと表記されているのも少し違和感があるが、意外とこの読み方は素敵だ。



200ページ程度の本で、4410円と少々高いが、この手の本はすぐに絶版になるから、なるべく早く買っておいたほうがいい。

私はもう一冊の、「競争と独占」という本も買ったが、こっちはまだ読んでいない。



この本の最後に越後先生の退官記念講演が載っているが、その講演の最後にミーゼスの次の言葉を引用されている。越後先生もこのような環境におられたのかどうかは存じあげないが、ミーゼスの至言である。



The history of science is the record of the achievements of individuals who worked in isolation and ,very often ,met with indifference or even open hostility on the part of their contemporaries.




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