2015年04月19日

Crossborder

世界の約4人に一人はムスリムで、約4人に一人はキリスト教徒。つまり一神教徒は約二人に一人の割でいるということになる。
イスラームは、ユダヤ教、キリスト教などを兄弟宗教とみているから、一神教徒とそれ以外という分け方になるだろう。
ほとんどの日本人は無宗教で、神について考えたこともないから、そもそも一神教などという迷妄をなんでまともな大人が信じられるのか不思議に思うわけである。
普通の日本人は、そんなものを信じる連中は、オカルトを信じる人間と変わらない危ない奴らと思うのではないか。

自分は世界に真理はあると思っているが、真理と神という概念とは結びつかない。
逆に一神教を信じる人間が神を真理と結びつけているようにも見えない。
イスラームは、実体のない概念、記号を偶像崇拝だとして避けるそうだが、アッラーという言葉にどういう実体をみているのか疑問だ。

中田考氏の本を読むと、カリフ制再興はイスラーム法上の義務だと考えているわけだが、これは中田氏のオリジナルというわけではなく、ジハード団の革命のジハード論を受け継ぐものらしい。
イスラーム法上、立法はアッラーの大権であり、これを国家法という人定法で置き換えることは、イスラームの教えをゆがめるという主張が第一にある。世俗化という政教分離はイスラーム法上、決して容認できない大罪と考えている。
そもそも人定法は、領域国民国家という植民地主義の装置からくるものであり、国民国家などは最近の制度にすぎず、なんの必然性もないものだという認識がある。
イスラームはもともとが、唯一のアッラー、一人のムハンマド、一つのクルアーン、一つのイスラーム共同体であるから、国民国家という制度、ボーダーをなくす必要があるといった革命のジハード論に行きつくわけだ。
だから、ムスリム同胞団のような中途半端な現実主義を嫌う。
一国の革命ではなく、アラブに張り巡らされた国境をなくさないといかんというわけだ。

しかし、中田氏の考えは宗教の信者としては純粋だが、結構、素朴に左翼っぽいと感じる。中田氏のいうところのグローバリズムも、典型的に左翼的な把握で、私にいわせれば、それはまさに実体のない概念、つまり偶像としか見えない。
さらにイスラームは実体のない概念をさけるがゆえに、紙幣という記号、偶像を嫌い、金という実体のあるものを重んじるようだが、金というのもやはり偶像、記号でしかないというのが事実だ。

トルコのケマル アタチュルクの世俗化主義は、最近では衰えつつあり、その代わりにイスラーム主義が台頭してきているらしい。
ケマルという無敗の大将軍が、世俗化主義に舵をきろうとしたのは、多分に軍事的な理由であろう。つまり、イスラームでは欧米に勝てないし、それに固執すれば、みじめな植民地的敗北状態になるのは避けられないといった軍事的リアリズムに基づく洞察からだろう。
イスラーム圏では、軍部が反イスラームの傾向があるが、これは、彼らの職業的判断からの必然的結論なのだろう。

この点は、日本が明治維新で旧い幕藩体制を破壊し、脱亜入欧を目指したのと同じような決意があった。
しかし、トルコはそこらのヨーロッパの国より経済は遥に良いが、イスラームという差別的理由で、EU参加を拒否されてきている。
ここら辺から、結局、イスラームの脱亜入欧は無理なのだということを国民が認識しだしたようだ。

オザル政権になると、ケマリズムを弱め、イスラーム主義への転換が図られるようになり、エルドアン政権ではさらに反ケマリズム的な方向になっていった。
カプランは、ケマルパシャが旧体制との連続性を断ち切るために、首都をイスタンブールから内陸のアンカラに移したことが、かえってイスラーム濃度の高いアナトリアの土地へ移る結果になったと見ているようだ。

とはいえ、別にEUに参加することはそんなにいいこととも思えない。大事なのはEUではなく、自由貿易体制だ。
トルコは世俗化を進める中で、経済的に発展し、ヨーロッパコンプレックスのようなものが薄らいで行っているのだろう。
これも、日本と同じような過程を通っているようにみえる。
むしろ、自分たちのアイデンティティーを大事にしようという気持ちになってきているのは、軍事的敗北の痛手から、経済的発展によって立ち直ったからだと思う。




posted by libertarian at 09:28| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

Secularization

イスラームの歴史は長くて複雑であるが、最も重要な年を3つあげよといわれれば、おそらく、622年、1517年、1917年となるだろう。
622年は、マジーナ遷都のヘジュラの年でイスラム元年。1517年はオスマン帝国がイスラームを支配した年。1917年は第1次大戦の終了と共にオスマン帝国が解体された年だ。
1517年、オスマンに支配されたことでイスラームは栄光のサラセン帝国の時代から没落の時代に入ると捉えられているそうだ。
一方の1517年、ヨーロッパでは宗教改革がおこる。ルネサンスから宗教改革、航海時代を経て、啓蒙主義の時代となり、ヨーロッパは発展する。
キリスト教ももともとは利子を禁止するような宗教だったが、宗教改革を経て、世俗化する。
世俗化とは、宗教と政治の分離といったものである。政治の領域が宗教から独立するといったことだろう。

アメリカはジョンロックのイギリスの啓蒙主義の流れを汲んで、プロテスタントたちが作った国である。
キリスト教は聖の部分として、政治という俗の部分とは切り離された土台があった。
そのうえで、成文憲法によるconstitutionalismによって、宗教と政治の分離を長期的に固定化した。
これによってかえって、アメリカでは宗教活動が盛んになったように思える。
様々なキリスト教宗派がなぜか喧嘩もしないで活動している。
しかし近年では、宗教票が逆に政治に大きな影響を与えつつある。

一方のイスラームは、1917年以降、トルコなどが必死になってイスラムを世俗化しようとしたが果たせなかった。
中東ではわざわざ働いて産業を起こさなくとも、幸か不幸か膨大な石油が発見され、物凄く豊かになった。一部の人だけスーパーリッチになったという面はあるだろうが、それでも石油がないよりは明らかに社会全体としても豊かになったことは間違いない。
もともと遊牧民であるから、勤労を貴ぶ風習は0だ。まさに石油はアラーの賜物というわけであろう。
ところでインドネシアにしても、石油産出地帯にムスリムが多いように見えるのはなぜだろう。アラーの賜物か。w

結果的に、イスラームはキリスト教ほどに世俗化しないでも、社会全体としては豊かになることができたわけである。
考えてみれば、石油なんてものが膨大な富になったのも、キリスト教が世俗化して技術進歩し、産業が発達したおかげで石油というものに需要が生まれたからである。
こうしてみると、別にアラブは何も問題がなさそうに思えるが、宗教的な紛争の火種が尽きることのない地帯である。
その理由としては、イスラームの原理に関わる問題がくすぶっているからと考えられるわけだが、本当は単なる権力闘争なのかもしれない。
イスラームはキリスト教と違ってあまり世俗化はしないかもしれないが、イスラームの原理的に考えれば今の状態でも十分に逸脱した状態にあると考えるようだ。だが、これを逸脱していると考える人は、イスラーム学者など一部のインテリだけだろう。中田考さんなんかもその一人だろう。
もし石油がなかったとしたら、イスラームは経済発展しないどころか、世界の最貧国地帯になっていたのではないかと思う。
実際、石油のでないアフガニスタンなどのイスラム圏は最貧国になっている。
もし、その状態で経済発展しようとしたら、トルコが目指したようにイスラームを世俗化しなければならないだろう。
しかし、トルコ以外のアラブでは石油のおかげでその必要がなかった。
ちなみにトルコは、残念ながら石油がほとんど出なかった。しかし、地の利を生かして水力発電大国だ。



posted by libertarian at 00:02| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月10日

Corner state and Othelo

地政学なるものがあるが、私はこれはオセロで考えた方がよいと思うにいたった。
地政学の本を読んでも、株の秘伝書みたいに曖昧で意味不明である。w

オセロは4隅をとるのが合理的な作戦だが、地理上で、この四隅に相当する国家が何かだ。
これはまず、イギリス、日本、アメリカといった島国家が相当する。四隅にある国家は地理的、オセロ的に圧倒的に有利なのである。
オーストラリアも島国家だが、他国と地理的に遠すぎるので無視できる。すくなくとも今までは。

中東は、トルコがオスマン帝国として長らく支配していた。そしてトルコはカプランが指摘しているように、地理的には島国家に相当するのである。
トルコは地中海と黒海に囲まれ、さらに中東とは山脈で隔てられていて、地理的には島国家的な条件にある。つまりトルコは中東における四隅に相当する位置にあるのである。それがためにトルコは中東を支配する地理的条件を持っていた。
ヨーロッパ半島をみるとスペイン、ポルトガルも四隅にありそうだ。しかし、ここは北アフリカつながりでイスラムに長らく支配された。だから一見、隅にあるが実は地理的、地政学的な隅の条件にはなかったのかもしれない。
海で仕切られているようでもジブラルタル海峡はあまりに狭すぎたわけだ。
それでも、スペインは一度は世界を制した。この前にイスラムの支配から抜けコーナー国家になったからである。

オセロにおいては、隅をとるのが大事で、内側はあまり重要でない。広大なハートランドは重要ではないのである。
もっとも四隅とっても、コマの数でまけたら意味ないが。
実際に、近代において世界を制したのはイギリスであり、アメリカというコーナー国家、コーナーになる島国家である。


posted by libertarian at 03:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Korea Peninsula and Othelo game

朝鮮は、もともと1つだったのが、冷戦の結果、南北に不幸にも分かれたという見方が一般的なのだろうか。
朝鮮の歴史はほとんど知らないが、朝鮮半島は、シナの柵包体制で支配されたことで一緒くたになっていただけで、その昔は新羅や高句麗だといろいろあったようだ。
言語的には、北と南で同じなのかもしれないが、朝鮮半島は、北と南に分かれているのが本当の姿なのかもしれない。

日本から見れば、海をへだててすぐ隣国の南朝鮮が直接の敵対国家となる。そこで南朝鮮に対抗するには、北朝鮮と組んで挟み撃ちするのが合理的だ。
一方、南から見れば、北に対抗するためにシナと組んで北を挟み込むのが合理的のように見える。
しかし、シナと組んで北を滅ぼせば、今度がシナが隣国となり直接の敵国となるので北は緩衝地帯として残しておいた方がいいわけだ。
国と国の同盟関係は考えられるが、オセロ同様、下手に駒をひっくり返したら危険だ。
今ある多くの国は緩衝地帯として残されたもので、弱小なくせになかなか消滅しない。
北朝鮮がなかなかなくならないのも、それが緩衝国家だからであろう。

日本はオセロの端に位置するから圧倒的に有利な位置にある。

posted by libertarian at 02:33| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Security

戦争とは、セキュリティの1局面に過ぎない。
つまり、セキュリティが問題の本質で、戦争はその1局面に過ぎないということである。
国家というシステムは、コンピューターシステムと同様に、セキュリティシステムが常に動いていないといけない。そして、セキュリティを完全に突破されるとシステムが破壊される。人体であっても普段は意識してないが免疫システムという高度なセキュリティシステムが常に働いていて、それが突破されると病気になる。病気になると、体の中で菌やらウイルスとの全面戦争状態になっているわけだ。

これは哺乳類のような複雑な多細胞生物でなくても、菌やウイルスでもセキュリティシステムはある。
戦争と平和は、The war and peaceであって、The war and the peaceじゃないと大学の頃に授業で聞いたが、戦争と平和で一対となっている、もしくは一環のもので、対立概念ではないということだ。
これも、セキュリティ1元論で考えれば分かる。
セキュリティ体制がうまく機能している状態が平常の平和状態だ。
これが突破されると戦争、warfareとなる。

国家とは、本来、集団的自衛のために組織されたものなので、国家の本質とはセキュリティシステムである。
国家とは、福祉や産業政策をするための経済的な単位ではもともとない。
セキュリティの柱となるのが、軍隊であり、外交部門であり、諜報部門である。これは昔も今もそのままだ。サイバー空間やら宇宙空間のように領域が広がっているだけだ。
日本の場合は、軍隊云々以前に広義のセキュリティ体制が脆弱もしくは存在しないのが大問題だ。属国といわれる所以である。

posted by libertarian at 01:17| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HOMELAND

TVドラマシリーズのHomelandが面白い。
24のスタッフが作ったそうだが、24よりもかなり大人な作品になっている。
使われているジャズも非常によい。

24では、テロリスト=インディアンといった扱いだったが、Homelandではイスラームの側からも問題を捉える視点があるのが、2001年から12年以上も経って、アメリカも少し落ち着いてきたということなのだろう。24が作られた時には、決して許されなかっただろう視点である。主人公の元海兵隊員がムスリムという設定もなかなかだ。単純な善悪の対立という現代版の西部劇ではなくなっている。
もっとも初めの方の24のシリーズは、テロとの戦いという国威発揚ドラマだったのが、だんだんに懐疑的な色調を帯びてきてはいた。

しかし、アメリカのテロとの戦いが実は、現代版の宗教戦争、十字軍というのは事実のように思われる。
自分のアメリカのイメージはカリフォルニアであり、ニューヨークだったが、実際のアメリカは中世ヨーロッパ並みの宗教国家、キリスト教国家である。一方のヨーロッパではキリスト教は衰退基調にある。
我々日本人が中東を全く理解できないのは、イスラームを全く知らないからであり、アメリカなら少し分かっているように思っていて、実は何も分かっていないのはキリスト教に対しても無知だからなのだろう。
日本の神道がどうのこうのいっても、あれは宗教とはいえないし、仏教も葬式仏教だから、日本は事実上、完全なる無神論国家に近い。
日本の八百万の神様というのは、イスラーム的にはこれは多神教ではなく、精霊、ジンに近いイメージだそうだ。

イスラーム法が国家法に優越するのは、イスラームの原理からくる必然だ。
一方のキリスト教の場合、キリスト法というのがなく、宗教法と国家法との争いがない。キリスト教は世俗宗教であるがゆえに、宗教と全く別の国家法という法体系が成立可能だったのであろうか。政教分離といってもキリスト教の場合、法レベルの争いはなく、政治的な主導権争いのようにみえる。

国家法と宗教が別のものとして並立しているのがアメリカ社会だ。
アメリカという祖国、homelandへの帰依と、キリスト教への帰依が同時にあるように見える。
イスラームの場合、国家法がイスラーム法に優越することは原則ないため、国民国家やら国家法というものが成立しない。
イスラームには本当の国家はないが、かなり濃いイスラーム社会がある。
そして、イスラームでは国民国家という近代的な軍事体制国家が成立しなかったために、欧米のキリスト教圏の国民国家によって近代になって軍事的に敗北したという見方もできるのではなかろうか。

posted by libertarian at 00:41| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

Amazon Vs Yodobashi

今までネットで買い物するのはもっぱらアマゾンであったが、ヨドバシ.comが非常に充実していることに遅まきながら気付いた。
特に本の充実ぶりが半端でない。おまけに、新本が全て3%のポイント還元だ。
送料もアマゾン同様に無料。
ヨドバシといえば、家電ばかりかと思っていたが、いつのまに本をこれほどに扱うようになったのか?
専門書の品揃えでは、アマゾンよりも充実している部分もかなりある。
これからは、アマゾンよりもヨドバシ.comを使うようにしようと思う。

とはいえ、アマゾンより本は安く、家電製品はアマゾンの方が安い傾向があるような妙な逆転現象があるので、買う前には比較した方がいい。
posted by libertarian at 23:02| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

Drone

F35を日本は次期戦闘機として購入するらしいが、めちゃくちゃ高価で開発も遅れているらしい。
そうこうしている内に、無人機が主流になりそうだ。
すでにアメリカは無人機がアフガンでも主流になりつつあるようで、おまけにこれを使っているのがCIAらしい。
CIAはもはやアメリカの5番目の軍隊になっているそうだ。
無人機は、戦闘機に比べて多くのメリットがある。

パイロットの命が犠牲になることがない。
パイロットが捕虜になって機密がもれることもない。
パイロット養成のコストがかからない。
人間が乗らないから、その分、小型軽量で、はるかに安価に作れる。
小型軽量であるから、航続時間が長い。
など。

一方、デメリットは、あまりなさそうだ。

空軍は自分らの職域を侵されるから無人機に否定的だが、陸軍、海軍は無人機導入に積極的だそうだ。
今までの肉弾戦的な戦争から、今後はテレビゲーム的な戦闘になっていくのであろう。
そのうち、オペレーターがなくても勝手に動く、人工知能型の無人機になっていくに違いない。
テクノロジーによって、戦闘の形態が急速に変わっていく。
日本も今後この分野に参入するとよいと思う。

旅客機にしても、ほんとはドローン化した方がよい。パイロットは緊急事態用に一人必要だろうが、オートパイロットだけで飛ばすこともできる。これもパイロットの組合が反対しているからできないが、こないだの事故のようなものは防げる。

posted by libertarian at 18:11| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月02日

Map,Geography,and Guide book

最近は、グーグルマップやグーグルアースのような恐ろしく便利なものがあるので、分からない地名がどこにあるのか一瞬にチェックできる。
カプランの本を読んだ際は、分からん地名が沢山出てくるので頻繁にマップでチェックしていたが、ついつい周辺もいろいろ見てしまい、読み進むのが遅れた。しかし、これはこれで充実した本の読み方といえよう。分からん地名の話を聞いても、地名がどこにあって、どんなところかもわからなければ、読んでも全く意味がないのである。
さらにグーグルアースに切り替えれば、臨場感のある3D表示もできるから、なんとも凄い世の中になったものである。
しかし、グーグルアースの画像は、凄みがあるというのかあの海の青さも非常に不気味である。

だが、グーグルマップやグーグルアースがいかに凄くても、それだけでは情報として不足している。
私が”地理”を知るうえで重宝しているのは、あの悪名高き、地球の歩き方シリーズだ。旅行ガイドではあるが、地理やその場の土地感覚、距離感覚を知る上で非常によくできた本である。国ごとのこれほど詳細な資料は他にはない。まあ悪名をはせたのも今は昔のことで、最近のは無難に仕上がっているようだ。

地図の詳細さは大事だが、反面、地図が詳細だと人間はそれを認識しにくくなる。世界地図をみても、あまりに複雑で、普通は、それを認識できない。ここで大事になるのが、複雑なものを抽象化し、単純化するという知的作業になる。
こうやって地理を認識、もとい地図を認識するようにすれば、地図が頭の中で概念化される。
昔の測量術が未発達であったころの世界地図などは、概念で書かれているから、稚拙ながら認識しやすい。
このように詳細な地図を単純化、概念化するのである。

また地図やグーグルマップやグーグルアースでは山や山脈が誇張されすぎている。
地球の直径が12700Kmだから、エベレストであっても、約1/1300の凸でしかない。
これは、1mに対し1mm以下の凸凹だから、ほとんど誤差みたいなもので、地球は実際は、ほとんど凸凹のないつるつるの球体なのである。




posted by libertarian at 14:19| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

LibertariBanism@Japan

本ブログもかれこれ10年以上続けている。
誰が読んでいるのか知らないが、割とコンスタントにアクセスがあるようだ。
しかし、少々飽きてきたので、イスラームを来るべきリバタリアニズム社会と考え、サイト名を改名することにした。

新しいサイトは、次の通りにする予定である。乞うご期待。

LibertariBanism@Japan


posted by libertarian at 22:50| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

Geopolitics

「地政学の逆襲」をほぼ読んだ。
ロバート カプランは、リベラル寄りのライターだが、なかなか興味深い本であった。
しかしあちらのリベラルは、いかなる文明もいわゆる民主主義なるものに収束するのが進歩と思っているのはどうしようもない。
だが、この本を読むような人間は、そういうわかりやすい落とし所を与えられて安心するのだろう。
むしろデモクラシーとは何のための手段、制度かというのが問題で、これに答えられる人間は残念ながらあまりいないだろう。


もとより民主主義、デモクラシーとは政治制度であるから、単なる手段仕組みであり、信仰や理想の対象ではないのだが、アホな教育とマスゴミの喧伝により、単なる制度が思想なり理想に格上げされているわけだ。ツーバイフォー工法はなによりも素晴らしいと信仰しているようなものである。
リバタリアンならば、リベラルのいう自由とは積極的自由であり消極的自由とは真逆のものであると理解するであろうし、民主主義なるものは全体主義と同じ仕組みと理解するだろう。それが事実である。

教育制度においてイデオロギー教育は認められていないが、現実に歴史教育はイデオロギー教育そのものだ。
歴史というのは、普通、戦争や政権や国の盛衰に関する記述だが、私の生きていた時間だけでも、多くの国が生まれ、多くの国が消滅している。ソ連が解体して、いろんな国が生まれたし、ユーゴも分裂し、さらに大東亜戦争終結時から考えれば、ほんの70年の間にかなりの数の国の生成消滅がある。逆にいえばほんの70年前はいわゆる国などごく僅かだった。国とよべる国は欧米諸国とロシアと日本くらいだったのだ。その他は、国ではなく地域、地帯といったもので、そこに住む人たちの比較的小さな社会があっただけというのが事実だろう。

国が沢山あると戦争がおこり、戦争をなくすという大義で大統合が行われるが、結局、民族問題などを抑えるため抑圧的な制度がしかれ、そのうち内紛が起こって、また分裂するというのが国という制度のパターンである。キングタムの秦の始皇帝もしかりだ。

ナショナルヒストリーとは別の観点で、歴史を考える必要がある。国が無くなろうが、新しい国になろうが、そんなものは市町村の統合、改廃と同じ程度の意味しかない。日本はその点特別だが、大陸国家では国というのはそんなものだ。宗教や民族的共同体の方が国家という枠組みよりはるかに強い結び付きがある。
その点、日本はあまりに特別だ。恵まれた国といえよう。イギリスと同じ島国といっても、今もイギリスはかなり強権的な中央集権で無理やりまとめた国である。このことは、こないだのスコットランド独立問題でよく分かった。
日本は特別な歴史と地理と一体感をもつ国といえる。宗教的、民族的連帯感というよりも、強い近代的なナショナリズムがかなり古くからある国なのだろう。

本当の人類の歴史とは技術の歴史であり、宗教の歴史と見たほうがよいと思う。
戦争は悲惨だが、実際はインフルエンザや疫病による大量死の方が多い。
戦争は派手だし悲惨だから大きな事件と思われるが、戦争とはセキュリティ問題の1局面であり、セキュリティが突破された時、または突破した時に起こる事件にすぎない。
長い時間を通して変わらないのは、地理くらいのものだ。地理は人類のマクロな制約条件といえる。このマクロな制約条件について考えるのが地政学とも思われる。つまり地理は歴史の本質ともいえる。








posted by libertarian at 23:25| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

Islam as a libertarianism

イスラームの原理主義について穏健なイスラムと急進的なイスラム原理主義があるという理解は間違いなのかもしれない。
イスラームには、近代の世俗主義があるとした方がいいのだろう。つまり原理主義があるのではなく、世俗主義が近代の国民国家に分割統治されたイスラムに特異なものとしてあるとみる見方である。逆に言えばいわゆる原理主義とはイスラムそのものということだ。

中田考氏によるとイスラームは、アナキズムとしかいいようのないものだそうだ。国家や政府はイスラムには反するし、当然に税金もイスラムに反するからない。実際、過去1000年以上、イスラム社会では税金はなく、異教徒に対してのみ信教の自由の保証の代わりに人頭税を課していただけらしい。イスラームはアッラーに対する服従という意味だが、同時にアッラー以外の政府や権力への不服従を意味する。

その点、リバタリアニズム的な社会というのは、イスラム社会において既に1000年以上前から完成されていたといえるのかもしれない。
イスラムは国家なき共同体、政府なき共同体である。
リバタリアニズムのようなものは、世界宗教にはまずならないだろうから、先進国内における政治的主張に留まるだろう。
そもそも日本のように、自由という概念にあまり求心力がない社会も多いわけだ。

リバタリアニズムの唱える自由とは消極的自由であり、外部の権力による強制がないことだから、それは政府がない状態において完成される。
イスラームは、戒律が厳しくて自由がないイメージがあるが、実はそのような消極的自由を1000年以上昔に完成させていたといえる。
イスラム法という自然法による支配がイスラーム世界の本質であり、カオスや無秩序ではない無政府の共同体ができていたわけだ。

欧米はやはりベースがキリスト教社会だから、欧米の知識人はイスラムを全くしらないのであろう。
David Friedmanやミルトンフリードマンは、リバタリアン的な社会は過去に存在したことがないと言っているが、それは単にイスラームを知らなかったということなのではなかろうか。

イスラームは拡大しつつあり、既に世界の約4人に一人がムスリムだ。
もしカリフが再興されれば、これが一つのイスラームとして国家を超えたまとまりをもつ共同体になる。
スンナ派とシーア派の対立も、実はそれほど根深いものではないそうだ。確かに昔のカリフの誰を認めて誰を認めないかの問題だから、そんな深刻な問題とは思えない。それが大問題なら、今カリフがいないことの方がはるかに大きな問題だろう。
今のスンナ派とシーア派の対立は宗派対立というより今の国民国家の政治的対立により先鋭化したもののようだ。

posted by libertarian at 23:54| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

Offshore balancing

ミアシャイマーなども正しく指摘している通り、アメリカがアルカイダなどのムスリムに憎まれる最大の理由とは、アメリカがサウジアラビアなど中東に軍隊を駐留させていることにあるらしい。
実際、アルカイダのビンラディンは、マッカとマディーナをアメリカ軍が守っていることが許せないと考えていたようだ。
湾岸戦争の1992年以来、アメリカはサウジアラビアに軍隊を駐留させていた。それがアルカイダによる911攻撃などテロの遠因だったのだ。ムスリムにとっては自明なこのことがアメリカはずっと分からないでいたわけだ。

それに対してミアシャイマーは、レーガンの頃のオフショアバランシング政策、つまり軍隊を直接紛争地におかず紛争地のパワーバランスを維持させていた政策を高く評価している。→これは具体的にはイランイラク戦争のこと。
湾岸戦争以降、アメリカがサウジに駐留し両にらみを行ってきたのがまずかった。結果、イランは核武装する余裕を得たのだろう。
であるから、オバマが中東から軍隊をひくことは、ミアシャイマー的には評価できることだろう。しかし中東から全駐留軍を撤退させることは必要条件だ。
だが、オバマのそれがオフショアバランシング政策を伴ったものであるかは分からない。そうではないと思われる。
既に核保有国は10か国になっているが、これはアメリカが軍事的脅威を与えすぎたことが、インセンティブとなっていた。
オフショアバランシング政策をとることが核を拡散させないためにも、もっとも効果的だというのがミアシャイマーの見解だ。

この20年のアメリカの国防政策は完全に迷走したもので、911に過剰反応しできないことをやろうとしすぎた。アメリカはあまりに独善的で驕り高ぶったことを恐怖に駆られてやっていたわけだ。アメリカはイラクで湾岸戦争以来、100万人規模の民間人殺戮を行ってきた。
恐るべきことである。

ミアシャイマーは、欧州と、ペルシャ湾、北東アジアの地政学的重要性を訴えているが、アメリカは中東から撤退し、北東アジアを重視することを主張してる。シナの脅威はブッシュJrが就任当初正しく認識していたことだったが、ブッシュは911で血迷ってしまった。
ネオコンなど取り巻き連中がダメすぎたのも問題だ。ちなみにフランシスフクヤマは最初ネオコンだったが2006年からはLiberal Imperialistに鞍替えしたそうだ。w

中東は今、火が付いた状態だが、何を問題と見るかだ。ISISは話題だが、実際はシリアの方が深刻な殺戮を行っている。
今後、中東はトルコ、シリア、ISIS,サウジ、イランのパワーバランスが問題となるのであろう。この中で期待の星はトルコだろう。
トルコはイスラーム回帰しつつあり、場合によるとトルコが正当なカリフ国として復活する可能性もあるのではないか。


posted by libertarian at 22:48| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Awakening ISLAM

私はイラクのクウェート侵攻(1990)も、湾岸戦争(1991−)も昨日のことのようによく覚えている。
その後、アメリカによるイラク侵攻(2003)があったが、それもつい昨日のようだ。
イラク侵攻の時は、大量破壊兵器(WMD)の存在がどうのこうのといわれていて、その後ありませんでしたということだったわけだが、実際は、それが最大の動機というわけではなかったのだろう。
アメリカの軍事産業や石油利権がどうのこうのといった話もよく言われるが、それも違う。

軍事行動はあくまで軍事的、セキュリティ上、地政学的な理由が第1にくるはずで、その他の動機はあったとしてもずっと下の方の優先順位だ。
ブッシュjrによる2003のイラク侵攻は、イラクによるサウジアラビア侵攻の可能性に対する予防的戦争だったのであろう。
もともとがイラクのクウェート侵攻はサウジアラビア侵攻の途中駅でしかなかった。
その点、ブッシュjrがイラクを叩き潰したことで、イラクによるマッカ、マディーナ奪還に対するpreventive warは大成功だったというのがアメリカの理解なのであろう。サウジはアメリカにとって地政学上特別に重要な位置にあり、いずれイラクがサウジに侵攻するのは避けがたいという理解があったわけだ。その前に叩き潰す方が被害は少ないということだ。サウジをとられるとスエズ運河も支配される。

しかしアメリカがイラクから撤兵した2011あたりから、シリアのアサド政権がクルド人の大虐殺を再開し、すでに20-30万人のlクルド人の自国民を情け容赦なく虐殺している。
その混乱に乗じて生まれたのがISISだ。シリアのアサドによる大虐殺に対して国際社会は観て見ぬふりをしてきたのが現実だ。
シナによるウイグルの大虐殺も今行われているが全く報道されていないのと同じである。
シリアにはロシア、シナ、北朝鮮、サウジからの支援があり、泥沼と化しているようだ。利害が交錯していてどこも介入ができない状況となっているわけだ。

オスマントルコの崩壊いらい、イスラーム世界は国民国家として英仏のサイクスピコ密約通りに分割され、1922からほぼ100年植民地支配されてきたわけだが、その植民地支配秩序がそろそろ本格的に崩壊しつつある状況とみられる。そういった偽りの秩序が永続するわけもない。
その点、やはりISISは台風の目になる可能性がある。
宗教とかイデオロギー分析も大事だが、やはり客観的にパワーバランスに注目しないとアメリカの軍事行動の意味も見誤る。



posted by libertarian at 15:24| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

Kingdom

キングダムが面白い。
この1週間で36巻まで読んだが、息もつかせぬ面白さ。
最近の漫画は、プロットが実に緻密だが、この原泰久氏のキングダムのストーリーの巧みさは天才的だ。
この漫画をなんで知ったかというと、あの中田考氏が面白いと絶賛していたからである。
全く知らなかったがアニメ化もされているようだ。youtubeで第1話の最初のところだけ見たが、どうも絵に力がない。
秦の始皇帝の話だが、まだまだ続きそうで長く楽しめそうだ。既に10年くらい続いているようだが、もう10年くらいしないと終わらないのではないか。w

組織戦闘がリアルに描かれている。つまり5人が基本単位の組となり、それが集まって10人、100人といった戦闘単位を作り、さらに数千、数万の軍隊を形成するということが描かれていて、将軍や大将軍の意味、価値というのがよくわかる。
この時代にそんな詳細な記録は残っていないのではないかと思うが、逆算すれば、そういった組織は不可欠だったと思われる。

この漫画はおそらく、リドリースコットの傑作「Kingdom of Heaven」に影響されているだろう。
スコットの映画では私が一番好きな映画だ。


posted by libertarian at 18:24| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月02日

ISLAM borderless world

イスラムに関する本を何冊か読んだが、中田考氏の著書が興味深かった。
中東の近現代史も、イスラム教も何も知らなかったので、中東情勢の意味は全く持って不可解であったが、すこしずつ見えてきたこともある。
イスラームについては、中田氏の「イスラーム 生と死と聖戦」が分かりやすい。
今の中東の国境線は、第一次大戦後にイギリス、フランス、イタリアが人為的に引いた線だが、植民地主義の結果として国民国家が作られ、イスラムが分断統治されてきた。
それまでイスラームは一人のカリフによって統治されてきた。これは人による支配ではなく、イスラム法、シャリーアに基づく自然法による統治であった。カリフとはイスラム法の支配の象徴的な存在である。だからこれは独裁制とは全く意味が違う。
イスラームは、本来ボーダーレスな世界であり、国民国家とは対立する。カリフが否定されたことで、イスラームが分断されてきた。
そこで、中田氏は極東の島国でカリフの再興を図っている。

シーア派とスンナ派の対立も、実は最近のものでシリアのアサドが、シーア派であり、シリア紛争でスンナ派の虐殺をしてきた。
アサド政権を支持してきたのが、社会主義圏のロシア、シナ、北朝鮮であり、シーア派国のイランであった。
シリア紛争が、宗派戦争を形成したそうだ。
そし、そのシリア紛争の中からISISのようなスンナ派の国家が台頭をしてきた。

面白いと思うのは、イスラームがリバタリアン的なビジョンと重なる点である。人定法でなく自然法による統治、ボーダーレスな世界といったものがそれだ。イスラム教徒は世界に16億人いる。しかしカリフが今のところいないままだ。
ISISのバクダッディはカリフを自称しているが、それはまだイスラム教徒から認められた存在ではない。
欧米からすればイスラームの結集こそが脅威であるし、今の国民国家として分断されたイスラム諸国の既得権層も同様にカリフ制に脅威を感じている。だがイスラームにとって、カリフは必要不可欠な存在であるとする中田氏はアメリカから危険人物としてマークされているらしい。w

歴史を学ぶとキリスト教というのは、悪逆非道の限りを尽くしてきたことがわかる。イスラムが侵略をしてきたわけではない。
キリスト教は恐るべきカルト教団だというのが、前々からの私の印象だ。
ヨーロッパの教会などを見ても、権威主義の塊で嫌悪感を感じるほどだ。
キリスト教は新約聖書の中にも、キリスト本人の言葉というのはほとんど残っていないことが分かっているそうだ。キリスト教はキリストに帰依するものなのにキリストの言葉が保存されてこなかったというのは象徴的だ。キリスト教は宗教というより政治的なカルト組織だったのだろう。
イスラムはその点、アッラーに対する帰依しかないから政治権力とは結びつきようがない。だから教会も特権階級としての司祭もなにもない。

自分が世界を見る上で、イスラム諸国は全くなにもわからない真空地帯であったが、やはりイスラム教そのものをある程度どういうものか知らないとこの世界はなにも見えてこない。国民国家という植民地主義の装置を見るのでなく、イスラームをみないと何もわからないわけだ。

続きを読む
posted by libertarian at 15:27| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

Freedom,Anarchy and Law

言論の自由とは、言論の自由を制限する法律を制定してはいけないという政府の立法権に対する憲法上の制約である。
言論の自由とはそれ以上でもそれ以下でもない。
言論は暴力にもなる。だがそれを規制する法律を作ってはいけないということは、事後的に民事的に処理するというのが基本だ。

一般常識的には、相手の言論で被害をこうむった場合は、損害賠償請求なりで民事的に解決する手続きになる。
ただ刑法が適用されることは基本ない。言論の自由とはその程度の保証である。
だが、言葉は強力な暴力にもなりうる。言葉の暴力に対して物理的な暴力で報復すると、今度は報復した人間に刑法が適用されるかもしれない。
だが、傷害事件の場合、事後的に刑法が適用されるだけで、刑法には抑止力が期待されているが、それを行使する人間を止めることはできない。事後的に罰するだけである。これは法律の限界である。

シャルリーエブドのように言論攻撃を、商売として用いる人間は次のように考えるだろうか。

1.商売のために言論の暴力をふるって、相手が賠償請求をしてきたら、多額の賠償金を払ってもよい。
2.相手が暴力に訴えてくれば自分は殺されるかもしれないが、事後的に相手が刑法で罰せられることを期待する。

おそらく、どちらもとも思っておらず、商売としてのい言論では儲けるが、相手が泣き寝入りする、もしくは裁判に勝ち賠償金はほとんど払わないことを期待するのだろう。要するに甘いのである。言論の自由という言葉で自分が法律で守られていると勘違いしているのだといえよう。言論の自由を守れと叫んでいる連中は、一体法律に何を期待しているのだろうか。
これは言論の自由なり法律に対する無理解が原因であり、シャルリーエブドを擁護した連中も同様だ。
相手が間違っているのであれば、論理的に説明するべきであり、宗教上の侮辱といった暴力に訴えるのは商売の為であれば完全な自己責任である。

特にイスラム法の世界の住人に対しては自分の国の法律は全く通用しない。
法律は行動の自由を制限しないしできない。つまりアウトローな解決法を選ぶ行動の自由を阻止するものではない。
言論にしても何を言ってはいけないと法律が阻止することはできないのと同じである。

国家間の関係はミアシャイマーがいうとおり基本的にアナーキーなものだ。共通の法律も強制力もない。
個人と個人の関係も従う法が異なれば、アナーキーだ。
国家や法が守ってくれると思うのは間違っているのである。






posted by libertarian at 14:57| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

Self responsibility

ISISによる日本人捕虜の問題で、自己責任論と、自己責任論を否定する論があった。
あきれるのは、国民を救出するのは国家の義務であるとして自己責任論を否定する意見が多かったことだ。
そもそも、国家が国民の命を何に変えても救出しなければいけないなどという法はない。

国民の身体生命や財産の保護は憲法に謳われていても、無条件でそうしなければいけないという話ではない。
例えば、海外旅行で詐欺にあって金銭的損害を被ったとき、自国民の財産権の保護のために、政府が無条件で全額補償するなどいうことはありえないのと同様だ。
そこらは、保険でカバーするなり、自分で注意するべきことなのは当たり前だ。
これは命に関わることでも全く同じである。常識で考えればわかることだ。
特に今回はマスコミが騒いだだけで、海外で犯罪に巻き込まれて命を落とす日本人など毎年いくらでもいる。

軍人が捕虜になった時など、軍隊の士気にもかかわるから政府は最大限の譲歩はする傾向にあっても、それも別に義務云々とは違う。
自己責任論を否定して政府の義務などというバカなことを言う保守を自称する連中は全くのイカサマ連中である。
自己責任と個人の自由とは表裏一体のものであり、自己責任で行動するから自由でありうるのである。
posted by libertarian at 20:51| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

More limited government

日本のような制定法主義、大陸法の国は、立憲主義=constitutionalismの縛り、制約というのが弱いのが大きな問題だ。
アメリカの押し付け憲法はけしからんといって憲法を変えるのはよいが、それが単なる民族主義的な心情からの改変だとかえって悪くなる危険性が高い。実際、自民の改憲案は少し見ただけでも酷いものである。改憲が改悪となっては悲劇である。
憲法の改正は、自由を高めることが目的でなくてはならない。もちろん、これは自由権の拡大のことではなく、実質的な自由の拡大のことだ。法的には正義の拡大と自由の拡大は矛盾しない。

立憲主義の根本は制限憲法にあり、個人の自由を確保するために、政府をどのように縛るかという点こそが肝要である。
この点が日本ではほとんど理解されていない。村社会的な素朴な集団主義が全体主義的な方向へ向かう危険性は日本において非常に高い。
アメリカの憲法も、政府に対する制限という意味では弱すぎたというのが教訓である。
とくに政府権力の経済活動の介入に対する制限が弱すぎたというのが、フリードマンらの見解だ。この典型は自由貿易の問題だ。

日本においては、財務省を筆頭とする行政部門の権力があまりにも強いのが最大の問題点である。
なぜ、このようなことになったのであろうか。
立憲的な制約が弱すぎたのか、それとも制度設計上の失敗なのか?
もっともアメリカの場合、日本と違い行政部門が暴走している印象はあまりない。主に暴走するのは立法府、議会である。

立憲主義においては政府の役割を限定列挙的に制限することが必要だろう。
その点、憲法により、政府の役割をセキュリティに限定するのも一つの考えである。
幸福の追求といったアメリカ憲法の文学的、情緒的な表現が行政権力の肥大を招いた。こういった抽象的な表現が、政府活動をあらゆる部門に進出させることとなったといえる。

また欧米と比べた日本の弱点として、司法が弱すぎ、三権の独立した権力というよりは、行政部門の一つに堕している点がある。
これがなぜなのかも大きな問題だ。制度論と法律論の両方から究明すべき問題だ。

日本におけるコンプライアンスは、世間様感覚を法的な強制力とする点で極めて危険だと思っていたが、実際世の中の流れは世間様感覚、空気感覚というものを法的なものと勘違いしている。これは、恐ろしく危険なとんでもないことである。

政府の役割をセキュリティと限定した場合、残るのは軍事とか、それに関連する情報部門、外交部門、および国内の警察部門となるだろう。
もちろん、司法は別にあるし、行政と立法がこれらに限定されるということだ。
これは現代的なminimum governmentと考えられる。
posted by libertarian at 20:03| 東京 ☀| Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

Hostages

日本人二人がISISの捕虜となった事件だが、これに対して、国は国民を救出するのが当然であるという論調が多かった。
このことは、北朝鮮に拉致された日本人との問題とも絡めて、自国の人間を助けるのが国家の政府の当然の責務であるという考えがあった。
しかし、北朝鮮に拉致された人たちは、日本国内で拉致強奪されたのであり、禁止地帯に勝手に入り込んで捕虜となったわけではない。
これをアナロジーで同じと考えるのは間違いだ。

私の考えでは、ISISの捕虜となった二人に対しては、日本は形だけの努力をしたのだと思うが、そもそも助ける義務が法的にあるとは思えない。もちろん、助けられるなら助けるのが温情的だが、法的にそうすべきという話とは違う。
その点、北朝鮮に拉致された人たちと一緒にすべき問題でもない。
一方、北朝鮮に拉致された人間を救出するのは、国家の、または政府の義務である。

所詮は今回の捕虜問題なるものもマスゴミのワイドショーネタでしかない。マスゴミが騒ぐ問題だけに反応して、もっと大きな問題について考えが及ばないというのはダメすぎる。
そもそも、今回のことでそんなに騒ぐなら、北朝鮮に拉致された数百人規模の人たちのことをテレビで連日放送すべきなのだが、いままでもほとんど何もしてきていない。

マスゴミがISISは悪だといえば、悪だと感情的に反応し、北朝鮮はそうでもないよといえば、そうでもないと思うのが、大衆というものだ。
こういう操作をされるようでは、高等教育の意味もないし、振り込め詐欺も減らないだろう。w
posted by libertarian at 23:30| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Invasion to Iraq

アメリカのイラク侵攻は、侵略と言ってもいいと思われるが、この反省とか総括のようなものが全くなされていないのは不思議である。
特に日本ではマスゴミを賑わすだけの一抹のショーでしかなかった。
化学兵器にしてもあったとかなかっとか諸説あるが、公式にはなかったで済ましている。しかし、それで済むことではなかろう。
予防戦争、preventive warとか言っていたが、一体何を予防したのだろうか。

アメリカは、イラク侵攻に1兆ドルの予算を投入し、4000人の兵士が亡くなった。
ベトナム戦争のようなかつての代理戦争と比較しても、意味のない戦争だった印象がある。
イラク侵攻は、米ソの代理戦争でもなく、一方的にアメリカがイラクの政治体制を許せないとし、アルカイダとの結びつきをねつ造し、やくざもどきの因縁をつけて侵略しただけの戦争ではなかったか。
アルカイダとの結びつきをねつ造するために、アル ザルカウィのありもしない話を捏造し正当化しようとした。

イスラム世界というのは、非常に複雑で混沌としている。
例えばイラク戦争では多国籍軍とイラク軍の戦いだと見られていたが、実は、この時、イラク軍に対して、反シーア派も攻撃を加えていたそうだ。この反シーア派がISISの前身、イラクのアルカイダだったいうのが皮肉なことだ。
これは、後でわかったことらしい。アメリカの中東情勢分析も穴だらけということが、後になってわかってきているようだ。

アメリカのISISに対する分析も全くずれたものだったようだ。
ここでは、敵と味方といった2元論的な見方は不可能なほど、複雑な入り組んだ対立構造があり、アメリカの行動も矛盾しまくったものとなっている。バルカン、ユーゴスラビア紛争と同様に日本人には理解不可能な世界だ。
アメリカがテロ組織として対立している組織に対して、別の敵に対抗するために資金援助、武器供与ということを平気でしているらしい。
アメリカは中東におけるまさしく紛争当事者であるから、アメリカへの協力は、決して中立でもフェアでもない。
日本は、平和主義を発揮して、こういう時こそ不関与の方針を貫くべきである。
主張がフェアなら、欧米も反論はできないのである。

そもそも日本はアメリカ以上に中東のことは何も理解していないだろう。
人道援助といえば何でも聞こえがいいが、具体的に誰に何をどのように援助するのかという具体的な内容が示されなければいけない。
しかし、このような複雑極まりない紛争地帯に関与することは、たとえ善意からであっても、善意の結果をもたらすとは限らない。
つまり、日本は一切の関与をしないのが、ベストである。
国益をセキュリティ上の課題としてみても、関与しないのが一番のセキュリティ、つまり国益になる。
日本は石油を買いますよというだけの、お客様でいるべきなのである。
日本は国際秩序なるものの一角として振る舞うのではなく、正しく一介の小国として振る舞うべきなのだ。
むしろ不関与を貫けば、将来的には調停者となる立場にもなりうる。

宗教というのは、それを信仰している人の理解と、それを信仰していない人の理解というのは、質的に異なるだろう。
仏教にしてもキリスト教にしてもイスラム教にしても、信仰しない人がそれを理解できるかどうかは大いに疑問だ。
表面的な知識として整理はできるだろうが、理解はできないだろう。
つまり、理解できないものに不用意に立ち入るのは危険ということもある。
分からないことは、分からんと正直に言うべきだ。できないことはできませんというべきなのである。
社会工学的な発想、社会を人工的に改造するという発想は日本にはもともとないだろう。

ISISに対しても兵糧攻めがきくとか、高橋洋一氏なども言っているが、本当に効果的なのかは大いに疑問だ。
そもそも、そこまで関与すべきではない。
おそらくアメリカは空爆くらいしかしないだろうし、できないだろう。そして空爆はあまり効果のないものだ。
コソボでも空爆はしたが、それは単に乱暴な破壊行為だけで、政治的な効果、つまり戦局を変えるほどの効果はないものだ。
結局、アメリカの軍事力、影響力というのも限定されたものにすぎず、その地域の安定化とかには結びついていない。
コソボ紛争にしても、アメリカとは関係なく勝手に自然とけりがついたとみるべきだろう。


posted by libertarian at 22:43| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fermentation and AI

食事は、大事なものだ。
こういうものは無関心だと徹底的に無関心で、せいぜい店で出される料理をうまいとかまずいとか言っているだけの評論家にしかならない。
グルメを自称しつつ、料理には全く無関心というのは矛盾している。
食事は、自分である程度作ったり、研究しないと興味がでない。料理と食事は一体であり、料理をしないで食事にだけ関心があるというのは、食事の意味を理解していないことになる。料理をすれば素材に関心がでてくるし、調理によって素材がどう変わるかも肌で分かる。

また本当にうまいものとは、大体が発酵食品だ。発酵食品は人知を超えたものである。人間はそれを作ることができない。微生物の活動をある程度コントロールするくらいのことしかできない。
魚の乾物でも、納豆にせよ、漬物にせよ、チーズにせよ、酒にせよ、よくできた発酵食品は人知を超えている。

人間というのはいかに頭が良くても複雑なものは理解できないのである。逆に言えば、頭の良さとか科学というのは、複雑なものを単純化することが基本だ。複雑なものを複雑なまま理解することはできない。
ここがAIとの本質的な違いになる可能性があると思う。AIは複雑なものを複雑なままハンドリングできるという点で、人間とは異質な知性になる可能性があると思う。

posted by libertarian at 19:59| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Hypoglycemia

自分は炭水化物を食べると強烈な眠気に襲われるが、これは低血糖症が原因だ。
インスリン調節がうまくいかないで、血糖値変動が大きいのが低血糖症。
その点、炭水化物制限をすると、血糖値変動が起こりにくいので、大きな効果がある。
もともと、炭水化物制限はダイエット目的でなく糖尿病対策として生まれたものである。

深刻な糖尿病症状がでなくても、低血糖症の症状がある人は、これを病的なものと考えて、食事療法をすることが大事だ。
まだ、低血糖症は、糖尿病と違ってあまり病的なものと認識されていない。
通常の健康診断では低血糖症はわからない。糖尿のけのある人は要注意程度だろう。

対策としては、薬を飲んではダメ。食事療法というと大げさだが、普段の食事を変えるだけだし、これは大きな効果がある。
人間の性格であるとか、内面的な要因と思われているものも、実は生理的なものが原因となっていることが多い。
精神的に不安定だったり、イライラしている人は低血糖症である可能性が高い。
低血糖症であることを認識したら、病気と考えて、食生活を変えるしかない。
食生活を変えるだけで改善できることは結構大きい。
posted by libertarian at 17:21| 東京 ☀| Medical | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

The real criminal of the STAP case

STAP細胞の真犯人は、理研そのものであったという武田邦彦氏の論


ここまでSTAP問題をつきつめたのは、さすがである。
武田氏はSTAPは、理研の金目当ての組織犯罪である可能性が高いと推理している。
大いにありそうなことだ。理研の行動に着目すれば、すっきりと今回の事件の意味が見えてくる。

武田氏も、ここまで言いきるのは、勇気のあることだ。
武田氏は、是非、小保方さんと対談をしてほしい。そこで、具体的な真相を聞き出すことができるのではないか。

もしこれが本当なら、ノーベル賞受賞者の野依理事長のスキャンダルに発展するだろう。
これこそ、マスコミが追求すべきスキャンダルではないか。

posted by libertarian at 03:39| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

ISIL

イスラム国(ISIL)についていくつか本を読んでみたが、これは思っていた以上に大きな問題であると分かった。
ISILは今後の世界の歴史を大きく左右する存在となるだろう。

先にイスラム原理主義と書いたが、最近では原理主義という言葉はあまり使われない。これは欧米がプロテスタントのfundamentalismと一緒の呼び方を好まないのが原因のようだ。
しかし、原典に還れという意味では、原理主義と言った方がわかりやすい。
イスラムでは、これはサラフィズム(salafism),サラフィー主義と呼ばれる。
ISILのサラフィズムは、タリバンなどと違い新しいテクノロジーを受け入れる点が異なる点だ。だが、その他はアナクロともいえる厳格な戒律を重視するサラフィズム、原理主義だ。

ISILが従来のサラフィズムを掲げる過激派、アルカイダやタリバンなどのゲリラと戦略的に違うのは、領土的野心を持っている点である。
ISILのカリフ、アル バクダッディは、領土を得ない国の建設はあり得ないということを理解し、カリフ制の国を建設しようとしている。
これは、いままでどのイスラムも達成できなかったが、それを瞬く間に実現し、さらに領土を急速に拡大している。
今はまだ偽装国家(shell state)だが、そのうち他国も承認をせざるを得なくなるだろう。

このカリフ、バクダッディはムハンマドの末裔を自称し、バクダッド大学で神学を収めたインテリで学者の家柄。
このバクダッディの指導力、戦略眼が従来のサラフィズムとは別次元の成功をおさめた原因かもしれない。1971年生まれだから、まだ若い。
我々はイスラムにおける新しい巨大パワーの台頭を目撃することになりそうだ。

ISILは、スンニー派のカリフ制国家の建設を行っているわけだが、シーア派を根絶やしにするという戦略を持っている。
実際に、シーア派の村を襲って、女子供を問わず虐殺をすることを繰り返しているようだ。
もともとシーア派はスンニー派に比べると数は小さい。中東はイランとシリアがシーア派の拠点だが、シリアはISILの手におちつつある。
ISISに比べると、サダムフセインは随分穏健だったのではないかと感じる。

こうなってくると、もはや欧米はなすすべもないのではなかろうか。経済封鎖もほぼ不可能。空爆は効果なし。
イラクへの予防戦争とやらに天文学的な費用と、多くの人命を投入して結果がこれだから、今後アメリカは中東から手を引いていくのではないか。イラク侵攻は中東のパワーバランスを破壊し、カオスしか生まなかった。
イラク侵攻を推進したのはネオコンこと共和党リベラル派だった。一方のミアシャイマーらリアリストは反対をしていたが、結果はリアリストの勝ちだ。戦力は有限な資源なので、中東から手を引き、シナの方へ向かうのかもしれない。

イランは核保有国だが、近未来的にはイランとイスラム国の間で第3次世界大戦が起こる可能性もあるかもしれない。そうなればイランによる核の使用もあるかもしれない。
ローマ教皇は、去年、第3次世界大戦は既に始まっていると述べたそうだ。

日本は中東からは一切手を引いた方がいいだろう。関わらないことが一番のセキュリティ対策である。
人道支援と称して資金を提供するのもやめといた方がよいだろう。資金を紛争国に供与すれば、人道支援と軍事支援の区別などできない。
お金に色はついていないからだ。

posted by libertarian at 18:50| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月01日

Terrorism

ISIL、またはイスラム国が話題となっている。
テロ国家といわれるし、それは事実であろうが、これは国家とは何かという大きな問題を含んでいる。
イスラム国なるものが話題になったのは、去年2014年くらいからだが、オバマ政権がイラクから軍を撤退した軍事的空白を埋める形でイラクのアルカイダ、つまりイスラム原理主義が台頭してきたわけだ。
アメリカがサダムフセインを排除して、さらに最悪の敵が台頭した結果となった。

国家の基本的な条件とは、領土、国民、主権だが、イスラム国はこれらを満たすから国家とはいえる。しかしイスラム国を承認する国はないから国家ではないともいえるが、シナや北朝鮮が国家だというなら公平に言ってやはりイスラム国も国家だろう。w

現代の欧米のワールドオーダーに挑戦しているのは、いわゆるイスラムではなく、イスラム原理主義と限定すべきである。
イスラム原理主義とは、簡単にいえば、コーランの原典に回帰すべしという運動と理解している。コーランは法であり、細々としたことを規定しているが、時代の変化にあわせて、コーランは拡張してきた。イスラム学者があたらしい技術や社会環境の変化に対して、解釈を加えてきて、結果的にコーランがふくれあがってしまい、元のコーランから離れてしまった。
そこで、原典のコーランの教えに帰ろうというのがイスラム原理主義である。だから、斬首刑とか石打ち刑といった、アナクロな現代的には残酷な刑をコーランの原典通りに行う。

イスラム原理主義は、反欧米、反近代文明、といった挑戦的、戦闘的な要素が強い。それがテロという具体的な戦闘行為、非対称戦争を起こしている。いわゆるイスラムが欧米と共存の道を歩もうとしているのとは対照的だ。もっともイスラムにとって欧米とはキリスト教なのだろうが、政治と宗教を分離して考えればよいというところに落ち着いてきている。
だが、イスラム原理主義はそのようには決して考えないという点が厄介で危険なところなのだろう。

ISILの行為をテロと呼ぶのは、ISILを国家と認めないからである。
アメリカの軍事行動も、アラブの国にとっては、とんでもない暴力だろうが、テロと呼ばないのは国家の行動だからである。
ISILが国家であることを強調しているのは、イスラム原理主義の戦闘行為をテロではなく、国家行動と認めさせようという思惑なのだろう。

posted by libertarian at 03:13| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

World not understood

世の中でニュースというのは絶えることがないが、それらは点情報でしかない。
その時々で関心をひいたニュースにごちゃごちゃとした解説だが感想がメディアでなされる。一時の関心をひくが誰もそんなものは理解もなにもしてない。
例えば、去年、ソ連のクリミア問題がおこったが、その後は一切ニュースにもならないし、どうなったか気にする人も稀だろう。
問題を、ちり紙程度の点としか把握していないわけだ。問題を理解すれば、線として認識するようになるだろう。

イスラム国にしても、そもそもイスラム国とは何かについて、まともに報道も説明もされない。これでは、イスラム国でなく、A国とでも言った方がよい。つまり、ニュースは自明でないことをあたかも自明のように報道し、結局報道する側もそれを受け取る側も誰も何も理解していない。今はWIKIがあるので、昔と違ってある程度のまとまった知識を容易に得ることができるようになったが、普通の人はそれすらしないだろう。何も知らないのに、良い悪いといった判断は適当にしているわけだ。
イスラムは複雑で理解しにくいということはある。特に歴史を知らないから、イスラムやアラブの意味もわからない。漠然としたイメージをもっているだけだ。

”クラッシュ”という映画で、雑貨店を営むイスラム系にみえる店主が、自分たちのことを社会はアラブだと思っている。ほんとはペルシャ人なのに。。とつぶやくシーンがある。ペルシャはイランだが、イランはアラブではないのである。これは彼らにしてみれば日本人が中国人として扱われているようなものなのだろう。

我々は近現代史にあまりにも無知であるがために、現代の世界をほとんどなにも理解できないでいる。
現代の世界もわからなければ、現代の日本のことも何も分かっていないわけである。

posted by libertarian at 11:56| 東京 ☔| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

The Civil War,Gold and Japan

歴史というのは、非常に大事である。
歴史認識はある意味、教育システムの根幹となっている部分である。
その点、日本の教育は特に歴史教育がめちゃくちゃであるから、荒廃しているのである。
学校で教える歴史は、基本がマルクス史観で作られており、くだらない暗記コンテストになっている。
日本の歴史教育など百害あって一利なしだ。
だから、自分で一から歴史は勉強しなおさないといけない。
近現代史を知らないと現代を理解することは不可能である。
今を理解するためには、歴史を知るしかない。そして歴史を間違えて理解すれば、今の時代も間違えて理解することになる。
左翼はマルクス史観を必ず持っており、歴史観がめちゃくちゃだから言っていることも全部だめといえよう。

例えば南北戦争(civil war)  について、日本人は何も知らない。
これは市民戦争といった内紛ではなく、一旦、南が連邦を正式に離脱して、confederate states of Americaという国を独立に立てた。
だから、これは内紛ではなく、国家間戦争であった。
当時、南部は北部に比べて圧倒的に豊かであったから、独立は容易だったし、合理的だった。
では、なぜ圧倒的に豊かな南部が、貧しい北部に負けたのかが、大きな問題である。
こういったことを学校教育では一切不問に付している。

驚くべきことに、北部の資金源は日本にあったのである。
当時、日本はほんとに黄金の国ジパングで、国内では銀が相対的に少なかったために、銀と金の交換比率が低かったらしい。つまり、銀が国内では国際相場と比べてずっと高かった。
金の歴史上の産出量はプール3杯分と言われているが、なんとそのうちの1/3,つまり1杯分は日本から産出したものなのだ。
そこに目をつけたのがアメリカだった。アメリカは安い銀貨で日本国内の金を大量に交換し、濡れ手に粟で日本の金の大半を短期間に持ち出したのである。これが北軍の莫大な資金源となった。
これを許したのは、日本が鎖国をしていたからだろう。日米修好通商条約は金の持ち出しがアメリカの本当の目的だったというわけだ。

歴史を理解するためには、経済の観点と地政学の観点がやはり大事だと思う。
特に経済は大事だと思う。経済的な効果には偶然の要素があまり入らない。
地政学は経済学的観点が乏しいところが弱点だが、補完的なものにはなると思われる。



posted by libertarian at 00:26| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

Anesthesia

年末に骨折をした。
鎖骨を折り、人生初の手術をした。全身麻酔も初めての経験。
術後も痛みがあるので、鎮痛剤を飲んでいたが、おかげでオツムが前よりも悪くなったような気がしてならない。w
囲碁棋士の趙治勲は大けがをして、手術をしなければならなくなったとき、麻酔は頭を悪くすると聞いて、麻酔なしで手術するように頼んだそうだ。ほんとに麻酔なしで激痛に耐えながら手術したそうだから、驚異的だ。

しかし、私は痛いのは大層苦手であるため、全身麻酔はするは、術後は鎮痛剤を飲みまくり、痛みから逃れていた。
お蔭で、前よりも一層バカになったかなと感じる。w
麻酔というのは、不思議なもので、手術が終わり、医者に手術が終わりましたよと声をかけられるとぱっと目が覚める。
麻酔がかかる時の記憶もない。
麻酔は麻酔医という専門家がいるが、麻酔の仕組みは未だによくわかってないらしい。
一種の仮死状態のようで、夢も見ないし、その間の記憶がなくなる。

私が前よりバカになったような気がするのは、簡単な詰み将棋が前よりも簡単には解けなくなったような気がするからである。
頭の中で駒を動かすのが、少ししんどい気がする。
これが麻酔による効果なのか、単なる気のせいなのかはわからない。
しかし、麻酔がオツムを悪くするのが、単なる迷信であるなら、趙治勲の激痛に耐えた苦労は意味がなかったことになる。

骨がくっつけばくっついたで、また入院して手術をしないといけない羽目になる。
さらにバカになるのかと思うと困ったものである。w
posted by libertarian at 21:39| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

Never Let me go

Kazuo Ishiguroの原作の映画「私を離さないで」を観た。
SFということだが、一言でいえば、自分の臓器提供者となるクローンを作る社会があり、そのクローンとなった側の人間を描いたドラマである。しかし、SFということだが、時代設定は1952年以降の現代だ。
映画はなかなか映像もきれいで、よくできた映画だ。
役者も大物が出ているので、それなりの大作なのだと思われる。
実は私はこの原作も随分前に買って持ってはいるのだが、まだ読んでいない。
映画が面白ければ読もうと思っていたので、そのうち読む予定だ。

このストーリーではおそらくクローンはオリジナルの所有物とされているわけだ。
オリジナルが所有権をもち、クローンはオリジナルの所有物とされる。
おそらく、というか間違いなくクローンには人権もない。提供者として、臓器提供する時を待つだけの任務である。

こういった所有権原理の拡張というのは、現実的には起こらないだろう。
例え人間のクローンが可能になったとしてもだ。
自分の子供が半分自分の遺伝子を継いでいるとしても、半分所有権が親にあるわけではないのと同様である。
この物語の設定が現代となっているのは、現代人にも生き方の強制があること、生きる方法に選択の余地がないこと、また生きる意味を知らないこと、利他主義の強制があることを意味しているのかもしれない。

しかし、こういった奴隷原理というのは、欧米の人間には割と自然なのかもしれない。w
所有物になりえない対象は、世の中には存在しないと考えるのであろう。
作者のイシグロ カズオは日系人だが、頭の中は完全に欧米人だ。
人権思想とは、所有権の限界を定めるものともいえる。
人が人権を持つことと、人は人を所有できないのはほぼ同じ意味になる。つまり、人権を持つものを人は所有できないシステムともいえる。



posted by libertarian at 17:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする