2017年07月08日

KeyhacのTips

Rを使っていると、代入記号が、”<ー”になる。
ビジュアルには、見やすいし、等号記号を使うよりも意味的にはいいと思うのだが、いかんせん、2つ文字を打つのはちょっと面倒くさい。
そこで、Keyhacを使って、これのキーマップを設定した。

この設定だと、”Ctrl-コンマ”一発で、”<ー”が入力される。

ただし、これは、Rstudioを使っているときにしか用のない設定なので、Rstudioを使っているときだけ、この設定が使われるようにする。
Keyhacでは、このようなアプリケーション固有のキー設定は、次のように行う。(マック用の設定)


keymap_rstudio=keymap.defineWindowKeymap(app_name="org.rstudio.RStudio")
keymap_rstudio["Ctrl-Comma"]="Shift-Comma","Minus"


WindowsのKeyhacでも、似たように設定を行う。
一つのキー入力に対して、複数の文字出力をする場合はこのようにコンマで区切って並べる。

#しかし、ctrl-commaは、通常使わないバインディングであるから、keymap_globalに設定してもあまり問題ないかもしれない。w
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2017年07月05日

チャイナ社会の競争力

チャイナ社会の実態というのは、あまり話題にもならないし、知らないことばかりだ。中共がとんでもないというのは事実だが、チャイナは3000万人程度の共産党員の超特権階級と、その他十数億人の人間からなる独裁体制だ。その他十数億人の人達がどのようにしているのかがわからない。

先日、チャイナでビジネスをしている人からいろいろと話しを聞いたが、チャイナの一般人はものすごく勉強をしているそうだ。それこそ、熾烈な競争社会であり、寸暇を惜しんで勉強している学生が多いらしい。そして、一般に科学や技術に対する憧れが強く有るらしい。これは高度成長期の戦後復興期の昔の日本のようだ。私の子供の頃もまだ科学や技術に対する憧れ、リスペクトがあったと思う。今は、理系がかなり敬遠されているようで、バカ文系天国社会となってしまった。

反チャイナの自称保守連中は、チャイナ経済は崩壊するとかわかったようなことを10年前からずっといいつづけているが、日本が「失敗した社会主義国家」の道を進む中、共産主義チャイナが「成功した資本主義社会」への道を進んできたことは事実のようだ。

今は、教育無償化だ高校義務教育化とか共産主義よりヒドイことを、したり顔で話している自称保守連中も多いが、日本の教育システムは腐敗の極地にある。これを自称保守の連中はもっとヒドイ状態にしようとしているわけだ。

チャイナはかなり地方が分権的で、uberやら先進的な技術がどんどんと取り入れられているようだ。そうやって、科学技術立国になろうと地方レベルで推進しているようだ。技術者もどんどんと育てられている。
今の日本とは真逆の、日本の成長期の頃のようなメンタリティが今のチャイナにはあるようだ。

チャイナの悪口を言っている連中は、日本は素晴らしいと同時にいうが、失敗した社会主義国家となりはてた日本のどこが素晴らしいと思っているのであろうか。私は日本の自称保守連中なんて保守とは全く思っていない。
真の保守とは、古典的自由主義者のことである。日本の自称保守連中のほとんどはあまり賢くもなく、勉強もしておらず、右と左の区別もちゃんとは分かっていない、ただのおしゃべりなおっさん、おばさんというレベルなのだ。つまり、自称保守の連中のほとんどは、日本の典型的なバカ文系連中にすぎないのである。

これからの社会は今まで以上にテクノロジーが成長の鍵を握っている。日本のシャープや東芝の凋落ももっと重大な事件として扱われなければ本来はいけない。だが、バカ文系共にはこういった問題の意味は全くわからないのだ。
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2017年07月03日

演繹と帰納、そしてAI

人間の理解なるものには、演繹的なものと帰納的な理解の二通りあると思う。
数学的な理解は演繹的なもので、正しい定理から論理的に導かれるようなものであり、帰納的な理解は、WIKIによると、「個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする論理的推論の方法であり、演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない」といったものだ。w

つまり、帰納的なものとは、経験、過去の事例という限定的にして個別的・特殊的な事例を真であるとした時に、ある個別的な事案の成否を推論しているわけだ。しかし、それは、前提そのものがほんとに正しいかわからないので、結論の正しさも保証はされない。

人工知能は、基本的に帰納的なものである。いままで、コンピュータといえば、数学的な絶対的な計算を扱うもの、つまり演繹的に真理を出力するものというイメージがあったが、今の人工知能のやっていることは、帰納的な推論だと言えるだろう。

おそらく人間の知的活動のほとんどは帰納的、経験的なものだろう。人間は新しいことを学ぶとき、過去の経験とのアナロジーを見出そうとする。そして、うまいこと、それが見つかったとき理解できたような気になるわけだ。
ここ数年でコンピュータが経験的、帰納的なマターを扱うことができるようになったので、人工知能と呼ばれる。もちろん、コンピュータの行う論理計算はほぼ絶対的に正しいのだが、一方で、帰納的な推論も人間よりも優れているからと言って、それは真であるとは全く(論理的に)保証されない。

人間の作った法のようなものも、基本的には帰納的な判断だろう。それは法が真であるとは別に全く保証されていない。
間違いもあるだろうけど、何が真かは誰にも分らないので、それ以上の判断は難しいということで採用されているルールのようなものである。だから法が法であるために必要なのは多数のコンセンサスを得るという手続きだろう。
その点、法律判断のようなものも、AIがやることにそれほど問題はないのではないかと思う。AIの結論であっても、真であることの論理的な保証は0だが、人間よりはうまくやるという意味でだ。

将棋のようなものも、多分に経験的であり、過去の強い棋士のさした手が仮に正しいとした場合の手を定跡としてきた。だが、AIは経験的、帰納的な推論においても人間を凌駕するために、過去の教師データから人間より深い推論ルールを見出しているのだ。人間は過去の定番の指し手をそのまま定跡としてきたが、コンピュータの行う帰納的推論はそんな単純なものではない。

AIが経験的、帰納的といっても、それは教師あり学習のようなものに対応した話で、教師なし学習は、どうなのかという問題がある。私が思うに教師なし学習もやはり経験的で帰納的な範疇のものだろうと思う。
少なくとも教師なし学習の仕組みが演繹的なものではないのは確実だ。だから、帰納的なものだろうと思う。実際、将棋ソフトなんかは局面の事例を機械的に膨大に発生させてそこから学習している。経験を作り出しているともいえる。
AIのトレンドはそのうちディープラーニングから強化学習になるだろう。w
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2017年07月02日

東京砂漠

前川清と渡辺香津美の共演による「東京砂漠」



昭和は遠くなりにけりだが、今聴くと新鮮でかつ深みを感じる。
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2017年07月01日

教育から学習へというコペルニクス的転回

前から書いているように、教育とは強制であり、一方の学習は自発的な行為である。
そして自由な社会では、強制はミニマムに制限されなければならない。
英語でeducationには、teaching,training,coachingといった強制的な面が色濃く有る。
そして学習は、learningで、自発的なものだ。
つまり欧米では、教育とは犬の調教のようなイメージで捉えられていることが伺える。
さらに言えば、教育制度とは欧米の数千年の歴史がある奴隷制度の延長なのである。
日本も明治以降、欧米の教育という強制制度を取り入れてきたから、同じようなものだ。
しかし、江戸時代の寺子屋はそうではなかった。それは完全に自由な学習機関であった。
もちろん、テニスのプロがコーチを高給で雇うように、自発的にコーチングやトレーニングを依頼するのは問題ではない。

今の日本の文科省に支配され、さらに日教組が寄生して間接支配する強制制度にすぎない教育システムとは、アメリカのシステムを真似たものだろう。それはヨーロッパのシステムがベースになっている。

そして、アメリカも日本も奴隷養成システムと化した教育機関は、カルト的洗脳機関となっており、リベラル、社会主義、共産主義、全体主義の再生産装置となっている。
社会の再生産システムが、このようなカルトによって支配されているために、自由主義 対 {社会主義、全体主義、集産主義}という構図はエンドレスゲームとなっている状況だ。

この枠組を打ち破るためには、e-Learningが有効だろう。自由市場ではe-Teachingなど有り得ないのだ。
学習とは、どの車を買うか、どの服を買うかと同様の個人の趣味や価値観の問題だからである。
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標準規格の意味

キーボードのJIS規格について書いたが、なぜこのような標準規格があるのかと考えるに、これはおそらく特許制度の負の面を補償する意味があるのであろう。
例えば、ネジの形状でも特許によって大手に囲い込まれると、それを他社は真似することができないので、様々な仕様や規格が乱立せざるを得なくなる。
そうなると、いろいろと不便であるので、公的部門が特許フリーの標準規格を作って、さらに規格を広めるためのインセンティブも与えるというわけだろう。

ソフトウェア特許がどうなっているのか知らないが、あまり聞かないことを考えると、おそらくソフトウェア特許はかなり審査に通るのが難しいのであろう。これなんかは数学の定理が特許にならないのと同じだろうという議論が最初からあり、実際あまり特許によるプログラム保護はされていない。ただし、プログラムにも著作権があるということになっている。

私が思うにキーボードは物理的なモノだが、その本質はソフトに近く、様々な仕様が乱立することを恐れる必要はないものだろうということだ。たしかに、キーボードの配列が各社でバラバラだと困るだろうと考えるのは自然だが、配列を自分で決めて自由に変更できる機能があれば、別に全く困らないのである。
そして、それはソフトによって容易に実現できるので、規格化する必要がないというわけだ。
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2017年06月28日

Tensorflow-gpu

マックでここのところ、 Tensorflowをいじっていたが、RのTensorflowはGPU版がないので、PythonのTensorflow-gpuを使ってみた。TensorflowはCUDAを使うがCUDAはNvidiaのGPUにしか対応していない。幸いなことに私のMBPレチナは5年前のモデルなのでNvidiaのGPUが搭載されている。性能は当然に劣るが、それでもTensorflowのGPUバージョンがちゃんと動く。
GoogleのTensorflowにある手書き数字識別のMNISTのサンプルプログラムをそのままだと、GPUのメモリが足りなくてmemory exhaustedエラーを出すが、ちょっとプログラムを工夫するとちゃんと動く。
それでも、さすがにCPUバージョンより10倍位は高速に動く。

最近のGPUはPascalアーキテクチャになり、性能も物凄い。こんなものが一般にはゲーム用途で売られているのが笑ってしまう。w
ネットの普及を促進したのがエロ情報にあったのと近いものであろう。w
今のGTX1080クラスのGPUはテラフロップスの性能があるが、スパコンがテラフロップスを超えたのはそんなに昔のことではない。1997年くらいだったろうから丁度20年くらい前か。それがニュースになっていたことを、少し覚えてる。

今のPascalアーキテクチャは、16ビット演算、つまり半精度演算が可能となっていて、まさに DeepLearningのために開発されたようなGPUといえる。DeepLearningでは半精度演算でも精度が変わらないことが分かったために16ビット演算が可能なように作られた。これだけで単精度演算に比べて計算処理速度も2倍になるしメモリーの活用でも2倍有利だろう。
ただし、Tensorflowは半精度演算にまだ対応していないようだ。これは  cuDNNが対応していないのだろうか?
GTX1080であっても9テラフロップスの性能がある。こんなものが10万円もしないのであるから、凄い時代になったものだ。これからのAI社会はGPUによって創られていくのだろう。
posted by libertarian at 21:07| 東京 ☁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

CUI化するコンピュータ

コンピューターはマックをメインに使っているが、Windows10を少しいじってみて、ずいぶんと進化してきたなという印象を持った。
振り返れば過去にWindowsを使っている時間の方が長かったのかもしれない。だが、windowsは仕事上で使う必要があるがそれほど引き付けられるものではなかった。そもそも仕組みがよくわからないということがあった。w
仕組みがよくわからないのはマックであっても同様であったが、マックもUnix系のOSになってからは、見通しのよいものになった気がする。
20年くらい前はUNIXといえばワークステーションというカテゴリーで機械も数百万円という代物であったから、そういうものに業務で接する一部の人しか使わなかった。
もしくは大学の研究室にあるところはあったという感じだった。
むしろ、そのころはマックのGUIを持ったOSが最新という感じで喧伝されていた。そのころはCUIなど旧くGUIこそが素晴らしいということが盛んに言われていたように覚えている。GUIはCUIに対するアンチだった。だが、そもそもUNIXのCUIなどほとんど誰も使ったことがなかった。w それは私も同様であった。
そもそもPCが商品として出されたのが1980年位か。私が大学に入ったころでもはやセピア色の遠い昔に感じる。wこのころはOSという言葉そのものがほとんど知られていなかったし、実際当時のPC9801といった一世を風靡したコンピュータにはそんなものは載っていなかった。Basic専用マシンだったのである。w
パソコンは、このようなBasicマシンから始まり、マックがでて、Windowsが出てようやくOSという存在が認知されたといえる。これが1995年。今から20年くらい前か。
そして、今はUNIXのようなOSが一般的となり、誰でもがUNIXを使えるようになった。
今ではGUIが最高などと思っている人はあまりいないだろう。むしろマックもWINDOWSもUNIXのCUIにどんどん回帰している。最近のWINDOWSではBash on Windows(BoW)も出された。これをWindowsの第2のシェルとしていこうというわけだから、世の中も変わったものだ。こうなると、マックもWindowsもUnix的な世界に溶け込んでいくのだろう。
posted by libertarian at 05:32| 東京 ☁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

キーボードのJIS規格は意味がない

キーボードの配列が悪しき固定化をしている理由は、キーボードがJIS規格製品となっているからだろう。
JISのような標準規格は有用な面も大だが、なんでもかんでもJIS規格製品にすればよいというものでもない。
思うにキーボードをJISにする理由はあまり見当たらない。そもそも今はソフトキーボードのようなものも一般化しているのであるから、ハードキーボードだけJIS規格製品である理由がない。

使ったことはないが親指シフトなる仕組みも昔からあった。富士通のマシンに採用されていたようで、今でもFilcoから売られている。これはスペースキーの広大なスペースを分割してシフトキーを配置し、日本語入力を容易にしている。特殊な規格だから、専用のソフトをインストールして使うことになる。

キーボードがJIS製品という制約を取っ払えば、今よりももっとよいキーボードが実現できる。
製品にJIS適合をとるか否かはメーカーの判断にすぎないし、ユーザーサイドからはJIS規格であることに別にありがたみはないので、やめたほうがいい。
アップルの日本語キーボードがやや特殊配列であるが使いやすいのは、もともとアップルは親指シフト規格(NICOLA)の参加企業だったという経緯があるらしい。
キーボードはネジのようなハードな工業製品というよりは本質的にはソフトな製品だと考えられる。個々人の嗜好に合わせた柔軟なカスタマイズ性が大事なのだ。

もっともJISであるとかJASであるといった規格には普及させるためのインセンティブがセットされていて、税制面の優遇措置であるとか規格をとるメリットが与えられていることがある。そのため、企業は頑張ってJISなりを取ろうとするわけだが、これはいかがなものかと最近思う。少なくとも市場主義的なアプローチではなく、国家統制主義アプローチだ。その点、デファクトスタンダード戦略は市場主義的なアプローチといえる。
posted by libertarian at 11:11| 東京 🌁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

KarabinerのTips

キーボードの設定について、さらに書いておこう。
Karabinerというマック用の超便利なソフトがSierraで突然使えなくなってしまったため、Sierraにうっかりupdateしてしまったマックでは多くのKarabinerユーザーが苦労しているわけだ。私もメインのMBPrをSierraにしてしまったので、ちょっと困っている。しかし、旧いMBPはEl Capitanのままなので救われている。

このKarabinerというソフトはプログラムみたいな設定ファイルを書くといった敷居がなく、高度なキー設定の変更が可能であったが、簡単に使える分、使い方の説明はあまり詳しく書かれていない。日本語だけでなく、世界的に使われることを意図しているためか英語で書かれているところもある。
ネットで検索しても、Karabinerの設定に関するTips記事は少ない。
そこで、知っている人は知っているが、知らない人は知らない重要なKarabinerの機能を2つだけ書いておく。

1)まず、最初に各キーのコードをどうやって調べるかだ。これは最も基本的なことで、これが分からないと設定ができない。
Karabinerのホームページにはキーコードのリストのリンクがあるが、そこには載っていないキーもある!
特に外部キーボードを繋げたときなど、キーコードの分からないキーがあったりして困ることもある。
しかし、Karabinerにはキーコードを調べる機能がある。それはMisc&Uninstallという設定のタブからLaunchEventViewerというボタンを押すと、押されたキーのコードを表示するソフトが起動する。
キーコードは、このソフトで全て調べるのが基本であろう。

2)もう一つ、重要な機能はワンショットモディファイヤと言われる機能である。
ワンショットモディファイヤとはどういう意味かというと、あるキーを単独で押した時と、他のキーと同時におした時とでキーの働きを変えるというものだ。例えば、マックの日本語キーボードで英数キーを単独で押せば半角英数に切り替えられるが、英数キーと他のキーとを同時に押したときには英数キーがシフトキーとして機能するといったことを可能にする。もちろん、この組み合わせはお好み次第だ。
これは非常に便利で、英数キーであるとか便利な位置にありながら単機能しかないキーを便利な修飾キーとしても利用することができるようになる。

こういった機能は、AHKやKeyhacのようなソフトでも実現可能だが、いかんせん、これらのソフトはたかがキーボードの設定のためにプログラムチックな設定ファイルを書かねばならないという敷居の高さがあり、一般向きではないかもしれない。
プログラミングのできる人であっても、取説を読んで使い方を調べるのは一苦労だ。w

英語キーボードがマックの場合、便利だという人も多いが、それは、このKarabinerの機能を使ってコマンドキーなどをワンショットモディファイヤーとして利用できるからということもあった。それができないとやはりマックであっても英語キーボードは日本人には少し不便であろう。
posted by libertarian at 10:19| 東京 🌁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

キーボードについて その3

キーボードの設定をあれこれしていて、意外にもキーボードという原始的にも思っていたデバイスの仕組みが複雑であることに気づいた。これまでキーボードの仕組みなど考えたこともなかったが、けっこう複雑だ。
また、今のキーボードのデフォルトの使い方では、あまりにも効率が悪い。まあ普通は文句も言わずに与えらえたキーボードをみなさんそのまま使っているわけだが、これほど重要なデバイスが改良もされずに何十年も使われているのはなにかおかしい。いまだにCapsキーなどという無用の長物が一番重要なポジションに陣取ったキーボードが売られているということ自体、なにか不気味である。これをコントロールキーと入れ替えることくらいはやるだろうが、そもそもそんな配列設計のキーボードを売っていることが間違っている。
#マックのキーボードはちゃんとAの横のキーは最初からコントロールキーになっているが。

また最初は私は見た目のすっきりとした英語キーボードがいいと思っていたが、日本語、英語(半角英数)入り交じりの文章と文字を書くことを宿命づけられた日本人としては、やはり日本語キーボードを使った方がなにかと便利である。つまり英語キーボードではキーの数が少なすぎて、日本人には適していないと思う。
特に1段目のスペースキーのある段のキー配列が重要である。

英語キーボードでは、やたらとスペースキーが大きく、スペースキーの左右にはそれぞれ3つくらいしかキーがない奴が多い。だが、この1段目のキーはホームポジションの一部であり、ここに有効な修飾キーがこないといけない。特に親指をいかに活用できるかが重要だ。
その点、Macの日本語キーボードはなかなかよく考えられている。ベストとはいえないが。
私はマックのMBPretinaに外部キーボードをつなげて普段は使っているが、外部キーボードもやはりマックのにした方がいいのかもしれない。

外部キーボードもいろいろとあるが、まだまだ改善の余地はたくさんある。安いのから高いのまで、つまり500円くらいのからhhkの30000円位までのキーボードがあるわけだが、キーボードの使い勝手やカスタマイズ設定はもっと改善の余地がある。つまり、もっと容易に柔軟にキー設定を変更できる仕組みが必要だし、キーボードのキー配列にも改善の余地がある。
今のキーボードは周辺デバイスという位置づけで、キーボードの中に1チップマイコンが入っていて、スキャンコードをPCに送り、あとは全部PC側で処理するバカ端末方式の仕組みと思うが、キーボードをもっとインテリジェントにした方が柔軟性が高まるのではなかろうか。
posted by libertarian at 23:08| 東京 ☀| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

Google翻訳が進歩している

最近、気づいたのであるがGoogle翻訳がここのところ急激に進歩しているようだ。
これだけ翻訳できれば、下手な人間の翻訳より自然かつ正確かもしれない。これもやはり、AI技術によるものだと想像できる。というか、間違いなくそうだろう。
今のAIの画像認識は驚異的なもので、人間と同じか優っているところもあるだろう。この進歩はまだまだ進むので、将棋同様に人間をすぐに追い抜く。
画像認識というのは、動物の能力の中でも最も不思議で神秘的だと思っていたが、その画像認識が意外なことにコンピューターにとって得意なことになった。
残るは自然言語認識だが、これもあと数年で相当なレベルになりそうだ。
急激にAIの時代になったなと思う。
posted by libertarian at 02:15| 東京 ☁| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

キーリマップ2

MacをSierraにしたらkarabinerが動かなくなったが、しかたがないのでMac用のkeyhacで代替した。
色々とキーをリマップしていじってみたが、ほぼ落ち着いてきた。
記号キーのリマップは()=-+'" enterの8つだけ行う。

具体的には、
左シフト+h → (
左シフト+j → =
左シフト+k → )
左シフト+l → -
左シフト+i → +
左シフト+y →  " 
左シフト+u → '
左シフト+n → enter

keyhacはPythonでプログラムするが、取説が非常に分かりにくくて苦労した。w
Windowsに関しては、Autohotkeyで設定すると簡単だ。
Ahkは、いろいろと使い出のあるソフトである。

windowsのAhkの設定ファイルの内容は以下の通り。
<+y::"
<+u::'
<+h::(
<+j::=
<+k::)
<+i::+
<+l::send,-
<+n::enter

この内容をテキストファイルに書いて、拡張子をahkにして保存し、スタートアップフォルダに入れておけば起動時に自動的に読み込まれる。
#ここで、<+は左シフトキーを意味している。右シフトキーなら>+と略記する。例えば、<+y::"だと、左shift-yをダブルクオートにリマップするという表現だ。

要するにプログラムの際に頻繁に使うキーを、ホームポジションの近くにリマップしている。
しかし、記号を全てリマップする必要はあまりないので、上記の頻出する重要な記号キーだけリマップする。
こうすると、かなり快適で、記号を打つ度にホームポジションから離れたキーに指を伸ばさなくて済むので楽だ。
posted by libertarian at 11:00| 東京 ☁| Tech | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月04日

緩衝地帯化する日本 2

3月頃に四月に朝鮮半島で戦争が起こるだろうと書いたが、今のところ戦争は起こっていない。
色々と聞くと、アメリカは現在鋭意準備中のようで、年内には作戦行動があるかもしれないという位の時間感覚かもしれない。
南が極左の親北政権になってしまったので、軍事行動をするとしても、南は日米韓の共同軍事行動からは外さざるを得ない状況となった。
そうしなければ、情報がダダ漏れになるためだ。
実際のところ日本も秘密管理のしくみが法的にないから、ほぼアメリカの単独行動になるのだろう。

時期が長引くとまた状況も変わっていくが、もし軍事行動を起こすとしたら、現在の金体制を完全に潰す結果に持っていく必要がある。そうしなければ、多大のリスクと人的金銭的コストをかける意味がない。
また、短期に収束させないと、今度はチャイナがその間隙をぬって動き始めるだろう。

日本に民進党というチャイニーズを党首に担ぐ、チャイナを支持母体としたトンデモ政党が存在するように、南も北支持と西側支持の政党が混在した状況で、これは緩衝地帯の悲しさというべきか。慰安婦問題も裏では北が主体となって行っている政治工作に過ぎないという見方もある。離間の計というやつだ。
緩衝地帯では明確な国家意思、つまり国防、national securityという意識が消滅してしまうようだ。

しかし、もしアメリカがコストベネフィットを考えて北を放置したら、対馬海峡が新たな38度線になるという話は現実のものとなる。この結果、日本が半島に替わる100%緩衝地帯となる。

緩衝地帯の人間は、自分が緩衝地帯の住民だという意識を持たない。
これは親チャイナの連中もそうは思っていないだろう。
もし、今、北を叩き潰さなければ日本が徐々に100%緩衝地帯となっていく。
すると民進党や共産党のようなチャイナのエージェント政権がどうどうの第2党として、むしろ力を増していくだろう。支持もされてないトンデモ政党が伸びてくるという不思議なことが起こるだろう。

チャイナが日本を侵略しようとしているのは事実だが、アメリカが日本を極東前線基地として駐留している以上、完全な武力侵略は難しく、むしろ時間をかけたソフトな超限戦、つまりは政治、メディア、行政といった面での侵略を強めてくることになるだろう。
日本はこの手の侵略に対抗する法体制を持たないので、そっちのほうが容易だ。
結果、日本は今以上の緩衝地帯、米中の100%緩衝地帯となる可能性が高い。

しかし、そうなると日本も惨めなもので、半島やウクライナのような地帯になってしまうことになる。
posted by libertarian at 17:55| 東京 ☀| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

ベトナム戦争

ベトナム戦争は私の子供の頃にあった。ベトナム戦争は1963年のアメリカ参戦から1972年のアメリカ撤退まででも約10年も続いた戦争であり、子供のころのニュースはベトナム戦争にあふれていた。当時、ベトナム戦争の状況は連日テレビや新聞で詳細に報道されていたが、私には全く何をやっているのか理解できなかった。学校の教師に聞いたこともあったが、教師も何も理解していなかった。
小学生の私が質問したのは1点で「つまるところ何で戦争しているのか?」という素朴な疑問であったが、教師はそれを理解してなかったようで、納得いく回答はなかった。
そのうち、ベトナム戦争は終わり、世の中はヒッピーやロック全盛期であったが、戦争は悪いものだという反戦、厭戦気分だけはなんとなく自分も共有していた。だが、ベトナム戦争とは何だったのかはその後も謎のままだった。
このなにがなんだか全くわからん状況はおそらく子供だけでなく老若男女の日本人のほぼ全員に共通していたものだろう。報道する側も、それを読む側も何も分からなかったし、今も分かっていないわけだ。
カンボジアにしても同様である。

しかし、ベトナム戦争の意味を今の段階で、ちゃんと理解しておくことは大事なことだろう。
ベトナム戦争は、アメリカが参戦する前から、大東亜戦争の後に連なっておきた民族独立戦争から続いた戦争であり、日本もこれに大きく関係している。
ベトナム戦争は、アメリカ参戦から考えては、わからないわけだ。
アメリカは、ホーチミン政権を共産主義イデオロギーの拡大としてみて、反共の旗の下に阻止しようとしたのだが、実際は大東亜戦争終結頃からはじまる民族解放戦争という色彩がベトナム戦争に関しては強かった。
ベトナム人にゲリラ戦を仕込んだのも大日本帝国軍人だった。彼らは戦後、ベトナムに残留し、ベトナムがフランスからの独立戦争を戦えるようにゲリラ戦を教え、また、ともに戦った。
ベトナム戦争では、ソ連やチャイナがバックにあると考えられていたが、実際はチャイナとベトナムはその当時から対立しており、チャイナはソ連の物資供給を妨害しまくっていたようだ。アメリカはこういうアジアの歴史を全く理解していなかったらしい。

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拡散するIS

ニュースによるとフィリピンにISの勢力が拡大し、ひどい状態になっているようだ。
事態を重く見て戒厳令がひかれているようだが、シリアのISを潰したことで、ISは拡散して世界各地でテロを頻発させる作戦に移ったのだろう。アジアではフィリピンだけでなく、イスラム教徒の多いインドネシア辺りも危ない。
フィリピンやインドネシアに過激なIS支持組織があるというのは、前々から指摘されていたが、それが勢力を拡大してきたわけだ。
日本もフィリピンやインドネシア辺りから入国してくる人間には注意をしないと、日本国内でのテロも起こりうるだろう。ISは前々から日本もターゲットだと公言しているからだ。

こうなってくると、海外旅行も危ない地域ばかりになってきて、アジアもヨーロッパもちょっと行く気がしない。
せめて日本国内は安全に旅行を楽しめる状態を維持してほしいものだ。
しかし、日本のテロ対策は全くできていないようだ。
このままだと、東京オリンピックはほんとに危険なことになりかねない。
しかし、小池百合子が共産党に完全に飲み込まれたようで、困ったものだ。小池がこれほどのバカだったとは知らなかった。小池は、法律も行政も何も知らないただの婆さんなのであろう。
こうなると、舛添の方がまだましだったのではないかと思うが、後の祭りである。
posted by libertarian at 00:59| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

現代の疎外論 w

「仕事なんか生きがいにするな」という本をざっと読んだ。
著者は泉谷閑示という精神科医で、次のネット記事を見て少し興味を持ったためである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/030200240/

泉谷:そうなんです。しかし面白いことに、インド・ヨーロッパ語族の言語も7世紀くらいまでは、やはり日本語と同じように主語というものはなかったのだそうです。しかし、そのうち動詞の活用が始まり、主語も登場してきた。英語では12世紀頃、主語の義務化が起こるようになってきた。それはムラ的だったヨーロッパの中世の社会が、「個人」に目覚めていった社会の流れと密接に関連しているわけです。


興味を持ったのはこの部分で、ほんとかどうかは知らないが、ほんとだとすると興味深い。W
しかし、こういった断片的な知識では何とも言えないし、事実関係については注意深くあるべきである。

先の本は全く面白くなかったし、つまらない本を買ってしまったと後悔したが、同調圧力とか、主語の問題というのは興味深い。が、そういう話は先の本には載ってなかった。
労働教を否定するのに、フロムやらマルクスの甥やらウェーバーやらいろいろと引用が出てくるが、こういった名前を聞くだけで、著者の知的背景はなんとなくわかるのだ。W
労働教、労働価値説、怠ける権利、実存主義、、こういった20世紀初頭からもてはやされたリベラルの空疎な概念をもてあそんでも100害あって1利なしだ。
著者は労働教といったものが現代にあるとして、それを否定的に扱っているのだが、これも一種の昔からある左の疎外論だろう。

私が前々から思うに、右と左のわからない人間がほとんどだが、右と左がわからない人間はまず例外なく左なのだ。この精神科医も右も左もわからない左である。

子供のころ、つむじが右回りか、左回りかというのがはやった。たしか、左回りのつむじだと賢くて、右回りだとバカということだったと記憶している。私はこの理由がわからず不思議であったが、今思うに、これは左と右をからかった話だったのかもしれない。W
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2017年05月27日

ペンとノートとキーボード

ここのところ、筆記具、文房具、キーボードに凝っていた。この手の道具は普段は何となく使ってるが、意外と奥が深いことを再認識した。w
現代人にとっては、手書きもキーボードも日常的に必須の道具で、どちらか一方だけというわけにはいかない。

思うに手書きの場合の一番のメリットは、落書きができるということかもしれない。
パソコンでも落書きはできないこともないが、やはりノートに書いた方がしっくりくる。
雑然とした考えやイメージを絵、図形などの落書きで徐々に整理していくには、ノートとペンというシンプルで自由度の高いものがよいのである。コンピューターは便利だが、基本的にとんでもなく複雑なもので、自由度も高くない。プログラムされた機能に制約される。
紙やペンには、紙の質感や書き味という要素があるがコンピューターにはない。まあ、ないわけじゃないが、良質の紙とペンのフィーリングにはまだ遠く及ばない。

コンピューターは、ノートとペンのもつ、質感とか書き味といった感覚的な要素を一切廃した情報としてしか扱わないわけだ。そこがコンピューターの良いところでもあり限界でもある。
しかし、人間の能力をより引き出してくれるのは、ノートとペンの方だろう。

タイピングゲームの寿司打の1万円コースでタイピングと手書きのスピード比較をしてみた。大体、手書きもタイピングも同じくらいのスピードのようである。手書きも練習をすれば、もう少しきれいに早く書けるようになると思う。今の状態では、寿司が流れる前に手書きできるが、力が入りすぎるのか乱雑になる。
しかしタイピングの方がずっと速く書けるように思っていたが、あまり大差ないというのは、発見であった。w

書くスピードが大差ない上、実際は考えたり思い出したりする時間が圧倒的に長くてそれが律速段階になるので、どちらで書いても時間的な違いはないということだろう。
プログラムもノートに書いた方がいいかもしれない。w
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2017年05月25日

Chrome Remote Desktopのすすめ

複数のコンピューターを使う際に、ディスプレイもキーボードもマウスもその分だけ必要だったりするが、これをChromeのリモートデスクトップを使うことで一元化すると便利である。

今のところ、私が現役で使っているマシンはマック2台、Windows3台だが、これを1台のmacbookproからリモートデスクトップ経由で使っている。もっとも全部使うことはあまりないが、1台はオーディオサーバーのようにしている。
少々古いCore2Duoのノートでもリモートデスクトップ経由で早いマシンを使えるのは便利だ。ほとんどリモートデスクトップだけ動けば十分という感じになる。w
実際は仮想マシンで各マシンに様々なLinuxも動いているので、10台以上のマシンを使っているような感じだ。w
リモートデスクトップ経由でもタイピングの遅延もあまり感じない程度に速く不満はない。LAN経由でなくインターネット経由でこのスピードが出るのだからいい時代になったものだ。w

普段は、メインのMacbookProRetinaから、windowsや他のマックにログインして使う。
chromeなどのブラウザーはかなりメモリを消費するので、メインのマシンのメモリをなるべく消費をさせたくない場合、他のマシンでchromeを立ち上げておいて、リモートでそれを見るといった利用法だ。
ながらで音楽を聴くときはUSBDAC経由でオーディオにつなげたPCを操作する。
このような形でPCリソースの有効活用ができる。

また外出時は、モバイルやタブレットPCからリモートでメインのマシンを見れば、非力なマシンでもメインマシンをそのまま利用できるので便利である。同じ環境を非力なマシンにインストールしなくても大丈夫というのも便利だ。もちろんipad,androidからでも使える。

このchrome リモートデスクトップは大変にすぐれものなのでおすすめである。
セキュリティ管理をGmailログインの仕組みで代替しているようで、面倒な設定も一切ない。
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2017年05月23日

ネガティブリストとポジティブリスト

憲法9条を改正して、自衛隊を国軍にしなければいけないという議論があるが、これがだんだんと迷走してきた。
つまり、加憲を行い改正を行わないといった議論だ。
しかし、自衛隊の本質的な問題は、正式な軍隊にして軍法を作らなければ、それを国防軍と呼ぼうがなんと呼ぼうがやはり軍隊として行動ができないということだ。
今の自衛隊は、ネガティブリストでなく、ポジティブリスト形式の軍規のようなものがあるそうだが、軍法がない。そして、ネガティブリストの軍法を持たなければ軍隊ではない。

法律自体が本来、ネガティブなルールでなければいけないというのがハイエクの指摘したことである。
つまり、なになにすべしではなく、なになにしてはいけないというのが法律の本質なのである。このようなネガティブリストが法律の本質である。
たとえば、言論の自由とは、国家が言論の自由を制限してはいけないという、ネガティブルールである。

特に憲法のようなものはネガティブルールを基本とするべきである。
日本国憲法を書き換えるのであれば、それはネガティブリスト形式に文言を書き換えるのがよい。
ポジティブリストの、これこれをしなければいけない、なになにをしてもいいという形式は原則禁止の前提でその例外規定を定めるものであり、自由を著しく狭める。
一方のネガティブリストは、これこれはしてはいけないというもので、原則自由の前提で例外の禁止規定を設けるものである。軍隊がネガティブリストに基づかなければ、臨機応変に行動することは無理なのである。
そもそもポジティブリストで規定されていたら、敵はそのポジティブリストの裏をかいて、手も足も出せないように攻撃することも可能だろう。
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2017年05月22日

将棋の考え方

電王戦を見ていたが、面白かった。佐藤名人の態度や発言が立派で感心しきりであった。
今のコンピューター将棋が、人知を遥かに上回るレベルだというのは、既に数年前からの常識であり、もはや興行的な面白さもなくなったから今回で電王戦は終わるようだ。

将棋というのは、何をどう考えるゲームなのかがわりとはっきりしないゲームだと思う。
つまり、「将棋の考え方」がよくわからないために、上達も難しいゲームだと思う。
谷川浩司永世名人が若い頃に書いた「将棋に勝つ考え方」という本が昔あったが、この本は、将棋の評価をどうするかについて初めて書かれた本ではないかと思う。その本では、持ち駒に点数をつけ、その合計点で客観評価のようなものを行っていた。
しかし、その後、「将棋の考え方」についての本は出ていないと思う。
やれ、最新定跡だ、戦法だ詰将棋だといった本ばかりで、将棋とは何をどう考えるゲームなのかが分かっていない。昔はココらへんを曖昧に大局観という言葉で表現していた。大局観が評価関数のようなものだ。
それは、指す人間によって異なり、強い人間は正しい大局観をもっているから強いのだと思われていた。

今のコンピューター将棋の留まるところを知らない進歩は、この評価関数の進化という風にも考えられるのだろうか。それは非常に複雑なもので、開発者であってもその評価関数の意味を理解することはできない。
おそらく関数という形では中身をみることもできないブラックボックス化されたものだろう。

肝心の評価関数がブラックボックス化されているという点では、従来の人間の評価がその人間に固有のものでブラックボックス化されていたのと似ている。棋士にもなんらかの評価関数があるが、それを正確に言葉にすることはできない。

実際、将棋で学習し上達できる部分は、寄せの技術、詰ます技術くらいかもしれない。
プロでも終盤のこの技術で大体の力関係は決まっているように思われる。
藤井4段も、詰ます技術がすでに棋界トップだから強い。
#しかし、寄せの技術と詰ます技術は似て非なるもので、実際は寄せる技術も高いのだろう。

実際の勝負は時間という要因が大きく、将棋は限られた時間内でどちらが正確に読めるかを競うゲームだ。
特に中終盤の複雑化した局面で、どちらがより深く正しく読むかを競っている。そういった力はR値のようなもので評価できて、かつ年齢に関係がないし、ある程度でその人のもつプラトーになってしまうのではないか。

将棋も高段者になるほど、相手の攻めを手抜きして切り返しの手を指す。高段者の将棋になると何箇所も駒がぶつかっている状況になる。私の印象では女流の将棋よりもやはり男の棋士の方が駒のぶつかりが多いと思う。そして、コンピューター将棋は、さらにこの傾向が強くなる。普通なら飛車をいただきというところで、無視して別の攻めを重ねていく感じだ。
人間同士なら飛車をとって勝ちでも、コンピュータ相手だとそれが敗因になりかねない。
人間は将棋の駒に価値を感じてしまうので、おそらくプロスペクト理論が働いてしまうのであろう。「ヘボ将棋、王より飛車を大事にし」という川柳は、将棋のプロスペクト理論である。これが将棋に恐怖の感情をもたらす。w
もっとも将棋も上達していくと、ある程度、この感覚から離れていくのだろうが、完全には無理だろう。だが、コンピュータには最初からそんな心理要因は働かない。

圧倒的な優位を築くことは、相手が明らかな悪手を指さない限り無理なので、均衡を保ちながら徐々に相手を制圧する感じか。例えばコンピューター将棋は、穴熊の価値はあまり高く見ていないらしい。
あと歩の価値は人間が感じているよりも高いのだろうと思う。コンピュータ将棋は歩がどんどん相手に突き刺さっていき歩で制圧される感じがある。
CPU同士の戦いであれば、ミスは基本ないので、寄せ合いになる前の中盤で4−500点前後の優位を築けばそれで勝負が決まってしまうようだ。






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2017年05月19日

学歴と教育

教育という言葉は私には強制という意味に聞こえる。
学習といえば自発的な響きが有るので、私は学習という言葉がいいと思う。
実際の所、教育は多義的な言葉で、英語で言えば、educationには、teaching coaching learning training などの意味が含まれ、どの意味でそれを使っているかで議論がかみ合わなかったりする。

また、富国強兵のための国策として論じられたり、国民への福祉として論じられたりもする。
#しかし、教育=善という前提で話をするのは大体が教育関係者なので注意が必要だ。今の社会でも教育関係者の利権はあまりにも大きい。それを連中は死守したいのである。

たしかに教育は歴史的にも国策であった面もあるが、そもそも憲法上はそんな国策を人に押し付ける権利は国家にはない。しかし、国家は権利はなくても権力があるからそれをやってしまうのだ。w
義務教育は法律的には親の義務であるが、子供の権利としては必ずしも捉えられていないだろう。
#大体において、未成年者、子供の権利というのは、法律上曖昧である。

今の社会で学歴なるものは、人間のプライシングの手段というのが最大の社会的な意味になっている。
人間を人材、つまり資源としてみれば、価格情報がないと資源は激しく浪費される運命にあるので、人材をプライシングする機能は実際の所、必要な社会的な仕組みだろう。
もし人材という資源に対する価格情報がなければアインシュタインのような天才が、つまらない単純肉体労働をさせられたり、凄い運動能力のあるスポーツ選手が、つまらないデスクワークをさせられたりするわけだ。w
プライシングとは、ある種の差別であるが、社会的には資源の浪費を防ぐために必要な「教育」の肯定的な機能ともいえる。

だが、このようなプライシングの機能は学歴で評価しなくても、いくらでも他に手段はある。
前にも書いたが英検みたいな検定試験でも十分なのだ。
もし、努力とは関係ない地頭の能力で評価したいのなら、IQテストなどというものもある。ww(ちなみに、私はこの手の心理学的概念はしょうもないエセ科学にすぎないと思っている。)

例えば、そろばんで1級とか何段だとか聞いた場合、すごい技術を持っているのだなと思っても、それに引け目を感じたりはあまりしないだろう。だが、学歴の場合は引け目をほぼ全ての人間が感じる。これは、東大卒業生であっても、自分よりちょっとでも優秀な学歴のある人間には引け目を感じるものなのだ。むしろより一層強く感じるようだ。w

これはなぜかというと、プライシングと価値が結びついているからだろう。値段と価値は別の概念だと言っても、なかなかそうは認識されないのだ。w
一方、そろばんの技倆は価値に結びついたプライシングの一種とはあまりみなされていない。
それはあくまで個人的で個別な技倆の尺度なのである。
私はその点、今の学歴システムを検定試験で置き換えてしまえば、プライシングの機能も果たされ、所詮は全ては技能検定にすぎないと皆さん思うようになり、価値との分離ができると思うのである。

今の学歴というブランドによるプライシングが価値と結びついている理由は権威と結びついているからだろう。
日本の場合は東大を頂点とした旧帝大から連なるヒエラルキーが役所的にきっちりと出来上がっているのである。こんなものを誰が勝手に決めたのだろうか?

実力、学力、、こういった力関係は、パワー、つまり権力に結びつく。学歴のあるなしには関係ない。
学歴は日本の場合は特に、権威と結びついている。権力と権威は別の概念なのだ。
つまり、力=権力はあるが権威がない在野の人材というカテゴリーが生まれる。w
本田宗一郎や松下幸之助といった人物は権力は絶大だったが権威には欠けている在野の人間なわけだ。
スティーブ・ジョブスもしかり。w

だらだらと書いて、何を書こうとしていたのか忘れてしまったが、要するに、社会的な権威とは国家が関与することから生まれるわけだ。日本の場合は、私学より国立がエライといった構図が国家が教育に関与している部分が大きすぎるがために起こっている。さらに、権威と権力の分離という日本の歴史の美点までが損なわれているのである。
さらに言えば、権威とは宗教的なものだ。キリストには権力はなかったが、権威を今の信者は認める。なぜならキリスト教は国家よりも上だからである。天皇も権力はほとんどなかったが絶大な権威は日本の歴史を通じてずっとあった。それは天皇が神道の祭祀王だったからだろう。
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2017年05月14日

キーボードについて2

キーボードのキーのリマップソフトには、マックではkarabinerやkeyhacというのがある。
ただしosをsierraにしてしまうと、karabinerは使えず、karabiner elementで最小限の設定しかできない。
keyhacの存在は最近知ったが、これだとsierraでも、キーリマップが細かくできるらしい。
keyhacはwindowsにも対応している。

キーボードも英語配列、日本語配列とあるが、一番の違いは記号の位置である。
英語配列の方が記号の位置が比較的にプログラムする際は便利な配列になっている。
だが、どちらも基本的に、!"#$%()といったプログラムする際に多用する記号キーがホームポジションから離れたところに配置されていることには変わりない。

そこで私はこれらの記号をホームポジションの周辺にキーリマップしている。
英字大文字はシフトー◯というホームポジションのアルファベットを使うが、基本的に大文字を入力することは少ないので、ここに記号をリマップする。例えばシフトーqで!が入力されるといった具合になる。
もし大文字入力が必要な場合はもう一方の側のシフトキーか、caps lockを用いればよい。

こうすることで、プログラミングする際もほとんどホームポジションから手を大きく動かすことなく入力することができるのである。
同時に、このようにリマップしてしまえば、キーボードの英語配列、日本語配列という違いもあまり気にならなくなる。


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渡部昇一とハイエク

渡部昇一氏が永眠された。
うらやましいような、いい人生を歩まれた稀有な知識人だったと思う。
渡部氏は大量の著作を出されていて、私はそのほんの一部を読んだことしかないが、それでも20冊くらいは読んだことがあると思う。

私の印象では、渡部昇一はイギリスの良質の古典的自由主義を理解しかつ体現していた日本人ではほんとに稀有な自由人だったのではないかと思う。英文学の研究経由でチェスタトンなどを深く理解していたのであろう。
また、若き日にハイエクの通訳として交流があったというのも稀なる偶然だ。
渡部昇一氏の書いたハイエク本が日本人の書いたハイエク本の中では最も良質な本だと思う。というか、それしかマトモなハイエク本は見当たらない。
ハイエクはオーストリア生まれだが、イギリス人となりイギリスの古典的自由主義を研究し、それをリバイバルさせた人物であったといえると思う。ハイエクの保守主義とはイギリスの古典的自由主義(classical liberalism)のことである。

稀有な特権的な体験を積み重ねる中で、渡部昇一という古典的自由主義者が日本に生まれたというのは奇跡的というべきかもしれない。
70年−80年代の左翼全盛の中で、猛烈な個人攻撃にさらされながらも、独自の言論を展開し続けた胆力はチェスタトン譲りの信念があったからかもしれない。
今の日本には渡部昇一に相当するような知識人はどの世代をみても全く見当たらない。
そして、日本には古典的自由主義を理解する人間はいなくなってしまった。
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2017年05月13日

Rについて

あるアイデアを思いつき、どの言語で作ろうかと考えていた。
私は今までにいろんな言語をかじってきたので、普段は細かいことはほとんど覚えてないが、ちょっと復習すればプログラムを作れるくらいの知識と理解はあるのである。私にとってプログラミングはDIYの楽しみの一つだ。
そして開発言語の選択はDIYにおける道具の選択と同様に重要な問題である。

言語は大体、C系統とlisp系統の関数型言語の2つのパラダイムに分けられると思う。prologもパラダイムの一つに入れられるのかもしれない。が、prologは使ったことがない。w
それにくわえてoopがある。ただしオブジェクト指向はパラダイムというわけではない。昨今の言語は、マルチパラダイム化しており、いろんな言語のいいとこ取りをしているわけだ。oop的なものは最近の言語では大体必須になっている。

で、今回はRを使おうと思った。Rは日本ではコマンドラインで使うフリーの多機能な統計処理プログラムとしてしか認識されていないことが多いが、実際は、立派な関数型言語であり、それに統計処理関係のライブラリーが沢山あるだけという把握のほうが正しい。要するにRは言語、それも関数型言語だ。
大体数学関係のソフトは関数型言語が使われてることが多い。matlab,mathematheca,maximaしかり。
だが、それらは独自言語を持つがその言語の解説書が少ないので、使い方がよくわからない。Rは最近、言語として注目されているようで、解説書が沢山あるのがメリットでもある。
私もRをプログラミング言語として使ったことはなかったので、オライリーのpdf本が役にたったという次第だ。

ちなみにR関係のpdf本は沢山ネット上にあるが、私がいいと思ったのは、Advanced-Rという本である。
lispのような関数型言語の経験があれば、R言語の学習はわりとスムーズにできるのではないかと思うが、javaとかC系統の言語しか使ったことがないと少ししんどいかもしれない。w
Rはlisp,schemeなどと同様にfor文やif文を原則として使わないのがコツである。一応用意されているが、それら制御構文を使うとめちゃくちゃ遅くなる。逆にそれらを使わないでヴェクトル処理だけで書くとC言語並のスピードで動く。
またパッケージライブラリも万の単位で存在する。そんなに沢山あると、どこにどんなのがあるのかさっぱりわからない。どこかで紹介されている良さそうな奴を試すしかない。w
posted by libertarian at 20:46| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

PDF本

最近、今さらのように気づいたのであるが、オライリーなどのコンピューター関係の本は、英語版の原書は大概がPDFで公開されている。これが違法なのか合意の上なのかはよくわからない。大学のサイトに掲載されていることも多いので合意の上での公開が多いのではないかと思われる。

とはいえ、そうなっているのは出版から2−3年以上過ぎた本で、新しく出たばかりの本とかはさすがに公開されていない。コンピューター言語やOSはGNUで無償で提供されていることが一般的になっているので、その無償のソフトを解説した本もある程度売れたら無償で公開するという精神なのかもしれない。

日本人の書いたコンピューター関係の本はいいのがあまりないので、オライリーのような本が無償で読めるのはありがたい。WEB上にも解説的な記事は沢山散在しているが、やはりちゃんとした専門家が気合を入れて書いた本は価値が高い。
それにコンピューターとか技術的な本は英語が文学書と違って平易なので、下手な日本語の翻訳を読むよりわかりやすいということもある。英語は技術書を書くのには適した言語なのではないかという気もする。つまり、日本語より曖昧さが少ないので明確だ。

さらにPDF本はキンドル本よりもコピペが用意というのもメリットだ。
サンプルプログラムをコピペで実際に走らせてみることが簡単なのは大きなメリットである。キンドルだとそうはいかない。
posted by libertarian at 20:02| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

憲法改正について

今の憲法で実害があるのは、第9条くらいで憲法改正はまずは9条の改正だけを行えばよい。
自民の改憲案はヒドイもので、できの悪い学生の答案のようなめちゃくちゃなものだ。その内容は全面改憲であり、幼稚な思いつきを書き連ねただけの、とてつもない改悪案となっている。
こんなヒドイものを出したら、たたき台にもならない。この落書きのようなふざけた改悪案を未だに自民は引っ込めてすらいないのはなぜなのだろうか?はっきりいってそれはGHQの若造が書いた落書き憲法よりも遥かにヒドイものである。
普通憲法改正というと、9条の改正と思うだろうが、自民の改憲案はそうではないのだ。

最近思うに、日本の憲法が硬性憲法であることは事実だが、日本が戦後70年以上憲法をいじれなかったのは、むしろ日本が緩衝地帯となっていたからではないかという気がしてきた。
緩衝地帯でない普通の国ならば、自主的に改憲はできるわけだが、緩衝地帯は普通の国ではないので、普通の国にはできることがとてつもなく困難になるのである。ドイツは敗戦国でありながら戦後も改憲を繰り返しているが、ドイツは東ドイツが緩衝地帯となったお陰で直接の緩衝地帯とはならなかったためだろう。
そして、戦後、もう一つの緩衝地帯がユーゴスラビアだった。
そして現在のヨーロッパの緩衝地帯はウクライナである。これが何を意味しているかというと緩衝地帯というのは、地理的な特異要因だけで決まるわけではなく、移動変化することがあるという事実だ。

日本の場合、社会主義化には2つの勢力があり、それは大きくはソ連、コミンテルンと、チャイナ、中共である。
冷戦の時代は日本はソ連の共産主義が脅威であったが、今はソ連は曲がりなりにも共産主義を捨てた。
そして、昔のソ連の脅威よりも今のチャイナの中共の脅威の方がずっと大きく、中共はあの手この手で日本社会への侵入の度合いを深めつつある。具体的には政治、メディア、行政、教育機関への浸透の度合いを深めている。

もし、朝鮮半島が北主導でソフトに統一されていくと、朝鮮半島はある意味で緩衝地帯ではなくなる。
朝鮮半島は今まで100%の緩衝地帯に過ぎなかったが、同時に日本も戦後は50%くらいの緩衝地帯だったわけだ。
しかし、半島が北に統一されれば、日本が今度は100%の緩衝地帯になっていくだろう。
すると、ますます憲法9条改正のような普通のことができなくなる。
これはかなりの脅威であり、日本は戦争しなくても自滅する可能性が高い。

朝鮮有事は4月には起こらなかったが、まだ予断は許さない。
藤井厳喜氏などは、トランプは朝鮮を見捨てて、南朝鮮からも軍を引き上げるだろうと予測していたが、どうだろうか?これは日本への警告の意味を込めての最悪の予測という意味もありそうだが、高麗連邦なんてのができたらほんとに存亡の危機に陥ることは確実だ。
と同時に、日本の緩衝地帯化はますます強まり、憲法改正どころではなくなり、防衛も不可能になる。
しかし、トランプがそこまで日和るとは思えないが、最悪のシナリオも考えておく意味はある。

ただもし、アメリカが朝鮮半島を放棄すれば一方的にチャイナを利する結果になるわけで、それは軍事戦略的にもどうだろうか?
アメリカが朝鮮半島を放棄すれば、同時にチャイナに対しても降伏を宣言することに等しいだろう。

posted by libertarian at 09:34| 東京 ☔| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育無償化案に反対する

安倍首相が教育無償化を盛り込む憲法の加憲案をだして一部盛り上がっているようだが、大反対である。
高校教育無償化を唱えている維新を取り込むための策とも言われているが、この案はどうしようもないほどヒドイもので共産主義政策と変わらない。本来は、この真逆の政策が必要なところである。つまり、公教育の全廃と教育の完全民営化こそが目指すべきことである。

もし全ての教育を無償化すれば、どうなるかは明らかで、今の国公立大学を頂点とする教育システムがますます腐敗し、公教育システムに寄生する日教組のような極左団体の力も強くなる。
日本から教育というサービス産業が完全に失われ、教育サービスの質はますます低下していくことは確実だ。

そもそも税負担を無償というのが大間違いであり、税金負担は無償ではなく、より悪いサービスをより高い値段で選択の自由なく購入させられることになるのである。

高橋洋一氏なども、この案を節操なく支持しているが、これではミルトン・フリードマンの孫弟子とはとてもいえない。w
高橋氏にはフリードマンの著作をもう一度読み直して欲しいものである。w
教育を公共事業の一つとして見て、同じ公共事業であるなら、道路や橋の建設よりも広く国民全体が受益者になるという発想らしい。これはなんともお粗末な論理である。

高橋氏は現代ビジネスで次のように書いている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51630
「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす(An investment in knowledge always pays the best interest.)」というベンジャミン・フランクリンの名言を引用しながら、教育を投資として捉えると、社会的な便益もコストより高いことを紹介し、そうであるなら、国債で教育の財源を賄うのがいいと書いた。」

しかし、フランクリンのこの言葉の投資主体はあくまでも本人、個人だ。自分で自分に教育投資をするのがいいという、啓蒙主義的な内容であり、これを税金投資のことに主体を置き換えて濫用してはいけない。

もし、分配政策としてやるならば、教育バウチャーのようなものを先にやるべきである。これは教育にしか使えない商品券のようなものを国民全体に配るので、サービスを受ける側に選択の自由が生まれるのが大きい違いだ。
同時に国公立大学を閉鎖していき、民間の教育サービス産業が伸びるようにする。
もし、無償化を憲法に盛り込んで法律にしてしまえば、今の国公立の教育機関に巨大な利権が新たに付け加えることになるだろう。

そもそも、今は昔と違って、ネットの時代なので従来の学校に通って大きな教室で授業を受けるという非効率なシステムは改められなければならない。こんな300年前から変わらない不合理なシステムが未だに残っているのも、教育関係者の利権温存のためである。
同時に知識を得る目的であれば、昔と違ってどんどん安く良質な情報がネットから得られるようになっている。
つまり、今はリアルに教育は無償化しつつあるのであり、税金と国債で教育を高価で低サービスなものにする必要はまったくない。

学生も友達や社会関係が欲しいだろうから、人が集まる場はあってもいいだろうが、それは別に教室でなくても構わない。クラブ活動やスポーツや実技をする施設としてしか学校の価値はもはやないだろう。
むしろ、学歴がブランドになっている現状を改める上で、検定制度を充実させるのもいいだろう。
英検のように、数学検定、国語検定、歴史検定、物理検定といったものでその人の実力を個別に客観的に評価できれば、そのほうが公平であり変な差別もうまれない。

posted by libertarian at 08:13| 東京 ☔| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

パワーバランスの右と左

国際関係論(International relations,IR)という分野がある。ミアシャイマーも、その一つだし、ルトワックなんかも入るかもしれない。
こういった社会学系のいわゆる学問は狭い分野であるが、どの程度の影響力を持っているのかさだかでないところがある。

そもそもIRというのはイデオロギー中立のものではない。しかし実際にその中でやっている人達はイデオロギー中立の科学的な学問だといいたがる。これはミアシャイマーなんかも同様だ。
IRでは歴史的な事実を根拠、論拠にすることが多いが、歴史が少しでも入るとイデオロギー中立はまず困難になる。
事実、ミアシャイマーのTheoryの論拠は歴史的な考察にあるが、ミアシャイマーの日本やチャイナの近代の歴史観は完全にチャイナの文献に依拠しているから、少し歴史にうるさい日本人からみれば、日本に関してとんでもない歴史観をしていると思うだろう。私は、ミアシャイマーのTragedy of great power politicsを英語原書で読んだが、関東軍のことをワンタン軍(kwantung army)とチャイナ表記で書いていることからもこのことを確信した。w

アン・コールターなどは、ミアシャイマーをリベラル連中の一人だと呼んでいる。ミアシャイマーと共著の多いハーバード大学のスティーブン ウォルトなんかは、たしかにゴリゴリのリベラルで、ウォルトはトランプのことも蛇蝎のごとく嫌っており、熱烈にヒラリー・クリントンを支持していた。w
こういうのを見ると、ハーバード大学というのは、ほんとにアメリカのリベラルのアカデミックな牙城なのだなと思う。
しかし、シカゴ大学のミアシャイマーはそんなにリベラルだという印象を私は持っていなかった。ミアシャイマーはトランプのことも支持していると思われる。

アン・コールターのいう左派リベラルの基準はどこにあるのかわからないが、想像するにBalance of Powersをいうような連中は大体リベラル野郎だと判断しているのかもしれない。w
この女史の本を読むと、まずもって、パワーバランスなどという発想はない。共産主義国家のような巨悪との共存といったいわゆる現実主義的、realisticな妥協など許されず、パワーバランスという弱腰なことを言っている奴は彼女の視点ではリベラルなへっぽこ野郎なのだろう。w
レーガンのように共産主義の悪の帝国は容赦なく叩き潰す決意をもたなければならないというのが彼女の考える保守なのだろう。
私はこれは一理あると考える。
パワーバランスという概念を、自由主義圏の中だけに適用し、共産主義圏は断固たる決意でその体制を叩き潰さねばならないということだ。共産主義の悪の帝国との妥協は許さないというのがやはり保守のとるべき態度だろう。



posted by libertarian at 01:06| 東京 ☀| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

紛争のレッセフェール

ルトワックの考えでは、難民支援のようなものもやってはいけない最たるものである。
難民キャンプの図とかしばしばニュースで報道されるが、難民キャンプはNGOや国連などがその活動証明のように行っているだけで、難民の移動を人工的に固定化し、一箇所に留め置くことで永続化させ、さらなる大きな問題を発生させている。余計なことをしなければ、難民というのは自然拡散して新しい生活に入っていくのであるが、それをさせない仕組みになっている。

例えば、イスラエル国境に国連のUNWRAが作った難民キャンプは永続化しており、そこをハマスという狂信的グループが支配することで難民キャンプの何世代にもわたってハマスによって洗脳教育が行われている。
こういった構造はアフリカでもあるし、表面的には善意であっても、最悪の結果をもたらしているわけだ。

このように、いわゆる「地獄への道は善意で舗装されている」例は枚挙に暇がない。
これは、経済も同様で、下手な福祉や援助はマクロに事態を悪化させるだけの結果になるのである。
ある種のレッセフェールは常に必要だ。

posted by libertarian at 16:15| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする