2008年10月13日

The Causes of the Economic Crisis

ミーゼスの経済危機の原因から翻訳引用

定期的に経済危機が起こることは、銀行政策により繰り返されるマーケットの自然利子率を下げようという試みの必然的な結果である。
経済危機はこのような呼び水政策をやめることをしない限り無くなることはない。なぜなら、人工的に刺激されたブームは不可避的に危機と恐慌へと行き着くからである。

危機に対応して現れる介入主義者の政策の試みの全ては完全に見当違いのものである。
危機から脱出するには一つの方法しかない。市場の生産価格のインパクトを妨げないようにすることである。市場が示している利子率や、賃金率、商品価格と違う値を決めようとする全ての政策をやめることである。
このことは一般的な考え方とは矛盾しているかもしれない。これはたしかにポピュラーな考えではない。
今日では、あらゆる政府、政党は、介入主義に確信をもっているし、彼らがその計画をやめることはありそうにない。

けれども、これら危機に直面した政府や政党がいつか舞台からいなくなり、その経済計画が破壊やカオスに行くのでなく、経済発展と進歩に対し道を譲る日がくることを想定することは楽天過ぎるというわけではたぶんないだろう。

http://mises.org/books/causes.pdf

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2007年11月12日

Bureaucracy

Nobody can be at the same time a correct bureaucrat and an innovator.
L.V.Mises Bureaucracy, p. 67

The ultimate basis of an all around bureaucratic system is violence.
Bureaucracy, p. 104
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2007年11月11日

Uncertainty

"One of the fundamental conditions of man’s existence and action is the fact that he does not know what will happen in the future."      
L.V.Mises     Theory and History, p. 180

人間の存在と行為にとって根本的な条件の一つは、未来に何が起こるのか分からないという事実である。

What a man can say about the future is always merely speculative anticipation.
Theory and History, p. 203
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2007年11月04日

Risk and Uncertainty

「人生と投資のパズル」 角田康夫 文春新書
この本を買ってざっとよんだ。この手の行動経済学に関する新書は最近良く出ているが、その中でも読みやすい本であった。行動経済学というのは、Misesの考え方とも比較的に近いと考えられている。
考えてみればカーネマンらが、簡単な心理テストを行って人々の心理からくる行動バイアスと、経済学的に合理的な行動との大きなずれを実証したのは割と最近のことというのが不思議な位だ。経済学は長らく数学的応用技術におぼれて理論の大前提となる現実の人間の行動を一切実証してこなかったわけだ。ようやく理論と現実の接点がつかめるようになったということだろうか。
そもそも、このように人間行動学として経済現象をとらえようとするのが、MisesのPraxeologyの本質といえるだろう。そういう意味では、カーネマンよりもオーストリアンがこの分野をもっと早くに開拓しているべきだったように思う。

この本でも出てくるが、フランクナイトの言うところのRiskとUncertaintyの違いというのが、オーストリアンにとって極めて重要な概念である。Riskとは通常、calculable riskを意味し、それは正規分布の標準偏差を意味する。それに対し、Uncertaintyとは、計量化できないものである。calculable riskはコントロールできるが、Uncertaintyはできない。(ちなみにこれは、Uncertaintyが非正規分布だとかいう話とも違う。)そして、I.Kirznerのいうアントレプレナーとは、このuncertaintyへ向かう人間のことである。

話をもどすと、結局、未来のことについて確実なことは誰にも分からないのが真実である。
人間行動なくして、株式相場が動くはずがなく、その人間行動とは統計・確率的な意味で合理的ではないから、短期の動きである投機相場そのものは、予測ができない。
(もし、未来がcalculable riskだけなら合理的に行動することもできるだろう。全てを機械取引にすればいいだけだ。)
だが、長期的にはその会社が作り出す価値、ファンダメンタルズに回帰していく。もちろん株価は現在のファンダメンタルズではなく未来のそれに従うわけだ。バフェットは経営者と実際に会ったりしその人間の資質を見定めてから投資するそうだが、これは単純にみえるが難しいだろう。
だから投機(speculation)でなく投資(investment)をすべし。というウォーレン バフェットもしくはその師匠であるベンジャミン グレアムの教える言葉が、単純かつ実は難しい真実だということになる。

そういう意味でやはり日本市場はあまり中長期的にみてうまみのある市場とは思えない。日本のgrowth problemはいまだ解決されていないし、解決の糸口もみえない。既に一人当たりGNPは14位、金融センターランキングでは10位という。特に今後の国際競争の勝負所となる、情報、金融ではダメダメの状態だ。金融庁を筆頭とする官僚機構、司法機構というとてつもないお荷物を抱えている限り、日本のgrowth problemは永遠に解決できないだろう。あるレベル以上に落ち込んだら、挽回はできなくなるし今の世界の変化スピードからすればここ10年が勝負どころだろうが、日本はほとんど鎖国しているような感がある。
ところで私は近く中国にでも写真をとりがてら視察旅行に行ってみようと思っている。

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2006年09月03日

Praxeology and Behavioral Finance

[http://www.mises.org/story/771]

The Assault on Mathematical Economics

By Christopher Mayer



”While behaviorists have led the charge against the mathematical economics of EMH, Austrian economics has also played a critical role in demolishing the premise of neoclassical economics. Austrian economics (‘praxeology’) deals with human action as its ultimate given. Austrians deal with concrete value judgments and human actions. These actions are always "rational" in the sense that they satisfy some want or desire in the acting human. Grounded as they are in the reality of human action, the theories of Austrian economics are valid for every human action without regard to its underlying motives or causes. Therefore, there is no tension between behaviorists and Austrians such as exists between behaviorists and EMH advocates or between Austrians and EMH advocates. ・・・”





先日「ネット株の心理学」(小幡積 著)という本を読んだのだが、これはBehavioral Financeの理論をネット株について説明した本である。

面白い本であった。これを読むと自分もデイトレードでも始めようかという気になる。



作者の小幡氏は東大経済学部を主席で卒業した秀才らしい。まだまだ日本ではBehavioral Financeは邪道扱いされているらしいが、小幡氏はさすがに優秀で目の付け所がよいのだろう。この分野はこれから発展しそうだ。

自分自身のBlogでも自分のデイトレードについて書いている。

[http://blog.livedoor.jp/sobata2005/]



この本を読んで、まさにこれは人間行動学=Praxeologyに近いと思って検索したところ、以上のMisesInstituteの解説を見つけた。

オーストリアン経済学とこのBehavioral Financeは親和性が高いと認めた文章である。



しかし、今の株式市場は検察による楽天とかIT系企業への第2弾、第三弾の摘発の可能性におびえている状態なのではないかという気がする。

こういう状況でこそ、リスクを最小化するデイトレード戦略が有効なのかもしれない。
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2006年03月16日

Austrian Economics in Japan?

Austrian Economics in Japan

An Interview with Hiroyuki Okon, Wakayama University

[http://www.mises.org/journals/aen/aen17_4_1.asp]



ここでインタビューを受けているのは尾近 裕幸氏という国学院の先生だ。

次の著書もあるようだ。

[http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%94%F6%8B%DF%97T%8DK/list.html]

日本でも橋本努とかリバタリアニズムの若い研究者はいるようだが、全体的に地味すぎる。

あまり派手にやっても公務員の職を失いかねないからだろうか?



私の提案としては、誰も読まない論文を書くよりもミーゼスの本を翻訳したりする方がずっと価値があると思うのだが如何だろう。

バスティアやミーゼスの本を翻訳するプロジェクトへの参加を日本のオーストリアン達(何人いるのかしらないが多分50人もいないだろう)に提案したい。



ところでこのインタビューで話しているKatsuichi Yamamotoとは何者か知らん。


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2006年03月03日

Drucker on Corporate Social Responsibility

Drucker on Corporate Social Responsibility

Karen De Coster

[http://blog.mises.org/archives/004754.asp#more]



Oftentimes, Peter Drucker's philosophy on business ethics and corporate social responsibility has been misrepresented to attempt to support the modern, Ivy LeagueMBA version of the stakeholder theory. Drucker is most certainly not perfect, but always interesting. Indeed he placed emphasis on normative standards within business practice, introduced the role of the large institutional shareholder in the governance of today's publicly held businesses, and defined business people as converting consumer wants into "effective demand" though his definition of the "purpose of business" is clearly based on the suppositions of Say's Law. But he understood utility as used by the Austrians. He could be quite confused in regards to economics.



As pertains to some of his work on the social responsibility objectives of the corporation, Drucker notes that business must, before anything else, conform to the wishes of consumers in the marketplace. Thus, in his own words, Drucker mirrors Mises's thoughts of the sovereignty of the consumer in economic matters. Mises says, in Bureaucracy:



The capitalist system of production is an economic democracy in which every penny gives a right to vote. The consumers are the sovereign people. The capitalists, the entrepreneurs, and the farmers are the peoples mandatories.



...The real bosses, in the capitalist system of market economy, are the consumers.






In Frontiers of Management (1986), Drucker maintained:



the first responsibility of business is to make enough profit to cover the costs for the future. If this social responsibility is not met, no other social responsibility can be met....the proper social responsibility of business ….is to turn a social problem into economic opportunity and economic benefit, into productive capacity, into human competence, into wellpaid jobs, and into wealth.



Consequently, Drucker defends the concept of corporate social responsibility, but only as a planned wealth endeavor that is profitable for shareholders, and not on the basis of the distorted view of social responsibilty that revolves around the stakeholder concept. Says he:



That such objectives (social responsibility objectives) need to be built into the strategy of a business, rather than merely be statements of good intentions, needs to be stressed here. Those are objectives that are needed not because the manager has a responsibility to society. They are needed because the manager has a responsibility to the enterprise.



Drucker criticized the antisovereign businessstakeholder body politic as advocates of unlimited social responsibility. He applauded Ralph Nadar for pressing corporations to take responsibility for product safety and quality, and in fact considered such noncoercive actions (persuasion) to be entirely legitimate. On Nadar he added:



But Nadar demands above all, that big business assume responsibility in a multitude of areas beyond products and services.



...Management must resist responsibility for a social problem that would compromise or impair the performance capacity of its business. It must resist when demand goes beyond the institution's competence. It must resist when responsibility would, in fact, be illegitimate authority.





As to economics, Drucker was a mixed bag, and could be very discombobulated concerning his use of terminology and theory.



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以上は、MisesBlogからの引用。

リバタリアンからみたこのドラッカーの評価は的確だと思う。

私のドラッカーへの印象もこんな感じだ。



ドラッカーはその独断的口調の洞察が鋭くて面白いが、良いにせよ悪いにせよ理論的、体系的ではあまりなかった。

#しかし、それは敢えてそうだったのだとは思う。ドラッカーは学者ではなく思想家として発言していたのだろう。



日本ではミーゼスがほとんど全く読まれていないのは問題だ。

ミーゼスの英語は非常に読みやすいし、丸ごとPDFで主要な著書がMises Instituteで公開されているからぜひ読むことを推薦する。

ここでも引用されているBureaucracyという本はあまり厚くもないのでまず手始めに読むのにいい。



ミーゼスはドラッカーよりも思想家としてははるかに重要な存在であるが、その理解は当然決して容易ではない。しかしミーゼスから読んでいかないと、オーストリアンの主張はなかなかわからないと思う。
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2005年03月26日

Mises and Bastiat on How Democracy Goes Wrong

Mises and Bastiat on How Democracy Goes Wrong by Bryan Caplan

November 3, 2003

[http://www.econlib.org/library/Columns/y2003/CaplanMises.html]
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2005年03月16日

Cause and Effect and Human Action

需給曲線(DemandSupply Curve)をみるとき、需給と価格は、どちらかが原因で、どちらかが結果という風にも見えるが、ランズバーグはそれは間違いだとする。

需給は価格という結果をもたらし、また同時に、価格が需給をもたらす。

これは、同時かつ相互的であるために、どちらが原因で、どちらが結果とは言えない。

需給と価格は、どちらも原因であり同時に結果である。

これは因果論的には無意味である。そこで、ランズバーグは、この需給曲線そのものが、市場過程をドライブする、数学的=非人間的な実体であると考える。

価格は人間にとって所与のものでしかなく、人間はそれを操作できない。

だが、ミージアン(Mesian)は、この解釈を否定する。

価格も需給も、人間の活動(HumanAction)の結果である。人間がより環境をよくしようと努力する結果なのである。

つまり、HumanActionこそが原因であり、需給曲線はその結果だとする。

ミーゼスもしくはミージアンのPraxeology(プラクセオロジー)における<HumanAction>とは、こういう根源的なものを意味しているようだ。
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2004年10月16日

Praxeology

Roderick T. LongのPraxeologyのサイト

[http://www.praxeology.net/praxeo.htm]



以下にロデリックT.ロングによるプラクセオロジーの解説を載せておく。

これは、機械翻訳に簡単に手を入れただけのものだが、大体意味は

通じると思う。本文(上のURLのTopにある)を参照されたし。





一体、プラクセオロジーとは何なのか?



人間行動学は、演繹的に把握することができる人間の行動のそれらの面の研究である;言い換えると、それは概念上の分析そして、嗜好、選択の余地、手段目的スキーム、その他の論理的含意に関わる。



 

人間行動学の基本的原則はギリシアの哲人によって最初に発見された。そして、その人はeudaimonisticな倫理学の基礎として彼らを利用した。このアプローチはScholasticsによってさらに展開された。そして、その人は同様にpraxeologicalな分析を経済学そして、社会科学の基礎まで広げた。

 

19世紀後期に、経済学そして、社会科学へのpraxeologicalなアプローチは、カール・メンガー(オーストリア人学校の創設者)によって再発見された。人間行動学という言葉は、後のオーストリアの経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(左の肖像)によって、最初にこのアプローチに適用された。彼の学生(フリードリヒ・ハイエクそして、マレイRothbardを含む)と一緒に、ミーゼスは非常に既存の経済そして、社会的理論が概念的に首尾一貫しなかったことを示すために、praxeologicalな原則を使用した。

 

ミーゼスとは独立に、彼らがその語を使用しなかったけれども、普通の言語伝統 ― ルートビヒ・ウィトゲンシュタイン、J. L.オースティンそして、エリザベス・アンスクームの様に ― の分析哲学者はまた、praxeologicalな理論に対する貢献をしていた。

 

Praxeology.netは、ギリシアのそして、Scholastic哲学、オーストリアの経済学そして、普通の言語伝統のいろいろなpraxeologicalな洞察の統合に捧げられる。
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2004年04月11日

Don\'t Forget Mises -- and Dump the Third Way!

[http://www.cato.org/dailys/041004.html]



Don\'t Forget Mises and Dump the Third Way!

by Michael Chapman



F.A. Hayek\'s contribution to freedom in the 20th century is incalculable. Yet so is that of his onetime teacher, Ludwig von Mises. The latter, in 1920, predicted the eventual collapse of the Soviet Union because of its lack of private property and a market to determine prices. This was detailed in his book of that year, \"Socialism.\"



In his later, extensive writings on government interventionism, Mises explained the inherent failings in what is today called the Third Way a deadly idea that has infected the politics and economies of Asia, Europe and the United States.


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2004年03月14日

Omnipotent Government

Omnipotent Government:

The Rise of the Total State and Total War

by Ludwig von Mises (1944)

[http://www.mises.org/etexts/mises/og.asp]



This remarkable treatise on Nazism and the total state was published by Yale University (New Haven, CT) in 1944 and reprinted by Arlington House (New Rochelle, NY) in 1969. It is now published by the Libertarian Press (Grove City, PA) and available from the Mises Institute\'s catalog ($11 for paperback). Selected reviews below.



The entire text is made available here only through a leasing arrangement with Libertarian Press that is renewed on an annual basis at a fee. To support the continued availability of this text and others at no charge, please contribute to the Mises Institute\'s work.
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2003年11月29日

Mises  on Laissez faire

\"The alternative is not plan or no plan. The question is whose planning? Should each member of society plan for himself, or should a benevolent government alone plan for them all?\" (1966, p.731)
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2003年08月30日

ミーゼスの著作リンク集

リンク集

ミーゼスの膨大な著作がDL可能
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Human Action

HumanAction

Misesの大著”HumanAction\"の完全版がpdfファイルでDL可能

重いので注意
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