2007年02月27日

Edmund Burke,He was an anarchist

以下の引用はMurray Rothbardの文章である。
エドマンド バークはアナキストだという鋭い指摘だ。
バークを権威主義的な保守主義者だと、バークの本を実際に読んだこともない人間が西部すすむ辺りの解説を読んで言うことがままあるが、それは間違いだと思っておいた方がいい。ハイエクが書くように「統制されない社会の力を信頼することに対する恐れ」はバークのものではなかった。(統制されない社会とは、自由な社会を意味する。)そうでなければハイエクがバークにならってOld Whigを名乗るわけがない。
#中川八洋の胡散臭いバーク主義なるものも、ロスバードの解釈を正とすれば、完全に間違っていることになる。中川氏のバーク主義とは、その怪しい国粋主義的な信念のダシに使っているのに過ぎないだろう。
バークは政府と社会の違いを区別し、政府の暴力性をその最初から指摘していたとロスバードはこのエッセイの中で書いている。

Edmund Burke, Anarchist
by Murray N. Rothbard
http://www.lewrockwell.com/rothbard/rothbard11.html
He was an anarchist

"Anarchism" is an extreme term, but no other can adequately describe Burke’s thesis. Again and again, he emphatically denounces any and all government, and not just specific, forms of government. Summing up his views on government, he declares:

"The several species of government vie with each other in the absurdity of their constitutions, and the oppression which they make their subjects endure. Take them under what form you please, they are in effect but a despotism ....

Parties in religion and politics make sufficient discoveries concerning each other, to give a sober man proper caution against them all. The monarchist, and aristocratical, and popular partisans have been jointly laying their axes to the root of all government, and have in their turns proved each other absurd and inconvenient. In vain you tell me that artificial government is good, but that I fall out only with the abuse. The thing! The thing itself is the abuse!"

さらに次の文も追加しておこう。
”All government, Burke adds, is founded on one "grand error." It was observed that men sometimes commit violence against one another, and that it is therefore necessary to guard against such violence. As a result, men appoint governors among them. But who is to defend the people against the governors?”
Positive law imposed by the State injures man whenever it strays from the path that we know to be the law of man’s nature. How is the natural law to be discovered? Not by Revelation, but by the use of man’s reason”

国家によって押し付けれた実定法は人間を傷つける。自然法はいかにして見出されるのか?それは啓示によってではなく、人間の理性を用いることによってである。

アナキズムとは、本質的に反社会的(anti-social)な存在である政府を否定するが、つまり反ー反社会的ということでこれは”社会的”なこと、すなわちthe framework of peaceful human interrelations and exchangesを肯定することだ。そういう意味でバークはアナキストである。
ほとんどの人間は義務教育の結果、政府と社会を同一視してしまっている。

"It should be clear from this work that by "political society," Burke did not signify "society" in general. This is no Rousseauan call for a return to the jungle, either earnestly or satirically. Burke’s attack is levelled not against society ? the framework of peaceful human interrelations and exchanges, but against States ? those uniquely coercive elements: in human relations. His argument rests on a belief that when we observe the nature of man, we find that States are anti-social institutions. "


2007年02月27日
posted by libertarian at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

The ethics of liberty

この正月に、マレー ロスバードの「自由の倫理学」を再読した。
ロスバードのこの本は、森村進氏による優れた翻訳だ。
ロスバードの本は、このThe ethics of libertyの他に「Man,Economy,and State」、「For a new liberty」が有名であるが英語の原書はPDFでNETから全部手に入る。しかし是非、森村氏にはこちらも翻訳していただきたいものである。どちらもかなりの大著であり、私は今まで部分的に拾い読みをしたくらいだが今年はこれらを一通り完全読破してみようかと思う。

この「自由の倫理学」は、リバタリアンの、もしくは自由のPrivate Propertyに基づく基礎理論を打ち立てようとする野心的な試みの本だ。現在のオーストリアンリバタリアンは、ミーゼスとこのマレーロスバードをグルとするリバタリアン達なので、ロスバードの本はミーゼス同様に極めて重要だ。ロスバードのラディカルな考察は現代のリバタリアニズムのすでに前提となっているもので、ハイエクやフリードマンのような保守的な比較的漸進的なリバタリアニズムとは一線を画している。
実際、オーストリアンはハイエクやフリードマンの態度をしばしば攻撃する。
ロスバードが引用するアクトン卿の「自由主義は現状にかかわらず、あるべきことを欲する」 “Liberalism wishes for what ought to be, irrespective of what is.”という言葉は、この本の基調にある自由のラディカリズムのあり方を宣言しているものだ。

1部では、自然法から説き起こし、古典的自然法を政治的個人主義に基礎を置く理論へ変えたジョンロックの自然権理論を基礎として、ロスバードの自由のprivate property原理を展開する。
ロスバードによると「リバタリアンな自然権論は、ロック以降も拡大と純化を続け、19世紀のライサンダ―スプーナーとハーバートスペンサーの著作において頂点に達した。」
そして、20世紀のロスバードがこの本の中で自然権の理論つまりprivate propertyの理論を完成させようとしたのだ。

この本の第2部(自由の理論)はリバタリアンの原理(=principle of self-ownership)に基づく、私法の法理に対する再理論づけともいえる。少なくとも民法くらいは一通り知らないと、この辺りの論理の面白さはなかなか理解できないだろうが、私的財産権を原理として私法、刑法の原理を再構築しようとする試みは迫力がある。

「権利」をハイエク同様に消極的概念と位置付け、さらに権利の概念は財産権としてしか意味をなさないことを論証する。いわゆる憲法上の権利として金科玉条のごとくに言われる「言論の自由」も「知る権利」も、Positive rightsとしては存在しない。あるのは自分のものを自分で自由に処分する権利であり、あるいは他人と自由に契約を結ぶという意味での”財産権”だけだとする。当然、プライバシー権というPositive rightsも存在せず、財産権のみがあり、その財産権への侵害にいたる行為に対してのみプライバシー侵害に対してアクションが可能なのだ。

コモンローも多くの点で反リバタリアン的な欠陥があるとするが、たしかに今のTortsなどを見るとおかしな点が多い。一度原理に戻って再構築する試みは必要だろう。民法というのは歴史的な構築物である反面、アドホックなところがあり、特に財産権原理が不完全だということだ。
かつてミルトンフリードマンは、ロスバードを寛容性に欠けると言っていた。決してファナティックではないが、意識的に論理的にまた理性的にradicalであろうとしているのであろう。ロスバードが基礎付けしようとした原理はすでにリバタリアニズムの原理となっている。

#1920年代の禁酒法の擁護として、飲酒は犯罪を犯す確率を高めるから禁酒は人身と財産を守る防衛的行為だという議論があった。
ロスバードは、「一度、人身と財産に対する曖昧で将来の、明白で差し迫っていない驚異を持ち込むと、それはあらゆる種類の専制の言い訳となる」とし、そして、そのような独裁政治に対する唯一の防衛策は”認知される侵害の基準を明白で差し迫った公然たるものとして維持すること”にあるとする。昨今の”健康法”という名の禁煙法、反アルコールの動きは国連指令から来ているが、これが自由を破壊する専制に結びつくことはいうまでもない。なぜ、そんなことも今の人間は分からないのか。
ロスバードは、リバタリアニズムの将来に楽観的だと書いているが、私はまだまだ道は険しいと感じる。
posted by libertarian at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

THE ANATOMY OF THE STATE

THE ANATOMY OF THE STATE

What the State Is Not

By Murray Rothbard

[http://www.mises.org/easaran/chap3.asp]



上のリンクは越後先生の本にも引用されているロスバードのエッセイ(国家の解剖学的構造?)である。



ロスバードとミーゼスの文章の大半はMisesInstituteのサイトに公開されている。

このエッセイはロスバードのスタンスがはっきりと出ていて面白い。



#私は、このサイトにあるロスバードやミーゼスの文書を殆どClieに入れている。

 しかしClieが生産中止になってしまったのはショックだ。
posted by libertarian at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年08月31日

The State and The \"nation\"

While the State is a pernicious and coercive collectivist concept, the \"nation\" may be and generally is voluntary. The nation properly refers, not to the State, but to the entire web of culture, values, traditions, religion, and language in which the individuals of a society are raised. It is almost embarrassingly banal to emphasize that point, but apparently many libertarians aggressively overlook the obvious. Let us never forget the great libertarian Randolph Bourne\'s analysis of the crucial distinction between \"the nation\" (the land, the culture, the terrain, the people) and \"the State\" (the coercive apparatus of bureaucrats and politicians), and of his important conclusion that one may be a true patriot of one\'s nation or country while – and even for that very reason – opposing the State that rules over it.



THE NATIONALITIES QUESTION

マレーロスバード
posted by libertarian at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年08月30日

自然権哲学の放棄と、Utilitarianismへの移行

”There were two critically important changes in the

philosophy andideology of classical liberalism which

both exemplified and contributed to its decay as a vital,

progressive, and radical force in the Western world.

The first, and most important, occurring in the early

to mid nineteenthcentury, was the abandonment

of the philosophy of natural rights, and its replacement

by technocratic utilitarianism. Instead of liberty grounded

on the imperative morality of each individual’s right to

person and property, that is, instead of liberty being

sought primarily on the basis of right and justice,

utilitarianism preferred liberty as generally the best way

to achievea vaguely defined general welfare

or common good.

There were two graveconsequences of this shift

from natural rights to utilitarianism.”

M.Rothbard \"For a new liberty\"16p
posted by libertarian at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

For A New Liberty

For A New Liberty

PDFの完全版であるが、サイズは3MB以上ある。(349p)

副題が”The Libertarian Manifesto\"とあるように、リバタリアン宣言の書。

一般的なリバタリアン公理(Axiom)なるものは、この本が元になっているようだ。
posted by libertarian at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロスバードの著作集(DL可能)

[http://www.mises.org/scholar.asp#Murray%20N.]

ロスバードの、For a new libertyを始めとする大量の著作が

完全版のPDFファイルでDL可能
posted by libertarian at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | M.Rothbard | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする