2016年01月20日

Socialism,Communism,Anarchy

ソ連や中国は社会主義か、それとも共産主義なのかというのは素朴な疑問としてあるが、正解は社会主義ということになる。共産主義とはアナーキーな状態、政府のない状態なので、共産主義への道の前段階として社会主義国があるという理屈らしい。
ここでアナーキーという言葉の定義がまた問題になるわけだ。
アナーキーの意味も曖昧なままに無政府という言葉にあこがれる人間は、共産主義者であれ、アナルコキャピタリストであれ、本質的に変わらないのであろう。W

歴史的には、今の国家はナポレオン以降のものと考えられているので、1700年代までの世界に国家はなかった。歴史を記述する際にも、ここを境にして別の記述の仕方をした方がよいのではないかと思ったりする。
ハプスブルク朝とか、なんとか王国というのは軍事セキュリティ上の単位であって、いわゆる国家ではない。
また、この前国家時代の王国は、最小政府と呼べる。あったのは、徴税組織と軍隊だけだ。
江戸時代であっても、幕府の官僚組織は極めてミニマルであった。
ローマ帝国であっても、その官僚組織はミニマルで、社会インフラはほとんどが個人のボランティアと寄付で作られたものだった。その報酬は名誉だけだったようだ。
政府が肥大化するのは、この100年くらいの現象と思われる。この原因は改めて考えるべきテーマだろう。
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The fallacies of marcantilism

重商主義というのは、16世紀くらいに生まれた経済思想と歴史的には言われているが、現代の経済と重商主義との違いというのをはっきりと分かっている人間は少ないだろう。
あの岩井克人のように、未だに経済の本質は重商主義だと言っているアホな元東大教授がいるくらいだから、世間一般のレベルは推し量るべしだ。岩井は近代経済学者のようなふりをしたマルクス主義経済学の徒である。だから東大経済学部長にもなった。

これはいわゆるオーストリア学派も同じで、彼らの経済観は重商主義がベースになっている。
ハイエクしかり、ミーゼスしかり。
高橋洋一氏の話がなかなか理解されないのも、これが原因なのかもしれない。
そして同時に世の中には、未だに重商主義の誤謬が満ちている。

橘玲さんの本で「読まなくていい本」の読書案内というのがあったのでキンドルのサンプルを見てみた。
このサンプルを見た限りだが、世の中には確かに「読まなくていい本」が溢れている。その点は同意した。
もっといえば、読むだけ時間とお金の無駄という本が多すぎる。時間とお金の無駄だけでなく、脳に悪い本も多い。
マルクスの本は全部そうだし、橘さんが挙げているようにデリダやドゥルーズ、日本では柄谷なんてのも読むだけ全くの無駄である。この手の本はムーのような明らかなトンデモ本よりも質が悪いトンデモ本である。
残念ながら、ハイエクやミーゼスのようなオーストリアンの経済本もそうなのである。
彼らの著書の全部がダメなわけでは勿論ないが、彼らの経済学?本は今となってはトンデモ本の部類としかいいようがない。
リバタリアニズム論者の経済学で唯一認められるのは、ミルトンフリードマンくらいしか残念ながらない。
ミクロに関しては、ランズバーグもいいのかもしれないが、マクロはダメだ。

ハイエクやミーゼスの思弁的で難解で無意味で非科学的な経済学本を読んではいけない。
といっても、ハイエクの「資本の純粋理論」とか読んだことのある人間はまずほとんどいないだろう。
ミルトンフリードマンの本だけちゃんと読めばいいのである。
参考)http://libertarian.seesaa.net/article/357096858.html
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2016年01月16日

Jiyuu ,liberty and Serfdom

日本語に自由という言葉がなかったのは、日本には歴史上、「奴隷」がいなかったからだろう。
自由という日本語は、福沢諭吉が明治の頃に考案した翻訳語である。
世界的に自由という言葉の意味は、奴隷でないという消極的な意味であり、西洋社会では歴史的に奴隷が当たり前の存在であったから自由という言葉が、奴隷という最悪の状況に対する反対語として良い意味でつかわれてきた。
ローマ帝国では征服戦争をして勝てば、そこの人々を奴隷にした。ほっておけば将来的に反乱分子となるのは確実であるから、殺すか奴隷にするしかなかったわけだ。殺すよりは奴隷にする方が、ずっと合理的で、かつ幾分は人道的でもあった。ローマ帝国に限らず、昔の征服戦争は大体がこのパターンであった。これが複雑な社会階級を生んだ。

自由なりlibertyという言葉は多義的かつ曖昧なので、定義を明確にしないといくら多弁を弄しても無意味である。たとえば、脳科学で「自由意志など存在しない」というときの自由と、リバタリアニズムでの自由という言葉はあまり関係がないと考えるべきだろう。
リバタリアニズム的には、自由とは、私的所有権しいては自己所有権といった制度概念である。
制度概念を扱うから、リバタリアニズムは政治思想なのだ。

また、現代では奴隷は肯定されていないので、奴隷と自由(自由民)という分類も適切ではないかもしれない。そもそも繰り返しになるが奴隷の概念も曖昧だ。奴隷とは、私的所有権(財産権)のありなし、もしくは許容度合で分類すべき概念かもしれない。少なくとも日本にはアメリカ奴隷のような私的所有権をはく奪された「奴隷」は存在していなかった。
だが皮肉なことに現代の日本には、「債務奴隷」が制度として存在している。連帯保証制度の改廃は進んでいるのであろうか?

現代的には、奴隷よりもserfdom,隷属という言葉を使うのが適切かもしれない。
例えば、日本がアメリカの奴隷だと言えば明らかに言い過ぎであるが、隷属しているとはいえるかもしれない。
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人口について:Population

歴史の本を読むと、気候に対する認識がないわけではないが弱すぎると思う。
地政学は地理を普遍の要素として扱うが、10年、100年、1000年という幅で見ると、土地は動いたりしないが、その土地の気候にはかなりの変化率がある。気候が変化すると植生、生態系が大きく変化する。
それに伴って人間の移動なども起きる。
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2016年01月11日

Learning History

このお正月は歴史の本をひたすら読んでいた。
しかし、歴史の本を読むと、言葉の定義がなっていないといつも思う。
歴史とは科学ではなく、物語にきわめて近いということなのであろう。
もっといえば、歴史は学問ともいえないと思われる。w
歴史とは畢竟、国家の物語、民族の物語なのであろう。

歴史上の言葉の定義ということでいえば、岡田英弘氏は、フューダリズムとかアウグストゥスとかレヴォリューションといった誤訳の問題を指摘している。加えて私が前から思っていたのは、「奴隷」という言葉もいい加減で、違う仕組みのものをいっしょくたに奴隷と呼んでいると思う。例えば、ローマの奴隷、イスラムの奴隷、アメリカの奴隷とかいろいろあるだろうが、一言に奴隷と言っても財産権のありなしとかあり方は大きく違う。イスラムの奴隷は財産権は認められていたようだ。その点、イスラムの奴隷は、現代的にはサラリーマンに近い。w イェニチリとかは超エリートサラリーマンだ。
一方のアメリカ奴隷は財産権も認められていなかったのではないか?アメリカ奴隷は過酷で家畜に近かったと言っても過言ではないのかもしれない。
時代も違えば、仕組みも違うもの、つまりは全く別のものを同じ言葉で呼ぶことは大いに間違いであるし、誤解のもとだ。

ところで、この正月に読んだ本で面白かったのは、茂木誠氏の「世界史で学べ!地政学」だ。
茂木氏は予備校の教師をやっているが、こういう良い先生はまれである。
教師というのは、芸能人とある意味同じで、人気の歌手やアーティストには人が群がるが、そうでない歌手は金を払っても聞いてもらえない。
よい教師が数人いれば、ネットで授業を公開し、それをみんなが見て学べばよい。
もはや学校は必要ない。人気のない教師は失業すればよいのだ。芸能界は本来厳しいのであるw
今の学校は公務員教員の利権のためにだけあるので、社会悪である。

茂木氏は、授業をyoutubeで音声だけだが公開している。
そのテキストもHPに載せている。
このyoutubeを正月ずっと聞いていたが、高校の世界史というのはこんなにも密度の濃い内容だったのかと初めて知った。
下手な歴史本を読むより、この茂木氏の講義を聞く方がはるかにためになるだろう。↓
https://www.youtube.com/channel/UCawFpYvbwCH0_Pznf43KN1Q

これは受験生だけでなく、むしろ一般の大人にもお勧めだ。
しかし、歴史の年号を大量に暗記させるような受験システムというのはやはりおかしいとは思うが、社会人であれば純粋に世界史の流れを知り、理解することだけを目的として講義を聞けば十分だろう。
posted by libertarian at 21:25| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

The Americans

The AmericansというアメリカのTVドラマシリーズを観た。
レーガン時代のアメリカで、ソ連のスパイ夫婦の活動を描いたものだ。
80年代の雰囲気がよく再現されていると思う。走っている車、ファッションをその時代のものに揃えるのは結構大変だろう。80年代は遠くなりにけりだ。
今の24のようなドラマと違い、ハイテクがないし、ケータイもスマホもない時代だが、かえってドラマ性が高い感じがある。スパイの活動も基本的に内部の人間をいかに欺いて情報を引き出すかという技術だが、現代においても、このような人間がターゲットにされるスパイ活動は未だに一番のセキュリティ上のネックだろう。まさにミトニックのいうところの欺術である。

しかし今の水も漏らさぬ情報社会では個人はいくらでも国家権力に監視されてしまうわけで、たしかに危険だ。
カードなんか使うのは危険だと思いつつも、ついつい便利なので使ってしまうが。w
そもそもセキュリティ技術も軍事技術の一つだが、それが国外の敵にだけでなく、セキュリティの名目で国内の一般人に対しても使われているわけで、それはどこまで許されるのかという問題がある。情報というのは物でないのでどこまでという境界がない。

セキュリティ技術、ネットワーク技術というのは深い部分でどうなっているのかがよく分からない。ある程度までは学習できても、あるところから先の深いところは公開情報ばかりではなく闇が増えてくる感じだ。
そこを自力でブレークスルーした人間がハッカーなのだろうが。
この分野は日進月歩で複雑化、多様化していくから、ほんとに最新の技術を理解できている専門家は逆に少なくなっていくにちがいない。

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2015年12月23日

International law is local rule

ミアシャイマーの理論とは、簡単に言えば、世界がアナーキーであることを大前提として、国家がより安定を求める行動をとるというセオリーだが、これは歴史観とも言える。
ミアシャイマーのシンプルなセオリーは、オッカムの剃刀というか、歴史をみるときパワーバランスの変化だけみるわけだ。ミアシャイマーのセオリーに地政学はほとんど関係ないし、ウェストファリア以前、以降を分けるものでもない。つまり、ウェストファリア条約の前でも後であっても、このセオリーは変わらずに適用できると考えるわけだ。ウェストファリア条約以降の国際慣習法によって、それ以前のアナーキーな状態が変化したとは考えないのだろう。
もともとウェストファリア体制はヨーロッパ内だけで通用するローカルな慣習法にすぎない。ヨーロッパ人はヨーロッパの外ではそれを全く適用せず、大虐殺を植民地で行った。同様にヨーロッパの外部であるアメリカやソ連にとってもウェストファリア条約など関係ないものであった。だからこれらヨーロッパ外の新興勢力が参戦する第1次大戦以降は殲滅戦、総力戦に戻る。
日本は生真面目に国際法を順守していたから日露は最後の決闘戦争になったわけだが、日本が負けていればロシアは国際法など無視したろう。

国家が安定を求め戦争をするという点では、たしかにヨーロッパの歴史をみるとそうみえる。
しかし日本だけをみるとそうは思えない。ミアシャイマーは日本の満州や支那への進出もその傍証としているが、これはミアシャイマーの歴史的な事実認識がややずれているともみえる。
より安定を求めるとは、攻撃は最大の防御なりということだろう。だから戦争が起こるわけだ。攻撃する人間がいなければ、戦争は起こらない。だが、必ずしも攻撃しなければいけないというわけではないので、攻撃を楽しむというインセンティブがなければこれは説明できないと思う。

そう考えると、やはりこれは人類普遍の原理や大国の宿痾といったものではなく、民族性を考慮するべきような気もする。
アーリア人の攻撃性、暴力性というのはここ500年くらい見れば突出している。
アーリア系ヨーロッパ人の暴力性はベースにキリスト教という凶悪なるカルト宗教があり、宗教的に暴力、殺戮が肯定されている。洗脳された人間のとてつもない暴力性を感じる。
また1000年以上戦争をしてきて、その淘汰の過程で攻撃性の高い遺伝子を持つ人間が優勢になったということもあるのかもしれない。犬でも土佐犬のように種による攻撃的な性質の固定というのはある。
日本人から見れば、欧米人、アーリア人は人間ではなく鬼といった方が的確だった。鬼畜米英である。w
安土桃山の頃から南蛮というのは南からきた野蛮人のことだったわけだ。
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2015年12月19日

科学主義と社会主義:Scientific socialism

18世紀、1700年代は世界的にみて平和な時代だったように思う。
歴史年表をみてもあまり大きな戦争は起きていない。
しかし1700年代は産業革命が起こり、様々な画期的な機械が発明され、発明の世紀という印象がある。
1600年代から正確な時計の開発競争があった。これは経度を測定するための懸賞付きの問題だった。
時計の技術開発を通じて、高度な機械技術が発展したようだ。そして1700年代になると時計職人達が様々なマシンを発明する。1800年代になると電気技術が発明されエネルギー革命がおこる。1900年代にはオートメーション、コンピューターが進歩する。ほんの300−400年の間に一気に0からここまで来た感じだ。

もし、ローマ帝国がキリスト教を採用せず、ギリシャの科学を継承していれば、5世紀には今の水準まで来たのであろうか?キリスト教のためにヨーロッパは1000年の停滞をする。
1800年代の科学も数学もすでに相当に高度なレベルにあったし、古典力学は成熟して完成されたものと思われていた。全てはアトムに還元され、アトムは古典力学で決定されるものと思われていた。
ある意味、この時代は現代以上に科学万能と思われていた時代で、その時代背景があって共産主義のようなものが生まれた。マルクス以来、社会も科学の対象とされ社会科学などというものもはやるようになる。
未だに社会科学はあるが、廃止されるべきであろう。w

経済にしても、本質的に単純なものと考えられていたようだし、国家や社会の運営など科学的に計画すれば理想的にコントロールできると思われていたわけだ。それが社会主義国家のイメージであった。
ソ連が健在だった当時はなんでも頭に科学的なんとかとついたものだ。社会主義と科学という言葉は切り離せないものであった。歴史まで科学的歴史主義だなんだと言われていた。
簡単に言えば、科学的=正しいことで良いこと。科学的でないこと=間違っていて悪いことだった。
今もそうなのかもしれない。w

今思うと芸術におけるモダニズムも社会主義と非常に近いところにあった。進歩的芸術家は大体が左翼インテリであった。ソ連、東側でもモダニズム芸術なるものが盛んであった。革新主義というのは基本的に、科学がイメージされている言葉だ。

科学万能主義というのは完全に否定されているわけではないだろうが、社会主義に結びついた科学主義は失敗したわけだ。つまるところ、それはあまり科学的でもなく正しくもなかった。
複雑さというのが認識されるようになったのは割と最近のことだ。それは還元して単純化できそうにないものと認識され始めた。
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2015年12月16日

Truman was KKK

日本に原爆を2つも落としたアメリカ大統領のトルーマンはKKK(クークラックスクラン)の構成員だったことは、公知の事実である。だが、このことはあまり取り上げられないし、知らない人も多いだろう。
私もわりと最近まで知らなかった。

今ではKKKの人間が大統領になるなんてことは、さすがにないであろうが、当時はありだったわけだ。
当時、欧米社会においてracismというのは空気のように当たり前のものだった。
このことは、トルーマンがKKKのメンバーでありながら、大統領になったということからもわかる。
今は人種差別は世界的にタブーとされてはいるが、これはあくまで建前である。
つまり国家の内側では表面上は抑制されているが、外側ではないわけではない。宗教差別も同じだ。
つまり、一度戦争になると、人種差別も宗教差別もなんでもありなのである。
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2015年12月15日

問題はイスラムでなくチャイナである:From Islam to China

中東問題を論じている連中を見ていると、特徴的なのは連中は中東の歴史も全く知らなければ、イスラームについても全く何も知らないということだ。こういうバカな連中がメディアでイスラム国をいかにして殲滅するかなどと調子に乗って話しているからバカを通り越して危険である。
欧米は基本キリスト教徒だから、イスラームは問答無用で許せないらしい。
これが中東紛争が宗教戦争になる所以である。

欧米はずっと宗教戦争をしてきたが、近代になると宗教を前面に立てた戦争はしなくなる。
パワーバランスによる覇権争いやセキュリティ競争といった形に戦争はなっていく。
そして冷戦になると実際の米ソの戦闘は避けられ、イデオロギー競争という面が出てくる。
ソ連とアメリカの対決は、社会主義と資本主義、もしくは自由主義の競争という色彩が強かった。
しかし、結局これも情報戦に過ぎなかったのではないかという気がする。ほんとの意味でのイデオロギー競争があったとは今振り返るとあまり思えない。

そもそもイデオロギーという面でいえば、現在必ずしもリベラルな自由主義が勝利しているわけでもない。むしろ社会主義の方が勝ったのではないかと思われる。これは社会主義というよりもBureaucracyの勝利というべきかもしれない。結局、覇権争いが事の本質であり、宣伝戦としてイデオロギー対立なるものが利用されていただけだろう。

中東紛争に関して言えば、これはまさに宗教戦争でウェストファリア以前の戦いになってくる。
もともとウェストファリア体制は欧米でも第1次大戦以降は壊れており、トータルウォーの殲滅戦となっているから、変わらないわけだが。
ミアシャイマーのいうとおり、アメリカはイスラエルロビーに利用されたのか中東の宗教戦争に関与しすぎた。
というか自身が十字軍として行動しすぎたわけだ。カプランはリベラルだから途中で投げ出すのは無責任だと言っているが、そんなことはない。関われば拘るほど状況は悪化する一方なのが事実であり、アメリカの設計主義的侵略主義はとっくに破綻しているのであるから、中東からは手を引くのが双方にとってメリットがある。欧米が手を引けばテロもなくなる事は間違いない。

中東には大きくスンナとシーアの対立と、世俗主義と厳格主義の対立がある。
単純に考えれば、これは2*2の4つに分裂するしか手はない。
民族対立も入れれば、もっと複雑になるが、イスラム世界はそうやって自生的な均衡点に行き着くまでほっておけばいいのだ。イスラムはキリスト教よりは他宗教に寛容なのは事実であるようだから、それも可能だろう。今のISのような状況は欧米に対抗するため戦略的に作り出したカオスのように見える。

それよりも問題はミアシャイマーがいうとおり支那である。
支那は宗教もイデオロギーも高尚なことは一切関係ないむき出しの覇権主義だから、分かりやすいともいえる。
支那経済が危険状態と言われているが、支那はもとより共産党独裁体制であり法治国家ではないから、支那の企業には破綻という法的仕組みがない。だから、リーマンショックのような企業の破綻の連鎖みたいなものはありえない。どのような形のクラッシュになるのか想像が難しい。また経済がめためたになったとしても、支那は共産主義を捨てないから革命でも起こらない限りなにも変わりようがない。
また万が一、支那が共産主義を捨てて自由主義になったとしても、その覇権主義は変わらないため、依然として支那の脅威は衰える事がないわけだ。支那がロシア型の分裂解体をして縮小しないかぎり、脅威は去らないことになる。
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2015年12月10日

第一次世界大戦から100年が経った:100 years from 1914

終戦から70年ということで、最近は結構歴史がブームのようである。
私も50年以上無駄に生きてきて、100年という時間間隔の短さは感じるようになった。
少なくとも10年という時間はあっという間だ。
1904年に日露戦争があり、その10年前に日清戦争があった。そして、日露戦争の10年後に第一次世界大戦がおこる。
1941年に大東亜戦争が始まり、10年後の1951年にサンフランシスコ講和条約があった。
1941年の10年前に満州事件がある。
こうしてみれば、日本は1931年の満州事変から20年間も戦争状態であった。大東亜戦争も講和条約までの10年間続いたとみるべきである。
大体、戦争というのは10年区切りのようだ。

今からすれば自分が生まれたのも、終戦からそんなに経ってはいなかったのだなと思うが、子供の頃は戦争など遥か昔の出来事と思っていたものだ。w

日本は戦後と戦前で革命的なほどに世の中は変化したことは間違いない。
戦後日本はWGIPにより、ずっと敗者であることをひきづってきていた。
一方のアメリカといえば、1945年というのは別になんの区切りでもなく、映画をみてもわかるが当時と今では連続した時間の流れしかなかった。
そうやってアメリカは戦争をその後もずっとやってきたわけである。

大東亜戦争における敗北が日本人における大きな時代区分となっているが、むしろ1904の日露戦争、もしくは1914年の第一次大戦からみた方が今に至る連続した流れとして認識できる。特に第一次大戦でオスマントルコが崩壊し、アメリカが覇権を握るとともに、ウェストファリア体制のような国際秩序が崩壊したという点で、現代は第一次大戦からの流れとしてみた方がよいと思われる。そして今はそれから丁度100年だ。

日露戦争は日本の近現代史における頂点であったことは間違いない。第0次大戦といわれる日露戦争で日本は史上空前の大勝利を収める。これは欧米を驚愕させ、植民地となっていた地域を奮起させた。日露、大東亜戦争というのが欧米の植民地支配を打ち破る原動力となったことは間違いがないことである。

だが、日露戦争も別の見方をすれば、当時のイギリスとロシアのグレートゲームの中で、日本がバックパッシングされた戦争であった。
日露戦争では高橋是清がユダヤ財閥から莫大な資金援助をタナボタにうけ、日本海決戦での大勝利で幕を閉じるわけだが、これは、イギリスがロシアの兵力を極東に振り向けるための戦略の一環であった。
しかし、当のイギリスも日本がこれほどの完勝をするとは全く思っていなかったろう。イギリスとしてはロシアの軍事力を当面の間、極東に向けさせれば十分にペイするものだったのだろう。だが日本の信じがたい大勝利によってイギリスを含む欧米に激震が走ったわけだ。

日本は国際連盟に入るも、当時の欧米のレイシズムは徹底したものであったから、日本のエリート達が欧米に行ってもほとんどの場合、そのレイシズムに心底、屈辱を感じて帰ってきた。夏目漱石然りだ。
日本にとって欧米のレイシズムは江戸の頃からの許しがたい悪であったのである。大東亜戦争の戦争目的が東亜の解放を謳っていたのは決して綺麗事ではなく本心からであったことは疑いがない。
そして、大東亜戦争でその戦争目的は実際に果たされたといって良い。

しかし、中東をみると、第2次大戦後においても、その植民地的支配構造は手つかずのままであった。
アメリカとサウジアラビアのズブズブの関係とそのダブルスタンダードを知れば、欧米が中東に対して正義を言う資格などこれっぽっちもないということがよくわかるはずだ。
どうこういってこのような不正な支配が永続するはずもない。

戦後、中東はソ連をバックにすることで欧米に対抗しようとしてきたが。冷戦が終わってソ連が崩壊したことで、中東諸国は欧米に対抗するバックを失った。ほとんどの中東諸国は社会主義体制をとってきた。彼らにとっては、欧米に完全支配されるよりはその方がバランスを保てたわけだ。
だが、ソ連は崩壊し後ろ盾もなくなり、欧米はますます中東で増長し、結果的にイスラムに残された道はワッハーブ的なイスラム回帰だった。ISはイスラムにおける最後の可能性ともいえるわけだ。
報道とは違ってISへの支持はイスラム圏においても大きいとみないといけない。

現在、アメリカはイスラエルからもサウジアラビアからも急速に距離をおいている。イランと和解の方向にシフトしてきた。シェール革命もあり、支那の台頭もありで、アメリカは中東の戦略的な優先順位を下げてきている。
そうなってくると中東はISのような勢力、つまりイスラーム回帰勢力が勝利する可能性が高い。サイクスピコという植民地支配秩序は第一次大戦後100年にしてようやく崩れるのかもしれない。
posted by libertarian at 02:11| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

JIN

amazon prime ビデオが登場したが、これはかなりよい。
prime musicなどもできたので、前々からamazon primeに加入している身としては、アップルやグーグル,HULU,Netflixなどのサービスは余計な出費でしかない。

アマゾンprimeで、JINという日本のドラマを見たがなかなか面白かった。
時代劇は、セリフが綺麗な日本語なのが心地よい。今の日本人でも違和感なくそういった綺麗な日本語を話せるのは面白い。時代劇とはいえ、タイムスリップもののSF時代劇だが、今は多世界宇宙論などというものもあるので、タイムスリップものもそれなりに論理破綻せずにストーリー構成できるのだ。w

JINは村上もとか氏の漫画が原作だが、これはさらに石川英輔氏の小説がベースにあるのであろう。
昔、石川氏の大江戸事情シリーズをまとめて読んだことがあるが、日本人にとって江戸の本当の姿を知ることは大事なことかもしれない。
JINは幕末の江戸に現代の脳外科医がタイムスリップするわけだが、当時の江戸は蘭学はあったが、外科がほとんどなかった。

しかし、日本の医学もなかなかに面白く、最初は奈良頃に中国の医学が入る。漢方は支那の南部の越の辺りの医学で、南方は植物が多種多用だったので、薬草学が発達していたのだ。これが日本に入ると本草学となる。しかし、本草学は日本らしいというかガラパゴス的な発展を遂げ博物学と化していく。
結果、日本では博物学とともに園芸が発達し、現代のプラントハンターのような人々も出現する。
この立役者はご隠居さんといわれる50歳過ぎの元気な有閑隠居たちであった。
ユリや椿など、様々な植物が日本から欧州に輸出もされた。
この庭園文化が欧米に伝わり憧れとともに真似をされ、イギリスのイングリッシュガーデンのようなものが生まれたのである。

例のごとく、支那の諸国ではいろんな学問が生まれても継続性がなく、その知見は失われる運命にあるが、それら医学的文献は日本に渡り日本で保存されたのである。支那には何も残っていない。
また針灸のような医学は、支那の北方の医学で、北のほうは寒くても薬草もほとんどないから、こういった医学が発達した。
これらの支那の諸国の医学は、奈良時代から日本に伝わり、日本で保存された。
だから今でも針灸も漢方も支那よりも日本の方が本場なのである。w
日本では今は西洋医療も漢方も平和に共存している。

そもそも麻酔技術も華岡青洲が世界で最初である。「華岡青洲の妻」という小説もあったが、華岡青洲は古方派の医者で、麻酔にマンダラゲという植物を使った漢方を開発した。
しかし、これは秘伝とされたため、今ではこの麻酔薬を再現することはできない。何を使ったかは伝わっているが、どの部位をどのように使ったのかが書いていないので再現できないらしい。

江戸時代には蘭学もあり、支那伝来の医学で日本でガラパゴス的に発達した医術もありで、日本は医学においてもかなりの水準にあったのである。

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Premodern vs Premodern

中東問題、イラクやシリアの問題にしても、日本から見れば、欧米もイスラームもどっちにも加担はできないと考えるのが普通であり正しい。
しかし、公平に考えれば、欧米の方が悪いと考えざるを得ない。欧米には現代に連続する過去の植民地支配の罪の重さがあるわけだ。だが一方のイスラームも全く知らないし理解もできないから、イスラームが正しいとも支持はできないというのが実態だろう。

しかし、アメリカのブッシュによるイラク侵略を見て、これが太平洋戦争、大東亜戦争の時のアメリカと日本の構図とほとんど同じだと気付かない人間は相当におつむが鈍い。
サダムに対するデモナイゼーションは日本が昔やられていたことだし、サダムに対する裁判もどきは東京裁判の再現であった。イラクという狂信的な侵略主義的な後進国はかつてのアメリカがみた日本である。

ほとんど報道されないがイラク侵略においても100万人単位の人間が無差別に欧米に殺された。大東亜戦争当時、アメリカが日本に行った東京大空襲などの虐殺も原爆以外はアメリカ人はほとんど知らない。
その後、イラクがめちゃくちゃになりISが台頭してきた経緯なども、アメリカの日本征服後に共産主義ソ連やシナが台頭してきたのと似ている。

日本はもともとずっと世俗的な国家であったから、近代化に際しての宗教的な制約は全くなかった。
日本人は大東亜戦争とは近代国家同士の戦争だと当時考えていた。
しかしアメリカは日本人がイメージしているほど世俗主義的な国家ではない。
つまり欧米は日本ほどには成熟した世俗主義的な国家ではないわけだ。アメリカも日本を世俗的な国家とはみていなかった。
結果、大東亜戦争は日本人の戦争イメージ、つまり日露戦争の頃のウェストファリア秩序、国際法を遵守した上での紛争解決手段とは全く異なるものとなった。日本は日支事変の当初からウェストファリア秩序に則った近代国家として行動をしようと努めていたが、第一次大戦でそれは終わっていたということに気づいていなかった。
その後の世界はその延長にある。

共産主義とはもともと欧米の近代主義、科学主義を極端に突き詰めたものである。宗教の否定もその結果で、いわゆる共産主義の無神論なるものは科学合理主義の帰結であった。
アメリカはその点、科学合理主義の国でもあり同時に宗教国家でもあった。当時のソ連から見ればアメリカは劣った科学合理主義の国で、ソ連の方が優れた近代国家だった。そして、そう思う人間はアメリカにもたくさんいた。

ハイエクなどは最初、そういった科学主義を批判した設計主義批判の論を展開した。
米ソの対立にはイデオロギー論争があったが、似た者同士の間の対立という面はあった。科学合理主義が普遍的だと考えるアメリカ人や日本人は非常に多かったし影響力があった。そして科学合理主義を否定することは極めて困難でもあった。設計主義、自制的秩序という新たな言葉を使っていわゆる科学合理主義に対抗しようとしたハイエクのような言論は当時はほとんど影響力もなかったのである。

ソ連という極端な科学合理主義を唱える、建前としては完全なる無神論で政教分離どころか宗教を廃止した国と、ゆるいけども政教分離をしたアメリカというキリスト教大国との関係はソ連の方が進んだものと見えたわけだ。どちらも宗教は政治に無関係という建前上、イデオロギー対立にスポットが当てられた。
結果的に進んでるはずの科学主義国家である共産主義ソ連は、アメリカという劣った新たなローマ帝国の経済力の前に敗れた。これは”経済的な自由主義”の勝利として捉えられたが、必ずしも科学的合理主義の敗北とイコールではなかった。

中東の紛争、戦争をみると、通常これは従来の近代国家の間の紛争とは捉えられていない。近代国家の前提は世俗主義であり領域国民国家だが、イスラームは宗教主義であり、宗教法が国家法に優越する領域なき世界である。
そして対するアメリカは、領域国民国家だが完全なる世俗主義でもないいわば現代のローマ帝国というべきウェストファリア秩序以前の存在で前近代的なものが混じる国だ。
この対立は、欧米から見れば近代と前近代の関係であり、宗主国と劣等な未開植民地の関係の延長にある。
だが、日本のようななんの関係もない端から見ると、これはまさしく前近代国家同士の宗教戦争にも見えるわけだ。
もしくは、進んだ近代国家による劣った植民地に対する粛清といった大東亜戦争開戦当時の世界の構図のようにも見える。
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2015年12月03日

イスラム国とサウジアラビア:Islamic state and SaudiArabia

アブドルバーリ アトワーンの「イスラム国」を読んだ。
この本は、ロレッタナポリアー二の「イスラム国」よりも内容はずっと正確で深い。
監訳者が中田氏だが、中田氏が言う通り、現在はこの本がイスラム国関係の解説本では決定版だろう。
日本人の書いた本は何冊か読んだがろくなものがない。

中東問題が語られるとき、意外と論じられないのがサウジアラビアの存在だが、この本ではサウジの存在の意味についてかなり詳しく論じられている。サウジはワッハーブの国だが、ワッハーブ派はISと同じスンニ派の厳格主義で、サウジ出身の兵士はISに多く、アフガン紛争でも一番多かったようだ。
サウジはワッハーブ派の原理主義の輸出国でもある。アンケートをしてもサウジではISを支持する人が90%以上いるようだ。
しかし、ワッハーブ派を唱導しているくせに、当のサウジ王国そのものは、腐りきったもので、ISはサウジの支配層をタクフィールの背教者として認定している。将来的にはサウジ王家はISにより抹殺され、メッカ、マディーナがISの手中に落ちる可能性は結構あると思う。ISの最終目標はこのメッカ、マディーナの奪取である。
しかし、そうなったときはイスラエルも終わるだろうから、そう一筋縄では進まないのだろうが。

この本には厳格主義という言葉が使われているが、イスラームの武闘派には原理主義という言葉よりも厳格主義という言葉を使ったほうがよいのかもしれない。
あと、イスラームにおいて復古主義とはイスラム暦1−3世紀の頃に戻れというもので、これが厳格なイスラーム。伝統主義とは中世に戻れというもので、これはやや中庸なイスラームだ。
ムスリム同胞団などは、テロリスト呼ばわりされていたが、イスラームの中ではかなり穏健なグループである。

もともとサウジは広大な砂漠地帯で人の住むようなところではなかった。それでも内陸に隔絶した集落があり、そういうところで原始のイスラームが温存されたという経緯があるようだ。*そのワッハーブとサウド家が聖教盟約によってできたのがサウジアラビア王国。
*これは山本七平氏の話だが、加瀬英明氏との対談「イスラムの読み方」は日本人の本にしてはいい本だ。

ISのシリアーイラクの支配領域は広大で、そこには600万人くらいの人が住んでいるらしい。そこを無差別爆撃などしたら、東京大空襲と変わらない。また地上軍を投入するのも人的被害が大きすぎてアメリカはやらないだろう。
実際のところ欧米には大義もはっきりとした戦争目的はないのであるから、どこかで手を引くしかない。
動機があるとしたらイスラエルロビーの存在くらいか。だが、イスラエルも長期的には存続できないような気もする。
posted by libertarian at 00:12| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月29日

Jutu

天地明察に出てくる和算の問題は、幾何の問題であったが、私はこれが出てきたとき本を閉じて自分で解いてみた。計算間違いをしたが、わりとすぐに解けた。算額の問題はもっと高度なものかと思っていたので、ブルーバックスの”算法勝負!「江戸の数学」に挑戦”という本を借りてきた。
幾何の問題を5問ほど解いてみたが、問題のレベルとしては中学生でも数学がうんと得意な子なら解けるだろう問題かもしれない。知識としては三平方の定理を知っていれば解ける問題だ。だが、意外と計算は複雑で、私は例のごとく計算間違いをした。江戸の数学定理を前提として使えば、スムースに解ける問題もある。

、、などと舐めていたら、後半の問題はかなり難しい。
江戸の和算のレベル、恐るべしである。

算盤も、昔小学生の頃に授業であったが、完全に忘れていたので、「そろばん入門」という小学生低学年向けと思しき本を借りてきて、そろばんの仕組みを調べてみた。
そろばんは、まさに術、計算術というべきもので結構難しそうだ。
例えば10−1といえば9だとすぐにわかるが、そろばん的には、この解法プロセスは1段階ではない。
これを動作として瞬間的に行えるようにするのが、そろばん術とみた。
数字を数字としてみるのでなく、動作に還元するのである。
そろばんを頭にイメージする、日本の暗算術は驚異的で、おそらく世界一だろう。
江戸の日本は算盤は基本科目であったが、庶民のほとんどが、そろばん術を使えた日本というのは、おそるべき国である。現代の人間よりもはるかに計算力が高かったろう。

今は術という言葉はあまり用いられないが、江戸の和算は全てなんとか術という呼び名がある。
忍者の術のようでエキサイティングである。技術とか定理とかいうよりも術という言葉を使ったほうがいい。

江戸では読み書きそろばんが必修で教えられたが、今でもこれで十分だと思う。
現代の学校のような強制収容所に子供を押し込めるより、寺子屋のようなところで読み書きそろばんを本人のペースで教えていれば十分なのである。
現代的には小学校までで、そろばん術と、速読術と、記憶術を教えればよいと思う。
これらの術を使えば、あとは世に本がいくらでも溢れているのだから、自分で勝手に興味のあることを学べばいいわけだ。

もっと言えば、今後AIのようなものもが発達してくるほどに、こういった術の価値はむしろ高まるかもしれない。
術とは、知的と思われている脳内の作業を動作に置き換えるものとすれば、これはコンピューターの内部動作に近い。コンピューターは知的ではないが、ある種の術を使っているわけだ。そのマシンがあたかも知的な動作をするようになる。
人間も頭でっかちに考えるのではなく、体を使った動作が知的であるという価値を再発見するのではないか。
posted by libertarian at 02:18| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月28日

Other peoples affair

一旦戦争になるとあまり詳しい戦争の情報というのは報道もされないようになる。
思い出してもこの30年の間に湾岸戦争、イラク侵略戦争、アフガン紛争などといろいろあったが、戦地の情報はあまり報道されていなかった。ベトナム戦争の頃よりも戦場報道というのは少なくなっているのではなかろうか。
今のシリアにしても、実際の状況はほとんどわからない。誰も戦地には行かないし、現地の住民であっても状況は自分の住んでいる周辺くらいしか分かっていないのではなかろうか。全く把握できていない可能性もある。
これは一つに戦地の状況が軍事秘密とされているからという理由もありそうだが、実際の地上戦では指揮官といえでも戦況の確認は非常に困難で、自分らが勝っているのか負けているのかを把握することが一大テーマとなるらしい。広範囲で戦っていれば、自分の被害はある程度把握できても相手の被害までは正確にはわからない。実際は勝っていても劣勢と判断するリスクもあるし、逆のリスクもある。
ここら辺は、将棋も同じで、優勢か劣勢かを判断するのは余程、形勢に差がついていない限り難しいのである。

シリアでIS側を1万人空爆で殺戮したというのはアメリカ軍による正式報道だが、あまり関心をひかず、同情も起きていない。実際はISの戦闘員以外にも現地の人も相当の数、虐殺されているはずである。
空爆で戦闘員だけピンポイントで殺すことはできないし、いわゆる軍隊の形式をとっていないISが戦闘員だけ1カ所に固まっているとも思えないからだ。

一方で先日のフランステロのようなものは詳しく何度でも報道される。
そこで、120人程度が殺されたフランステロにはやたらと同情的なコメントが溢れるが、シリアのどこかで空爆によって1万人以上殺されたと聞いても、あっそうで終わるのが世論というものだ。

わからないことはいろいろとある。アメリカがアサドをデモナイズしてアサド政権を、イラクのフセイン同様に倒そうとしている理由も定かでない。これら両名は汎アラブ主義者であったが、それがけしからんということなのか?どこかには書いてあるが、それを私が知らないだけなのか?

戦争にデモナイズはつきものである。アサドもISもデモナイズされているが、空爆で数万人一挙に虐殺する欧米側が冷酷で残虐でないとでも思っているのであろうか。
イラク侵略の際のサダムフセインのデモナイズも相当なものであった。これはハリウッド映画で悪役がまず最初に非道な殺しをし、それを主人公が後で殺すことに正当性を与えるというおきまりのパターンである。

アメリカもネオコンというキリスト教福音派の原理主義者が闊歩していたときにイラク侵略戦争を起こしたし、ロシアはもともと共産主義原理主義であるし、フランスも社会民主主義の国である。中東が原理主義者の騒乱の場となってきているわけだが、そもそもが一神教は原理主義なのである。

この中で一番の劣勢に置かれていた原理主義がイスラームだろう。
イスラーム原理主義には、今までのイスラームの穏健な考え、つまり、汎アラブ主義のような世俗主義をベースとしたアラブ国家の統合みたいなものは全くダメという認識がある。世俗的でリベラルなゆるい支配による、真綿で首を締められるような完全な敗北という状況から抜け出せないわけだ。
その点、ISはカリフ復活を謳うことで、イスラームの本質的な問題、もしくはビジョンを世に問うたという点で画期的な存在といえる。国家の統合ではなく、イスラームの家の再建というのがそのビジョンだろう。

今までの中東のわけのわからないゲリラ的な紛争ははたから見て全く意味がわからなかったが、ISはビジョンと大義を明確にしめしたといえる。
昔と違って、中田考氏のような本格的なイスラム原理主義者、もといイスラム法学者が日本にも登場したお陰で、イスラームの考えそのものがある程度、わかる状況になってきたことも自分的には大きいかもしれない。w
この点、池内恵とかいう若手の中東研究家とかがもてはやされているようだが、私はこういった人間はあまり評価しない。国際関係やイスラームを論じるにはあまりに未熟な印象がある。

イスラームが良いとか悪いとか部外者が言ってもしょうがない。そもそもそんなものを深く理解するほど誰も興味も時間もない。これは他宗教、キリスト教にしてもヒンズー教にしても同様だ。
イスラームの律法主義が部外者からは奇異なものに見えたとしても、ムスリムがそう思わないのであれば別にどうでもよいわけだ。
posted by libertarian at 16:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

Don't take any part in Syria

パリのISによる襲撃事件を、フランス首相が戦争だと言ったことは、ISが国家であることを間接的に認めたことになるかもしれない。戦争とは国家対国家の行為だからである。
これは、ISという国家の完全殲滅を意図する総力戦になる。
すでに半年くらい前にはIS側を1万人以上抹殺したという攻撃があった。一挙に1万人の人間を殺戮するのはかなりの虐殺である。

日本の立場を考えれば、日本は国防上、national security上の最適な方法は、この件に関して一切の不関与を明言することだ。そもそも、これはイギリス、フランス、ロシアとアラブイスラームとのサイクスピコ以来の因縁の戦争であり、日本には全くなんの関係もない。下手に欧米について日本がテロに巻き込まれたら元も子もない。
これは南シナ海とは全く別の文脈の戦争だ。
この件に関しては集団自衛も関係ない。これはこれらの国がずっと前から関与している代理戦争だからである。
日本はISはテロ集団で国家とは認めないという立場を貫き、国家間紛争に巻き込まれないようにすることだ。
フランスがISとの戦争をいうのは、これは集団的自衛の範囲だとしたいからだろう。
日本は中途半端に欧米を支持して関与し、テロを受けないようにすることが国防上大事な点である。
日本政府はシリア紛争に対して人道支援を含めて一切の無関与を宣言せよ。

ISが領土征服を行っているのは、領域国民国家の形態を目指しているからではなく、単なる戦略的な手段にすぎないだろう。一つはサイクスピコの国境の実質的な否定であり、一つは欧米との国家間戦争という形にしようということだ。フランス、ヨーロッパはこの挑発に乗った形だ。
そして、フランスの行動で漁夫の利を得たのはロシアか。親アサドのロシアと反アサドのフランスが手を組んでISを討伐することはロシアとシリアに利する結果になる。

ISに加入するものが増えているというが、ISには加入するのではなく、おそらくこれはバグダッディをカリフと認めるということなのだろう。つまり、IS支持とバグダッディをカリフと認めることはイコールなのではないか。領域国民国家を作らなくとも、バグダッディをカリフと認めれば、ISというイスラームの家は広がるわけだ。このように精神的な宗教上の契約がISの実態だとすると、ヨーロッパにいるムスリムは潜在的にISの予備軍となる。となると欧米は移民拒否どころかムスリムの排斥運動になっていくだろう。

誰もシリア戦争の戦争目的など知らないし、実際それはあってないようなものだ。
フランスは弱小国なくせに大国意識が強く、中東に対する昔の植民地利権が手放せない。こういうものに巻き込まれないようにするのが国防の基本というものだ。
posted by libertarian at 08:08| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

Wasan ;Mathematics of Japan

江戸時代というと、時代劇のイメージ程度しかなかったが実に興味深い時代である。
江戸を理解する上では、その科学技術を知ることは極めて重要なことだ。
特に和算がいかに深く広く日本で発展していたかを知ることが肝心だ。

天地明察という小説で、江戸の和算の文化が描かれているが、関孝和のような大天才もおり、かなり高度な和算が一般に浸透していた。当時の人にとって和算は実用的なものであり、かつパズル的な娯楽だった。
だが日本中の藩に和算家がたくさんいて、そのおかげで各地で極めて高度な土木計算もできた。
当時日本の数学者の数は世界一だったろう。
もちろん、誰でも読み書きそろばんができ、識字率はほぼ100%近かったようだ。
士農工商は身分制度だと今まで学校では教えてきたが、これは身分制度ではなく単なる職業区分であった。
だから寺子屋では士農工商の子供が一緒に勉強していたらしい。

関孝和は17世紀前半ですでに行列式を発明し、ベルヌーイ数を発見し、微分積分をも発明していたというのは知っていたが、渋川春海の改暦に噛んでいたことは天地明察を読んで初めて知った。
日本は鎖国をしていたからある意味、学問や和算もガラパゴス的な進化を遂げたようにみえるわけだが、江戸時代は当時でも世界一の鉱業国であり、その文化レベルも世界一だった。

こういう現実を知れば、黒船が来て、すぐに同じものを作ってしまったというのは不思議でもなんでもない。
江戸では技術開発はなんでも許されていたわけではなかったが、高度な和算と工学技術があった。
ニュートン力学も蘭学として17世紀には伝わっている。
日本人は手先が器用で好奇心が旺盛だから汽車も黒船も作ったというのは表層的な間違った理解であり、高度な和算の技術が広く普及しており、高度な工業技術力があったから、一旦作ろうと思えば、やすやすと可能だったわけだ。それまでは車のような技術開発は禁じられていたから作られなかっただけだ。

悪しき日本の戦後教育のせいで、日本という深い歴史と文化をもつ世界最古の文明国にいながら、その価値に多くの人は気づいてない。そろそろ日本人は日本の歴史と文化に対する敬意を持たないといけない。
posted by libertarian at 01:44| 東京 🌁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

President and Emperor

China2049を読むと、アメリカの支那に対するシンパシーというのは似た者同士だからということがわかる。
というか、お互いに似た者同士であることは自認している。

アメリカは、ヨーロッパから遅れてきた植民地帝国主義国家であるが、第1次大戦前までは、ただの冴えない新興国であった。植民地はヨーロッパにほとんど取られていたから介入することもできず、奴隷を自国内にさらってきて、自国内で植民地と同じような収奪経済を作っていた。しかし常に侵略と植民地を奪う機会は伺っていた。

アメリカの特異性は良くも悪くもその連邦憲法にあり、特に大統領の権限がヨーロッパに比べて特異だ。
アメリカ大統領はローマ皇帝に近い存在で、元首であり軍の最高司令官であり、内政に関してはそうでもないが、外政、戦争に関しては圧倒的な権力を持っている。
アメリカは建国当初からローマ帝国をイメージして作られていた。議事堂などもローマ建築風に作られた。
イギリスはパワーバランス外交をずっとやってきたが、アメリカ大統領はイギリス首相とは違ってローマ皇帝だから、パワーバランスなど鼻から無視するわけだ。ヨーロッパではローマからイギリス型の帝国まで1000年くらいかけたわけだが、アメリカは一挙にローマにまでロールバックしてしまう存在であった。当然にウェストファリア秩序なんか最初からくそくらえと思っていた。

そもそも国とは集団的安全保障のための体制であるから、日本以外の普通の国では軍事セキュリティに関する権力の制限はないのである。そしてアメリカの場合は、大統領に対し特に戦争権限が強く与えられおり、戦争行為に相当することを議会の承認を全く得ずに勝手に行うことができるようになっている。

この最悪の例がFDルーズベルトであった。
当時、ルーズベルトが議会の承認を得ずに、秘密工作なりに使えれる資金は今の金額では100億ドルレベルあったらしい。それを使ってルーズベルトはやりたい放題、秘密工作ができたし、密約外交もやりたい放題であった。密約外交の内容も議会には知らせる義務がなかった。
あのハルノートの存在すらもFDRは議会に対しずっと隠し通したのである。議会がハルノートの存在と内容を知ったのは2−3年経ってからだという。その時、議会もFDRに騙されていたことがようやくわかったのだが、時すでに遅しであった。
そして戦争に勝てば大統領の支持と権力を大きく高めるからアメリカの大統領にとって戦争に対するインセンティブは非常に大きい。こういう理由による戦争へのインセンティブは歴史上、大国には常にあるだろう。

未だにアメリカ大統領の戦争権限を制限する仕組みはない。開戦にかんして議会の事後承認を得なければいけないという決議はFDR以後にできたが、これはその後の大統領に無視され続けている。というのも、これは議会決議であって法律ではない。そもそもアメリカの連邦議会にはそのような法律の立法権限が憲法上ないからである。このことは憲法を大きく変えない限り、今後もアメリカ大統領の戦争権限を制限することはできないということだ。

大国は大国であるから弱小国と戦争をすれば容易に勝てる。そして勝つと大統領の支持は圧倒的に高まる。だが、ただの暴力だと体面がつかないのでいろいろと工作をして因縁をつけるわけだ。米西戦争もハワイ侵略もフィリピン侵略も太平洋戦争もそうやって行われた。こういった工作を大統領が合法的に秘密裏に行えるのである。議会承認義務もなく自由に使える資金もふんだんにあり、それを制限する仕組みはどこにもない。

アメリカ大統領が現代のローマ皇帝だとすると、支那中共はやはり古き中華の皇帝といったところか。
元や明、清と今の支那中共は同じだろう。基本が何も変わらない。
皇帝の君臨する国というのが両者のよく似ているところで、この2つはどちらもヨーロッパ近代以前の存在といえるわけだ。
posted by libertarian at 02:17| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月15日

Asymmetrical War

フランスで同時多発テロが起こった。
ISが犯行声明を出したので、おそらくISの犯行なのであろう。
高度な計画性があるということは、背後に組織があるということだ。
これをテロとはいうが、いわゆる非対称戦争でありつまるところ戦争だ。
そして、これはイスラームから見れば、ジハードだ。国家間の争いが戦争だとすれば、イスラームにいわゆる国家はないから、戦争ではなくジハードということになる。

フランスは歴史的にも現在も中東紛争の最大の当事者国であり、シリア紛争に大きくコミットしているから、ISに狙われているわけである。
ISを国と認めようが認めまいが、フランスとISは戦争状態にあるわけだから、ISの攻撃はやはり戦争の一環と見ないとおかしい。テロといえば国内法で裁かれる犯罪行為というニュアンスだが、むしろ戦争法規で裁くべきものだろう。

もとより、こういった戦争、もしくはイスラームからすればジハードなるものは、あの中田考氏の解釈によるとイスラームの教えから外れた行為であるらしい。
シャルリーエブドの際は言論の自由という論点であれこれ言われたのがミスリーディングであった。
そもそもムハンマドの顔を書くのはダメだというイスラームの禁忌のようなものはコーランになく、イスラームではより広く動物一般の像を描いてはいけないということがハディースにのみ書かれているらしい。しかし、これには解釈の余地がいろいろとあり、実際は、イスラームの中でもムハンマドの像は普通にあり、別に問題とはされていないそうだ。

シャルリーエブドの問題の本質は、ムハンマドの姿を描いたことではなく、預言者を侮辱したことにあるのである。そして預言者に対する侮辱や冒涜は、最悪の罪とされ決して許されず、それがムスリムによるものであれば死に値する大罪とされる。
これは、ハッドと呼ばれる法定刑として定められている。

では、なぜシャルリーエブドのような報復がイスラーム法では本来許されない行為なのかといえば、「戦争の家(ダール アル ハルブ)」におけるムハンマドの侮辱のような犯罪は、イスラームが罰則規定を執行する政治的権力を持たないため、犯人が戦争の家に居住するものである限り、このハッド執行の義務は免除され、放置されるからだそうだ。
もし、このハッドを執行しようとするならば、カリフ国の存在がなくてはならない。だが、今はカリフはいないので、このハッドの執行はイスラームの教えからは逸脱した行為となるというのが、中田考氏の説明である。

なんとなくわかったような気にはなる説明である。
だがしかし、このハッドを行った犯人はイスラーム法上、なんらかの罰則があるのであろうか?
そこまでは、中田氏は論じていない。ちなみに、この中田氏の論考は2006年に発表された「幻想の自由と偶像破壊の神話」という論文によるものである。約10年前のものでシャルリーエブドを論じたものでもないし、ISも存在していなかった。

現在、ISのバグダッディがカリフを宣言しているのは、ISを「イスラームの家」(ダールアルイスラーム)にしようということなのだろう。
もし、ISを支持するものにとってバグダッディがカリフであり、ISがイスラームの家なのだとしたら、シャルリーエブドのハッドもイスラームの法定行為ということになるのかもしれない。
つまり、ハッド執行の義務は免除されない。
ここら辺はスンニー派のイスラム法の解釈問題なので、部外者にはわからない問題ではある。

いずれにせよISというイスラームを相手にする場合は、国際法も国内法も通用しない。
ISはイスラームの義務を果たしているという論理なのであろう。ISを国と認めようが認めまいが、それすらもイスラームの法からすれば全くどうでもよい話なのだ。
戦闘員でなく、民間人を殺すのはテロだと言っても、中東では民間人を数十万人規模で殺してきたのが欧米であるし、今もドローンで民間人を殺しまくっているらしい。あちらのコラテラルダメージは無視する方針でもあるかのようだが、当然にこれは非人道的だ。
こう考えると、欧米はやはりシリアや中東から手を引くべきなのかもしれない。ISを完全殲滅することもできないし、それが良いことだとも思えない。シリアから手を引けば欧米はISに屈服することになるが、それで何か困ることがあるのだろうか?
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2015年11月14日

China2049

ピルズベリー著「China2049」を読んでいる。
ピルズベリーはアメリカの親中派の高官でPanda huggerの一人であった人だが、自分が長いことシナに騙されていたことに気づき、アメリカと国防省に警告を発する意図でこの本を書いたようだ。
#ちなみにパンダハガーとは中国大好き人間のことをさすが、パンダはもともとチベットの動物で支那のものではない。シナはパンダをチベットからかっぱらってきただけである。

これをみると、アメリカはこれまでいかに支那に好意的で不用心であったかがよくわかる。
ニクソン、キッシンジャー以来、歴代のアメリカ政権が支那の長期戦略(100年マラソン)に騙されてきた。
100年マラソンとは中共結成100年目の2049までにアメリカを超えるという毛沢東の計画である。
これが支那の平和的台頭戦略の本当の目的である。

最初にシナは、ニクソンとキッシンジャーに擦り寄り国交を回復させ、アメリカはカーター政権の時に支那への技術流出を加速させる。
レーガンも最初はシナに警戒していたが、結果的に対ソ包囲網のために支那への援助と技術流出を大規模に拡大する。
結果、シナはソ連という目先の最大の敵をアメリカに打倒させることに成功する。
クリントンも同様に最初は従来の支那路線を批判していたが取り込まれる。結果的に1989年の天安門事件を経てもなお、アメリカの親中スタンスは変わることがなく、今のオバマ政権に至る。

著者とアメリカが、支那を常に弱者としてやさしく接し、まともな国への変化の途上にある存在というひいき目で見てきたことには、半ばあきれる。シナは巧みに自らを弱者として演じ、盗めるだけのものを何十年もかけてアメリカから盗んできた。
しかし、シナは天安門事件を境にいわゆる国内のハト派は弾圧されていき、徐々に本性を現してくる。

最近になってようやくアメリカは支那の危険性に気づいてきたわけだが、時すでに遅しである。
シナは核大国となり、この10年であっという間に軍事大国、経済大国となった。
支那に簡単に籠絡され操られたアメリカがバカすぎたのである。
最近は、シナはアメリカに対しても歴史戦を仕掛けていて、アメリカにも日本の立場が見えてきたのかもしれない。

支那は共産主義を捨てて市場経済に移行したように見えたが、実際、中共は共産主義を決して捨ててもいないし否定もしていない。3000万人党員がいるといわれる中共ではいまだに共産主義の洗脳教育が行われているようだ。
支那とは、中共が支配するその他十数億の一般人と、中共という支配層からなる独裁国家、もとい山賊が支配する地域のことである。

この先、どうなるのか分からないが、今までのアメリカの親中スタンスは愚の骨頂であった。
フランシスフクヤマが歴史の終わりを書いた時も、ソ連が崩壊したことでリベラルデモクラシーの勝利宣言をし、シナのことなど歯牙にもかけていなかった。アメリカ人にとって、シナは常に弱者としか映っていなかったわけだ。

私が思うに、今の”変化率”から見て、中長期的には支那はどうこういって成長し、アメリカは成熟過程に入り停滞する。
同時にイスラームの急激な拡大傾向を考えると、将来的にはシナとイスラームの対決はありそうだ。
ウイグルなどはもともとイスラームの国だが、無神論の共産主義中国に支配されているという状況はあり得ない状況だろう。

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2015年11月12日

Tax and Religion

キリスト教に入信するといろいろと教会税を徴税をされるらしい。
所得税の10%程度を支払わされ、これがヨーロッパでキリスト教が衰退している原因の一つでもある。
ドイツでは国税で教会税を徴収されるらしい。
そのため、若い人がどんどん教会から抜けるので、教会が経営不振となり、身売りされモスクなどになっているようだ。

中田考氏によるとイスラームは税そのものを否定する。
徴税そのものがイスラームの罪であり、徴税人は殺さないといけないとまでされているそうだ。w
イスラームにはキリスト教のような教会組織がないし、アッラーとムハンマド以外の権威は否定されているので、教会税などあり得ないわけだ。
とはいえ、喜捨は宗教的な義務もしくは推奨行為なので、これが一種の宗教税に相当する。


シーア派は五分の1税をウラマーに納めないといけないが、スンニー派は、資産の2.5%の浄財=ザカー(義務の喜捨)だけ。

ユダヤ教徒とキリスト教徒に対しては、ジズヤという人頭税が科せられるが、これは年間6−7万円程度で、資産の多寡にかかわらず同じ。
イスラムは徴税を禁じるから、外部との交易に対しても関税が課せられることがない。


中田氏によればイスラームはグローバルな平和的アナーキズムということになる。
おまけに不換紙幣は偶像崇拝だとして金銀本位制までイスラームは主張する。
イスラームは国家、国家法というものを基本的に必要としない。なぜならイスラームそのものが法であり、属人法だから、地球のどこにいようと従う法が決まっているからである。

そうだとすれば、オーストリアンリバタリアンは、スンニー派のイスラームになってイスラーム社会、イスラームの家を目指せばよいということになるだろう。w
だが、欧米のリバタリアンたちの多くはクリスチャンなのであろう。それもプロテスタント系クリスチャンが多いと推察できる。

ただ、中田氏の話は、カリフがいた時代のイスラームの話であり、今はどこにもイスラームの家は存在しない。今はムスリムにとって、「戦争の家」しかない。
そして「イスラームの家」を復興させるためには、まずはカリフ再興が必要だという話になるわけだ。
#しかし、そもそもイスラームの家は、いつからいつ頃まで存在していたのかという、中田氏の歴史認識についてはよくわからない。もしかして正統カリフの時代だけだったということだろうか?だとすれば、せいぜいムハンマド以降の30年くらいということになる。

現在16億人のムスリムがいるそうで、この調子で増えていけば早晩、世界の半分くらいはムスリムということになりそうだ。
イスラームから見れば、ユダヤ、キリスト教徒は経典の民で、イスラームに包含される存在とみなされるそうなので、欧米のリバタリアンがイスラームになるのはそれほど変な話ではないのかもしれない。

私の知る限りでは、このような視点で欧米のリバタリアンがイスラームを肯定的に論じるのを見たことがないから、彼らクリスチャンは、イスラームを全く知らないか、意図的に無視しているのか、どちらかだろう。

しかし、宗教的な面を除いたイスラームの家のような社会をリバタリアンが目指していることは間違いない。
リバタリアンは、法に対する考え方でも分けることができるが、経済的な原理だけで平和的な無政府体制が可能だとする連中もいる。私は、リアリズムの観点からみて、それはユートピア思想の一種だと思う。w

もちろんハイエクなどは、法を最重視しているからそうではない。ハイエクは国家の作る人定法ではなく、自然法の存在に期待をかけているわけだ。
イスラームの法は宗教法、神の法で、これを中田氏などは自然法とも呼ぶが、ハイエクの自然法とはややイメージが異なる。ハイエクの自然法はいわば民法的なイメージだ。民法は一種の経済ルールでもあるが。
今のところ、リバタリアンにとって確実な自然法とは、生命身体の所有権だけだろう。

私なども法を重視する立場だから、いわゆるアナーキーなリバタリアンには前から懐疑的だが、同時に法を人定法、国家法というものに完全に委ねる立場にも当然に否定的だ。それはつまるところ国家社会主義といえる。

アナーキーなリバタリアンの国家なき自由社会とは、「法のない社会」ではないから、「国家なき法」がカギとなる。そしてイスラームとは、1500年も前にできた、まさに国家なき法である。
もっといえば、リバタリアニズムは、この「イスラームの家」を超克する、それを上回る仕組みを構想できるのかどうかが問題になるともいえる。もしくはアメリカ国内の政治的主張として閉じるかだ。

思うに中田氏も基本は東大文系の左翼な人で、イスラームにユートピア思想を見てるように感じる。
経済に関する考え間違いもいろいろあるが、ユートピア思想の特徴としては、ディレンマとなる要因を排除する点にある。いわゆるリバタリアニズムもユートピア思想的なところが多分にあり、そこにはディレンマとなる要因が見えない。実際は、セキュリティや法といった問題はディレンマそのものなので、それを論じないと自然とユートピア思想になるわけだ。


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2015年11月09日

Army First

最小国家とは、基本的に軍隊だけある国家だ。軍隊がない社会は国家ではない。国家の定義はそのくらいに狭く定義した方がよい。アメリカの州が国家であるのは軍隊をもつ単位だからだ。逆にいえば軍のない社会は国家ではない。
#アメリカを合衆国と書くのは断固として間違い、誤訳であり、合州国と書くべきである。united statesは連合国と訳してもいい気がするが、連合国は普通、united nationsだからNGだ。
ここにnation とstateの違いがある。
例えばフランスがnation であってもカリフォルニア州は nation じゃない.
合州国 もやはり nation ではなく、united statesなのである。

3権分立というが、司法、立法、行政部門は軍隊の後に生まれる。順番としては、軍隊の次に司法、その次に立法、最後に行政部門だろうか。
それまでは軍が支配する体制、軍事政権だ。軍事政権は発展途上国に多い。
まず軍と軍事政権が最初にあって、次に近代国家の体裁を作るわけだ。この過程で軍は行政部門の一部として位置づけられることになる。だが本質的に軍隊は内政部門ではないから、微妙な位置づけだ。

大日本帝國もそうやってできたわけだが、大東亜戦争に負けてアメリカに占領され、軍隊を憲法で禁じられたため、戦後、日本はこの定義上、国家ではなかったということになる。
よく言われる通り、アメリカの51番目の州みたいなものというのが実情に即しているといえよう。
アメリカの州は、独自の憲法と法律と軍隊を持つわけだから、日本も独自の憲法と法律と自衛隊をもつアメリカの州といってもそう違わない。ただ本質的に違うのはアメリカの州とは違ってアメリカの連邦法には全く縛られないとこだけだ。

そもそもアメリカがあれだけ徹底した占領を行いながら、日本をアメリカに併合しなかった理由はなんなのかよくわからない。なんらかのpragmaticな理由があったのだろうが、それはなんなのか?
おそらくは、当初は日本を対共産主義の防波堤、つまりは緩衝地帯として利用しようという魂胆だったのだろう。併合して州にするよりも緩衝国家として使う方が責任もなく切り捨て可能で便利だということだ。
だがディーンアチソンが日本がアメリカの防衛ラインだと宣言したことから朝鮮戦争が始まり、日本は地政学的にも緩衝地帯にはならないことをおそまきながら認識したのだろう。w

日本は戦後、軍隊がないから国家とはいえないわけだが、では何かといえば、いわば去勢された存在という立ち位置なのかもしれない。アメリカの州軍が連邦に反旗を翻すことがまずあり得ないという点では、日本はやはりアメリカの州に近いが、日本は州より下の存在といもいえる。

私は当然ながら日本という深い歴史と伝統をもつ国がアメリカに占領統合され51番目の州にならなくてよかったと思うわけだが、一旦去勢されると元にもどるのは至難の技でそもそもそれは可能なのかという疑問すら抱く。人間は一度去勢されたら元には戻らない。国家はどうなのか?

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2015年11月06日

Anti company

昨今、企業の不祥事なるものがあるたびにメディアからの激しいバッシングがあるが、この社会的な損失は大きい。つまるところ、これはまともな法的な解決ができなくなる原因の一つだ。
アメリカも日本もメディアはアホな左翼勢力であるから基本、反企業、反資本主義だ。
反企業キャンペーンはマスゴミにとって、社会的正義なのだ。
マスゴミは広告などの取引関係がない普通の会社に対しては、バッシングのし放題だ。
何か不祥事なるものがあると、企業の重役に土下座させるというのも異常だ。これは朝鮮の風習だろう。
南朝鮮は法の支配がない後進国で、裁判所が世論に左右されるとか批判されているが、日本も似たり寄ったりで、日本もアジア的で法治国家とはいえないところがある。

ほとんどの人は、どこかの会社に勤めているわけだから、マスゴミの人間以外は企業が悪とは思っていないだろう。だがマスゴミと公務員と子供は別だ。
このように、「社会の公器を詐称するマスゴミ」対「悪の金儲け集団である企業」という構図はマスゴミがのさばる限りなくならない。
日本の大メディアは、朝日、毎日、日経と悪意のある捏造記事をばらまいてきており、計り知れない社会的な損失を生んでいるが、一切の責任をとらない。NHKも同様。潰れるべきなのは、メーカーではなく、日本のマスゴミなのは言うまでもない。新聞を買わなければ部数が減り、大新聞であっても潰れるわけだから、こういったデマ、デタラメを振りまく新聞を買わないことが大事だ。

しかしそういった市場メカニズムくらいでは容易に日本のマスゴミが潰れないのは、言論の自由という全然関係のない名目で、メディアに様々な特権が与えられているのが原因だ。メディアの特権は剥奪していかないといけない。
再販制度も軽減税率も許されないし、電波の割り当て制度という社会主義政策も廃止しなければいけない。
このような特権によって守られたマスゴミが特権意識を振りかざすのは必然だ。
posted by libertarian at 12:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

Incentive War

レッシグのTEDを見ると、英語字幕と日本語訳が出てくるので大体何を言っているのかはわかる。
要するに、アメリカの大統領選で勝つには何十億、何百億円という活動費用が必要だが、これを提供しているのは、ごく少数の人間、大企業で、およそ0.05%くらいの人間がこの金を牛耳っているのが現実。

大統領選に出馬する人は、有権者の票だけでなく、一部の資金提供者達からの資金集めにも奔走しなければいけない。
そして、このごくごく一部の人間が資金を支配することで選挙結果をコントロールしている。
とくに、「直近の選挙期間の統計で忘れられない数字は 0.000042% 計算してみるとわかりますが132人のアメリカ人です―彼らが この期間中に(献金限度額のない)特別政治活動委員会資金として 使われた資金の6割を提供しました」

これによりアメリカの憲法は歪められ、意味のある政治改革が困難になっている。
つまり選挙制度がアメリカの問題の根本原因にあり、これを改革するのは人種偏見を取り除くことよりも遥かに容易なはずである。実際、いくつかの州では近年、少額選挙制度が導入されている。といったことか。

より露骨に言えばアメリカの民主主義は実質的にごく一部の人間に乗っ取られているということだろう。
こういうと、陰謀論めいているが、選挙システムをみれば陰謀でもなんでもない公開事実だ。

レッシグはクラウドファンディングで選挙資金1億円を集めようとしており、これが集まらなければ出馬は取りやめるようだ。1億円くらいはすぐに集まりそうな気もするがどうだろうか?

レッシグは、アメリカのかなり本質的な利権構造を正そうと勝負に出ているともみえる。
著作権問題で共に戦った同志ともいえる天才アーロンシュワルツの死もあり、やはり戦わなければいけないと思ったのであろうか。レッシグはシュワルツの死を目を腫らして語っていたが、CC運動がこのような戦死者を生むとは思っていなかっただろう。

アメリカの覇権がそろそろ終わるということは前からいろんな人が唱えているが、確かに内部的にも本質的な改革がそろそろ起こる時期なのかもしれない。アメリカはこういう時に銃社会であることが大きなメリットとなる。憲法に立ち返るという大義がアメリカには常にあり、それがある種の体制転覆的な動きすらも憲法が保障しているからだ。GUN RIGHTSは憲法が保障する権利であるからこそ、軽々しく制限してはならないという理解がアメリカにはある。

レッシグの著作権問題に関する運動は、実際のところ結構理解が難しかった。
その問題意識を理解するには、著作権法についてある程度知っている必要があり、かつCREATIVE COMMONS LICENCEが既存の著作権法とどのように違うのかを理解しないといけない。
これはかなり意識の高いインテリでないと無理だ。
普通の人が著作権を理解しようとすれば、私同様に眠くなるのが必然であろう。

ようするに、著作権問題のような運動はかなりハイブロウ、かつ頭がよくて良識のある人の善意だけで成り立つもので、一般的なインセンティブがほとんどないのである。
今回、レッシグは選挙システムの改革は単なるインセンティブの問題だから差別問題よりは簡単だと言っている。CCプロジェクトで、いかに既存利権集団の抵抗が強いかを思い知ったのだろう。

実際、著作権問題よりは、はるかに多くの人に理解しやすい問題設定であろう。そして、それはインセンティブ設計の問題だ。
厄介なのは、既存利権集団はお金と、改革を阻止する強いインセンティブを持っているという点にある。
だから、こういった利権に関わる改革はシビアな戦いになるわけだ。
レッシグというリベラルな頭のいいハーバード教授がそういうシビアな戦いをできるかどうかはわからないが、彼をサポートする組織がどれだけのインセンティブを持つかにもよる。
posted by libertarian at 22:52| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Lester land :Lessig

レッシグがなんとアメリカ大統領選に立候補しているとは知らなかった。
民主党から出馬しているようだ。
レッシグは、著作権の問題から、アメリカの選挙制度の問題に焦点を移したらしい。
これをTEDで説明している。
http://digitalcast.jp/v/17074/

”ABCの番組で「我々は政府が機能していないことを認識すべきだ」と強調した上、選挙資金や選挙権などの政治改革の実現を目指すとし、大統領になって関連法が実現すれば、大統領職を副大統領に譲るとした。しかし副大統領に誰を指名するかについては言及しなかった” ーーwikiより

私はレッシグはどちらかというと共和党に近いのかと思っていたが、民主党で出馬するとは少し意外だ。
まあ、どちらで出馬しても当選はしないから構わないのだろう。w
国の問題点を選挙戦の場で広く訴えることが目的なのだろう。

レッシグのブログでこの出馬理由がある。
Why I want to run
http://www.lessig.org/

私はレッシグは1mくらいのそばで見たことがあるので、是非レッシグにはアメリカ大統領になってほしい。w

社会は複雑極まりなく専門分化しているので、法学者にしか気づかない問題もある。
そういう問題を世に問うのが法学者の役割だろう。
日本の法学部の教員は判例解釈ばかりしているが、そんなものは裁判官はほとんど参考にもしないのが実情なので、法学部は経済学部同様に社会的に機能していないと言っても過言ではない。
レッシグを見習って、日本の法学者はもっと法制度の問題を世に問わないといけない。
posted by libertarian at 04:56| 東京 ☀| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

Border of Law

法というのは基本、国があってその国内を扱うものだ。
アメリカ人が聖書の次くらいに大事に思っている憲法も、その効力は内部にしか働かない。
つまり、対外的には効力が基本ないし、また政府の対外的な行動を制限するものでもない。
ここには内と外がはっきりとあって、法の支配なるものはあったとしても内部だけにしかない。

アメリカの対外行動は、基本、国際法は無視するはで大いに問題がある。立派な憲法があっても、政府の対外的な行動については何も制限できない。政府行動は侵略であろうとなんでもありだ。
これが世界がアナーキーである原因で、国際法など覇権国の前にはあまり効力はない。
軍事行動とは、national security の一環だが、security という曖昧なものでどんな行動でも正当化してしまう傾向がある。実際は利潤動機に過ぎないものでも、securityとして正当化できてしまうわけだ。
constitutionalismという政府の力を制限する仕組みがあっても、対外的には無制限の権力を政府に与えてしまっている。

アーロンシュワルツの映画で、シュワルツがサイバー戦争などを理由に政府がネットの自由、言論の自由を侵害しようとしていると言っていた。国内に対してもsecurityという曖昧な概念でなんでも正当化されてしまう危険はある。

セキュリティとか知的財産というのは曖昧で捉えどころがなく、厄介この上ない。
セキュリティの危機を感じたから、それを排除するために、先制攻撃をしかけ相手を殺したりした場合、普通の人なら殺人事件だが、アメリカのような国家はやられる前にやる。支那もそうだろう。パリ不戦条約など意味がないのである。

支那に関してアメリカが危惧していることは、支那は核兵器、水爆であっても、単なる抑止兵器とは考えておらず、通常兵器として躊躇なく使う恐れがあるということらしい。
対ソ連の時にはあったコモンセンスが全く通用しないサイコパスのような相手と考えているようだ。
支那中共は毛沢東という稀代のサイコパスが作った王朝であるから、大いにありうることだろう。
それをアメリカは朝鮮戦争の時に思い知ったはずなのである。

posted by libertarian at 01:55| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Aaron Swartz

Netflixで”インターネットの申し子 アーロン シュワルツ”というドキュメンタリーを観た。
よくできたドキュメンタリーでおすすめだ。
シュワルツはredditを作った若き天才だが、Lessigなどの著作権運動に共鳴し著作権問題にのめり込むようになる。
最終的に彼はJstorという学術論文ネットワークに入り込んで論文をダウンロードだことでFBIに捕らえられ13の重罪で訴追されるが、公判を前に自殺する。
SOPA運動では先頭にたち、オンライン海賊行為防止法案を廃案に持ち込むという偉業も達成していた。

検察が彼を重大経済犯罪として訴追したのは、見せしめにしようという目論見からで、その量刑を大きくすることで抑止を狙ったわけだ。

Lessigも出てくるが、私もかれこれ10年位前レッシグの講演を聞きに行ったことがある。
あの頃は自分も著作権問題に関心があったが、その後すっかり離れてしまった。
レッシグも、当時はかなりのアクティビストだったが、今はハーバードの教授になっているようだ。
まだ著作権問題をやっているのであろうか?完全に離れたわけではないだろうが、距離を置いているのかもしれない。

TPPも当然ながら私は支持するわけだが、よくわからないのは知的財産権、著作権関連の問題である。
日本は著作権はフェアユースも認めないから、先進国の中でもかなりユーザー側に厳しいものだが、
TPPでこれらは一体どうなるのであろうか。
今のところ、著作権は親告罪だが、これを非親告罪にしようとする動きもあると聞く。これはアメリカにあわせるということなのだろうか。

私は、基本的に著作権のような登録を必要としない自然発生的な特権はよくないと思っている。
著作物が商業用途なのであれば、基本、登録を必要とする方が分かりやすいだろう。登録手続きをネットで簡単にできるようにすればよいのである。privilegeなら登録制にしてまた維持登録料をとるべきだ。
登録維持をしなければ、特権も消失するようにしたほうがいい。
著作権はbundle of rightsで様々な特権の束だが、登録時にそれらを選択するようにし、そして登録維持料金も特権の請求数によって増減させるなど。

著作権は昔はごく少数の作家、アーティスト保護だったから、ある意味でどうでもいい法律で、増改築で膨れ上がっただけの法律とはいえないような法律である。
ただ、映画のように多大なお金と労力をかけて作られる作品もあるわけで、なにがしかの著作権的な保護がないと成り立たないものもあるのは、やはり否定しがたい。

根本的な制度設計をしなおす時期にあるのだろうが、レッシグが挫折したように、ここには巨大な既得利権があるので手がつけられない。
著作権に限らず、特許でも商標でも知的財産権関連は非常に難問だ。

特権というのは普遍的なものではなく、ある国家が国民に与えるものであるから、支那のような非国家には通用しないという問題もある。
posted by libertarian at 00:25| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

Dividing China

世界は米ソ冷戦期のBipolarな状態から支那の台頭によりMultiPolarになりつつあり、世界は今極めて不安定な危うい状態になっているというのが現状認識だ。
しかし支那にせよ、旧ソ連にせよ周辺国を統合することで全体のGDPが上がっているだけで平均すると普通の貧しい国だ。ソ連が分裂後、ロシアのGDPはイタリア並になったわけだが本体の力はそんなものだ。
支那にしても中共が国の全ての富を簒奪しているだけで、実際は貧しい国である。
いわば、鋼の錬金術師に出てくるグリードのようなものといえよう。

歴史の偶然、幸運というべきか、支那=中共は先の大戦で台湾を手に入れられなかった。
これに関しては、単なる偶然ではなく日本の将軍、根本博中将たちの隠れた大活躍があった。彼ら日本の将校たちの孤軍奮闘がなければ台湾は支那中共の手に落ちていただろう。
もし、そうなっていたら地政学的に日本は終わっていた。日本は、こういった英雄の名を忘れていはいけないのである。

戦後、中共の支那は侵略につぐ侵略により地理的に拡大する。モンゴル、チベット、ウイグルといった弱小周辺国を侵略し併合していく。地理的な拡大によりマスが拡大し、貧しくとも全体としてみれば大きな国になるわけだ。
ベトナムは小国であるが、日本人が教育した近代的軍隊の素地があったために中越戦争でも勝利でき併合されなかった。

支那中共、または自称”中華人民共和国”とは前世紀的な独裁国家だが、中共はある意味、”いわゆる支那”の最大版図を作った王朝の一つとして見ないと間違える。支那という呼び方は地理的な領域を指し、王朝としては元、明、清といったものがあった。
今は王朝が中共で、支那の地理的版図は拡大している。
支那は歴史的には分裂と統合の歴史であり、基本的には三国志のように複数の国が対立した内陸地帯としてあるのが望ましい。
つまり、支那に対する戦略としては支那を分裂させることが正しい。これは、チベットやウイグルといった中共に侵略併合された地域を再度独立させることで支那を分断させることが望ましい。
アメリカや国際社会がとるべき戦略は、こういった侵略された地域の独立支援だ。
残念ながらチベットやウイグルには台湾の独立を守った日本の根本中将のような存在がいなかったわけだが、今後はこれらの地域、民族の独立を支援する形で支那を分断させていくべきだろう。
経済発展が問題なのではなく、中共の版図が問題なのだ。
中共王朝を倒し、支那の植民地となった民族国家を独立させ、支那をロシアのように分割し、単体としてみればイタリア以下の国家がいくつかできる状態が望ましい。

このように支那を元の複数の小国からなる地帯に戻すことが長期的な戦略、あるべき姿とかんがえられる。
そして、新たに中共から独立した国々は新たにリベラルデモクラシーの”国”としてスタートすればいい。
そうなったほうが、この地帯に住む人々にとっても一番よいことだし、世界にとってもよいことだ。

つまり、支那問題の本質とは相変わらず、中共をいかに打倒するかであって支那をどうするかではない。
この点でアメリカと、今は共産主義をすてた旧ソ連諸国との連帯はありうる。
中共とは共産主義のイデオロギーすらもたない単なる暴力王朝にすぎない。
中共は一切の正当性もない巨大暴力装置、国連公認の巨大マフィアにすぎず、世界にこのままこれ以上存在を許してはならない組織だという認識を持たないといけない。

冷戦期はイデオロギー対立が強調されていたから、ソ連共産党そのものを敵として強く意識されていたが、共産主義のイデオロギー性すらない中共に対しては、そういう意識がなさすぎた。世界は支那中共に対して甘すぎた。シナ人を舐めすぎていたともいえる。
その原因は欧米の毎度の人種偏見による支那人蔑視だったのだろう。

posted by libertarian at 14:18| 東京 ☁| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

Layer

アメリカの政治思想は興味深く、リバタリアニズムもその一つである。
しかしアメリカ社会のレイヤーは、第1層が宗教で、その上に第2層として政治思想が乗る形であろう。
通常、政治思想は宗教との絡みでは論じられず、独立したもののように扱われている。
だから、政治思想だけを理解すればよいと思ってしまうわけだが、実際は宗教レイヤーと政治レイヤーは独立というわけではあるまい。
これはTCP/IPの7レイヤーのように分離されているとはどうも思えなくなってきたわけだ。
例えば第7層のアプリケーション層は第1層の物理層を無視して独立に扱えるが、宗教と政治思想には、断ち難い関係があり独立してない。

しかし、キリスト教については普通の日本人は全く不可解であるし、表面的にもアメリカの多様化した宗教状況を理解するのは難しい。
アメリカでも宗教レイヤーを論じることは、ある種のタブーなのではないか。だからそんなものには触れずに政治思想というのを論じようとするわけだ。

一方、日本社会においては、宗教レイヤーもなければ政治思想レイヤーもほぼ存在しないといってよい。
日本に宗教レベルのレイヤーがあるとは思えない。
日本に宗教がないわけではないが、レイヤーとして社会構造に存在しているとは思えない。
神道=天皇というのが存在しているが、神道は宗教とはいえないと思う。
キリスト教は、政治思想に対して理屈や根拠を与える一段深いものだが、神道はそうではない。
だが、天皇、皇室、神道は、宗教的ではないが宗教レイヤーと同様に日本社会において深い構造を形成していることは間違いないだろう。

さらにアメリカのレイヤーとして法レイヤーというのもあるかもしれない。
つまり、アメリカ社会は宗教ー政治思想ー法という3レイヤー構造と見ることができる。
アメリカは信教の自由があり、政教分離されているが、これによって逆に宗教が政治的であることが可能となっている。

アメリカの奴隷制など日本人からみればとんでもないものと思うわけだが、これが20世紀中頃まで維持されてきたのは、奴隷制を肯定する論理がキリスト教の中に存在したからである。
そして奴隷制を巡る議論の中で、アメリカのキリスト教社会も様々な教派に分かれてきた。
マルコムXはネーションオブイスラームというイスラム団体から出てきたが、キリスト教そのものに人種差別、Racismの論理があると認識してイスラームに改宗したそうだ。
もともとアメリカのイスラム教は奴隷として連れてこられた黒人のムスリムが最初で、黒人社会にイスラームの基盤にあったようだ。
歴史的にみても、イスラームにキリスト教のようなRacismはないように思われる。奴隷はあったが、それとキリスト教のRacism とは違うように思われる。
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする