2017年06月23日

キーボードについて その3

キーボードの設定をあれこれしていて、意外にもキーボードという原始的にも思っていたデバイスの仕組みが複雑であることに気づいた。これまでキーボードの仕組みなど考えたこともなかったが、けっこう複雑だ。
また、今のキーボードのデフォルトの使い方では、あまりにも効率が悪い。まあ普通は文句も言わずに与えらえたキーボードをみなさんそのまま使っているわけだが、これほど重要なデバイスが改良もされずに何十年も使われているのはなにかおかしい。いまだにCapsキーなどという無用の長物が一番重要なポジションに陣取ったキーボードが売られているということ自体、なにか不気味である。これをコントロールキーと入れ替えることくらいはやるだろうが、そもそもそんな配列設計のキーボードを売っていることが間違っている。
#マックのキーボードはちゃんとAの横のキーは最初からコントロールキーになっているが。

また最初は私は見た目のすっきりとした英語キーボードがいいと思っていたが、日本語、英語(半角英数)入り交じりの文章と文字を書くことを宿命づけられた日本人としては、やはり日本語キーボードを使った方がなにかと便利である。つまり英語キーボードではキーの数が少なすぎて、日本人には適していないと思う。
特に1段目のスペースキーのある段のキー配列が重要である。

英語キーボードでは、やたらとスペースキーが大きく、スペースキーの左右にはそれぞれ3つくらいしかキーがない奴が多い。だが、この1段目のキーはホームポジションの一部であり、ここに有効な修飾キーがこないといけない。特に親指をいかに活用できるかが重要だ。
その点、Macの日本語キーボードはなかなかよく考えられている。ベストとはいえないが。
私はマックのMBPretinaに外部キーボードをつなげて普段は使っているが、外部キーボードもやはりマックのにした方がいいのかもしれない。

外部キーボードもいろいろとあるが、まだまだ改善の余地はたくさんある。安いのから高いのまで、つまり500円くらいのからhhkの30000円位までのキーボードがあるわけだが、キーボードの使い勝手やカスタマイズ設定はもっと改善の余地がある。つまり、もっと容易に柔軟にキー設定を変更できる仕組みが必要だし、キーボードのキー配列にも改善の余地がある。
今のキーボードは周辺デバイスという位置づけで、キーボードの中に1チップマイコンが入っていて、スキャンコードをPCに送り、あとは全部PC側で処理するバカ端末方式の仕組みと思うが、キーボードをもっとインテリジェントにした方が柔軟性が高まるのではなかろうか。
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2017年06月19日

Google翻訳が進歩している

最近、気づいたのであるがGoogle翻訳がここのところ急激に進歩しているようだ。
これだけ翻訳できれば、下手な人間の翻訳より自然かつ正確かもしれない。これもやはり、AI技術によるものだと想像できる。というか、間違いなくそうだろう。
今のAIの画像認識は驚異的なもので、人間と同じか優っているところもあるだろう。この進歩はまだまだ進むので、将棋同様に人間をすぐに追い抜く。
画像認識というのは、動物の能力の中でも最も不思議で神秘的だと思っていたが、その画像認識が意外なことにコンピューターにとって得意なことになった。
残るは自然言語認識だが、これもあと数年で相当なレベルになりそうだ。
急激にAIの時代になったなと思う。
posted by libertarian at 02:15| 東京 ☁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

キーリマップ2

MacをSierraにしたらkarabinerが動かなくなったが、しかたがないのでMac用のkeyhacで代替した。
色々とキーをリマップしていじってみたが、ほぼ落ち着いてきた。
記号キーのリマップは()=-+'" enterの8つだけ行う。

具体的には、
左シフト+h → (
左シフト+j → =
左シフト+k → )
左シフト+l → -
左シフト+i → +
左シフト+y →  " 
左シフト+u → '
左シフト+n → enter

keyhacはPythonでプログラムするが、取説が非常に分かりにくくて苦労した。w
Windowsに関しては、Autohotkeyで設定すると簡単だ。
Ahkは、いろいろと使い出のあるソフトである。

windowsのAhkの設定ファイルの内容は以下の通り。
<+y::"
<+u::'
<+h::(
<+j::=
<+k::)
<+i::+
<+l::send,-
<+n::enter

この内容をテキストファイルに書いて、拡張子をahkにして保存し、スタートアップフォルダに入れておけば起動時に自動的に読み込まれる。
#ここで、<+は左シフトキーを意味している。右シフトキーなら>+と略記する。例えば、<+y::"だと、左shift-yをダブルクオートにリマップするという表現だ。

要するにプログラムの際に頻繁に使うキーを、ホームポジションの近くにリマップしている。
しかし、記号を全てリマップする必要はあまりないので、上記の頻出する重要な記号キーだけリマップする。
こうすると、かなり快適で、記号を打つ度にホームポジションから離れたキーに指を伸ばさなくて済むので楽だ。
posted by libertarian at 11:00| 東京 ☁| Tech | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

緩衝地帯化する日本 2

3月頃に四月に朝鮮半島で戦争が起こるだろうと書いたが、今のところ戦争は起こっていない。
色々と聞くと、アメリカは現在鋭意準備中のようで、年内には作戦行動があるかもしれないという位の時間感覚かもしれない。
南が極左の親北政権になってしまったので、軍事行動をするとしても、南は日米韓の共同軍事行動からは外さざるを得ない状況となった。
そうしなければ、情報がダダ漏れになるためだ。
実際のところ日本も秘密管理のしくみが法的にないから、ほぼアメリカの単独行動になるのだろう。

時期が長引くとまた状況も変わっていくが、もし軍事行動を起こすとしたら、現在の金体制を完全に潰す結果に持っていく必要がある。そうしなければ、多大のリスクと人的金銭的コストをかける意味がない。
また、短期に収束させないと、今度はチャイナがその間隙をぬって動き始めるだろう。

日本に民進党というチャイニーズを党首に担ぐ、チャイナを支持母体としたトンデモ政党が存在するように、南も北支持と西側支持の政党が混在した状況で、これは緩衝地帯の悲しさというべきか。慰安婦問題も裏では北が主体となって行っている政治工作に過ぎないという見方もある。離間の計というやつだ。
緩衝地帯では明確な国家意思、つまり国防、national securityという意識が消滅してしまうようだ。

しかし、もしアメリカがコストベネフィットを考えて北を放置したら、対馬海峡が新たな38度線になるという話は現実のものとなる。この結果、日本が半島に替わる100%緩衝地帯となる。

緩衝地帯の人間は、自分が緩衝地帯の住民だという意識を持たない。
これは親チャイナの連中もそうは思っていないだろう。
もし、今、北を叩き潰さなければ日本が徐々に100%緩衝地帯となっていく。
すると民進党や共産党のようなチャイナのエージェント政権がどうどうの第2党として、むしろ力を増していくだろう。支持もされてないトンデモ政党が伸びてくるという不思議なことが起こるだろう。

チャイナが日本を侵略しようとしているのは事実だが、アメリカが日本を極東前線基地として駐留している以上、完全な武力侵略は難しく、むしろ時間をかけたソフトな超限戦、つまりは政治、メディア、行政といった面での侵略を強めてくることになるだろう。
日本はこの手の侵略に対抗する法体制を持たないので、そっちのほうが容易だ。
結果、日本は今以上の緩衝地帯、米中の100%緩衝地帯となる可能性が高い。

しかし、そうなると日本も惨めなもので、半島やウクライナのような地帯になってしまうことになる。
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2017年05月29日

ベトナム戦争

ベトナム戦争は私の子供の頃にあった。ベトナム戦争は1963年のアメリカ参戦から1972年のアメリカ撤退まででも約10年も続いた戦争であり、子供のころのニュースはベトナム戦争にあふれていた。当時、ベトナム戦争の状況は連日テレビや新聞で詳細に報道されていたが、私には全く何をやっているのか理解できなかった。学校の教師に聞いたこともあったが、教師も何も理解していなかった。
小学生の私が質問したのは1点で「つまるところ何で戦争しているのか?」という素朴な疑問であったが、教師はそれを理解してなかったようで、納得いく回答はなかった。
そのうち、ベトナム戦争は終わり、世の中はヒッピーやロック全盛期であったが、戦争は悪いものだという反戦、厭戦気分だけはなんとなく自分も共有していた。だが、ベトナム戦争とは何だったのかはその後も謎のままだった。
このなにがなんだか全くわからん状況はおそらく子供だけでなく老若男女の日本人のほぼ全員に共通していたものだろう。報道する側も、それを読む側も何も分からなかったし、今も分かっていないわけだ。
カンボジアにしても同様である。

しかし、ベトナム戦争の意味を今の段階で、ちゃんと理解しておくことは大事なことだろう。
ベトナム戦争は、アメリカが参戦する前から、大東亜戦争の後に連なっておきた民族独立戦争から続いた戦争であり、日本もこれに大きく関係している。
ベトナム戦争は、アメリカ参戦から考えては、わからないわけだ。
アメリカは、ホーチミン政権を共産主義イデオロギーの拡大としてみて、反共の旗の下に阻止しようとしたのだが、実際は大東亜戦争終結頃からはじまる民族解放戦争という色彩がベトナム戦争に関しては強かった。
ベトナム人にゲリラ戦を仕込んだのも大日本帝国軍人だった。彼らは戦後、ベトナムに残留し、ベトナムがフランスからの独立戦争を戦えるようにゲリラ戦を教え、また、ともに戦った。
ベトナム戦争では、ソ連やチャイナがバックにあると考えられていたが、実際はチャイナとベトナムはその当時から対立しており、チャイナはソ連の物資供給を妨害しまくっていたようだ。アメリカはこういうアジアの歴史を全く理解していなかったらしい。

posted by libertarian at 01:58| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拡散するIS

ニュースによるとフィリピンにISの勢力が拡大し、ひどい状態になっているようだ。
事態を重く見て戒厳令がひかれているようだが、シリアのISを潰したことで、ISは拡散して世界各地でテロを頻発させる作戦に移ったのだろう。アジアではフィリピンだけでなく、イスラム教徒の多いインドネシア辺りも危ない。
フィリピンやインドネシアに過激なIS支持組織があるというのは、前々から指摘されていたが、それが勢力を拡大してきたわけだ。
日本もフィリピンやインドネシア辺りから入国してくる人間には注意をしないと、日本国内でのテロも起こりうるだろう。ISは前々から日本もターゲットだと公言しているからだ。

こうなってくると、海外旅行も危ない地域ばかりになってきて、アジアもヨーロッパもちょっと行く気がしない。
せめて日本国内は安全に旅行を楽しめる状態を維持してほしいものだ。
しかし、日本のテロ対策は全くできていないようだ。
このままだと、東京オリンピックはほんとに危険なことになりかねない。
しかし、小池百合子が共産党に完全に飲み込まれたようで、困ったものだ。小池がこれほどのバカだったとは知らなかった。小池は、法律も行政も何も知らないただの婆さんなのであろう。
こうなると、舛添の方がまだましだったのではないかと思うが、後の祭りである。
posted by libertarian at 00:59| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

現代の疎外論 w

「仕事なんか生きがいにするな」という本をざっと読んだ。
著者は泉谷閑示という精神科医で、次のネット記事を見て少し興味を持ったためである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/030200240/

泉谷:そうなんです。しかし面白いことに、インド・ヨーロッパ語族の言語も7世紀くらいまでは、やはり日本語と同じように主語というものはなかったのだそうです。しかし、そのうち動詞の活用が始まり、主語も登場してきた。英語では12世紀頃、主語の義務化が起こるようになってきた。それはムラ的だったヨーロッパの中世の社会が、「個人」に目覚めていった社会の流れと密接に関連しているわけです。


興味を持ったのはこの部分で、ほんとかどうかは知らないが、ほんとだとすると興味深い。W
しかし、こういった断片的な知識では何とも言えないし、事実関係については注意深くあるべきである。

先の本は全く面白くなかったし、つまらない本を買ってしまったと後悔したが、同調圧力とか、主語の問題というのは興味深い。が、そういう話は先の本には載ってなかった。
労働教を否定するのに、フロムやらマルクスの甥やらウェーバーやらいろいろと引用が出てくるが、こういった名前を聞くだけで、著者の知的背景はなんとなくわかるのだ。W
労働教、労働価値説、怠ける権利、実存主義、、こういった20世紀初頭からもてはやされたリベラルの空疎な概念をもてあそんでも100害あって1利なしだ。
著者は労働教といったものが現代にあるとして、それを否定的に扱っているのだが、これも一種の昔からある左の疎外論だろう。

私が前々から思うに、右と左のわからない人間がほとんどだが、右と左がわからない人間はまず例外なく左なのだ。この精神科医も右も左もわからない左である。

子供のころ、つむじが右回りか、左回りかというのがはやった。たしか、左回りのつむじだと賢くて、右回りだとバカということだったと記憶している。私はこの理由がわからず不思議であったが、今思うに、これは左と右をからかった話だったのかもしれない。W
posted by libertarian at 12:03| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

ペンとノートとキーボード

ここのところ、筆記具、文房具、キーボードに凝っていた。この手の道具は普段は何となく使ってるが、意外と奥が深いことを再認識した。w
現代人にとっては、手書きもキーボードも日常的に必須の道具で、どちらか一方だけというわけにはいかない。

思うに手書きの場合の一番のメリットは、落書きができるということかもしれない。
パソコンでも落書きはできないこともないが、やはりノートに書いた方がしっくりくる。
雑然とした考えやイメージを絵、図形などの落書きで徐々に整理していくには、ノートとペンというシンプルで自由度の高いものがよいのである。コンピューターは便利だが、基本的にとんでもなく複雑なもので、自由度も高くない。プログラムされた機能に制約される。
紙やペンには、紙の質感や書き味という要素があるがコンピューターにはない。まあ、ないわけじゃないが、良質の紙とペンのフィーリングにはまだ遠く及ばない。

コンピューターは、ノートとペンのもつ、質感とか書き味といった感覚的な要素を一切廃した情報としてしか扱わないわけだ。そこがコンピューターの良いところでもあり限界でもある。
しかし、人間の能力をより引き出してくれるのは、ノートとペンの方だろう。

タイピングゲームの寿司打の1万円コースでタイピングと手書きのスピード比較をしてみた。大体、手書きもタイピングも同じくらいのスピードのようである。手書きも練習をすれば、もう少しきれいに早く書けるようになると思う。今の状態では、寿司が流れる前に手書きできるが、力が入りすぎるのか乱雑になる。
しかしタイピングの方がずっと速く書けるように思っていたが、あまり大差ないというのは、発見であった。w

書くスピードが大差ない上、実際は考えたり思い出したりする時間が圧倒的に長くてそれが律速段階になるので、どちらで書いても時間的な違いはないということだろう。
プログラムもノートに書いた方がいいかもしれない。w
posted by libertarian at 21:21| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

Chrome Remote Desktopのすすめ

複数のコンピューターを使う際に、ディスプレイもキーボードもマウスもその分だけ必要だったりするが、これをChromeのリモートデスクトップを使うことで一元化すると便利である。

今のところ、私が現役で使っているマシンはマック2台、Windows3台だが、これを1台のmacbookproからリモートデスクトップ経由で使っている。もっとも全部使うことはあまりないが、1台はオーディオサーバーのようにしている。
少々古いCore2Duoのノートでもリモートデスクトップ経由で早いマシンを使えるのは便利だ。ほとんどリモートデスクトップだけ動けば十分という感じになる。w
実際は仮想マシンで各マシンに様々なLinuxも動いているので、10台以上のマシンを使っているような感じだ。w
リモートデスクトップ経由でもタイピングの遅延もあまり感じない程度に速く不満はない。LAN経由でなくインターネット経由でこのスピードが出るのだからいい時代になったものだ。w

普段は、メインのMacbookProRetinaから、windowsや他のマックにログインして使う。
chromeなどのブラウザーはかなりメモリを消費するので、メインのマシンのメモリをなるべく消費をさせたくない場合、他のマシンでchromeを立ち上げておいて、リモートでそれを見るといった利用法だ。
ながらで音楽を聴くときはUSBDAC経由でオーディオにつなげたPCを操作する。
このような形でPCリソースの有効活用ができる。

また外出時は、モバイルやタブレットPCからリモートでメインのマシンを見れば、非力なマシンでもメインマシンをそのまま利用できるので便利である。同じ環境を非力なマシンにインストールしなくても大丈夫というのも便利だ。もちろんipad,androidからでも使える。

このchrome リモートデスクトップは大変にすぐれものなのでおすすめである。
セキュリティ管理をGmailログインの仕組みで代替しているようで、面倒な設定も一切ない。
posted by libertarian at 21:27| 東京 ☁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

ネガティブリストとポジティブリスト

憲法9条を改正して、自衛隊を国軍にしなければいけないという議論があるが、これがだんだんと迷走してきた。
つまり、加憲を行い改正を行わないといった議論だ。
しかし、自衛隊の本質的な問題は、正式な軍隊にして軍法を作らなければ、それを国防軍と呼ぼうがなんと呼ぼうがやはり軍隊として行動ができないということだ。
今の自衛隊は、ネガティブリストでなく、ポジティブリスト形式の軍規のようなものがあるそうだが、軍法がない。そして、ネガティブリストの軍法を持たなければ軍隊ではない。

法律自体が本来、ネガティブなルールでなければいけないというのがハイエクの指摘したことである。
つまり、なになにすべしではなく、なになにしてはいけないというのが法律の本質なのである。このようなネガティブリストが法律の本質である。
たとえば、言論の自由とは、国家が言論の自由を制限してはいけないという、ネガティブルールである。

特に憲法のようなものはネガティブルールを基本とするべきである。
日本国憲法を書き換えるのであれば、それはネガティブリスト形式に文言を書き換えるのがよい。
ポジティブリストの、これこれをしなければいけない、なになにをしてもいいという形式は原則禁止の前提でその例外規定を定めるものであり、自由を著しく狭める。
一方のネガティブリストは、これこれはしてはいけないというもので、原則自由の前提で例外の禁止規定を設けるものである。軍隊がネガティブリストに基づかなければ、臨機応変に行動することは無理なのである。
そもそもポジティブリストで規定されていたら、敵はそのポジティブリストの裏をかいて、手も足も出せないように攻撃することも可能だろう。
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2017年05月22日

将棋の考え方

電王戦を見ていたが、面白かった。佐藤名人の態度や発言が立派で感心しきりであった。
今のコンピューター将棋が、人知を遥かに上回るレベルだというのは、既に数年前からの常識であり、もはや興行的な面白さもなくなったから今回で電王戦は終わるようだ。

将棋というのは、何をどう考えるゲームなのかがわりとはっきりしないゲームだと思う。
つまり、「将棋の考え方」がよくわからないために、上達も難しいゲームだと思う。
谷川浩司永世名人が若い頃に書いた「将棋に勝つ考え方」という本が昔あったが、この本は、将棋の評価をどうするかについて初めて書かれた本ではないかと思う。その本では、持ち駒に点数をつけ、その合計点で客観評価のようなものを行っていた。
しかし、その後、「将棋の考え方」についての本は出ていないと思う。
やれ、最新定跡だ、戦法だ詰将棋だといった本ばかりで、将棋とは何をどう考えるゲームなのかが分かっていない。昔はココらへんを曖昧に大局観という言葉で表現していた。大局観が評価関数のようなものだ。
それは、指す人間によって異なり、強い人間は正しい大局観をもっているから強いのだと思われていた。

今のコンピューター将棋の留まるところを知らない進歩は、この評価関数の進化という風にも考えられるのだろうか。それは非常に複雑なもので、開発者であってもその評価関数の意味を理解することはできない。
おそらく関数という形では中身をみることもできないブラックボックス化されたものだろう。

肝心の評価関数がブラックボックス化されているという点では、従来の人間の評価がその人間に固有のものでブラックボックス化されていたのと似ている。棋士にもなんらかの評価関数があるが、それを正確に言葉にすることはできない。

実際、将棋で学習し上達できる部分は、寄せの技術、詰ます技術くらいかもしれない。
プロでも終盤のこの技術で大体の力関係は決まっているように思われる。
藤井4段も、詰ます技術がすでに棋界トップだから強い。
#しかし、寄せの技術と詰ます技術は似て非なるもので、実際は寄せる技術も高いのだろう。

実際の勝負は時間という要因が大きく、将棋は限られた時間内でどちらが正確に読めるかを競うゲームだ。
特に中終盤の複雑化した局面で、どちらがより深く正しく読むかを競っている。そういった力はR値のようなもので評価できて、かつ年齢に関係がないし、ある程度でその人のもつプラトーになってしまうのではないか。

将棋も高段者になるほど、相手の攻めを手抜きして切り返しの手を指す。高段者の将棋になると何箇所も駒がぶつかっている状況になる。私の印象では女流の将棋よりもやはり男の棋士の方が駒のぶつかりが多いと思う。そして、コンピューター将棋は、さらにこの傾向が強くなる。普通なら飛車をいただきというところで、無視して別の攻めを重ねていく感じだ。
人間同士なら飛車をとって勝ちでも、コンピュータ相手だとそれが敗因になりかねない。
人間は将棋の駒に価値を感じてしまうので、おそらくプロスペクト理論が働いてしまうのであろう。「ヘボ将棋、王より飛車を大事にし」という川柳は、将棋のプロスペクト理論である。これが将棋に恐怖の感情をもたらす。w
もっとも将棋も上達していくと、ある程度、この感覚から離れていくのだろうが、完全には無理だろう。だが、コンピュータには最初からそんな心理要因は働かない。

圧倒的な優位を築くことは、相手が明らかな悪手を指さない限り無理なので、均衡を保ちながら徐々に相手を制圧する感じか。例えばコンピューター将棋は、穴熊の価値はあまり高く見ていないらしい。
あと歩の価値は人間が感じているよりも高いのだろうと思う。コンピュータ将棋は歩がどんどん相手に突き刺さっていき歩で制圧される感じがある。
CPU同士の戦いであれば、ミスは基本ないので、寄せ合いになる前の中盤で4−500点前後の優位を築けばそれで勝負が決まってしまうようだ。






posted by libertarian at 09:22| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月19日

学歴と教育

教育という言葉は私には強制という意味に聞こえる。
学習といえば自発的な響きが有るので、私は学習という言葉がいいと思う。
実際の所、教育は多義的な言葉で、英語で言えば、educationには、teaching coaching learning training などの意味が含まれ、どの意味でそれを使っているかで議論がかみ合わなかったりする。

また、富国強兵のための国策として論じられたり、国民への福祉として論じられたりもする。
#しかし、教育=善という前提で話をするのは大体が教育関係者なので注意が必要だ。今の社会でも教育関係者の利権はあまりにも大きい。それを連中は死守したいのである。

たしかに教育は歴史的にも国策であった面もあるが、そもそも憲法上はそんな国策を人に押し付ける権利は国家にはない。しかし、国家は権利はなくても権力があるからそれをやってしまうのだ。w
義務教育は法律的には親の義務であるが、子供の権利としては必ずしも捉えられていないだろう。
#大体において、未成年者、子供の権利というのは、法律上曖昧である。

今の社会で学歴なるものは、人間のプライシングの手段というのが最大の社会的な意味になっている。
人間を人材、つまり資源としてみれば、価格情報がないと資源は激しく浪費される運命にあるので、人材をプライシングする機能は実際の所、必要な社会的な仕組みだろう。
もし人材という資源に対する価格情報がなければアインシュタインのような天才が、つまらない単純肉体労働をさせられたり、凄い運動能力のあるスポーツ選手が、つまらないデスクワークをさせられたりするわけだ。w
プライシングとは、ある種の差別であるが、社会的には資源の浪費を防ぐために必要な「教育」の肯定的な機能ともいえる。

だが、このようなプライシングの機能は学歴で評価しなくても、いくらでも他に手段はある。
前にも書いたが英検みたいな検定試験でも十分なのだ。
もし、努力とは関係ない地頭の能力で評価したいのなら、IQテストなどというものもある。ww(ちなみに、私はこの手の心理学的概念はしょうもないエセ科学にすぎないと思っている。)

例えば、そろばんで1級とか何段だとか聞いた場合、すごい技術を持っているのだなと思っても、それに引け目を感じたりはあまりしないだろう。だが、学歴の場合は引け目をほぼ全ての人間が感じる。これは、東大卒業生であっても、自分よりちょっとでも優秀な学歴のある人間には引け目を感じるものなのだ。むしろより一層強く感じるようだ。w

これはなぜかというと、プライシングと価値が結びついているからだろう。値段と価値は別の概念だと言っても、なかなかそうは認識されないのだ。w
一方、そろばんの技倆は価値に結びついたプライシングの一種とはあまりみなされていない。
それはあくまで個人的で個別な技倆の尺度なのである。
私はその点、今の学歴システムを検定試験で置き換えてしまえば、プライシングの機能も果たされ、所詮は全ては技能検定にすぎないと皆さん思うようになり、価値との分離ができると思うのである。

今の学歴というブランドによるプライシングが価値と結びついている理由は権威と結びついているからだろう。
日本の場合は東大を頂点とした旧帝大から連なるヒエラルキーが役所的にきっちりと出来上がっているのである。こんなものを誰が勝手に決めたのだろうか?

実力、学力、、こういった力関係は、パワー、つまり権力に結びつく。学歴のあるなしには関係ない。
学歴は日本の場合は特に、権威と結びついている。権力と権威は別の概念なのだ。
つまり、力=権力はあるが権威がない在野の人材というカテゴリーが生まれる。w
本田宗一郎や松下幸之助といった人物は権力は絶大だったが権威には欠けている在野の人間なわけだ。
スティーブ・ジョブスもしかり。w

だらだらと書いて、何を書こうとしていたのか忘れてしまったが、要するに、社会的な権威とは国家が関与することから生まれるわけだ。日本の場合は、私学より国立がエライといった構図が国家が教育に関与している部分が大きすぎるがために起こっている。さらに、権威と権力の分離という日本の歴史の美点までが損なわれているのである。
さらに言えば、権威とは宗教的なものだ。キリストには権力はなかったが、権威を今の信者は認める。なぜならキリスト教は国家よりも上だからである。天皇も権力はほとんどなかったが絶大な権威は日本の歴史を通じてずっとあった。それは天皇が神道の祭祀王だったからだろう。
posted by libertarian at 19:48| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

キーボードについて2

キーボードのキーのリマップソフトには、マックではkarabinerやkeyhacというのがある。
ただしosをsierraにしてしまうと、karabinerは使えず、karabiner elementで最小限の設定しかできない。
keyhacの存在は最近知ったが、これだとsierraでも、キーリマップが細かくできるらしい。
keyhacはwindowsにも対応している。

キーボードも英語配列、日本語配列とあるが、一番の違いは記号の位置である。
英語配列の方が記号の位置が比較的にプログラムする際は便利な配列になっている。
だが、どちらも基本的に、!"#$%()といったプログラムする際に多用する記号キーがホームポジションから離れたところに配置されていることには変わりない。

そこで私はこれらの記号をホームポジションの周辺にキーリマップしている。
英字大文字はシフトー◯というホームポジションのアルファベットを使うが、基本的に大文字を入力することは少ないので、ここに記号をリマップする。例えばシフトーqで!が入力されるといった具合になる。
もし大文字入力が必要な場合はもう一方の側のシフトキーか、caps lockを用いればよい。

こうすることで、プログラミングする際もほとんどホームポジションから手を大きく動かすことなく入力することができるのである。
同時に、このようにリマップしてしまえば、キーボードの英語配列、日本語配列という違いもあまり気にならなくなる。


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渡部昇一とハイエク

渡部昇一氏が永眠された。
うらやましいような、いい人生を歩まれた稀有な知識人だったと思う。
渡部氏は大量の著作を出されていて、私はそのほんの一部を読んだことしかないが、それでも20冊くらいは読んだことがあると思う。

私の印象では、渡部昇一はイギリスの良質の古典的自由主義を理解しかつ体現していた日本人ではほんとに稀有な自由人だったのではないかと思う。英文学の研究経由でチェスタトンなどを深く理解していたのであろう。
また、若き日にハイエクの通訳として交流があったというのも稀なる偶然だ。
渡部昇一氏の書いたハイエク本が日本人の書いたハイエク本の中では最も良質な本だと思う。というか、それしかマトモなハイエク本は見当たらない。
ハイエクはオーストリア生まれだが、イギリス人となりイギリスの古典的自由主義を研究し、それをリバイバルさせた人物であったといえると思う。ハイエクの保守主義とはイギリスの古典的自由主義(classical liberalism)のことである。

稀有な特権的な体験を積み重ねる中で、渡部昇一という古典的自由主義者が日本に生まれたというのは奇跡的というべきかもしれない。
70年−80年代の左翼全盛の中で、猛烈な個人攻撃にさらされながらも、独自の言論を展開し続けた胆力はチェスタトン譲りの信念があったからかもしれない。
今の日本には渡部昇一に相当するような知識人はどの世代をみても全く見当たらない。
そして、日本には古典的自由主義を理解する人間はいなくなってしまった。
posted by libertarian at 07:54| 東京 ☀| F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

Rについて

あるアイデアを思いつき、どの言語で作ろうかと考えていた。
私は今までにいろんな言語をかじってきたので、普段は細かいことはほとんど覚えてないが、ちょっと復習すればプログラムを作れるくらいの知識と理解はあるのである。私にとってプログラミングはDIYの楽しみの一つだ。
そして開発言語の選択はDIYにおける道具の選択と同様に重要な問題である。

言語は大体、C系統とlisp系統の関数型言語の2つのパラダイムに分けられると思う。prologもパラダイムの一つに入れられるのかもしれない。が、prologは使ったことがない。w
それにくわえてoopがある。ただしオブジェクト指向はパラダイムというわけではない。昨今の言語は、マルチパラダイム化しており、いろんな言語のいいとこ取りをしているわけだ。oop的なものは最近の言語では大体必須になっている。

で、今回はRを使おうと思った。Rは日本ではコマンドラインで使うフリーの多機能な統計処理プログラムとしてしか認識されていないことが多いが、実際は、立派な関数型言語であり、それに統計処理関係のライブラリーが沢山あるだけという把握のほうが正しい。要するにRは言語、それも関数型言語だ。
大体数学関係のソフトは関数型言語が使われてることが多い。matlab,mathematheca,maximaしかり。
だが、それらは独自言語を持つがその言語の解説書が少ないので、使い方がよくわからない。Rは最近、言語として注目されているようで、解説書が沢山あるのがメリットでもある。
私もRをプログラミング言語として使ったことはなかったので、オライリーのpdf本が役にたったという次第だ。

ちなみにR関係のpdf本は沢山ネット上にあるが、私がいいと思ったのは、Advanced-Rという本である。
lispのような関数型言語の経験があれば、R言語の学習はわりとスムーズにできるのではないかと思うが、javaとかC系統の言語しか使ったことがないと少ししんどいかもしれない。w
Rはlisp,schemeなどと同様にfor文やif文を原則として使わないのがコツである。一応用意されているが、それら制御構文を使うとめちゃくちゃ遅くなる。逆にそれらを使わないでヴェクトル処理だけで書くとC言語並のスピードで動く。
またパッケージライブラリも万の単位で存在する。そんなに沢山あると、どこにどんなのがあるのかさっぱりわからない。どこかで紹介されている良さそうな奴を試すしかない。w
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PDF本

最近、今さらのように気づいたのであるが、オライリーなどのコンピューター関係の本は、英語版の原書は大概がPDFで公開されている。これが違法なのか合意の上なのかはよくわからない。大学のサイトに掲載されていることも多いので合意の上での公開が多いのではないかと思われる。

とはいえ、そうなっているのは出版から2−3年以上過ぎた本で、新しく出たばかりの本とかはさすがに公開されていない。コンピューター言語やOSはGNUで無償で提供されていることが一般的になっているので、その無償のソフトを解説した本もある程度売れたら無償で公開するという精神なのかもしれない。

日本人の書いたコンピューター関係の本はいいのがあまりないので、オライリーのような本が無償で読めるのはありがたい。WEB上にも解説的な記事は沢山散在しているが、やはりちゃんとした専門家が気合を入れて書いた本は価値が高い。
それにコンピューターとか技術的な本は英語が文学書と違って平易なので、下手な日本語の翻訳を読むよりわかりやすいということもある。英語は技術書を書くのには適した言語なのではないかという気もする。つまり、日本語より曖昧さが少ないので明確だ。

さらにPDF本はキンドル本よりもコピペが用意というのもメリットだ。
サンプルプログラムをコピペで実際に走らせてみることが簡単なのは大きなメリットである。キンドルだとそうはいかない。
posted by libertarian at 20:02| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

憲法改正について

今の憲法で実害があるのは、第9条くらいで憲法改正はまずは9条の改正だけを行えばよい。
自民の改憲案はヒドイもので、できの悪い学生の答案のようなめちゃくちゃなものだ。その内容は全面改憲であり、幼稚な思いつきを書き連ねただけの、とてつもない改悪案となっている。
こんなヒドイものを出したら、たたき台にもならない。この落書きのようなふざけた改悪案を未だに自民は引っ込めてすらいないのはなぜなのだろうか?はっきりいってそれはGHQの若造が書いた落書き憲法よりも遥かにヒドイものである。
普通憲法改正というと、9条の改正と思うだろうが、自民の改憲案はそうではないのだ。

最近思うに、日本の憲法が硬性憲法であることは事実だが、日本が戦後70年以上憲法をいじれなかったのは、むしろ日本が緩衝地帯となっていたからではないかという気がしてきた。
緩衝地帯でない普通の国ならば、自主的に改憲はできるわけだが、緩衝地帯は普通の国ではないので、普通の国にはできることがとてつもなく困難になるのである。ドイツは敗戦国でありながら戦後も改憲を繰り返しているが、ドイツは東ドイツが緩衝地帯となったお陰で直接の緩衝地帯とはならなかったためだろう。
そして、戦後、もう一つの緩衝地帯がユーゴスラビアだった。
そして現在のヨーロッパの緩衝地帯はウクライナである。これが何を意味しているかというと緩衝地帯というのは、地理的な特異要因だけで決まるわけではなく、移動変化することがあるという事実だ。

日本の場合、社会主義化には2つの勢力があり、それは大きくはソ連、コミンテルンと、チャイナ、中共である。
冷戦の時代は日本はソ連の共産主義が脅威であったが、今はソ連は曲がりなりにも共産主義を捨てた。
そして、昔のソ連の脅威よりも今のチャイナの中共の脅威の方がずっと大きく、中共はあの手この手で日本社会への侵入の度合いを深めつつある。具体的には政治、メディア、行政、教育機関への浸透の度合いを深めている。

もし、朝鮮半島が北主導でソフトに統一されていくと、朝鮮半島はある意味で緩衝地帯ではなくなる。
朝鮮半島は今まで100%の緩衝地帯に過ぎなかったが、同時に日本も戦後は50%くらいの緩衝地帯だったわけだ。
しかし、半島が北に統一されれば、日本が今度は100%の緩衝地帯になっていくだろう。
すると、ますます憲法9条改正のような普通のことができなくなる。
これはかなりの脅威であり、日本は戦争しなくても自滅する可能性が高い。

朝鮮有事は4月には起こらなかったが、まだ予断は許さない。
藤井厳喜氏などは、トランプは朝鮮を見捨てて、南朝鮮からも軍を引き上げるだろうと予測していたが、どうだろうか?これは日本への警告の意味を込めての最悪の予測という意味もありそうだが、高麗連邦なんてのができたらほんとに存亡の危機に陥ることは確実だ。
と同時に、日本の緩衝地帯化はますます強まり、憲法改正どころではなくなり、防衛も不可能になる。
しかし、トランプがそこまで日和るとは思えないが、最悪のシナリオも考えておく意味はある。

ただもし、アメリカが朝鮮半島を放棄すれば一方的にチャイナを利する結果になるわけで、それは軍事戦略的にもどうだろうか?
アメリカが朝鮮半島を放棄すれば、同時にチャイナに対しても降伏を宣言することに等しいだろう。

posted by libertarian at 09:34| 東京 ☔| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育無償化案に反対する

安倍首相が教育無償化を盛り込む憲法の加憲案をだして一部盛り上がっているようだが、大反対である。
高校教育無償化を唱えている維新を取り込むための策とも言われているが、この案はどうしようもないほどヒドイもので共産主義政策と変わらない。本来は、この真逆の政策が必要なところである。つまり、公教育の全廃と教育の完全民営化こそが目指すべきことである。

もし全ての教育を無償化すれば、どうなるかは明らかで、今の国公立大学を頂点とする教育システムがますます腐敗し、公教育システムに寄生する日教組のような極左団体の力も強くなる。
日本から教育というサービス産業が完全に失われ、教育サービスの質はますます低下していくことは確実だ。

そもそも税負担を無償というのが大間違いであり、税金負担は無償ではなく、より悪いサービスをより高い値段で選択の自由なく購入させられることになるのである。

高橋洋一氏なども、この案を節操なく支持しているが、これではミルトン・フリードマンの孫弟子とはとてもいえない。w
高橋氏にはフリードマンの著作をもう一度読み直して欲しいものである。w
教育を公共事業の一つとして見て、同じ公共事業であるなら、道路や橋の建設よりも広く国民全体が受益者になるという発想らしい。これはなんともお粗末な論理である。

高橋氏は現代ビジネスで次のように書いている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51630
「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす(An investment in knowledge always pays the best interest.)」というベンジャミン・フランクリンの名言を引用しながら、教育を投資として捉えると、社会的な便益もコストより高いことを紹介し、そうであるなら、国債で教育の財源を賄うのがいいと書いた。」

しかし、フランクリンのこの言葉の投資主体はあくまでも本人、個人だ。自分で自分に教育投資をするのがいいという、啓蒙主義的な内容であり、これを税金投資のことに主体を置き換えて濫用してはいけない。

もし、分配政策としてやるならば、教育バウチャーのようなものを先にやるべきである。これは教育にしか使えない商品券のようなものを国民全体に配るので、サービスを受ける側に選択の自由が生まれるのが大きい違いだ。
同時に国公立大学を閉鎖していき、民間の教育サービス産業が伸びるようにする。
もし、無償化を憲法に盛り込んで法律にしてしまえば、今の国公立の教育機関に巨大な利権が新たに付け加えることになるだろう。

そもそも、今は昔と違って、ネットの時代なので従来の学校に通って大きな教室で授業を受けるという非効率なシステムは改められなければならない。こんな300年前から変わらない不合理なシステムが未だに残っているのも、教育関係者の利権温存のためである。
同時に知識を得る目的であれば、昔と違ってどんどん安く良質な情報がネットから得られるようになっている。
つまり、今はリアルに教育は無償化しつつあるのであり、税金と国債で教育を高価で低サービスなものにする必要はまったくない。

学生も友達や社会関係が欲しいだろうから、人が集まる場はあってもいいだろうが、それは別に教室でなくても構わない。クラブ活動やスポーツや実技をする施設としてしか学校の価値はもはやないだろう。
むしろ、学歴がブランドになっている現状を改める上で、検定制度を充実させるのもいいだろう。
英検のように、数学検定、国語検定、歴史検定、物理検定といったものでその人の実力を個別に客観的に評価できれば、そのほうが公平であり変な差別もうまれない。

posted by libertarian at 08:13| 東京 ☔| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

パワーバランスの右と左

国際関係論(International relations,IR)という分野がある。ミアシャイマーも、その一つだし、ルトワックなんかも入るかもしれない。
こういった社会学系のいわゆる学問は狭い分野であるが、どの程度の影響力を持っているのかさだかでないところがある。

そもそもIRというのはイデオロギー中立のものではない。しかし実際にその中でやっている人達はイデオロギー中立の科学的な学問だといいたがる。これはミアシャイマーなんかも同様だ。
IRでは歴史的な事実を根拠、論拠にすることが多いが、歴史が少しでも入るとイデオロギー中立はまず困難になる。
事実、ミアシャイマーのTheoryの論拠は歴史的な考察にあるが、ミアシャイマーの日本やチャイナの近代の歴史観は完全にチャイナの文献に依拠しているから、少し歴史にうるさい日本人からみれば、日本に関してとんでもない歴史観をしていると思うだろう。私は、ミアシャイマーのTragedy of great power politicsを英語原書で読んだが、関東軍のことをワンタン軍(kwantung army)とチャイナ表記で書いていることからもこのことを確信した。w

アン・コールターなどは、ミアシャイマーをリベラル連中の一人だと呼んでいる。ミアシャイマーと共著の多いハーバード大学のスティーブン ウォルトなんかは、たしかにゴリゴリのリベラルで、ウォルトはトランプのことも蛇蝎のごとく嫌っており、熱烈にヒラリー・クリントンを支持していた。w
こういうのを見ると、ハーバード大学というのは、ほんとにアメリカのリベラルのアカデミックな牙城なのだなと思う。
しかし、シカゴ大学のミアシャイマーはそんなにリベラルだという印象を私は持っていなかった。ミアシャイマーはトランプのことも支持していると思われる。

アン・コールターのいう左派リベラルの基準はどこにあるのかわからないが、想像するにBalance of Powersをいうような連中は大体リベラル野郎だと判断しているのかもしれない。w
この女史の本を読むと、まずもって、パワーバランスなどという発想はない。共産主義国家のような巨悪との共存といったいわゆる現実主義的、realisticな妥協など許されず、パワーバランスという弱腰なことを言っている奴は彼女の視点ではリベラルなへっぽこ野郎なのだろう。w
レーガンのように共産主義の悪の帝国は容赦なく叩き潰す決意をもたなければならないというのが彼女の考える保守なのだろう。
私はこれは一理あると考える。
パワーバランスという概念を、自由主義圏の中だけに適用し、共産主義圏は断固たる決意でその体制を叩き潰さねばならないということだ。共産主義の悪の帝国との妥協は許さないというのがやはり保守のとるべき態度だろう。



posted by libertarian at 01:06| 東京 ☀| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

紛争のレッセフェール

ルトワックの考えでは、難民支援のようなものもやってはいけない最たるものである。
難民キャンプの図とかしばしばニュースで報道されるが、難民キャンプはNGOや国連などがその活動証明のように行っているだけで、難民の移動を人工的に固定化し、一箇所に留め置くことで永続化させ、さらなる大きな問題を発生させている。余計なことをしなければ、難民というのは自然拡散して新しい生活に入っていくのであるが、それをさせない仕組みになっている。

例えば、イスラエル国境に国連のUNWRAが作った難民キャンプは永続化しており、そこをハマスという狂信的グループが支配することで難民キャンプの何世代にもわたってハマスによって洗脳教育が行われている。
こういった構造はアフリカでもあるし、表面的には善意であっても、最悪の結果をもたらしているわけだ。

このように、いわゆる「地獄への道は善意で舗装されている」例は枚挙に暇がない。
これは、経済も同様で、下手な福祉や援助はマクロに事態を悪化させるだけの結果になるのである。
ある種のレッセフェールは常に必要だ。

posted by libertarian at 16:15| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キーボードについて

この前までは文房具に凝っていたが、最近はキーボードに関心が移った。
キーボードはコンピューターをいじるときには最重要なインタフェースである。
いままで、いろいろと買って試してきたが、英語配列キーボードがやはりよい。
まあ慣れれば日本語配列キーボードでもさして不便は感じないし、ノートpcが日本語配列だから
どちらも使う必要があるわけだが、日本語配列は無駄なキーが多すぎるのが気に食わない。w

マックの場合はキーボードが非常によく考えられていてkarabiner elementなどを使えば設定の変更も細かく容易にできる。しかし、Windowsになるとキーボードの設定が一苦労である。
xkeymacsのようなキー設定ソフトがなぜかWindows8以降は対応改良がされなくなり、不便この上ない。
#しかし、これも一部問題はあるがWin10でも使えないわけではないようだ。*

今はなにをやるのでも、マックのほうがいろいろと便利な時代になったと実感する。
マックのおかげでUnixもかなり一般化したと言えるだろう。
キーボードは高いやつでもせいぜいHHKの3万円位だから、万年筆に比べるとそんなに高いものではない。
一方、キーボードの方が利用頻度はずっと高い。HHKも買おうかと思ったが、英語配列のHHKproになると矢印キーがないなどの問題もあり、やめといた。矢印キーはターミナルなどを使うときにもあったほうが便利なのである。ショートカットでも代用できるがあまりショートカットキーばかりなのも不便である。
アプリごとにショートカットキーがあるので、そんなものをいちいち覚えていたらかえって単純なことが複雑になってしまう。それにタイピングの絶対速度などは実際のところはあまり意味がない。タイピングゲームと違って、実際の文章を書いたりプログラムを書いたりする作業では、考える時間が律速になり、タイピングが早くても早く書けるわけではないからだ。大事なのはストレスなくスムーズに確実にブラインドタッチができることである。私がめったに使わないのはファンクションキーであるから、ファンクションキーのないフルサイズのキーピッチのコンパクトメカニカルキーボードで英語配列のものを探した。

そして、自分は結構キータイプはそこそこ早い気でいたが、キータイピング練習サイトで遊んでみた所、意外と遅いという事実に気がついた。これはなぜかといえば、自分がブラインドタッチできるのが、qwerty行までで数字行になるとブラインドタッチがかなりあやふやになるからだと判明した。
そこで、いろんなタイピング練習サイトで練習をしたところ、短期間でかなり上達した。最初に計測したときより10日くらいで倍くらいのスコアを叩き出せるようになった。w
ブラインドタッチは練習すれば必ず上達するので、基本技能として練習すべきである。

*)ちなみに、CapslockをCtrlキーに変更するのは、いろいろ方法はあるが、マイクロソフトのRemapkeyを使うのが便利。デフォルトでは入ってないので、Windows Server 2003 Resource Kit ToolsをMSからダウンロードしてインストールする必要がある。これはレジストリを書き換える方式。
これなんぞは、MSが標準ツールとして最初から入れておくべきだと思う。レジストリを直接書き換えることはできるがリスクがあるし、なにより面倒だ。

xkeymacsはキーバインディングを変更するが、設定画面が下の方が切れてしまうなどの問題はあるものの、Win10でも使用できる。OKボタンも下の方をクリックすると表示される。

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2017年04月28日

戦争にチャンスを与えよ

エドワード ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」を読んだ。
これは新書で気軽に読めるがなかなか面白かった。

私は、戦争の意味というのは肯定的に論じる必要があると思っていたが、まさにルトワックの戦争観はそういうものだ。つまり、紛争を終わらせ平和をもたらすものは戦争だけだというのがルトワックの考えだ。
この例証として、ルトワックはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争への介入、ルワンダのツチ族、フツ族の虐殺の介入、ソマリアへの介入、など昨今の紛争介入への事例を挙げている。
そしてアメリカなどの介入主義を現代の病であるとしている。オバマならぬヒラリー・クリントンによるリビアのカダフィ政権の転覆により、今は100の部族による抗争が繰り広げられ、リビアはどうしようもないアナーキーなカオスになっている。
介入により、停戦を強制しても、それは戦争が凍結された状態になるだけで、平和なり次の状態への変化が起きないのである。国連の介入、NGOの介入これらも全て本質的に無責任なものであり結果的に害悪しかもたらさない。
そして、「戦争をするのは外交の開始を相手に強制するため」でもある。
同盟関係は自国の軍事力よりも重要だというのもポイントだろう。同盟関係の構築は大戦略に相当し、個々の戦闘は戦術レベルの位置づけにある。そして戦術レベルの勝利を重ねても、ナチス同様に戦略で負けるのだ。

だが、戦争という極めて重要な問題を、忌避すべき害悪としか考えないのは、戦後リベラルの基本原理であり、多くの人はそういう考えが前提になっている。そして、その原理原則が根本的に誤っているのである。
世界は複雑でパラドックスに満ちており、「平和を欲するのであれば戦争に備えなければならない」のである。
全ての敵は潜在的な友であり、全ての友は潜在的な敵である。

シリア問題、IS問題にしても、アメリカにとってベストな状態は、誰も勝たない状態、つまり内戦の継続化であると指摘している。つまり、シリアのアサドの勝利はイランの勝利に等しく、逆にシリアの敗北はヌスラ戦線、アルカイダ=ISの勝利に等しい。つまりアメリカにとってはどっちに転んでも望ましくないので、内戦の継続化がアメリカにとってはベストなシナリオである。
そういう観点でいえば、トランプの行っているIS掃討はどういう結果になるのだろうか?

朝鮮半島にしても、ベストな問題処理方法は金体制の内部からの転覆であることは当然だが、あまり現実的な手段ではないだろう。 となると電撃的な奇襲作戦、機動戦がやはりアメリカのとるべき戦術だろうか。


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2017年04月16日

国連の解体へ

アメリカがソ連との冷戦に勝利した時、当時のジョン マケイン議員は、自由主義陣営の勝利を明らかにすべくチャイナのような共産主義陣営の入っている国連を解散して、新たに自由主義陣営の連盟を作るべきだと言っていたそうだ。
実に正論である。実際問題、国連は21世紀に存続してよい機関ではない。国連は昔も今も有害無益な腐敗した官僚組織に過ぎない。かつてアインランドは、共産主義ソ連を常任理事国としている国連という存在はタチの悪いブラックジョークだと言っていたが、未だに国連はタチの悪いブラックジョークであり続けている。
アメリカが今後、国連を脱退する可能性はあるだろう。逆にいえば、アメリカが国連を見限らない限り、国連は存続し続けることになる。

思うにアメリカがチャイナとの対決姿勢を強めていく過程で、アメリカの国連からの脱退という戦術はありうるだろう。
日本やヨーロッパ、アメリカの自由主義国家だけで軍事同盟を作り、共産主義圏を孤立させるためである。
その時は、日本も国連から脱退して新たな自由主義国家同盟の方に入ることになるだろう。
今のNATOを日本やオーストラリア、ニュージーランドまでを含める自由主義陣営同盟に発展させるという形もいいかもしれない。

つまり、今の国連体制では、チャイナの封じ込めは難しいし、対チャイナという点で国連の存在は百害あって一利なしだ。今のチャイナを常任理事国に含めた国連など全くのナンセンスである。実質的な意味のある軍事同盟が必要とされているわけだ。
posted by libertarian at 12:52| 東京 ☀| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アメリカの北への攻撃は不可避である

4/15日にアメリカが北朝鮮を攻撃するかもしれないという話が少し盛り上がっていたが、このようにピンポイントで開戦を予測するのは無意味である。
私はアメリカは月曜までイースター休暇だから、この期間に開戦はないだろうと思っていた。w
カールビンソンも1万キロの長い航海をしてようやくここまで来たばかりである。戦士にも休息が必要だ。
問題はどのタイミングで開戦があるかということだ。もしくは、開戦しないのであれば、どう対処するかだ。

北は放置していても、さらに状況が悪化するだけなのは明らかであり、どこかのタイミングで軍事行使をして叩かなければならない。トランプ大統領が過去の大統領の日和見的な問題先延ばしを批判していることからも、トランプが北に対して日和見的な態度をとるとは考えにくい。開戦が不可避というよりも、回避する理由がないというべきか。クリントンの時にシミュレーションをして朝鮮で60万人の死者がでるだろうという予想にびびってクリントンが北に譲歩したと言われているが、どんなシミュレーションをしたのかわからない。朝鮮戦争では中共が参戦したことで泥沼になったが、今は少なくともそれはないだろう。

私の予想では、アメリカは今、慎重にプランを練っている段階だろうと思う。
そもそもトランプが大統領に就任してから日も浅くまだ3ヶ月もたっていない。
この慌ただしい期間に十分な作戦が練られるとは思えない。
軍部は今までも北に対する作戦シミュレーションを色々としてきただろうが、問題は全軍総司令官としてトランプが理解する時間が必要だということだ。アメリカ全軍の総司令官である以上、複雑な軍のシステムを理解するのはかなり大変だろう。責任ある立場だから、軍にお任せというわけにもいくまい。w
数あるオプションからどれを採用するかは大統領の判断になる。

要するに拙速はまずいが、日和見は最悪だということだ。そしてトランプが北に対して日和見を決め込むことはまずないと考えられる。
北は日本では弱小な存在として、あまり脅威にも感じられていないが、実際は北はかなりの軍事力を持っている。GDPでいえば、世田谷区ほどもない地帯にすぎないが、核を持ったことでチャイナへの従属国であることすらやめようとしているのだ。軍事力の点では、かつてのイラクよりも強敵であると考えられる。
チャイナが北をコントロール云々という話が無意味であることはアメリカが一番分かっているだろう。

オバマの時代は直接の軍事行動を避けて、ドローンなどを使ったテロ的な攻撃手法が多く使われていたようだ。だからオバマ時代はCIAが第6の軍隊と言われていたそうだ。北に対してはそのような手法ではうまくいかないだろう。

私の漠然とした予想では、早くて1ヶ月以内、長くても3ヶ月以内に北への攻撃が開始されるだろう。軍事的な圧力をじわじわとかけながら、北に最初に動くようにさせるかもしれない。アメリカとしては対北の戦争は駒落ちの将棋といってよい。相手に先に動かせるのが作戦としては上策だと思う。これは囲碁将棋と同じで、上位者は下位の者に先に動かせてひねり潰すのである。

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2017年03月25日

緩衝地帯化する日本

日本のマスゴミメディア、民進党などの政治勢力が露骨にチャイナ化、もしくはチャイナにコントロールされている現状をみると、日本がすでに緩衝地帯と化しているというおぞましい事実に気付かされる。
この傾向はオバマ政権になってから、また進んだもののように思う。
朝鮮半島がロシア、チャイナ、日本ーアメリカの3大軍事パワーの緩衝地帯だと書いたが、アメリカやロシア、チャイナからみれば現実的には、今の日本も朝鮮半島の延長であり緩衝地帯の一部なのである。
緩衝地帯では、国家の非国家化が進む。朝鮮半島は緩衝地帯なので北も南の国家を名乗ってはいるが、国家とよべる代物ではない。日本も緩衝地帯化するにつれてその傾向が強まるだろう。
緩衝地帯では、ウクライナのように西側と東側の政治勢力のような対立勢力が並立するわけだ。逆に言えば、それを許すことによって緩衝地帯となりうるわけだ。

もし、朝鮮半島が北に併合されれば、今度は日本の緩衝地帯化が劇的に進むことになる。
今の時点で日本の緩衝地帯度を50%としたならば、朝鮮半島が北に併合されれば日本が100%の緩衝地帯となるだろう。
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朝鮮半島で4月に戦争が起こるだろう

朝鮮半島情勢がますます不穏になってきた。
4月の南朝鮮の選挙前にアメリカが軍事行動を起こすのではないかという予測もちらほらある。
トランプ政権がどう出るかだが、軍事行動に関してはアメリカは大統領の裁量権が大きい。
これは合衆国大統領はアメリカ全軍の総司令官という立場だからである。
つまり、全てはトランプ大統領の決断で決まる。また当然ながら国会での事前承認などいらない。

朝鮮半島は南と北に分かれているが、今のところ、1953年から休戦状態にあるだけで、朝鮮戦争は終わってはいない。
ウクライナにしても朝鮮にしても、地理的、地政学的には緩衝地帯になるところは、永遠の緩衝地帯でなければならない。逆にこれら緩衝地帯が失われれば、世界の緊張は大きく高まるのである。ウクライナは緩衝地帯であったものを西側NATOが併合しようとしたがために、今のヨーロッパの緊張は無用に高まってしまっている。
今の北は、核攻撃能力を持ったために、緩衝地帯から独立国家になろうとしているものとみられる。これを許してはならない。

朝鮮半島は、チャイナ、ロシア、日本とアメリカの3つの大国の中心にある緩衝地帯であり、ここを失うと、どこかが得をして、どこかが大きな損害をこうむる。
もし、朝鮮が北主導つまりはチャイナ主導で統一されてしまえば、それがいかなる形であろうと、日本とアメリカにとっては大打撃だ。特にすぐ隣の日本は国家存亡のリスクに直面することになる。

アメリカははるか海の向こうではあるが、朝鮮を失えば、チャイナ封じ込めがより困難になる。日本にある米軍基地もリスクが跳ね上がる。
ロシアとしても、半島がチャイナに取られれば、不利になる。
逆に北が消滅すれば、チャイナにとっては不都合ということになる。

明治の日本は朝鮮をソ連南下の防波堤とすべく、命がけで戦ったわけだが、もし朝鮮という緩衝地帯を失えばとんでもないことになる。地政学的リスクは時間的にほぼ普遍なので明治も今も変わりはない。ただし、今はロシアよりもチャイナが脅威となっている。そして明治の頃のロシアよりも今のチャイナの方が危険だ。

今の日本は実質、安倍首相とその内閣だけでもっているようなもので、国会は脳死状態だ。戦争リスクが高まってくると、選挙もそうそうできなくなった。民進党も日本のマスゴミもチャイナの手先、つまりは超限戦の部隊だからどうしようもない。

戦争によって、どのような状態に持っていくかのシナリオが大事だが、加えて戦争はなるべく短期に終結させその被害を小さくするという条件がある。トランプ政権は今、このシナリオを練っているのだろう。事が起きるとしたら、4月の南の選挙前だろう。思うに今の38度線をもっと北に押し上げて、若干の緩衝地帯を残すような形で、現在の北の体制を消滅させるのが妥当なオプションではないか。南の次の大統領はどいつになろうとも超親北、超反日、反米政権になることは確実視されているので、そうなると南が北に政治的に併合される。そうなると軍事行動のタイミングを失ってしまうわけだ。

いずれにしても、今の北の体制は必ずや、それも可及的速やかに世界から消滅させなければならない。70年近くもこのvillan stateを放置してきたが、今叩かなければ叩く時期を失する可能性が高い。トランプがどう決断しどうリスクをとるか? 期待をもって待つしかない。


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2017年03月15日

チャイナと北朝鮮という山賊の支配する地帯

世界はクリントン以来、チャイナをおいしい巨大市場としてみて商売の取引をしてきたわけだが、当時も今もチャイナは全体主義軍事独裁の中共という山賊が支配している広大な地帯に過ぎない。
もし取引をするのなら、中共という世界最大の超巨大犯罪組織を叩き潰してからにすべきであったが、もう遅い。日本も西側諸国も大きな誤りを犯した。

チャイナに言論の自由、宗教の自由も0だし、先進国ではいわゆる自明とされる人権も0だ。
チベットやウイグルでは未だに虐殺、拷問が日常的に行われており、国内でも似たようなものだ。
チャイナの労働強制所には、誰であっても起訴も裁判もなしである日突然、強制的に放り込むことが可能で、今も2000万人以上とも推定される「良心の囚人」が1日13時間の強制労働をさせられている。チャイナの安い労働力は、この労働強制所に支えられている面も大きい。

そして未だに公開処刑がローマのスタジアムさながらで行われ、後頭部から射殺された人間の家族にはその弾丸の費用を請求しているそうだ。しかし、最近は囚人は全て臓器売買ビジネスに利用されるため、薬殺をするようになったらしい。もちろん、その死刑囚は無実の良心的な人間だった可能性は高い。

そもそもチャイナは法治国家ではなくその対極であり司法はなきに等しい。いや、存在しない。すさまじい拷問は日常的に行われているし、起訴に証拠は必要がなく、一度起訴されるとほぼ100%有罪になる。黙秘権もなく、自白をすさまじい拷問で強制される。それが今も昔も変わらぬチャイナの現実だ。

オバマという鳩山並のルーピーがアメリカ大統領だったころ、キューバとの国交回復をしようとしたが、キューバは今ではソ連でなくチャイナの飛び地であり兵器庫である。
トランプはこれを反故にしようとしているようだが、当然である。共産主義キューバは全体主義国家にしてテロ輸出国であり、キューバがまともな国らしいなどというのは全くの嘘、出鱈目である。

北朝鮮もすさまじい地獄のような地帯だが、実際は、北などチャイナを暴力団の親分とすれば、その鉄砲玉のような存在だ。しかし、北は鉄砲玉ゆえの危なさがあり、アメリカをリーダーとする西側はこれをどうにかしなければならない。
いずれにしても、チャイナも北もこのままでは済まないし、これら山賊地帯を放置し何もしないことは近い将来にさらなる大きな危機をもたらすことは確実だ。

なお、以上の情報の出典はピーターナヴァロのチャイナウォーズ(The coming china wars)による。
原書は2008年頃に出版されたものである。
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2017年03月13日

職人の技とコンピューター

先日、秋岡芳夫の展覧会に行った。
故秋岡芳夫氏は著名な工業デザイナーで、多くの名作を残している。氏のことは私は最近知ったのだが、私と考えが近いなと共感し著書を何冊か読んでいた。

氏はテーブルや椅子の高さが日本人には高すぎると主張し、椅子やテーブルの脚を切って短くしようという運動もしていた。 氏によるとテーブルの高さは60cm程度。椅子の座面の高さは35cm程度が日本人には適しているという。これは全く同感で、私も自分の使う椅子やテーブルはそのくらいの高さに調整している。
市販のテーブルは、70cm以上の高さがある(73cm位のものも多い)ので、明らかに高すぎるのである。もちろん椅子も一般に高すぎる。食事をするにも、本を読むにもテーブルは60cm前後の高さがちょうどよい。そして椅子もそれに合わせた高さにする。

そもそも日本の家屋は天井も欧米の家に比べると低いし、体格も違うのだから、高さは1cm単位で重要だ。もし、使っているテーブルや椅子が、70cm前後なら脚を切って短くするとよい。俄然使いやすくなるのは間違いない。空間も広くなる。喫茶店などが居心地がいいのは、テーブルや椅子の高さを低く抑えているところが多いというのもある。

秋岡氏は日本の職人の大工道具の収集も行っており、西岡常一氏とも知り合いであり、西岡常一氏を世に紹介した最初のほうの人だろう。
私はDIYをする前から、道具の連鎖というものに興味があった。何かを作るには、それを作る道具が沢山あり、さらにその道具を作る道具がありと、道具の連鎖が存在するのである。
秋岡氏は、道具と工具を峻別しており、今の電動工具、丸のこやインパクトドライバーのようなものは工具であり、誰が使っても同じだから、人に貸すこともできるが、大工の道具はそれを調整し、しつらえるのが大きな仕事であるから人に貸せるものではないという。金槌のような単純な道具であっても、実にさまざまな種類があり、決して単純なものではないということが分かる。特に日本の職人の道具へのこだわりはすごかったようである。

また大工道具は刃物が基本だから、研ぎは日常的なものだった。だから、砥石屋も沢山あったし、砥石道楽というものもあった。高価な砥石は恐ろしく高価なものだったからである。
今は、人工砥石が高性能になってきているが、やはり天然砥石の世界は奥が深いのであろう。しかし今は砥石が枯渇してきているので、以前より需要も減ったが供給も激減した。
ほんのすこし前、50年くらい前は、生活とはDIYそのものだったのだ。
今のようにDIYを趣味やライフスタイルとする好き者の世界ではなく、DIYしなければ生活にならなかったのであろう。

室町時代以前の大工の工法は、割木工法であり、法隆寺も全て割木で作られている。直方体に製材して木目を切断してしまうと木の耐久性も激減する。これはある意味自明なことだろう。法隆寺は割木したものの表面を槍鉋で仕上げている。
そして、木の癖を読んで釘などはほとんど使わず、組んでいるのである。
ちなみに新人の職人を「叩き上げ」というが、これは新入りの大工は木を組む技倆がないので、なんでも釘で叩いて仕上げていたから叩き上げという言葉が生まれたそうだ。
木を組んで作った家は解体し、また組み直すことも可能である。そういった工法は20世紀初頭までは日本でも続いていたようだ。

私が思うに、そういった職人技を要する技術、一つ一つ違う木の性質を読んで組み上げるといった人間の凄い知能的な技術は、室町時代以降、木が製材化され工業製品となることで徐々に失われていったわけだが、コンピューターの処理能力が高度になった現代ではそういった技術を復活させられる可能性がある。AIと言わずとも、そういった複雑性を大量に処理することは今のコンピューターには可能だろうし、これから先のコンピュータはますます得意になるのは間違いがない。
そうやって失われた優れた技術が復活する可能性はある。コンピューター時代は、20世紀までのいわゆる工業化社会ではないのである。工業化社会は大雑把な画一性をもたらしたが、コンピューター時代は昔のような高度な職人技の復活を可能とするだろう。
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2017年03月04日

文具のテクノロジー

ここのところ、文房具に嵌って色々と買っては使い勝手を試していた。
日本は世界最高の文具大国でもある。日本にはオリジナリティのある個性的な文具メーカーが多い。これは競争の結果、そういうメーカーだけが生き残ったということだろう。

古来より文房三宝とは、墨、筆、紙のことだが、今風には、インク、ペン、ノートというところか。
これらは三位一体で、どの一つが欠けても用をなさない。

毛筆や万年筆は完成された筆記具だ。毛筆の方は殆ど知らないが、万年筆はやはり良い奴は素晴らしい。値段は割と正直に性能を表すが、十分条件ではなく、必要条件かもしれない。私はペリカンのSouveran M800を万年筆のスタンダード、基準と見ている。ただM800であっても、調整は多くの場合で必要である。
M800を超える書き味を求めようとしたら、やはりM800より高い値段の万年筆から選ぶしかないだろう。
それもやたらと装飾にコストをかけて高価になっているものではなく、書き味に徹底的にこだわった万年筆で高価なものである。そうなるとパイロットやセーラー、プラチナといった国産万年筆メーカーのフラッグシップモデルが対抗できる軸として候補になる。日本語は漢字という複雑な文字を書かねばならないので、万年筆に要求される性能レベルは高くなるのである。

しかし、最近色々と試してみたのは、万年筆ではなく、ボールペンのほうだ。
日本のボールペン開発が今は非常にホットといえるだろう。
三菱のジェットストリームのような油性低粘度インクの開発に始まり、水性ゲルインクの開発も非常に進んでいる。今まで自分はボールペンはジェットストリームばかり使っていたが、水性ゲルインクボールペンの進歩に驚いた。
水性ゲルインクボールペンでは、三菱のシグノ、ZebraのSarasa、ぺんてるのエナージェルなどがメジャーで、どれも非常に優れている。私が特に気に入っているのが、PilotのHITEC-C Maicaである。
このインクは、微生物から作られる樹脂を用いた「バイオポリマーインキ」で、私の印象では三菱のジェットストリーム以来の驚きの書き味を実現している。
ぺんてるのエナージェルはヨーロッパでバカ売れしているそうだが、水性ゲルインクボールペンなのに油性ボールペンのような滑らかさがあり、これもお気に入りだ。

ボールペンはインクの開発がかなりハイテクになっているようで、おそらくボールペンインクのようなハイテク商品は日本の技術力のある大手文具メーカーでないと今後は開発できなくなるかもしれない。
海外の有名ペンブランドは、デザインがよかったりするが、実際は、日本の文具メーカー、パイロットや三菱Uniといったところと比べると、売り上げ規模では弱小なのだ。

日本の水性ゲルボールペンは、線の幅と色の種類で多種多様で、海外ブランドも、もはやパーカーのリフィル規格の軸を作っている場合ではない。日本の水性ゲルインクボールペンはC−300という規格でほぼ統一されているのもよい。それでもリフィルの形状に若干のブレはあるが、対応は可能だ。
だから、高価な軸でC300リフィルが入るものを選ぶのがよい。

思うに筆記具が字体というものを形成する決定的な道具であり、逆に言えば字体は筆記具に即して変化するべきものだろう。歴史的にみてもこれはいえる。
日本は江戸の頃までは、寺子屋で行書を主体に教え、草書も教えていた。
それが明治で、学校で楷書を強制するように変化した。
毛筆で書くことを前提とした場合、行書、草書で書くのが正しく、楷書のような「活字」は適さない。
歴史的にも、チャイナで、行書、草書が最初に生まれ、その後、楷書が規格化された公文書用の文字として開発されたのである。
毛筆は筆圧0で方向性も360度自由に線が書ける唯一の筆記具であり、この特性を生かして行書、草書の流麗な字体が生まれた。

楷書は活字であり、行書のもつ運筆という本質を排除した文字である。楷書は活字であって、活字そっくりに書けることがうまい文字だとされる。これが日本人の文字を決定的に下手くそにしてしまったし、字を書くことを苦痛にさせてしまった原因である。楷書とは公文書用の「活字」だから、自由度がほとんどなく、書く楽しみが失われた文字なのだ。

明治ー大正ー昭和の頃の有名小説家の生原稿を見ると、原稿用紙に万年筆やら鉛筆で書く文字はかなり下手くそだが、筆で書いてる文字は全くの別物で達筆ということがよくある。(ちなみに三島由紀夫は硬筆でもずいぶんとうまい字を書く。)
硬筆で書く楷書と、毛筆で書く行書の間に物凄い落差があるのである。
毛筆で書く行書は、さらさらと楽に早く綺麗に書けるが、硬筆で書く楷書は、書くのに恐ろしく苦労し、おまけに下手くそで、その下手くそさに嫌になりながら書いているように見える。ww

もっとも今はPCで書くのが一般的で、こういった筆記具と格闘することもあまりないだろう。
だが、筆記具で書くことには未だに意味があり、筆記具で書くことが、昔の日本人が毛筆でさらさらと書いていたように、早く楽に楽しく書ける道具であれば、この快楽の道具を手放す理由はない。
今の文房具の進歩が、どうやってこの快楽を開発していくのかが興味深い。一つは万年筆であり、一つは筆ペンのようなハイテク毛筆。もう一つはハイテクインクを使ったボールペンで、どれも可能性がある。
posted by libertarian at 02:17| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

チャイナの弱点

近代国家の本質は軍事にあり、集団的自衛が近代国家の起源である。
ナポレオンの国民軍から近代国家が生まれたと言われるが、国民軍とは傭兵ではなく、一般人兵士からなる軍隊のことだ。一般人が兵士となることで傭兵のような報酬の代わりに、国民としての権利を得た。
国民軍が強かったのは、そのインセンティブシステムにあったと言えるだろう。

チャイナの人民解放軍は中共の私兵であるから、国民軍、もとい国軍ではない。そして実は台湾も同様で、台湾軍は、国民党の軍隊であって国軍ではないらしい。藤井氏などは蔡英文は台湾の軍隊の国軍化をまずしなければならないと指摘している。そして国名を中華民国から変更することも必須だ。なぜなら国連から中華民国は存在しない国家と扱われているからである。

チャイナのような独裁軍事政権は、独裁軍事政権である故の強さと、独裁軍事政権であるがための弱さがある。
弱さとは、チャイナは人口十数億人ともいわれるが、その実体は2500人の中共のトップ集団と、3000万人の中共党員からなる地帯に過ぎないということだ。2500人のトップ集団からさらにチャイナ7と呼ばれる権力集団が権力抗争によって選ばれる。中共党員ではないその他十数億の人間は、中共にとって人間ともみなされていない、単に搾取するだけの存在である。
さらに、ウイグルやチベットになると、虐殺しようと煮て食おうと焼いて食おうと自由な家畜以下の存在とみなされている。
実際、従来、全く報道されてこなかったが、チャイナがウイグルやチベットで行った核実験(水爆)は恐るべきものであった。地表核実験はウイグルなどで1996年まで30年以上にわたって行われたが、1回の実験でウイグル人を19万人即死させたこともある。その後の放射能障害で時を経ず亡くなった人は75万人とも言われる。これは住民区のすぐ近くでウイグル人の虐殺と人体実験を目的として行ったのである。このようなvillan stateと貿易をするなど狂気の沙汰である。西側は半ばこういった事実を知りながら報道管制を敷き見て見ぬふりをしてきた。1964年から1996年までの32年といえば毛沢東から江沢民の時までやっていた。つい最近のことだ。

チャイナでは国内に向けられた圧倒的な軍事的で暴力的な強制システムがあるから秩序という体裁はあるものの、実際の中共のチャイナは3000万人しかいないわけだ。これがチャイナ=中共のほんとの人口だ。
つまり、3000万人の党員とその他十数億人の奴隷からなる地帯がチャイナの本質といえる。
そして、ここにチャイナというガタイだけはでかい地帯の本質的な弱点がある。

posted by libertarian at 07:40| 東京 ☔| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする