2015年11月15日

Asymmetrical War

フランスで同時多発テロが起こった。
ISが犯行声明を出したので、おそらくISの犯行なのであろう。
高度な計画性があるということは、背後に組織があるということだ。
これをテロとはいうが、いわゆる非対称戦争でありつまるところ戦争だ。
そして、これはイスラームから見れば、ジハードだ。国家間の争いが戦争だとすれば、イスラームにいわゆる国家はないから、戦争ではなくジハードということになる。

フランスは歴史的にも現在も中東紛争の最大の当事者国であり、シリア紛争に大きくコミットしているから、ISに狙われているわけである。
ISを国と認めようが認めまいが、フランスとISは戦争状態にあるわけだから、ISの攻撃はやはり戦争の一環と見ないとおかしい。テロといえば国内法で裁かれる犯罪行為というニュアンスだが、むしろ戦争法規で裁くべきものだろう。

もとより、こういった戦争、もしくはイスラームからすればジハードなるものは、あの中田考氏の解釈によるとイスラームの教えから外れた行為であるらしい。
シャルリーエブドの際は言論の自由という論点であれこれ言われたのがミスリーディングであった。
そもそもムハンマドの顔を書くのはダメだというイスラームの禁忌のようなものはコーランになく、イスラームではより広く動物一般の像を描いてはいけないということがハディースにのみ書かれているらしい。しかし、これには解釈の余地がいろいろとあり、実際は、イスラームの中でもムハンマドの像は普通にあり、別に問題とはされていないそうだ。

シャルリーエブドの問題の本質は、ムハンマドの姿を描いたことではなく、預言者を侮辱したことにあるのである。そして預言者に対する侮辱や冒涜は、最悪の罪とされ決して許されず、それがムスリムによるものであれば死に値する大罪とされる。
これは、ハッドと呼ばれる法定刑として定められている。

では、なぜシャルリーエブドのような報復がイスラーム法では本来許されない行為なのかといえば、「戦争の家(ダール アル ハルブ)」におけるムハンマドの侮辱のような犯罪は、イスラームが罰則規定を執行する政治的権力を持たないため、犯人が戦争の家に居住するものである限り、このハッド執行の義務は免除され、放置されるからだそうだ。
もし、このハッドを執行しようとするならば、カリフ国の存在がなくてはならない。だが、今はカリフはいないので、このハッドの執行はイスラームの教えからは逸脱した行為となるというのが、中田考氏の説明である。

なんとなくわかったような気にはなる説明である。
だがしかし、このハッドを行った犯人はイスラーム法上、なんらかの罰則があるのであろうか?
そこまでは、中田氏は論じていない。ちなみに、この中田氏の論考は2006年に発表された「幻想の自由と偶像破壊の神話」という論文によるものである。約10年前のものでシャルリーエブドを論じたものでもないし、ISも存在していなかった。

現在、ISのバグダッディがカリフを宣言しているのは、ISを「イスラームの家」(ダールアルイスラーム)にしようということなのだろう。
もし、ISを支持するものにとってバグダッディがカリフであり、ISがイスラームの家なのだとしたら、シャルリーエブドのハッドもイスラームの法定行為ということになるのかもしれない。
つまり、ハッド執行の義務は免除されない。
ここら辺はスンニー派のイスラム法の解釈問題なので、部外者にはわからない問題ではある。

いずれにせよISというイスラームを相手にする場合は、国際法も国内法も通用しない。
ISはイスラームの義務を果たしているという論理なのであろう。ISを国と認めようが認めまいが、それすらもイスラームの法からすれば全くどうでもよい話なのだ。
戦闘員でなく、民間人を殺すのはテロだと言っても、中東では民間人を数十万人規模で殺してきたのが欧米であるし、今もドローンで民間人を殺しまくっているらしい。あちらのコラテラルダメージは無視する方針でもあるかのようだが、当然にこれは非人道的だ。
こう考えると、欧米はやはりシリアや中東から手を引くべきなのかもしれない。ISを完全殲滅することもできないし、それが良いことだとも思えない。シリアから手を引けば欧米はISに屈服することになるが、それで何か困ることがあるのだろうか?
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2015年11月14日

China2049

ピルズベリー著「China2049」を読んでいる。
ピルズベリーはアメリカの親中派の高官でPanda huggerの一人であった人だが、自分が長いことシナに騙されていたことに気づき、アメリカと国防省に警告を発する意図でこの本を書いたようだ。
#ちなみにパンダハガーとは中国大好き人間のことをさすが、パンダはもともとチベットの動物で支那のものではない。シナはパンダをチベットからかっぱらってきただけである。

これをみると、アメリカはこれまでいかに支那に好意的で不用心であったかがよくわかる。
ニクソン、キッシンジャー以来、歴代のアメリカ政権が支那の長期戦略(100年マラソン)に騙されてきた。
100年マラソンとは中共結成100年目の2049までにアメリカを超えるという毛沢東の計画である。
これが支那の平和的台頭戦略の本当の目的である。

最初にシナは、ニクソンとキッシンジャーに擦り寄り国交を回復させ、アメリカはカーター政権の時に支那への技術流出を加速させる。
レーガンも最初はシナに警戒していたが、結果的に対ソ包囲網のために支那への援助と技術流出を大規模に拡大する。
結果、シナはソ連という目先の最大の敵をアメリカに打倒させることに成功する。
クリントンも同様に最初は従来の支那路線を批判していたが取り込まれる。結果的に1989年の天安門事件を経てもなお、アメリカの親中スタンスは変わることがなく、今のオバマ政権に至る。

著者とアメリカが、支那を常に弱者としてやさしく接し、まともな国への変化の途上にある存在というひいき目で見てきたことには、半ばあきれる。シナは巧みに自らを弱者として演じ、盗めるだけのものを何十年もかけてアメリカから盗んできた。
しかし、シナは天安門事件を境にいわゆる国内のハト派は弾圧されていき、徐々に本性を現してくる。

最近になってようやくアメリカは支那の危険性に気づいてきたわけだが、時すでに遅しである。
シナは核大国となり、この10年であっという間に軍事大国、経済大国となった。
支那に簡単に籠絡され操られたアメリカがバカすぎたのである。
最近は、シナはアメリカに対しても歴史戦を仕掛けていて、アメリカにも日本の立場が見えてきたのかもしれない。

支那は共産主義を捨てて市場経済に移行したように見えたが、実際、中共は共産主義を決して捨ててもいないし否定もしていない。3000万人党員がいるといわれる中共ではいまだに共産主義の洗脳教育が行われているようだ。
支那とは、中共が支配するその他十数億の一般人と、中共という支配層からなる独裁国家、もとい山賊が支配する地域のことである。

この先、どうなるのか分からないが、今までのアメリカの親中スタンスは愚の骨頂であった。
フランシスフクヤマが歴史の終わりを書いた時も、ソ連が崩壊したことでリベラルデモクラシーの勝利宣言をし、シナのことなど歯牙にもかけていなかった。アメリカ人にとって、シナは常に弱者としか映っていなかったわけだ。

私が思うに、今の”変化率”から見て、中長期的には支那はどうこういって成長し、アメリカは成熟過程に入り停滞する。
同時にイスラームの急激な拡大傾向を考えると、将来的にはシナとイスラームの対決はありそうだ。
ウイグルなどはもともとイスラームの国だが、無神論の共産主義中国に支配されているという状況はあり得ない状況だろう。

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2015年11月12日

Tax and Religion

キリスト教に入信するといろいろと教会税を徴税をされるらしい。
所得税の10%程度を支払わされ、これがヨーロッパでキリスト教が衰退している原因の一つでもある。
ドイツでは国税で教会税を徴収されるらしい。
そのため、若い人がどんどん教会から抜けるので、教会が経営不振となり、身売りされモスクなどになっているようだ。

中田考氏によるとイスラームは税そのものを否定する。
徴税そのものがイスラームの罪であり、徴税人は殺さないといけないとまでされているそうだ。w
イスラームにはキリスト教のような教会組織がないし、アッラーとムハンマド以外の権威は否定されているので、教会税などあり得ないわけだ。
とはいえ、喜捨は宗教的な義務もしくは推奨行為なので、これが一種の宗教税に相当する。


シーア派は五分の1税をウラマーに納めないといけないが、スンニー派は、資産の2.5%の浄財=ザカー(義務の喜捨)だけ。

ユダヤ教徒とキリスト教徒に対しては、ジズヤという人頭税が科せられるが、これは年間6−7万円程度で、資産の多寡にかかわらず同じ。
イスラムは徴税を禁じるから、外部との交易に対しても関税が課せられることがない。


中田氏によればイスラームはグローバルな平和的アナーキズムということになる。
おまけに不換紙幣は偶像崇拝だとして金銀本位制までイスラームは主張する。
イスラームは国家、国家法というものを基本的に必要としない。なぜならイスラームそのものが法であり、属人法だから、地球のどこにいようと従う法が決まっているからである。

そうだとすれば、オーストリアンリバタリアンは、スンニー派のイスラームになってイスラーム社会、イスラームの家を目指せばよいということになるだろう。w
だが、欧米のリバタリアンたちの多くはクリスチャンなのであろう。それもプロテスタント系クリスチャンが多いと推察できる。

ただ、中田氏の話は、カリフがいた時代のイスラームの話であり、今はどこにもイスラームの家は存在しない。今はムスリムにとって、「戦争の家」しかない。
そして「イスラームの家」を復興させるためには、まずはカリフ再興が必要だという話になるわけだ。
#しかし、そもそもイスラームの家は、いつからいつ頃まで存在していたのかという、中田氏の歴史認識についてはよくわからない。もしかして正統カリフの時代だけだったということだろうか?だとすれば、せいぜいムハンマド以降の30年くらいということになる。

現在16億人のムスリムがいるそうで、この調子で増えていけば早晩、世界の半分くらいはムスリムということになりそうだ。
イスラームから見れば、ユダヤ、キリスト教徒は経典の民で、イスラームに包含される存在とみなされるそうなので、欧米のリバタリアンがイスラームになるのはそれほど変な話ではないのかもしれない。

私の知る限りでは、このような視点で欧米のリバタリアンがイスラームを肯定的に論じるのを見たことがないから、彼らクリスチャンは、イスラームを全く知らないか、意図的に無視しているのか、どちらかだろう。

しかし、宗教的な面を除いたイスラームの家のような社会をリバタリアンが目指していることは間違いない。
リバタリアンは、法に対する考え方でも分けることができるが、経済的な原理だけで平和的な無政府体制が可能だとする連中もいる。私は、リアリズムの観点からみて、それはユートピア思想の一種だと思う。w

もちろんハイエクなどは、法を最重視しているからそうではない。ハイエクは国家の作る人定法ではなく、自然法の存在に期待をかけているわけだ。
イスラームの法は宗教法、神の法で、これを中田氏などは自然法とも呼ぶが、ハイエクの自然法とはややイメージが異なる。ハイエクの自然法はいわば民法的なイメージだ。民法は一種の経済ルールでもあるが。
今のところ、リバタリアンにとって確実な自然法とは、生命身体の所有権だけだろう。

私なども法を重視する立場だから、いわゆるアナーキーなリバタリアンには前から懐疑的だが、同時に法を人定法、国家法というものに完全に委ねる立場にも当然に否定的だ。それはつまるところ国家社会主義といえる。

アナーキーなリバタリアンの国家なき自由社会とは、「法のない社会」ではないから、「国家なき法」がカギとなる。そしてイスラームとは、1500年も前にできた、まさに国家なき法である。
もっといえば、リバタリアニズムは、この「イスラームの家」を超克する、それを上回る仕組みを構想できるのかどうかが問題になるともいえる。もしくはアメリカ国内の政治的主張として閉じるかだ。

思うに中田氏も基本は東大文系の左翼な人で、イスラームにユートピア思想を見てるように感じる。
経済に関する考え間違いもいろいろあるが、ユートピア思想の特徴としては、ディレンマとなる要因を排除する点にある。いわゆるリバタリアニズムもユートピア思想的なところが多分にあり、そこにはディレンマとなる要因が見えない。実際は、セキュリティや法といった問題はディレンマそのものなので、それを論じないと自然とユートピア思想になるわけだ。


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2015年11月09日

Army First

最小国家とは、基本的に軍隊だけある国家だ。軍隊がない社会は国家ではない。国家の定義はそのくらいに狭く定義した方がよい。アメリカの州が国家であるのは軍隊をもつ単位だからだ。逆にいえば軍のない社会は国家ではない。
#アメリカを合衆国と書くのは断固として間違い、誤訳であり、合州国と書くべきである。united statesは連合国と訳してもいい気がするが、連合国は普通、united nationsだからNGだ。
ここにnation とstateの違いがある。
例えばフランスがnation であってもカリフォルニア州は nation じゃない.
合州国 もやはり nation ではなく、united statesなのである。

3権分立というが、司法、立法、行政部門は軍隊の後に生まれる。順番としては、軍隊の次に司法、その次に立法、最後に行政部門だろうか。
それまでは軍が支配する体制、軍事政権だ。軍事政権は発展途上国に多い。
まず軍と軍事政権が最初にあって、次に近代国家の体裁を作るわけだ。この過程で軍は行政部門の一部として位置づけられることになる。だが本質的に軍隊は内政部門ではないから、微妙な位置づけだ。

大日本帝國もそうやってできたわけだが、大東亜戦争に負けてアメリカに占領され、軍隊を憲法で禁じられたため、戦後、日本はこの定義上、国家ではなかったということになる。
よく言われる通り、アメリカの51番目の州みたいなものというのが実情に即しているといえよう。
アメリカの州は、独自の憲法と法律と軍隊を持つわけだから、日本も独自の憲法と法律と自衛隊をもつアメリカの州といってもそう違わない。ただ本質的に違うのはアメリカの州とは違ってアメリカの連邦法には全く縛られないとこだけだ。

そもそもアメリカがあれだけ徹底した占領を行いながら、日本をアメリカに併合しなかった理由はなんなのかよくわからない。なんらかのpragmaticな理由があったのだろうが、それはなんなのか?
おそらくは、当初は日本を対共産主義の防波堤、つまりは緩衝地帯として利用しようという魂胆だったのだろう。併合して州にするよりも緩衝国家として使う方が責任もなく切り捨て可能で便利だということだ。
だがディーンアチソンが日本がアメリカの防衛ラインだと宣言したことから朝鮮戦争が始まり、日本は地政学的にも緩衝地帯にはならないことをおそまきながら認識したのだろう。w

日本は戦後、軍隊がないから国家とはいえないわけだが、では何かといえば、いわば去勢された存在という立ち位置なのかもしれない。アメリカの州軍が連邦に反旗を翻すことがまずあり得ないという点では、日本はやはりアメリカの州に近いが、日本は州より下の存在といもいえる。

私は当然ながら日本という深い歴史と伝統をもつ国がアメリカに占領統合され51番目の州にならなくてよかったと思うわけだが、一旦去勢されると元にもどるのは至難の技でそもそもそれは可能なのかという疑問すら抱く。人間は一度去勢されたら元には戻らない。国家はどうなのか?

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2015年11月06日

Anti company

昨今、企業の不祥事なるものがあるたびにメディアからの激しいバッシングがあるが、この社会的な損失は大きい。つまるところ、これはまともな法的な解決ができなくなる原因の一つだ。
アメリカも日本もメディアはアホな左翼勢力であるから基本、反企業、反資本主義だ。
反企業キャンペーンはマスゴミにとって、社会的正義なのだ。
マスゴミは広告などの取引関係がない普通の会社に対しては、バッシングのし放題だ。
何か不祥事なるものがあると、企業の重役に土下座させるというのも異常だ。これは朝鮮の風習だろう。
南朝鮮は法の支配がない後進国で、裁判所が世論に左右されるとか批判されているが、日本も似たり寄ったりで、日本もアジア的で法治国家とはいえないところがある。

ほとんどの人は、どこかの会社に勤めているわけだから、マスゴミの人間以外は企業が悪とは思っていないだろう。だがマスゴミと公務員と子供は別だ。
このように、「社会の公器を詐称するマスゴミ」対「悪の金儲け集団である企業」という構図はマスゴミがのさばる限りなくならない。
日本の大メディアは、朝日、毎日、日経と悪意のある捏造記事をばらまいてきており、計り知れない社会的な損失を生んでいるが、一切の責任をとらない。NHKも同様。潰れるべきなのは、メーカーではなく、日本のマスゴミなのは言うまでもない。新聞を買わなければ部数が減り、大新聞であっても潰れるわけだから、こういったデマ、デタラメを振りまく新聞を買わないことが大事だ。

しかしそういった市場メカニズムくらいでは容易に日本のマスゴミが潰れないのは、言論の自由という全然関係のない名目で、メディアに様々な特権が与えられているのが原因だ。メディアの特権は剥奪していかないといけない。
再販制度も軽減税率も許されないし、電波の割り当て制度という社会主義政策も廃止しなければいけない。
このような特権によって守られたマスゴミが特権意識を振りかざすのは必然だ。
posted by libertarian at 12:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

Incentive War

レッシグのTEDを見ると、英語字幕と日本語訳が出てくるので大体何を言っているのかはわかる。
要するに、アメリカの大統領選で勝つには何十億、何百億円という活動費用が必要だが、これを提供しているのは、ごく少数の人間、大企業で、およそ0.05%くらいの人間がこの金を牛耳っているのが現実。

大統領選に出馬する人は、有権者の票だけでなく、一部の資金提供者達からの資金集めにも奔走しなければいけない。
そして、このごくごく一部の人間が資金を支配することで選挙結果をコントロールしている。
とくに、「直近の選挙期間の統計で忘れられない数字は 0.000042% 計算してみるとわかりますが132人のアメリカ人です―彼らが この期間中に(献金限度額のない)特別政治活動委員会資金として 使われた資金の6割を提供しました」

これによりアメリカの憲法は歪められ、意味のある政治改革が困難になっている。
つまり選挙制度がアメリカの問題の根本原因にあり、これを改革するのは人種偏見を取り除くことよりも遥かに容易なはずである。実際、いくつかの州では近年、少額選挙制度が導入されている。といったことか。

より露骨に言えばアメリカの民主主義は実質的にごく一部の人間に乗っ取られているということだろう。
こういうと、陰謀論めいているが、選挙システムをみれば陰謀でもなんでもない公開事実だ。

レッシグはクラウドファンディングで選挙資金1億円を集めようとしており、これが集まらなければ出馬は取りやめるようだ。1億円くらいはすぐに集まりそうな気もするがどうだろうか?

レッシグは、アメリカのかなり本質的な利権構造を正そうと勝負に出ているともみえる。
著作権問題で共に戦った同志ともいえる天才アーロンシュワルツの死もあり、やはり戦わなければいけないと思ったのであろうか。レッシグはシュワルツの死を目を腫らして語っていたが、CC運動がこのような戦死者を生むとは思っていなかっただろう。

アメリカの覇権がそろそろ終わるということは前からいろんな人が唱えているが、確かに内部的にも本質的な改革がそろそろ起こる時期なのかもしれない。アメリカはこういう時に銃社会であることが大きなメリットとなる。憲法に立ち返るという大義がアメリカには常にあり、それがある種の体制転覆的な動きすらも憲法が保障しているからだ。GUN RIGHTSは憲法が保障する権利であるからこそ、軽々しく制限してはならないという理解がアメリカにはある。

レッシグの著作権問題に関する運動は、実際のところ結構理解が難しかった。
その問題意識を理解するには、著作権法についてある程度知っている必要があり、かつCREATIVE COMMONS LICENCEが既存の著作権法とどのように違うのかを理解しないといけない。
これはかなり意識の高いインテリでないと無理だ。
普通の人が著作権を理解しようとすれば、私同様に眠くなるのが必然であろう。

ようするに、著作権問題のような運動はかなりハイブロウ、かつ頭がよくて良識のある人の善意だけで成り立つもので、一般的なインセンティブがほとんどないのである。
今回、レッシグは選挙システムの改革は単なるインセンティブの問題だから差別問題よりは簡単だと言っている。CCプロジェクトで、いかに既存利権集団の抵抗が強いかを思い知ったのだろう。

実際、著作権問題よりは、はるかに多くの人に理解しやすい問題設定であろう。そして、それはインセンティブ設計の問題だ。
厄介なのは、既存利権集団はお金と、改革を阻止する強いインセンティブを持っているという点にある。
だから、こういった利権に関わる改革はシビアな戦いになるわけだ。
レッシグというリベラルな頭のいいハーバード教授がそういうシビアな戦いをできるかどうかはわからないが、彼をサポートする組織がどれだけのインセンティブを持つかにもよる。
posted by libertarian at 22:52| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Lester land :Lessig

レッシグがなんとアメリカ大統領選に立候補しているとは知らなかった。
民主党から出馬しているようだ。
レッシグは、著作権の問題から、アメリカの選挙制度の問題に焦点を移したらしい。
これをTEDで説明している。
http://digitalcast.jp/v/17074/

”ABCの番組で「我々は政府が機能していないことを認識すべきだ」と強調した上、選挙資金や選挙権などの政治改革の実現を目指すとし、大統領になって関連法が実現すれば、大統領職を副大統領に譲るとした。しかし副大統領に誰を指名するかについては言及しなかった” ーーwikiより

私はレッシグはどちらかというと共和党に近いのかと思っていたが、民主党で出馬するとは少し意外だ。
まあ、どちらで出馬しても当選はしないから構わないのだろう。w
国の問題点を選挙戦の場で広く訴えることが目的なのだろう。

レッシグのブログでこの出馬理由がある。
Why I want to run
http://www.lessig.org/

私はレッシグは1mくらいのそばで見たことがあるので、是非レッシグにはアメリカ大統領になってほしい。w

社会は複雑極まりなく専門分化しているので、法学者にしか気づかない問題もある。
そういう問題を世に問うのが法学者の役割だろう。
日本の法学部の教員は判例解釈ばかりしているが、そんなものは裁判官はほとんど参考にもしないのが実情なので、法学部は経済学部同様に社会的に機能していないと言っても過言ではない。
レッシグを見習って、日本の法学者はもっと法制度の問題を世に問わないといけない。
posted by libertarian at 04:56| 東京 ☀| アメリカ政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

Border of Law

法というのは基本、国があってその国内を扱うものだ。
アメリカ人が聖書の次くらいに大事に思っている憲法も、その効力は内部にしか働かない。
つまり、対外的には効力が基本ないし、また政府の対外的な行動を制限するものでもない。
ここには内と外がはっきりとあって、法の支配なるものはあったとしても内部だけにしかない。

アメリカの対外行動は、基本、国際法は無視するはで大いに問題がある。立派な憲法があっても、政府の対外的な行動については何も制限できない。政府行動は侵略であろうとなんでもありだ。
これが世界がアナーキーである原因で、国際法など覇権国の前にはあまり効力はない。
軍事行動とは、national security の一環だが、security という曖昧なものでどんな行動でも正当化してしまう傾向がある。実際は利潤動機に過ぎないものでも、securityとして正当化できてしまうわけだ。
constitutionalismという政府の力を制限する仕組みがあっても、対外的には無制限の権力を政府に与えてしまっている。

アーロンシュワルツの映画で、シュワルツがサイバー戦争などを理由に政府がネットの自由、言論の自由を侵害しようとしていると言っていた。国内に対してもsecurityという曖昧な概念でなんでも正当化されてしまう危険はある。

セキュリティとか知的財産というのは曖昧で捉えどころがなく、厄介この上ない。
セキュリティの危機を感じたから、それを排除するために、先制攻撃をしかけ相手を殺したりした場合、普通の人なら殺人事件だが、アメリカのような国家はやられる前にやる。支那もそうだろう。パリ不戦条約など意味がないのである。

支那に関してアメリカが危惧していることは、支那は核兵器、水爆であっても、単なる抑止兵器とは考えておらず、通常兵器として躊躇なく使う恐れがあるということらしい。
対ソ連の時にはあったコモンセンスが全く通用しないサイコパスのような相手と考えているようだ。
支那中共は毛沢東という稀代のサイコパスが作った王朝であるから、大いにありうることだろう。
それをアメリカは朝鮮戦争の時に思い知ったはずなのである。

posted by libertarian at 01:55| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Aaron Swartz

Netflixで”インターネットの申し子 アーロン シュワルツ”というドキュメンタリーを観た。
よくできたドキュメンタリーでおすすめだ。
シュワルツはredditを作った若き天才だが、Lessigなどの著作権運動に共鳴し著作権問題にのめり込むようになる。
最終的に彼はJstorという学術論文ネットワークに入り込んで論文をダウンロードだことでFBIに捕らえられ13の重罪で訴追されるが、公判を前に自殺する。
SOPA運動では先頭にたち、オンライン海賊行為防止法案を廃案に持ち込むという偉業も達成していた。

検察が彼を重大経済犯罪として訴追したのは、見せしめにしようという目論見からで、その量刑を大きくすることで抑止を狙ったわけだ。

Lessigも出てくるが、私もかれこれ10年位前レッシグの講演を聞きに行ったことがある。
あの頃は自分も著作権問題に関心があったが、その後すっかり離れてしまった。
レッシグも、当時はかなりのアクティビストだったが、今はハーバードの教授になっているようだ。
まだ著作権問題をやっているのであろうか?完全に離れたわけではないだろうが、距離を置いているのかもしれない。

TPPも当然ながら私は支持するわけだが、よくわからないのは知的財産権、著作権関連の問題である。
日本は著作権はフェアユースも認めないから、先進国の中でもかなりユーザー側に厳しいものだが、
TPPでこれらは一体どうなるのであろうか。
今のところ、著作権は親告罪だが、これを非親告罪にしようとする動きもあると聞く。これはアメリカにあわせるということなのだろうか。

私は、基本的に著作権のような登録を必要としない自然発生的な特権はよくないと思っている。
著作物が商業用途なのであれば、基本、登録を必要とする方が分かりやすいだろう。登録手続きをネットで簡単にできるようにすればよいのである。privilegeなら登録制にしてまた維持登録料をとるべきだ。
登録維持をしなければ、特権も消失するようにしたほうがいい。
著作権はbundle of rightsで様々な特権の束だが、登録時にそれらを選択するようにし、そして登録維持料金も特権の請求数によって増減させるなど。

著作権は昔はごく少数の作家、アーティスト保護だったから、ある意味でどうでもいい法律で、増改築で膨れ上がっただけの法律とはいえないような法律である。
ただ、映画のように多大なお金と労力をかけて作られる作品もあるわけで、なにがしかの著作権的な保護がないと成り立たないものもあるのは、やはり否定しがたい。

根本的な制度設計をしなおす時期にあるのだろうが、レッシグが挫折したように、ここには巨大な既得利権があるので手がつけられない。
著作権に限らず、特許でも商標でも知的財産権関連は非常に難問だ。

特権というのは普遍的なものではなく、ある国家が国民に与えるものであるから、支那のような非国家には通用しないという問題もある。
posted by libertarian at 00:25| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

Dividing China

世界は米ソ冷戦期のBipolarな状態から支那の台頭によりMultiPolarになりつつあり、世界は今極めて不安定な危うい状態になっているというのが現状認識だ。
しかし支那にせよ、旧ソ連にせよ周辺国を統合することで全体のGDPが上がっているだけで平均すると普通の貧しい国だ。ソ連が分裂後、ロシアのGDPはイタリア並になったわけだが本体の力はそんなものだ。
支那にしても中共が国の全ての富を簒奪しているだけで、実際は貧しい国である。
いわば、鋼の錬金術師に出てくるグリードのようなものといえよう。

歴史の偶然、幸運というべきか、支那=中共は先の大戦で台湾を手に入れられなかった。
これに関しては、単なる偶然ではなく日本の将軍、根本博中将たちの隠れた大活躍があった。彼ら日本の将校たちの孤軍奮闘がなければ台湾は支那中共の手に落ちていただろう。
もし、そうなっていたら地政学的に日本は終わっていた。日本は、こういった英雄の名を忘れていはいけないのである。

戦後、中共の支那は侵略につぐ侵略により地理的に拡大する。モンゴル、チベット、ウイグルといった弱小周辺国を侵略し併合していく。地理的な拡大によりマスが拡大し、貧しくとも全体としてみれば大きな国になるわけだ。
ベトナムは小国であるが、日本人が教育した近代的軍隊の素地があったために中越戦争でも勝利でき併合されなかった。

支那中共、または自称”中華人民共和国”とは前世紀的な独裁国家だが、中共はある意味、”いわゆる支那”の最大版図を作った王朝の一つとして見ないと間違える。支那という呼び方は地理的な領域を指し、王朝としては元、明、清といったものがあった。
今は王朝が中共で、支那の地理的版図は拡大している。
支那は歴史的には分裂と統合の歴史であり、基本的には三国志のように複数の国が対立した内陸地帯としてあるのが望ましい。
つまり、支那に対する戦略としては支那を分裂させることが正しい。これは、チベットやウイグルといった中共に侵略併合された地域を再度独立させることで支那を分断させることが望ましい。
アメリカや国際社会がとるべき戦略は、こういった侵略された地域の独立支援だ。
残念ながらチベットやウイグルには台湾の独立を守った日本の根本中将のような存在がいなかったわけだが、今後はこれらの地域、民族の独立を支援する形で支那を分断させていくべきだろう。
経済発展が問題なのではなく、中共の版図が問題なのだ。
中共王朝を倒し、支那の植民地となった民族国家を独立させ、支那をロシアのように分割し、単体としてみればイタリア以下の国家がいくつかできる状態が望ましい。

このように支那を元の複数の小国からなる地帯に戻すことが長期的な戦略、あるべき姿とかんがえられる。
そして、新たに中共から独立した国々は新たにリベラルデモクラシーの”国”としてスタートすればいい。
そうなったほうが、この地帯に住む人々にとっても一番よいことだし、世界にとってもよいことだ。

つまり、支那問題の本質とは相変わらず、中共をいかに打倒するかであって支那をどうするかではない。
この点でアメリカと、今は共産主義をすてた旧ソ連諸国との連帯はありうる。
中共とは共産主義のイデオロギーすらもたない単なる暴力王朝にすぎない。
中共は一切の正当性もない巨大暴力装置、国連公認の巨大マフィアにすぎず、世界にこのままこれ以上存在を許してはならない組織だという認識を持たないといけない。

冷戦期はイデオロギー対立が強調されていたから、ソ連共産党そのものを敵として強く意識されていたが、共産主義のイデオロギー性すらない中共に対しては、そういう意識がなさすぎた。世界は支那中共に対して甘すぎた。シナ人を舐めすぎていたともいえる。
その原因は欧米の毎度の人種偏見による支那人蔑視だったのだろう。

posted by libertarian at 14:18| 東京 ☁| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

Layer

アメリカの政治思想は興味深く、リバタリアニズムもその一つである。
しかしアメリカ社会のレイヤーは、第1層が宗教で、その上に第2層として政治思想が乗る形であろう。
通常、政治思想は宗教との絡みでは論じられず、独立したもののように扱われている。
だから、政治思想だけを理解すればよいと思ってしまうわけだが、実際は宗教レイヤーと政治レイヤーは独立というわけではあるまい。
これはTCP/IPの7レイヤーのように分離されているとはどうも思えなくなってきたわけだ。
例えば第7層のアプリケーション層は第1層の物理層を無視して独立に扱えるが、宗教と政治思想には、断ち難い関係があり独立してない。

しかし、キリスト教については普通の日本人は全く不可解であるし、表面的にもアメリカの多様化した宗教状況を理解するのは難しい。
アメリカでも宗教レイヤーを論じることは、ある種のタブーなのではないか。だからそんなものには触れずに政治思想というのを論じようとするわけだ。

一方、日本社会においては、宗教レイヤーもなければ政治思想レイヤーもほぼ存在しないといってよい。
日本に宗教レベルのレイヤーがあるとは思えない。
日本に宗教がないわけではないが、レイヤーとして社会構造に存在しているとは思えない。
神道=天皇というのが存在しているが、神道は宗教とはいえないと思う。
キリスト教は、政治思想に対して理屈や根拠を与える一段深いものだが、神道はそうではない。
だが、天皇、皇室、神道は、宗教的ではないが宗教レイヤーと同様に日本社会において深い構造を形成していることは間違いないだろう。

さらにアメリカのレイヤーとして法レイヤーというのもあるかもしれない。
つまり、アメリカ社会は宗教ー政治思想ー法という3レイヤー構造と見ることができる。
アメリカは信教の自由があり、政教分離されているが、これによって逆に宗教が政治的であることが可能となっている。

アメリカの奴隷制など日本人からみればとんでもないものと思うわけだが、これが20世紀中頃まで維持されてきたのは、奴隷制を肯定する論理がキリスト教の中に存在したからである。
そして奴隷制を巡る議論の中で、アメリカのキリスト教社会も様々な教派に分かれてきた。
マルコムXはネーションオブイスラームというイスラム団体から出てきたが、キリスト教そのものに人種差別、Racismの論理があると認識してイスラームに改宗したそうだ。
もともとアメリカのイスラム教は奴隷として連れてこられた黒人のムスリムが最初で、黒人社会にイスラームの基盤にあったようだ。
歴史的にみても、イスラームにキリスト教のようなRacismはないように思われる。奴隷はあったが、それとキリスト教のRacism とは違うように思われる。
posted by libertarian at 20:19| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fullmetal Alchemist

Netflixにお試し入会し退会処理を忘れていたら延長になってしまった。
そこで、「鋼の錬金術師」と、「銀の匙」と2つ荒川弘のアニメを観た。
鋼の錬金術師は休み2日かけてぶっ通しでシーズン5の最後まで観た。w

ところで荒川弘は、先ほどまでずっと男の作家だと思っていたが、実は女性作家らしい。
弘は、「ひろし」ではなく、「ひろむ」と読むらしい。これには少し驚いた。w
荒川弘は天才的なストーリーテラーで絵も上手い。
このストーリーの緻密さは、考えてみれば女流作家らしいともいえる。昔から少女漫画は緻密なストーリーの名作が多い。また少女漫画の心理描写の緻密さはかなり文学的である。荒川弘はさらに会話の文章も洗練されている。

しかし漫画といえども、質量保存の法則やら物理の基本を無視したものは読む気がしないが、鋼の錬金術師は、物理を無視していないところがよい。錬金術の基本に等価交換の法則というのがあると強調されている。
これに対して、「進撃の巨人」では、物語の途中から質量保存の法則を完全に無視しているために物語性までが破綻している。w

こういうアニメ作品のクオリティの高さをハリウッドのドラマや映画と比較すると、アニメの方がよくできているなと思う。映画やTVは職業シナリオライターがマーケティングしながら作ったものに過ぎないが、日本のアニメには天才作家の作家性というオリジナリティがある。
アメリカのコミックは、Marvellという出版社に勤めるサラリーマン作家が集団で作っているらしい。
これではよい物ができるはずがない。
日本の漫画やアニメ業界は、全く何の身分保障もない完全な競争市場の中で進歩してきた。
この環境の中だからこそ、天才的な作家が次々に輩出されてきたのであろう。

しかしアメリカのドラマや映画を見ると、ドラマに過ぎないとはいえ、感覚の違いをかなり感じる。
登場人物の人間性が日本人とはかけ離れた印象を抱くわけだ。これは何故なのか?
posted by libertarian at 19:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

Tell spring not to come this year

ミアシャイマーの主張は明確で、アメリカの敵は何かを見定めれば、何が敵でないかは決まり、敵でない勢力と戦ってはいけないというものだ。
911のイスラム原理主義勢力がアメリカの敵ならば、反原理主義のサダムのイラクはアメリカの敵ではなかったし、支那が敵ならば、いつまでもソ連と敵対していてはいけないという。
イデオロギーでなく、利害関係だけで友好、同盟関係を結ぶという点がリアリズムと言われる理由だ。
実際、それでいいのであって、国や組織は人間じゃないのだから、国家間の関係を人間関係のアナロジーで考えるのは危険だ。

しかしアメリカは自国の利益だけで基本的に動いているためアメリカに過度に依存するのは危険である。
日本はかなり過度にnational securityをアメリカに依存している。
過去において、ベトナムでもアフガンでもイラクでもアメリカは途中で急に撤退、分散し、火中に取り残された同盟国はどうにもならなくなる。
先日、NetflixでTell spring not to come this yearというアフガンのドキュメンタリー映画を観た。
アフガンから米軍が撤退し、残されたアフガンの国軍がタリバンと孤軍奮闘している状況のドキュメンタリーだが、取り残された国軍は厳しい状況となっている。
アメリカ連合軍が残していった、わずかなアメリカ製の兵器で戦っているようだ。
日本もこうなる危険性はある。アメリカにとって日本はロシアと支那を閉じ込めるための瓶の蓋、つまりは使い捨ての蓋にすぎないということを忘れてはいけない。
ベトナムやアフガンのようにならないようにするためには、日本は自主防衛可能な軍事システムを構築するしかない。公共投資も無駄な土木に無理やり金を使うのはやめて、国防に金を大々的に回すべきだ。
一挙に国防費を倍額とかすればいい。1%ルールなんてものは、法律でもなんでもないのだから、そんなものをルールということ自体が間違いである。非核3原則しかり。

集団自衛権の話が騒がれたが、左派の支那の手先連中は論外にしても、保守?の連中も期限に関する危機感が全く感じられないのはなぜなのか?連中は支那との衝突をいつか遠い先に起こるかもしれない危機という程度のイメージしかもっていないようだ。これは要するにアメリカがいるから大丈夫という安心感なのであろう。
これは甘すぎる。私はあと5年以内にその危機がやってくると思っているから、保守の連中の話を聞いていても、なんという危機感のない連中なのだと唖然とする。
自主防衛可能な体制を目的とする軍事体制は一朝一夕にどうなる問題ではない。
posted by libertarian at 19:07| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

US warships to challenge Chinese claims in South China Sea

ついにアメリカが南シナ海の南沙諸島に軍艦を送るようだ。
http://www.ft.com/cms/s/0/868ab0d2-6d6c-11e5-aca9-d87542bf8673.html#axzz3o69qou3Q

オバマは行動が遅すぎた。どのくらいの規模の艦隊を送るのかもよくわからないが、事態は急変した感じである。こないだの習近平の訪米の時に最後通牒を叩きつけたが支那が無視したので、ついにというべきかやっと決断したようだ。

今回、日本が集団的自衛権で直接に自衛隊を派遣することはないだろうが、この海域は日本にとって生命線だ。
長引くと集団的自衛権行使で日本からの軍隊派遣もあるだろう。

アメリカがここで引き下がることがあってはお先真っ暗となる。
示威行動によって支那に大幅な譲歩をさせるか、戦闘で勝つしかない。支那から引き出すべき譲歩は、飛行場を自ら破壊して使えなくすということだが、今の支那はそれはしそうにない。となると、戦闘もあるのかもしれない。場合によると、本格的な戦闘になるだろう。
支那としても自国経済が崩壊しつつあるので、戦争は望むところかもしれない。中共は目先、自分らに好都合なオプションを選択するだろう。そうなると譲歩は一切しない可能性が高く、譲歩がなければ交戦するしかない。

今のうちに、支那に駐在している日本人も日本に戻った方がいいのではないか。
支那に残れば支那の人質にされる危険性がある。
posted by libertarian at 04:31| 東京 ☀| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

Twenty four

アマゾンのプライムビデオが始まったので、無料公開されている24を観た。
昔、レンタルビデオで観たが、今度は日本語吹き替えで見直している。英語で観る方がおどろおどろしく感じるが、日本語で観る方が字幕に集中しなくて済むし、わかりやすい。w
シーズン5で、かれこれ10年位前の作品なので、結構内容は忘れているところもあり、新鮮である。w

24で使われているコンピューターやテクノロジーも結構進歩している。昔はガラケーばかりだったが、シーズン7になるとスマホだ。上空からの監視システムも昔は衛星だったのが、シーズン8はドローンになっている。
衛星は位置調整をしたり解像度が悪かったりしたが、ドローンはリアルタイムで追跡して鮮明な画像を送ってくる。日本も交通監視にドローンを使ったらどうだろう。

しかし24は観だすとついついハマってしまい夜を徹して観てしまうので、注意が必要だ。w
あまり刺激の強いドラマを長時間観ると頭が麻痺してくる。w
ドラマというのは論理的な流れが重要で、少しでも論理的でないと感じると白けてしまい、そこでドラマは終わってしまう。
その点、24と言えども論理的でないところが少しあるが、全体としてはよくできたシナリオだと思う。
今はハリウッド映画よりもこういったTVシリーズの方が面白いし、実際、映画よりも大金を投じて作られているようだ。

24ではジャックバウアーと CTUと大統領官邸の活躍が描かれるわけだが、アメリカの大統領の意思決定は実際、ああいう生身の人間関係の中で密室で行われているのであろうと思われる。
テロリスト側の主張も結構出てくるが、これも意外とまともで、日本の自称保守派がいいそうな内容と変わらないと思うところがある。w
大体、中東のテロリストは、アメリカに中東への不干渉を主張するわけだが、その主張はなかなかに筋が通っている。
つまりアメリカ人もテロリストの主張には結構真実があると少しは思いながら24を見ているのであろう。

24は、冷戦の2極構造が終わり、パワーバランス外交が失われ直接干渉主義に走ったアメリカを描いているとも観れる。とはいえ実際はアメリカは911以降、国内でのテロにほとんどおきていない。2001年の911以降は対テロ戦争、非対称戦争が唱えられた最中に始まった24だが、その後アメリカ国内でテロはほとんどなく、テロは大体がイスラーム圏、中東内部で起こっている。たまに小規模なテロがヨーロッパとかで起こるとマスコミでバカみたいに騒がれるくらいである。

しかし、なぜアメリカ国内では予想外なほどにテロが少ないのであろうか?事前に防止している面もあるだろうが、アメリカに直接にテロを仕掛けることが経済的にペイしないということが大きいだろう。
テロ戦争といえども経済活動の一つで大きな金が動くプロジェクトだから、経済性の悪いプロジェクトは持続可能でない。
あとアメリカがサウジアラビアの直接駐留軍をイラク戦争以降、完全撤退したことも大きかったのだろう。
ビンラディンのテロの理由が聖地マッカとマディーナのあるサウジへのアメリカ軍の直接駐留への抗議であったから、その点、オサマの主張は通った結果になったともいえる。

これだけ中東が戦争でめちゃくちゃになっても、その実態は国内では報道もされずなかなかイメージできないが、テロリストがアメリカ国内を戦場としようとするのは、戦争を一般人に対して可視化させるという効果も狙っているのであろう。これはISなんかがyoutubeで殺戮シーンを流すのもおそらく同じで、戦争の可視化、殺戮行為の可視化を狙っている。古来より残虐行為は心理作戦として、軍事的に劣勢な方が行う戦略だ。
これは、まさに恐怖=terrorを与えることが目的の軍事的戦術といえる。
posted by libertarian at 20:42| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

Division of Holy and Profane

日本の国史は、基本的に皇室を理解しないかぎり、理解はできない。皇室抜きでは理解できない日本の文化は他にも和歌などがある。和歌を通して国史を知ることもできる。天皇の和歌からその心を察することができたからだ。今の学校教育では皇室に関する教育がWGIPでタブーとされていたことをそのまま70年も引きずっている為に、国民が皇室を全く理解できず、その結果、国史も和歌も全く理解できなくなってしまったわけだ。

議会制民主主義というが、これには大きく2つの形態がある。一つはイギリスや日本型のもので、行政府の長=首相・内閣総理大臣と、国家の権威を体現する元首=天皇・国王とを分けるものである。
国家元首は首相のように行政に関する具体的な仕事は行わず権力をもたないが、その国の尊厳、権威を象徴し、儀礼的な機能を果たす。この点において日本とイギリスは比較的近いが、日本の皇室の方が歴史が比較にならないほどに深い。特にイギリスにおける権威と権力の分離、聖俗分離はわりと最近のものに過ぎない。
フランスは大統領制で、フランス革命の際に王室を全部虐殺してしまったために、王室の代わりに大統領職という権威の象徴を置いているわけだ。だが国家の権威の象徴としては任期制の大統領は皇室、王室よりはるかに格が落ちる。

もう一つはアメリカの共和制で、大統領は国家元首であり、かつ行政府の首長を兼ねる。
アメリカの立憲主義の制度上の問題点としては、国家が肥大化したにもかかわらず、このような元首=首長制度を持っていることもあげられる。つまり、このような元首としての権威と、行政府の長としての権力の役割を同時に体現することを一人の俗人に課すのは実際上、無理がありすぎるのだ。

いわばアメリカの大統領とは聖と俗を同時に体現する人間という制度設計になっており、これは制度設計上の失敗、もしくは古すぎる制度設計に由来する問題である。これは小さな発展途上国ならありえても、スーパーパワーとなったアメリカでは大きな問題がある。
人工国家としてスタートしたアメリカには、社会の歴史的伝統、国家の聖の部分を体現する人間がいなかったからしょうがないともいえるが。。
そしてアメリカの初代大統領、ジョージワシントンは笑ってしまうほどに神格化されているが、これはアメリカの制度上の帰結ともいえる。
そして聖俗未分離のアメリカは、ウェストファリア体制以前の性質を持つスーパーパワー国家、かつ最大のキリスト教国家として台頭し、第1次大戦以降は世界をウェストファリア体制以前の混乱に陥れるようになる。
ウェストファリア以降のパワーバランス外交は失われる。

アメリカの大統領とは何かをイメージする上で役にたつのが24(Twenty-four)というドラマである。
大統領に求められた聖の部分としては、合衆国の崇高な理念なるものがあり、同時にリアルポリティックスを裁く行政府の長、かつ全軍の長として有能でなければならないという2つの役割がアメリカの大統領には求められている。問題はアメリカの大統領が理念の体現者として行動する傾向があることだ。
これがリアリズムに基づく行動から乖離する原因となる。ウィルソンしかりFDルーズベルトしかり、ブッシュしかりオバマしかりだ。

戦後のアメリカの大統領で最も有能な大統領は誰かといえば、ポールジョンソンに言わせると、アイクことアイゼンハワー大統領だったということになる。
アイゼンハワーは将軍から大統領になった人だが、アメリカの場合、軍人が大統領になるのがよいかもしれない。軍人はリアリズムで動き、かつ、国家の聖なる部分も体現しうる戦争の修羅場をくぐった人間だからである。
これは24を観たアメリカ人が共通に抱く感想だろう、ジャックバウアーこそが合州国大統領にふさわしいという感情にも則しているかもしれない。w
ローマ帝国型の軍人皇帝がアメリカの大統領には適切なのだと思われる。
posted by libertarian at 04:08| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

Military gains of suicide attacks

ゼロ戦の特攻に関しては、「永遠のゼロ」以来、一般の関心を呼んでいるようだが、未だに特攻についてちゃんとした理解はないと思われる。具体的なことを知らないで観念的に特攻を論じても無意味だ。例えば、特攻の戦果、つまりアメリカにどれだけの被害を与えたのかとか、何機の特攻を行ったのかとか、誰が特攻を行ったのかそのパイロットの名前といった具体的なことをしらないといけない。

前者については、日本側にあまり正確な記録がなかったが、アメリカ側の資料が近年公開されたことで、特攻の成果は今まで言われていたのとは大きく異なり、極めて大きな戦果をあげていたことがわかってきた。
また、誰が特攻を行ったのか、一人でもそのパイロットの名前をあげられる人はほとんどいないだろう。これも大きな問題だ。日本人の誰もその英雄達の名前を全く一人として知らないということは、WGIPの成果としかいいようがない。

また、特攻が単なるやけくその攻撃ではなく、そこには緻密な計画があったこともわかってきている。
例えば、最初にレーダー艦を特攻で叩いた後に、空母や駆逐艦への攻撃が行われていたそうだ。手段は特攻であったが、最大の戦果を上げるべく合理的に行動していたようだ。
結果、特攻の戦果は恐ろしく高く、アメリカは特攻によって甚大な被害を受け、沖縄からの撤退をニミッツは要請したが却下され、結果的にその数日後、日本の特攻機がなくなってしまったために、アメリカ側は皮一枚で勝利出来たらしい。

ゼロ戦特攻に関しては「永遠のゼロ」がベストセラーになったが、回天による人間魚雷特攻を描いた佐藤秀峰の「特攻の島」も秀作である。回天は遊就館にもその実物が展示されている。
靖国の遊就館には膨大な記録があり、ゼロ戦などの大東亜戦争の兵器の展示も大量に行っている。ここは一度は足を運ぶといいと思う。

我々日本人は誰ひとりとして、WGIPの閉ざされた言論空間から自由ではない。自分はWGIPに洗脳なんかされていないと思ったら大間違いなのだ。なぜなら日本の言語空間ごとWGIPに汚染されているからである。

特攻隊員は多くが戦場に持っていく一冊として万葉集を持参したらしい。戦闘機パイロットは今も昔も超エリート集団だ。今の我々は万葉集の意味も全く理解できないし、今ある本の和歌の解説も全くトンデモの解説だらけのようで、でたらめな私小説的な解釈しかできていない。
だが、当時の特攻隊員の若者はその意味を正しく理解していたからこそ、万葉集を選んだ。
戦後は日本の言語空間が何から何まで捻じ曲げられているために、今の我々には当時の言語空間が異文化のように全く理解できず、そのために大東亜戦争をも全く理解できないでいる。
posted by libertarian at 23:54| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月19日

オフショアバランシングと日本の独立

今のアメリカのグランドストラテジーなるものは、伊藤貫氏などの話から思うに、中東と極東のDOUBLE CONTAINMENT戦略にある。これは具体的にアメリカが現地に軍事駐留し紛争当事者となるやり方である。
極東のリムランドとして日本が、中東のリムランドとしてはサウジアラビアがその拠点である。ヨーロッパはNATOによって直接、間接に軍事支配されている。

レーガンの頃の中東戦略は、OFFSHORE BALANCINGだった。レーガンは中東にあった軍を撤退させて、イランイラク戦争のオフショア・バランシングの戦略に切り替えた。そこがレーガンの慧眼であったが、レーガン以後、アメリカはディーブな当事者関与に切り替える。

一方の日本は冷戦以来、ずっとダブルコンテインメントされているわけだ。
理想的には、アメリカがオフショア・バランシングに極東戦略を切り替え、日本に軍事的独立を許したうえで、同盟関係を結ぶことにある。今の日本の自衛隊は部分的には優れた軍備を持つようだが、アメリカと補完的なセットになっており、アメリカが抜けるとセットとして機能しない軍備のようだ。ゼロ戦だけ優れていても戦争では勝てないのと同様、全体としてのバランスがなければ優れた兵器も効果はない。

具体的には日本には爆撃機のような相手の軍事拠点を攻撃する兵器がない。しかし、将棋と同様に受けるだけでは戦闘には勝てない。ミサイル防衛網などインチキであり、気休めにしかならない。
そもそも攻撃兵器はミサイルにしても大した精度はいらない。それゆえに低コストだが、迎撃ミサイルにはとてつもない精度が要求され、コストは比較にならないほど高い。実際にその性能はインチキだが、ある程度の迎撃能力が仮にあったとしても兵器の性能はコストも重要な要素だから、コストで圧倒的に劣る兵器は物量で容易に打ち破られてしまう。

日本が軍事的に独立し、MINIMAL DETERRENCEとしての核システムを保有し、自立防衛が可能な軍備を備えなければいけないのは自明である。その上での日米同盟があるのがベストである。
しかし、アメリカが軍事戦略転換をする可能性は今のところ、ほとんどなさそうだ。リアリストの主張はアメリカでもメジャーではない。

アメリカのアフガンやイラク侵略を見ても、アメリカの戦争観はキリスト教をベースにした「正義は我にのみあり」というウェストファリア体制以前の野蛮なものである。アメリカが世界を不安定にさせアナーキーにしているのは間違いがない。敵をデモナイズするという宗教戦争と同じ過ちを当たり前のように行っている。
今はテロリストと呼ばれるムスリムが問答無用の悪魔である。
イラクの時はフセインの残虐行為なるものを有る事無い事書き立ててデモナイズをしていたが、もっと酷いことをしているシリアなど他の国のことは棚にあげる。イラクはもともとはイスラム諸国の中では近代化が進んだイスラムの優等生であった。一方でサウジアラビアのような未だに公開石打ち処刑が行われているようなワッハーブ派の国のことは全く問題にしない。
アメリカの目的は単に都合の悪い敵をデモナイズするキャンペーンにあるわけだ。

だが、アメリカは大統領次第でレーガンの時のように大胆な戦略変換を行う可能性もあるが、アメリカはドローンやロボット技術といったテクノロジーで今のグランドストラテジーを維持できると考えてるようにも思われる。ドラマのHOMELANDのシーズン4を見るとアフガンでのドローン戦争が描かれていて興味深い。
このドラマはアメリカにしては懐疑的な色調があり、アメリカは敗れるのだが。

ミアシャイマーの本などを見ても、やはり西欧中心史観というか、アナーキーを人類の本質としてみているところがあり、アナーキーを欧米のキリスト教諸国が作り出してきた歴史的事実をネグレクトしていると思われる。
そもそもミアシャイマーの歴史認識はかなり怪しい。w

日本人はすっかり洗脳され萎縮してしまっているので、もはや日本には独立自尊の気概などどこにもない。
仮にアメリカがオフショア・バランシングに切り替えたとしても、日本は独立を拒むだろう。
独立自尊の気概なき国家は滅ぶ可能性、リスクが高い。
posted by libertarian at 16:07| 東京 ☀| Politics | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

Multi Polar worlld

ドローンやロボット、AIはもはやSFの世界のものではないが、これがあと10年、20年経つと相当なレベルになるのは間違いない。
アメリカは、すでに世界の複数の地域に軍事展開することは経済的に困難で、これが世界が多極化するのを不可避にすると思われているわけだが、地球の裏側からドローンやロボットをコントロールできるようになれば、世界に軍事的同時展開をするのは可能になるかもしれない。地球の裏側からコントロールしなくてもAIで自律的に動くようになるだろう。

アメリカの将来的軍事ビジョンはここらへんにある。こういった技術でアメリカは軍事的ヘゲモニーを維持しようとしているのであろう。
だが、コンピューター技術はコピーが容易だから、アメリカがそういった技術を独占し続けることもできないだろう。
こうなると、映画のターミネーターのように将来の戦場は、人間とロボットやドローンが戦うという世界になるのかもしれない。しかし人間に勝ち目はない。

世界が多極化するといっても、どこがpolarになるのかだが、アメリカ、支那、ロシア?、インド、イスラム国?、ドイツ、日本くらいしか、候補は思いつかない。
GDPでみれば、ロシアは軍事的には依然として強国だが、経済はイタリアと同じ程度。
ドイツは日本より少し下で、日本はGDP的にはアメリカ、支那に次ぐ3位にある。
だから、日本も核システムを持てば、一つのPolar になる可能性はある。
posted by libertarian at 02:16| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Japan as Rimland

アメリカの国家戦略とは、マハンやスパイクマンの理論に基づいており、ユーラシアの周辺国を支配すれば世界を支配することができるということにある。この周辺のリムランドがヨーロッパ半島と中東と日本に相当する。
マハンの戦略をセオドアルーズベルトが採用したのが日露戦争の頃だから、これはアメリカの100年以上続く国家戦略、国家100年の計で、今も変わっていない。

戦後、リムランドの日本は、ソ連を抑え込む前線基地として利用されてきたが、同時に日本そのものがそれによって、ダブルコンテインメントされる。つまりソ連を封じ込めるための同盟ではなく、日本を封じ込めるためのものでもあった。そして冷戦終了後も、日本を独立させないでおくことがアメリカの一貫した方針となっている。

しかし、アメリカのUnipolar構造はもはや崩れつつある。支那の台頭により、世界はMultiPolar構造に移行しつつある。そして多極化した世界では、日本もアメリカのスーパーパワーの傘下で安泰とはいかず、自主防衛が必須となる。しかし、アメリカが日本を独立させない限り、日本が核防衛システムを持つことはできない。
以上がいわゆるリアリズム的な今の世界構造の見方である。

逆にいえば日本が核防衛システムを独自に持つことで初めて、日本は真に独立することになる。
問題は日本が独立するか否かという精神的なことよりも、支那が軍事的なスーパーパワーとして台頭し世界が多極化すると日本は独立し核保有をしないかぎりハンチントンの予言する通り、日本は支那の属国として蹂躙されることになるということだ。ハンチントンの予言は遠い将来のことではない。

アメリカは、日本の防衛に別に義務も責任もないから、基本、リスクリワードが合わなくなれば日本を見捨てるのは間違いない。アメリカは1回目は日本を攻めて破滅させ、2度目は日本を火中に置き去りにして破滅させる可能性が大いにあると予想されるわけだ。
日本は、独立もできず、核保有もできず、半独立国としてアメリカにナショナルセキュリティを全面的に依存し、南沙諸島、台湾が支那に支配され、軍事的に詰んだ、どうにもならなくなった状態で、アメリカが撤退するというリスクの可能性を考えておかないといけない。

今の日本のリベラルは支那に支配されてもよいと考えているバカどもだから、それを危機とは認識しないのであろう。アメリカの属国だったのが、支那の属国になるくらいで、むしろその方がよいと考えているバカどもである。大東亜戦争時のアメリカの日本人殺戮も苛烈であったが、奇跡的に国体は完全には失われなかった。だが、もし、支那に支配されれば、日本はチベットやウイグルと同様に苛烈な殺戮と蹂躙をうけ、国体を完全に喪失するだろう。

南朝鮮は、早くも支那の属国となることを決めたようだ。
しかし、日本の場合、その選択肢は最悪のものとなる。韓国が支那の属国に戻ってももともと何も失うものがないが、日本はそうではない。日本の場合は失うものがあまりにも大きすぎる。
posted by libertarian at 01:03| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

Triangulating Peace?

高橋洋一氏の平和の5要件に関する解説によると、

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44269
「ラセットとオニールによる"Triangulating Peace" は、国際政治・関係論の中になって、すべての考え方を統一的にとらえた最終理論のようにも思える。

@同盟関係については、対外的には抑止力をもつので侵略される可能性が低くなるとともに、対内的にはそもそも同盟関係になれば同盟国同士では戦争しなくなるから、戦争のリスクを減らす。

A相対的な軍事力については、差がありすぎると属国化して戦争になりにくい。

B民主主義については、両方ともに民主主義国だと滅多に戦争しないという意味で、古典的な民主的平和論になる。一方の国が非民主主義だと、戦争のリスクは高まり、双方ともに非民主主義国なら、戦争のリスクはさらに高まるので。アジアにおいて、中国とベトナムで何度も戦争しているが、まさにこの例だろう。

C経済的依存関係、D国際的組織加入については、従来のリアリズムから重要視されていなかったが、実証分析では十分に意味がある。」


ということだ。
ミアシャイマーのリアリズムのように、覇権大国の宿痾として戦争を捉えるのでなく、複数の要因で考えるということだろう。
しかし、このデータ1886年から1992年までの戦争データを使っているわけだが、イラク戦争のようにアメリカ側が侵略したものは入ってない。統計的に判断するにはデータが少なすぎるという気もする。

また戦争の規模も考慮されていない。地域紛争的なものから100万人以上の死傷者を出す戦争も1回にカウントされている。
また代理戦争といわれるものを、どうカウントしているかも疑問だ。
さらに支那のチベットやウイグルへの侵略と虐殺といった国家間紛争とはみなされない国内での侵略粛清もあるが、これは紛争にカウントされていないようだ。

また、複数の要因があるとき、その寄与度の大小が問題になるが、それに対する定量的な把握はされていない。
「軍事力は、@同盟関係をもつこと、A相対的な軍事力、カントの三角形は、B民主主義の程度、C経済的依存関係、D国際的組織加入という具体的なもので置き換えられると、それぞれ、戦争を起こすリスクに関係があるとされたのだ。」とまとめられるように、軍事力2要件、カントの3角形の3要件が両方寄与しているというわけだが、このうち、アメリカや支那の覇権的侵略行動を見ると、民主主義の程度が戦争の抑止になるというのは疑わしくなる。w

経済的依存関係については、わりと不安定で景気要因で経済依存関係は大きく変動すると思われる。
例えば大東亜戦争の前には、スムートホーリー法の保護主義から世界経済のブロック化が起こり、資源を持たざる国と資源を持てる国との対立が生まれた。
国際的組織加入といえば、国連や国際連盟が第1次大戦後に生まれたが、国連加盟国の多くが戦争を起こしている事実をどう説明するのだろうか?

統計的な処理の詳細以前に、いろいろ疑問があるが、結果的に、侵略戦争は、なんといっても相対的な軍事力の格差が最大の原因になっていると思われる。こう見れば、ミアシャイマーのリアリズム説になるだろう。

そして同盟関係は、相対的な軍事力の違いを小さくするためのもの、もしくは、同盟の総合的軍事力>どこかの一国の軍事力という圧倒的な軍事バランスを維持するためのものだ。

アメリカの場合は、冷戦後はあまりに突出した軍事力を持っていたため、現実的に軍事的同盟関係はあまり必要としていない。むしろ同盟は国際世論を敵に回さないための方便として用いられている。
ミアシャイマー的には、アメリカのような突出した軍事力をもつスーパーパワーが覇権国であり、覇権国になると覇権国の宿痾として拡大と侵略をするみたいな感じだろう。

支那とロシアと北は今の所、軍事同盟ではないが、歴史的にはお互いの利益になれば相互に一時的な同盟を組む可能性もある。
この点、日本は今後いかに防衛費を上げようとも、アメリカとの軍事同盟を組まない限り、これらの地域との軍事バランスをとることは不可能だ。

問題はアメリカは支那がアメリカに拮抗できるほどの軍事パワーになりつつある状況で、アジアの軍事小国との同盟関係で支那に対抗するメリットが少なくなるという点だ。
アメリカから見れば、支那と台湾や日本、フィリピンなどとの間の戦争リスクは高まっているが、そこに参戦するメリットがなんなのかという話だろう。つまり、当面はアメリカはスーパーパワーであるから、他国から侵略される脅威はほとんどない。
支那に対抗して軍事的覇権を維持することに伴うメリットはなんなのかがよくわからない。
かつてのソ連に対しては反共主義のイデオロギー的対決をしたが、今の支那に対する強いイデオロギー対立はない。

中東の石油にしても、アメリカの場合、マラッカ海峡をタンカーが通らないでも、湾岸ーパイプラインートルコー地中海ー大西洋経由でも送れるようにそのうちなるだろう。とすると、タンカーの通り道としての南支那海はアメリカにはどうでもよくなるかもしれない。
そもそも、今のアメリカの原油輸入ルートがどうなっているのかよく知らないが。。

5要素の寄与率を推定するに、やはり相対的な軍事力の違いが主要な侵略戦争の要因であると思われる。
特に支那のチベットやウイグルへの侵略とジェノサイドなど、これ以外では説明できないだろう.
現実問題、スーパーパワーを持った覇権国を裁くことのできる国や機関がない以上、世界は依然としてアナーキーである。
posted by libertarian at 20:39| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月12日

危機が迫っている:THE CRISIS IS COMING

台湾がシナに実質的に併合されるのは2021年頃になるというミアシャイマーと平松茂雄氏の予想が正しいとすれば、残された時間はあと4年程度。
シナは台湾を政治的に併合しようとしていて、おそらく武力行使はしないだろう。政治的にできるのであれば、どこからも非難されず(できず)、それがベストだからだ。
台湾は空母20隻分の軍事的価値があるということなので、その瞬間に日本は軍事的に危機的状況、もしくは詰んでしまう可能性がある。

日本はWGIPのために精神的にふぬけ状態になってしまい、オウム並のいかれた左翼の跋扈する国になってしまった。
欧米の植民地支配の技術には恐るべきものがある。
集団的自衛権などという自明なものを国会で延々と議論して時間を空費させている左派政党は全てシナの手先と考えるべきだろう。時間的にあと4−5年しか残されていないという状況で、これはかなり絶望的だ。

シナはもはやむき出しの脅威そのものである。
軍事とは昔も今も地政学的に重要な拠点を拡大するゲームであって、大東亜戦争の頃、南の島が戦場になったのも、拠点を取られたら負けると分かっていたからだ。戦争というのは、拠点の確保をするゲームであり、オセロでいえば4隅を取られたら詰んだのと同じである。拠点を取られた状態で本土決戦をすれば、まさしく殲滅=ダウンフォールされるだけだ。大東亜戦争の際、本土決戦になっていればアメリカは日本をダウンフォール作戦通りに本気で殲滅していただろう。昭和天皇の大英断で日本は間一髪で奇跡的に助かったのが事実だ。
大東亜戦争当時のアメリカはまさに鬼畜であったが、今度のシナは鬼畜どころか重装備したサイコパスである。
その点、現在の南シナ海に対するシナの軍事拠点構築を見過ごしているアメリカは信じがたい。
もはや本気で極東を防衛する気があるとは思えない。

軍事評論家のような保守派?の人でも、シナと日本の自衛隊を比べたら比較にならないほど自衛隊が上だからシナ軍事力は脅威でない、などと言っているが、これは全くもって大間違いだ。
台湾がシナにとられた後でも、同じ論理が成り立つとでも思っているのか?
10年、20年前にはシナ、中共は軍事的な脅威でないと思われていたし、そんな予測をすればバカ呼ばわりされたろうが、それは時間的変化率を考えていなかったということだ。
将来予測とは変化を読むものであって、今の状態を比較してどうこう論じても全く意味がない。
日本としてはシナの変化だけでなく、アメリカの変化も予想しないといけないわけだ。特に台湾の変化が指標になる。

アメリカは誰が大統領になるかで、世界は大きく変わる。あのフランクリンルーズベルトがなっていなければ、大東亜戦争の大惨事もなかったろう。
仮にトランプのようなのが大統領になれば、アメリカはモンロー主義に戻る可能性もある。なぜならトランプがそのようなことを言っているからである。
その時、自分の身は自分で守れとアメリカは日本にいうだろうが、核システムもない状態で突き放されれば、シナが間髪を入れずに侵略してくることになる。基本的に日本のNATIONAL SECURITYは、アメリカがいなければ丸腰の状態だ。仮に核爆弾はすぐに作れたとしても、それを運営するシステムは一朝一夕にはできない10年はかかるという代物だ。そもそも核爆弾といっても原爆くらいなら作れたとしても、水爆は簡単に作れる代物ではない。今の核はシナにせよ基本的に水爆だ。ここら辺を核という言葉でいっしょくたに論じるのは間違っている。

現在、すでに黄色信号がともっている状態だが、2020年にはそれが赤信号になるだろう。
posted by libertarian at 03:17| 東京 ☁| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月09日

Logistics and War

日本が大東亜戦争でアメリカに敗北した理由はいろいろあるが、特にロジスティクス=兵站を軽視しすぎていたことがあるようだ。
逆にアメリカには、そのロジスティックスを徹底的に叩かれた。
日本は開戦してすぐに、蘭印作戦(オランダ領インド=インドネシア)でオランダをあっという間に駆逐し、石油施設を手に入れた。開戦当初1年も持たないと言われていた日本の石油はどうなっていたのかと疑問であったが、開戦当初にこのインドネシアの製油所を手に入れたことで、余裕ができたようだ。しかし、この石油を運ぶロジスティクスをアメリカに叩かれ、あまり日本に輸送することができなかったようだ。
日本のロジスティックスの軽視は、輸送船にほとんど護衛艦をつけず、バシー海峡での人員輸送船でも碌な警護をつけず、アメリカにやられるままであった。バシー海峡では、無為に5万人もの兵士が輸送船とともに海の藻屑となった。

そしてアメリカのロジスティックスを積極的に叩くこともしなかったようだ。戦艦以外の船を沈めても評価が低かったということも原因としてあるらしい。兵站の重要性を実際あまり理解していなかったのかもしれない。
一方のアメリカは、輸送船だけでなく、病院船だろうと赤十字船だろうと無差別に沈めた。
これは当時、かなり国際的にもアメリカは非難されていた。アメリカの手段を択ばない非道さは際立っている。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓があったから、日本兵はあまり捕虜にならなかったのではなく、アメリカ側が投降した日本兵はほとんど全て虐殺したらしい。アメリカの戦いは国際法もルールも無視しためちゃくちゃなものだったのだ。日本の全都市への無差別爆撃、広島長崎への原爆投下だけではなく、最初から最後までルール無視だった。アメリカは、原爆だけでなく、「ダウンフォール作戦」という、毒ガス攻撃まで含む本土上陸殲滅作戦を計画していた。つまり、日本人を完全にジェノサイドする計画をルーズベルトは本気で進めていた。

大日本帝国の当時の版図を見ると、大日本帝国は決して地理的にも小国ではない。
今の地図を見て、日本のような国土の小さい小国がアメリカのような大国と戦ったというのは、今の日本地図しか見ていないのだろう。Fルーズベルトという狂人には日本の版図が驚異に見えたわけだ。

ところでパナマ運河ができたのが1914年。パナマ運河の幅などの基準は当時の戦艦などが十分に通れる大きさということで設計されていた。パナマ運河によりアメリカは大西洋岸の艦隊を太平洋に展開することが容易になったようだ。むしろ、パナマ運河開発の第1目的はそこにあったのであろう。
基本的に隣国とは敵国なので、アメリカが早くから日本を仮想敵国と考えていたのは自明だ。

アメリカから見れば、西は陸軍、空軍がドイツ、イタリアと戦い、東は海軍がメインに大日本帝国と両面で戦っていたわけだ。一方の日本は15年戦争を戦っており、大東亜戦争と同時にシナでも継続して陸軍が戦い、さらに太平洋全域で戦っていたわけだ。
この約3年半の戦争は、その規模の広大さもあり、とてつもなく複雑なものだ。この3年半は数百年分の時間が詰まっているような印象を受ける。

大東亜戦争に関して、詳細なことが書かれた本は沢山あるのだが、素朴な疑問に答えてくれる本がみつからない。たとえば、南の島が戦場となったわけだが、なぜそんなところが主戦場となったのかといった軍事的理由を説明している本が見当たらないのである。

おそらく大東亜戦争は空爆可能な軍事拠点を作るまでのオセロゲームのようなものだったのだろう。硫黄島は東京から1200Kmくらいのところだから、そこに拠点を作られたらオセロの隅を取られた状態になるというのは分かる。南方戦線は、そこを取るまでに制空権なり制海権を取る戦いだったのであろう。

また素朴な疑問として南の島でなくてもシナに空爆の拠点を作られていたら背面攻撃され同じことだと思っていたが、ここでは日本陸軍が活躍し拠点を作らせなかったようだ。日本軍が大東亜戦争の最中もシナから撤退しなかったのは、おそらくそういった軍事的理由があったのだろう。シナでは大陸打通作戦などの華々しい戦果を挙げている。この作戦にはB29の空爆拠点を作らせないといった軍事目的があった。

軍事論理から大東亜戦争を分かりやすく説明した本がないと、あの戦争の意味もよく理解できないというものだ。いい本はないものか?
posted by libertarian at 02:20| 東京 ☔| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

Macro is different from Micro

因果関係の分析は一般に難しい。
マクロな現象になると、特に因果関係は分かりにくくなると思われる。
ミクロな方が因果関係は要因が制限され分析しやすい。経済では原因をインセンティブと呼ぶ。インセンティブは個人に行動を起こさせる動機であり原因といえる。
その点、経済学ではミクロの方がマクロよりも合理的、論理的で完成された領域にみえる。

むしろマクロな現象では因果関係よりも、自生的秩序とでも呼ぶべき構造を見いだすことが肝要だ。
一見ランダムなものから、隠された構造を見いだすのは発見的なもので演繹的なものではない。
マクロな現象には、隠された構造がある。これに対し因果関係という狭い見方で捉えようとしてもダメなのである。ランズバーグなんかは、ミクロの合理性でマクロ経済までを理解しようとしているようだが、そういうのはダメだろう。ランズバーグの書いたものを少し読み返したが、あまり感心しないことが多かった。特にリーマンショクの最中に非現実的な間抜けな思考実験をして得意になっているのは感心しない。w

マクロの現象の構造にも、原因といってもいい何がしかの数学的な構造があるのだろうが、それがまだ見出されていないと考えた方が良さそうだ。マクロな現象は経済現象にしても、カオス理論と無関係ではないだろう。しかし、まだ見出されていない数学的な構造の解明が、カオス理論の進歩延長線上にあるのか、全く別の理論が必要になるのかどうかもわからない。
いずれにしても、なんらかのセオリーが必要だ。
従来のマクロ分析は統計的手法を使えばいいというかんじであった。しかし、従来の金融理論は統計的手法を用いたがゆえに根本的に間違えていたわけだ。
つまり通常の統計的手法は正規分布を対象にしているが、金融理論が対象とする相場は正規分布とは似て全く異なるものであった。
ではこのような正規分布でない分布、構造をもたらす仕組み、原理、メカニズムがなんなのかというところから、考える必要がある。
これ以上に詳しいことは営業秘密だから言わないが。w
posted by libertarian at 21:59| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Progress of Airplane

飛行機の技術進化をみると、目立つところで
1850年 有人グライダー
1852年 初の動力付き飛行船
1903年 ライト兄弟の動力飛行機
1937年 初のヘリコプター
1939年 零戦
1947年 ジェットエンジンによる音速の壁突破

約100年でグライダーから音速ジェット機まで進化している。この間に飛行機の原理的な部分は全て達成されている。
ライト兄弟の動力飛行機が発明されると、瞬く間に動力飛行機は進歩し、10年後の1914年にはじまる第一次大戦では飛行機が乱舞していた。しかしさすがに1904年の日露戦争では飛行機は一切登場しない。

第二次世界大戦後は、ボーイング29(B29)のような大型の機体が旅客機として利用されるわけだ。
飛行体験という意味では、動力飛行機より50年以上前に、飛行船ができているから、空を飛ぶことは、ライト兄弟以前にありふれたことになっていた。だが飛行船はあまりに遅く非力であり軍事利用はできなかった。

動力飛行機でのライト兄弟の成功要因は、独自に軽量の飛行機用エンジンを手作りしたところにある。
ライト兄弟以降の飛行機の進歩は、飛行機用エンジンの進歩と機体設計の進歩の2面で進んだ。
飛行機は複合技術であるから、要素技術、素材開発によって今も進歩はしているが、車と同様に本質的なところはとっくに完成されている成熟した技術だろう。

今後は戦闘機は無人のドローンに置き換わるのは確実だ。これは飛行機にとっては要素技術にすぎないコンピューターの進歩によるものだが、有人戦闘機は消滅し、同様に爆撃機も無人化すると思われる。
こうして考えれば、飛行機は紙飛行機からドローンに至る進歩のようにも見える。
posted by libertarian at 16:09| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月29日

Racism

欧米の歴史とは、キリスト教をベースとした宗教戦争の歴史だ。宗教戦争は、異教徒を殺し、それもできる限りの苦痛を与えて殺すのがセオリーであった。
このような戦争を欧米のキリスト教世界では1000年以上も行ってきたわけだ。そして、航海技術が発達してアメリカ大陸や南国の島へ行くようになってからは、現地人を異教徒以上に残虐に虫けら以下の存在として殺戮の限りを尽くしてきた。
これが驚くべきことに19世紀くらいまでずっと続く。ほんの、つい最近までだ。
20世紀の1945年に日本に落とした原爆は、その集大成のようなものといえよう。

問題は、今では人権だ、差別撤廃だといったスローガンはあるにせよ、こういった遺伝子レベルで染みついているだろう欧米の人種差別意識はあまり変わっていない可能性が高いということだ。
つまり、単に裏と表、本音と建前で綺麗事を言っているだけの可能性が高い。
遺伝子レベルというのは比喩だが、キリスト教が未だに広く信じられている世界で、こういった虐殺の論理はキリスト教の中に内在した論理であると思われる。
それが、最近のものにすぎない政治スローガンごときでなくなるとは思えない。
アメリカのイラク侵攻であっても、そこには宗教戦争、人種差別偏見の匂いがする。
敬虔なキリスト教徒が多い南部ほど、人種差別が未だに根強いのはこのことと関係がある。

連中は、長い植民地政策の経験から、劣った原住民をmanipulate する技術を発達させてきた。
日本に対して行われた占領政策、War Guilt Information Program(WGIP)もその一つだ。こんなものが、一朝一夕に用意できるわけはない。

先日、「日本人を狂わせた洗脳工作」(関野道夫)を読んだが、これは、アメリカのWGIPの公式文書を発掘した本だ。その1次資料をみると、露骨にそのコードネームも、War Guilt Information Program そのままだ。
WGIPは江藤淳氏が「閉ざされた言語空間」で発表したが、その一次資料が行方不明で、存在について疑義を唱えられていたらしいが、それを発掘したものだ。
薄い本だが、読む価値の高い本だ。おすすめだ。

これと同様のことをブッシュのアメリカはイラクに対しても行おうとしたわけだ。
ここに、アメリカの宗教的に狂った熱情を感じるわけだ。
劣った原住民、異教徒をmanipulate できるという人種差別意識は未だに根強い。
このブッシュという南部出身のいかれた大統領は日本人のことを日常的にジャップと呼んでいたそうだ。
基本的に欧米のRacismはなくなってなどないし、これは我々日本人が直面している大きなリスク要因だ。

デュランれい子だったか、東南アジアで若い女性から真顔であなたのマスターカントリーはどこかと聞かれて驚いたという話がある。マスターカントリーとはご主人様の国とでもいったとこか。
今の日本人はマスターカントリーがアメリカだとはさすがに思っていないだろうが、未だにWGIPの言語空間にあることは間違いない。これを打ち破るにはメディア改革が手っ取り早い。
これは、電波割当の競争入札制度にするなどの制度改革で容易に実現できるだろう。
日本の既存大手メディアに与えられている特権は法外なものであり、これを叩き壊さなければはじまらない。
posted by libertarian at 22:38| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

China shock

株が最近、大きく下がったようだが、これが良いとか悪いとかいう記事をよく目にする。
だが、思うに株の上がり下がりは、下がることで儲かる人もいるので、基本的には上がろうが下がろうがニュートラルだ。信用取引で株を買う人と、現物で株を買う人との区別はなく、同様に、信用取引で売る人と現物を売る人の間にも違いはない。
信用取引がなければ、売りから入って下落で利益を得る人はいないから、株の下落には損失しかないように思ってしまう。おそらく株式の下落が損失でしかないと思っている人は、株式市場が現物取引だけでなりたっているとでも思っているのだろう。

ただ、企業にとっては、株の下げはやはり問題で、それは企業経営に影響を与え、しいては実物経済に影響を与える。結果的に雇用などに大きな影響を及ぼす。
そういった点では、株の下落は喜ばしいことではない。
もっともこれだと株の下落が雇用悪化の原因のようだが、株はもっと根本的な経済の変化予測に反応するパラメーターにすぎず、経済が悪化するから雇用が悪くなると解釈すべきなのだろう。
そもそも株の変動は大きいが、それは短期的には企業の業績の変動とは無関係だ。
そして経済の変化はマクロに評価するしかない。

私が思うに、今回の下げは、チャイナショックの予兆的な一波で、本格的なクラッシュと下げはこれから起こる可能性がある。そうなると、今回の下げが小さな波にしか見えなくなるだろう。リーマンショックの時と同じだ。
実際、チャイナショックは起きても驚くようなことではない。
起きないと思うほうが、根拠なき楽観だろう。w

だが、その時、大事なのは高橋洋一氏が再三指摘されている通り、金融政策を間違えないことである。
株式市場の変動は、マーケット参加者トータルではプラマイ0であり大した問題ではないが、金融政策を間違えると酷いことになる。

今回の状況から、アメリカは利上げ時期を期限を決めずに延期するのは確実だろう。アメリカのFRBはもはやそういった間違いは犯しそうにない安心感がある。しかし、黒田日銀体制にはまだあまり安心感がない。w
そしてシナは、もっと利下げをする可能性も高い。
基本的に今回のシナの利下げは、アメリカが利上げをする(金融引き締め)という観測の中で、それと連動してシナが金融引き締めを行ったら、ただでさえも不穏なシナのマーケットがクラッシュするのは確実だから、シナがあらかじめ金融緩和の姿勢を示したものと思える。だが、もはやシナはそういった金融政策だけでマーケットクラッシュを防ぐことができるのかどうかという状況なのだろう。

過去のマーケット危機では、その度に固定相場制から変動相場制に移行する国を生み出してきた。
例えばイギリスであっても1992年のポンド危機で管理相場制(ERM)から変動相場に移行したばかりだ。
おそらく、来たるべきチャイナショックは、シナがドルペッグという固定相場から変動相場に移行する引き金となるのかもしれない。





posted by libertarian at 10:44| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

Security doesn't bring peace

セキュリティとは、一定の安全をもたらすが、別に平和をもたらすものではない。
安全と平和は別物である。
軍事といった言葉はやめて、セキュリティという言葉で正しく国防なりを語る必要がある。
もとより、国防とはNational securityのことである。
平和という概念には意味がない。戦闘がなくても、リスクのない状態は存在しないからである。
リスクがあって、セキュリティがある。戦争と平和ではなく、Risk and Securityだ。

日本もセキュリティの観点では核システムの保持は不可欠な状況である。アメリカがそれを認めないわけだが、日本に核が使用されても、アメリカが核兵器で報復することもあり得ないわけだから、日本は独自に核を持たないといけない。
10年前なら、シナや北コリアの核能力も低かったから、特に必要なかったわけだが、状況は急速に変わった。
アメリカの核では日本への抑止能力として不十分である。フランスのドゴールがいった通りである。
セキュリティとは、状況に応じて対応を変化させなければいけない。
アメリカは日本に核をレンタルするべきである。

そもそもシナや北コリアには、国軍がない。シナは共産党というマフィア組織が支配する地帯であり、北はシナのはぐれものの舎弟だ。シナの軍隊は、中共という山賊の支配する私設軍隊にすぎない。
北も全く同様。シナや北コリアを国と呼んでいるから勘違いするのだ。

ISIL は国家ではないから、イスラム国という言葉を使ってはいけないとか言ってる連中は、シナや北のことをなぜ国と呼んでいるのか?シナや北が国家なら、ISIL,イスラム国も国家である。
つまりは、これら無法地帯を国家と呼んではならないのである。

歴史的に言っても、シナのような無法地帯が国家になる可能性はあまりないと思う。
逆に言えばシナが国家であったことは未だかつてなかった。中原を支配するギャング団が入れ替わり立ち替わり支配する地帯にすぎなかったわけだ。
シナには未だかつて法の支配があったためしはなく、ギャング団のみかじめ料、所場代を民衆から取り立てるだけの官僚組織があっただけだ。
posted by libertarian at 23:23| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Dead or Slave,Defeat means slave

日本の自称リバタリアンの連中など、私からみれば、連中はただの変形左翼にすぎない。
これは、池田信夫みたいなどーしようもない連中のことである。

ネットにいる自称リバタリアンの連中も所詮は変形左翼にすぎないということを私はよく知っている。
共産党よりのリバタリアンもいれば、ヒッピーよりの自称リバタリアンもいるということで、どちらも私は全く認めていない。日本のミーゼス崇拝者も同じである。連中は経済も数学も分からないただのバカである。w
つまるところ、日本にリバタリアンと言える人間は悲しいかな私しかいないということなのである。(爆

自分をどう呼ぶかは勝手なので、別にどうでもよいが、日本の自称リバタリアン達が変形左翼にすぎないのは悲しい現実だ。このままだと、共産党が日本リバタリアン党と自称する恐れもすらある。w
どうすれば、本当のリバタリアニズムを日本人に広めることができるのであろうか?
別に広まらなくてもいいのだが、あまりにも低レベルすぎて話にならない。w

リアリズムとリベラリズムにしても必要条件と必要十分条件の違いがわかってない。
貿易や交易が平和的な関係の必要条件であったとしても、それは必要十分条件ではない。
では、なにが必要十分条件なのかは、リアリズムもリベラリズムもわかっていない。ただ、どう対応するべきかという点で、リアリズムが正しいのである。
貿易が大事なのは自明だが、経済的相互主義そのものはセキュリティの代わりにはならない。
誰もなにが平和の必要十分条件かを知らない。
戦争か平和の選択ではない。セキュリティとは相手のアナーキーな暴力に敗北するか否かの問題だ。

デフレが正しいなどとほざいているバカどもは相手にしてもしょうがない。
彼らはただバカなだけだ。オウムの主張にいちいち相手などバカバカしくてだれもしない。w
しかし、こういう連中は単にバカなだけでなく、極めて有害だ。

政府の存在もそれ自体は大した問題ではない。70年前の日本人が対峙したのは、欧米のキリスト教価値観からくる人種差別問題だった。この問題に対して日本は戦争には敗北したが、論理的には勝利した。

日本でもっと理解されるべきなのは、ミルトンフリードマンやその息子、デイビットフリードマンの考えかただろう。彼らのことを帰結主義だなんだといっても、帰結主義の意味が理解されていない。
posted by libertarian at 04:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

Wider-area local government system

素朴な疑問として、日本の旧大蔵省はなぜこれほどに権力があるのであろうか?
財布のひもを握っているからだというのは、当たり前のような理由だが、アメリカの財務省がこれほどの権力を持っているという話は聞いたことがない。
一つに連邦制が理由で、アメリカの場合、予算配分権力が連邦政府に集中しているわけではなく、各州に財政権力が分散されているためなのかもしれない。
しかしスイスでは一時期、自治体間でのTax competition が問題になったが、アメリカではそのような話を聞いたことはない。実態はどうなのか?

アメリカのような連邦国家と、EUのような体制の違いもはっきりしない。
アメリカの各stateは、独自の憲法、法律、独自の軍隊も保有する主権国家であるが、通貨発行権はない。この点、EUの各国と同じだ。分かりやすい違いは連邦憲法に相当するものがEUにはないことだ。
EUは経済的な統合であるが、統一の連邦憲法に相当するものはない。
ちなみにアメリカの各stateが軍隊を持つのは主権国家だからだろう。w

日本はやはりその経済規模に対して、中央集権が強すぎるのは事実だ。
依然として後進国的な中央集権体制をとるのは、その経済規模に即していない。
そのくせ、政府にとって一番肝心の軍事に関しては政府の役割があいまいだ。
本来、中央集権化の目的は軍隊の一極集中化にあった。
そもそも日本は軍隊がない前提で議論するのをいい加減やめないとはじまらないわけだが。

昔、大前研一が言っていたように、ある種の連邦制、道州制のような仕組みはやはり必要なのであろう。
日本の地方自治体の条例は法的位置づけもいい加減で、意味がない。
そのため、憲法に抵触するような条例を平気で作る。地方議会に法的な専門能力がない。
アメリカの場合、法律家が多いのは、国=州の数が多いからということもあるのだろう。
州ごとに専門の法律家が必要だ。

道州制については維新の橋下氏も言っていた。地方自治体の統廃合はすでに進んでいるようだが、これをもう少し大きなビジョンで加速する必要がある。
posted by libertarian at 08:40| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする