2009年06月10日

The road to hell is paved with the common good

先に引用したとおり、ミルトン フリードマンもハイエクのように政府の規制権力を抑えるには、constitutionalな制限を作るのが一番現実的で包括的な策だと考えていた。しかし、同時にこのアイデアも極めて実現困難であることは分かっていた。
しかし、ミルトンフリードマンたちが幸運であったのは、レーガン政権が誕生したことだろう。
これによって、アメリカのベクトルがかなり変化したのは間違いない事実で、フリードマンたちの運動が貢献した部分も大きかった。レーガン政権が誕生したのは1981年で「選択の自由」が出版された翌年である。さらにレーガンはレーンキストをタイムリーに連邦最高裁のchief justiceに任命することもできたし、まさに自由主義にとって波に乗っていた黄金時代であった。

20世紀の共産主義は、まさに悪夢であり狂気そのものであった。共産主義的なるものがいまだに人類の敵であることは変わりない。では共産主義の本質はなにかというと、それは生産様式であるとか平等思想であるとかいった説明もあるが、アインランドの洞察ではその本質は「公益」(the common good)という言葉に象徴される何かであった。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるが、この「善意」に相当するものがまさに「公益」である。
この洞察から、ランドはエゴイズムという公益概念の反対概念をアンチテーゼとして取り上げ、エゴイズムそのものに価値を見出そうとした。

自由な状態で人間は基本的に自由にエゴイズムに則り自由に活動する。逆にエゴイズムが当然とみなされるのは自由な状態にあるときだけで、自由が失われたときエゴイズムも自明でなくなる。つまり自由とエゴイズムは社会的に消極的な自由が実現されている時にのみ追求できるものといえる。

今後、共産主義が全面的に復活することはおそらくないと思うが(すくなくとも先進国ではないだろう)、いまだに「公益」という概念は政府組織の中心的なイデオロギーとして残っている。またこの概念が批判されることはまずない。
だが、この「公益」概念が真に否定されないかぎり、”共産主義的なるもの”は形を変えて現れるだろう。
それと同時にエゴイズムという言葉の意味が肯定的に捉えられるようにならない限り、自由は「公益」より貶められた概念としてありつづけることになる。そして八百長多数派が公益という言葉を悪用し続けるのは確実だ。実際、現在の世界は1947年の時よりもより社会主義的なのだ。「公益」という言葉は、個人に対する絶対的な集団同調圧力として利用されてきた。昨今コンプライアンスキャンペーンが集団同調圧力を高めるために行われている現状からしても、今は露骨に全体主義的な統制に向かっている。

ジョンマクミランのような学者がリバタリアニズムを否定するとき、リバタリアンとしてあげられているのがランドしかいないのは示唆的だ。mechanism designのような制度設計として政策効率を考えるときにベースとなるのが社会全体の便益というある種の「公益」概念だからだろう。
だが、これはランドの公益概念とは異なるかもしれない。
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2008年12月24日

Red Swan

 No amount of observations of white swans can allow the inference that all swans are white, but the observation of a single black swan is sufficient to refute that conclusion." -David Hume
(訳)白いスワンをいくら沢山見たところで、全てのスワンが白いという推論は成り立たない。
しかし、たった一匹の黒いスワンをみれば、この推論は間違っていると言うことができる。

これはタレブーの「ブラックスワン」のタイトルの由来にもなっているヒュームの言葉だが、これは背理法を説明したものだ。
さらに一匹の黒いスワンをみつけたところで、スワンの色には黒と白しかないといった結論にはならない。もしかしたら赤いスワンや青いスワンもいるかもしれない。

では、"Red Swan exists"=赤いスワンがいる(だろう)という推論(=命題)はどうか?赤いスワンをみつければこの命題を立証できるが、一方でこの命題を否定することもできないし、反証もできない。
つまり、これは背理法によっては否定できない命題で、この命題には、赤いスワンがいることをポジティブに立証することしかできない。赤いスワンがいないことは立証できない。
#ちなみに、地球上の全てのスワンを捕まえれば反証できると考えるかもしれないが、それはヒュームのブラックスワンの例と同じで、1匹の反証を見つけることで覆されてしまう。つまり、どんなに沢山のスワンを捕まえてもそれが全てだという推論=主張はできない。


ランドのオブジェクティビズムにおける、”A exists" または "Existence exists"という命題は、このRed Swan existsと同様に立証は可能かもしれないが、反証も否定も不可能な命題と思われる。
私はランドのオブジェクティビズムに詳しくはないが、アインランドのオブジェクティビズム(Objectivism)では、このExistence existsを第1命題としているのは有名だ。この命題がランドのいう客観性(objectivity)の意味で、いわゆる科学的客観性とは意味が異なる。
宗教で”God exists”とは、”A exists"と同様に否定も反証もできない存在命題と考えられる。
ランドのObjectivismは(似非)宗教的なものだろうと、悪口をいわれたりしているわけだ。
#しかしこれは、左派からのいちゃもん的な批判にすぎない場合が多いだろう。
ここで、ランドは存在論から入り、A existsを立証する人間の行為を人間行動のポジティブな原理として考えているように思われる。
そして、このAとは、観念的な概念というより、物質的なイメージが強い。

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2008年12月21日

The fallacies of common good

ランドのThe only path to tomorrowというエッセイは、公益概念を積極的に否定したものだ。
公益=the common goodとは、社会全体の利益、公共の利益、社会共通の利益といった意味だが、ランドの個人主義=individualismとは、この公益概念を積極的に否定することから始まっている。
この最も基本となる点をちゃんと理解しなければ、ランドもリバタリアニズムも全く理解することはできない。
リバタリアニズムと社会主義との違いもわからないだろう。そもそも日本人でちゃんと分かっている人間が何人いるのだろうか?
このランドの短いエッセイはじっくりと読む価値がある。ここにランドの主張の全てが書かれているといって過言ではないと思う。
The only path to tomorrow 原文 http://fare.tunes.org/liberty/library/toptt.html
翻訳 http://libertarian.up.seesaa.net/image/onlypath.pdf

経済学は集計的な概念を扱うから、社会全体の利益といったものを暗黙の前提にしている。
この発想は、イースタリーのような発展途上国の経済発展問題に関わる人間にもみられる。
しかし、全体=社会は問題にも目的にもならず、目的にしてもならず、社会の唯一の目的となるのは個人であり個人的価値のみとするのが、リバタリアン的な考えの基本といえる。驚くべきことにこのような先進的な考えがアメリカのconstitutionalismの精神でもある。

個人主義は、集散主義的(collectivism)前提とは対極にあるが、人間社会においては全体主義の方が個人主義よりも古い伝統かもしれない。公益とは社会的価値そのものであり、社会的な価値こそが唯一の価値であり倫理だといった考えは、今でもほとんどの人間が抱いている前提だろう。多くの人間にとって社会的な価値を追求することと名誉や名声を求めることは同じ行為に違いない。別にそのような考え自体は悪いことではない。その人間が自分で思っているだけなら無害だ。それは通俗的、俗物的な価値の代表的なものにすぎない。おそらく、このような価値観は政治的人間の本能かもしれない。
だが、これを一般化することば、目的と手段の根本的な転倒を起こすことになる。このような主客転倒した論理がナショナリズムであり集散主義、全体主義であり社会主義の論理の前提となっているわけだ。

個人主義には個人の最適化(部分最適?)が、全体最適になるといった前提も含んではいない。全体最適とはいったい何の最適化か。経済学者はそれを富の最大化と考えたりする。だが、これも一面的だろう。個人の価値観が多様であれば、個人の価値の追求は、様々な価値、嗜好の追求であり、全体性を一切もたない以上、個人の最適化が全体最適化になるはずもない。
だが消極的な概念としての個人の自由を確保する前提があれば、各人は自分の価値を自由に追求できる。他人の価値に従属させられないことが、個人の価値追求にとってはきわめて重要な条件になるわけだ。このような自分の価値を追求する人間がActive manであり、自分の価値を追求することが、Egoismである。だからエゴイズムとは極めて重要な倫理なのだ。これを通俗的な意味で自分勝手と考えてはならない。リバタリアンはこの点に関して、他者に対する不利益行為をしないことを重要な行動規範としているわけだ。
そして自分で追求しようとする価値を持たない人間がPassive manだ。こういった人間は社会的価値を追求する。こういったpassive manはpolitical manつまり政治的な人間であり、社会を公益といった共通利益なる概念で他者を強制し、しいては社会を支配しようとする。

このランドの考えは、リバタリアニズムを理解する上で基本中の基本だ。これがわからなければ、リバタリアニズムもハイエクもミーゼスもオーストリアンも何も理解できないと断言できる。なぜなら、この点に関して意見の不一致は自由主義者の間にないはずだからだ。そして一見単純に思えるだろうが、このポイントは非常に意味深なのだ。

ランドのThe only path to tomorrowを原文でもじっくりと読むことをおすすめする。

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2008年12月14日

Marx or Rand?

池田信夫さんのBlogで、アインランドの適当な批判を書いている。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/48dce1587ade7a9197faa026eb857692
読んだこともないものを、適当な要約をどこからか拾ってきて一知半解な知識で、幼稚であるとかいうのはいかがなものだろう。月に200万PVを誇るblogで書かれると、こういう適当な解釈が広まるから困ったものだ。

いちいち、こういうアホな誤解につきあっていたら時間がもったいないが、私の右のリンクにある翻訳したランドのエッセイでも読めば、ランドがそのように考えていたわけでもなく、こういったばからしい批判は成り立たないことが分かるだろう。

ランドの客観主義というのは、利己主義の追求がそのまま社会全体の利益になるので、生命や財産権の保護などの「夜警国家」以外の政府の機能は廃絶すべきだという思想だ。

そもそもランドは、社会全体の利益など問題にはしていない。

これは社会哲学としては幼稚なものだが、いま起きている変化がレーガン以来の「小さな政府の30年」から次の「大きな政府の30年」への移行だとすれば、その方向を考えるベンチマークとしては役に立つ。

こういうレーガン=グリーンスパン=ランドという、めちゃくちゃな括りでおおざっぱなことを言っても何のベンチマークにはならない。

ランドのいう利己主義とは、勝手気ままな行動ではなく、個人が社会全体の利益を内面化し、卑劣な行動によってreputationを傷つけるコストまで勘案して行動することだ。

いったい、どこの受け入りでそんなことを言っているのだろう?

しかし個人の利益最大化の集計が経済全体の効率最大化になるという彼女の主張が成り立つためには、経済学でいえば社会的な外部性を個人が100%内部化していなければならない。

たとえば、ランドのActive man とPassive manの分類がある。参照→The only path to tomorrow http://libertarian.up.seesaa.net/image/optt.htm
ようするにランドは、Active manが自由に活動できる自由を社会が抑圧してしまえば、Active manがだめになり、その結果として社会の大多数であるPassive manも駄目になると言っているのである。
私もこれは真実だろうと思う。

しかし日本で50を過ぎた人間が、リバタリアニズムを学ぼうとしても、それまで散々に左派の本を読みあさってきているから、そちらのサンクコストが大きすぎ、新しいことを学ぶにもそちらの文脈からしか理解できなくなってしまうのだろう。
先のポストのMarx or Misesで書いたのと同様に、池田さんのリバタリアニズムやオーストリアンの理解は笠井潔と似たり寄ったりなのかもしれない。


とはいえ、池田さんは、日本の経済学者の中では、野口悠紀雄氏よりは”極左”に属する人だろうから、”極右”相手に頑張ってほしいと私は思っているのだ。
 
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2006年02月18日

The only path to tomorrow

アインランドの”The only path to tomorrow”(明日への唯一つの道)というエッセイの私の拙訳をHTMLにし、左のブックマークにLinkを付けておいた。



[http://www.geocities.jp/kyuurinona/optt.htm]



このエッセイは短いが、アインランドのエッセイの中でも彼女の思いが良く表現されたものだと私は思う。



The Fountainhead が1943年の作品で、Atlas shruggedが1957年の作品であるが、このエッセイはThe fountainheadが出た直ぐ後の1944年にリーダースダイジェストに発表された。

おそらくこの時期はランドの思想が形成されつつある時期だ。



このエッセイに書かれたランドの個人主義=Individualismこそがランドの思想的なエッセンスだと思う。

このランドのエッセイに対して何も感じるところのない人間はもともとリバタリアニズムには向かない人間だろう。




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2005年02月03日

Ayn Rand's Contribution to the Cause of Freedom

Ayn Rand's Contribution to the Cause of Freedom

by Roderick T. Long

[http://www.mises.org/fullstory.aspx?control=1738]



2月2日はアインランドの誕生日だったそうだ。

上記カラムはロデリック T. ロングによるランドへの客観的評価である。

ランドをどう見るかという点では、プラクセオロジーからの評価が重要だ。

Roderick T. Longは、MiseanでありPraxeologyのHPを持っている。

ミーゼスからランドへ宛てた手紙のpdfも、以下でDLできる。

[http://www.mises.org/etexts/misesatlas.pdf]



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2005年01月30日

Ayn Rand Biographical FAQ

[http://www.noblesoul.com/orc/bio/biofaq.html#Q5.2.7]



This FAQ addresses frequently asked biographical questions about Ayn Rand. These questions include inquiries that have been made to the ORC, issues raised on newsgroups and email lists, and ideas suggested by readers of earlier versions of this FAQ.
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2004年07月17日

The Only Path to Tomorrowのラフな訳

Readers Digestに1944年に発表されたアインランドのエッセイ



The Only Path to Tomorrow



人類そして、文明に対する最大の脅威は、全体主義哲学の広がりである。

全体主義哲学の発展を最も助ける行為は、その支持者の献身によるものではなく,全体主義の敵がなんであるかを混同することにある。



全体主義と戦うためには、我々は敵を理解しなければならない。

全体主義は、集産主義である。

集産主義は、グループに対する個人の服従を意味する

そのグループとは、民族、階級、国家を問わない。

集産主義は、人間がいわゆる「公益」のために集団行動と集団的思考に鎖でつながれなければならないと考える。



歴史を通して、圧制者は「公益」を代表すると主張することなく決して権力を得ることはなかった。

ナポレオンは、フランスの「公益に奉仕した」。

ヒトラーは、ドイツの「公益に奉仕している」。



自分の行動に、利己的な動機があるとは、考えようとしないのには恐怖感があり、その感覚は利他主義者が明白な意図をもって引き起こしているものである。利他主義者は、公益によって自分達を正当化する。

圧制者は、武器のみによっては、その権力を長く維持することは出来なかった。

人間は、主に精神的な武器によって隷属させられてきたのである。

そして、このうち最大のものは、個人を超越する国の主権が公益を構成するとする集産主義的な教義である。



もし人間が神聖な信仰として、人間には不可譲の権利があり、その権利はいかなる理由があろうとも、また、いかなる者からも奪われることはないという信念を持っていれば、独裁者が現れることはない。

それが、どんな人間によっても、悪人によっても、いわゆる後援者によっても奪われないという確信があれば。



これは集産主義に対する個人主義の基本的信条である。

個人主義では、人間とは、お互いを平等に対処する社会の中で彼自身の幸せを追求する不可譲の権利をもつ独立した実体であると考える。



アメリカのシステムは、個人主義に基づいている。

もし個人主義が生き残るべきものであるならば、我々は個人主義の原則を理解しなければならないし、また我々が向き合うあらゆる問題において、いかなる公共の問題に対しても、その基準となるものとして考えなければならない。

我々には、ポジティブな信条、はっきりした一貫した信念がなければならない。



個々人の権利の廃止が公益に資するという考えを、完全に邪悪な考えとして拒絶しなければならない。

社会全体の幸福が、社会全体の苦しみや、自己犠牲から生まれることはありえない。

唯一の幸福な社会とは、幸福な個人たちからなる社会の一つである。

人は、腐った木からなる健康的な森を持つことはできない。

社会の力は、個人に備わる基本的また奪うことのできない権利によって、常に制限されなければならない。

自由の権利とは、個人の行動への権利、個人の選択への権利、個人の主体性そして、個人の財産に対する人間の権利を意味する。

私有財産に対する権利なしでは、独立した行動は可能でない。



幸福を追求する権利とは、人が自分のために生きるという権利を意味する。

自分自身のプライベートな個人的な幸福を選択し、その達成に向けて働くということだ。



各々の個人は、唯一人のこの選択をして、また最終的に判断する者である。

人間の幸せは、他の個人によっても、自分以外の団体によっても規定されることはありえない。

これらの権利は、全ての人間に備わる無条件かつ一身上の、私的にして個人的な所有物であり、ただこの世に生まれたという事実のみにより、他のいかなる認可も必要とせずに、人間に与えられるものだ。



そして、このような考えこそが我々の国の創設者の概念だったのだ。建国の父達は個人の権利を、あらゆる集団的要求よりも上位のものとして位置づけた。

社会には、人間関係におけるお互いの交わりの交通巡査のような役割があるだけである。



歴史の始まりから、2種類の人間が敵対者として向かい合ってきた。まったく正反対のタイプの人間がいた。それはActiveな人間と、Passiveな人間だ。



Active Manは、製作者、クリエーター、創設者、個人主義者である。

彼に基本的に必要となるものは、考え、働くための独立性である。



彼は、人間に対する支配力を必要ともしなければ、求めもしない。また、彼をどんな形であろうと強制の下で働かせることはできない。

あらゆる種類のよい仕事は、レンガを積むことから、シンフォニーを書くことにいたるまで、Active Manによってなされる。

人間の能力の程度は異なる。しかし、基本的原則は同じである。人間の独立と主体性の程度が、人間としての彼の価値、労働者としての才能を決定する。



Passive Manは社会のあらゆる階層の中におり、大邸宅の中でも、またスラム街でも見つかる。そして、彼を特徴付けるものは、彼が独立を恐れることである。

彼は、他人に大事にされることを期待する寄生体であり、人に従い、服従し、管理されるよう指示命令が自分に下されることを願う。

彼は集産主義を歓迎する。なぜなら集産主義は、彼が自分で考え、自分の主体性でもって行動するあらゆる機会をなくしてくれるからである。



社会がPassive Manの必要に基いて作られるとき、それはActiveManを破壊する。

しかし、ActiveManが破壊されてしまえば、PassiveManはもはや誰にも面倒を見てもらうことができない。

そして社会がActive Manの必要に基づいて作られるとき、彼はPassiveManを、彼の力で導くことができ、また彼が立ち上がることで、passiveManとさらに社会全体を立ち上がらせることができるのだ。



これは、つねに人間の進歩のパターンであった。

一部の人道主義者は、役立たずや、Passive Manに対する哀れみから、集産主義体制を要求する。

彼らのために、Active Manを抑制したいと思う。

しかし、Active Manは、人に抑圧されるともはや機能できない。

そして、一旦彼が滅ぼされれば、Passive Manの破滅が必然的にあとに続く。

哀れみが人道主義者の第一要件であるとするなら、その哀れみの名において、PassiveManを助けるためにも、Active Manが自由にし活躍できるようにしておかなければならない。



長い目で見ればPassiveManを助けるには他のいかなる方法もない。

人類の歴史は、Active ManとPassiveManの争いの歴史である。つまり、個人と集団との争いである。



最も幸せな人間と最も高い生活水準を作り出した国、そして、最も大きな文化的な前進があった国は、政府の集団的権力が制限された所であったし、個人に独立した行動の自由を与えられたところであった。



例を挙げよう。

ローマの勃興は、当時の集産主義的な野蛮性に対して、市民の権利に基づく法律概念があったことによる。



イングランドの勃興においては、集産主義的な、全体主義スペインに対し、マグナ・カルタに基づく行政制度を持っていた。



歴史上、比類のないほどの合衆国の勃興は、その憲法により、集団に対してではなく、市民の一人一人に対して与えられた、個人の自由と独立性によるものである。



人が、文明の勃興と没落の原因をまだじっくり考えてる間に、歴史のあらゆるページでは、進歩には一つの源泉しかないことを我々に叫んでいたのだ。



それは、独立した人間による、独立した行動だと。



集産主義は、古代の野蛮性の原則である。

野蛮人の存在の全ては、種族のリーダーによって支配される。

そして文明とは、人間を人間から自由にするプロセスなのだ。



我々は、現在一つの選択に直面している。

前進するのか、後退するかの選択に。



集産主義は、「明日の新秩序」でない。

それは、「昨日のまさに暗黒の秩序」だ。

しかし、「明日の新秩序」は、存在するのだ。

それは、個人的人間(Individual Man)のものである。

彼こそが、人間性(Humanity)が今までに認めてきた、明日の唯一の創造者なのだ。


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2004年06月13日

The Only Path To Tomorrow

[http://fare.tunes.org/liberty/library/toptt.html]

The Only Path To Tomorrow



Ayn Rand





Readers Digest, January 1944, pp. 8890

The greatest threat to mankind and civilization is the spread of the totalitarian philosophy. Its best ally is not the devotion of its followers but the confusion of its enemies. To fight it, we must understand it.



Totalitarianism is collectivism. Collectivism means the subjugation of the individual to a group — whether to a race, class or state does not matter. Collectivism holds that man must be chained to collective action and collective thought for the sake of what is called ``the common good.´´



Throughout history, no tyrant ever rose to power except on the claim of representing ``the common good.´´ Napoleon ``served the common good´´ of France. Hitler is ``serving the common good´´ of Germany. Horrors which no man would dare consider for his own selfish sake are perpetrated with a clear conscience by ``altruists´´ who justify themselves bythe common good.



No tyrant has ever lasted long by force of arms alone. Men have been enslaved primarily by spiritual weapons. And the greatest of these is the collectivist doctrine that the supremacy of the state over the individual constitutes the common good. No dictator could rise if men held as a sacred faith the conviction that they have inalienable rights of which they cannot be deprived for any cause whatsoever, by any man whatsoever, neither by evildoer nor supposed benefactor.



This is the basic tenet of individualism, as opposed to collectivism. Individualism holds that man is an independent entity with an inalienable right to the pursuit of his own happiness in a society where men deal with one another as equals.



The American system is founded on individualism. If it is to survive, we must understand the principles of individualism and hold them as our standard in any public question, in every issue we face. We must have a positive credo, a clear consistent faith.



We must learn to reject as total evil the conception that the common good is served by the abolition of individual rights. General happiness cannot be created out of general suffering and selfimmolation. The only happy society is one of happy individuals. One cannot have a healthy forest made up of rotten trees.



The power of society must always be limited by the basic, inalienable rights of the individual.



The right of liberty means man's right to individual action, individual choice, individual initiative and individual property. Without the right to private property no independent action is possible.



The right to the pursuit of happiness means man's right to live for himself, to choose what constitutes his own, private, personal happiness and to work for its achievement. Each individual is the sole and final judge in this choice. A man's happiness cannot be prescribed to him by another man or by any number of other men.



These rights are the unconditional, personal, private, individual possession of every man, granted to him by the fact of his birth and requiring no other sanction. Such was the conception of the founders of our country, who placed individual rights above any and all collective claims. Society can only be a traffic policeman in the intercourse of men with one another.



From the beginning of history, two antagonists have stood face to face, two opposite types of men: the Active and the Passive. The Active Man is the producer, the creator, the originator, the individualist. His basic need is independence — in order to think and work. He neither needs nor seeks power over other men — nor can he be made to work under any form of compulsion. Every type of good work — from laying bricks to writing a symphony — is done by the Active Man. Degrees of human ability vary, but the basic principle remains the same: the degree of a man's independence and initiative determines his talent as a worker and his worth as a man.



The Passive Man is found on every level of society, in mansions and in slums, and his identification mark is his dread of independence. He is a parasite who expects to be taken care of by others, who wishes to be given directives, to obey, to submit, to be regulated, to be told. He welcomes collectivism, which eliminates any chance that he might have to think or act on his own initiative.



When a society is based on the needs of the Passive Man it destroys the Active; but when the Active is destroyed, the Passive can no longer be cared for. When a society is based on the needs of the Active Man, he carries the Passive ones along on his energy and raises them as he rises, as the whole society rises. This has been the pattern of all human progress.



Some humanitarians demand a collective state because of their pity for the incompetent or Passive Man. For his sake they wish to harness the Active. But the Active Man cannot function in harness. And once he is destroyed, the destruction of the Passive Man follows automatically. So if pity is the humanitarians' first consideration, then in the name of pity, if nothing else, they should leave the Active Man free to function, in order to help the Passive. There is no other way to help him in the long run.



The history of mankind is the history of the struggle between the Active Man and the Passive, between the individual and the collective. The countries which have produced the happiest men, the highest standards of living and the greatest cultural advances have been the countries where the power of the collective — of the government, of the state — was limited and the individual was given freedom of independent action. As examples: The rise of Rome, with its conception of law based on a citizen's rights, over the collectivist barbarism of its time. The rise of England, with a system of government based on the Magna Carta, over collectivist, totalitarian Spain. The rise of the United States to a degree of achievement unequaled in history — by grace of the individual freedom and independence which our Constitution gave each citizen against the collective.



While men are still pondering upon the causes of the rise and fall of civilizations, every page of history cries to us that there is but one source of progress: Individual Man in independent action. Collectivism is the ancient principle of savagery. A savage's whole existence is ruled by the leaders of his tribe. Civilization is the process of setting man free from men.



We are now facing a choice: to go forward or to go back.



Collectivism is not the ``New Order of Tomorrow.´´ It is the order of a very dark yesterday. But there is a New Order of Tomorrow. It belongs to Individual Man — the only creator of any tomorrows humanity has ever been granted.
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2004年05月28日

To All Innocent Fifth Columnists, by Ayn Rand

"To All Innocent Fifth Columnists", by Ayn Rand, 1941.

[http://fare.tunes.org/liberty/library/taifc.html]



これは、アインランドの例のごとくの、アジ演説ぽい文章でおもしろい。

To All Innocent Fifth Columnistsとは、”全ての無自覚な裏切り者たちへ”とでも

訳すのだろうか?

FareさんのHPにあるものである。



The world is a beautiful place and worth fighting for. But not without Freedom. Ayn Rand



お薦め☆☆☆☆☆
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2003年10月25日

Ayn Rand FAQ

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Esseintials of Objectivism

Ayn Rand named her philosophy “Objectivism” and described it as a philosophy for living on earth. Objectivism is an integrated system of thought that defines the abstract principles by which a man must think and act if he is to live the life proper to man. Ayn Rand first portrayed her philosophy in the form of the heroes of her bestselling novels, The Fountainhead (1943) and Atlas Shrugged (1957). She later expressed her philosophy in nonfiction form.

Ayn Rand was once asked if she could present the essence of Objectivism while standing on one foot. Her answer was:



Metaphysics: Objective Reality

Epistemology: Reason

Ethics: Selfinterest

Politics: Capitalism



She then translated those terms into familiar language:



“Nature, to be commanded, must be obeyed.”

“You can’t eat your cake and have it, too.”

“Man is an end in himself.”

“Give me liberty or give me death.”



The basic principles of Objectivism can be summarized as follows:



Metaphysics

“Reality, the external world, exists independent of man’s consciousness, independent of any observer’s knowledge, beliefs, feelings, desires or fears. This means that A is A, that facts are facts, that things are what they are — and that the task of man’s consciousness is to perceive reality, not to create or invent it.” Thus Objectivism rejects any belief in the supernatural — and any claim that individuals or groups create their own reality.



Epistemology

“Man’s reason is fully competent to know the facts of reality. Reason, the conceptual faculty, is the faculty that identifies and integrates the material provided by man’s senses. Reason is man’s only means of acquiring knowledge.” Thus Objectivism rejects mysticism (any acceptance of faith or feeling as a means of knowledge), and it rejects skepticism (the claim that certainty or knowledge is impossible).



Human Nature

Man is a rational being. Reason, as man’s only means of knowledge, is his basic means of survival. But the exercise of reason depends on each individual’s choice. “Man is a being of volitional consciousness.” “That which you call your soul or spirit is your consciousness, and that which you call ‘free will’ is your mind’s freedom to think or not, the only will you have, your only freedom. This is the choice that controls all the choices you make and determines your life and character.”Thus Objectivism rejects any form of determinism, the belief that man is a victim of forces beyond his control (such as God, fate, upbringing, genes, or economic conditions).



Ethics

“Reason is man’s only proper judge of values and his only proper guide to action. The proper standard of ethics is: man’s survival qua man — i.e., that which is required by man’s nature for his survival as a rational being (not his momentary physical survival as a mindless brute). Rationality is man’s basic virtue, and his three fundamental values are: reason, purpose, selfesteem. Man — every man — is an end in himself, not a means to the ends of others; he must live for his own sake, neither sacrificing himself to others nor sacrificing others to himself; he must work for his rational selfinterest, with the achievement of his own happiness as the highest moral purpose of his life.” Thus Objectivism rejects any form of altruism — the claim that morality consists in living for others or for society.



Politics

“The basic social principle of the Objectivist ethics is that no man has the right to seek values from others by means of physical force — i.e., no man or group has the right to initiate the use of physical force against others. Men have the right to use force only in selfdefense and only against those who initiate its use. Men must deal with one another as traders, giving value for value, by free, mutual consent to mutual benefit. The only social system that bars physical force from human relationships is laissezfaire capitalism. Capitalism is a system based on the recognition of individual rights, including property rights, in which the only function of the government is to protect individual rights, i.e., to protect men from those who initiate the use of physical force.” Thus Objectivism rejects any form of collectivism, such as fascism or socialism. It also rejects the current “mixed economy” notion that the government should regulate the economy and redistribute wealth.



Esthetics

“Art is a selective recreation of reality according to an artist’s metaphysical valuejudgments.” The purpose of art is to concretize the artist’s fundamental view of existence. Ayn Rand described her own approach to art as “Romantic Realism”: “I am a Romantic in the sense that I present men as they ought to be. I am Realistic in the sense that I place them here and now and on this earth.” The goal of Ayn Rand’s novels is not didactic but artistic: the projection of an ideal man: “My purpose, first cause and prime mover is the portrayal of Howard Roark or John Galt or Hank Rearden or Francisco d’Anconia as an end in himself — not as a means to any further end.”



[http://www.aynrand.org/objectivism/essentials.html]
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Introducing Objectivism

By Ayn Rand



At a sales conference at Random House, preceding the publication of Atlas Shrugged, one of the book salesmen asked me whether I could present the essence of my philosophy while standing on one foot. I did as follows:



1. Metaphysics: Objective Reality

2. Epistemology: Reason

3. Ethics: Selfinterest

4. Politics: Capitalism



If you want this translated into simple language, it would read: 1. “Nature, to be commanded, must be obeyed” or “Wishing won’t make it so.” 2. “You can’t eat your cake and have it, too.” 3. “Man is an end in himself.” 4. “Give me liberty or give me death.”

If you held these concepts with total consistency, as the base of your convictions, you would have a full philosophical system to guide the course of your life. But to hold them with total consistency — to understand, to define, to prove and to apply them — requires volumes of thought. Which is why philosophy cannot be discussed while standing on one foot — nor while standing on two feet on both sides of every fence. This last is the predominant philosophical position today, particularly in the field of politics.

My philosophy, Objectivism, holds that:

1. Reality exists as an objective absolute — facts are facts, independent of man’s feelings, wishes, hopes or fears.

2. Reason (the faculty which identifies and integrates the material provided by man’s senses) is man’s only means of perceiving reality, his only source of knowledge, his only guide to action, and his basic means of survival.

3. Man — every man — is an end in himself, not the means to the ends of others. He must exist for his own sake, neither sacrificing himself to others nor sacrificing others to himself. The pursuit of his own rational selfinterest and of his own happiness is the highest moral purpose of his life.

4. The ideal politicaleconomic system is laissezfaire capitalism. It is a system where men deal with one another, not as victims and executioners, nor as masters and slaves, but as traders, by free, voluntary exchange to mutual benefit. It is a system where no man may obtain any values from others by resorting to physical force, and no man may initiate the use of physical force against others. The government acts only as a policeman that protects man’s rights; it uses physical force only in retaliation and only against those who initiate its use, such as criminals or foreign invaders. In a system of full capitalism, there should be (but, historically, has not yet been) a complete separation of state and economics, in the same way and for the same reasons as the separation of state and church.



[http://www.aynrand.org/objectivism/io.html]
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2003年08月30日

Anthem

Anthem

アインランドの小説”アンゼム”の英語全文
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オブジェクティビズムのGoogleサーチ

オブジェクティビズム

Googleのディレクトリーサーチ>objectivism

Objectivismとは、アインランドの哲学のことである。
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アインランドへのプレイボーイインタビュー

PLAYBOY INTERVIEW WITH AYN RAND



プレイボーイ誌のアインランドへのインタビューの翻訳

インタビューアーは、若き日のアルビントフラー氏である。
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哲学:誰がそれを必要とするのか?

哲学:誰がそれを必要とするのか?

アインランドの、WestPointでの有名な講演の翻訳



Philosophy: Who Needs It?

上の講演の原文
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